「ただいまー! 差し入れ買ってきたよー!」
屋上へと戻り、
「おとちゃんおかえりー! 今日は何買ってきたの?」
「今日はねー、マカロン! 前に買ってきた時はすぐなくなっちゃったから、多めに買ってきたよ!」
「わぁ……! オイシソウデス〜!」
「これ、前に一瞬で食べられちゃったから……今日こそは私の分残してもらうわよ!」
「おぉっ! いつ見ても綺麗なまるだねぇ……!」
「音羽くん、ありがとうございます……! 後でいただきましょうか!」
「ふふっ、そうだね!
音羽は紙袋からマカロンが入った箱を取り出し、それを開けて中身を皆に見せる。橙色、茶色、黄色等、豊富に色付いたマカロンが箱に詰められており、前回もこれと同じものを買った際はほぼ一瞬と言って良い程に箱の中身が空になった為、それを考慮した音羽は追加で2箱分を購入し、全員に均等に行き渡らせる事が出来る量を用意した。皆が嬉しそうに目を輝かせるのを目にし、彼は恋と共に優しく微笑んだ後、先程会った人物が少し気掛かりであったので、そのことをかのん達に話す事にした。
「今学校に戻ってくる時、結高の制服を着た女の子が校門のところに居たんだよね。どこのクラスの子だったんだろう……?」
「え? あんたこの学校の生徒全員と関わりあるじゃない。誰かわかんなかったの?」
「そうなんだけど……あの人は見た覚えがなくて……」
「覚えがないって……じゃあその子は誰ったら誰なのよ……?」
すみれが音羽の話を聞き、不可解な様子で腕を組む。彼女の言う通り、確かに音羽はこの学校の生徒会副会長の役職に就いているが故に校内の見回り等で他の生徒と話す機会が多い上に、『ラブライブ!』東京大会で『Liella!』が使用するステージの制作を手伝ってもらう為に全校生徒に頼んで回っていたり等、普通科と音楽科に学科が分かれているとはいえ音羽はこの学校の生徒全員と関わる事が出来ていた筈なのだが、先程校門で言葉を交わしたあの少女は音羽でさえも関わった記憶が無く、その事が彼の心に引っかかりを残していた。結ヶ丘高校の制服を身に付けていたのを間違いなく目にしている為、この学校の生徒であるのは確かだと信じたいのだが、音羽は顎に手を当ててあの少女にまつわる記憶が何か無いか辿る。
「うーん……だめだ、やっぱり思い出せない。何でだろう……結ヶ丘の生徒なら絶対覚えてるはずなのに……」
「そうですか……なんだか、気になりますね……」
「おとくんでも関わった覚えがないなら、その子……もしかして……」
「ちぃちゃん? どうかした?」
「あーごめん! なんでもない! ……まさか、ね……」
「うーん……あの子、誰だったのかな……」
「おとくん、思い出せないならしょうがないよ。それに、結ヶ丘の制服を着てたなら……近いうちにまた会えるかもしれないじゃん?」
先程会った少女のことについて、今までの記憶を必死に遡って考え込む音羽に千砂都が話しかけ、やんわりと思考する事を止めるように伝える。他者より記憶力に優れている音羽でさえも分からないのであれば、恐らくこのまま考え続けても時間が過ぎて行くだけだと判断し、仮に音羽の言う通りその少女が結ヶ丘の制服を着用していたのであれば、近日中に再会出来る可能性が高いのではないかと問うと、彼はすぐに納得の意を示した。
「たしかに……そうだよね! あの人ともう1度会えた時に、また話したいな」
「でしょ? さっ、練習再開しよっか!」
軽く身体を伸ばした千砂都が皆に対し練習を再開しようと声を掛け、一同は姿勢を正す。音羽も彼女の言葉に頷き、先程まで見せていた神妙な表情をすぐに戻して千砂都の方を向く。
「そうだね! 今も動きの確認中?」
「そうそう! カウントは私が取るから、おとくんは気付いたところを適宜言ってくれたら助かるかな! お願いして良い?」
「わかった! 皆、よろしくね!」
「こちらこそ! よろしくお願いします!」
「よろしくね、おとちゃん!」
あの少女は何者なのか、何故結ヶ丘の校門で立ち止まっていたのか、何故自分の記憶に彼女が居ないのか。気になる事柄は多いが、今は皆との練習に専念する事に決め、音羽は千砂都から提示された自身のやるべきことを全うする為に今一度気合いを入れる。一同が所定の位置に付く中、彼は制服のワイシャツの上から下げている、銀色に輝くネックレスである『星結び』を右手で握る。自身が皆の為に作った御守りであり、友情の証としての想いも込められている大切な物だ。以前までは制服のポケットに入れて持ち歩くだけであったが、『ラブライブ!』東京大会で敗北した後、もう二度とあのような思いを皆にさせないと確固たる信念を抱いて以降、『Liella!』のサポーターで居ることに誇りを持つという意思表示も含め、日々の練習やライブ本番の時には星結びを首に下げるようになった。
真剣な表情を見せる5人を見つめた後、音羽もサポートするに適した場所へ移動し、側にあるベンチに置いていた練習用のノートを手に取るのだった。
「あの人に謝る為とはいえ……勝手に入っちゃ……まずいっすよね……」
