ラブライブ東京大会が終了してから数日が経った。クリスマスも過ぎ、年末年始の時期に差し掛かっている今日、世間では連日『Sunny Passion』が全国大会の出場が決定した旨の話題が上がり、ネットニュースにもなった事から、より一層『Sunny Passion』の知名度が上がり続けていた。
数分後、
「音羽はまだ……出て来ないか」
「ええ。でもちょっとくらい食べないと……絶対身体壊しちゃうわよ……」
「恐らく私達が寝ている間に水を取りに来てはいるのだろうが……食事を摂らないのは少々問題だな。まぁ、私が言える事でも無いが……」
「なんだか、昔に戻ったみたいね……この感じ……」
湊人と詩穂は、音羽の現状を憂う。朝起きた時に冷蔵庫に入れられている天然水のペットボトルが減っていた事から、水分補給は行っているのだと大方想像は付くのだが、食事をしないというのは体調不良に直結し、身体に悪影響この上無い。かくいう湊人も仕事の詰めに入っている時には食事をせずに作業する事がしばしばあるが、息子が自分と同じような事をし始めるというのは胃が痛くなるような事柄であり、一刻も早く止めたい気持ちが大きい。
しかし、今の音羽に湊人と詩穂はどのような言葉を伝えれば最善であるのか、その答えは両者共にまだ出そうになかった。いくら血の繋がった親子の関係で、彼の気持ちを汲めたとしても、自分達の言葉が恐らく音羽にとって悪影響になる事は目に見えていた。『よく頑張った』、『また次がある』。そのような軽い言葉で、2人は愛する息子と向き合いたくはない。きっとどれも、音羽の心を雁字搦めに縛る事に繋がってしまうから。
「……それは、私が食べよう。捨ててしまうのはもったいないからな」
「いつもありがとう、あなた……嬉しいんだけど、お腹いっぱいで眠くなったりしない? 大丈夫?」
「最近はどうも仕事に集中できなくてね。作業は一旦止めているから大丈夫だよ」
「私も。なんだか、心がザワザワして落ち着かなくて……」
湊人も詩穂も、音羽が一向に自室から出ない状況で数日間顔すら合わせられていないが故に、仕事がなかなか捗らずに居た。一社会人、ましてや湊人はプロの音楽家であるのだからモチベーションで仕事の質が左右されるのは言語道断であり、それは湊人と詩穂も重々承知の上なのだが、湊人の所属事務所や詩穂が勤めている養成所の人達は東家が今大変な状況下である事に理解を示しており、どちらの職場でも少し早めの年末年始休暇を取得させてくれていた。これも元より、2人の人柄や功績、日頃の行いが起因しているのだろう。
「『ラブライブ』……色々話は聞いてたけど、やっぱり厳しい世界みたいね……」
「ああ。まさか私も、『Liella!』が敗退するとはとても信じられなかった。最高のパフォーマンスだと……思ったんだがな」
贔屓目なしで、湊人はそのような感想を抱いていた。息子の音羽が所属しているグループであるから、今は亡き友人、葉月花の意志を受け継ぐスクールアイドルであるから等、そのような忖度は一切せずに湊人は東京大会で『Liella!』のステージを見守っていた。あのパフォーマンスは、湊人が想定していたよりも遥かに素晴らしかった。調和が取れていて、それでいて互いの個性を潰さずに歌声やダンスが形成されていた。賞賛に値するライブだったと、湊人は自信を持ってそう言える。
それでも、現実は甘くはなかった。惜しくも『Liella!』は東京大会2位という結果となり、ラブライブに敗退。全国大会へと続く切符を勝ち得る事が叶わなかった。『何故勝てなかったのか』、『どこがいけなかったのか』。それらの原因を探るのは他でも無い、『Liella!』に所属しているかのん達の役割で、次のラブライブで勝ち上がりたいと思うのなら、必ず為さねばならない事である。無論、それらの行為を行うのには、当然音羽もその中に含まれる。『Liella!』のサポーターであるのだから、どうすれば皆を高みへ登らせ、大会で勝利を掴めるのか。