今作の三次創作短編集が今年も投稿されました! こちらもよろしくお願いいたします!
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「皆……ごめん。今日は、ありがとう」
「ううん。おとちゃん、今はゆっくり休んで? 私、待ってるから! おとちゃんがまた部室に来てくれるまで……待ってる!」
「うん。少し……時間をもらえないかな。やらなきゃいけないこと、あるから」
音羽は口元に笑みを作りながら、静かな口調でかのんにそう伝えた。彼は先程、自分が見ていた夢について思うところがあり、その件に自分の中で折り合いを付けた後に、改めて皆に会いたいと考えていた。
「音羽くん、やらなきゃいけないこととは……?」
「……会わなきゃいけない人が居るんだ。その人と話してから、これからのことをもう1度しっかり考えたい。待ってて、くれる?」
「勿論です。いつまでも待ちます。音羽くんが、また部室に戻って来てくれるまで……待っています!」
「ありがとう。
恋の返答を受け、音羽は柔らかく微笑む。涙と共に己の本音を皆に吐露したからか、彼の表情は先程よりも明るくなっていた。自分の中にある葛藤や苦悩が吹っ切れる兆しが見えてきた音羽に対し、すみれも声を掛ける。
「音羽。さっきはあんな言い方して、ごめんなさい。あんたは……『Liella!』に絶対に必要だから。それ、忘れないで。しょうがないから、あんたが納得する答え出すまで待っててあげるわ。だから……ちゃんと戻って来なさいよ」
「わかった。……ありがとね。すみれちゃん」
「良いわよ。待つことには……慣れっこだから」
「ククも待ちマス! 『Liella!』には音羽がいナイと駄目なのデスッ! ダカラ……絶対に戻ッテ来るデス!!」
「くぅちゃん……!」
2人からそう言われ、音羽の胸が熱くなる。自分を待ってくれる人が居る。あのすみれが、自身を明確に必要だと思ってくれた。それが、何より嬉しかった。
「待ってるからね。おとくん。私……信じてるから。まだまだおとくんとやりたいことたくさんあるし……上手く折り合いつけられるように祈ってるよ!」
「おとちゃんはもう、独りじゃないよ。私達が居るから。もしまた辛くなったりしたら……私達のこと、思い出して!」
「わかった!
音羽は2人に自分の意思を伝える。かのんが言ってくれた、自分は独りではないという言葉、千砂都の『信じてる』という信頼。改めてそれらを受け取った彼は、迷いを振り払い、現状と向き合う決意を固める。早急に、会わなければならない人が居る。己のすべき事を自覚した音羽は、最後に皆を見つめて、小さく微笑んだ。彼の決意と意志を受け取ったかのん達も笑顔を浮かべた後、『お邪魔しました』と一言添え、玄関を出て行った。ドアが完全に閉まったのを確認した音羽は軽く息を吐き、自室へ戻ろうと踵を返したその時。音羽の背後に、
彼と目が合った音羽は、申し訳無さそうに目線を逸らす。数日間部屋から殆ど出ず、会話の1つさえ交わさなかったのだから、きっと怒っているに違いない。そう思った音羽は、ぎゅっと目を閉じる。湊人はそんな彼を見て、ゆっくりと近付く。息子と距離を詰め、彼は瞼を閉じている音羽の頬にそっと触れた。
「……お父、さん……?」
「……ひどい顔だ」
湊人にそう言われ、音羽は閉じられていた目を開ける。目の前に居た湊人は、憂いに満ちた表情で音羽を見つめていた。頬がこけ、目の下には隈ができており、唇は乾燥により血が出た形跡もあった。酷くやつれた我が子を前に、湊人は今の彼に伝えるべきだと思う言葉を紡ぐ。