あの少年と別れて十数分が経った今、きな子は校舎の中へ入って行った音羽をこのまま追うか否か未だ迷っており、その場で立ち止まっていた。明日からこの学校に入学するとはいえ、今はまだ生徒ではない以上勝手に敷地内に入るのは良くないと自覚しているものの、先程声を掛けてくれた彼の厚意を無下にしてしまった事を謝罪したいという気持ちがあり、尚且つあの屋上で一体何が行われているのかも気になる。校舎に入るか、入らないか。きな子の脳内で自問が繰り返される。そこで過ったのは、彼の柔らかな表情だった。誰が見ても善人だと分かる程に、暖かな雰囲気を纏っていた。そんな彼にあのような態度をとってしまったのは、あまりに不誠実だ。
「でもこのままじゃ……ダメっす……!」
ここで義理を通さなければ、きっと後悔する。きな子は、何故だかそんな気がした。何か根拠がある訳ではないが、直感で彼女はそう思った。その直感を信じたきな子は迷いを振り切り、あの少年と再度会う為に校舎の中へと入って行くのだった。
足音を忍ばせて校舎内を歩き、階段を登る。結ヶ丘高校は新設校ではあるが、一部は前身である神宮音楽学校の設備が再利用、改装が施されており、伝統を感じつつも、古臭さは見受けられない造りであった。まだ慣れないこの学校を、きな子は探るように歩を進める。彼女が今居る場所から、微かに声が聞こえた。その声を辿り、更に階段を登っていった先にあったのは、あの時見た赤髪の少女が熱を持った目で視線を集中させていた屋上……その入口だった。
この屋上に居るということはつまり、この学校に所属する生徒なのだと確信したきな子は、あの少年について何か知っているかもしれないと思い、タイミングを見計らって屋上に入り、彼について知らないか聞いてみることに決めた。その時点で屋上に居る人達に部外者であると悟られてしまうのだが、彼を探すことに一生懸命になっているきな子にとって完全に頭の外であった。足音を立てず静かに入口前に来たきな子は、ドアに付いている小窓から屋上の様子を覗いてみる。
「じゃあここから、フォーメーションの確認いくよ! かのんちゃんは0の位置、すみれちゃんは2の位置!」
「わかった!」
「は〜い」
校門の前に居た時にも聞こえてきた、溌剌とした女性の声がより大きくきな子の耳に響く。彼女の指示を受け、2人の女性の声も聞こえる。程なくしてカウントが取られ始め、5人の生徒達が身体を動かし始める。いつの間にか、きな子はそれに見惚れてしまっていた。
容姿端麗な女子生徒達がぴったりと動きを揃えて踊り、そうしている最中に見せる、5人の真剣な表情。それを見たきな子は感嘆の声を上げ、彼女達の所作全てに釘付けとなっていた。もっと見たい。もっと見ていたい。その気持ちが強まり、身体を前のめりにして様子を見ようとしたその刹那。扉がきちんと閉められていなかったようで、きな子が前のめりになった瞬間にそれが勢いよく外側に開かれた。
「はにゃぁっ!」
急にドアが開いた事で身体が前のめりに倒れ、予想外の出来事にきな子は間の抜けた声を出しながら地面と一体となる。気が付けば、屋上に居る者達からの視線がこちらに集中していた。
「はッ! しまった……」
「あなたは……? あっ! もしかして……」
「あっ……」
かのんは突如屋上に入って来た、結ヶ丘高校の制服を纏っている少女を見て、何故急にこの場所へ来たのか数秒考えた後、単なる勘や憶測でしかないが、彼女が何者であるのかを確かめる為に少女へある問いを投げ掛ける。
「……
「あ、えっ、え~っと……はい……」
「「「わぁ~っ!!」」」
聞かれたからにはそう答える他無く、きな子は頷きながら自身が結ヶ丘高校の新入生であると正直に打ち明けると、皆は興奮と歓喜が入り混じった声を屋上に響かせる。新入生ということは、彼女が自分達の後輩にあたる。昨年に1期生として入学したかのん達にとって後輩というのはすごく貴重な存在であると同時に、皆2期生がやって来るのをずっと心待ちにしていたのだ。その願いが叶い、5人は一斉に突然来訪して来た彼女に迫る。
「後輩!? 後輩デスよね!? かわいいデスぅ〜!!」
「ちょっ……待ちなさいよ! なに先に話しかけてるのよ!!」
「まずは生徒会長の
「はわわわわ……」
「もしかして、スクールアイドル部に入部希望?」
「えっ? スクールアイドル……?」
千砂都の問いに、きな子は首を傾げながら聞き返す。普段聞き馴染みのない言葉だからか、発音もどこかぎこちない。屋上に来てくれた割には反応が薄い事に少々疑問を覚えつつも、千砂都は言葉を続ける。
「だって、新入生でしょ? スクールアイドル部は、れっきとした部活だよ!」
「は、はぁ……」
話がいまいち繋がらず、きな子は不安そうに一同を見るも、当の本人達は彼女を新入部員だと思い込んでいるようで、歓喜のあまりきな子の気持ちもお構いなしに勝手に話が飛躍している様子であった。
「ありがとうございます……ありがとうございますっ……!」
「ずっとこの日を待ってたよ……!」
「えっ……え?」
涙声でこちらに視線を向けてくる黒髪を束ねた少女と、白髪を団子状に結んでいる少女をきな子はぎょっとした目で見つめる。
