季節は巡り、時は止まらずに流れて行く。寒い冬が過ぎ、暖かな春が来て人々は笑う。世界はずっと、その繰り返しだ。巡る時の中で、人は出会いと別れを繰り返しながら生きる。生まれて初めて故郷から離れ、上京してきた
「はぁ……はぁっ……うぅっ……東京は、何でこんなに暑いんすかぁ……溶ける……」
少女は背中にリュックを背負い、重たいキャリーバッグを引きながら、東京都の表参道をふらふらと歩いていた。故郷と比べて気温が高い事は知っていたのだが、まだ4月の段階でここまで暑いとは想定しておらず、額から垂れてくる汗を拭いつつ、この街で暮らす為に借りた家を探しながら歩く。
「しかし……ここが原宿……ヒルズ族……! うぅっ……きな子の家は……どこっすかぁぁぁぁ……」
今少女が歩いているのは表参道なのだが、地元より遥かに栄えている街並みを見て、インターネットで調べて目にしたことのある原宿だと勘違いしている様子であった。通りがかった人達はふらふらと歩く彼女に視線を向けるが、向けられた視線に気付かずに少女は歩を進めていた。出来れば昼前には借りた家に着き、重い荷物を下ろしたいと考えていたのだが、土地勘の無い自分がこのあまりに広すぎる東京の街で目当ての場所に辿り着くのは無理なように思えてきて、もう既に諦めの段階に入ろうとしていた。
一瞬吹いた風が少女の長い茶髪を揺らし、彼女はふと足を止めて空を見上げた。青々とした空を見つめながら、暫し想いを馳せる。故郷から遠く離れた、新たな生活を始めるこの街で、彼女は春の訪れを感じ取りつつ、疲労している身体に鞭を打ちながら、再び歩を進め始める。
少女の名は、
星達のオーケストラ 2nd season
#1 新たなる出会い、始まりの風。
同時刻にて。実家であるカフェのカウンター席に座り、約束の時間までまだ余裕があるにも関わらず、慌ただしく朝食を食べている人物が居た。
「ちょっとお姉ちゃん、そんな一気に食べたら喉詰まらせちゃうよ?」
「大丈夫だよっ!」
苺のジャムが塗られたトーストに勢いよく齧り付き、それをカフェオレで一気に流す彼女を、妹のありあが隣で半ば引き気味な様子で見ていた。キッチン側に立っている母は、ありあの反応とは違い、感心しながら彼女に声を掛けた。
「毎日朝早くからえらいわねぇ。今日も練習?」
「うん! 新入生歓迎ライブがあるから、気合い入れていかなくちゃ!」
「わかるけど、いつもがっつき過ぎだよ……っていうか、入学式は明日でしょ?」
明日は彼女が通う私立結ヶ丘高等学校の入学式が開かれ、待ちに待った新入生がやって来る大切な日である。そんな中、前日まで部活動の練習に打ち込むのは熱心だと思うと同時に、無理をしているのではないかと些か心配になってくる。隣に居る妹からそう問われた彼女は振り向き、真剣な表情で言葉を返す。
「休んでる暇なんてないのっ! ちょっとでも上手くなれるように、今は練習してたい。次こそは、『ラブライブ!』で優勝できるようにね!」
そう言いながら彼女は残り一欠片になったトーストを口に放り込み、カフェオレを最後まで飲み切った。自分が仲間達と共に出場した、大規模なスクールアイドルグループの祭典である『ラブライブ!』は、全国大会には一歩届かない悔しい結果に終わってしまった。もうあの時と同じ悲しみや悔しさは味わいたくないし、何より仲間達にそのような気持ちになってほしくない。グループのリーダーとして、まず自分がしっかりしなくてはならないという責任感が芽生え始め、日頃の練習だけでなく、自主練にも熱が入っている状況であった。
「ごちそうさまっ! マンマルー! あっ。……いってきまーす」
朝食を食べ終え、彼女は家で飼っているコノハズクである『マンマル』に話しかけたところ、マンマルは俯きがちに眠っていた。フクロウは元々夜行性の動物であり、昼間はあまり動く事は無く、人が近付いて来ると細く目を開けたり、警戒で体を細くする程度しか活動しない。眠っているマンマルを起こす訳にはいかない為、小声で『いってきます』と伝え、静かにドアを閉めた後に彼女は駆け足で学校へと向かって行った。
