マギのアラジンと雁夜おじさん行く聖杯戦争 作:ロマニ
雁夜にとって間桐臓硯とは恐怖の権化である。
この感覚が強くなったのは小学生になってから。魔術という存在を知り、間桐の家系図を見た際、その事実に驚愕した。祖父の代、高祖父の代、いやそれよりもっと前から、間桐臓硯という名前は存在していたのだ。
間桐臓硯の正確な年齢は雁夜ですら定かではない。ふざけたことに間桐臓硯は便宜上、雁夜の父ということになっている。いつ生まれ、どのくらい生きているのか分からない相手が、雁夜の父なのである。
語るもおぞましい手段によって、延齢に延齢を重ねてきた不死の魔術師。雁夜が忌避する間桐の血脈の大本たる人物。現代に生き残る正真正銘の妖怪が、間桐臓硯だった。
「それなのに、あんな化け物のところへ養子に送るのか、時臣……!」
ふつふつと怒りが込み上げてくる。
葵への罪の意識とも、間桐臓硯への怒りとも違う。今日まで意識すまいとしてきた憎悪が一人の男に向けられる。
結局のところ、間桐桜を救う方法は一つしかない。
それは間桐臓硯を雁夜の手で本当の不老不死へと転じてしまうこと。
けれど、当然のことながら雁夜にそのような力は無かった。
「聖杯……そうだ、聖杯さえ手に入れればいい」
あの老魔術師が追い求める不老不死。それを完璧な形で叶えられる「聖杯」という願望器。それさえ手に入れば、間桐臓硯は桜を迎え入れるメリットが無くなる。
今度の聖杯戦争はいつ始まるのか知らないが、それもあの化け物なら知っているだろう。桜を養子としたことからも、そこまで遠くない話だと予想ができる。あとは、あの間桐臓硯と交渉し、己の肉体に刻印虫を植え付けられれば、それなりの戦力になれるはずだ。
「待ってて、桜ちゃん」
今後の方策を思い付いた雁夜は足を早めた。
いま雁夜の胸を焼くのは、悔恨の念。
彼が10年前、間桐の運命から逃げなければ、何も知らない少女が咎を受けることもなかった。そもそも、葵が魔術師の家へ入るのを止めていれば、こんな結末にはならなかったかもしれない。
己の命を賭して桜という一人の少女を救う……これは償いの術である。
かつて自分が背を向けた世界。我が身可愛さに逃げ出した運命。それらへと決着をつけるべく、雁夜は拳を硬く握った。
「待ってよ、おじさん」
だが、そんな雁夜の決意を揺らがせる声が響いた。
咄嗟に後ろを振り向けば、そこにはここ二ヶ月で見慣れた少年の姿がある。
何故、と雁夜は思った。
アラジンのことは、巻き込まないようにと葵に頼んだはず。彼女にいらぬ心労を与えると懸念したが、心を殺してお願いしたはずだ。
それなのに何故、アラジンはいつもと変わらぬ笑顔で立っているのか。それが雁夜には理解できないことだった。
「なに、してるんだ——アラジン」
これ以上、自分のせいで罪もない子供を巻き込むことはしたくない。臆病とも取れるその感情だけが、今の雁夜を支配する。
「なにって、追いかけてきたのさ。僕もおじさんの実家には興味があったからね」
対してアラジンの態度は平静だった。さも当たり前なことを解説しているように、雁夜へと近づいてくる。雁夜はその一挙一動を目で捉えながら、背筋に滲む汗を感じた。
「さあ、おじさんの生まれた街に行こっか! 新都とは違った雰囲気がありそうだよね!」
「だめだ、アラジン」
「深山町ってどんなとこだろ? 遠目だと古いお家が並んでるように見えたけど」
「やめろ……」
「あっ! そうだ。町には凄く辛い麻婆豆腐があるって言ってたよね。フフ、ちょうどお腹空いちゃったし挑戦してみよーっと」
「やめてくれッ!!」
雁夜の怒声が道に響く。幸いにも、雁夜とアラジン以外に通行人は見当たらない。
