青薔薇を照らす星明かり   作:椎名洋介

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第七章 寄り添う者:後編

       

 

 

 あの日から、何もする気が起きなかった。

 予約していたスタジオでの練習をキャンセルし、学校が終われば真っ直ぐに家に帰る。今日なんかは、とうとう食事とトイレ以外は部屋から出なかったほどだ。

 週末なのだ。

 いつの間にか()は沈んでいて、だから友希那(ゆきな)は天井のシーリングだけ点けて、ベッドへうつ伏せに倒れ込んだ。

 身に着けているのも、部屋着のTシャツに黒のロングスカートである。

 それからどれくらいの時間が経ったのかは判らない。だが母親が呼びかけて来ないということは、まだ夕食前ではあるのだろう。

 事務所の人間に呼び出され、スカウトへの返事として一週間の猶予が提示されたのが、二日前。

 期限まで、残り五日。

 手にした携帯の画面には、一件の通知が届いていた。メールアプリだ。

 友希那を呼び出した、クイーンレコードの担当者からだった。

 メールを開き、返信を送る。

 たったそれだけだ。

 だというのに、なぜか携帯を持つ手は思うように動いてくれない。たったそれだけのことが、出来ないでいるのである。

 夢はもう、目と鼻の先にあるのに。

 手を伸ばせばすぐ掴める距離まで来ているのに。

 しかし指を動かそうとすると、決まって脳裏をよぎるのだ。

 それは、記憶である。

 この一ヶ月ばかりの、Roseliaとしての記憶だ。

 少しずつメンバーが集まってゆき、バンドとしての形になった。

 あっという間に初ライヴが決まり、友希那達はRoseliaとしてのデビューを飾った。

 決して長い付き合いではないが、それでもバンドとしての活動は、少なくとも友希那にとって心地よい時間であったことは確かだ。

 そう、一瞬でも『きっかけ』を忘れてしまうくらいには。

 そしてその事実こそが、友希那の行動を阻害するのである。

 どうして。

 夢を叶えるためならば全てを投げうつ覚悟を決めたはずなのに。

 どうして。

 みんなの顔が浮かんでくるの。

 紗夜。

 あこ。

 燐子。

 ……リサ。

 …………一哉。

 画面を閉じたはずの携帯が突然、ゔゔ、と震えた。

 チャットアプリに届いたメッセージだ。

 

「リサ……?」

 

<リサ:ゆっきな~! 窓開けて―!!>

 

 なぜ、こうも見計らったかのようなタイミングで来るのだろうか。

 寝そべったまま、慣れた手つきで返信する。

 

<友希那:忙しいから無理>

 

 しかし間髪(かんはつ)入れずに返ってきたリサのメッセージに、

 

<リサ:寝っ転がって何に忙しいのかな~?>

 

 思わず友希那は跳ね起きて、自分の部屋を見回した。

 大した広さではない。壁際にはパソコンデスクと低いレコードラックが並び、ラックの上にはCDラジカセが置かれている。その隣のスタンドにかけられているのは、ヘッドホンだ。

 フローリングや壁紙を除いて、部屋の色調は深いムラサキで統一されている。デスクも椅子も床に敷いたラグ・マットもベッドカバーも枕もベッドライトも、だ。

 その中で、彼女のベッドはベランダへと繋がる大きな()()し窓と平行になる格好で、デスクがあるのとは反対側の壁に頭を向けるように置かれている。

 

<リサ:カーテン開いてるぞ☆>

 

 釣られて窓の方を向いた目が、驚愕に開かれる。

 カーテンが閉じられていないことに、そこでようやく友希那は気がついたのだ。

 視界に映るのはムラサキの布ではなく、ガラスに反射した友希那自身の姿だ。その向こうには、夜空と隣人の家のベランダが見える。

 そこに、いた。

 にんまりと笑みを浮かべて、携帯を持つのとは反対の手で茶髪の少女がこちらに手を振っている。

 それだけではない。

 その隣に、もう一人、いた。

 少女の傍らに立って、ベランダの(へり)に寄りかかっているのは少年である。どこか吹っ切れたような彼女とは対照的に、彼の笑みは苦笑気味だ。そのまま、手にした携帯に二人は何かを打ち込んでゆく。

 直後、友希那の携帯が立て続けに震えた。

 新しいメッセージだ。

 二件の。

 

<リサ:おー! やっと気づいてくれた!!>

<一哉:よお。そっち行っていいか>

 

 友希那は、心の底からの溜め息をついた。

 そして、渋々返信する。

 

<友希那:好きにすれば>

 

 友希那とリサそれぞれの自室は、それぞれから繋がるベランダが向き合った格好になっている。このあたりの住宅街は建物の間隔も狭く、そのためその気になればベランダを介してお互いの部屋に転がり込むことも出来るようになっているのだ。