彼女の名は
音楽科の受験に失敗し、気力もモチベーションも削がれたかのんはもう歌は歌わないと決心し、このまま何も無く平穏に過ごそうとしていたところに、中国から結ヶ丘高校に通う為に来日してきた少女と出会う。その出会いが彼女の運命を大きく変えることとなった。人前で歌う事と、誰かの期待を裏切るのが怖くて、せっかく頼ってくれた友人の力になれない自分が嫌で、音楽から離れようとしていたかのんであったが、新たに出会った仲間、そして幼馴染のサポートもあり、人前で歌うことへのトラウマを払拭し、仲間と共にステージに立ってライブを行ってから、彼女のスクールアイドルとしての物語が始まった。
様々な出会いと苦楽を経て自身の中にある恐怖と向き合い、真の意味でトラウマを克服したかのんは加速度的に成長して行き、『ラブライブ!』という大きな舞台にて、初出場であったにもかかわらず、東京大会のステージでソロパートを歌い切るという快挙を成し遂げるまでに至った。しかし、全国大会出場の夢は叶わず、自分達のライバルグループである神津島を代表するスクールアイドル、『Sunny Passion』に敗れる結果となった。寒空の下、悔しさを噛み締めたあの日を、彼女は決して忘れる事は無いだろう。
東京の街を駆け抜けるかのんだったが、左横にある建物に付けられている電光掲示板にちらりと目が行き、1度立ち止まって真正面から再度それを見る。電光掲示板には、『ラブライブ!』全国大会に駒を進め、優勝を果たしたグループ、『Sunny Passion』の2人……
かのんは昨年の今時期にも、この『Sunny Passion』を電光掲示板で目にしたのを覚えている。あの頃はスクールアイドルという概念そのものに疎かったが故に、自分達の歌とパフォーマンスで人々を魅了し、燦然と輝いているこの2人に対し、ただ純粋に『凄い』という感情を抱いていた。あれから1年。かのんにとって『Sunny Passion』の存在は『憧れ』から、『超えるべき目標』に変化していた。戦友であり、ライバルでもある摩央と悠奈に、次こそは勝ちたい。かのんは皆と共にそう誓った。なればこそ、ゆっくりしている暇など無い。他のスクールアイドル達に負けないよう、グループ全体のスキルアップが不可欠であり、今後『ラブライブ!』で勝ち抜いて行く為にはもっと優れたパフォーマンスが必要となる。もう、負けない。負けたくない。絶対に皆で勝つ。彼女は改めて決意を固め、真剣な表情で電光掲示板を見据えた後、速度を早めて学校へ向かって行くのだった。
時刻は午後。結ヶ丘高校スクールアイドル部、『Liella!』は、今日もまた普段こなしているものよりも重い練習に励んでいた。一同は今年度から練習着に一部変更やアレンジを加え、装いを新たに皆は走り込み、ボイストレーニング、体幹トレーニング等、全てにおいて以前よりもハードとなった内容のメニューをサポーターと話し合って作成し、それを弱音1つ言わず懸命に行っていた。
千砂都の号令により一旦休憩となり、かのんはスポーツドリンクが入ったボトルに口を付け、渇き切った喉を潤した。しっかり話し合いをした上で作った練習メニューである為、こなせないという訳では無いのだが、今までのメニューとは明らかに疲労の蓄積度合いが違う。しかし、確実に自分達のレベルアップに繋がると確信出来る、良い練習メニューに仕上がっていると一同はそう感じている。各々が休息を取っている中、可可がスマホを皆に見せながら躍るような口調とテンションで皆に声を掛けた。
「大家快看啊〜!! 『Liella!』のフォロワーが、倍になりマシタ~!!」
「うぇぇっ!?」
かのんが驚嘆の声を上げ、千砂都と恋が可可のスマホの画面を覗き込む。画面には『Liella!』のSNSアカウントが表示されていて、可可の言う通り、昨年末の数からフォロワーが倍に増えていた。『Liella!』は結ヶ丘高校の生徒である澁谷かのん、