「何かが出来なくても、ミスをしたとしても。たとえ何も出来なくなったとしても……音羽を慕い、愛してくれる人が必ず居る。これからお前がどんな道を行っても……私は、お前をずっと愛している」
「お父さん……」
父親からはっきりと『愛している』と言われた音羽は、嬉しくもあり、どこかむず痒くもあった。彼からこんなに真っ直ぐ愛していると伝えられたことが無く、少々驚きの感情はあるものの、湊人の言葉に、確かな暖かさを感じた。音楽家の
「何度でも言う。お前には仲間が居る。どんな時でも、自分の側に居る仲間を忘れるな。お前が苦しんだり、傷付けば……悲しむ人達が居る。必ずだ。だから……自分を大切にしろ」
音羽には、大切な仲間達が居る。音羽のことを大切に思い、信じてくれる友が側に居る。そのことをずっと忘れないでほしい。湊人が願うのは、彼が仲間と共に歩んで行く未来。切磋琢磨し、苦しみも悲しみも存分に味わい、その上で高みを目指す。自身も歩んできた道だ。しかし、音羽は独りではない。一緒に歩く仲間が存在する。音羽が信じるその仲間達となら、苦しみを乗り越えられると湊人はそう信じている。父の励ましに、音羽は強く頷いた。
「……ありがとう。お父さん」
頬に添えた手を触れ、そっと笑った音羽を見て、湊人もまた安堵したような笑みを浮かべるのだった。
数日ぶりに居間に足を運び、音羽は軽く食事を摂った後に自室へと戻って来た。
かのん達が来てくれたお陰で、音羽は夢の中に出てくるもう1人の自分が何なのか、どんな意図があって自分を邪魔するのか。その理由の解明に近付くことが出来た。もし彼の言う通り、本当のことしか言っていないのだとしたら。音羽を救う事しか考えていないのだとしたら。彼の言動1つ1つに着目して考えると、自ずと見えてくるものがあった。
『いい加減受け入れたら良いのに。そうすれば……楽になれるのに』
『僕は、君を救う事しか考えていないんだから』
『君の事は、全て知ってる』
『本当はもう、分かってるくせに。君は僕だよ』
「……もしかして、君は……」
思考を巡らせながら、今まで聞いた彼の言葉を思い出し、音羽は1つの結論に辿り着いた。確証は無いものの、過去の彼の発言を照らし合わせて分かったことがあり、それを音羽の推測と混ぜてみると、辻褄が合った。一か八か、彼は机上に置いていたある物を持ち、自室のベッドに身体を預ける。もう1度夢の中に居る自分と会うために、音羽はゆっくりと目を瞑り、あの空間ヘ行けるように強く念じるのだった。
視界を開いた目線の先に、色の無い世界が広がっていた。見渡す限り、白黒の背景が続いている。初めて自分の意志でこの場所に行きたいと望み、無事にまたこの空間に来れた事を認識した矢先、音羽が対話を求める人物が姿を現した。
『なんだ、また来たんだ』
結ヶ丘高校の音楽科の制服、黒縁の眼鏡、顔を覆う白いマスク。もう1人の東音羽と言える彼は、ややうんざりした様子で音羽にそう言った。
『君から『色』を奪ったというのに、どうしてここに来るの? 誰の役にも立てないようにした筈なのに』
冷たい視線で音羽を見つめながら、彼は信じられない、といった様子で何故またここに来たのか問う。音羽が持つ共感覚である『色聴』を奪い、2度と他者の役に立てないようにしたにも関わらず、再びこの場所に来るなどどうかしていると彼はそう感じている。
『君の物語はおしまいにした。なのに……何で君はまた……』
「もう、やめようよ。こんなことは」
音羽が彼の言葉を遮るように口を挟む。突然割り込んできた音羽に、彼は些か予想外だったのか、すぐに口を閉じて再度目の前に居る彼を見やる。その表情からは、悲しみが伺えた。まるで自分を憐れんでいるような、そんな目をしていた。
