星達のオーケストラ   作: 龍也/星河琉

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読んでいただきありがとうございます。音羽の過去後編です。


第9話 きっと、何者にもなれない。

 小学課程を卒業し、中学校へ進学した音羽(おとは)は、相も変わらず音楽を続け、技術を磨く為に音楽教室へ通い続けた。恋も同様に音楽教室へ通い、更なる能力の向上を目指していた。

 

 中学へ進学すると同時に、音楽教室内での男子生徒達が次々に変声期を迎え、以前よりも高音が出せなくなってしまっていた。だが音羽はこれと言って変声期は訪れず、何ら問題なく高音で綺麗な声を発することができていた。上手く声が出せずに歌やレッスンの途中で咳き込む生徒がいる中で、音羽だけが歌い続けられた。彼に対する嫉妬、羨望。それらが原因で、周りの音羽に対する態度は今まで以上に酷いものとなった。

 

 

 

 ある雨の日。レッスンを終えた音羽と恋は外に出るが、音羽が自分の傘を教室に忘れたことに気が付いた。

 

「あっ……教室に傘置いてきちゃった」

 

「では、私の傘に入りますか? 雨に濡れたら風邪をひいてしまいます」

 

「いや、大丈夫。傘取ってくるから、(れん)ちゃん先に帰ってて!」

 

「は、はい……お疲れ様でした、音羽(おとは)くん」

 

「うん! お疲れ、恋ちゃん! また明日!」

 

 音羽は恋に先に帰るように伝えて手を振った後、ビルの階段を登って音楽教室がある階へと走る。恋を待たせてしまうのが申し訳ない為、今日は先に帰ってもらったが、明日もまた会える。またいつものように一緒に学校へ行き、一緒にレッスンを受けられる。何の憂いもなくそう考えていた。教室の前に着き、躊躇することなく中へ入ろうとした時、教室から声が聞こえてきた。

 

 声の主は音羽と仲の良い同期の狩谷(かりや)の他に、同じく同期の男女が複数名、雨宿りがてら教室内で話している様子だった。ただお喋りをしているだけならば音羽は躊躇わず中へ入ったであろう。だが彼等が話している、その内容が大いに問題だった。彼と仲が良い筈の狩谷が、音羽の噂話に花を咲かせていたのだ。

 

「……(あずま)の奴、最近調子こいてるよな。高い声出せるのがそんなに偉いのかよ。ホントムカつくぜ」

 

「先生から褒められて良い気になってんじゃないの? ほら、前からずっとご機嫌とり上手かったじゃん」

 

 聞こえてくる自分の根も葉もない話に音羽は入口の隅に隠れる。違う、知らない。自分はそんな態度をとった覚えは無い。先生に褒められたのは、ただ目の前のことを精一杯に頑張っていただけ。そこに悪意や他意は微塵も存在しない。存在する筈が無い。

 

「俺さ、元々あいつのこと気に食わなかったんだよな。いっつも葉月(はづき)さんにくっついてよぉ。恥ずかしくねぇのかよ」

 

「あれ、狩谷(かりや)けっこう(あずま)のこと褒めてなかった?」

 

「バーカ。あんなん嘘に決まってるだろ。葉月(はづき)さんと仲良くなる為の口実だよ。あいつを認めてるフリすれば悪い印象持たれないと思ったからな。大体、東が一緒に居ていい人じゃねぇっつーの。身の程弁えろって感じ」

 

「うわ、お前意外と悪い奴だな。そりゃ傑作だ」

 

 息が苦しい。手と足の震えが止まらない。音羽は狩谷が言っていることが嘘だと自分の脳内に言い聞かせようとするが、音羽の悪口を言っているその声、口調。それは紛れもなく狩谷本人のものだった。

 

「それにさ、あいつのあの声、()()()()()()()()。男のくせにいつまでも女みてぇな声しやがってよ。なぁ、皆もそう思うだろ?」

 

「……っ!」

 

『気持ち悪い』。その一言に音羽は心臓が飛び出るような感覚に陥った。今まで聞こえてこなかった自分に対しての罵倒。今すぐ耳を塞いでしまいたい。けれど矢継ぎ早に周りは音羽を非難する。

 

「まぁたしかに。気持ち悪いっちゃ気持ち悪いよな」

 

「ちょっと違和感はあるよね……」

 