「じゅっ……10万……!?」
恋は驚きを声に乗せて表示されていたフォロワー数を口に出す。『ラブライブ!』に出場したことで『Liella!』の知名度は格段に上昇しており、今もフォロワー数の伸びが止まらない状態であった。『ラブライブ!』出場経験校となった結ヶ丘は昨年から状況が大きく変わり、入学希望者が一気に増えたり、各種メディアにも話題に上がる事がある等、『Liella!』と共に学校の知名度も上がり続けていた。
無論、知名度が上がるのは良い事で、入学者が増えればそれだけ学校を存続させられる可能性が高まる。現生徒会長である恋の父が資金援助を行ってくれている状況ではあるが、勿論それにも限界があり、継続的に援助をするかどうかは恋の父に決める権限がある以上、唐突に支援が打ち切られる事も考えられる。他からの援助が無くても学校の運営が出来るに越した事は無く、先の事は明確には分からないが、複数のクラスとして成立するくらいに2期生が入学してくれたり、『Liella!』のフォロワー数が倍に増えたという事に関しては、喜悦に値するものであった。
「イチブのサイトでは、『Liella!』はジカイの優勝候補トモ噂されていマス!」
「まっ、私達に加えて音羽もいるんだもの。当然よね!」
「違うよ! たしかにおとちゃんのお陰でもあるけど……こうなったのはサニパさん達がインタビューで……」
自分達の知名度が上がったのは、専属サポーターである彼の助力があったからこそのものであるというのは間違いなく、それを否定するつもりはないのだが、ここ最近急激にフォロワー数が増え続けているのは、『ラブライブ!』優勝校の『Sunny Passion』がメディアのインタビューにて、『Liella!』の話題を出したというのが大きな要因であった。かのんはインタビューでの摩央と悠奈の言葉を思い出す。
『1番強かった相手? 皆、素敵なグループでした。だからこそ、このような場で他のグループに優劣を付けたりするつもりはありません』
『でもっ、私達がいっちばん心躍ったグループは……』
『『結ヶ丘高等学校のスクールアイドル部、『Liella!』です!!』』
記者からの質問に対し、『Sunny Passion』の2人は口を揃えて『Liella!』が最も心躍ったグループであると、そう答えていた。その後のインタビューでも『Liella!』のことを熱く語っており、本当に自分達のことを評価してくれているのだと分かり、光栄な気持ちは勿論あるが、その気持ちの中に混ざる悔しさが、かのんは拭い切れなかった。
「アリガタキシアワセ〜〜ッ!!」
可可は頬を抑えながら自身が憧れている『Sunny Passion』から認められ、賞賛の言葉も掛けられた事に喜びを露わにするが、恋はかのんと同じく、微妙な面持ちで居り、可可の喜びに水を差してしまう事を承知の上で口を開いた。
「でも……
恋の言葉に、一同は皆押し黙る。彼女の言う通り、『ラブライブ!』の地区予選は突破出来たものの、全国大会へは出場出来ておらず、他の音楽イベント等にもあまり参加していないが故に、未だ胸を張って誇れる実績が何も無い状態であった。
「名前だけ独り歩きしてもねぇ……」
千砂都が恋の言葉に同意しながら言葉を返す。知名度が上がるのは良い事だが、上がるだけではいけないのだと彼女は自覚している。何かしらの実績を生まなければ、今はまだ良くても、後々他のスクールアイドルグループに埋もれてしまう可能性は十二分にある。そうならない為にも、皆で一丸となって努力を続けなければならない。
「だからこそ、次は絶対に結果を残すの! そして……この学校の皆と一緒に、喜びたい!」
屋上のフェンスに寄りかかり、かのんは自分に言い聞かせるようにそう言葉にした。あの日抱いた気持ちを糧にして、次こそは勝ちたい。『ラブライブ!』で優勝して、結ヶ丘高校の全校生徒と喜びを分かち合う。それが、今のかのん達6人の目標であり、絶対に叶えたい夢であった。
「ええ! 私達全員で力を合わせて、次こそは優勝しましょう!」