「そうやって意地悪なこと言っても……君が悲しくなるだけだよ。僕は……見てられない」
『……君は、何を言ってるの?』
「僕はもう……君の声には呑まれない」
音羽は確固たる意志を以て目の前に居る自分自身と向き合う。顔をマスクで隠し、表情が読み取れない彼に対して1歩近付く。すると、彼はそれに比例して1歩後退った。
「わかったんだ。君に会って、僕がしなくちゃいけないことが。今日は……その為にここに来た」
『何を、言ってっ……』
音羽は1歩ずつ、目の前の彼に向かって歩く。自分の声に揺らがず、躊躇いも無く近付いてくる音羽に、彼は普段とは打って変わって取り乱した様子で後退する。今まではただ強い言葉で音羽を否定し、邪魔をし続けた彼が今になってようやく人間らしい声を出した。それにより、音羽は会話が通用しない訳ではないと確信し、早歩きで彼と距離を詰める。
『なっ……何をっ……』
決して足を止める事無く真っ直ぐ近付いてくる音羽に恐怖したのか、彼はたじろぎながら後退を続けるが、更に歩く速度を速めた音羽に追いつかれ、一気に距離を詰められる。初めて自身とここまで距離を詰めてきた音羽に臆した彼は、思わずぎゅっと目を閉じたその刹那。彼の身体に、感触が伝わった。音羽が、もう1人の自分である彼を抱擁していた。先程音羽の自室を訪れた恋がそうしてくれたように、音羽は彼を優しく抱き締める。温もりは感じないが、彼を抱擁している確かな感覚が有った。
『君……何、して……』
「……僕は、ずっと君を否定したかった。君の言うことなんて全部嘘で、僕を邪魔する為のものなんだって思ってた。でも……あの時君は言った。『救うことしか考えていない』って。それが本当だとしたら……僕を救う為に君がしようとしてたことは……」
ずっと、彼の言葉を信じたくなかった。彼の言うことを鵜呑みにして、自分を見失うのが怖かった。今すぐにでも、彼の存在を自分の中から消し去りたいと心から願ってしまう程に、音羽はもう1人の自分を厭悪していた。過去の自分と同じ姿をしていて、後ろ向きな言葉、冷たい視線をぶつける彼のことが、嫌いで嫌いで堪らなかった。けれど、彼が言っていた言葉が仮に真実なのだとすれば、今までの行動や言動に意味があるものではないかと気が付いた。そうして音羽が辿り着いた、彼が執拗に自分を邪魔し続けていた理由は、ただ1つ。
「
『……!』
音羽にそう言われた彼は、驚いたように声を上げた。彼の反応を受け、自身の見解が間違いでは無かったと認識し、音羽は言葉を続ける。
「君は、過去の僕と同じ見た目をしてる。もし君が僕自身なんだとしたら、あの時の僕は……お父さんとお母さんの名前に泥を塗るのが怖くて、音楽から逃げてた。もしかのんちゃん達と出会えてなかったら、また音楽を始めようともしなかった。自分を守るのに必死で、傷付く事を怖がってた。それが……君。過去の僕そのものなんだ」
彼は、無言で音羽の言葉を聞いていた。何も口を挟まずに居る彼を抱き締めたまま、音羽の言葉が続く。
「音楽にも、人にも向き合おうとしなかった。何も出来ない自分が……嫌だった。だから、君も嫌いだった。消えてほしいって、ずっと思ってた。けど……それを止めてくれた人が居た」
『……?』
大嫌いで、消し去りたい過去の自分。振り返りたくもない、惨めな記憶だと音羽はそう思っていた。だが、音羽のその過去を消さないでほしいと願った人物が居た。
「……恋ちゃんが、言ってくれたんだ。過去を否定しないでって。これまでの僕と、今の僕。全部含めて僕なんだって……教えてくれた。それで、気付いた。僕は……
