意識の覚醒と微睡を繰り返し、
カーテン越しに窓から映る景色を見る。夜が明けたばかりで微かに陽の光が差しているのを認識し、音羽は静かにベッドから出て、身支度を始めた。
あっという間に時間は過ぎ、ついにラブライブ東京大会の当日を迎えた。音羽は諸々の準備の為、朝早くから家を出る必要があった。彼は東京大会当日という大事な日に、夢に出てくる声の影響を受けたくなかったが故に、スマホのアラームを2時間毎に設定し、夢を見る前に意識を覚醒させるというのを繰り返し行う事で、得体の知れない声を聞かずに今日の朝を迎える事が出来た。
だが、短い睡眠を数回に分割してとっていた為に、お世辞にもコンディションは万全とは言えない。けれど、音羽にとってはあの声を1度も聞かずに起床出来た事が何よりの僥倖であり、俄然モチベーションは高い状態であった。
自分で温めたパンとカフェオレを軽い朝食として食べ終え、全ての支度が終わったところで、
「おはよう音羽。もう出るの?」
「おはよう。色々準備する事があるから、今から行くよ。お母さんとお父さんこそ、早いね。今日はお仕事休みなのに」
「なんだか、早くに目が覚めてしまってな。まぁ、たまにはこんな休日があっても良いだろう」
湊人は隣に居る詩穂と顔を見合わせ、フッ、と笑みを溢す。2人は今日、音羽が所属するスクールアイドル部、『Liella!』のステージを見届ける為に休暇を取り、東京大会の中継を最後まで視聴出来るようにしていた。有り余る程に有給休暇が貯まっていた2人は、それぞれの仕事場で快く許可を貰えたようで、わざわざ休暇まで取って自分達のライブを見ると言う両親の計らいに、音羽は嬉しくもあり、ほんの少しだけ気恥ずかしさもあった。彼は少し笑った後、すぐに真剣な表情を作る。
「最高のステージにしてみせるから、見守っててほしい。僕、頑張るから」
「うんうん! 今日まで頑張ってきたんだから大丈夫! しっかり見てるからね!」
「この目で見届けるよ。結ヶ丘
玄関に着いた3人は歩みを止めて立ち止まり、音羽は湊人と詩穂の方へ向き直る。
「ありがとう。……勝たなきゃ。勝たせなきゃ。僕が居る意味を、証明する為に」
誓いのように、戒めのように、音羽はそう呟く。ぎゅっと固く握り締めたその手が、彼の思いや気持ちを物語っていた。そんな音羽を見て、湊人は優しく肩に手を置く。
「あまり気負い過ぎるな。お前の想いは、きっと届く。何も心配要らない」
「お父さん……」
「……気を付けてな。音羽。ライブ、楽しみにしているぞ」
『頑張れ』や『勝てる』等と伝えるのは、音羽にとってノイズになると判断した湊人は、他の言葉を用いて息子の背中を押した。音羽が出掛ける際にはいつも掛けていた、『気を付けて』という言葉。その一言に乗せられた父の想いを、音羽は即座に汲み取った。何の変哲も無い、至って普通な遣り取り。だが、今の音羽を勇気付けるには、充分過ぎる言葉達であった。
「うん。行ってきます。お父さん、お母さん」
「いってらっしゃい!」
靴を履き、ドアを開けて駆け出す音羽を見送った湊人と詩穂は、暫くその場に留まり、息子に対して思いを巡らせた。いつも、スクールアイドル部の仲間の為に必死に努力していたのを理解しているからこそ、その努力は報われてほしいと思うし、部の仲間達と幸せになってほしいと心の底からそう思っている。
だが、音羽の中に『勝ち負け』という概念が加わったのは、言葉の節々から感じ取っており、競い合う事や、優劣を決める事が今の彼に何を齎すのか、親である2人にとっては想像がつきやすくもあり、同時に未知な部分もあった。
これから待っているであろう、少し先の事を考えてもどうにもならないと感じた湊人と詩穂は静かに頷き合い、共に居間へと戻って行った。何人も、先の事など知る由も無い。ただ、音羽とその周囲に居てくれる仲間達が喜びを共有し合える事を切に願う。それが、親として出来る唯一のお節介であると、2人は最後まで息子達を見守る決意を固めるのだった。
暖かなベッドで眠っている最中、不意に目が覚め、かのんは素早く枕元のスマホを手に取り、寝ぼけ眼のまま現在の時刻を確認する。
「6時20分……本番は夜……まだ全っ然眠れる……」