「一緒にヒカリを追い求めマショウ……!」
「まったくもうっ……素直じゃない子ね……!」
「あ、あのー……」
残る女子生徒2人も同じく涙を堪えながらこちらに話しかけてくる為、悪い予感により背筋に悪寒が走る。そしてようやく今の状況を理解した。自分は、この生徒達から『スクールアイドル部』とやらに入部すると思い込まれている事を。
「ようこそ! 『Liella!』へ!!」
「ちっ、違う……! 違うっすよぉっ!!」
極め付けにオレンジ色の髪を束ね、帽子を被った女子生徒から『ようこそ』とまで言われてしまい、とうとう堪え切れなくなったきな子は冷や汗を流しながら大きな声で訴える。自分は、入部希望でこの場所に来たのではないのだと。
「え……違うの!?」
「ここに来たのは、人を探していたからで……」
「……皆、その人は……?」
かのんが面食らった様子で彼女にそう聞くと、ここに来た目的は別にあると告げる。一同が落ち着いたタイミングで、音羽が皆に声を掛ける。彼女の意志に反して話が異様にトントン拍子で進んでしまっており、音羽も状況を飲み込めていない様子で、かのん達と彼女に交互に視線を向ける。彼のその顔に、きな子は覚えがあった。
「ん……? んんっ? あぁーっ!!」
「うわっ……! 今度は何? いきなり大きい声出して……」
またもや大きな声を上げ、音羽を指差した彼女にすみれは何事かと思い話し掛けるが、彼女にとってすみれの言葉は耳に入っていない。それよりも驚くべき事が起きていたからだ。自分が校舎内に立ち入った最大の要因である彼が、自身の目の前に立っていたのだから。
「あなたは……! さっきの……!」
「ん? ……あーっ!! 君、さっき校門の前に居た……!」
音羽も目の前でへたり込んでいる彼女の顔を見て、負けず劣らずの大声を出した。この少女は先程校門の前に居て、何か困り事があるのかと思い声を掛けた相手であったから。両者の言い分を聞いたかのんが、少女と音羽を代わる代わる見る。彼が先程話していた内容と照らし合わせてみた結果、すぐに話が繋がった。
「じゃあ、おとちゃんが校門の前で会ったのって……」
「そう! この人だよ!」
オレンジ髪の少女と話す時の彼は、先程自分に見せていた時のように穏やかだった。校門の前に居た時とは違い、マントのように制服の上着を肩に羽織っているという差異はあれど、彼女が会いたかったのは、間違いなくこの少年だった。屋上に居た人達に彼のことを知らないか聞くつもりが、ばったりと目当ての人物と会う事が出来た。良かったと思うと同時に、それが何だか可笑しくて、きな子は座り込んだままほんの少し笑みを見せた。
「えっと……とりあえず、部室に行こっか。座ってゆっくりお話した方が良いと思うから……」
音羽は来訪して来た彼女に対して微笑を見せながら、一旦部室で話をする事を提案する。少女は頷きながら、もうこれ以上一同から詰め寄られる事はないと悟り、ホッと安堵したように胸を撫で下ろすのだった。
「「「道に迷った?」」」
「はい……」
スクールアイドル部の部室へと案内され、きな子はキャリーバッグを側に置いて椅子に座っており、対面に居る先輩達3人から何故ここへ来てしまったのか、色々と事情を聞かれていた。確かに目的はあれど、結ヶ丘高校が在る場所へと辿り着いた最大の要因は、『道に迷った』の一言に尽きる。
「ごめんね。勝手に勘違いして……」
「いえっ、そんな……」
「あ、マカロン食べる? おいしいよ!」
千砂都が勘違いしてしまった事を素直に謝罪すると、特に謝られるような事ではないと、少女はすぐに首を横に振る。音羽は申し訳なさそうに受け答えする少女を少しでも元気付けようと、皆の為に買ったマカロンの箱を差し出す。机上に置かれた箱に入っている色鮮やかな一口大のお菓子を見て、彼女は瞳を輝かせる。
「あ……ありがとうございますっす! いただくっす! ……ふぁぁぁっ! おいしいっす……! これが都会……! 東京の味……!」
お言葉に甘えてきな子はチョコレート味のマカロンを1つ手に取り、それを口に運ぶと、濃厚なチョコレートの甘さとサクッとした食感に舌鼓を打つ。早朝からずっと何も食べずに東京都内を彷徨い歩いていたが故にかなりの空腹だった彼女にとって、この上質なお菓子は最早ご褒美であり、あまりの美味しさにすぐ2個目の橙色のマカロンに手を伸ばしていた。
「マカロンの1つ2つで随分大袈裟ね……」
「お、お口に合ったなら良かった!」
いくらマカロンが美味とはいえややオーバーリアクション気味な少女の反応に、椅子に腰掛けずに立っていたすみれは腕を組みながら率直に思ったことを口にする。そんなすみれとは対照的に音羽は嬉しそうに笑みを溢す。道に迷ってここへやって来たという理由と、感動しながら美味しそうにマカロンを頬張る様子。それを受けたかのんは、少女に優しげな目線を向けながら口を開いた。
「もしかして、東京初めて?」
「えっ!? んなわけねぇっす! 東京は庭! 庭っすよ! 散々検索したっすし! あ~ヒルズ族っすよねっ? ヒルズ族。ヒルズ族……」
