日が傾き、辺りが徐々に暗くなってきた頃、
「これって……!」
かのんが驚いた様子で呟き、先程皆と合流したナナミ達が説明を始める。
「この道を進めば……かのんちゃん達のステージが待ってる!」
「結ヶ丘の皆で用意した……最高のステージだよ!」
「皆が……このステージを……?」
「音羽くんが、皆さんを集めてくださったんですよね?」
かのんと
「うん! さっきも言ったけど、私達だけじゃ絶対、全校生徒を集めるなんて無理だった。
かのん達が体育館に足を運び、ステージが用意されていないのを知った際に、今まで音羽がしていた事を全てナナミ達から聞かされた。ラブライブ東京大会で使う曲を作った後、音羽はすぐに結ヶ丘の生徒達に声を掛けた。『Liella!』のステージ作りに協力してほしい、と。当初はナナミ、ヤエ、ココノの3人だけでステージ作りを行う筈で、そこに音羽も加われば余裕を持ったスケジュールでステージを作る事が出来た。『Liella!』の為の会場を作るだけであれば、4人で充分な筈だった。
しかし、音羽は考えた。結ヶ丘の創立者である葉月花が生前言っていた、『同じ場所で、想いが繋がっていてほしい』という言葉を思い出し、結ヶ丘高校に通う全ての生徒と共に想いを共有したい。自分達でステージを作り、『Liella!』に対する想いを繋ぎたいと音羽は願った。それから生徒1人ずつに頼み込み、時には頭を下げてステージ作りの手伝いをお願いした。そんな音羽の姿を見た生徒達は、『自分にもできることがしたい』とその願いを承諾し、徐々にステージ作りに携わる人数も増えて行き、最終的には結ヶ丘の生徒全員が設営に参加するに至った。こんなにも生徒が集まってくれたからこそ、キャンドルで照らされる道が生まれ、かのん達を出迎える事が出来た。
5人が知らないところで、音羽は水面下で行動しており、それを今日になるまでずっと話さずに居たのは、皆を驚かせたかったからなのか、それとも変に心配を掛けさせたくなかったのか。どちらにせよ、音羽が携わったからこそ、生徒達が協力してくれて、このようにステージに続く道標まで作ってもらえた。その事実に、一同の目頭が熱くなる。
「「「頑張れっ! 『Liella!』!」」」
ナナミ達3人の声を皮切りに、他の生徒達からも声援が起こる。自分達の名を呼ぶ声。『頑張れ』と叫ぶ大きな声。その全てに背中を一気に押され、かのん達5人は一斉に駆け出す。生徒達が灯す暖かな光に満ちた道を辿り、会場まで真っ直ぐに向かっていく。
「いけーっ!」
「ファイトー!」
「絶対勝てるよー!」
「いけー! 『Liella!』ぁぁぁぁぁっ!」
女子生徒も男子生徒も等しく『Liella!』に声援を送る。そこに普通科と音楽科の隔たりは無い。ただ、結ヶ丘を背負うスクールアイドル部の皆を応援したい一心で、冬休みにも関わらず作業に参加したり、この時間まで留まっていた。皆の想いを受け取り、5人は更に走る速度を速めていった。
「急がなくても大丈夫!」
「足元気を付けてー!」
道には雪が降り積もっており、今も白い結晶が舞い、鼻先に冷たく張り付いてくる。走っているうちに街の方へ出ており、周囲には結ヶ丘の生徒だけでなく、街に住んでいる市民達も横で見守ってくれていて、老若男女問わず様々な人がエールを送っていた。皆の目線の先に煌びやかな光が見え、かのんは小さく声を漏らした。
「もうすぐだよー!」
「目の前まで来てるよー!」
「あ……建ってマス!」
「見えてきたわよ……!」
生徒達の言葉通り、ステージは目前。心を高揚させながら、皆は生徒達が少なくなった道を駆け抜ける。ステージの側に、人影が見えた。ステージの前に1人立っており、皆の到着を待ち続けているようだった。会場に着き、立ち止まった5人はすぐに人影の正体が分かった。紺色の上着を羽織っているその背中に、かのんが声を掛ける。
