偉そうにしてくる奴が嫌いだった
媚びてくる奴が嫌いだった
走るのは好きだった
走らされるのは嫌いだった
勝つのが好きだった
負けるのは嫌いだった
痛いのは嫌いだった
苦しいのは嫌いだった
窮屈なのは嫌いだった
常識も嫌いだった
嫌いばかりだった。
彼女は天才だった。
自ら自覚もあった。
自分の認め得ない者に対し従うつもりは一切無かった。
実力に見合った以上のプライドを抱えていた。
他者に対して見切りを付けるのもまたその脚と同じくらい早かった。
彼女は他者に感情を左右される事を酷く嫌った。
常に明るいわけではなかったが、それでも上機嫌を維持するために宝探しをしたり、暇潰しに面白そうな資格に片っ端から取り組み、飽きてはネッシーを捕まえに出かける、とやりたい放題であった。
そんな彼女に首輪を付けたいと思うのもまた道理であった。
「スパイをやれって?」
彼女は酷く不機嫌であった。
やる事をやった上で好き勝手しているだけなのに突然自由を縛るような仕事を振られてそうならない方が不気味というものだ。
彼女の目の前に座す人物もそうなるであろうと理解はしていた。
「好きに振る舞いなさい。」
彼女はその言葉に虚を晒したが、すぐにその言葉の裏側を察した。
つまり、彼女の破天荒な行動には理由が付けにくい。
アドリブさえ通してのければ怪しまれにくい、隠れ蓑には都合が良い。
それはそれとして自分が利用されるのは癪に障るのもまた事実。
これを受けて知る必要の無い情報と“表“の立場が手に入る、ついでにこの家での立場もまた微妙に変わってくるだろう。
支援を受けながら関わる事が難しくなるというジレンマ。
孤軍奮闘、良いように利用され、最悪全部おっ被る形になるかも知れない。
だが、それがどうした。
この家から受けたものなど自由のない中での不自由ない生活とこの命くらいのものだ。
「私で良いのか、裏切るかも知れないぞ。」
「いいえ、貴方は裏切りません」
珍しくキッパリと言い放った目の前の存在に彼女はむっとして口の片方を上げる。
「貴方は他者を見下し、私を嫌悪すらしています、しかしそれは、貴方の隣に並びうる人材では無いから。」
「中央になら、それが居る?」
深い肯きに彼女は目を細めた。
彼女は晴れて自由────
とは行かなかった。
当然だ、学園は全員が寮での暮らしとなる、唯一の救いは一人部屋を宛がわれたという事か。
当然だ、聞かせるわけには行かない話もあるのだ。
念には念を入れて防音を仕込もうと彼女は張り切っていたが、そもそもウマ娘は聴覚が鋭い、防音設備など中央ともなれば標準設備である。
折角持ち込んだ道具が、と少しショックだったがまあ他にも改造の余地はある。
責任は全てあちらが持つのだから遠慮は要らない。
すっかりと改造され1階の部屋であることも利用しトンネルを掘り地下室を作った頃には学園の中でも屈指の奇人と覚えられるようになり、腹立たしい事にあちらの言う通りの展開となっている。
仕事は簡単。
学園の名が上がりそうな人物達の詳しい情報をあちらに丸投げするだけ。
それが何に使われるのか、何のためにこんな事をしているのかも知るところではない。
しかしその情報は当然彼女が所持しているわけで、全く同じように送りつけるわけでも無い。
ただ少し、ほんの少しの嘘を混ぜる。
その後、何が起こるかを確かめる為に各所で目を光らせる。
矢張り、スカウトの手は彼女たちに伸びる。
尻尾は掴めない。
誰かが私の情報を流しているのは確かだ、だがその誰かが分からない。
噂を流している奴がいる。
しかしそれが分からない。
気が付けば流れている情報、出所は不明。
かなりのやり手だ、情報戦では勝ちは見込めないだろう。
或いは、単独ではなく複数人で、それもバラバラに流しているとしたらそれこそ勝ち目は薄い。
監視そのものは続けるとして、情報操作などのアドバンテージを取るのは諦めるしかなかった。
彼女はリーダー気質では無かったが、一部の生徒からは時折頼られる事があった。
彼女は天才故にその多くを一問一答で返すことが出来た。
あくまでも多くである。
脚質や走りなんかは“勉強“の中で全て憶えていたので見れば何となくだが理解できたりもした。
問題は……思春期特有の悩みばかりである。
喧嘩した、仲直りしたい、でも素直になれない。
トレーナーと上手く行かない。
認められたい。
どれもこれも厄介だった。
時には貴方には分からないなんて逆上され、物を投げ付けられた事もある。
それでも彼女は歩み寄り続けた。
理由は分からない、知りたかったのかも知れない。
甘いだけだったのかも知れない。
拒絶が負けだと思ったのかも知れない。
怒りのままウマ乗りになられた事もある。
だがそれで真に傷付くのは彼女では無いと理解していたからこそ、彼女は歩み寄る事をやめず、抱き締める事をやめなかった。
暴力を振るったウマ娘は皆傷付き、引き籠もることも珍しくは無かった。
中には自ら命を絶とうとする者もいたし、理事長室に足を向ける者もいた。
彼女はその悉くを阻止した。
阻止して、それからどうするべきか分からないから頭陀袋に詰めて担いで、自分が好いと思った景色に連れて行った。
不思議とそうすると雨は止み、美しい虹がかかり、大雪の日は厚い雲から太陽の光が差し込んだ。
すると、憑きものが取れたように彼女達はまた走り始めた。
普段は変人、されど彼女を知る者程その口を閉ざし、彼女を慕った。
その情報をファイリングして、伸びる素質のある人物、根性のある者だけを選び今後の期待人材として奴らに情報を送り続けた。
自身を嘲ながら成功していく姿を何度も見送った。
勿論そうでない者も。
彼女も数年、そろそろ契約満了の時期が近づいてきた。
晴れて自由、何をしようと一生のサポートが得られる。
それを支えに頑張っていたというのに、彼女は思いの外この奇妙な学園生活を気に入っていた。
彼女は悩んだ。
悩んで悩んで、矢張り折り合いは付かなかった。
「それは、貴方が求めているからですよ。」
求めている?何を?