自分達が勝つ為には何が必要であるのか、他の誰よりも人一倍思考しなければならない立場が、音羽なのだ。サポーターを務めるのなら、それ以上はあっても、それ以下であってはいけない。常に考える事の連続で、その道はあまりに果てしない。その役目を、今後音羽は全うする事が出来るのか。湊人と詩穂は、その1点だけがただただ心配であった。決して音羽を子供扱いしている訳ではない。彼の実力を軽んじている訳でもない。皆の為を想い過ぎて、自分自身を蔑ろにしたり、最悪、重圧や責任感で押し潰れてしまうのではないか。その事を、2人はひどく危惧していた。
「きっと、さ。音羽は優しいから……この結果に終わったのは自分のせいだって思っちゃってる。『皆に合わせる顔がない』って感じてるから、部活にも行ってないんでしょうね……」
「今回の大会を通じて、良くも悪くも新たに見えたものがあったんだろう。現実は時に非情である事、『競い合う』というのは、他のグループを蹴落としてでも勝ち上がる覚悟が必要だという事……いくつか挙げられるが、音羽にとって重要なのはきっとそこじゃない。自分が皆の力になりきれなかった事を、最も悔いているんじゃないかと思う。あくまで、私の考えだがね」
「あなた……」
「本当は分かっていた。音羽がスクールアイドル部の活動を続けていくなら、遅かれ早かれいつかは経験する事だった。これからも大会に出て、優勝を目指すつもりで居るのなら、その苦しみは変わらない。大切なものが増える度に、音羽には……」
テーブルに置かれていたスマホを消灯し、湊人は俯きがちにそう言葉にする。詩穂も彼と同様に目線を落とし、悔しさや歯痒さを抱きながら唇を噛む。湊人の言う通り、スクールアイドル部がこれからも高みを目指して活動して行くのなら。勝敗や優劣が決められるのなら。今皆が味わっているであろう気持ちは決して変わりはしない。もし仮に新しく部員が増えるとしたら、比例して増幅する気持ちだ。言語化しようか、迷いが生じた。こんな事、親である自分が言いたくなど無い。けれど湊人は迷いを追い払い、瞳を閉じながら口を開いた。
「……更なる苦しみがやって来る」
先程は憶測で語った部分があったが、今湊人が言葉にしたことは間違いではなく、厳然たる事実であった。音羽の性分をよく理解しているからこそ、この先考えられる未来でも、音羽は今のように苦しむ事になると2人はそう考えてしまう。競い合ったり、優劣が浮き彫りとなるラブライブで、勝ち続ける為にサポート活動を行う。先日の東京大会で、音羽が生み出す音楽により一層『勝敗』という2文字が脳裏を過るようになったであろう今、『Liella!』の皆を勝利までのレールに沿わせて導き続けるというのはどれ程苦しく、困難な道のりであるかは言うまでも無い。
「だが……これから先の道を決めるのは音羽次第だ。私達に決める権利は無い」
「……ええ。私達は、音羽が行くって決めた道を全力で応援するだけよ。部活を続けることになったら、楽しみも苦しみも、存分に味わっちゃえば良いんだから!」
「フッ。君は相変わらず前向きだね」
たとえ親であろうと、我が子の行く道を決められる立場では無い。そのスタンスはこの先も変わらないし、2人共変えるつもりは毛頭無い。音羽自身で選択し、納得した上で行動しなければいずれ後悔が生まれてしまう懸念もある。音羽がスクールアイドル部の活動を続けるのか否か、現段階では皆目見当も付かないが、どんな選択をしてもそれを受け入れ、その選択をして良かったと思えるように背中を押す。それこそが親である自分達の役割であると、湊人も詩穂も、心からそう思っている。
「うふふっ。前向きじゃなきゃ、歌手になんてなれっこなかったわ。やっぱり……成長したい、勝ちたいって本気で思うなら、多少の苦しみは必要かなーって思うのよね。まぁ、あなたと私は苦しむ期間がちょっと長すぎたけど」
「否定はできないな……」
