練習着に着替え、校舎を出たかのん達はナナミ達に見送られながら、練習メニューにあるランニングを始める。雪が僅かに積もる地面を踏み、彼女達は一斉に駆け出した。
「うぅ〜さっむぅ……」
季節は冬。外の気温は低く、吹く風も冷たい。動きやすさを重視した練習着では防寒にならず、肌寒さがすみれの身体に襲い来る。しかし、彼女の隣を走る
「上海と比べタラ、コノくらいドウってことナイデス!」
可可が生まれ育った上海の冬はとても冷え込み、湿った空気を含む北風は容赦なくその身に染みる。息を吸い込めば肺が凍るかのような冷気が体内に充満して行く感覚が走る。それ程に過酷な上海の冬季期間を何年も過ごしてきた可可にとって、東京の寒さは耐えられる程度である為、何の不自由もなくランニングを行えていた。他のメンバーも『寒い』とは思うものの、気合いを入れて走り続けている。自分にぶつかってくる冷たい風も、かのんは心地良く感じていた。彼女の心は今、自身でも驚いている程に軽く、なんでも出来てしまいそうな、そんな気持ちで心が満たされていた。
「ちぃちゃん!」
「うん?」
名を呼ばれ、
「私、この学校で良かった! こんなに心がワクワクする毎日になるなんて……思ってもみなかった!」
「……! そうだね! 私も!」
『この学校で良かった』。かのんが紡いだその言葉に、千砂都の胸が熱くなる。音楽科の試験に落ち、普通科として結ヶ丘に入学する事となり、部屋に籠り塞ぎ込んでいた彼女が可可と出会い、もう1度人前で歌えるようになった。それから今の自分を形作る大切な仲間と次々に出会いを果たし、スクールアイドルとして皆と切磋琢磨し、苦楽を共にしてきた。この8ヶ月で、かのんは凄まじい速度で成長して行った。そんな彼女が、入学した学校が結ヶ丘で良かったと言ってくれたことは、
「ふふっ。私もですよ」
嬉しそうにはにかみながら、恋はかのんにそう言った。彼女も結ヶ丘に入学してから、自身を取り巻く全ての環境が変わった。疎遠になっていた幼馴染と和解し、一緒に居られるようになり、信じられる仲間も出来た。今は、毎日が楽しい。かのんが言っていたように、恋もまた心が躍る日々を過ごせている。大切な人が側に居て、共に笑い合える。そんな奇跡のような毎日を、当たり前に過ごせている『今』が、恋にとっては幸福以上の何物でもない。
皆それぞれ、結ヶ丘に入学したことで変われた。憧れに近付けた者、幼馴染の隣に立つ為に結果を残した者、長年の夢が実現し、自分を好きになれた者、想いを結び、仲間と手を取り合えた者。そして、他者に心を開き、生まれ変われた者。皆等しく、見違える変化を遂げている。その中でも、1番変化が著しいとかのんが感じる人物を思い浮かべ、自身の気持ちを言葉に表す。
「おとちゃんも、同じ気持ちだったら良いな」
烏滸がましいかもしれないが、
「ええ。きっと、私達と同じ気持ちですよ。音羽くんも!」
「うん。きっと、そうだよね!」
恋も自分達と同様にそう思ってくれているのだと信じて疑っておらず、かのんの言葉に賛同した。恋からもそう言われた彼女は、笑顔で頷いて返答する。応援してくれている人達の為に、皆は更にペースを上げて街中を走って行く。かのんは自らが先頭になり、懸命に駆ける。可可と初めて会った頃に、逃げるように走った道を、今度は仲間と共に突っ切って走り続けた。もう、逃げない。あの頃の自分とは明確に変われているとかのんはそう信じ、冷風が吹く街中を、市民から熱い声援を受けながら皆で駆け抜けて行くのだった。
数日後の昼休み。スクールアイドル部の部室にて、音羽が曲作りをしている最中、かのんも部室へと訪れ、彼に声を掛けた。
「おとちゃん! おつかれさま!」
「あっ、かのんちゃん! おつかれ! どうしたの?」
「東京大会で使う曲の詞を考えてきたから、おとちゃんに渡そうと思って! はい!」
「わぁっ……! ありがとう! 助かるよ!」
