「な〜んで大樹ちゃん連れてきたのかなって思ってたけど、いや結果的には大樹ちゃんの説得がノーネームちゃんの心に響いたのかもしんないけど? でも千空ちゃんの合理主義からいうと、理由絶対これだよね」
「なんのことだ〜?」
そっぽを向いて口笛を吹く露骨な千空を、私は横目でちらりと確認した。
「ああ、任せてくれ! 俺の取り柄は体力だけだ!」
今現在、私は大樹に抱えられていた。
気球はすでに積載量を超えており、私も共に乗って科学王国に向かう、というわけにはいかない。
だから陸路を行く。
方角さえ教えてもらえれば辿り着けるだろうと、私は歩く気でいたのだが——いつの間にやら、大樹にいわゆるお姫様抱っこという形で抱えられていたのである。
しかも背中にはアンテナの刺さった箱を背負い、かつ「勝手に家から持ってきてしまってすまない! とりあえず持てそうな分だけ持ったぞ!」と私の家の中にあった幾らかの荷物も提げていた。
……なんだか単純計算でも1tは超えていそうな重量を持っている気がするのだが。
「本当に大丈夫か、大樹。別段大切な荷物はないので、全て置いて行ってもらって構わないのだが」
「任せてくれ! あとでノーネームさんが飼っていたヤギも往復して連れてこよう!」
「……本気で言っているんだな? 彼は?」
「うん」「だろうな」「たりめーだろ」
完全に一致した返事を得てしまった。
「大樹、ヤギを飼うには見ての通りかなり高い柵が必要でね。跳躍力があるので低いと逃げ出してしまうんだ。飼える場所を整えるには手間と材料と土地がいるし、その柵を用意している間にこちらのヤギが飢えてしまうかもしれない。だから、今この場で逃がしてやってほしい」
「そうか! 手間と材料は俺がなんとかするし土地は余っている! ヤギの柵は俺が建てよう! 明日までには作ってヤギをみんな移せるだろう!」
「本気……」
「うん」「だろうな」「たりめーだろ」
完全に一致した返事を食い気味で得てしまった。
「はっ! 明日でもヤギは飢えてしまうだろうか!? ならもっと早く頑張るぞ!」
「親切にしてくれてありがとう。1日や2日程度、放っておいてもヤギは問題ないよ。ヤギたちのことは家族のように思っていたから、できると言うのならば甘えさせていただくこととする」
そして大樹は全部本当にやってのけた。
というか、あの背中に背負っていたアンテナが刺さったものが、まさかと思いつつ通信機器だったことに一番驚いたかもしれない。電波まですでにあるのか、ここ……。
で、あるならば、私の主戦場はそこそこ多いのかもしれない。
「日本には才能を持った子がたくさんいるね。ちょっと怖くなるくらいだった」
「あはは、大樹くんはその辺すごいですもんね……」
司帝国にいた頃、大樹とよく一緒にいた少女。
名を杠といい、裁縫を担当していたということは把握していた。
それから気球を作るのに、十分な量の布の生産体制が整っていることも推測できていたので、私は彼女に頼みたいことがあってやってきたのだ。
「はい、できましたよ。色違いとデザイン違いと予備で30枚!」
「期待以上の働きをありがとう、杠殿」
彼女も
手芸にとびきり長けている。きっとあの気球の球皮部分も彼女が作ったのだろう。
まさかこれほど一瞬で作り上げてしまうとは。
「これで感染リスクが、ほんの少しくらいは抑えられるだろう」
「そういうことじゃないんだよね、そういうことじゃ」
私が杠に頼んだのは、布マスクの制作だ。
病は治ると確約してもらったが、治りきる前に誰かにうつすのは困る。
「やはり肺炎とわかっている新参がその辺をうろうろするのは体裁が悪いか? ならば暗躍することとするが」
「うん、だからそういうことじゃないんだよね、そういうことじゃ」
重ねてゲンから否定されてしまった。
「来て早々働きすぎじゃない!?」
「そうか? 起きた直後のフランソワも、そんな感じだったろう」
共に作業をしていた龍水が口を出してくる。
フランソワならば、石から戻った瞬間からあの調子だったことは想像に容易だ。
「……だったけど! それはそっちもおかしいからね!」
働きすぎ。言われて不思議に思う。
「いや、今の私は自分の体調と感染リスクを鑑みて、かなり作業量を少なくしている。全く働きすぎなどではないよ。それこそ本来ならフランソワの補助もしたいのだが、皆が口にする食品に近づくのは現状一番避けたいのでね」
「今やってる龍水の1/48スケール大型機帆船の模型製作の補助、聞いてる側は全然わかんない千空との複雑な科学会議をしょっちゅう挟みつつ、カセキとクロムと一緒に工業レベルを上げるための設計・試作にも関わって、そんでもって何より——」
「何より?」
「戦闘員に稽古つけてるでしょ!? ダメだろそれ、一番やっちゃダメなやつ!」
「はっはー! 俺は模型作りに忙しいので、ノーネームが他に何をしているかまで把握していなかったな。それほど
「体内にある毒は肺炎球菌だけだよ」
「しゃらくさいな!」
ゲンに怒られてしまったので肩をすくめる。
「しかし現代の戦闘技術を知っているのは今、私の他にさほどいなかろう。司帝国のメンバーにはそれなりにいるが、しかし彼らは皆ものを教えるのを不得手としているようなのでね。先生役をやれそうな人物を数えていくとして、司は冷凍庫の中、氷月とほむら殿は檻の中。羽京がメインとする弓の適正者はそも少なく、他には柔道の仁姫殿と陽——」
