偽マフティーとなってしまった。   作:連邦士官

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ある男性の話

 

 私はかぼちゃの男がいるのを見ていた。今の私は誰でもない、そうだな5番目の男、チンクエ・サンク、いやフィフスとでも名乗っておこうか。

 

 この宇宙世紀は広大な砂漠であり、砂漠の中に重力釜たる地球という星があった。当初、人々は宇宙へと飛び立つことにより、地球を引力の呪縛から解き放ち、引力は祝福になるはずであった。月に浮かぶ首都から緑の故郷を見るのが楽しめ、環境を回復させて、回復させた重力が、人々を地球中心のある種の母権社会への回帰をもたらすはずだったのかも知れない。

 

 しかし、そうはならなかった。地球の引力に魂を引かれた人類は、対外的にはある種の特権と言いつつ、体のいい強制労働として地球から宇宙へと貧民たちを輸出し、搾取、支配した。支配とは普通は支配者が施すものであるが、地球連邦政府はあのラプラス憲章でおかしくなったのかもしれない。

 

 ラプラスの箱の中身は呪詛となった。それは地球連邦政府を蝕み、既得権益の確保のためだった暗殺も最早意味はなかった。建国の理念と思想を失った国家は母と父がいない孤児のようだ。それにたかる大人たち。それが実際の地球だったのだ。

 

 コロニーは我々を育むようで実質的には檻だった。テレビに流れる地球への哀愁の風景。人々は歪むのだ。地球への回帰を求め、漆黒の冷たい海たる宇宙を見る。青く太陽の光がある砂浜等を求めながら。

 

 空の上にあった宇宙は当初の希望の大地を失い、単なる、人間をコロニーという牧場で養殖する施設になったのだ。人間牧場であるコロニーは、定期的に出稼ぎという形で木星などの過酷な資源地帯に人間を出荷する、家畜の供給源に成り果ててしまった。宇宙に住まうのを希望としていたが、その希望が絶望に変わるさなかに現れたのが、ジオン・ズム・ダイクンであった。

 

 ジオン・ズム・ダイクンの理想家と夢想家の側面が現れたのがニュータイプ論、宇宙に適応した人類の進化である。進化という過程で、人類の革新をもたらすような広大な視野を持つ人材が生まれると言うことだ。

 

 流星群がごとく様々な人物が宇宙世紀に現れては消えた。

 

 地球連邦軍のタカ派の筆頭がヨハン・イブラヒム・レビルであるのは間違いがない。高速艦隊戦に終始し、ザビ・ジオン軍の射程外からの砲撃にしておけば勝てたかもしれないが、そうなるとルウムが取られる。ルウムというのは一年戦争においては地球への橋頭堡であり、サイド3に対しての橋頭堡でもある。両軍が譲れない地点であった。

 

 ザビ・ジオン軍の主力とされた戦闘機ガトルは、セイバーフィッシュには速度で劣るが優れた航続距離と積載量を誇り、宇宙に生きるものの知恵が詰まっていた。戦闘爆撃機がガトルであり、セイバーフィッシュは戦闘機だから、区分は別なのだ。

 

 そしてルウムに大蛇ヨルムンガンドが火を吹く頃には、ザビ・ジオン軍の作り出したMSザクが投入され、核バズーカによる圧倒的な優位に立ち、レビルは捕虜に、ロドニー・カニンガン准将が戦死。残存戦力はサイド3を制圧するに足りず、ティアンムによる艦隊救援と殿によって辛くも大敗で済んだのだ。

 

 その辛勝こそがギレンの優性人類生存説を補強したのだ。

 

 もうそうなってしまえば終わるものはないさ。

 

 そこから時代は経て様々な作戦があったが、地球連邦政府はすべてをテロリズムと仮定しており、すべて地球連邦市民が起こしたと定義をしている。非対称戦争だというが、果たしてそうだろうか?

 

水天の涙やら0083のグリプス戦役の前哨戦、後にサイド共栄圏を可能にするコロニー落としをしたエギーユ・デラーズ。やつに対抗したのは地球連邦軍主流派になりつつあったグリーン・ワイアットだ。これらが死に、生まれたのがティターンズ。

 

 ティターンズの目的は単純である。地球の浄化である。そのために地球生まれのエリートを地球から宇宙へと上げ、宇宙軍とした。

 

 当初の地球連邦政府がやろうとした、宇宙に首都を置こうとした計画。利権構造を母なる地球から移動させ、それによって地球の地力を回復させようとしたのだ。インテリが好きそうな政策は確かにパプテマス・シロッコの胸を打った。しかしながら、全員が理解できるわけではなく、バスクを始めとする俗物は権力を盾に宇宙に復讐を始めたのだ。バスクの野蛮性を責めるのはお門違いで、何かを性急に成すのならばバスクの野蛮性は必要であり、その中で地球至上主義から貴族主義を生み出そうとしたのがジャミトフ・ハイマンの信念だったのであろう。

 

 それに対する形で地球連邦軍からクーデター兵のエゥーゴが生まれ、軍事を知らないスポンサーからあんなにも無理難題を言われ、ジャブローの核が起動した。

 

 ジャブローの放棄こそがティターンズが地球至上主義からの脱却、地球回復を訴えていた証なのだ。そうでないのならば地球至上主義の権威たるジャブローや、一年戦争の英雄であるブライトをあぁも扱うだろうか?