マカロンを飲み込んだ後、彼女は目を白黒させながら誤魔化すも、目の前に座っている3人に見つめられているうちに、徐々に声が小さくなっていく。その表情や声音から、一同はなんとなく察する。口ではそう言ってはいるが、恐らく彼女は東京に詳しい訳ではないのだと。
「どうやら、送ってあげた方が良さそうだね。新入生なら、東京以外のところから来ててもおかしくないし」
「なるほどね。新入生なら、音羽が覚えてなかったのにも納得いくわね。というか、あんたは何で最初会った時に新入生じゃないかって考えが出てこなかったのよ。普通ピンと来るもんじゃないの?」
「あはは……まさか入学式の前日に来るとは思わなくて……」
すみれに先程まで少女が結ヶ丘の新入生であると気が付けなかったことを言及され、彼女に人差し指で頬を突かれつつ、音羽は苦笑しながら言葉を返す。音羽の言う通り、普通は入学式の前日に新入生が来るとは考えづらく、下見目的だったとしてもわざわざ校舎の中へ入ろうとはしないだろうという考えから、音羽は最後まで少女が新入生であると見抜くことが出来なかった。金の長髪を持つ生徒からは小突かれ、黒髪の生徒からは優しくフォローをされている彼に視線を移したきな子はハッとしたように立ち上がり、音羽が居る方へ近付いた。そうして彼女は、彼に対して深々と頭を下げる。
「すみませんでしたっ! きな子、せっかく先輩に声を掛けてもらったのに……『大丈夫』って強がって……先輩の優しさを無下にしちゃったっす……本当にごめんなさいっ……!」
「あっ、いや……全然大丈夫だよ!? 僕の方こそごめんっ! あの時急に声掛けちゃって……えっと、その……まず顔上げて? ねっ?」
音羽は少女の急な謝罪にあたふたと両手を振り、こちらも急に話し掛けてしまった事をお詫びする。音羽としては彼女に謝られる理由は無い為すぐに顔を上げるように促すものの、なかなか首が上がらない。
「でもっ……でもぉぉっ……!」
「えっ……? ちょっ、泣かないでぇぇぇぇ! 大丈夫っ! 大丈夫だから! 安心してっ? 全然気にしてないから! むしろ謝るのは僕の方だからっ! 落ち着いてぇぇぇぇっ!!」
急に少女が涙声になり、音羽はたじろぎながらもしゃがんで目線を合わせつつ彼女を慰める。いきなり泣きそうな様子を見せた後輩に音羽は焦って少々早口で優しい言葉を掛けるも、その柔らかな声音が逆にきな子の感情を震えさせ、涙声が更に加速して行った。
「ごめんなさい……ごめんなさいっすぅぅぅぅっ……」
「あわわわ……大丈夫だからっ、気にしないで……? あっ……わぁぁぁぁっごめんごめんごめんっ! 落ち着い……あいたっ」
「まずはあんたが落ち着きなさい。この子以上に取り乱してどうすんのよ」
「うっ……ごめん、すみれちゃん……」
焦り過ぎて少女よりも取り乱し始めた音羽の頭にすみれが軽く手刀を落とし、彼の言葉を止める。このまま音羽が彼女を慰め続けてもあまり効果がないと判断したすみれは、彼に代わって少女に声を掛け始める。
「ほら、顔上げて? 先輩気にしてないって言ってるんだし、そんなに申し訳なさを感じる必要はないのよ? だから落ち着きなさいったら落ち着きなさい?」
「うぅ……はいっす……」
優しく少女の背中を摩りながら、すみれはいたって冷静に話し掛け続けたところ、次第に彼女は落ち着きを取り戻していき、ゆっくりと前を向く事が出来た。音羽ではどれだけ声掛けしても不可能だった事を、すみれは赤子の手を捻るかの如くいとも簡単にやってのけた。
「すみれちゃん……すごい……!」
「フッ。ショウビジネスの世界で生きてきたんだから、このくらい当然ったら当然よ!」
音羽は素直にすみれを称賛すると、彼女は自信に満ちた表情で自身の髪を手でふわりと靡かせる。そんな折、椅子に座っていた千砂都が唐突に吹き出し、笑い声を上げ始めた。
「ふふっ……ふふふふっ……あはははっ!」
「千砂都ちゃん? どうしたの?」
「いやぁ……おとくんは相変わらずだなぁって思って。この子を慰めるつもりが、おとくんの方が焦っちゃったりしてさ。早速後輩に振り回されてるなぁって……ふふっ……あはははっ!」
「笑わないでよぉっ! 僕はただ顔を上げてほしかっただけでっ……!」
「むしろずっと真面目だったのが面白いんだよ! この空回りしちゃう感じがおとくんだなぁって……!」
「言われてみれば、たしかに音羽は先輩感ないわよね。どちらかと言うと、振り回されるようなビジョンが見えるというか……ふふっ」
「もう! すみれちゃんまで……」
「あははっ! でもそれがおとちゃんだから! 全然悪いことじゃないと思うよっ?」
「そうデス! ククは優しい音羽が好きデスよ! ふふふッ……」
「ううっ……皆ひどいよぉ……」
千砂都の笑い声に釣られ、他のメンバーにも次々とそれが伝播して行く。真剣に後輩と向き合おうとしていたにもかかわらず自分のことを笑う皆を見て、音羽はしゅんと肩を落とす。そこに恋がすかさず励ましの言葉を掛ける。
