何かが砕ける音がした。世界が流転しひっくり返った。
弾けて舞う土と芝。うねり狂うコーナー柵。真っ白な空。眩しすぎる太陽。観客一杯のスタンド。聳え立つ黒いターフビジョン。目まぐるしく移り変わる景色が、スローモーションのように視界を流れていく。
身体じゅうが痛い。時速六〇キロ以上から転倒した衝撃で、全身に無数の傷が入る。それはこの世界に身を置く以上、はなから覚悟していた痛みだった。決して初めて味わう痛苦ではない。
しかしここまで共に走ってきた『おまえ』にとってこれは――。
全身を打った衝撃で曖昧となった意識の中、会場の騒然とした雰囲気が伝わってくる。悲鳴や絶叫の声が幾つも聞こえてくる。
何が起こったのかは認識していた。落馬だ。第三コーナーで騎乗馬が転倒し、ターフ上に身を投げ出されたのだ。
係員や関係者たちが集まってきた。仰向けになったままの顔を覗き込んで口々に大丈夫か、どこが痛むか、などと訊いてくる。返事は出来そうにない。喉は引き攣ったように動かず、空いたままの口は過呼吸でも起こしたように息を継ぐだけしか出来ない。
それよりあいつは大丈夫なのか。気掛かりなのは自分の身体以上に、ここまで共に走り抜いてきた同胞の安否だった。
激痛を堪えながらやっとの思いで首をもたげ、すぐ横をかぶり見る。周囲に集まった係員達の足の合間から見えた。数メートル離れた場所でも同じように係員達が参集していて、その輪の中には土煙にまみれた漆黒の馬体が横たえている。
どうか無事であれと心中で祈ったのも一瞬だった。輪になって立つ者達の諦観の表情からすぐに察した。助からないのだと。
駄目だ、まだ逝くな。
不意にこれまでのことが脳裏に蘇ってきて、狂おしい程に胸を詰まらせる。
今までずっと数々の誹りを受け、辛酸を舐めてきた。身悶えする程の雌伏の時を共に過ごしてきた。それが今日ようやく報われる筈だった。どれだけ望んでも得られなかったものを、手に入れられる絶好の機会が巡ってきたというのに、何故こんなことになったのだろう。
この日のレースに向けた関係者達からの鼓吹の言葉が心中を掠める。もう悪役などと言わせない、今度こそあいつをヒーローにしてやってくれ――。それがあいつを支えてきた多くの者達の総意だった。
彼らも、そして自分も、『おまえ』に夢を見ていた。その夢を乗せて、この淀の舞台を駆け抜ける筈だった。しかし悲願が果たされることはもう、ない。
『おまえ』はその小さな馬体で、ただひたむきに走り続けてきた。見る者に歓喜を与えようと頑張ってきたのだ。その報いが、これなのか。あんまりだ、あまりにも救いが無い。運命とは斯くも残酷なものだというのか……。
漆黒の馬体を診ていた白衣の獣医が二、三度首を振り、観念した面持ちで医療器具を取り出した。筋弛緩剤の充填された注射器。それが意味するところは明白だった。
予後不良。
待ってくれ。まだそいつにはやり残したことがある。命を奪わないでくれ――。
その叫びが届くことはなかった。負傷した身体には最早その余力さえ残されておらず、掠れ声にもならなかった。深い失意と絶望に呑まれるように、視界は急速に闇に塗り潰され薄れていく。次に目が覚めるのは、全てが終わった後だった。
絶えることのない喧騒が続く中、抑揚のないアナウンスが場内に虚しく響く。
『お知らせします。只今のレースで、十六番・ライスシャワー号は、他の馬に関係なく故障を発症し、競走を中止したものであります』
その日、京都競馬場にて一つの事件が起きた。ある競走馬のレース中の転倒、故障による安楽死措置。それは『淀の悲劇』と呼ばれ、競馬界とそれに関わる人々に深い傷を残していった。
時に、一九九五年六月四日。第三十六回宝塚記念での出来事である。