 

 ブレックス・フォーラが目指した社会も月中心の宇宙社会であり、皮肉なことに宇宙社会への改革主流派同士が戦ったのがグリプス戦役なのだ。

 

 そしてカミーユという希望を持ってもサングラスの道化を演じていたクワトロという男は、その希望であるカミーユが引力に魂を惹かれた俗物に崩壊されて、地球に最早諦めをつけ、武力による解決を考えるに至るのだ。アムロが改革する社会があればそれで良かった。だがあのアムロは、シャア・アズナブルに、クワトロ・バジーナに、キャスバル・レム・ダイクンの役割を求めた。

 

 クワトロ・バジーナという男は最早老人であり、社会を作るのは老人ではない。アムロとカミーユがつくるニュータイプたる社会を求めていた。そのためになら道化にでもなってやったのだろう。だが、そうはならなかった。

 

 残されたのは崩壊したカミーユとニュータイプたる強い子ジュドー・アーシタ、そしてアムロだ。

 

 もし、もしだが。アムロとジュドーが新たな社会を作るのであればよかったが、そうはならずに、ニューディサイズやその他の反乱、強化人間製造は止まらずに、ニュータイプという存在は戦闘に特化した空間把握能力を持つ存在にまで地に落ち、ジオン・ズム・ダイクンの理想は腐り果てた。それではザビ家と何も変わらない。ハマーンが引き起こした余計なことが忌まわしきアクシズと重なり、ここまでの腐敗を腐敗足らしめたのだ。所詮、女に過ぎなかったのだ。シャア・アズナブルに父を求めるなどとは!父なきシャア・アズナブルなどはシャア・アズナブルになれない。

 

 それに父はシャア・アズナブルにはいなかった。なのにあの女はシャア・アズナブルに父を求める始末。クェス・パラヤと何が変わらないのだろうか。強いニュータイプなら何でも良かったのだろう。

 

 強いニュータイプに父を求めるとは情けのないやつなのだ。クワトロ・バジーナやシャア・アズナブルはハマーンの父では無いが、父が欲しかったとするならばシャアに求めるべきではないのだ。シャア・アズナブルも自分の親を探していた。自分の帰るべき場所もだ。魂の乾きというやつだ。しかし、それらを無視して無条件にシャアに父を求めるとはなんの意味があるのだろうか?アクシズという暗黒に浮かぶゆりかごの中で政治で遊んでればよい。シャア・アズナブルはジオン・ズム・ダイクンの息子としての役割を果たせはしない。

 

 シャアがシャアとして死ぬ。シャアがキャスバルとして死ぬよりも大事な点であると私は思う。シャアをなぜシャアとして生きる道を閉じさせて、キャスバル、キャスバル・レム・ダイクンとしての道を歩ませたんだろうか?キャスバルにはキャスバルの死に様があるとするならば、私はシャアがシャアとなる責任は人々が父ジオンをシャアに求めすぎた結果であり、シャアが絶望する切っ掛けを作ったのは宇宙世紀の人間たちである。

 

 シャアがアクシズをあぁしたのも、人々の意志の決定が、彼らが望んだ結果なのだ。

 

 ならばそれが温かな方向に行けばシャアもキャスバルもあぁ成れたのだろうか?いや、よそう。過去は変えられない。未来を作り変えるのは老人ではなく若者の特権だ。

 

 人に望まれてシャア・アズナブルとして反乱を起こし、道化になったキャスバル。そして、絶望が渦巻く宇宙世紀で世捨て人が道化となり、世界を変えたミハイル。

 

 人は全知全能ではないのだとしたら、その結果の違いは原動力の違いだ。キャスバルはニュータイプの力を持った、感性がオールドタイプの古い地球人。かたやミハイルはオールドタイプの力だが、ニュータイプの感性を持った新しい時代を作る若者だった。

 

 同じように反乱分子として粛清される対象だったがその結果の差は、豊かな生活をしてきた宇宙人のスペースノイドたるキャスバルと、豊かな地球に生まれたが虐げられてきた地球人たるアースノイドの違いだ。

 

 地球に渦巻く怨念はスペースノイドのものばかりと思ってきたが、それはスペースノイドの穿った考えであり、地球を羨む被害者意識の結晶に過ぎず、その被害者意識が加害者意識を作り出す。

 

 つまりは地球に渦巻く引力に引かれた人類の意識にキャスバルとアムロまで組み込まれ、宇宙世紀人が地球やコロニーを神聖視しすぎた為に生まれたこれらが地球を縛り付け、コロニーにも怨念をもたらしたのなら、フル・フロンタルやゾルタン・アッカネンを作り出し、ニュータイプゆえの傲慢さを見せつけたリタ・ベルナルも、全ては人類の罪だ!それを残して逃げるなどとはアムロ、これはお前の仕事のはずだ!キャスバルは妻さえ作れない男だ!