「音羽くん、元気出してください! 振り回されるくらいの方が、新入生から好かれるかもしれませんし! そのままで良いと思いますよ?」
「恋ちゃん……! ……あっ」
恋に励ましてもらいながら、ふと少女の方を向くと、先程まで見せていた不安そうな表情とは違い、小さく微笑んでいた。今にも泣いてしまいそうだった彼女が今は笑みを見せていることから、音羽は自分がした事も悪くはなかったのではないかと思えた。結果的に笑顔になってくれたなら良かったと、彼もまた皆と同様に目を細めた。音羽は落ち着いた様子の彼女に席に戻ってもらえるように優しく促し、彼女は了承しつつ再度椅子に座るのだった。
「はぁ〜笑った笑った。……っと、ごめんごめん。話の途中だったよね。この子は誰が送りに行く?」
「私が行くよ。住所、わかる?」
笑った事で目に溜まった涙を人差し指で拭いながら千砂都は話を戻し、誰が彼女を家まで送り届けるかを皆に問うと、かのんがそれを請け負うと名乗り出る。ここはグループのリーダーである自分が責任を持って送るべきだと考えたかのんは、家がある場所がわかるか彼女に聞いてみると、返事と共にこくりと頷いた。
「よし。わかった! あ、おとちゃんも一緒に来れる?」
「えっ? 僕も?」
彼女と椅子を1個挟んだ席に腰を下ろしていた音羽にかのんが声を掛ける。
「この子と最初に話したのはおとちゃんだし、居てくれた方が良いかなと思って!」
この少女と初めて言葉を交わしたのは音羽である為、かのんは彼に一緒に来てほしいと伝えると、音羽は同意したものの、些か不安気に少女の方へ視線を向ける。
「僕は良いけど……嫌じゃない、かな?」
「い、嫌じゃないっす! 一緒に、来てほしいっす!!」
「ほら、おとちゃんにも来てほしいって! 一緒に行こう?」
「あ……ありがとう。じゃあ、僕も一緒に行かせてもらうね!」
きな子は音羽も共に来てほしいと強く言葉にし、かのんも便乗して後押しする。同行するのを望んでくれているのであれば、音羽はそれに応えるのみだと考え、かのんと共に彼女を家まで送る事を決める。かのんと音羽が不在とするのを他のメンバー達も承知し、彼女を送り届けた後は真っ直ぐ家に帰って良いと千砂都が伝え、2人はお礼を述べると共に椅子から立ち上がり、音羽は肩に羽織っていた制服のジャケットに袖を通した。
「おとちゃん、一旦着替えてきても良い?」
「良いよ! 待ってるね!」
かのんは練習着から制服に着替えてくると告げ、軽く手を振ってから部室を後にした。きな子は音羽の方へ視線を移し、控えめに声を掛ける。
「きな子の為に……申し訳ないっす……」
「ううん! 僕達でお家まで案内させてもらうね!」
そう言って音羽はにこっと笑う。彼のその笑顔や言葉が心地良く響く。普段皆に見せているような音羽の優しい微笑みが、彼女にとってはとても眩しく映ったのだった。
「わぁぁぁ……改めて見ても、綺麗っすねぇ……」
かのんが制服に着替え終えた後、音羽達3人は校舎から出て、桜の木が列を成す敷地を並んで歩く。きな子は辺り一面に広がる桜を見回しながら、瞳を輝かせていた。彼女の住む北海道地方では桜が咲く時期が遅く、4月下旬から5月上旬にかけて徐々に咲いていく為に、この時期から満開になっている桜はきな子にとっては非常に珍しく、心が躍るものであった。
かのんは入学した頃にこの立派な桜の木を目にして、彼女と似たような反応をしたことを思い出す。懐かしさを感じると共に、あの時からもう1年の月日が経ったのだと少し感慨に耽りつつも、まだ彼女について何も知らないことに気付き、かのんは楽しそうに桜を眺めている彼女に声を掛けた。
「どこから来たの? 見た感じ、東京に住んでる訳じゃないのかなぁって……」
「おっしゃる通りっす……きな子の実家は、北海道の何もないような所で……家を出る時は、まだ雪で真っ白でした!」
「そうなんだ! でもそれも素敵!」
きな子が元々住んでいたのは北海道地方であると聞き、かのんと音羽は少し驚いた。自分達が持つ北海道のイメージとしては、面積が大きいだったり、食べ物が美味しいであったり寒さが厳しい等が挙げられるが、何より遠方という印象が強い。東京都等の関東地方から北海道まで訪れるとなればその為にかかる費用は普段利用することのある電車料金の比でないというのは言うまでもないだろう。そんな遠方の地域からこの結ヶ丘高校に入学を希望し、1人で上京してきた彼女は間違いなく行動力があり、相応の度胸もあると言える。北海道まで結ヶ丘の名が知れ渡り、実際に入学を希望する者が居た事実は、スクールアイドル部が知名度を上げていることに貢献出来た何よりの証左であると音羽は感じながら、自身にまつわる北海道の話題を口にする。
「北海道……たしか、僕のご先祖様が住んでたところだってお父さんが言ってた!」
「おとちゃんのご先祖様も……! どんな人だったんだろうね?」
「すごい音楽家だったとは聞いてるけど、詳しくはわかんないかな。ただ北海道に居たってことくらいしか……」
「へぇ〜。でも、すごい偶然だね!」
音羽の父である
「名前……きな子ちゃんっていうの?」
「はい!
