青薔薇を照らす星明かり   作:椎名洋介

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第六章 突然の誘い:前編

       

 

 

 エレクトリック・ギターの弦選びにおいてまず最初に注視されるのは、弦の太さだ。

 太さ……すなわちゲージが変われば弦の張力が変わり、弦を押さえるのに必要な力や音質にも変化が出るからだ。

 次に、弦に使われる素材である。

 ニッケル弦は加工が容易で扱いやすく、弦に迷ったらとりあえずこれ、とするギタリストも多い。また強い磁性体の金属のためピックアップとも相性が良く、エレクトリック・ギターに最も合う素材とも言われている。

 鉄にクロームを加えた合金のスチール弦は、ニッケル弦に比べて固い素材のため耐久性が高く、錆に強いのが特徴だ。ニッケル弦よりシャープなサウンドを目指すなら、スチールも選択肢に入る。

 しかし最終的にどの素材を使ったどの太さの弦を選ぶかは、完全にプレイヤーの好みである。

 

「欲しくな~る、欲しくな~る。あなたはどんどん欲しくな~る……」

 

 相手の視界を塞ぐように掲げられた奇妙なぬいぐるみが、わざとらしい喋り方で語りかけてくる。

 

「さあ、どっち!」

「うーん」

 

 整然とした陳列棚の前で唸る一哉(かずや)は、人差し指で一つずつお目当てのものを物色しながら、やがてぬいぐるみの方を向いて手に取ったそれを見せる。

 

「こっちで」

「えーっ!? 結局それなのー?」

 

 視界を覆っていたぬいぐるみが外され、声の主が姿を現した。

 紗夜や燐子と同じ花咲川の制服の上からエプロンをかけた、アルバイトの少女である。

 常連の一哉からすればすっかり顔なじみではあるが、この前のCiRCLEでのライヴでたまたま一緒になったことも彼の記憶には新しい。

 Glitter*Greenのベース・鵜沢(うざわ)リィだ。

 

野上(のがみ)くん、せっかくデベコが新商品売り込んでもそれ選ぶじゃんか~」

「でもね鵜沢さん、ライヴ中の手汗で指が汚れないってのは、汗っかきの人間からしたら目からウロコなんですよ」

 

 一哉が選んだのは、弦の表面を薄い皮膜で覆うことで他の二つよりも耐久性に優れたコーティング弦と呼ばれるもの。

 中でも多くのプロ・ミュージシャンに絶賛されたというElixir(エリクサー)のナノウェブ・モデルで、一哉も中学時代に興味本位で買って以来、現在まで一貫して同じ弦を使い続けていた。

 

「たまには冒険してみてもいいのに」

(なが)ぁい旅の果てに行き着いた先がこれなんですってば。うっかり放っといても錆びないなんて、ズボラな俺にはぴったり」

「そんなもの?」

「そんなもの」

 

 言いながら、一哉は手に取った弦をカゴに入れる。

 

「あとは、二階だっけ?」

 

 ですね、と応えて、二人は階段がある方へと歩き始める。

 午前一〇時の開店から三〇分と経たない店内は、休日とはいえ客の姿はまだほとんど見えない。

 というより、今店の中にいる客は一哉一人なのだ。

 だからこそ鵜沢は『お得意様』ともいえる彼に新商品の売り込みをしかけていたわけなのだが、結果はこの通りである。

 

「今書いてる曲がちょっち行き詰まりでして。息抜きに色々ギターを見てみようかなと」

 

 理由は、それとは別にもう一つある。

 AXISのオーナーに紹介してもらったイベントへのORIONとしての出演が近日中に控えている中、演奏の幅を広げるためにも新しいギターを試してみたかったのだ。

 かと言って、今さらエレキギターに手を出すつもりはない。

 

「いっそのこと、エレガットとか買っちゃおっかな~、なんて」

「ガットか~……あ、じゃあアレなんかどう?」

「アレ……ですか?」

「うん。この前中古品で良いのが入ったって店長が言っててね」

 

 先導して階段を上がる鵜沢は、前を向いたまま。

 その顔が、ふいに肩越しにこちらを見下ろした。

 

「三〇年モノだってさ」

「へぇ」

 

 それは興味深い。

 ギターの材料である木材は、長い年数をかけることで内部に残ったわずかな水分も蒸発させてその木質を変化させる。この変化は当然、サウンドの面にも影響を及ぼすことになる。