 

 お前ほどの男がアムロ、なんと情けない!お前ならできたはずだ!そうでなければ私は‥‥いや、よそう。これも全てはクェス・パラヤを戦闘マシーンにして世直しから逃げて道化になったキャスバルの罪であり、アムロは関係ない。

 

 だが同じ立場にありながらそうして父親などを求められたミハイルは、ブライトの息子、ハサウェイを導いた。

 

 誰かに導いてもらえなかったシャア・アズナブルという男はミハイルよりも駄目なのかもしれない。人に求められるほどシャアという男が大人ではないのさ。誰かを導けたのならあぁも道化をダカールで、スウィートウォーターでもやらなくて良かった。私は大人になれなかったのだ。だとしてもだ。

 

 あそこまですべての責任をシャア・アズナブルに押し付けるのはいかがなものだろうか?アムロやブライトなどが内部から変えて見せなかったのもいけないのではないだろうか?愚民どもに叡智を授けられなかった結果がこうもなってしまったのか?  

 

 なぜシャア・アズナブルだけあんなに言われなければならないというのだ!なぜクワトロ・バジーナとなってまで連邦を見極めて消えていって、アクシズに潜入してアルテイシアにミネバ様を預けた一連の動作まで批判されないとならない?私は若者が歴史を作ると言ったはずだ。年寄りたる前時代のジオン・ズム・ダイクンの遺児などはその世界では邪魔なはずで、時代のためには必要な犠牲のはずだ。

 

 あそこで地球連邦の実態を見てまで内部から私が改革できるわけはない。ブレックス・フォーラでは、シャア・アズナブルはない。ならば、いやきっとアムロならできるかも知れないが、シャアは弱い男だ。強さなどを求められてハマーンに迫られたときも、私は別の女性と良い仲になって、ニュータイプたるハマーンをクェス・パラヤのごとく戦うマシーンに変えてしまい、それが妊娠した恋人が死ぬという結末を招いたのだ。

 

 恋人すら何度も守れない。レコアにすら捨てられて、女性との一夜はまだしも、定着した母港のような女性に私は会えていない。やはり私は女性に夢を見過ぎなのか?ララァ、答えてはくれまいな。いや、ハマーンで懲りずに年長者の男を果たせず、ハマーンから始まり、レコア、クェス・パラヤを戦わせてしまい、更にはカミーユまで戦う機械にしてあのようなことに。

 

 もし私がもっと早くミハイルの言うような、ジュドー・アーシタのような強い子に会えたのなら或いは。いや、私自体が強くなり、シャア・アズナブルでもキャスバル・レム・ダイクンでもジオン・ズム・ダイクンの遺児でもなく、エドワゥとして歩んでいれば違ったのだろうか?しかし、過ぎ去った時は戻りはしない。

 

 が、ニュータイプなら刻が見えるはずだ。この結果を刻が見えていた過去のリタ・ベルナルなどに見せることができれば、ニュータイプ全体に革新がもたらせていれば‥‥シャリア・ブル、お前が言っていたニュータイプがわかり会える日が来るのだろうか?だとすればそれはギレンでもレビルでもなく、ガルマとゴップが手を組んだ、新たな枠組みとしてのジオン共和国によって宇宙攻撃軍を降伏させ、それらによる亡命政権を作り、サイド共栄圏のやり方をしながらも地球圏における木星の援助などをする。

 

 悪意ではなく思いやりで互いを必要とする生活共同体、地球共栄圏として、首都はグラナダあたりにすれば変わったのかもしれない。

 

 私がこんなものになったのならばだが‥‥肉体の檻から離れたのなら、今こそ人々に呼びかけられるはずだ。ニュータイプの多次元的可能性に呼びかけて、すべての人類に優しさが降り注ぐ現実的な社会。これこそがミハイル、お前が求めていたことなのか?

 

 強い気配を木星や外宇宙から感じる。彼らの力を借りればできるのかもしれない。サイコフレーム、奇跡を何度も起こしたのなら私にも起こさせてくれ。ニュータイプの可能性とやらを見せてほしい。

 

 そうだよな、アムロ。貴様ならやったはずだからな。私もやってみるさ。





 宙を舞う、石を避け、サイコフレームが軋み上がる。意志の力を見せつけて、やがれそれは風になる。

 風は荒野を駆ける、人々に降り注ぐのだろうか?刻は見えるのだろうか?


 次回 機動戦士ガンダム フェネクスよ不死鳥よ刻を越えろ!

 未定です。

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