眼鏡を掛けながらぼやけていた視界を開き、時刻を認識する。東京大会でステージを披露するのは今日の夜。本番まで空き時間は大いに有り、しようと思えば昼の時間帯まで惰眠を貪る事が出来る状況なのだが、他のスクールアイドル部の仲間達はこの空き時間を自主練や発声練習に充てるだろうし、何より音羽が今も会場作りを懸命に行っている事を思い出すと、自分がここでダラダラと眠っている訳にはいかないと、瞬時に意識が覚醒した。
「ダメっ! 起きよう! ……うぅっ、さっむぅ……」
勢いよく部屋の窓を開けると、冬の冷気が容赦無くかのんを襲い、身体を震わせる。寝間着姿の彼女に冷たい風がぶつかってくる中、なんとか目を開けて外を見ると、空から白い結晶が降っていた。雪だと確信したかのんは、思わず感嘆の声を上げる。関東地方ではあまり見る事が出来ない、儚くも確かに地面を白く染めるこの天候。今日がクリスマス当日でもある事を鑑みれば、絶好の天気である。
居ても経っても居られず、かのんはすぐに寝間着を脱ぎ捨て、自主練の為にスピーディーに身支度を始める。準備を終えたかのんは階段から降りて1階へと向かった。
「おはよう〜!」
「あら、早起きね!」
「朝ご飯、学校に持って行っても良い?」
「もちろん!」
母に挨拶してから、かのんは学校で食べる為の朝食を受け取り、家を出ようとした矢先に、妹であるありあに声を掛けられた。
「お姉ちゃ〜ん! 忘れてるよ! ヘッドホン!」
ありあは以前、かのんが肌身離さず持ち歩いていたヘッドホンを手渡す。外界から聞こえてくる音を遮断する為に身に付けていたそれは、今でもかのんにとって大切な持ち物で、これからも使用し続けるつもりである。だが、そのヘッドホンは外では付けない事に決めていた。もう、周囲の音を拒む必要は無いのだから。
「ありがとう。でも……もう大丈夫! 行ってきまーす!」
笑顔でありあにそのように返し、かのんは小走りで家を後にした。ヘッドホンを付ける必要が無くなったという事は、何かが吹っ切れたのかとありあはなんとなく思い、母の方を見る。ありあと目を合わせた母は、安堵したように笑みを見せており、釣られるように彼女もクスッと笑ったのだった。
同時刻にて。すみれは実家の神社の掃き掃除をしながら、寒空の下で溜息を吐いていた。ラブライブ東京大会の当日だというのに、朝早くから家の手伝いをさせられているこの状況に、彼女は機嫌を損ねている様子だった。
「何でよりによって今日みたいな日に……」
「お姉ちゃん、サボっちゃダメ!」
「……は~い」
掃き掃除の手が止まっているのを妹に見つかり、一言注意されると、すみれは渋々手を動かすのを再開し、地面に落ちている枯葉を集めていると、遠くの方から声が聞こえた。声がした方を見やると、見覚えのある人物が巨大な何かを背負ってこちらに向かって歩いてきていた。
「すみれ〜~!」
「えっ。
スクールアイドル部の仲間である可可が何故か神社に足を運んできており、すみれは困惑混じりな表情で可可を見つめる。
「こんな時間に何? 本番は夜よ?」
「ふぅ……ふぅっ……他に場所がナイので、仕方なく来マシタ。コレを、1日だけ預かってクダサイ!!」
息が切れた状態から徐々に呼吸を戻し、可可はとある物をすみれに渡した。額縁で保護されているそれを確認してみると、『Sunny Passion』の2人が写っている巨大なポスターだった。可可の自宅にこれが飾ってあるのをすみれは知っていて、以前は自分が軽く手を触れようとしただけで怒るくらい、彼女がとても大切にしている代物であった。
「それ……あんたの宝物じゃないの?」
「しかし、今日ダケはライバルデス。今日ダケは……ファンを辞めマス!!」
可可の目は、真剣そのものであった。ラブライブ東京大会で争う事になる『Sunny Passion』に本気で勝つ為に、普段2人を応援する心を今日だけは捨て去り、ファンとしてではなく、『Liella!』の唐可可としてステージで『Sunny Passion』と相手をするつもりである。彼女の意志を受け取ったすみれは、無言でポスターを受け取り、交換するように神社の御守りを可可の鼻先に付ける形で渡した。
「はい。これ」
「んぐ……コレは……」
「一応渡しておくわよ。これからも、一緒に続けられるように」