恋が、言ってくれたのだ。今までの過去を否定しないでほしいと。感情のままに嗚咽を漏らす彼に、過去も現在も全て含めて音羽なのだと。そう教えてくれた。そうしてやっと、音羽は気付く事が出来た。己がしようとしていた、彼を消し去ろうとしたその行為は……今までの自分自身を全否定する事と同義。音羽は、彼の言葉に呑まれそうになり、自分が自分でなくなりそうな感覚を味わった。それと同じものを、もう1人の自分も感じていたかもしれないと音羽は悟った。本当に自分と同一の存在であるなら、彼もきっと同じ気持ちだった筈だと、そう思った。音羽は、彼を抱く腕に更に力を込める。
「怖かったよね。怖かったんだよね? 自分が、消されそうになって……それに気付けなくてごめん。ごめんね……」
『……何、で』
怖い思いをさせてしまったことを謝る音羽に対し、彼は一言そう呟く。その声が耳に届くと同時に、音羽は彼の肩が震えているのを目にした。そして、微かに漏れ出る声から、音羽は彼がどのような状態かが分かった。
「何で……泣いてるの?」
音羽はそっと彼から離れると、もう1人の自分は俯きながら泣き声を上げていた。数秒後に顔を上げて、音羽を見つめるその姿は、眼鏡もマスクも着けられていない、素顔の東音羽がそこに立っていた。端正な顔立ちが露わになり、音羽はやっと、彼がどんな表情をしているのか知ることが出来た。
『知られたくなかった。知ってほしくなかった筈なのに……君はどうして……』
「……やっぱり、僕の思った通りだったんだね」
音羽に己の真意を見抜かれた彼は、口調が一気に変化し、今の音羽と同一の喋り口調となっていた。彼は辛そうに顔を歪め、音羽にいずれ来るであろう未来、音羽が音楽を続ければどうなるかを話す為に口を動かす。
『君がこのまま音楽を続ければ……いつか必ず計り知れない苦しみが襲う。絶望を味わうことになる。そうなるのが……嫌だった。僕は君だ。君が傷付く道を、進ませたくなかった。僕はただ……君を守りたかった。守りたかったんだっ……!』
普段の冷たい声音と違い、熱の籠った口調で彼は自身が抱えていた本当の気持ちを音羽に伝える。音羽がかのんと出会い、素の自分に戻る事が出来たと同時に、音羽は『あの頃の自分に戻りたくない』という気持ちが強くなっていた。あの頃のように何も出来ない惨めな自分に、勇気も行動力も思いやりも何も無い存在になりたくないと思い続けていた。密かに溜め込まれたその気持ちは、音羽の心の中で徐々に肥大化していった。そうした中で、音羽が持つ自己保身と自己否定の感情が混ざり合い、音羽が音楽と向き合った際や、感情が揺らいだ時等に思考を邪魔する形で音羽の夢の中に現れるようになった。謂わば彼は音羽の負の感情の化身であり、音羽が『こうなりたくない』と願った自分自身であった。
彼が音羽を邪魔し続けていたのは、これ以上音羽に音楽の道を進ませたくなかったからだった。ラブライブに出場して、勝敗と優劣が浮き彫りとなる現実を目の当たりにした時、きっと絶望すると思ったから。きっと苦しみ、傷付く事になるから。そうなる未来が来てほしくなかったから、彼は敢えて偽りの言葉を用いて音羽に音楽の道を進ませまいとしていた。それが、音羽を守る為、自分自身が傷付かない為の選択だったのだ。
『音楽を続ければ……仲間と一緒に居る限り、君は……何度も壁にぶつかる。その度に打ちのめされて、傷付く。そんな姿……見たくない。僕は、嫌だ』
「……ごめんね。僕は、皆と一緒が良い。皆と、これからもスクールアイドル部として活動したい」
『……! 何で……何でそうなるの……? 君は……傷付くのが怖くないのっ!?』
彼は悲痛な表情で音羽にそう問う。何故、自ら傷付く可能性がある道を進もうとする。何故、見えない筈の明日を、未来を見据える。どうしてそうまでして明日を強請る。彼の脳内に疑問ばかりが浮かんでくる。音羽は感情を剥き出しにして自分に問い掛けてきた彼に対して言葉を返す。