 エレクトリック・ギターならばこれに加えピックアップに使われるマグネットが経年によって弱まるため、より魅力的なサウンドへと変わることもあるのだ。

 

「ほら、これだよ」

 

 鵜沢に案内されたのは売り場の一角、『USED』の文字が値札に書かれた商品が並ぶ中古コーナーである。

 一哉でも両腕を目一杯に広げれば左右に陳列された商品に手が届きそうな通路で、スタンドに立てかけられたギターの中の一つが、どうやらそれらしい。

 

「触っても?」

「野上くんなら試奏もオッケーだって」

「誰情報ですか、それ」

「店長」

「やったね」

 

 じゃあデベコと店番してるから~、と一階へ降りていく鵜沢を見送ってから、一哉は紹介されたギターを手に取り、手頃な椅子に座った。

 まず感じたのは、思ったよりもネックが握りやすかったことだ。

 通常、クラシックギターのナット幅はエレクトリックやアコースティックのそれよりも幅広い設計のため専用のフォームの習得が求められるのだが、どうやらその必要はないらしい。つまり、普段とあまり変わらない感覚で演奏が出来るというわけである。

 気の向くまま、思いつくフレーズを奏でてみる。

 時にはピック、時には指の腹を駆使しながら年代物のガット・ギターの音色を一通り確かめた一哉は、取り出した携帯でギターを写真に納めると二階を後にすることにした。音のイメージはだいたい掴めたからだ。

 

「鵜沢さん、試奏ありがとうございました~」

 

 階段を降りながら、一哉はレジ・カウンターにいるであろう店番に声をかける。

 ところが一階に出たところで、

 

「……野上さん?」

 

 鵜沢ではなく、彼女が納まっているレジ・カウンターの向かい側に立つ少女が、こちらを振り返った。

 顔の動きに合わせて、彼女の(みどり)色の髪がなびく。

 紗夜だ。

 

「今日はORIONの練習なのでは?」

「そうだけど、スタジオ入りは午後からだからさ。それまでに交換用の弦とか買っとこうと思って。そっちこそ、Roseliaの練習じゃなかったっけ?」

 

 先日の打ち上げでフェス出場を目指すという友希那の話があってから、今日が初めての練習日なのだ。

 

「入り、一一時とかそこらだったよね?」

「ええ。なのでその前に少し、小物を見ておこうと思ったのですが……」

 

 言いながら彼女の視線が、カウンターの方へ向いた。近づいてみて初めて、それがあるライヴを特集した音楽雑誌の見開きであることに気がついた。

 

「んー?」

 

 覗き込んだ一哉は、紙面の中で目立つ文字をとりあえず読み上げてみることにした。

 

「『孤高の歌姫(ディーヴァ)・友希那がついにバンドを結成』……? これってもしかして……」

 

 もしかしなくても、そうなのだろう。ちらり、と隣の紗夜に視線を投げると、彼女は小さくうなずいた。

 

「この前のCiRCLEでのライヴの特集ですね。カメラを持った方が何人かいらしていたとは思いましたが、まさかこんな大々的に取り上げられているとは……」

「『──新生バンド、Roselia』!! けっこうイイ見出しじゃん?」

 

 にゅっ、とカウンターの上に座るデベコが……いや、その奥で椅子に座った鵜沢がそう零す。

 

「ライヴも大盛況だったもんな~……あ、ほらココ、ORIONもちゃんと載ってるぞ~」

 

 言いながら鵜沢の指す先には、一面を飾るRoseliaに比べればかなり小さい扱いではあったが、その日出演した他のバンド達の模様が記されている。その中にはたしかに、一哉達ORIONの記事もあった。

 小さい枠の中にずいぶんと熱量あるコメントが書かれていたのは意外だったが、しかし改めてヴォーカリストとしての友希那の実力と世間のガールズバンド人気の実態を思い知らされた。

 何より、この記事に掲載されたRoseliaの写真が、それを物語っていたからだ。

 

「……俺、いないな」

 

 そこに映るのは、友希那をはじめとした紗夜、リサ、燐子、あこの五人。

 文面にこそ『終盤にはORIONのギタリスト・野上一哉が電撃加入!』なんて書かれているが、しかしそこに肝心の一哉の姿はなかったのだ。

 そんなショックと同時に、誌面を彩る友希那達の写真に一つ大きな違和感を覚えた。

 