「陽ちゃんも人にものを教える適性がないからね、抜こう」
「ならば片手で数えられる。戦力の底上げは急務だ、これから海に出ようと言うのなら」
「そもそもノーネームちゃんが使える戦闘技術ってなに?」
「色々だ、全てあげていくと時間がかかるので割愛させて頂こう。どれも達人級ではないが概要を人に教えられる程度には触れているので、適性を見て個々に教えている。サバットと宝蔵院流槍術は割にウケがいいね。金狼には今度楊心流薙刀術を仕込もうかと」
「うーわ、なんでもできる超人なの? スパイってみんなそう?」
「いや、スパイもただの人間だ。現に」
げほ、といくらか水っぽく咳き込んだ——マスクに内側から、血の染みが広がっていく。
「こうして赤い血も流れている」
「わざわざ出してみせなくていいよ!?!?!?!?!?!?」
「わざわざじゃない、たまたま出たんだ」
「わかってるよ!? わかってるけどそんな感じの言葉選びするのやめてよ!?」
「そうか。いきなり喀血したらただ心配させるかと思い、冗談風にしてみたんだが」
「なってないなってない、冗談じゃないよね」
「ノーネーム!」
龍水に叫ばれたので、動かしていた手を止める。
もう少しだけキリのいいところまでやってしまいたかったのだが、約束は約束だ。
体調が悪化した場合、即時帰宅。
「ゲン、きちんと寝床まで送り届けろ。彼女は明日も必要だ」
「わかったよ、も〜……いい? せめて今日はちゃんと寝てよね?」
「このあとカセキが試作した旋盤の調子を確かめに行く約束をしてしまったのだが」
「はいはいはいはい言っとくから言っとくから」
働きすぎというのであれば、ゲンに言われたくはないな。
人間関係の帳尻合わせを、この150人の王国の中、たったひとりでやっているのだから。
「君のことも手伝いたいのだが、今の口ぶりからすると拒否されそうだね」
「よくわかってるじゃん、俺の仕事増やしたくないならもうちーっとだけ大人しくしてて欲しいかな?」
私はほんの少しの間だけマスクを下げ、微笑んだ。
「お仕事、お疲れ様」
「労りの気持ちだけ〜! 受け取るけど〜!」
しかし、私のことを怒るのはゲンだけではなかった。
ほんの数分銀狼と打ち合いをしたところ、怒り心頭といった様子でコハクが乗り込んできたのだ。
「ノーネーム、君はもっと大人しくすべきだ! まだ病が治っていないというのに、それほどまでに激しく運動をしてはいけない。そうだ、肺炎には体を暖かくするのが良いと千空が言っていた。温泉を探してこよう!」
「探して見つけたとて、入りに行くために歩いたらそちらの方が疲れてしまうよ」
「私が抱えていこう。それか、温泉の水をこちらに運んでくる! 任せてくれ!」
「どうしてそこまでしてくれるんだい? いいや、君が親切で優しい人間であることを疑っているわけではないんだ。しかし、いささか奇妙に、力が入りすぎているような気がするのだけれど」
「そ、そそそうか!? 私はいつも通りだ、とにかく君は安静にするんだぞ!」
「……ふむ?」
動揺した口振りで、瞬く間にコハクが走り去っていってしまったのがついさっきだ。
ちなみに銀狼は、コハクが私の名前を最初に呼んだ時点でそそくさとその場から逃げ去った。
それを思い出しながら、旋盤の調整をしているクロムに話しかける。
「どう思う? 私は脈アリかな」
「えっ!? アンタ、コハクみたいなのでもイケんの!?」
「『みたいな』、そして『でも』、というのが何を指すのかわかりかねるが、私はあらゆる女性が好きだよ。特別コハク殿は魅力的に見えるとも思うね。しかし今のはそういう意味ではなかった、わかりにくくてすまない。君から見て、彼女の挙動不審の理由はなんだと思う? まさか私に恋心を抱いているから、というわけではないんだろうね、と言いたかったんだ」
「いやあ、コハクにそんな情緒があるかどうか……ちげえと思うぜ。姉のルリと重ねてんだろ」
「ルリ。ああ、その名は大樹から一度聞いたな。サルファ剤をはじめに使われたと思しき人間。それはコハク殿の姉で、そしてその病は肺炎だったのか」
「ああ。血を吐くとこまで症状が進行してたのもアンタと一緒。かくいう俺もちょっと重ねちまう。いつルリが死んでもおかしくねえっていう、あの焦り。アンタ見てるとそれを思い出して、腹の底がムズムズして落ち着かねえんだよ」
「そうか。それは悪いことをした。コハク殿と、それからクロム、君にも」
「いや、いいんだけどよ……早く元気になってくれりゃ……」
サルファ剤を服用しているため、症状はみるみるうちに改善されていっている。
もう血を吐くことは滅多にない。まったく、とはまだ言い切れないが。
「詫びに作業を手伝おう。設計図の清書なら任せてくれ、元から経験があるしこちらの筆記用具にも慣れてきた」
「アンタ悪いと思ってねえだろ!?」
思っているから手伝おうと思ったのだが。
設計図の方に手を出そうとしたらクロムが胸元に抱え込んで見せてくれなかったので、次の案を出す。
「それとも採鉱の方が手が足りないだろうか。私は構わないが、しかしそれでは安静にしていてほしいという君たちの気持ちを無下にするかと……」
「大人しく寝てろっつってんだよー!!!!!」
クロムに体を丸ごと頭上高々持ち上げられ、寝床に叩き込まれた私は、デスクワークが安静の範囲外ということを、その時初めて知った。