「でも私は信じてる。音羽は、苦しみをバネにしていける子だって。皆と一緒に、スクールアイドル部として頑張っていけるんじゃないかって!」
「……ああ。そうだな。私達は、信じて音羽を待とう。そして祈ろう。音羽が、これからも笑顔で生きていけるように」
痛みを伴わずして、人は成長しない。足掻き、もがき続けた先に光を見出した2人はその身を以て知っている。辛さ、悔しさ、苦しみ。それらをバネに、成長の糧にし続けたからこそ、両者は『音楽界の巨匠』、『白い歌姫』として大成出来たと言っても過言では無い。日頃の音羽の姿を見てきているからこそ、強要はしないが、自分達と同じ事が出来ると2人はそう信じている。今までもきっと、音羽はそうしてきた筈なのだから。我が子の未来が明るく、より良いものになっていけるように、2人は窓から差す朝日を眺めながら、音羽が一刻も早く立ち直れる事を祈るのだった。
「それじゃ、一旦休憩にしよっか!」
「は、はいデスぅ……」
同日。かのん達5人は数日前よりスクールアイドル部の活動を再開しており、全体練習や各々自主練に励んでいた。ラブライブ東京大会にて2位という結果に終わった事実を、一同はある程度飲み込むことができ始め、また同じ結果にならないように日頃の練習を頑張ろうと皆は心に決めた。しかし、数日が経過しても部室や屋上に音羽の姿は無い。東京大会以来、誰も音羽と会っていないのだ。
『皆で作る音楽が好き』。先日、音羽はかのんに対してそう言った。音楽に向ける気持ちが分からないと伝えていた音羽が、明確に音楽が好きなのだと口にした時、かのんは自分の事のように嬉しかった。故に、音羽が好きだと言ってくれた音楽で人々に歌を響かせる為に、ラブライブで勝つ為にステージに立った。その結果、『Sunny Passion』に敗北を喫し、全国大会出場の道は絶たれた。あの日の音羽の表情が、今でもかのんの頭から離れない。驚愕、絶望、悔恨。それらが内包された、思わず目を背けたくなるような彼の表情。音羽には、そんな顔をさせたくなかった。彼が自分達の為に一生懸命に作ってくれた音楽で勝ちたかった。結ヶ丘が1番の学校なのだと、証明したかった。それが叶わず、音羽に辛い思いをさせてしまった。その情けなさや、不甲斐なさがかのんにとってとてつもなく恨めしい。下を向いているかのんの隣で、ベンチが軽く軋む音がした。
「はい、かのんちゃん!」
「……! おとちゃん!?」
かのんが急いで振り返った視線の先に居たのは、音羽ではなく、幼馴染である千砂都であった。彼女は休憩しているかのんに対して、スポーツドリンクが入ったボトルを差し出していた。間違えて音羽の名を呼んでしまったかのんに、千砂都は少々驚きつつもすぐに笑みを作り、かのんに改めてボトルを渡した。
「あははっ。私はおとくんじゃないよ? はい、これ!」
「ご、ごめん! ちぃちゃん……ありがと……」
「ううん! それにしても、おとくんはまだ来ないかぁ……なんだか、すっごく静かに感じるね」
「……うん」
千砂都が音羽についての話題を出し、可可達は悲しげな表情で視線を落とす。音羽が居なければ出来ない事がいくつかあるし、むしろ居てもらわなければいけないとも思っている。彼が居なければ皆が寂しいと感じるし、非日常のようにも思えてくる。それ程までに音羽がここに居る事が当たり前であった。その当たり前が崩れると、こんなにも静かになるものなのか。かのんはボトルに口を付けた後、疲れ混じりの溜息を吐いた。
「あの子が居ないと、どうも調子が狂うわね……」
「音羽がイナイと……とても寂しいデス……」
「そうだね。おとちゃん、いつも居てくれてたから」
音羽が部を不在にしているのは今回だけの話ではなく、学園祭準備やラブライブ地区予選の際も彼が居ない時は確かにあった。だが、今日も含め先日から続く音羽の不在は、何だか大きな穴が空いてしまったかのような、形容し難い喪失感があった。音羽の話題が上がり、重苦しい空気が漂う中、
「今日の練習が終わった後……音羽くんの自宅を訪ねようと思っています」