「……ぷはっ!」

 

 たまらず、吹き出した。

 

「野上さん?」

 

 隣で首をかしげる紗夜に、一哉はその部分を指し示す。

 一生懸命に演奏中の様子が写されたカットである。

 

「これさ、気にならない?」

「……え?」

「服だよ、服」

 

 質問の意図が判らないようだ。

 

「なんか、リサだけ浮いてないか?」

 

 友希那と燐子は服の傾向が似ているし、あこの私服はロック・バンドということを考えれば何ら不思議ではない。紗夜はどちらかとカジュアル寄りだが、そこにリサのやや攻めたファッション・センスが加わることで、結果的に彼女だけが浮いてしまっているのだ。

 リサ自身のキャラクターも相まって、どことなくギャルっぽい印象を受けるのである。

 

「これからの活動的にも、やっぱり衣装は必要になるか……?」

「別にいいじゃないですか。衣装は急ぐ必要はないと思いますし、写真はなくとも、私達はあなたを含めたRoseliaです。別段気にすることは……」

 

 言いかけて、ぷつり、と紗夜の言葉が途切れた。

 

「氷川さん?」

「どした? 固まっちゃって」

「いえ、そこの……」

 

 思わず、一哉は誌面から目を離して彼女の方を向く。

 その理由を、一哉はただちに理解する。紗夜の視線が、ある一点で固定されて動かないのだ。

 レジ・カウンターの向こう側……ちょうど鵜沢の背後の壁に貼られた掲示物の中に、ひと際目を惹く一枚のポスターがあった。

 ファンシーな衣装に身を包んだ、五人組の少女達である。よく見るとギターやベース、それからショルダー・キーボードを構えている子もいて、だから彼女達がバンドだということに気づくまで、そう時間はかからなかった。

 

Pastel*palletes(パステル・パレット)……? なんですか、これ?」

「ああ、このポスター? なんかこの前デビューしたバンド? グループ? みたいで。アイドルだかバンドだか判らないんだけど、なんか結構面白いんだよ」

「はぁ……」

「新譜コーナーにCDあると思うけど、見てく?」

「それは良いんですけど……」

 

 一哉の視線は、ポスターに向かれたまま。

 

「何か見覚えがある気がするな……」

 

 ポスターに映る少女に、である。

 

「え、そうなの?」

「はい。思い出せないんですけど」

「ん~……デベコ、判るか?」

 

 カウンターのデベコを手に取り、鵜沢はポスターの前で彼……というか彼女……というかを掲げた。そしてそのまま、彼女は『デベコ』となる。

 

「──ムムム、そーだな……このギターの子とかじゃないカ? どことなく紗夜ちゃんに似て……」

 

 瞬間、びくり、と紗夜の肩が震えたのが視界の端に映った。

 

「……氷川さん?」

 

 見ると、おぼつかない足取りで何歩か後退っている。

 

「わ……たし……練習がありますから……これで!」

 

 それだけ言うと、紗夜は弾かれたように扉へと向かう。

 

「ちょっ、氷川さん!?」

 

 追いすがる一哉の声もむなしく、そのまま彼女は店を飛び出して行ってしまった。

 

「……私、何かマズいこと言っちゃった?」

 

 ガラス張りの扉の方を向いたまま、呆然と鵜沢がつぶやく。

 

「いや、それはないと思いますけど……」

 

 かぶりを振って、一哉はもう一度壁のポスターを見やった。

 ツインテールの少女を中心に横並びになった、五人の少女達。

 やっぱり、と一哉は(ひと)()つ。

 

「似てるよな……」

 

 視線の先には、ドラムスティックを構えながら少しぎこちない笑顔を浮かべる少女がいた。

 

 

 走る。

 走る。

 ただひたすらに、走り続ける。

 今、この瞬間、紗夜の頭の中にはそれ以外になかった。

 一刻も早くあの場所から離れたくて。

 少しでも遠くへ行ってしまいたくて。

 そうでもしないと、自分の感情が抑えられなくなってしまいそうだったから。

 道行く人の間を縫うように駆け抜けてゆく。

 体温が上がり、呼吸も浅くなり始める。

 駅までたどり着いたことでようやく彼女は足を止め、構内の柱に背を預ける。膝に両手をついて、荒い呼吸を何とか落ち着かせた。

 そして思い浮かぶのは、強い疑念である。

 なぜ?

