「あ~ん」
もぐもぐとたっぷり咀嚼してから飲み込む。
前に喉に詰まらせて大変なことになったからねえ。
「タキオン、随分食べるのが上手くなったな」
「私くらいの天才になれば造作もない、だろう?モルモットくん」
アグネスタキオン
5戦4勝
“到達者“
彼女の脚は砕け散った。
レース中、全速力の競り合いの最中、彼女は頭から地面にめり込み、その体を何度も地面に叩き付け、観客席へと突っ込んで漸く停止した。
後に、日本競バ最悪の事故の一つとして上げられる事になるその事故は、アグネスタキオンが敢えて体を地面に打ち付けることによって観客への被害を抑えたという事実が浮き彫りになる。
アグネスタキオン、音速の貴公子と呼ばれた彼女はすぐさま病院へと運び込まれ、とある天才の大手術によってなんとか一命を取り留めた。
その代償はあまりにも大きかったが。
「モルモットくん、トイレだ。」
「モルモットくん、飲み物を。」
「モルモットくん、体を起こしてくれ。」
彼女の肢体は永遠に役目を失った。
ウマ娘にとっては耐え難い地獄であろう、人としても。
それでもアグネスタキオンはちっとも絶望した様子は見せない。
事故の後に目覚めた第一声が「ふむ、流石に死んだと思ったが」という一言である。
親しい何人かが病院に訪れると何事も無かったかのように笑い、私にはモルモットくんがいるからね、生活に支障は無いよ、なんて言ってのける始末だ。
その彼はトレーナーとしての信用を世間から失った。
ふざけるな、と憤るのはURAと彼と親交があった者達だけだ。
世間や知らぬ者達からはウマ娘を壊した愚か者だの、トレーナー失格だのと彼を罵る言葉は無数に溢れている。
けれども、もしその通りなら、彼はアグネスタキオンから離れていった筈だ。
こうして未だに中央に席を置き続ける事が許されている事も、病院で未だにアグネスタキオンの世話をしながら彼女と研究を続行している事も、ただそれだけが事実だ。
“可能性の向こう側へ“
そんな、あるかも分からないあやふやな何かを捜して藻搔いている二人。
だが、二人の目には確かにそれがあると確信していたようだった。
ファンだというウマ娘。
会ってみないかというトレーナーの提案にアグネスタキオンは二つ返事でOKを返した。
「し、失礼します!入ります!」
病室に訪れたそのウマ娘を見た瞬間にアグネスタキオンは目を見開き、トレーナーはその手に持っていた書類を地面にぶちまけた。
運命を信じていなかったわけではない、だが二人にとって彼女との出会いは今生最も大きな衝撃であった。
「……あ、あの~……?」
「君、君の名前は……」
「あ、私の名前は────」
「えぇと、つまり私がタキオンさん達のサポートを受ける、という事ですか?それは~……その……勿論嬉しいのですが」
「断ってくれても構わない、と言うわけには行かなくなってね。
君の望むものはこちらで用意しよう、全てね。」
「え、えぇと……私、まだデビューもしてないウマ娘で……そのぉ~……今回もアグネスタキオンさんにお会いできたらな~~~なんて聞いてみたら知り合いのトレーナーさんからお話がいってしまってですね……ああいや!勿論!お会いできたことは光栄です!!」
「嬉しいことを言ってくれるね……こんな、もう終わってしまったような私に。」
「へ?」
「一人では、生きることもままならない、私がこうして研究を続けられるのも、モルモット君がいるからだ。
そんな私に会えて光栄だなんて、なんだか嬉し────」
「私は!!!」
ファンのウマ娘は一度唇を強く噛み締めた。
「私は、ウマ娘ちゃん達が大好きです、タキオンさんのことも、大好きです!何度も、何度も何度も見ました、凄く速くて、上手くて……あの事故の映像も……何度も……夢で魘されるくらい……見ました。
とても、とても辛かったです。
だから今日はどんな顔して会えば良いかわかんなくて……でも!タキオンさんは!アグネスタキオンというウマ娘は未だ何一つ諦めていないじゃないですか!!」
彼女は目に涙を浮かべ、泣き出さぬようにタキオンと目を合わせた。
「一人じゃ何も出来ないって、そんなの誰だって同じです!!タキオンさんはそれでも沢山の論文を出して!!しかもあらゆる情報の全てを公開してるじゃないですか!!トレセン学園の図書館にタキオンさんだけのコーナーがあるのはご存じですか!?どれだけのウマ娘ちゃんごそれを読みふけっているか!!
体が動かないからなんですか!貴方がどれだけウマ娘ちゃんを救い導いているか!!本当に分からないんですか!?」
「…………その……だね……」
「……はい?」
「……そこまで手放しに褒められるとだね……私も流石に照れる。」
「ハオッ!推しの照れ顔……きゅぅ……」
「!?ッどうしたんだい!?」
「えへへ~……しゅご……」
「トレーナーさん。」
彼女のトレーナーはいつになく真面目な────いっそ冷たさすら感じるその表情にただごとではないと多目的室へと手を引き、使用中の札をつけてから彼女と対面になるようにソファーに腰掛けた。
「こないだの推し活から何か悩んでいるとは察していた。
何があったんだい?」
「……私、これまで、ずっとウマ娘ちゃん達を傍で眺めたくて走ろうと思ってたんです。」
「うん。」
「今でもその想いはあります、誰よりも傍で、でも……」
「……でも?」
「……タキオンさんに、言われたんです、“君に私の夢を賭けたい“って。」
「……うん?あのアグネスタキオンに?」
「はい、正直恐れ多いというか分不相応というかなんで私?って気持ちも確かにあるんです。
でも、タキオンさんは私の目を見て、確かに言ったんです。」
“君は私の希望だ“
「……どうしたい?」
「へ?」
「君はどうしたいの?」
「……私は、私はタキオンさんの夢を背負えるとは到底思えません、あの人の走りには永遠に追い付ける気もしません。
でも、推しにそんな事言われて、黙って無理ですなんて、絶対に、口が裂けても言いたくありません。」
「じゃあ、やろうか。」
「……あの~、そんな簡単に決めちゃっていいんですか……?」
「知ってるだろ?