「だろ? 親が凄いってのは認めるけど、あいつは全然すごくねぇよ。東に付き合わされる葉月さんが可哀想だわまったく」

 

 狩谷の話題にあてられたのか、共に居る面子も音羽の声を『気持ち悪い』と罵倒する。狩谷が音羽に見せていた笑顔や言動。その全てが偽りの物だった。狩谷にとって音羽はただ恋に近付きたい、仲良くなりたいという欲求を満たす道具という印象しか抱かれていなかったのである。それに自分と関わる恋が可哀想だとも口にしていた。仲が良いと思い込んでいたはずの人間が口にした、本人が聞くには到底堪えられない罵詈雑言の数々。それらについに耐えられなくなり、音羽は傘を取りに行くという当初の目的さえ忘れ、逃げるようにその場を去った。

 

 

 

 

「はっ……はっ……」

 

 ただ、走る。逃げるように。この現実を認めたくなくて。服を、靴を濡らしながら走る。この事実を、忘れてしまいたくって。

 

『高い声出せるのがそんなに偉いのかよ。ホントムカつくぜ』

 

 嘘だ。

 

『前からずっとご機嫌とり上手かったじゃん』

 

 嘘だ、嘘だ。そんなの……嘘だ。違う。自分はそんなこと少しも……。

 

『いっつも葉月さんにくっついてよぉ。恥ずかしくねぇのかよ』

 

 違う、違う。そんなこと。

 

『東が一緒に居ていい人じゃねぇっつーの。身の程弁えろって感じ』

 

 嘘だ。嘘だ嘘だ。彼が自分に、そんなことを言うなんて。

 

『東に付き合わされる葉月さんが可哀想だわ』

 

 そんなの違う。絶対に。嘘だ。嘘だ。……嘘であってくれ。音羽は冷たい雨に打たれながらも、先程の言葉を嘘だと言い聞かせる。だが、狩谷からのあの言葉が、どうやっても纏わりついて離れてはくれなかった。

 

『あいつのあの声、気持ち悪いんだよ』

 

 嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ。

 

『気持ち悪い』

 

『気持ち悪い』

 

『気持ち悪い』

 

『気持ち悪い』

 

 

 

 

「……嘘だっ!!」

 

 脳内で反芻されるその言葉に、音羽は降り頻る大雨の中で声を荒げて叫ぶ。嘘であってほしいのに、脳裏によぎる言葉達が嘘だと思わせてはくれない。それらがあの教室で発せられたということは、厳然たる事実であるからだ。

 

 雨で人通りが少なくなった街に雷音が轟き、同時に音羽が段差に躓いて転んだ。持っていた鞄が手から離れ、その中から数枚の楽譜が飛び出した。足を引き摺りながら手を伸ばすも、楽譜が雨水でみるみるうちに湿っていき、ボールペンで楽譜に書き込まれた文字が滲んで読めなくなってしまった。ぱちゃり、と無機質な水音と共に音羽の手から力が抜ける。

 

 今まで自分が必死になってやってきた努力、苦労。それらは一体何の為であったのか。音羽は完全に理由を見失う。『すごい人』になりたいという目標が瓦解し、音羽の胸中に渦巻くのは無力感。『すごい人』になれなかった自分。何者にもなれない。なれなかった自分自身が、惨めに地べたに伏していた。

 

 最早、音羽を取り巻く全てのものが敵に見えた。褒めてくれる先生も、ましてやいつも隣に居る幼馴染さえも。自分が積み重ねてきたモノ、それを『気持ち悪い』の一言で一蹴され、恋の隣にいることさえも否定された。音羽が歩んできた音楽の道、その過程。それらが須く無駄なように思え、音羽は湿りきった楽譜を握りしめ、身体を震わせる。強い雨により頬に流れるソレは雨水なのか涙なのかさえ区別がつかない。周りに誰もいなくなった東京の街に、1人の少年の慟哭が響き渡った。

 

 

 

 

 音楽教室が終わって帰ってくるには遥かに遅い時間帯に、音羽は自宅に帰り着いた。

 

音羽(おとは)! おかえり……って、ずぶ濡れじゃない! どうしたの!?」

 

 息子の帰りが遅く心配していた詩穂が、全身を雨水で濡らした音羽を見て急いで駆け寄るも、彼は母を素通りし、とぼとぼと廊下を歩く。

 

「音羽? ちょっと音羽!」

 

「……もう」

 