「……怖いよ。今でも、まだ怖い。でも……皆と一緒なら、不思議と乗り越えられる気がするんだ」
『そう思える根拠は、一体どこにあるの?』
「根拠はないよ。ただ……僕は皆を信じてる。皆を信じる、僕自身のことも信じようと思う。それだけのことだよ」
諭すような口調で、音羽は彼に返答した。音羽の中の恐怖がまだ完全に消えた訳ではない。本当は、今でも怖い。人間が未知のものに恐怖するのはごく自然な事であり、音羽も同様に恐怖する感情はある。けれど、音羽は『Liella!』の仲間達と共に歩んで行くのなら、その恐怖さえも乗り越える事が出来ると本気で思っていた。それと同時に、仲間を信じる自分自身のことを信じようと音羽は決心していた。皆が自分を信じてくれているように、自分も皆のことを信じようと思った。根拠は無い。ただ、信じたいという気持ちが、音羽が前に進みたいと願う原動力となっているのだ。
『僕は嫌だ。君がまだ音楽を続けるのが……嫌なんだ。今からでも遅くない。苦しむ事になるものなんて……やめるべきだ』
「心配、してくれてるの? 僕のこと」
『君は……僕だから。自分を守りたいと思うことの、何が悪いっていうの?』
「悪いとは言ってないよ。……ありがとう。心配してくれて」
自身を心配してくれた彼に音羽は素直に礼を言う。だが、音羽の意志は簡単には変わらない事を彼は肌で感じ取る。それでも、どうしても納得が行かない。受け入れられない。何故、自ら茨の道を進もうとするのか、心の底から理解が出来ないのだ。他者と一緒なら、信じているなら恐怖を乗り越えられると何故言い切れる。何の根拠も無い戯言だと彼はそう思っていた。
『ただ立ち止まって、音楽となんて無縁で居れば……後悔する事も、失望する事も、傷付く事だって無いのに。僕は認めない……嫌だ。君がまた傷付くのを見るのが……嫌だっ!』
縋るように、まるで駄々を捏ねる子供のように、彼は涙を流しながら音羽にそう言った。
「たしかに君の言う通りだよ。また音楽を始めなかったら、スクールアイドル部に入らなかったら……苦しい思いはしなかったかもしれない。もちろん、楽しいことばかりじゃなかった。落ち込むこともあったし、友達を傷付けて、辛くて。今だって……消えちゃいたいとも思ってた」
音羽は今までの出来事を振り返りながら、ぽつぽつと言葉を紡ぐ。かのんに誘われてスクールアイドル同好会の部員見習いとなり、そこから正式に部員として、仲間として認められ、日々皆のサポート活動を行うこととなった。楽しくもあれば、辛い日もあった。己の知らないところで他者を傷付け、自身が他者と違うことを知らされ、今はラブライブ東京大会に敗退し、『Liella!』を優勝に導く事が出来なかった。今思えば、辛く、苦しい事だらけだった。幼い頃から努力を重ねていたものの、誰かの助けになる事に関してはまったくの素人で、その為には相応の努力が必要だった。だから音羽は努力した。毎日毎日、どうすれば皆の力になれるのかを考え続けた。そんな日々を繰り返していくうちに、いつの間にか音羽の心は満たされていった。
「けど、僕は皆と一緒に居られて嬉しかった。皆で同じ目標に向かうのが楽しかった。ただ何もしないで、今日が終わるのを待つよりもずっと……楽しかったんだ」