 なぜあなたは、そうまでして私を真似したがるの?

 そうやって、また私から何もかも奪っていくつもりなんでしょ?

 

「そんなこと、させない……」

 

 震える手で、拳を作る。

 

「私には、ギターしかないんだから……」

 

 ギターまで奪われてしまったら、私にはもう、何も……。

 そのためには、

 

「Roseliaを最高のバンドにしないと……」

 

 ギターだけは、日菜(ひな)に負けない……!

 

 

 

       

 

 

 クリーン・トーンのギターに導かれて、最後の一節を歌いきる。

 スタジオに広がる心地よい残響を聴き届けてから、友希那は閉じていた瞼を開いた。

 やはり、と友希那は思う。

 駄目だ。高音の伸びを意識し過ぎると、今度はピッチが甘くなってしまう。

 こんなところで躓いていては、いつまで経っても憧れのバンドには追いつくことなど出来はしない。

 ……お父さんのバンドには、(かな)わない……。

 思い詰める友希那を見かねてか、最初に口を開いたのは、向かい合った位置で座る幼なじみの方だった。

 

「ほい、お疲れさん。ちょっと休憩入れるか」

「……ええ、そうね。そうしましょう」

 

 ボリュームペダルを下げて、一哉はギターをスタンドに立てかける。

 

「今日は付き合わせてしまってごめんなさい」

「急にどうした? 別にいいって。こないだはORIONの練習でRoseliaの方には顔出せなかったし、せっかく誘ってくれたんならな」

 

 まあでも、と一哉はだだっ広いスタジオを見回すと、ほう、と大きく息をついた。

 

「まさか二人っきりとは思わなかったけど」

 

 スタジオには、他のRoseliaのメンバーの姿はない。

 今日は、友希那の個人練習の日なのだ。

 にもかかわらず一哉に声をかけたのは、ほとんど思いつきに近かった。

 自分でも、なぜそうしたのかはよく判っていない。

 純粋に伴奏を弾いてくれる人手が欲しかったのか。

 あるいは、ともう一つの可能性を考えて、しかしすぐに否定する。

 

「リサ達はお茶会だっけ?」

「そうらしいわ」

 

 なんでも、『祝! 雑誌掲載記念』とのことらしい。

 

「あこと燐子も行くそうよ」

「友希那は行かないのか?」

「そんな暇なんてないもの」

「相変わらずストイックなことで」

「悪いかしら?」

「いいや、お前らしくて安心したよ」

「そう」

 

 水を一口飲んでから、けれど、と友希那は幼なじみの方へ視線を向けた。

 

「少し意外だったわ」

「なにが」

「てっきり、あなたなら行くものだと思っていたから……」

 

 お茶会の誘いじたいは、Roseliaのグループチャットで全員に送られていた。

 発起人のあこをはじめとした燐子とリサはすでに参加を表明していて、残りは友希那、紗夜、一哉の三人の返事待ち。

 友希那は即座に不参加を宣言、紗夜も同様の返信がされた後で、一哉もまた不参加の決断を下したのだ。

 友希那が一哉を練習に誘ったのはその後だったから、それが理由ではないことは判っている。

 でも、少しだけ気になったのだ。

 

「ああ、あれか……」

 

 頬を()いて、一哉はばつが悪そうに声を漏らす。

 

「なんか、恥ずかしくって」

「恥ずかしい?」

「雑誌掲載記念、つっても、Roseliaとしての俺って映ってないだろ? それに……」

「それに?」

「……女子達に男一人が混ざるって光景が、なんとも……」

 

 打ち上げの時は気にならなかったんだけどなあ、と苦笑する一哉を見て、ようやく理解した。

 ああ、そういうことか。

 そして理解した瞬間、友希那は一哉へ歩み寄っていた。

 

「一哉」

「んん?」

 

 椅子に座る一哉を、少しだけ見下ろす格好になる。こちらを見上げた澄んだ黒い瞳の中に、友希那自身の姿が反射している。

 変わらないわね、と友希那は思う。

 一哉の瞳がだ。

 幼いころから、ずっと。

 父といっしょになってギターを弾いていたあの頃のまま。

『音』を『楽』しむことに喜びを感じていたあの頃のまま。

 今も昔も、彼は『音楽』というものと心から向き合えている。

 それに比べて、自分はどうだろうか。

 目の前の彼のように、真剣に音楽と向き合えていると言えるだろうか。

 友希那はそのまま彼に……あるいは自分に言い聞かせるように言った。

 