「……おとちゃんっ!」
足音、そしてかのんの声を聞いて、音羽はゆっくりとその場で振り返った。いつもと変わらない仲間達5人の姿を見て、彼は嬉しそうに笑みを浮かべた。
「待ってたよ。皆。遅くなっちゃって、ごめん。これが……今回使うステージだよ!」
周囲には星をイメージした装飾や照明が付けられており、ステージに建っているクリスマスツリーを模したオブジェからは青白い光が灯っている。今日という日に相応しい、最高のステージが出来たと、音羽が自信を持って言えるものに仕上がっていた。実際に目にしたステージの完成度に皆は度肝を抜かれており、暫く開いた口が塞がっていなかった。かのんの口から『すごい』という言葉が聞けた音羽は、安堵したように軽く息を吐いた。
「学校の皆で、街の人に頼み込んだの。そしたら、この時間だけ自由に使って良いって!」
「ここで、歌えるの……?」
かのん達に追いついたナナミ達3人が皆にそう言い、
「うんっ! 街の人達も協力してくれたんだ!」
「私達だからできる、私達にしかできないステージ!」
音羽を筆頭に、街の人達にこの敷地内の使用許可を得る為に申請した結果、快く承諾を貰え、今日この時間帯だけは自由に使っても構わないとも言ってくれていたからこそ、無事にステージを完成させられた。音羽や、結ヶ丘の生徒達が一丸となって尽力した賜物である。
「さぁ、見せて! 『Liella!』5人の……最高のライブを!!」
ココノにそう言われ、一同は真剣な眼差しを3人に向ける。音羽も静かにかのん達に近付いて、口を開いた。
「皆なら……大丈夫。僕はそう信じてる。……勝とう。勝って、証明しよう。結ヶ丘が、最高の学校なんだって!」
信じる心は、今も揺らがない。いつだって、今だって。かのん、
「……うんっ! 皆……行こう!」
かのんの言葉と共に、『Liella!』一同はステージに向かって歩き出した。音羽に、皆に託された、並々ならぬ想いを胸に。
「皆さん、初めまして! 私達は結ヶ丘高等学校スクールアイドル───」
「─── 『Liella! 』です!」
濡羽色に染まる空。夜闇の裡を悠々と泳ぐ分厚い雲からは大粒の雪が降り注ぎ、地上を満たす不夜の光を受けて輝く。その有様は霊妙を超えていっそ荘厳ですらあり、常であれば喧噪に包まれている東京の街並みも今ばかりは静寂の中に在った。
石畳はくまなく紫のイルミネーションによって埋め尽くされ、整然と立ち並ぶ街路樹は厳冬の喚起で枯れ落ちた葉々の代わりに色とりどりの光からなる花を咲かせている。光の海。或いは、光躍の花園。ならば、街並みの中央に鎮座するそれは現代の神殿だ。街の人々、そして結ヶ丘の生徒全ての思いが合一した、たった1日限りの
その上に立ち、少女らは真っ直ぐに前を見据える。眼下には結ヶ丘の生徒を始めとした、彼女らと心を繋いだ人達。だが、それだけではない。目前のカメラの先には、無数の人々がいる。
「このステージに立って、この景色を見て、私は胸を張って言えます! 結ヶ丘の生徒になれて良かったって! この学校が1番だって!」
その言葉は、紛れもなく心底よりあふれたかのんの本心。確かに、始まりは失意だった。音楽科の受験に失敗して普通科に入学することになり、一時は歌を辞めようとさえした。周囲の声からも、自身の声からも耳を塞いで。
だが仲間達と出会い、スクールアイドルとなって全てが変わった。その道程は、決して順風満帆なものではなかったけれど。苦悩もあった。葛藤もあった。時には意見が対立し、喧嘩になった事さえある。むしろ彼女らの道程は艱難辛苦の中に在ったとさえ言って良い。
それでも続けてこられたのは、楽しかったからだ。たとえその過程がままならないものだったのだとしても。その思い出を振り返った時に胸中に去来するのは喜びであり、それはかのんだけではない。皆がそうであるからこそ、彼女らは『Liella! 』なのだ。