優しげに口角を上げながら、音羽は嘘偽り無い本音を言語化する。楽しかった。楽しかったのだ。友達と呼べる存在が少なかった音羽にとって、かのん達と友達になり、同好会として活動していくうちに疎遠だった恋と和解し、共にスクールアイドル部の一員となって互いに励まし合いながら生きる日々が戻って来た。大切な仲間達と努力し、時に他愛も無い時間を共有する。そんな日々が、音羽にとっては幸福そのもので、自分が心の底から『楽しい』と思える事だった。音楽活動を行い、その上で苦しみが伴うのは、音羽にとっては空が晴れ渡る日々があって、空が曇って雨が降る日々があるのと同様という認識であった。楽しくもあれば、苦しくもある。『努力する』というのは、恐らくそういう事なのだと音羽は考えていた。
「皆と一緒に夢を追いかけるっていうのはきっと……楽しいだけじゃなくて、苦しみもある。それでも僕は……前に進みたい。傷付きながらでも……泣きながらでも。前に進んで、夢を追うよ」
音羽の瞳には、一切の迷いが無かった。『Liella!』として本気で夢を追いかけるつもりだと、音羽は彼にそう宣言した。
『……愚かだよ。君は本当に……愚かだ』
「そうだね。愚かだ。でもね……その愚かさは、君が形作ってくれたものなんだよ?」
『僕が……?』
「君がもし音楽をやってなかったら。結ヶ丘に入学する道を選んでなかったら。僕は絶対に変われなかった。何も出来ない、弱い自分のままだったと思う」
『……!』
音羽が、彼が戯言だと思う程のことを言えるようになったのは、彼……つまり過去の自分が幼い頃に音楽活動を行い、音楽を辞めて自棄に陥っていた状態でも結ヶ丘高校に入学、進学をする選択をしたこと。その1つ1つの行動や選択が、今の音羽自身を形作っていた。彼を否定するという事は、己の過去そのものを否定する事。それは、今の音羽を否定する事にもなり得る。仲間達と言葉を交わし、音羽が学んだ最も大切なことは、『過去も現在も含めて、自分自身を愛すること』であった。弱さも、醜さも、愚かさも、かっこ悪さも、それらも全て合わせて東音羽なのだと、皆が教えてくれた。だからこそ音羽は、彼を受け入れる選択をした。その上でこの空間を訪れていたのだ。
「もう、君に『消えてほしい』なんて言わない。『邪魔をしないで』とも言わない。僕は、
『っ……!』
両親のようなすごい人になる為に努力を続け、時に心無い言葉をぶつけられても、悪意を向けられても、悲しみが襲って来ても。その度にそれらを乗り越えてここまで生きてきた。呼吸と同様に1歩ずつ歩を重ねてきた。人生という名の物語を色付けていったのは紛れもなく過去の自分自身で、そうして出来た傷も、苦しみも。全て自分だけの……音羽自身のものだ。些細な事でも大きなものでも、全ての事象は繋がっているのだと音羽はそう理解するに至った。それを理解した上で、音羽は今一度目の前の彼に向き直り、彼に伝えたい思いを素直に口にする。
「弱くて、情けなくて、不器用で。……どこまでも他人のことばかり考えて。今だってそうだ。辛いのは自分の方なのに……傷付いてでも僕の為を思って、忠告してくれて……守ろうとしてくれた君が、僕は大好きだよ。誰もが君を嫌っても……僕は、君をずっと愛してる」
たとえどんな自分であっても、必ず愛してくれる人が居る。湊人と、詩穂が教えてくれたことだ。音羽はそれに倣い、愚直と呼べるくらい真っ直ぐに、彼に『愛している』と伝えた。その気持ちも紛れも無く音羽の本心だった。
『う……うっ……うぅっ……うぅぅぅっ……!』
言われた側が恥ずかしくなるような、音羽の愚直な想いを受け、彼はその場で泣き崩れた。彼のすぐに泣いてしまうところも、音羽そのものであった。音羽にそう言ってもらえた嬉しさと、最早自分では音羽の歩みを止められない事の苦しさが混ざり合った泣き声を上げる彼の側に、音羽がしゃがんで寄り添う。
「『何かが出来る、出来ないじゃなくて、音羽くんは音羽くんだ』。恋ちゃんの言葉だよ。きっと恋ちゃんも、君を好きだって言ってくれるよ。君も……恋ちゃんとずっと一緒に居たんだから」