「えっ……恋ちゃん?」
唐突に恋から発された言葉に、かのんは思わず聞き返してしまう。恋はかのんの方に視線を移し、真剣な表情を崩さないまま続ける。
「今回の事で、音羽くんはきっと今も苦しんでいると思うんです。ですので、まずは私が……」
「行って何になるの?」
恋に横槍を入れる形で、すみれが会話に参加してくる。その声音には、少々の怒気が乗せられていた。
「また一緒に『Liella!』として活動が出来るように、私が音羽くんとお話をします。今度は私が、音羽くんの力になりたいんです」
「そういうことじゃなくて。会いに行ったところで無駄だって言ってるの。無駄ったら無駄よ」
「すみれさん……どうしてそう思うのです?」
「今のあの子に何か言っても、それがプレッシャーになったり、余計苦しむ事になるかもしれないじゃない。そっとしておいた方が良いと思う。っていうか、あんた音羽の幼馴染でしょ? あの子がどんな性格してるかよく知ってるくせに、どうして会いたいとか思う訳? そっちの方がよっぽど迷惑よ。今音羽と会うのは、やめておいた方が良いんじゃない?」
すみれは淡々と恋の考えを真っ向から否定する。音羽の人間性を理解しているからこそ、すみれは今の彼には下手に何も言わず、部に戻って来るのを待った方が良いと考えていた。自分達の言葉が音羽を更に苦しませたり、重荷を背負わせる事に繋がるかもしれない。その危険性を孕んでいる今、音羽と無闇に接触するのはリスクが大きいとすみれは思っている為、時間が解決してくれる事に賭け、音羽に会うのはやめた方が良いとすみれは恋に忠告する。すみれの言葉を聞いた恋は、彼女に対して強い反抗心と疑問が生まれ、強く拳を握り締めながら問い返す。
「すみれさんは、音羽くんのことを放っておいた方が良いと……本当にそう思っているんですか……?」
「ええ。恋だけじゃない。多分私達の中の誰が行っても、結果は変わらないと思うわ。音羽が心配なのはわかるけど、今は……」
「……薄情なんですね。すみれさんは」
「……は?」
恋は握り拳を震わせながら、すみれに向かってそのように呟く。音羽を放っておいた方が良いというスタンスで居るすみれに、恋は強い疑問と怒りの感情を抱いていた。すみれの言い分は勿論理解出来るし、そうする意図があるのも承知の上ではあるが、言い分を理解するのと、その言い分に納得するかどうかはまったく別の問題である。すみれの音羽に関しての対応にあんまりだと感じたが故に発された、『薄情だ』という恋の言葉に対し、すみれは低い声で聞き返し、恋の元へ数歩足を進めた。
「何それ。私に言ってるの?」
「音羽くんが更に傷付くかもしれない、苦しませるかもしれない、と。たしかにそうなる可能性はあります。ですがそれは、全てすみれさんの憶測ですよね?」
「そうだけど。それがどうかしたの?」
「でしたら、そうならないかもしれないじゃないですか! 私は、音羽くんとお話しに行きます。私が音羽くんの側に……」
恋の物言いに対し、すみれの苛立ちがピークに達し、彼女は眉間に皺を寄せて彼女に詰め寄った。
「だから! あんたが会いに行って更に事態がややこしくなったらどうすんのって言ってるの! 何でそれがわかんないのよ! あんた、普段もっと利口なはずでしょ!? 何でそんなにっ……」
「では、どうしてすみれさんはそんなにも落ち着いていられるのですか!? 音羽くんが……同じ『Liella!』の仲間がずっと来ていない状況なのに、どうして平気でいられるのですかっ!?」
「っ……! 平気な訳ないでしょっ!!」
「……!」
すみれに対する怒りで熱を持って問い質す恋を前に、彼女も負けじと反論する。音羽とどのように接するべきか、温度感高く口論している両者に、かのん達はどうして良いか分からずに口を噤む。すみれは先日から抱いていた気持ちを、憤りと共に吐き出す。