そしてそんな仲間達と出会い、『Liella! 』となれたのは結ヶ丘という場があったからこそだ。故にこそ、彼女は云う。この学校の生徒で良かった、と。
創立者たる葉月花が望んだ、皆の
「私達の歌を、聴いてください!」
刹那───世界に、光が溢れた。それはさながら地上に咲き乱れた極光の如く。極彩色の波濤は大空を閉ざし星明りさえ塗り潰す夜闇すらも押し流さんばかりであり、だがそんな圧倒的な光輝の中にあってもその根源たる五色の輝きが薄れる事は無い。
歌声は伸びやかに、かつ高らかに。全てはこの気持ちを世界中に響かせるために在り、故にこそ躍動は全身全霊にして一挙手一投足が乾坤一擲だ。その熱情を以て、少女らは万象に己が存在を刻む。
思いはひとつ。志もまた同様であり、故にこそ彼女らの心はひとつだ。その決意の許に紡がれる歌声は光の中で溶け合い、されど合一しながらも個々の色合いを喪う事は無い。歌声は煌めきとなり、大空に広がっていく。夜空に、五色の虹を掛けるように。まさしく剝き出しの魂の躍動。迸る法外な熱量の前にあっては世界の絶対性すらも無意味に等しく、世界は恭順の証としてその在り方を変えていく。
歌よ響け。光よ届け。虹よ広がれ。遍く世界に、この声が届くように。この気持ちが、世界を満たすように。その思いを胸に、女神は歌う。唄う。謳う。万象を己の容で染め上げ、その在り方を変革させながら。
故にこそ最早時間の感覚に意味は無い。やがて女神の歌声が闇その残響が極光の内に溶け消えようとも観客の熱は冷めず、その残滓が溶けきるまで人々は自らが夢幻の裡にいるのか現実にいるのかさえ判然としなかった。そうして次第に元の容を取り戻していく世界の中、女神より立ち戻った少女らはその酩酊に終焉を告げる。
「結ヶ丘スクールアイドル部、『Liella! 』でした!」
鳴り止まぬ拍手喝采が響く中、ステージで輝く皆を見届けた音羽は、無事にライブを終えられた事を心の底から喜びながら、そっと目を閉じたのだった。
数十分後。全ての出場校のパフォーマンスが終了し、ついに結果発表の時を迎えた。電光掲示板にラブライブ東京大会の順位が映し出され、かのん達6人は並んで電光掲示板の前に立ち、固唾を呑んで映像を見つめていた。音羽は強く拳を握りながら、自分達『Liella!』が表示されるのを待つ。
やれる事は全てやった。持てる全てを出し切り、今まで行ったライブの中で最高と言える程のクオリティであったと音羽は確信している。それ程までに、皆のパフォーマンスは素晴らしかった。故にこそ、『Liella!』が1位になると。東京大会を勝ち抜き、全国大会へと駒を進めるのは自分達だと、信じて疑わなかった。音羽だけでなく、皆も同じ気持ちであろう。
5位、4位、3位と順番に結果が発表されていく。だが、それらの学校は惜しくもラブライブには敗退。全国大会出場が叶わない形となった。残る発表は、2位と1位のスクールアイドルグループ。それは即ち、準優勝校と優勝校が決まるという事。かのん達は瞬きも忘れて電光掲示板を見つめ、画面の転換を待つ。ナナミ達も、他の生徒達も祈るように手を重ねており、結ヶ丘高校の理事長も白い息を吐き出しながら映像を見ていた。待っているうちに、『2nd』という文字が表示され、音羽の手により一層力が籠る。数秒後、音も無く画面が転換され、次の結果が画面上に映し出された。
『2nd』の文字と共に映っていたのは、音羽がカメラマンとして撮影を行った、ラブライブに応募する際に提出した『Liella!』の紹介用写真であった。
「…………は?」
音羽の口から、間の抜けた声が発された。周囲で映像を見ていた生徒達から騒めきが起き、5人も戸惑ったようにその場から動けずに居た。そんな彼女達をお構いなしに、次の映像に画面が切り替わる。
