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服、靴、アクセサリー、美容……。オシャレには、多少なりともお金がかかる。
そしてかかる費用を賄うには、働かずして稼ぐ方法はほぼ皆無と言っていいだろう。
少なくとも、一般的な家庭にとっては、そうだ。すなわち、起床して通勤、
学生もまた例外ではない。違うのは、仕事の代わりに学校があることくらいだろう。
つまるところ、リサもまた、アルバイトをしているというわけだ。
あれだけの大騒動の後にも
家から学校までの通学路の途中に位置するとあるコンビニエンス・ストアが、彼女の働き口である。
ポケットに突っ込んだ携帯が小さく震えたのは、まさにバイトのシフト真っ只中だった。
さっきまでいた客は今しがた自動ドアを潜って出て行ったところで、だから店内にはレジ・カウンターに立つリサと同僚、それからバックヤードにいる店長しかいない。すっかり
素早く取り出して、画面を
一通の、メールであった。
差出人は、
「
タップし、メールを開く。
その内容に、リサは息を
『from/湊友希那
sub/(件名なし)
来週の練習予定、取り消す。
他のメンバーにも伝えたから』
「うそ……」
思わず口元を手で覆い、声を漏らす。
たった今取り消されてしまった来週以降は、まだスタジオの予約を済ませていないのだ。それは事実上、Roseliaの練習が全てなくなったことを意味していた。
そんな。
これでは、本当にRoseliaが解散してしまう。
まだ、何も聞けていないのに。
まだ、何も話せていないのに。
友希那は、これで本当にいいのだろうか。
無論、フェスに向けた友希那の覚悟は、リサも知っている。
けれど、こんな形でフェスに出たとして、果たして本当に、友希那の夢は叶ったと言えるのだろうか?
ふいに、もう一人の幼なじみの顔が頭をよぎった。
その時だ。
「
妙に間延びした喋り方で、同僚の少女がこちらを覗き込んでくる。
短く切り揃えられた髪は白く、瞳は透き通ったアクアマリンだ。身に着けているのは、リサと同じ袖と襟に赤と青のラインが入ったシャツに薄い水色のエプロンである。
ゆるい顔つきがちっとも気にならないのは、きっと彼女ののんびりとした性格によるものだろう。
同じく
「えっ」
生返事をしてしまってから、
「あ、あーうん。そ!」
あわてて持ち直す。
「家が隣どうしでさ……」
言いながら、しかし徐々にその視線が下がってゆく。
そう。
ずっと、隣どうしだった。
ずっと、いっしょにいたのだ。
それなのに、と思う。
なんでアタシは、もっと上手く出来ないんだろう……。
友希那とも、
一哉とも。
そんな思いを悟られないように、リサは話題を
「そ、そう言えば、モカと
だが。
「まあ、一応……そう、なんですけど」
彼女にしては、その返事はいささか歯切れが悪い。気づいた時には、どうかしたの、と
「いや~、まあ、いろいろありまして~」
話し方は相変わらずだが、彼女が浮かべる笑みはどこか寂しげだ。
「いろいろって……どういうこと?」
「んーと……」
リサの問いに、モカは視線を彷徨わせる。
それから、
「蘭の家って、
慎重に言葉を選んで、話し始めた。
「蘭を後継者にしたいお父さんに、ただいまバンド活動を反対されてまして」
「それで落ち込んでた蘭を心配したら、みんなには関係ない、って言われちゃって……。で、ちょっとトモちんと蘭が衝突しちゃいまして」
「そっか……なるほどね。蘭も悩んでるんだ……」
似ている、と思った。
AfterglowとRoseliaが、ではない。
モカとリサ自身が、だ。
大切だからこそ、ずっとずっと『見守るだけ』で、決して自分から動こうとはしない。
だがその結果が、あんな事態を引き起こしてしまったのだ。
だったら……、
「……本当に大切なら、隣にいるだけじゃ駄目……」
ぽそり、と呟くその言葉は、モカだけではなく自分自身に向けた言葉であることに、リサは気づいていた。
そうか。
ああ、そうか。
「間違った方向に行かないように導くのも友達……ううん、『親友』の役目……なんだよ」
「隣にいるだけじゃ、駄目……」
「アタシもさ、友希那が幸せなら、ってずっと見守ってきた。もしかしたら間違ってるかも知れない、って思いながら、ずっと……。でもそれは、やっぱり間違いだったんだよね」
モカは、頭の回転が速い少女だ。だからこそ自分で答えに辿り着けるという確信が、リサにはあった。
モカならきっと大丈夫。
リサは、固く拳を握りしめる。
アタシは、今から取り戻さなくちゃいけない。