アラジンは叫んだ雁夜の顔をまじまじと見ながら、次の言葉を待った。アラジンからしてみても、今までこのような精神状態の雁夜を見たことがなかったのだろう。雁夜は頭を抱えながら、絞り出すような声で次のように言った。
「戻るんだ」
その言葉が指す意味は、問わなくても理解できる。
葵さんのところへ戻れ。
それが雁夜の出した選択だった。日本へ連れてきた張本人は彼であるはずなのに、その責務を放棄してでも、雁夜はアラジンを巻き込もうとは思えなかった。
嫌われただろうな、と雁夜は自嘲する。いま自分がしていることが、どれだけ傍迷惑なものなのか、客観的に見なくとも理解できた。やるせなさだとか、憤りとか、そう言ったものをアラジンにぶつけているに過ぎない。
間桐の家を出奔してから10年。自分の成長のなさに、雁夜は軽い絶望感を味わった。
だが——、
「どうしてだい?」
アラジンは小首を傾げながら問いかける。それは雁夜が求めた反応とは全く違うものだった。てっきり、自分勝手ではないかと罵られるとばかり予想していた。
「どうしてって……万が一のことがあるかもしれないからだ。アラジンは俺にとって家族みたいな……失いたくない存在なんだよ」
雁夜は焦りながらも、言葉を手繰り寄せて声に出す。どうして、と聞かれたならば、そう答えるしかなかった。間桐臓硯やら魔術師やらの話をしても無意味だと思えたのだ。
けれど、アラジンはそれを聞いて首を横に振った。
「——だったら僕は戻れないよ。おじさんは、その万が一があるかもしれない場所に行くんだよね?」
「……」
何も答えられない。アラジンの言うとおり、雁夜は己の命を賭して交渉をしにいく。言葉にすれば軽いように見えるが、間桐臓硯との交渉は「万が一」でもなければ、「賭け事」ですらない。完全なる「死」を持ってして完了するだろうことは、雁夜にも分かっていた。
本当はそのことをアラジンに知ってほしくなかっただけなのかもしれない。自分が死ぬ運命だと悟られなくなかったのかもしれない。
二ヶ月間、雁夜からしても初めての体験が多くあった。子供と一緒に過ごすことなどなかった彼としては、まさに恵まれた日々を過ごしたに近しい感覚だ。それまで寂寞だった生活に、アラジンは確かな黎明をもたらしてくれた。
「ねえ、おじさん。僕はねこの二ヶ月間ほんとに楽しかったのさ。今までは旅ばかりしてきたから、誰かとあんなに長い間すごすこともなかったしね。僕も同じだよ……おじさんは僕にとって大切な家族さ」
アラジンも雁夜と似た感覚を抱いている、と告白した。
「おじさんが僕を心配してくれているように、僕もおじさんが心配なんだよ。おじさんの実家に何があるのかは知らないけど、おじさんの身に何か危険があると言うのなら——僕も連れて行ってはくれないかい?」
差し出されるアラジンの手。太陽から漏れ出る光芒のように、それは眩く尊い。雁夜を蠱惑する少年の眼差しは、なんとも居心地の良さを感じさせる。
このままその手を掴んでしまおう。
そんな考えが脳裏に過ぎるも、それと同時、雁夜の中には拭いきれない恐怖も共存していた。
「無理だ……無理なんだ、アラジン。あの化け物にはどうしたって敵わない。桜ちゃんを解放するには、交渉以外の方法がないんだ!」
次第に握った拳へ力が入る。ぎしぎしと肉と骨が軋む音が聞こえた。
「アラジン、前に魔術の話をしたことがあるだろ? 間桐の家は代々その魔術を継承している。……俺が今から対峙する間桐臓硯は、その何代にも亘って間桐を支配してきた、本物の化け物だ! 俺がいくら足掻いたって勝てないような相手なんだ! そんな奴とお前を会わせるわけにはいかないだろ!?」
雁夜が叫び終わると、その後は沈黙が流れた。
アラジンは数回浅い呼吸を繰り返す。首にぶら下げていた笛を手に持ち、思いっきり振りかぶると、勢いそのまま——雁夜の脛へと攻撃した。