『コングラッチュレーションッ! 全国大会に出場する東京地区の代表は……『Sunny Passion』です!!』
電光掲示板からハイテンションなラブライブMCの女性の声が聞こえ、『1st』という文字と共に『Sunny Passion』の
何故。どうして。何で。
音羽の中に渦巻いているのは、数多の疑問。皆のパフォーマンスは素晴らしかった。特段ミスも見受けられず、全員安定した歌声を出せていた。かのんが担当した独唱パートも過去1番に上手く行っていた筈だ。なのに、何故2位なのか。ひどく混乱する脳内で思い至った結論はただ1つ。使用曲だ。自身が作った曲の出来が良くなかったから、5人を勝たせる事ができなかった。そう思った瞬間、音羽は小さくひゅっ、と喉を鳴らした。
「もう! 何なのよったら何なのよッ!!」
怒り、悲しみ、悔しさ。その全てを内包したすみれの叫びが街に響く。
「かのんちゃん……」
皆の背後からナナミ、ヤエ、ココノが近付き、申し訳なさそうな表情でかのんの名を呼んだ。この結果は、ナナミ達も悔しいに決まっている。3人の気持ちを汲み、かのんは今できるだけの明るいトーンで彼女達に声を掛ける。
「ダメだった。ごめん……」
かのんがナナミ達に謝罪しているのを見て、言葉は出なかったものの、音羽はその言葉に猛烈な反抗心を抱いた。違う。彼女が謝る必要など無い。自分が謝罪するなら良い、けれどかのんが謝る事だけは違う。断じて違う。悪いのは全て自分なのに、何故ステージで精一杯に踊った者が謝らなければならない? 怒りにも似たその感情が、音羽の胸中に湧き出る。しかし、それら全てを言葉にできる空気では到底無かった。
「ううん。……ありがとう。最高のステージだったよ」
「私、すごく誇らしくて感動した!」
「ごめんね……勝たせてあげられなくて……」
ナナミ達が、音羽の言いたい事を代弁するように、彼が言いたかった事全てをかのん達に伝えた。『勝たせられなくて申し訳ない』。今の音羽の気持ちを一言で言い表すなら、この言葉が最も適しているであろう。己の無力さ、己の不甲斐なさを、彼は自覚せざるを得なかった。
「皆……すぐ片付けないと……」
「あ……そっか!」
「街の人達にも、お礼言わないと……」
他の女子生徒に促され、ナナミ達は急いで会場の後片付けをしにこの場を去った。彼女達に言われた言葉、『Liella!』の為に作ってくれたステージをもう解体しなくてはならないこの現実。皆の残念そうで、辛そうな表情。それらを見て、かのんは自覚した。この胸の痛み、息苦しさ。これこそが、あの時『Sunny Passion』の2人が言っていたことなのだと。
「かのんさん……私達も……」
「……片付けマショウ」
「……そっか。こういうことなんだ……」
「かのんちゃん……?」
千砂都は、心配そうに幼馴染の名を呼ぶ。隣に居る彼女に目を向け、かのんは俯きがちに言葉を紡ぐ。
「ちぃちゃん……私、悔しい。せっかく皆が協力してくれたのに……何もお返しできなかった。皆が協力してくれたのにっ……何も返せずおしまいになっちゃったっ……!」
「かのん……」
「また、全力で挑みましょ?」
「そうですっ……」
可可とすみれも、かのんに声を掛ける。また大会に挑めば良いのだと。それでも、彼女は唇を強く噛み締めていた。これが……敗北するという事。あの日摩央が言っていた、『何故皆ラブライブで勝ちたいと思うのか』。その答えをようやく知る事ができた。ステージに立って、初めて実感した。学校や生徒達の想いを背負い、持てる全てを出し切っても勝利を掴めなかった。それで生まれるのは、計り知れない悔しさ。皆が協力してくれた筈なのに、その期待に応えられなかった。大切なその想いを、無下にしてしまったようにも思える。