でもその前に、と思う。
一哉と話さなきゃ。
シフトを終えて真っ先に一哉にメッセージを送ったリサは、しかしそれから二日経つまで返信を放ったらかしにされることになる。
その間、一哉が今井家に夕食を
4
「参ったなあ」
一哉は机に突っ伏して、溜め息とともに吐き出した。
リサの言うとおりだ。
もっと早く彼女に話していたら、こんな状況にはなっていなかったかも知れない。
すなわち、Roseliaの空中分解、である。
理由がなかったわけではない。
だが友希那を想って取ったはずの行動が導いた結果が、これだったというだけだ。
遅かれ早かれ、こうなることは判っていたはずなのに、である。
突っ伏した彼に声をかけるのは、
「よっ、お疲れさん」
ライヴハウスの、控室である。
今しがた出番を終えて控室に戻ってきたばかりで、だから突っ伏した一哉の顔と机の間には汗拭き用のスポーツ・タオルが挟まれている。
身に着けた白い衣装にも、ギター・ストラップの形に汗の染みが出来ていた。
「影山はどした?」
「トイレ」
「んじゃ実里は?」
「更衣室に直行です」
楽屋は四人で一部屋だが、さすがに着替えまで同じ部屋でやるわけではないからだ。
「そっか」
そう言って、鳴海は一哉の向かい側の椅子に腰を下ろす。彼のジャケットもまた、まるでタスキをかけたかのように汗の染みが出来上がっていた。汗止めのヘッド・タイを外すと、下敷きになった前髪が何本か額に貼りついている。
「いやあ、楽しかったな」
「ですね」
披露したのは三曲と、少ない持ち時間ではあったが熱いステージになった。
機材転換のために暗転してからも、しばらくは爆裂のような拍手が鳴り止まなかったほどだ。
『歌詞』という言葉のコミュニケーションがなくとも、演奏する楽器それぞれから放つ気持ちが観客に届いたと思うと、この結果は上出来だと言えるだろう。
そんな中で、
「ところでガミや」
「はいはい」
「やっぱりお前さん、いつもと調子違うよな?」
鷲鼻のベーシストは、リーダーに起きている異変を正確に見抜いていた。
「ステージに立ってる時はあんまし気にならなかったけどよ」
ぎくり、とした。
「……どうしてそう思ったんで?」
応じる一哉は、突っ伏した姿勢から顔だけを鳴海に向けた格好だ。
「んー、
「勘って……そんなんで判るもんなんですか?」
「オイラの勘をあんまし
「ああ、いや、まあ……」
考える。
だが答えを出すのは一瞬だった。ここで変にはぐらかしても、何かの拍子に事態が露見するのは明白だからだ。
だったら、相談するのは早いうちに越したことはない。
リサが言っていたように。
「あるっちゃあ、あります」
そして、一哉は語り出した。
友希那が、Roseliaではなくソロのヴォーカリストとしてスカウトを受けていること。
一哉自身もまた、そんな彼女のバックバンドの一人として声をかけられていること。
「フェスへの切符は、友希那にとって喉から手が出る程に欲しいものなんです。だからこそ時間をかけて、あいつ自身が納得出来る答えを見つけるまでは誰にも言わない方がいいと思ってました」
だが二日前、ひょんなことから友希那のスカウトがメンバーに発覚し、今まさにRoseliaが解散の危機に陥っていること。
そして。
「ORIONがお遊び、ねえ……」
肩をすくめて苦笑する鳴海に紗夜から言われたことまで告げてしまったのは、あるいは思っている以上に自分がその言葉に打ちのめされているからなのかも知れない。
「もちろん遊びでやってるつもりはないけど、でもすぐに反論出来ない自分がいたのも事実なんです。たしかに彼女の言う通り、俺達は特に明確な目標があって活動してるわけじゃない」
Roseliaでいう、『FUTURE WORLD FES.』への出場、である。
だがORIONには、それが、ない。
「バンドやろうぜ、つって誘ったのはオイラだしな」
鳴海が笑うと、口髭もいっしょに歪む。
「そうでしたっけ」
「そうだよ」
でもま、と背もたれに背を預けると、彼の座るパイプ椅子が、ぎしり、と軋んだ。
「別にいいんじゃねーの? 遊びだろうが何だろうが、オイラ達、こうやってライヴしてることそのものが目標みたいなもんだし」
「え?」
「ガミよ、俺が誘った時にお前が言ってたこと、憶えてるか?」
鳴海の問いに、ついに一哉も身を起こす。
「俺が言ったこと……?」
「おうよ」
一年前……一哉が高校一年生だったころ、鳴海は同じ高校の三年生だった。
ある日の昼休みに中庭で一人ギターを奏でる一哉を見た鳴海が、声をかけたのだ。
いい曲だな。お前さんのオリジナルか?