「当然ったら当然よ!」
恋とすみれが頷き、力強くかのんにそう伝える。勝利を掴む為に、もう2度と、大切な人に悲しい思いをさせない為に。両者共に決意を固め、改めてかのんに着いていくと決心していた。それと同時に、自分達には心強いサポーターも付いてくれており、常に万全な体制で練習を行えるからこそ、より頑張りたい、成長したいと思える。そのサポーターは現在屋上から外していた。
「さて、そろそろあの子が帰ってくるかしら?」
「そうですね。もうすぐ戻ってくるかと思います!」
「チャットに連絡来てたし、あと15分くらいで戻るんじゃないかな?」
「今日はナニが食べラレルんデショウ……楽しみデス!」
「うん! 楽しみだねっ! おとちゃんの差し入れ!」
グループチャットにて、『今から戻る』という内容のメッセージが送信されており、皆が話題にしている人物がもうじき屋上に帰って来る頃だと皆はそう認識する。サポーターを務める彼は現在一同の為に差し入れを買いに出掛けており、一時的に不在としていた。彼はほぼ毎日、メンバーの癒しとリフレッシュが出来るようにお菓子等の差し入れを買って来ていた。カロリーが高過ぎない物を選ぶ等、細やかに行き届いた心遣いにも助けられている。そろそろ彼が帰って来ると悟ったすみれは、目の前に立っている可可に声を掛けた。
「ねぇ可可、ちょっと良い?」
「ん……何デスか?」
「ここじゃなんだから、あっちで話しましょ」
「ふぇ、ナンだか……怪しいデス! ナニを企んでるデスかグソクムシ!」
「良いから来なさいっ! あとグソクムシって言うなぁっ!」
「わぁっ! 引っ張るなデス〜〜!」
「じゃあ自分で歩きなさいったら歩きなさいよっ!」
「あはは……相変わらず仲良しだねぇ、あの2人」
何か彼女に話がある様子のすみれは、可可の手を引いて屋上の出入り口まで向かって行った。彼女に悪態をつきながらも抵抗せずに引っ張られていく可可を目にし、千砂都は笑いながら2人を見送っていた。そんな中、かのんと恋はフォーメーションの相談を始めた為、千砂都は練習メニューを確認する目的で、皆がいつでも読めるようにとサポーターがベンチに置いて行った、まだ使い始めて間もないノートを開くのだった。
「んぅ……イキナリ何ナンデスか? ククもイマ休憩中なのデスよ!」
「悪かったわね! あんたに聞いておきたいことがあって、それで……」
「マサカ……ワイロデスか!? ショウビジネスでヨク使うとイワレているアノ……」
「ショウビジネスの世界にどんなイメージ持ってんのよあんた! 違うったら違うわよ! もうっ……」
自分もクールダウンしている最中、いきなりすみれに呼び出され、やや不機嫌な様子で彼女と応対する可可。屋上から出た場所で話をしたいということは、何か良からぬ話を持ちかけられるのではないかと警戒心が働いた可可は、半分冗談混じりですみれに賄賂か何かなのかと問うと、彼女はそれを即座に否定しながら突っ込む。このままではまともに話を聞いてくれない予感がした為、すみれはすぐに真剣な表情を作り、真っ直ぐに可可を見つめる。
「……ねぇ」
「ン……?」
「あんたさ、
すみれは昨年に可可が親族の者と電話をしている際に偶然聞いてしまった話の進展を彼女に単刀直入に聞いた。元々、可可がスクールアイドルを始める為に母国である中国から日本にやって来たのは、親族から条件を付けられた上での事だった。その条件とは、『ラブライブ!』で結果を残せなければ生まれ故郷の上海に帰るというもので、自分達が『ラブライブ!』東京大会で敗退して以降、すみれはずっとその事が気掛かりであった。可可自身からは特にその話題が出されることは無く、この件に関してはすみれしか知る者が居ない為、話す気がないのなら自分から聞き出したいとすみれは考え、今の状況に至る。真剣な眼差しで彼女にそう問われた可可は一瞬驚いたように目を開くが、突っぱねるようにすみれから目を逸らす。
「……すみれには関係ありマセン」