「私、かのん。
「あっ、うん! 僕は音羽。
きな子は改めて2人に自身の名を名乗り、かのんと音羽もそれぞれ彼女に自己紹介を行った。改まって自分の名を伝えるのは若干の気恥ずかしさがあったが、きな子は真面目に双方の名前を覚え、軽く頭を下げる。
「よろしくお願いします!
「えっ!? ……かのん……
先輩と付けられた上で自分の名を呼ばれたかのんは頓狂な声を上げ、同時に吹いた風が彼女の髪をそっと揺らした。『先輩』。この学校に入学してから今までそのように呼ばれたことは1度も無かったが故に、その単語が脳内で何度もリピートされていった。
「はい! 先輩っ!」
「そっか~。私、先輩かぁ〜!」
「先輩……良い響きだよねっ!」
「そっかぁ~!! え~先輩? え~っ私がぁ〜〜?」
「はい! 先輩ですっ!」
先輩という単語は言われて心地良いものだと音羽も同意し、かのんは尚更自分が先輩だと呼ばれる存在になった事実に浮かれ始める。いつのまにかきな子と音羽を追い越し、かのんはハイテンションな様子で辺りをウロウロと歩き回る。きな子から再度かのんは先輩なのだと言われた彼女は最高潮にテンションが上がり、一気にきな子と距離を詰めた。
「あのっ……! もう1回……」
「はい?」
「もう1回……呼んでくれる?」
両手の人差し指を立て、満面の笑みでかのんはきな子にもう1度自分のことを先輩と呼んでもらえないか頼む。よく分からないが、特に断る理由はない為、きな子はかのんに言われるまま、彼女が所望している呼び名を口にする。
「かのん先輩!」
「もう1回!」
「かのん先輩っ!」
「あ〜〜もう1回っ!」
「かのん先輩! かのん先輩っ!」
求められるままにきな子はかのんの名を呼ぶと、彼女は身体をくねらせながら照れつつ、依然テンションの高さを維持して2人と目を合わせ、張り切った様子で2人に言葉を掛ける。
「……くぅ~っ! なんかむず痒いけど、良いよねその響きっ~! さぁ行こう! 先輩の家も案内しちゃうぞ~! レッツゴー! ねーっおとちゃん! あはははっ!」
「お、おーっ!」
音羽はかのんにテンションを合わせ、彼女と一緒に右腕を上げる。先程まではかのんに対して凄く頼りになる人だという印象を持っていたが、ここに来てその印象が一変。優しいことに間違いはないのだろうが、急にテンションが上がったり、奇声に近い声を上げて喜んだり等、きな子にとってかのんはよく分からない人物として映る。そんな彼女を見て、きな子は率直に思ったことを口にした。
「か、変わった人っすね……」
「僕もこんなにテンションが高いかのんちゃん、久しぶりに見たかも……でも楽しそうだから、良いんじゃないかな!」
「そうっすね……音羽先輩が良いなら、きな子もそれで良いと思いますっす!」
「ふふっ。ありがとう!」
きな子の隣に立っている音羽もかのんのテンションの移り変わりに流石に苦笑を溢していた。けれども彼は楽しそうに笑う彼女を見て、自身もまた朗らかな笑みを浮かべる。これだけを見ると、正直音羽の方が落ち着いていて頼り甲斐がありそうだなと、きな子は少しそう思ったのだった。
「お待たせしました!」
きな子を家まで送る途中、かのんは自身の実家である喫茶店に招き、席に座って待ってもらっていたきな子に暖かいカップを差し出した。パッションフラワーのハーブティーで、癖のないまろやかな風味で飲みやすく、リラックスするのに適した飲み物である。きな子はカップをそっと手に取ってひと口飲むと、どこか懐かしい香りと優しい甘さが広がり、和らいだ表情を見せた。
「なんとハイカラな……さっきのまかろんといい、これが東京……!」
「こちらは……新入生の方?」
「ふっ。私、
店の手伝いをしていたかのんの妹、ありあが小声で話しかけると、彼女はわざとらしく髪をふわりと浮かせながらきりっとした口調で自分が先輩になったのだとアピールすると、ありあは呆れた様子で眉間に皺を寄せる。
「えぇ……音羽さんの方がよっぽど先輩に見えるんだけど……」
「えぇっ!? ひどくない!?」
「あはは……でも、ありがとう。ありあちゃん!」
「いえっ! 音羽さんもゆっくりしていってくださいね!」
「うんっ! そうさせてもらうね!」
音羽の方が先輩のようだとありあからそう言われたかのんは即座にいつもの口調に戻り、不貞腐れたように口を尖らせる。そんな中、ありあは音羽に対しては普段通り礼儀正しく且つ明るい笑顔で接していた。音羽もにこりと笑って言葉を返すと、彼女は会釈してからその場を後にした。ありあが居なくなってからかのんはきな子の方へ向き直り、話を本題へと移す。
「きな子ちゃん、飲み終わったら家まで送るよ!」
「すみません、何から何まで……」
「いいえ!」
「あ、桜小路さんのこと、『きなちゃん』って呼んでも良い? なんだか響きが良くて!」
「は、はい! もちろん良いっすよ!」
「やった……! ありがとうっ!」