オタクは推しに弱いのさ。」
アグネスデジタル
“オールラウンダー“
「ふむふむ……悪くない、悪くないぞ、むしろ良い、かなり良い。」
「えへへ~……頑張っちゃいました……」
「デジタルくん、矢張り私には君しかいないな。」
「ピギュ。」
「デジタルくん?デジタルくん!?」
「タキオンさ~ん!見て下さい!洋芝走るコツ分かってきました!!」
「……君を見てると適性ってなんなのか考えさせられるよ。
変幻自在とはこのことだね。」
「それほどでも~~~……」
「ああ……君に出会えて本当に良かった……」
「プェビ。」
「デジタルくん?デジタルくん!?」
「本当に勝てるようになるんでしょうか……」
「デジタルくん、君は何か勘違いしているようだが、今はまだ準備期間に過ぎない、君には悪いかも知れないが、私は勝ちよりも君のことを知りたい。」
「オポッ……わ、私のことを……」
「ああ、そうすれば、必ず君は勝てるように……デジタルくん?デジタルくん!?」
「タキオン、見えるかい。」
「ああ……ああ……モルモット君……完璧だ……彼女は……」
「……証明だ、僕とタキオンの……そして、始まりだ、ここからが」
(……ベストコンディション、ですねぇ、ちょっと怖いくらいに。)
例えるなら、絶好調の一段階上。
今なら出来ないことなんて何も無い、本心からそう思える程だ。
何より、こんなに静かで冷静にレースに望めたのは始めてかもしれない。
いつもならもっとはしゃいでいた筈だ。
周りの推しウマ娘ちゃん達を見て嬉しくないわけじゃない。
でも今日は、タキオンさんが来ているから。
だから、勝ちに行く
歓声が響き渡る。
勝利の高揚感と僅かな安堵。
そして異様なまでの充実感。
「……ウマ娘ちゃん達って、ずっとこんな気持ちだったんですねえ。」
誰かの夢を乗せて走るという重みと、その意味。
────そっか。
「誰かのために走れるって……こんなに嬉しいんだ……ッ!」
「見ろ、モルモット君……わた、私のデジタルくんが、あ、あぁ……」
「……もう、僕らに出来ることは無くなったね。」
「っ、最初から、私達に出来ることなんて、何もない……きっと彼女は、最初から……」
「……タキオン、泣かないで、笑って、彼女が手を振ってるっ。」
「……君もじゃないか……ほら……」
「後は君の好きに走ると良い。」
「……それはその……私、何か……失礼でも……」
「デジタルくん、私から君にしてあげられる事は、もう何一つない、君はそれ程までに、素晴らしい……」
彼女はそれを聞いてから一度目を瞑った。
そしてややあってから姿勢を正して、はぁ、と一度息を吐く。
「なら、見ていて下さい。
私の走る姿を、私の背中を、私のことを。
私の走る理由は二つ。
推しウマ娘ちゃん達を傍で眺めること。
そしてアグネスタキオン。
ただ貴方のためです。」
「……君は、本当に……」
「覚悟は走りで示します。
任せて下さい、私は貴方の希望ですから。」
「ほんぎゃあ~~~!トレーナーさんどうしようノリであんな事言っちゃったよぉ~~~!!!」
「トレーナーさん。」
「うん、安田記念にはタキオンさんとトレーナーさんも来るよ。」
「……なんでもお見通しですね。」
「まあね。
デジタル、勝つよ。」
「はい。」
(今回は差し、つけるのは中段、焦らなくて良い。)
余裕がない、というのが実情だった。
体力も勢いもあっちの方が上だ。
でも私は知った。
誰かのために走ることの素晴らしさを、誰かのために走れる幸せを
そして、何より、推しの笑顔が見たいがため!!!
最終コーナーに入る、残りは直線、いけるか?持つか、私の脚────
視界の端に、一瞬だけ、タキオンさんが
身体に熱が入る。
(タキオンさん)
「私を、見ろオオオオォォ!!」
日本競馬唯一と言われる存在。
アグネスデジタル。
芝、ダート、更には地方、海外。
全ての戦場において、彼女はその強さを発揮した。
自称オールラウンダー
他称異能のスーパーウマ娘
G1 6勝
現在まで、中央で芝のG1を制覇した後にダートのG1を制覇したウマ娘は5人。
彼女がそれでも唯一と言われる由縁は、ダートを制覇した後に再び芝を制覇したからである。
これを成し遂げたのは現在まで、アグネスデジタルただ一人である。
「デジタルくん、そんなに焦らないでも良いだろう?」
「これが!!焦らずにいられますか!?早く行きますよ!!ほら!タキオンさん!飛ばしますよー!!」
また、時々アグネスタキオンの車椅子を押すアグネスデジタルの姿がレース場にあったらしいが、真偽は不明である。