「いや、別に私もどうでも良いんだけど……ただ、もし本当に帰るって話になったら……!」
「サニパ師匠様カラ認められたノデ、ひとまずツギの大会マデ猶予はもらえマシタ!」
熱を持って問い掛けるすみれに対し、可可は素直に現状を伝える。自分達は今回大会を勝ち抜く事は出来なかったが、『ラブライブ!』優勝校である『Sunny Passion』から認められた為、可可は結ヶ丘高校とそのスクールアイドル部、『Liella!』に今のところは在籍を続けて良いと許可を貰えたことを伝えた。それを聞いてすみれは安堵したものの、別の懸念が生まれ落ちる。今は結ヶ丘に居て良くても、次こそ絶対に結果を残さなければ、彼女は本当に母国へ帰ることになってしまう。
「でもそれって……やっぱり今回優勝するしかっ……」
「ソレは、すみれが気にスルことではナイのデス!」
「っ……でも……!」
「……かのん達にはナイショデスよ。モチロン、音羽ニモ! モシ言ったら……そのク〜ルクルをゼンブ切り落としマスカラ!!」
可可はすみれに詰め寄り、もしこの事をかのん達に伝えれば、彼女の特徴的なもみあげ部分の髪を全て切り落とすと脅しを掛ける。恐らくこの話は可可にとって守り抜きたい秘密であり、自分のことを気にして練習したり、大会に出たりしてほしくないが故の配慮や気遣いなのだとすみれは理解出来るのだが、それをひた隠しにしたまま活動を続けるのは到底不可能に近い。いつかは言わなければ、最悪グループがバラバラになる程の大事に発展しかねない。そうさせない為に、すみれは負けじと反論する。
「今は大丈夫でも、遅かれ早かれ必ずバレるわよ! それに……あんたが言わないまま事が進んで、もし結果を残せなかったら……『Liella!』を続けることすらできなくなるかもしれないじゃない! それで本当に良いのっ!?」
「デスから、すみれが気にスルことではナイと言ってイルのデス! イマそのコトを言って……ミンナに無理をサセル方が嫌デス! 音羽にモウ……アンナ苦しい思いをシテほしくナイんデスッ!!」
「可可……あんた……」
可可が声を荒げてすみれに問い返す。結果を残せなければ帰国する事を伝えて、皆に無理をさせることになっても、且つ彼を苦しませることになっても良いのかを。可可の脳内に、東京大会前に目にした彼の思い詰めている表情と、敗退後に会った際に見た泣き顔、彼が発した悲痛な言葉達が思い出される。可可にとって、それらが焼き付いたように頭から離れないのだ。彼は、あまりにも優しすぎるから。人の痛みを、苦しみを自分のことのように感じられる豊かな感受性を持っているから、可可が持つ悩みにも寄り添おうとして、どんな無茶も嫌な顔せずに行おうとしてくれるだろう。それが、彼女にとっては胸が引き裂かれるかの如く辛い。だからこそ、皆や彼にあんな思いをさせないと決めた。上達する為なら、どんな事でもこなしてみせると固く決意したのだ。
「……知らナイ方が良いコトダッテ、アルのデス。ククは、全力で頑張りマス。音羽やミンナが苦しまナイように……ナンだってやりマスから」
可可は真面目な声音でそう言い残し、屋上へと戻って行った。身勝手な我儘だと言うことは自分でも分かっている。もしもの事を考え始めればキリが無いし、そんな『もしも』は来てほしくもない。そうならないように努力を続け、今度こそ優勝出来るように技術を磨かなければならない。自分を心配してくれたすみれも含め、大切な仲間達皆に迷惑を掛けないように、悲しませない為に可可は並々ならぬ覚悟を抱いて活動を続けている。他の誰にも言えない秘密を、心に抱えながら。
「……ったく。あんたの方が、ずっと無理してるじゃない」
1人その場に残されたすみれは、可可に向けて一言そのように呟いた。当人に聞こえはしないし、今は恐らく自身の思いが届きもしないということを理解した彼女だが、可可の事情をこのまま見過ごす訳には行かない。自分だけが唯一彼女の秘密を知っているのだから、出来る事をして助けたいという気持ちは変わらない。可可の件をどうするか自分なりに模索する事に決め、すみれは静かに屋上へ向かって行くのだった。