すみれにとっても今日の東京大会は大事なもので、音羽と共に自分をセンターで居させてくれた可可が、今日の結果次第では上海に帰国しなければならなくなる可能性がある。そんな事はスクールアイドル部の誰も望まないし、勿論すみれも避けたいと思う事柄である。故に、せめてもの願掛けとして可可に御守りを授けたのだ。これまでも、これからも、自分達が卒業するその日まで、全員揃って『Liella!』として活動して行く為に。
「……ふぅっ! これでばっちり!」
代々木公園にて、
「大きなまるになったねぇ……」
地面には6つの円が描かれており、千砂都は自身が生み出した『まる』の出来を見て、満足そうに笑った。横に繋がっているこの円は、まさしく自分達『Liella!』を表しており、様々な出会い、偶然、縁が繋がったからこそ今の自分や、スクールアイドル部がある。今までの自分の選択に、後悔は無い。幼馴染であるかのんの隣に立つ為に相応の結果を残し、側に居る為に当初所属していた結ヶ丘高校の音楽科から、かのん達が所属する普通科に転科した。自分もスクールアイドルとなり、大切な仲間と苦楽を共にし、ついに今日、本番を迎えた。それが何よりも誇らしく、他の誰よりも楽しみにしている自負があった。緊張や恐怖が無い訳ではないが、純粋に楽しみなのだ。自分達が生み出したパフォーマンスや曲が中継され、沢山の人達に見てもらえる。今日行うライブは、自信を持って他者に見せられるものになったと千砂都は確信を持ってそう言える。
その成果を発揮出来るラブライブ東京大会の場に立てる事を誇りに思いながら、千砂都は白い結晶が降る、東京の空を眺めるのだった。
「お待たせしました」
本番前に最後の練習の為、結ヶ丘高校へ向かう2時間前。
「ありがとうございます。……サヤさん。またあなたと暮らせて……幸せです」
「こちらこそ。お母様の創った学校を守ろうとする恋様と音羽様を、再びお手伝いできる事を誇りに思います」
サヤは嬉しそうに声を弾ませて、恋にそう言った。恋の父が必要な資金を送ってくれたお陰で、サヤはメイドとして再度正式に雇われる事となり、今は住み込みで恋の身の回りの世話を行っていた。定期的に音羽が葉月邸に訪れ、彼とも会話する機会が増えていた。数年前までは離れ離れとなっていた恋と音羽を思い、サヤは心を痛めていたが、現在はまた2人が一緒に居て、主である葉月
サヤが淹れてくれた紅茶に口を付けながら、恋は今までの出来事に想いを馳せる。入学当初は、スクールアイドルという概念そのものを『結ヶ丘に相応しくない』と決め付け、排斥しようとしていた。だが、母の真意を知り、大切な幼馴染である音羽と和解し、再び親友として一緒に居る事が叶えられた。かのんの誘いに応じて、自身も母の想いを継ぐ者としてスクールアイドルになり、日々努力を重ねてきた。今日この日、自分達のステージを披露する時が来た。かのんが言ってくれた、結ヶ丘が1番であるという言葉。それを証明する為に、音羽の今までの努力を無下にしない為に、恋は覚悟を決める。自分にとって大切なものを守る為、彼女は全力でライブに臨む決意を固めたのだった。
時刻は昼前。ライブ本番に向けて最後の仕上げを行う為、かのん達5人は部室に集合していた。1時間程、パフォーマンスに関する最後のミーティングをした後、屋上に出てダンスの練習をする事となった。身体を動かす前の柔軟体操をしている最中、かのんがふと思った事を口にする。
「ステージ、進んでるのかな?」
「どうでしょう?」
「楽しみデス!」
『Liella!』が東京大会に使用するステージ作りの進捗は現状どうなっているか、皆気になる事柄であった。ナナミ達が主導で作業を行ってくれており、そこに音羽も手伝いとして加わる形でステージ作りを進めてくれている、という事までは把握しているが、完成しているのか否か、まだ誰も分かっていなかった。
「んぐぐ……誰か、状況知らないの~?」
可可と背中合わせで柔軟を行っているすみれが皆に問う。
「『驚かせたいから、夜まで待って』って。出来たら、呼びに行くからって」
千砂都がナナミから送られたメッセージの内容をすみれに伝える。音羽からも似たような旨の連絡が来ており、どうやら自分達を驚かせたいのは彼等の本意であるようだった。