「貴方の隣に相応しいウマ娘をですよ。」
居なかったからこうなんじゃないのか?
「同じ目線に立った事がありますか?」
ふと、考える。
「先ずはそこからですよ。
時間はまだあります。」
彼女は何時もとは違う、ぼーっとした頭で部屋を後にした。
同じ目線とは、何だろう。
自分はそも彼女達とは全てが違う
そうであれと産み出された私
そうありたいと上を見る彼女達
愚かに裏切り続ける私
愚かに裏切られ続ける彼女達
惰性を引っ張って走る私
夢を見て走る彼女達
何もかもが違う。
私だけが、違う。
「……珍しい。」
「先輩じゃん、はっや……」
分からないから、兎に角走る。
少なくとも走って見える景色は同じ筈だ。
彼女達のように走れ。
「先輩……らしくないね。」
走るんだ。
全速力だ。
考えるな、感じるんだ。
「……飛ばしすぎじゃ……」
距離なんて関係ない。
限界まで、動けなくなるまで走れ
「あんなに苦しそうな先輩、初めて見た。」
その後私は文字通り限界まで走り続けて、保健室に担ぎ込まれた。
体には極度の負担がかかり、一週間の休養を言い渡された。
「……くそ……クソッ!」
天才だと、そう思ってたのに。
何一つ、何も、一切、分からなかった。
体がぶっ壊れるまで走って、走って、走って、何も掴めなかった。
あいつらの見てる物が、何一つ分からなかった。
あいつらの目線は、どこにある。
「私は、何なんだ。」
私は全てを教えられてきた
そんなはずは無かった。
知っているんだ、その筈だった。
でも知らなかったんだ。
こんなに悔しいなんて
こんなに苦しいなんて
こんなに、腹立たしいなんて。
ああ、苛立って苛立って、いっそ何もかも壊してしまいたい程だ。
ああ
ああ。
────そうだったのか。
彼女は天才だった。
失敗を、折れることを知らなかった。
だから彼女は他者を真に理解する事など無かった。
彼女は知った。
己への苛立ち
挫折
そして悔しさを。
彼女は天才だった。
だから分かった。
その痛みが必要なものだった。
その苦しみが必要なものだった。
その悲しみが必要なものだった。
彼女はそして知る。
それらを癒やせるのはただ一つ。
────勝利。
「……」
彼女は立っていた。
思えば自分は天才であれど莫迦そのものであった。
紙一重ならぬ紙零重である。
それでも、ああ。
自分はここまで来たのだ。
莫迦なりに走って走って、考えて考えて、時には心が折れそうになっても、ここまで来たのだ。
この最後のレースを走ったら、自分は旅に出る。
まだ自分は井の蛙に過ぎなかった
まだ、何も知らない赤子だった。
だから、知るために行くのだ。
だから、ここで自分の納得のいく走りをしなければならないのだ。
ラストラン、なんてつもりでは無いが、このレースは私の中でも特別な思い出になる。
勝ちも、負けも、関係が無い。
私は、私の走りをする。
見送ってきたあの人達も、こんな気持ちだったのだろうか。
だとしたら
なんて楽しくて
なんて美しくて
なんて哀しくて。
でも、行くよ。
私の背を追い掛ける奴らの為に
私を推す奴らの為に
何より私の為に。
ゲートは開かれた。
彼女の前には世界があった。
空も、大地も、風も、人も。
そこには何もかもがあった。
そして振り返れば道があった。
彼女の瞳には、全てがあった。