「痛っ!! 何するんだ!?」
あまりの痛さに悶絶する雁夜。脛を抱えて蹲った彼を見下ろし、アラジンは雁夜の双肩へと手を置いた。
「だったら、尚更僕が力を貸すよ! 僕だけじゃない、ウーゴくんだって力になってくれるはずさ! それとも何かい……おじさんは僕のことばっかり心配してて、僕の願いはちっとも聞いてくれないって言うのかい?」
ふんわり咲かせたアラジンの笑顔は、出会った時と何も変わっていない。どこか抜けていて、どこか大人びたものがある。
不思議な魅力だ。
雁夜は会った時からアラジンについて、そう思っていた。30年近く生きたはずなのに、アラジンのような人間とは出会ったことがない。恐怖に駆られていたはずなのに、何故か勇気が湧いてくる。
巻き込んではいけないと勝手に決めつけていたのは雁夜だけだった。アラジンは雁夜のために、力になりたいと願ってくれたのに。それを子供だからという理由だけで、雁夜は拒否してしまっていた。
そうだ。支え合いは世の中の基本ではないか。
一丁前の保護者ヅラをして、そんな基本的なことすら雁夜は気がつかなかった。葵の泣き顔を見てしまったと言うのもあるだろう。大切な娘が化け物の元へ送られたと聞かされたのもあるだろう。
自分の命一つだけで事を終わらせようなどと、あまりにも馬鹿馬鹿しい。それができているなら、10年前にやっているはずだ。それができないから、こういう事態に陥っているのだと、雁夜は冷静な頭で思考した。
「…………その、なんだ…………怒鳴って悪かった」
雁夜は頬を掻きながら気まずそうに謝罪する。
頭に血が上り過ぎていたせいで、危うく誰も助からない茨の道を踏み出そうとしていた。
あの老魔術師のことだ。交渉したとしても、何かしらの妨害を行ってきそうである。それこそ、間桐の家を捨てた雁夜に復讐がてら、要らぬちょっかいを出してくるかもしれない。
そこまで考え終えると、アラジンは雁夜の表情が冷静になったのを理解したのか、
「フフフ、出会った時もそう言ってたね」
と底抜けのない笑顔を浮かべるのだった。
「あ、ごめんね。落ち着かせるためとは言え、つい殴ってしまったよ」
「大丈夫、気にするな。思ったより痛みが残ってないしな」
アラジンが心配そうに見てきたので、雁夜は殴られたスネの部分を見せた。雁夜の言うとおり、赤みも残っていないため、本当にダメージらしいダメージは入っていないのだろう。あのときは、条件反射で痛がってしまったに過ぎない。
「これからどうしようか」
アラジンが問いかける。
雁夜の冷え切った頭でいくつかの案を出してみるが、やはり一番いい案はひとつしかなかった。
「……間桐の家に帰ろうと思う。やっぱり、交渉以外では桜ちゃんを開放させられない」
力で対抗しても、あの化け物には叶わない。
それはウーゴくんがいても同じこと、と雁夜は結論づけた。そもそも、間桐臓硯の底を捉えきれないのが一番の問題である。虫使い、ということまでは雁夜も知っているが、所詮は魔術の道から逃げた落伍者の身。それ以上の詳しい事は、どうやってもわからなかった。
「うん。僕もその間桐臓硯さんって人と話した方がいいと思うんだ。もしかしたら、僕たちの思い過ごしの可能性もあるしね」
アラジンは雁夜の言葉を、違う意味で解釈したのかそう言った。
限りなく小さいものの、確かにアラジンが言った通りの可能性もある。桜はただ普通に養子として迎え入れられ、鶴野あたりに押し付けられている可能性。
「そう、だな」
だが、やはりその可能性はゼロだと雁夜は思った。
十数年間、あの化け物の教導を受けてきた雁夜だからこそ分かる。あれは人の不幸に寄ってくる蛆虫だ。誰かの益となるはずのない害虫だと、そう心で理解しているから。