この気持ちを味わい、他の学校が勝利を追い求める理由を知った。自分の学校に居る生徒達の想いに応え、共に喜びを分かち合う為に、勝ちたい。ラブライブで結果を残し、自分達の学校が1番なのだという揺るがない事実を手にする為に皆歌う。勝利の為に、期待を一身に背負って歌う覚悟が、かのんは微塵も足りていなかったのだと分からされた。だからこそ、芽生えた気持ちがあった。
「
今、自身の中に生まれ落ちた気持ちを言葉にする。
「私……勝ちたい! 勝ってここに居る皆を笑顔にしたい! 『やった』って、みんなで喜びたい! 私達の歌で、『Liella!』の歌で、結ヶ丘の歌で優勝したいっ! いや、優勝しよう!!」
目に涙を溜め、かのんは皆に力強くそう宣言した。ここで終わらない為には、この悔しさをバネにしていくしか無い。皆なら、それが出来ると思うからこそ言えた言葉だった。2位というこの結果で終わらせない為に、結ヶ丘の生徒達皆と勝利の喜びを共有する為に。これからもラブライブに挑み続ける事を声高々に、かのんは誓った。彼女の宣誓に、皆も涙声で同調する。
「当たり前でしょっ……!」
「『Liella!』はこんなトコロで終わりマセン……!」
「私は、最初からそのつもり……!」
「結ヶ丘は、1番の学校です!」
すみれも、可可も、千砂都も、恋も、気持ちは同じ。こんなところでは終われない。終わりたくない。『Liella!』として勝つ為にすべき事を、皆は即座に理解する。ただ、1人を除いて。無言で立ち尽くす彼を、すみれは引っ張って誘導し、ライブ前にいつも行う陣形に参加させる。彼は、手を震わせながらも、2本の指を差し出し、皆の指と合わせて六芒星を形作った。
「結ヶ丘高等学校スクールアイドル 『Liella!』っ! これから、もっともっとたくさんの人に歌を届けよう!」
「ソングフォーミー、ソングフォーユー!」
自分の為に。側に居る誰かの為に。歌い続ける為の願い。皆と、心を1つにする為の誓い。
「「「ソングフォーオール!!」」」
自分も他人も、
「……? おと、ちゃん……?」
腕を真っ先に降ろしたのは、音羽だった。ずっと下を向いており、表情が読み取れない。一同はすぐに彼に注目し、かのんが音羽と距離を詰める。
「おとちゃん……大丈夫? おとちゃ……」
「……ごめん」
かのんの言葉を遮り、音羽は小さな声で謝罪を述べる。何に対しての謝罪なのか、その一言だけでは分からない。かのんはどうして謝るのかを彼に聞こうとしたのだが、音羽はふらふらと、会場の方へ歩き出した。
「あっ……おとちゃんっ! 待ってっ! おとちゃん……」
音羽を追う為に駆け出そうとするも、すみれが彼女の肩を掴んでそれを止める。彼を追うのを止めたすみれは、首を横に振ってかのんを宥める。きっと、今の音羽は誰の言葉も真っ直ぐに受け止める事ができない。疲労もかなり溜まっているだろうし、話す事を試みても無駄に時間を費やすだけだと判断したすみれは、かのんが音羽と対話しようとするのを止めたのだ。音羽の性格をよく分かっているすみれだからこそ、彼の気持ちが分からない訳ではなく、むしろ痛い程伝わってくるのである。音羽の、今の気持ちが。
「おとちゃん……」
皆、涙を堪えながら音羽が歩いて行った方角を見据える。暫くすると、彼女達のぼやけた視界から、彼の姿は一切見えなくなっていた。また、何も言えなかった。恩を返せなかった。もうこの場に居ない音羽のことを思い、かのんの瞳から、一筋の涙が頬を伝った。
気力も、体力も底を尽きそうな中、音羽はかのん達5人が会場に来るまでに辿った道を歩く。おぼつかない足取りで、ふらふらと歩き続けていた。すると、彼の前方にとある人物が立っていた。
「音羽ちゃん……お疲れサマ」
音羽と共にステージ作りを手伝ってくれた友人である、
「美麗、さん……」
「ええ。みーんな大好き、西園寺美麗よ?」