 詩穂に強く呼ばれてようやく足を止め、音羽は小さな声で呻いた。その声音は母が今まで耳にしたことのない、別人のようなものだった。

 

「どうでもいい。……何もかも」

 

「お、音羽……?」

 

「どうでも……いいんだ……」

 

 初めて聞く音羽の声音。弱々しい言葉。詩穂は動揺を隠せないまま、自室へ向かう音羽の背中をただ見ていることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

「……音羽くんっ!」

 

 音羽のクラスのSHRが終わるなり、恋が急いで教室に入り、音羽の席へ近付いた。あの出来事から数日。音羽は音楽教室へ足を運ぶことがなくなり、授業が終われば恋から逃げるように学校を去っていた。今日は恋のクラスが運良く音羽のクラスよりも先に帰りのSHRが終わったようで、『やっと見つけた』と言わんばかりに恋は嬉しそうに顔を綻ばせた。

 

「……なに?」

 

「一緒に音楽教室へ行きましょう! 最近全然来ていなくて、寂しいんです。私は音羽くんと共に……」

 

「辞めたよ。音楽教室」

 

「……え?」

 

 音羽は表情を変えることなく一言恋にそう告げた。あの一件から音羽は自信も、モチベーションも何もかも喪い、『すごくない自分が両親の価値を下げてしまうなら』という理由で、音楽を辞めることを決意した。その理由を両親に直接話した訳ではない。湊人は音羽の気持ちを尊重し、『無理して続ける必要はない』とすんなり辞めることを認めた。よって音羽はもう、音楽教室に行く義務は無いのである。

 

「ど、どうして……ですか?」

 

「理由なんてない。ただ……やりたくないと思っただけだよ。音楽は、もうやらない」

 

「嘘です! そんなの! 音羽くん、『すごい人』になりたいと言っていたじゃないですか! 私と共に頑張りたいと、言ってくれたじゃないですか!!」

 

「どうでもいいんだよ」

 

 珍しく熱を持って音羽に問い詰める恋を、音羽は冷たくあしらった。

 

「音羽……くん?」

 

「すごい人になりたいだなんて。僕が間違ってたんだ。結局、それ程大きな結果は残せなかった。全部無駄だったんだよ」

 

「そんなこと……そんなことありません! 一緒に頑張りましょう? 私と音羽くんでならきっと……!」

 

「君とも……一緒にはいられないよ。一緒だと、恋ちゃんは……」

 

「え? お、音羽くん……?」

 

 彼に言われた言葉を思い出しながら音羽は恋に伝える。自分はもう恋とは一緒に居られないことを。一緒だと、大切な幼馴染である恋の価値も下げてしまうことになるから。自分は、恋と一緒にいていい人ではないのだから。

 

「音羽くん! ま……待ってっ!」

 

 涙声で音羽の手を握る恋。それに一瞬感情が揺らぎそうになるが、意を決して恋に別れを伝えようと口を動かした。

 

「……今までありがとう。恋ちゃん。いや──()()()()

 

「音羽くん! 待ってください! 音羽くんっ!!」

 

 恋の必死の制止を振り切り、音羽は走って教室を後にした。今までやってきたことを辞めるという決断はそう簡単に決められることではない。だが、音楽を辞めることによって親の価値を下げなくなるのなら。あの苦しみから逃れられるなら。離れることで恋が更なる高みへと至れるのなら。そう思ったら、辞める以外の選択肢が出てこなくなった。悔しさと清々しさが両立した、辞めた時のあの感情。それだけは唯一、音羽の中で言語化できないものであった。

 

 

 

 

 あれから音羽は自分を隠すようになった。マスクで口元を隠し、眼鏡で容姿を変えた。女性的な声を馬鹿にされたり、罵倒されるのを恐れ、小声で喋るように習慣付けた。あの頃の東音羽はもう居ない。青臭く、漠然とした目標を掲げ、努力すればなんでもできる、自分なら出来ると妄言ばかり並べる純粋な彼の性分はどこにもない。元々好きか嫌いかも分からない、言われるがままにやった習い事の音楽。そこから完全に足を洗った、何者でもない、何者にもなれなかった少年。それこそが、現在の東音羽なのである。

 

 澁谷かのんと同じく、挫折の辛さ、苦しみを人一倍理解している彼。音羽の行く末に、果たして光が灯るのだろうか。それはまだ誰にも、分かりはしない。

 

 

 

 




慟哭の果てに



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