「ここは……ここは一体……どこっすかぁ……はぁ……はぁっ……」
時は少し遡り、昼頃の事。本日東京都に来たばかりの少女、桜小路きな子は引き続き都内で借りた家に向かう為に、息を切らしながらも懸命に歩き続けていた。とうとう疲労がピークに達し、ちょうど近くにベンチを発見した彼女はそこへ近付き、そのまま腰を下ろした。
「はぁ〜っ! くたびれたぁ……はぁ……なんとしても……はぁっ……家に、辿り着かねば……」
どれだけ探しても目的地へ辿り着けず、渋谷の街を暫く彷徨い、止まらずに只管歩き続けた結果、この穏田神社に到着していた。視線の先の境内には立派な御社殿が在り、神社を守る役目を果たしている狛犬の像にも目線が行き、彼女は小さく声を漏らした。
「わぁ……素敵な神社っすねぇ……」
東京に来た目的を未だ果たせないで居り、焦燥に駆られそうになる心を、目の前の神社がそれを癒してくれていた。この暖かなベンチに座ったまま、彼女は疲労で眠りそうになるが、ハッと当初のやるべき事を思い出し、勢いよく立ち上がった。
「いけない! きな子は早く……家に辿り着かねばならないっす! ここでゆっくりはしてられないっす……! きな子、頑張るっすよ……! はっ……はぁっ……」
キャリーバッグの持ち手を掴み、彼女はまた家を求めて歩き始めるのだった。
数十分後。ようやく人通りが少ない道に抜けたきな子は、途中よろめきながらも足を止めずに歩き、少しずつ家まで近付く事が出来ていた。
「ふぅ……ふぅっ……うぅ……ん? ……んん?」
自身の右横にある大きな建物にふと目が行き、足を止めて見てみると、彼女の目と鼻の先には校舎が建っていた。その周囲には巨大な桜の木が複数植えられており、風と共に薄桃色の花弁が散り、地面に落ちて行く。校門に目を向けると、『私立結ヶ丘高等学校』と記されていた。
「ここ、もしかして……あぁっ! 間違いない! きな子が通う高校っす!!」
制服のポケットに念の為入れていた、自身が通う予定の高校のミニチラシを取り出し、記載されている情報と校舎を見比べてみると、双方の情報が一致。間違いなく、そこはきな子が明日から通う予定の高校であった。決して此処に行こうとしていた訳ではなく、迷いに迷った先で偶然この場所に辿り着いたのだが、怪我の巧妙と言うべきか、自身が入学する学校の下見が叶う形となった。
「素敵な高校っすねぇ……!」
「……んふっ。んふふ……んふふふふっ……!」
「ん……?」
自分の目の前に在る高校の校舎に見惚れていたところに、近くから女性の声がする事にきな子は気付いた。何事かと思いそちらに視線をやると、赤髪を団子状に結び、自分と同じ制服を身に纏っている少女が木に隠れてぶつぶつと何か言っている様子を目にした。
「あの人……何してるっすか……?」
「んふふふふ……! しゅごいぃぃぃぃ……! あの屋上に今『Liella!』が……『Liella!』が……! 『Liella!』がぁぁぁぁぁぁ……!」
興奮が最高潮に達したのか、きな子が居る場所からでも聞こえる程の声量で彼女は今『Liella!』が練習を行っている事に半ば狂喜と言える程に、その高校の屋上に熱い目線を向けていた。きな子には彼女の行動がよく分からず、何度も言葉にしていた単語を思わず自身も声に出す。
「……りえら?」
「ハッ……! ぬぁに見てんだッ!?」
「ひぃっ!? す、すまないっす!!」
「フンッ!」
自分のことを見ていたきな子に気が付いた彼女は、先程の緩み切った表情から一変し、鋭い目付きできな子を睨みながら怒鳴る。あまりの気迫に彼女は肩を跳ねさせ、すぐに謝罪すると、その赤髪の少女は機嫌を損ねた様子で足早に立ち去って行った。きな子は暫く彼女の背中を目で追うものの、程なくして姿が完全に見えなくなった。
「な……なんだったんすかぁ……? あれ……」