いつものような軽口で美麗は笑ってみせる。気を遣ってくれているのだと感じた音羽は、彼に言わなければいけないことを真っ先に口にした。
「……ごめん。僕ら……勝てなかった」
彼はやっと、自分の言葉で美麗に敗北を告げる事が出来た。言葉にして初めて、かのん達が口にすべきものではないと悟った。自分で負けを認める分には、平気だった。こうなったのは全て己のせいなのだと思うから。美麗は音羽の言い分を聞き、呆れたように軽く笑った。
「なーに言ってんの。勝ち負けだけが全てじゃないんだから」
「片付け、しなきゃ……あぁ、街の人にお礼言わなきゃ……それと……」
「それはアタシ達がやっとくから、音羽ちゃんはおウチに帰んなさい? 疲れてるでしょう? いや、疲れてるなんてモノじゃないわよね……ね、音羽ちゃん……」
音羽が会場の後始末をしなければいけないと考えていた為、美麗は自分達が全ての片付けを請け負うと伝え、家に帰宅するように促す。朝早くから準備に勤しんでおり、睡眠時間を削っているのは普段の様子から見ても分かり、生徒会の仕事をこなしながら『Liella!』のサポートと会場作りの仕事を並行していた。誰がどう見ても相当な激務だと感じるであろう仕事量を、全て1人で行っていたのだ。単に『疲労』という言葉では片付けられない程に、音羽は心身共に消耗し切っていた。今の彼の姿を見れば、火を見るより明らかだった。けれど、音羽は美麗の言葉を受け止めず、小声で呟きを始める。
「勝てなかった……勝てなかったから……練習メニューを変えて……」
「お、音羽ちゃん……?」
美麗の背中に、ぞわりとした悪寒が走った。外の気温が低いからでは無い。今まで見た事が無い、音羽の虚ろな目を見たからだ。
「もっとすごい曲を作らなきゃ……誰にも負けない曲を……作れるかな……僕なんかに……皆を勝たせられなかった、僕に……いや、作るんだ。完璧に……誰にも、期待外れだと思わせない……最高の曲をっ……」
「音羽ちゃんっ!」
美麗は音羽の言葉に堪えられず、彼の後頭部に右手を回してぐいっと抱き寄せる。美麗からそうされて、音羽は言葉を止めた。美麗は手を震わせながら、彼の頭を摩る。
「もう、良いの。アナタも皆も……よくやったわ。音羽ちゃん……お願いだから、今は休んで。アタシ達が全部引き継ぐから。お願いっ……これ以上……自分を追い詰めないでよぉっ!!」
目元に涙を浮かべながら、美麗は必死になって叫んだ。これ以上自分を追い詰めるようなことを言わせると、壊れてしまう。彼はそうなるのを避ける為に何度も、何度も音羽の名を呼ぶ。声を、手を震わせて。大切な友人である筈の美麗の声が、音羽にとってはひどく遠く聞こえたのだった。
美麗に強く念を押された後、音羽は彼に言われた通り帰り道を歩いていた。空から降る雪はまだ降り止む気配は無く、剥き出しの地面を白く染めて行く。彼は重い足取りでゆっくりと、少しずつ自宅へ向かっていた。長時間外に居たせいか、手足の感覚が殆ど無くなっていた。荒い呼吸で、時にふらつきながら夜の街を歩く。
先程の、涙を堪えるかのん達5人の表情が頭から離れない。皆のそんな顔は、決して見たくなかった。そんな表情をさせたくなかったから、必死に出来る事をし続けた筈なのに。結局、自分の力ではどうにも出来なかった。罪悪感ばかりが、音羽の心を埋め尽くして行く。俯きながら歩いていたその時。声が聞こえた。耳を澄ますと、道路を挟んだ向かい側の道に居る者達が声の主だと分かった。恐る恐るその方角を見てみたその瞬間。彼は、大きく目を見開いた。
少女達が、泣いていた。その顔や、髪型、人数。全てに見覚えがあった。ラブライブ東京大会に出場していた、先程映し出されていた映像にて、5位という結果を残したスクールアイドルグループであった。彼女達が、人目も憚らず声を上げて泣いていた。
「っ……!」