「本当は……音羽と会って話がしたい。ラブライブに敗退して、あの子のあんなカオまで見せられて……私だって悲しいし苦しいわよ! でもっ……それを表に出したところでどうにもならないから、必死に堪えてたのよ! あんただけが辛いとでも思ってるなら、大間違いも良いとこだわ!」
「……やめて」
大声で怒鳴るすみれを前に、かのんは小さな声で呟く。彼女の言葉が癪に障った恋もまた、すみれに対し毅然とした態度で立ち向かう。
「そんなこと……思っていません! 私は……苦しんでいる友人を放っておく事が正しい選択だとは認めません。認めたく……ありません!」
「それで音羽を余計傷付ける方が問題だって言ってるでしょ!? 食ってかかるのも大概にしなさいよ!!」
「あなたこそ……いい加減にっ……」
「……やめてっ!!」
かのんはベンチから立ち上がり、大きな声を出して2人を仲裁する。繰り広げられる彼女達の口論に堪えられず、彼女は怒りが自分の矛先に向くのを承知の上で、正直に気持ちを言葉にする。
「こんな時に……2人が喧嘩してるとこなんて見たくない……お願いだから、やめてよ……」
「かのんさん……」
「……ごめん。あんたの言う通りね。こんな状況なのに……みっともない事しちゃったわね」
今にも泣き出しそうな表情でかのんにそう言われ、すみれはすぐに非を認め、声音を落ち着かせる。恋も反省したように姿勢を正し、すみれとかのん双方に深々と頭を下げた。
「すみれさん、かのんさん……すみません。感情的になり過ぎていました。本当に……申し訳ございません」
「こっちこそ。悪かったわね。あんたの気持ちはよくわかったわ。でも、私の考えが間違ってるとも思わない。たとえ恋でも、音羽に会いに行くのは反対よ」
「すみれさん……」
すみれも素直に謝罪するが、恋がどう言おうと、彼女は自分の考えを曲げるつもりは無い事を告げる。無闇に音羽に言葉を掛けて傷付けるのを避け、彼の気持ちが安定し、復帰出来るようになるまで待ち続けるのが最善であると。両者の意見を無言で聞いていた千砂都は、これからどうするべきか、自分なりに考えを持った上で口を開いた。
「2人の意見はわかったよ。正直、これについては正解も間違いもないと思う。どうするかはおとくんに委ねることになっちゃうけど……私は1回、おとくんとちゃんと話すべきだと思うんだ」
「ちぃちゃん……」
「まだ気持ちの整理がつかなくて、練習に行きたくないのはわかるし、それを咎めるつもりはないけど……いつまでも来てくれないと、いずれ練習に支障きたしちゃうしさ。ラブライブ優勝を目指すなら、おとくんも居てもらわないと! 皆もそう思うでしょ?」
千砂都は冷静に現状を俯瞰し、この状況において必要な事を提案する。まずは音羽としっかり話し合いを行い、今後どうするかをはっきりさせる。その為に、千砂都個人の意見では、今音羽と会いに行く事を肯定している。音羽が不在としているこの現状を良いとは到底言えないし、今後も練習に来ない日が続けば1人で練習メニューを作る千砂都の負担が増え、皆のモチベーションの低下を招いて悪影響を及ぼしかねない。ラブライブ優勝を誓った筈なのに、メンバーの不在で心に迷いやミスが生じるようになってしまうのはあまりに本末転倒である。そうなる事を防ぐ為に、千砂都はまず音羽との対話を望んでいるのである。『Liella!』に、音羽は居てもらわなくてはならない。同じ気持ちかと千砂都に問われた一同は、すぐに答えを出した。
「当たり前デス。音羽は、『Liella!』の一員なのデスから! コノママいなくなるナンテ……耐えられマセン!!」
「音羽も居たから、私は今まで頑張ってこれた。このまま負けっぱなしなのも、あの子が居ない『Liella!』も……私は嫌。絶対に……嫌っ!」
「音羽くんが居て結ばれた想いが、沢山あります。音羽くんが居ない『Liella!』は、考えたくありません。また共に活動していく為に……出来る事をしたいです!」
「かのんちゃんは、どう思う?」