『やっぱり……
「……うん。本当にね。恋ちゃんだけじゃない。かのんちゃんも、くぅちゃんも、すみれちゃんも、千砂都ちゃんも。皆に敵わない。負けて苦しくても……明日に向かいたいって、見えない未来が怖くても……そう言える人達だから。その眩しさに、少しでも近付きたいから……僕も明日に向かうよ」
音羽にとっては、皆が眩しい存在だった。かのんも、可可も、すみれも、千砂都も、恋も。それぞれの強さと輝きを持っていて、ラブライブ東京大会に敗退した悔しさをすぐにバネに変え、練習を行っていた。見えない明日や未来を躊躇なく強請るその眩しさに、音羽は惹かれてしまった。そんな大切な仲間達に少しでも近付きたいと願ったからこそ、音羽も明日を望んだ。今日が終わるのを待ち、同じ明日を繰り返すよりも、まだ見えない未知なる明日が欲しいと思えたのだ。
「後悔はしない。逃げも隠れもしない。だから……僕を信じてもらえないかな?」
音羽の問い掛けを受け、彼は目元を袖で擦って涙を拭う。そしてもう1度、音羽の表情を見据える。やはりそうだと、彼は一瞬、悲しげに目を細める。優しさを感じると同時に、今までに無い強さを宿した目をしていた。その目が、彼の瞳を捉える。両者は無言で数秒の間見つめ合い、彼がその沈黙を破った。
『……わかった。僕は、君を信じる。君のことを信じる皆のことも……信じるよ』
「……! ありがとう。本当に……ありがとう!」
『
「ん……最後って?」
呆れたように、それでいてどこか嬉しそうな笑みを浮かべながら、彼はそんな言葉を溢した。『最後』という言葉に、音羽は疑問を返す。
『僕がここに居る意味が無くなったんだ。君が望んだ通り、僕は君の前から消えるよ』
「えっ……? 僕はもう、君に消えてほしいなんて思ってない! なのに何で……?」
『君がこの前言ってたように、僕は君にとっての『過去』だ。今の君は……その過去を受け入れて、前に進もうとしている。それなのに僕が居たら……邪魔でしかないだろうから』
自嘲するように彼はフッ、と笑う。自身は音羽にとっての過去で、もう音羽の思考や行動を邪魔するつもりは無く、怖くても前に進む決意をした音羽にとって彼は邪魔でしか無い。自分でもそれはよく理解している。故に、音羽の前に2度と現れる事は無いと伝える。
「邪魔だなんて……違うよっ! 今の僕が居るのは、君が居たからで……!」
『だったら尚更だよ。君は……強い。今の君はもう、大丈夫だから。僕みたいな弱い自分とは……離れないと』
「っ……」
『そんな顔しないでよ。君には、信じられる仲間が居るんだから。君が前に進んで、その先にどんな未来が待ってるのか……見届ける事は出来ないけど、託す事は出来る。だから最後に、伝えたいことがあるんだ。聞いて、くれるかな?』
「……うん。なんでも……聞く!」
音羽の承諾を得られた彼は安堵したように笑う。そうして、彼は先程自分自身がされたのと同様に、音羽の身体を抱擁した。
『こんなやり方しか出来なくて……ごめんね。君の言う通り、消されるのが怖かった。でも今は……安心して消えられる。『過去を振り返ってほしい』なんて言わない。けど……僕のこと、この先も忘れないでほしい。僕が願うのは、それだけ。お願いだから……僕、忘れないで……』
その言葉を聞いた瞬間、音羽の目から涙が溢れる。大粒の涙を頬に伝わせながら、音羽は強く、強く強く彼の身体を抱き締める。
「忘れない……忘れないよっ……ずっと……ずっとっ! 絶対、忘れないから!」
『泣かないで。……いや、泣いて良いよ。苦しい時は……泣いて良い。泣きながらでも前に進めば……君ならきっと、苦しみもバネにしていける筈だから』