『悔しい』、『私達の夢が』、『これで終わった』、『全部終わっちゃった』。そのような単語が聞こえてきた。『Sunny Passion』に敗北したのは、何も『Liella!』だけではない。他のグループも等しくあの2人に負かされている。しかし、彼女達の結果は5位。音羽達『Liella!』は2位。それはつまり、彼女達が負かされたと認識する相手には、『Liella!』も内に含まれている。音羽がそれを自覚した瞬間、足が止まった。他の建物にある電光掲示板やディスプレイには未だ、全国大会に出場が決定した『Sunny Passion』の姿が映っていた。自分が、自分達だけだと思っていたこの苦しみ。奪われたと思い込んでいた、ラブライブ全国大会への切符。だがそれは、自分達だって同じこと。他のグループから、夢のステージに立つという願いを……奪ったのだ。
「……う」
少女達が泣き叫ぶ声が響く街に、音羽は膝から崩れ落ち、手を付いて項垂れる。早る心臓の鼓動が抑えられず、脳内に反芻されるのは、心の叫びとも形容できる、あのスクールアイドルグループの言葉達。そうしてそこから知覚した色彩。赤色や青色、黒色をごちゃごちゃにかき混ぜた、怒り、悲しみ、悔しさに塗れたその色が、容赦無く音羽の脳内を蹂躙する。それに伴い、彼は凄まじい吐き気に襲われる。頭も、心も、何もかもおかしくなりそうだった。
「く……」
皆を、勝たせたかった筈なのに。
「うっ……」
勝って、証明する筈だったのに。
「う……ぐっ……」
結ヶ丘は最高の学校なのだと、誰が何と言おうと、1番の学校だと認めさせたかったのに。叶わなかった。叶えられなかった。妥協はしていなかった筈だと、そう思いたかったのに。
「くっ……うぅ……」
ただ1つ、妥協した部分があった。それこそが、『音楽を楽しむ心』だった。楽しさもパフォーマンスに於いて重要な因子だと思い込んでいた結果がこのザマだ。そのせいで、かのん達に辛い思いをさせてしまった。勝たせる事が出来なかった。それと同時に、自身の意識の範疇に無かった他のスクールアイドルの敗北を知った。目標は同じであった筈の少年少女達を負かし、その夢を奪ってしまった。
「ぐ……うぅぅっ……」
雪が降り積もったアスファルトに爪を突き立て、削るかの如く強く地面と摩擦する。想像を絶する激痛が両手の指全てに走り、白く色付いた地面が赤く染め上げられた。走る痛みに構う事無く、戒めのように爪を地面に突き立てて、擦る。如何に自分が浅はかで、無知であったかを浮き彫りにされた気分だった。無力な自分を、殺してしまいたいくらいに呪った。
「何の……為にっ……」
自身が持つ『絶対音感』と『共感覚』という異能。それは須く仲間の為に使うものだと考え、今までそれらを活かせるようにしていた筈であったのに。このような結果では、何の為の異能なのだ。音羽は顔を歪ませて、一層力を強めて地面に爪を擦った。
「何が……何がっ……何が何が何がっ!! ……何がっ……」
『何が絶対音感だ』、『何が共感覚だ』、『何がサポーターだ』。皆を勝たせられなければ、そんなものに何の意味も無い。今の音羽は、自分自身の価値を完全に見失いかけていた。得体の知れない声による思考の邪魔立て、連日の作業による疲労、『Liella!』のラブライブ敗退、他のグループを敗北させ、彼女らから悔恨の感情までも色彩として知覚してしまった。様々な事象が重なり、絡み合い、音羽のギリギリで保たれていた精神がついに決壊し、彼は血が出る程に強く唇を噛み締める。寒さで真っ赤に腫れ上がった手と、真っ赤に染まった地面。そこにポタポタと、液体が落ちて行く。
誰も居なくなった東京の街で、音羽は感情のままに叫び声を上げた。喉が焼けるような痛みにも構わず、獣の咆哮のようにただ叫び続けた。
空から降る雪を跡形も無く燃やし尽くしてしまうかのような、底知れぬ激情を抱きながら。