ええ、まあ。
そりゃすげぇや。もっと聴かせちゃくれねぇかい?
……いいですよ。
二人が親睦を深めるのに、そう時間はかからなかった。
そんな中で、鳴海は野上一哉という人間に音楽性の面で強く惹かれていくことになる。
すなわち、たぐい稀なる
当時からすでにスタジオミュージシャンとしての活動を始めていた鳴海は、ゆえに気になったのだと言う。
一哉の音楽に対する高いモチベーションと飽くなき探求心は、いったいどこからきているのか。
その答えこそが、
「……子供のころに感じた音楽へのときめきを、今度は自分が誰かに伝えたい……」
「ときめき……」
「おう。忘れたわけじゃあるめぇな?」
忘れるものか。
そうだ。
ああ、そうだ。
俺にとって、音楽のルーツはいつだって……。
「オイラはさ、そう言うお前だからバンドやろうと思ったわけ。狭いスタジオで黙々と弾いてるのも悪かねえけど、こいつの曲をステージで……デッカい箱で爆音で響かせたら絶対楽しくなりそうだ、ってな」
そして、彼は言った。
「遊んで何が
にやり。
「だったら、友希那ちゃんにもそう伝えりゃよかったじゃねえの。オイラがORIONでお前の曲を
「そうだよ」
応えたのは、少女の声だった。
「私達だって、みんなカズくんの曲に惹かれて……胸がときめいたから、バンドしてるんだもん」
戸口に仁王立ちで、
淡いピンクのパーカーはオーバーサイズで、下に履いたベージュのミニの裾がかろうじて見えている格好である。腰に当てた彼女の右手は、真っ白なキャップを掴んでいた。
「そのカズくんが惹かれた音楽なら、それはきちんと向き合うべきだと私は思うな」
その後ろから、ひょっこり、と影山が顔を覗かせる。その頭が、しきりにうなずいているのが見えた。
「二人とも、いつから……」
「ちょっと前にね。何か二人で真面目に話してるから、気になっちゃって」
とにかくさ、と控室中央に置かれたテーブルを回り込むと、実里は一哉の隣に腰を下ろす。後に続いて、影山は鳴海の隣に座った。
「友希那のことにしても、ORIONのこれからにしても、カズくんがやりたいようにやればいいと思うな」
微笑みをたたえて、こちらを振り向く。
うんうん、と腕を組んでうなずくのは、鳴海だ。そのまま、ちらり、と横目で視線を投げてくる。
まるで、何かを
「まあ欲を言うんだったら、そろそろデカいライヴにも出たいなとは思ってるけど」
「ちょっとナルルン! せっかくのイイ雰囲気壊さないでよ~!」
「えー! いーじゃねーかよー! オイラもああは言ったけどさ、やっぱり何千人何万人とかの前で奏ってみたいんだって!! 絶賛製作中の新ベースちゃんも試したいんだよおっ!」
「あー、さてはそれが本音だなー!?」
わいわい、がやがやと騒がしくなる楽屋で、一哉は一人考え込む。
「俺がやりたいこと、か……」
一哉は衣装ズボンのポケットから携帯電話を取り出すと、チャットアプリを起動した。
通知がついているのは、まだ一哉が中身を開封していないからだ。
いや、放ったらかしにしていた、と言った方がいいだろう。
騒動のあった二日前の夜、唐突にリサからメッセージが送られてきていたのだ。その時は後ろめたい気持ちからすぐには返事を出せなかったが、今なら出来る。
俺のやりたいこと。
俺の願い。
それは……。
終演後リサと二日ぶりに連絡を取った一哉は案の定、彼女からのお叱りを受けることになった。
後編はまた近いうちに。