「あなたは、Roseliaだから」

「え……?」

「私は……私達は六人でRoseliaだから」

 

 だから……、

 

「だから、自信を持って」

「え、あ、おう……?」

 

 言い終えてから、どれくらいそうしていただろうか。

 壁にかけられた時計の針が、止まることなく時を刻んでゆく。

 かち。

 かち。

 かち。

 かち……、

 

「あ、あのぉ……友希那さん?」

 

 沈黙に耐えかねた一哉が、たまらず声をあげる。

 

「なにかしら」

「いや、そんなに俺の目見てどうしたのかと思って」

「あ……っ!」

 

 言われて、ようやく気がついた。

 ずっと一哉の瞳を見たままだったのだ。

 すぐさま、長い髪が円形に広がる勢いで、くるりと回れ右する。

 

「わ、ちょっ!?」

 

 広がった銀髪に巻き込まれたのか、一哉の悲鳴が背後から。

 そのまま急いでマイク前まで戻ると、友希那も椅子に腰を下ろす。

 部屋の空調は効いているはずなのに、なぜか耳のあたりが熱い。

 自分を落ち着かせるために、手にした水をもう一度(あお)る。

 キャップを閉めたタイミングを見計らってか、

 

「……ありがとな」

 

 ふいに、そんな言葉が聞こえた。

 

「……なんか、この前も似たようなこと言われたっけか」

「そうだったの?」

「氷川さんにな。Roseliaのライヴ・レポに俺の写真がない、って不貞腐れてたら慰めてくれたよ。俺を含めたRoseliaなんだから写真の有無なんて気にするな、って」

「そう」

 

 見たか、と問う一哉に、友希那はうなずいた。

 

「見事にあなただけ映っていなかったわね」

「言うな言うな、地味に沈んでるんだから」

 

 その時だ。

 ぴろりん、と二人の携帯が鳴った。

 見ると、リサがお茶会の様子を収めた写真がRoseliaのグループチャットにアップされている。飲み物やスイーツが広がったテーブルの上で、三人がピース・サインを出しているところだ。

 それなりに楽しんでいるらしい。

 チャットを眺めながら、それはそうと、と一哉が思い出したように切り出した。

 

「氷川さんの方は大丈夫なのか? 早退したんだろ?」

 

 厳密には、帰らせた、と言ったほうが正しい。

 先日の練習で、休憩中に談笑するあこ達に紗夜が感情を爆発させる一幕があった。それに加え練習開始からどこか落ち着きがなく、演奏にも集中出来ていなかった様子の彼女を見かねた友希那がそうさせたのだ。

 その原因というのが、

 

「お姉ちゃん、か。氷川さんって弟妹(ていまい)いたのか」

「リサのクラスに、双子の妹がね」

「妹さんね……あ」

「なに?」

「もしかして、氷川さんの様子がおかしくなったのって、これが関係してたりするか?」

 

 言いながら、一哉は椅子の後ろに置いてあったリュックから何かを取り出して見せる。

 一枚のCDだ。アイドル・グループだろうか、ジャケットには五人組の少女が楽器を構えている写真がレイアウトされていた。

 

「これは……」

 

 渡されたCDを見つめる友希那の視界に、見覚えのある顔が入ってきた。

 

「どこでこれを?」

「江戸川楽器。駄弁ってたら、たまたま壁のポスターが目に入ってさ。その後に飛び出してった感じだったから。……で、どうなんだ?」

「間違いないわね」

 

 友希那は即答した。

 

「ほら、この翠色の髪をした子がいるでしょう?」

「ん-? あ、たしかに。どことなく氷川さんに似てるって鵜沢さんが言ってたな……」

 

 そこまで言って、はっ、と彼は顔を上げる。

 

「まさか」

「彼女よ」

「ほぇ~、この子が」

「氷川日菜。リサのクラスメイトだったはずだけど」

「ん。その辺りは直接リサに聞いてみるよ」

 

 そうしてCDを片づけると、よし、と一哉は意気込む。

 