千砂都にそう問われ、かのんはポケットから取り出した星結びをぎゅっと握る。音羽から貰った、自分にとって大切な宝物。彼から貰ったものは他にも沢山ある。数え切れない程に、勇気も希望も何もかも受け取った。そんなかのんが出した答えは、ただ1つ。
「私の側に、おとちゃんが居てほしい。おとちゃんも一緒にラブライブで優勝して、喜びを分かち合いたいっ! おとちゃんがいなきゃ、始まらない。おとちゃんに……もう辛い思いはさせない! させないからっ! これからも『Liella!』に居てほしいよっ!!」
言葉にする度に、音羽の姿が思い浮かぶ。笑っている表情、悩んでいる表情、真剣な表情。彼と時間を共にした記憶が鮮明に思い出される。辛い思いをさせないと彼に伝えた筈だったのに、好きだと言ってくれた音楽で結果的に辛い思いをさせてしまった悔しさや罪悪感も入り混じる。そんな思いはもう決してさせないとかのんは強く誓う。そして、音羽には笑っていてほしいから。自分の側で、笑顔で居てほしいから。『Liella!』として共に活動を続ける為に、かのんは音羽と向き合う決意を固める。気付けば、かのんの瞳から涙が流れていた。腕でごしごしと目元を拭い、彼女は改めて千砂都と目を合わせた。かのんの意志を受け取った千砂都はそっと微笑み、皆の方へ視線をやる。
「決まりだね。まずはおとくんとちゃんと話し合おう。その為には……恋ちゃん! まずは恋ちゃんが、おとくんに会いに行こう。幼馴染だし、恋ちゃんとならおとくんも話しやすいだろうから」
「はい。私が、音羽くんとお話をします」
「でも、恋ちゃんもすみれちゃんと一緒で、おとくんが来るのを待つのかなーって思ってた。まさか……恋ちゃんから会いに行くって言うとは思わなかったよ」
「私も……初めはそうでした。ですが……以前音羽くんに距離を置かれた時、私は嫌われていると勝手に思い込み、音羽くんに話しかけることすらしませんでした。何も出来ず、徐々に距離が遠ざかっていくだけ……あんな思いをするのは、もう嫌なんです。辛い思いをしている音羽くんを放っておくなんて、そんなこと……2度としたくありません」
音羽が音楽教室の生徒達に言われた言葉が切っ掛けで、自分は一緒に居てはいけないのだと感じ、彼は敢えて恋と距離を置く選択をした。距離を置かれた恋は、音羽に嫌われてしまったのかと思い込み、ずっと話しかけられずに居た。迷いを振り切れさえすれば、音羽の言葉もお構いなしに、関わりに行く事が出来た筈だったのに。それが出来なかった。そして数年の月日が経ち、久方振りに言葉を交わしたのは、結ヶ丘高等学校の入学式の日であった。
その時の音羽の姿を思い出すだけでも、胸が締め付けられる面持ちだった。辛そうに眉間に皺を寄せ、瞳からは生気が感じられなく、マスクで表情も分からなくなっていた。こうなってしまったのは自分のせいだと感じ、恋はずっと悔いていた。あんな気持ちを、もう味わいたくない。音羽を放っておいて、取り返しのつかない事態にさせたくない。そう強く思うからこそ、恋にとって音羽を放っておく選択肢は初めから無かった。すみれの意見に激しい反抗心を見せていたのは、その出来事が起因しているからであった。恋の表情を見て、千砂都はやはり彼女に任せるのが正しいと確信した。
「そうだよね。恋ちゃんなら、そう思うよね。今度は、恋ちゃんがおとくんと向き合う番! だね!」
「ちょ、ちょっと! なんか自然に音羽に会いに行く流れになってるけど、本当に良いの? 今あの子に会いに行ったら……」
「すみれさん。大丈夫です。私が音羽くんの気持ちを聞いて、その上でお話をします。音羽くんに責任を感じさせるようなことは、絶対に言わないとお約束します」
すみれはやはり恋が音羽に会いに行く事に不安を拭えないようで、心配そうに千砂都と恋の会話に割って入る。そんなすみれに、恋は音羽を傷付けるようなことは絶対に口にしないと約束する。不安気な視線を向けるすみれの目を、恋の瞳が捉えた。