「ふふっ。たしかにかわいいあだ名だね、きなちゃんって!」
「ねー!」
音羽は念の為あだ名で呼んで良いどうかをきな子に問うと、彼女は快くその名で呼ぶことを承諾した。彼は礼を言うと共にかのんとも言葉を交わし、柔和な笑みを見せていた。きな子は今日だけで何度も音羽が笑っているところを目にしているが、そのどれもが優しくて暖かい、見た者まで笑顔にしてしまいそうなくらい素敵な表情だと感じていた。明るくて安心感のある雰囲気だとも思い、きな子は自然と音羽の振る舞いや言葉に癒されていた。かのんと音羽が会話を終えたのを見計らい、きな子は先程屋上で皆が言っていた言葉について聞く為に口を動かした。
「あの……」
「ん? どうしたの? きな子ちゃん」
「さっきのスクール……ナントカというのは……?」
「『スクールアイドル』。学校でアイドル活動をする人達のことを、そう呼ぶんだ!」
「スクール……アイドル……」
かのんから改めて『スクールアイドル』という単語を聞き、きな子はそれを復唱する。彼女にとってはやはり聞き慣れない単語で、未だ発音にぎこちなさが残っている。
「うん! すっごく楽しくて、やりがいあるよ! ……って、私も始めてまだ1年しか経ってないんだけど……」
「そうなんすね……えっ、じゃあ……音羽先輩もスクールアイドルってことっすか!?」
「えっと、僕はスクールアイドルじゃないんだ。かのんちゃん達スクールアイドルを手助けする……『サポーター』って役割なんだ!」
「サポーター……なんか、かっこいいっす……!」
「皆をサポートしてる時のおとちゃん、すっごくかっこいいんだよ! いつも色んなところで助けてくれて、スクールアイドル部に絶対欠かせない人。それがおとちゃん!」
「かのんちゃんっ……ちょっと恥ずかしいよぉ……」
「えぇ〜? だって事実だもん!」
「うぅ……」
音羽自身はスクールアイドルではなく、スクールアイドルを助ける役割であるサポーターなのだときな子に明かす。それを補足するようにかのんが普段の音羽についてきな子に教え、音羽は恥ずかしそうに頬を赤らめ、両手で口元を覆う。女性のような可愛らしいその仕草にきな子は思わず見惚れてしまう。音羽はかのんに言われた言葉を脳内で整理したところ、よく考えたら自分はサポーターを始めてから経過した年月はかのんがスクールアイドルを始めてからの期間よりも短いという事に気付き、音羽は我に返って手を口元から離してぽつりと言葉にする。
「でも僕は皆と比べて部に入るのが遅かったから、サポーター始めてまだ1年も経ってないんだよね……」
「実はそうなんだよね……私もおとちゃんもスクールアイドル活動を始めたばかりで、まだ胸を張れる結果は残せてないんだ。……けど私は、スクールアイドルと出会って人生が変わった。『頑張ろう』って、前向きな気持ちになれたの!」
真剣な口調でかのんはきな子にそう伝えた。たしかに自分達はスクールアイドルに関わったり、自身も活動を始めた年数はまだ短いと言える。だが、それでも自信を持って言えるのは、スクールアイドルになって人生が大きく変化したということである。挫折を味わい、二度と音楽と関わらない道を選ぼうとした自分がスクールアイドルと出会い、また歌えるようになった。歌えることで自分の世界が更に広がっていき、今ではとても充実した日々を過ごせている。人生が大きく変わったのはかのんだけではなく、音羽もその1人であった。
「僕も、かのんちゃん達と出会ったから変われた。もし皆と出会えてなかったら、今も自分が嫌いなままだった。スクールアイドルの力になって、今度こそ『ラブライブ!』っていう大きな大会で優勝する。それが……僕の夢なんだ。その為にも、できることを全力で頑張りたいって、そう思ってる」
「はぁ……」
きな子は2人の言葉を聞いて、納得はすれど、何と言葉を返せば良いかすぐには浮かばなかった。無責任に賛同するのは憚られるし、正直スクールアイドルというのは自分とはあまりに無縁な存在で、それに関する知識が欠片もないが為に自分が先輩達に向かってそのことについて詳しく話を聞いたり、『自分もやりたい』等と言うつもりにはなれなかった。自分達の話にあまりピンと来ていない様子のきな子に、かのんは1度自分達が活動している姿を見てもらった方が早いと思い、口を開けたまま黙っていた彼女に明るく声を掛ける。
「興味があったら、部室に来てよ!」
「もちろん無理にとは言わないけど……僕達はいつでも、きなちゃんを待ってるよ!」
「は、はい! もしその時はまた、お邪魔するっす!」
「うん! いつでもおいで!」
かのんと音羽から優しく部室に来る事を勧められ、きな子は機会があれば行かせてもらう旨を伝える。それを聞いたかのんは安心したように笑って頷く。スクールアイドルについては何も知らないが、『人生が変わった』とまで言い切るそれは、きっと素晴らしい活動なんだというのは理解出来た。きな子は家に到着してからスクールアイドルのことを調べてみようと決めた後、もう1つ気になった点があった為、単刀直入に聞いてみることにした。