明らかに不審者にしか見えないような振る舞いをしていたあの少女に対して疑問を呈しながら、もうこの場からは居なくなった事にほっと胸を撫で下ろしたその刹那。屋上の方から声が聞こえてきた。凛とした女性の声で、聞こえてくる言葉の内容からして、どうやら繰り返しカウントを取っているようだった。
「あそこで……何が……? ……んっ?」
きな子が屋上の方へ目を向けているところに、足音も聞こえ始める。誰かがこちらに向かって来ているのを察知し、ゆっくりと音がする方へ顔を向けると、その人物も自分と同じく結ヶ丘高校の制服を着ていて、片手には紙袋が持たれていた。自分よりも明るめの色の茶髪を持ち、穏やかで、柔和な雰囲気を纏う少年が、結ヶ丘高校の校門に沿って歩いていた。
「ん……あれ?」
「あっ……!」
茶髪の少年がきな子の存在に気付き、少し足を早めて近付いて行く。きな子はビクッと驚きながら一歩後退するも、そうする頃には既に少年がきな子と幾分か距離を詰めていた。
「あの……大丈夫? 何か、困ってる?」
「っ……!? あ、えっと……」
結ヶ丘高校の制服を着ているからか、恐らく自分と同じ結ヶ丘高校の生徒だと認識され、きな子は眼前に居る少年から声を掛けられた。その声が、今までに聞いたどの男性の声よりも綺麗で、思わず声を出すのも忘れてしまっていた。女性のように高い声音ではあるが、そこに芯の通った、優しさと強さを感じさせる……とても綺麗な声だった。彼から穏やかな眼差しを向けられ、きな子は何だか気恥ずかしさと眩しさで上手く言葉を返せずに居た。
「あっ、あのっ……」
「うん。どうしたの?」
「あ……えっと……なっ、なんでもないっす!!」
きな子はようやくまともに喋る事が出来たのだが、発されたのは恥ずかしさと強がりが入り混じった、助けを必要としていないという旨の言葉であった。それを聞いた彼は、キョトンとした様子できな子を見る。自分と同じくらいの身長の彼に真っ直ぐ見つめられ、きな子の心臓の鼓動が早まる。
「ほ、ほんと……? 大丈夫……?」
「大丈夫っす! ぜーんぜんっ! なーんにも困ってないっすから!! あは……あはは……」
「そ、そう……? 大丈夫なら良かった! ごめんね、急に話しかけちゃって……」
「き、気にしなくて良いっす! きな子のことなんて……なんだって、自分でできるっす!」
「そっか……! すごいね! ……あっ。僕、そろそろ行かなくちゃ。えっと……じゃあ、また学校でね!」
「えっ……あ、は……はいっす!」
もうここまで来ては強がりを貫き通す他無く、本当は家までの道を聞きたい気持ちでいっぱいであったが、1度言葉にしてしまったからには取り下げる訳にもいかず、きな子は少年に自分は大丈夫であることを伝える。すると彼は素直に理解を示したようで、これ以上詮索する事は無かった。少年は何か用事を思い出したのか、一言きな子に声を掛け、軽く手を振った後に学校の敷地内へ入って行った。きな子は暫く俯きながら呼吸を整える。勢いで彼に返事を返してしまったが、『この先学校でまた会う事はあるのだろうか』ときな子は考えつつ、せっかく自分に声を掛けてくれたあの少年に対して失礼なことを言ってしまったのではないかと、段々と罪悪感が募り始めた。
「はぁ……きな子、悪いことしちゃったっすねぇ……うぅ……はっ! 今からあの人を追いかければ、もしかしたら……!」
彼が結ヶ丘高校の校門を潜り、敷地内へ足を踏み入れて間も無い筈。きな子はやはり彼にあのような対応をしてしまった事を謝罪するべきだと考え、俯いた顔を上げて再度校舎が在る方を向くと、やはりあの少年が真っ直ぐ入口を目指して歩いていた。
きな子はすぐに追いかけようとしたのだが、少年が歩きながら着ていた紺色の上着を脱ぎ、それを勢いよく肩に羽織ったのを目にした。彼の後ろ姿は、先程までの穏和な空気とは打って変わり、頼もしさと共に、芯に宿る熱さを感じさせる雰囲気が宿っていた。彼を追いかけようとした筈のきな子は足が止まり、開いた口が塞がらないまま息を呑む。風が吹き、桜の花弁が舞う。その風が強くきな子の髪と、彼が羽織った上着を揺らした。
その少年の名は、