かのんは東京大会用の曲の歌詞が纏められたノートを音羽に手渡し、彼は笑顔でそれを受け取り、そっとノートを開く。書かれた歌詞に目を通した音羽の口から、小さく声が漏れる。かのんの、皆の想いが込められた詞と、言葉の数々に彼はすぐに自分が作っていたメロディとの照らし合わせを行い、真剣な表情でノートと向き合う。その様子を見て、かのんは急いで音羽の手にあるノートを閉じさせる。
「曲、無理に急いで作らなくても大丈夫だから! ねっ? 今は昼休みなんだし、肩の力抜こう?」
「う、うん……わかった……そうするね……」
かのんにそう言われた音羽はすぐに反省し、彼女が来たというのもあり、作業に使っていた電子ピアノの電源を切った。放課後で部活動中であるなら話は別だが、今は昼休み。人が来ている中で黙々と作業に没頭するのは失礼に値すると判断した音羽は、曲作りを止め、かのんとの会話に時間を使う事を決めた。
かのんは暫し音羽を見つめ続け、思った。彼はやはり、最近異様に無理をしがちであると。歌詞を目にしてすぐに作業に取り掛かろうとするところもどこか違和感があり、以前の音羽には見られなかった様子であった。普段の音羽なら、歌詞をじっくりと読み込み、それから曲作りをしようとする筈なのに。やはり、今の音羽は正常とはとても言えない状態であることを悟った。そこで、かのんは音羽にある提案をする。
「ねぇ、おとちゃん。今日練習終わったら、私の家でお茶しない?」
「えっ……えっと、行きたいのは山々なんだけど、東京大会が近いし……また今度にしない?」
「今度って、いつ? おとちゃん、この前も用事で家に来れなくなっちゃったじゃん。『埋め合わせする』って、言ってくれたよね?」
「あっ……うん。言ったよ……?」
先日、音羽は千砂都に頼まれてかのんと遊ぶ約束を反故にしており、『今度遊ぶ』という埋め合わせがまだ出来ていない状態であった。かのんはそれを巧みに利用し、是が非でも自宅に来てもらうように彼を誘導する。
「だからさ、そろそろおとちゃんとお茶したいなぁって思って。しばらくおとちゃんと遊べてなかったし……ダメ、かな?」
「そんな……だめって訳じゃ、ないんだけど……」
「じゃあ……今日一緒にお茶、してくれる?」
かのんは音羽に了承を得る為に優しげな表情で問い掛ける。彼はとにかく真面目で、律儀な性格であることを彼女はよく理解している。故に、音羽が以前自分との約束を断ったという前提で話を進めれば、その約束の埋め合わせをしようと思ってくれる筈だと、かのんはそのように頭を働かせた。彼女から今日の練習終わりに誘われ、音羽はあたふたし始めながらどのように返答するかを思考する。これ以上かのんの誘いを断ると申し訳なさが勝り、且つ今後の関係にも影響を及ぼしたくない。そう思ったら、音羽がするべきことは、ただ1つであった。
「……わかった。この前断っちゃったし、一緒にお茶しよっか……」
「ほんとっ?」
「うん。僕も……かのんちゃんと、お茶したかったし」
「やったぁ! ありがとう、おとちゃん! 楽しみだね!」
「うんっ……そうだね!」
音羽は、かのんの誘いに乗った。彼女は喜びを露わにした表情で音羽に礼を言い、彼もかのんの笑みに釣られてにこっと笑う。今、かのんと2人で話せる機会は貴重で、かのんがラブライブについて何を思っているのかを聞ける機会だとも音羽は考え、それを今日彼女に話してみることに決めた。何か悩みがあるようなら、自分がかのんの力になろうと、彼はそう決意するのだった。
音羽がそう考えるのと同じように、かのんにも思惑がある。今日こそ、音羽が何を抱え、何故最近無理ばかりするのかを聞き出したい。そうして、音羽の力になりたいと思っている。可可も、すみれも、千砂都も、恋も最近の音羽を心配しており、彼に何があったのかを聞き出せるのはかのんしか居ないと千砂都達がそう言い、東京大会の前だからこそ、音羽本人の口から聞かなければならない事なのだという結論に至った。故にかのんは今日、音羽を誘い、彼の中にある悩みを少しでも解消しようと計画しているのだ。
今日の練習終わりを楽しみに、2人はただ笑い合う。互いに、『優しさ』という名の思惑を腹に抱えながら。