「あ……それと、もう1個聞いても良いっすか?」
「良いよ! なんでも聞いて!」
かのんが何でも聞いて良いと言った為、きな子は恐る恐るではあるが、気になったことを言語化する。
「えっと……つかぬことをお聞きするっすけど……かのん先輩と音羽先輩って、その……
「「……え?」」
一瞬、両者の頭が真っ白になった。
「い、言いたくなかったら大丈夫っすけど……すごく仲が良さそうに見えるっすし、距離も近かったので……」
あまりにも無邪気で、尚且つ直球過ぎるその質問に、かのんと音羽は動揺を隠せず、かのんは慌ててきな子に言葉を返す。
「わっ、私とおとちゃんがつっ……つつつ付き合ってる!? そ、そんなふうに見えたんだぁ〜!? やっ、あのね? そう思ってくれたのは嬉し……いやすごい嬉しいんだけどっ……! その、なんていうのかなー……あのーっ……」
「か、かのんちゃんとはそういう関係じゃないよ! 全然、違うよっ!!」
「え……?」
早口で捲し立てるように喋るかのんの隣で、音羽は自分と彼女はきな子が思うような関係ではないことをはっきりと伝えた。それを聞いた瞬間、かのんは唖然とした様子で音羽の方を見る。
「た、たしかにかのんちゃんと僕は仲良しだと思ってるし、かのんちゃんが良ければこれからも仲良くしたいなって思ってるけど……その……つっ、付き合ったりとか……そういうのじゃないんだ! むしろ、そんなの嫌だろうし……えっと……と、とにかく! 僕達はきなちゃんが思ってるような関係ではないよっ! 勘違いさせちゃったなら、ごめんね……」
「そ、そうだったんすね……ごめんなさい! 変なこと聞いてしまって……」
「ううん! 全然気にしないで! きなちゃんがそう思ってくれたなら、僕達が仲良しに見えたってことだし……良いことじゃないかな! そっ、そうだよね? かのんちゃん!」
「……そうだね」
失礼なことを聞いてしまったと感じて頭を下げるきな子に音羽は気にしないよう伝え、きな子にとって自分達の仲が良いように見えていたのならそれは良いことではないかと音羽が隣に居るかのんに聞いて返ってきたのは、先程までの動揺や慌てぶりが全て嘘だったのではないかと思えるくらいの、かのんの低い声だった。
「……? か、かのんちゃん?」
「きな子ちゃん、そろそろ行こっか! 家まで送るから! さっ、おとちゃんも行こう?」
かのんは俯いていた顔を上げてスッと立ち上がり、笑顔で2人に家から出てきな子を家まで送りに行こうと提案する。あまりの態度と表情の変わりように音羽は呆気に取られ、きな子とかのん両名に目線を移しながら自分も席から立ち上がった。
「えっ……あ、かのんちゃん……きなちゃん、まだここでゆっくりしたいんじゃな……」
「きな子ちゃんもう飲み終わってるし、良いんじゃないかな? 行こうよおとちゃん」
「そ、そう……だけど……かのんちゃん、あのっ……ごめんなさ……」
「行こっか! おとちゃん、きな子ちゃん!」
「は、はいっす!」
「あっ……! か、かのんちゃん! ちょっとまっ……待ってぇぇぇぇっ!」
かのんは笑顔のまま音羽に喋る時間を与えずに強めの語気で外に出るように促すと、きな子も急いで立ち上がりながらリュックを背負い、キャリーバッグの持ち手を掴んだ。いつでも出られるように準備を整えた彼女を見たかのんは足早に家を出ようとし、音羽は大急ぎで追い掛ける。言葉こそいつも通りであったが、かのんは内心でふつふつと怒りが込み上げていた。かのんも音羽と同様に、音羽とはとても仲が良く、もう既に親友の域に達しているとも思っていた。故にこそきな子から仲が良いという風に見られていたのは素直に嬉しかったし、喜ぶべき事柄であった。しかし、単にきな子の勘違いだとはいえ、自身と音羽が恋愛関係なのではないかと聞かれた際に、音羽は即座にそれを否定した。呆気ないという言葉が適切な程に、あっさりと。
たしかに音羽の言うことが正しい。自分と音羽はそのような関係ではない。普通ならきな子にそれは勘違いだとやんわりと否定し、笑って済ませられるところだったのだが、今回はそうは行かず、かのんは自身の胸に抱いている気持ちに疑問を抱く。自分でも不思議に思うくらい、怒りの感情が渦巻いたのだ。音羽の言っていることは事実で、何も間違い等無く正しい筈なのに。
あんなにもあっさりと付き合っていないと否定されて、物凄く腹が立っている自分がそこに居た。何故こんなにも腹が立つのか、よく考えればすぐに答えは出るのだが、かのんは今はそのことを考えないようにそれを頭の隅へと追いやった。きな子はかのんが怒っていたことも、その理由も薄々察しは付いたのだが、本人の名誉の為に一切それについて触れないように口を噤み、きな子も音羽に続いてダッシュでかのんの後を追うのだった。