「休憩終わりっ。とりあえずブラシャの続き?」

「ええ。残り時間いっぱいまで」

「オーケー。でも無理はしないように」

「それくらい言われなくても判ってるわ」

「ならヨシ」

「……ねえ、一哉。」

「ん?」

「さっきのCDに写ってたドラムの子……大和(やまと)さんよね?」

「あ、似てると思ったら大和だったか」

 

 結局、残りの一時間はほとんど休憩も取らずひたすら練習に打ち込むことになった。

 

 

 友希那がマイクスタンドをスタジオの脇へと片付けている間に、一哉は備え付けのフローリング・ワイパーで床を掃き、取りこぼしたホコリやらを掃除機で吸い取る。

 帰り支度を済ませてスタジオを出ると、二人はそのままロビーへと向かう。退出完了の報告をするためだ。

 

「まりなさーん、終わりました~」

「Cスタジオ、空きました」

 

 カウンターの前に立つと、椅子に座ってパソコンとにらめっこしている店長代理が顔を上げた。

 

「ああ、二人ともお疲れさま」

 

 そして浮かべるのは、朗らかな笑みだ。

 それから立ち上がると、レジスターにスタジオ代を打ち込み始めた。

 

「最近特に練習頑張ってるみたいだけど、Roselia、どう?」

「どう、って言われても……うーん、何と言ったらいいのやら……」

 

 返答に詰まりながら、一哉は財布に手を伸ばす。

 

「まだまだ理想のレベルには程遠いです」

 

 だが彼が代金を支払うより早く、言いながら友希那はポップアップに表示された金額の半分を銀色のトレイに乗せた。

 ちらり、と一哉の視線がこちらに向かれる。

 

「とのことです」

 

 けれどそれも一瞬のことで、一哉は苦笑を浮かべて残りの金額をトレイに乗せる。

 一連のやり取りを見守る恰好(かっこう)になったまりなは、何だか微笑ましげである。

 

「あははっ、友希那ちゃんは理想高いからなー。ずっとやりたかったバンドだったら、余計に一哉くん達に求められるものも上がってくるでしょ」

「今に始まったことじゃないですからね。その辺は慣れっこです」

「慣れっこかぁ~。友希那ちゃんも心強いんじゃない?」

「……そうですね」

 

 実際、結成して間もないRoseliaが初ライヴにもかかわらずあれだけのパフォーマンスが出来たのは、一哉に()るところが大きい。

 バンドの音合わせでは全体のバランスを聴き比べ、アドバイスが必要な時は出来る範囲で応えてくれる。

 以前、ギター・ソロに悩んでいた紗夜に技術的な課題とそれをクリアするための練習法を教えたのが良い例だ。

 

「さて、と。どうする? 次の予約、入れとくか?」

「私は構わないけど、あなたは大丈夫なの?」

「ちょい待ち。……あー、明後日なら空いてるな」

「ならそこをバンド練習に()てましょう」

 

 その時だ。

 

「あ、あのっ!」

 

 突然の声に振り返ると、一人の女性が立っていた。どうやら、ロビーへ出る際に死角になって見えなかったらしい。

 まだ初々しい。二〇代(なか)ば、と言ったところか。七分丈のVネックシャツにテーパードパンツという出で立ちで、ぴんと伸びた背筋や眼鏡の奥にある瞳からは真面目そうな印象を受ける。

 

「お話し中すみません。友希那さん、ですよね?」

「……はい、そうですけど」

 

 それから女性が向き直る相手は、一哉の方だ。

 

「それに、ギタリストの野上一哉さん?」

「え……ええ、まあ。はい」

 

 応える幼なじみの方も、きょとん、である。

 

「少しお時間いただきたいんですが、よろしいでしょうか?」

「失礼ですが……どなたでしょうか?」

「あ、申し遅れました! 私、こういう者です!」

 

 言いながら、女性は二枚の紙を取り出すとそれぞれに渡してきた。

『株式会社クイーンレコード/山田花』

 クイーンレコードといえば、七〇年以上の歴史を持つ老舗レーベルだったはず。

 それによく見ると、彼女が肩にかける鞄からは一冊の雑誌が覗いているのが判る。Roseliaの初ライヴの模様が書かれた、あれだ。

 目の前の彼女が何のために声をかけたのか、大方の見当がついた。

 

「率直に伝えますが」

 