「すみれさん。……お願いします。音羽くんと、お話をさせてください。私を信じて……任せていただけないでしょうか?」
恋の表情は、真剣そのものだった。確固たる意志を以て彼女はすみれにそう言っており、その気迫にすみれは1つ息を吐き、彼女の言葉に返答する。
「……どうなっても知らないわよ」
「……! すみれさん……!」
「わざわざ会いに行くからには、ちゃんと話してきなさいよ。多分……私が行くよりかは、マシだと思うから」
「はい……! 責任を持って、音羽くんとしっかりお話をして来ます! すみれさん、ありがとうございます!」
すみれは恋に音羽の自宅へ行く事を承諾し、彼女は礼を伝えながら喜びを露わにする。その様子にすみれは肩を竦め、笑みを溢す。きっと、この役割は音羽と最も付き合いの長い恋が適任であると認め、恐らく自分は上手く立ち回れないだろうと悟る。もしかしたら、意図しない形で彼を傷付けてしまう可能性がある。であれば、音羽と最初に話をする相手は恋の方が適している。それを認めざるを得ない事、そして東京大会終了後に初めて音羽と言葉を交わすのが恋となる事実を、すみれはその立場が自分ではない悔しさと共に飲み込んだ。この状況で、私情を挟む余地など無い。それはこの場において無駄な感情なのだと、彼女は自分に何度もそう言い聞かせた。
「じゃあ、それで決まりっ! 恋ちゃん、おとくんのこと……よろしくね?」
「恋ちゃん、私からもお願い! おとちゃんを……助けて。恋ちゃんなら大丈夫だって信じてるから!」
「はい! 今夜、音羽くんにお会いしてきます。今度は私が……音羽くんを助けます」
かのんにも念を押され、それに力強く返事を返す。並々ならぬ想いを胸に、恋は今宵、音羽の自宅を訪れ、彼と直接対話をする決意を固めたのだった。
明かりの無い薄暗い部屋。くしゃくしゃに丸められたり、ビリビリに破り捨てられた楽譜が散乱し、空のペットボトルが複数落ちているその場所で、音羽は机で作業に打ち込んでいた。パソコンでラブライブ優勝経験のあるグループのパフォーマンス映像を流し、練習メニューが纏められたノートにひたすらペンを走らせる。机上にも丸められた楽譜が幾つか置かれており、充血した瞳で動画を視聴しつつ、必死にノートと向き合っていた。
もう、何日間眠っていないだろう。まともに食事を摂っておらず、生命維持に最低限必要な水分のみを補給し、深夜に軽くシャワーを浴びた後は即座に作業の続きに戻る。その繰り返し。自分が、皆の役に立てる事を証明する為に。たとえ色が見えなくても、皆の力になれるように。しかし、音羽の視界から色が消えたその時から、普段より音を上手く捉えられなくなった。
音羽は普段、曲やメロディを『音』、『色』、『音階』の3種類を用いて知覚しており、作曲時にはそれらを瞬時に脳内で処理し、知覚する速度を速めて曲に起こしている。そうして生み出される曲は、正確無比と言って良い程に調和が取れており、音に一切の乱れが無い。だが、いつもその3種類の情報を使って作曲等を行っていた為に、『色』という音羽にとっては重要な要素が欠けてしまうと一気に調和が乱れ、不協和音に繋がる。自室にある簡易ピアノを弾きながら作曲をした際、日頃のように上手く調和が取れず、そうして生み出された音があまりにも不出来で、吐き気さえ催した程だ。
今は机で別の作業に切り替えたものの、疲労や寝不足が祟り、頭が十全に働いていない状態であった。脳内で乱れる思考、音、行う作業の何もかもが上手く行かないもどかしさに、とうとう音羽は手を震わせてペンを落とし、頭を抱えると同時に自身の髪を強く、強く握った。もう、あの頃のようにはやれない。上手く出来ない。それを自覚した瞬間、彼の口から嗚咽が漏れる。ペンが床に落下した事もお構いなしに、音羽は机に伏した。
「僕は……無力だ」
力無く、音羽はそう呟いた。
「何も……何もかも……何ひとつだって……僕はっ……!」
荒れ果て、見る影も無くなった自室で、彼はただ只管に己の無力さ、不甲斐なさに打ちのめされていった。