「じゃあ、手伝った方が良いんじゃない?」
「同意デス!」
すみれの提案に、珍しく可可は素直に同意する。人手は多いに越した事は無いし、恐らくステージ作りも大詰めに差し掛かっている頃合いであると予想出来る為、5人も手伝いに加われば作業が早く終わらせられるという利点がある。何より、雪が降っている寒い状況の中、手伝ってくれている人達を外に長居させてしまうのも気が引ける。
「この雪ですしね……体調を優先して、練習も早めに切り上げましょう」
「じゃあ、一通り振り付けおさらいしたら、手伝いに行こうよ!」
「良いですね!」
皆の意見が一致し、一通りの確認を終えたら、一旦ナナミ達の様子を見に行く事にし、自分達もステージ作りを手伝おうと決めた。
数十分で振り付けのおさらいと発声練習を終わらせ、皆は下に降りて体育館へと向かう。しかし、周囲に人が居る気配は無い。ステージ作りが行われているという割にはあまりにも静かで、いっそ不気味とすら思えてくる。嫌な予感を抱きつつも、かのんは体育館入口の扉を開けると、視線の先には驚愕の事実がそこに在った。
「……あれ? あれれっ? あれ〜〜っ!?」
自分達が作られていると思い込んでいた筈の、ラブライブ東京大会で使用するステージが、何1つ用意されていなかった。
「ステージがない~!!」
体育館全体に、かのんの叫び声が響き渡る。
「う、ウソでしょ……?」
「あれぇ……? ナナミちゃん達が作ってくれてるはずじゃあ……?」
「クク達のステージが……あぁぁ……」
「お、落ち着いてください! 音羽くんに連絡してみましょう! 何か事情があるのかもしれません!」
困惑、予想外、落胆。かのんに次いで様々な感情が皆から生まれる。目を凝らして見てみても、ステージが準備されている痕跡が一切無かった。
「ひどいよっ……ひどすぎる……こんな仕打ちっ……」
膝と両手を付いて悲壮感を漂わせるかのんに、一同は何も声を掛ける事が出来ず、どうすれば良いのか分からない皆はただ立ち尽くしていた。今から5人で準備をするとしても、本番の時刻までには確実に間に合わない。徐々にこの状況に現実味を帯びてきた矢先に、ヤエとココノが体育館にやってきた。
「かのんちゃん……ひっ!?」
ヤエがかのんに声を掛けた瞬間、彼女は眉間に皺を寄せてヤエを睨み付ける。ステージを作ると約束した筈なのに、自分達で宣言した事を一切履行していなかった彼女に冷たい視線を向けた。
「あんまりなんじゃない……?」
普段聞く事の無い、ドスの効いたかのんの問い掛けにヤエは肩を跳ねさせながらも、なんとか声を出して事情の説明を試みる。
「ち……違うのっ! すごく良いステージができそうだよっ! ここより、もっと素敵な場所! 今は
「えっ……?」
ステージを作っているのはこの体育館ではなく、別の場所にあるとヤエは事実を皆に伝える。そして、ステージの準備は音羽が指揮を執って行っている事も共有した。かのん達は驚きを隠せないまま、ヤエとココノから今まで何があったのかの説明を受けるのだった。
「皆さーん! 交代でお昼休憩をとっていってくださーい! 寒いので、作業中以外はどこか近くにある施設の中に居てくださいねー!」
「「「はーい!」」」
東京都内某所にて。脚立を用いてステージの飾り付けを行っていた音羽は、作業を手伝ってくれている結ヶ丘高校の生徒達に大きな声で呼び掛けた。皆から了承を受けた音羽は微笑み、飾り付けを再開する。彼の隣で同じく脚立に登って作業を行っている友人……
「まだ日中なのに、けっこう冷えるわねぇ……」
手袋を着用した手を摩擦し、美麗は今日の東京の寒さにほんの少しだけ愚痴を溢す。数分作業をした後、隣で作業している音羽をちらりと見ると、彼の両手は寒さで真っ赤に染まっていた。『付けると作業がしにくい』と、手袋なしの素手でずっと飾り付けを行っていて、緻密に角度を調整して着々とステージを作り上げていた。そんな音羽に美麗は肩を竦めるも、自分も音羽に負けていられないと、飾り付けのスピードを早めた。
「もうすぐできるよ、皆。僕達の……最高のステージ!」
冷気を纏う風を浴びながら、音羽は明るい声でそう言葉にしたのだった。