 両手を重ねて、山田はかしこまりながら言葉を紡ぐ。

 

「友希那さん、うちの事務所に所属しませんか?」

 

 ああ、やっぱり。

 思ったとおりだ。

 レコード会社に声をかけられることは、何も今に始まったわけではない。『友希那』としてライヴハウスを転々と回り始めた当初から、こうしたスカウトは日常茶飯事だったのだ。

 しかし、

 

「……いえ、事務所には興味ありません」

 

 そのことごとくを友希那は断り続けてきた。

 たった一度や二度聞いただけで判断されてたまるか。

 そして何より、

 

「私は自分の音楽で認められたいだけですから」

 

 メジャーの世界に行ったところで、待ち受けているのはビジネスに縛られた『売れる音楽』だ。

 そんなものに、いったい何の意味があるというのだろうか。

 

「話はそれだけですか? でしたら私達はこれで。……行くわよ」

「あ、おう……。じゃまりなさん、明後日の予約これでお願いしますっ」

 

 書類をまりなに渡し終えた幼なじみを連れて、山田の脇を通り抜ける。

 そのままCiRCLEを出ようとして、

 

「待ってください! あなたは本物だ! 私……いえ、私達ならあなたの夢を叶えられる!」

 

 追いすがる山田の続く言葉に、友希那は耳を疑った。

 

「いっしょにFUTURE WORLD FES.に出ましょう!!」

 

 ………………え?

 何と言ったの?

 彼女は今、何と言ったの?

 自動扉のセンサーの数歩手前で、たまらず友希那は足を止めた。

 

「憶えてないかも知れませんが、あなたの二回目のライヴの時にも断られてるんです。でも諦められなくて……色々調べて……」

 

 そして、ここへ辿り着いた。

 

「バンドにこだわっていることも知っています。だからあなたのためのメンバーも用意しました」

 

 カウンターの奥で、これってつまりメジャー・デビュー、と呟く声が聞こえた。

 

「あの、ちょっと待ってください」

 

 困ったように眉を寄せ、理解が追いつかないと言った様子で声をあげるのは一哉である。

 

「これって、要は友希那のスカウトですよね? 俺まで名刺いただいちゃっていいんですか?」

「ああ、いえ。ちゃんと理由はあります!」

 

 それから、山田花は言った。

 

「野上さんには、バンドメンバーの一人として友希那さんのバックについていただけないかと思ってまして」

「へ? いや、でも……ご存知かと思いますけど、友希那はもうコンテストに向けたバンドを組んでるんですが……」

「コンテストなんて出る必要ありません。本番のフェスに出場出来るんです! ステージだって、メイン・ステージです!!」

「……本番の、フェスに……?」

「…………私………………」

 

 言葉がうまく出て来ない。

『あの人』が憧れた場所。

『あの人』が憧れた景色。

 悲願だったステージに、バンドで立てる。

 そのチャンスが、向こうからやって来たのだ。

 なのに。

 それなのに、何で……、

 

「たしかに……Roseliaでは次のFUTURE WORLD FES.でメイン・ステージに立つことは難しい……」

「友希那……?」

 

 なぜ言い訳をしているの……私……。

 この事務所に入れば、確実にフェスに出られるのよ。

 

「……友希那さん? すみません、何か気に(さわ)るようなことを言いましたか?」

「いえ……そうではなくて……」

 

 そして、

 

「少し……待って欲しい……」

 

 ようやく口をついて出た言葉に、友希那は当惑した。

 私……何を言ってるの?

 フェスに出られる、これ以上ないチャンスを……!

 それから少しして、判りました、と山田はうなずいた。

 

「友希那さんの中で答えが出る時まで、いくらでも待ちましょう」

 

 じゃあまた、ここに来ますから。

 そう言って帰る山田に、判ったわ、と絞り出すのがやっとだった。




 最近、CASIOPEAの『Universe』という曲をずっとヘビロテしています。
 結成二五周年にちなんだ二五分の八部構成から成る超大曲(!)なわけですが、縛りとして125テンポ、おまけに二度と五度の音を使わないという徹底ぶり。なんじゃこれは(褒め言葉)。
 皆さんもよかったら聞いてみてくださいな。ちなみに、私のおすすめは七部の『~Harmonize~』です。


 たぶん年内の投稿はこれが最後になるかと。
 皆々様、よいお年を。


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