「うんっ……! 皆とっ、一緒に……僕はっ……!」
途切れ途切れに音羽は自分の意志を彼に伝える。自分を抱き締めている今の彼は、ひどく他人の機微に敏感な気質で、恐らくこれから消え行く自身の為に泣いてくれているのだと、深く考えるまでもなく分かる。何せ、過去と今で姿や性格に少し差異はあれど、嗚咽している彼は、自分自身なのだから。つくづく他人想いな人だと彼は再度呆れていながらも、その表情はとても安らかだった。
『どうか、君が歩く道が……未来が……良いものである事を祈ってる。……こんな僕のことを、好きだって……『愛してる』って言ってくれて……ありがとう』
「あ……君……っ!」
そう言葉にした彼の声は、震えていた。彼を抱擁している感覚が徐々に無くなっている事に気付いた音羽は、より一層彼を抱き締める力を強くする。だが、音羽の気持ちに反するように、彼の身体から力が抜けていくような感覚が走った。自身の存在が終焉を迎える事を自覚した彼は、最後に音羽に伝える。
『……お別れだ。僕。君の……物語……どうか、終わらせないで……鮮やかに……色付けていってね……』
「わかってる。このままじゃ……終わらせない。皆と一緒に夢を叶えるまで……僕はもう、負けないから!」
『……ふふっ。君は……もう……──』
彼の身体が原型を保てなくなり、光の粒子となって舞って行く。音羽の腕や身体から、彼を抱いている感覚が完全に失せ、彼が最後に音羽に伝えようとした言葉も、光の粒子と共に空へ消えて行った。彼の姿が見えなくなると同時に、銀色の物が音を立てて落ち、周囲が現実世界のように色付いて行った。粒子となって彼の存在が消えるのも束の間、音羽の身体に何かが溶け込んで行くような、形容し難い心地良さが広がっていた。
彼が最後に伝えようとしていた言葉が何なのかは分からない。しかし、音羽は彼が何と言おうとしていたのか分かった気がした。彼と対話出来たお陰で、互いに言葉を交わさなくても、伝えたい意図や真意がなんとなく理解出来るようになったのは音羽にとって僥倖であった。地面に音を立てて落ちた物は、音羽が仲間達の為に作った御守りである、『星結び』だった。音羽とかのん達を結ぶ大切な物であるからか、自分を仲間達と遠ざける為に彼が隠していたのだろうか。理由は彼に聞くしか無い訳だが、それを知る手段はもう無い。音羽は星結びを拾い上げ、それを指で覆うようにきゅっと握り込み、自身の胸の前に持って行った。もう1人の自分から託された想い、願い。それら全てを心に留めながら、音羽は瞼を閉じる。
「ありがとう。絶対に、忘れないから。この胸の痛みも……君がくれたものも、全部」
空間が歪み、眩い光が包み込む空間で、音羽は決意する。言葉も、声も、夢も、想いも。その全てを背負い、前に進み続ける事を。決して揺らぐ事の無い、強固な意志を持ち続ける事を。
意識が覚醒し、現実へと戻って来た音羽の耳に最初に響いたのは、毎朝聴いているアラーム音だった。爽やかで、心地の良い『色』を知覚した彼は、特段高揚もせず、大声を上げる事も無く、ふと自身の右手に視線を向ける。開かれた掌の上に、睡眠に入る前に持った星結びが確かに乗せられていた。それを再度強く握り、音羽は瞑想に耽る。数分の後に、彼はゆっくりと開瞳した。
顔を上げた音羽の眼には、一筋の涙と共に、揺るぎない覚悟の色が宿っていた。
解説も、注釈も無いままに次のページを捲る物語。
迷いながら、戸惑いながら、それでも人は歩みを止めない。
評価用リンク
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