 二人の幼なじみが、慣れた動作でベランダを渡る。

 施錠された窓のカギを開けてやると、二人は足の裏についた汚れをはたき落としてから部屋に上がった。

 

「やっほー! 友希那の部屋に来るのってひっさしぶりだな~!」

「そうなのか?」

「うん。二~三年は来てないと思う。せっかく家が隣どうしなんだからさ、友希那ももっとうちに遊びに来てもいいんだよ?」

 

 言いながら、リサはベッドに、一哉は椅子に腰を下ろす。キャスターを転がして、ラグ・マットの上まで移動してきた。ベッドに腰かけた二人の正面に来る格好だ。

 

「……毎日のように会ってるのに、今さら何か用?」

 

 友希那の言葉は、半ば本音だ。一哉とはこの前のスタジオ以来だが、リサとは昨日も通学中に顔を合わしている。意図的に家を出る時間を早め、なるべく会わないようにしていたにも拘らず、である。

 

「あー、うん……」

 

 リサの笑みに、影が差す。

 

「まずはごめんねっ」

 

 スカウトのことだ。

 

「家の前でたまたま会った夜さ……あれからずっと、友希那はずっと一人で悩んでたんだよね? 一哉から聞いたよ、全部」

 

 弾かれたように友希那が振り向く先は、正面に向かい合った一哉だ。

 

「話したの……?」

 

 友希那の質問に、一哉は肩をすくめて見せる。

 そして、言った。

 

「ああ、話した。もう隠す必要もないだろ。スカウトがあった、ってことはバレてるわけだし」

 

 アタシさ、と呟くリサの視線が、次第に(うつむ)いてゆく。

 

「本当は、何かあるんじゃないかって気づいてた。一哉、隠し事ヘタだし」

「……それはそうね」

「おい」

「嘘は言ってないでしょ~? ……でもね、それが何なのかまでは気づけなかった……気づこうと、しなかった……!」

 

 奥歯を()みしめて、落されたリサの肩は小刻みに震えている。

 

「アタシ、友希那の親友失格だよね……。友希那が幸せなら、なんて言っといて、ただ『見守るだけ』で自分から動こうとしなかったんだもん……」

 

 リサの悲嘆(ひたん)は、

 

「俺も同じだよ」

 

 一哉に引き継がれた。

 

「一緒に悩むべきだったのに、一人にさせた。夢を知ってるからこそ、下手に踏み入らない方がいいって、勝手に結論づけて……そのせいで、こうなった。……だから、ごめん」

 

 一哉の謝罪に、リサが補足を入れる。

 

「一哉、断ってたんだって」

 

 何を?

 決まってる。

 スカウトを、だ。

 

「……そう」

 

 なぜか、そんな予感はしていた。

 去り際に聞いた、事務所の人間の言葉が引っかかっていたからだ。

 同じ轍を踏むことのないようにお願いしますよ。

 あの時点で、彼は『答え』を出していたのだ。

 

「やっぱり、ね……」

 

 ……ああ、

 どうしてこの二人は、ここまで……。

 

「アタシ達ね」

 

 そんな友希那の思いを知ってか知らずか、リサは続ける。

 

「友希那の力になりたいんだ」

 

 柔らかい微笑みをたたえ、手をこちらに差し出して。

 だが、

 

「お父さんのことも、Roseliaもフェスのことも、ずっと友希那一人に背負わせちゃってたから。だから、これからはアタシ達もいっしょに……」

 

 言いかけたリサを遮るように、

 

「なんでっ!?」

 

 友希那は思わず言い放っていた。 

 突然の大声に、びくり、と二人の肩が動く。差し出された手が、友希那に弾かれたせいで引っ込んだ。

 

「なんで……なんで二人とも、いつもそうなの!? なんで謝るの! リサも一哉も悪くない! 悪いのは全部私じゃない!!」

 

 止められない。

 感情の濁流が、止められない!

 

「私の自分勝手でこうなったことくらい判ってる! スカウトを断らなかった私のせいなのに……!」

 

 なんで私のことを責めないの?

 なんで私のことを怒らないの?

 なんで、

 

「なんで……優しくするの……」

 

 (せき)を切ったように、涙が溢れてくる。

 

「いつも……いつもそうよ……。私が何をしてもリサは笑って……一哉も、いつもそばにいてくれて……」

 

 零れそうになるのを、必死になってこらえた。

 無駄だった。

 

「私は……二人がいると、駄目なの……。一哉と違って、私はちゃんと音楽に向き合えない……っ!」

 

 どんなに歯を()いしばっても、(のど)の奥に号泣を()()んでも、それでも肩の震えを隠しきれずにむせび泣いてしまう。

 それは『あの日』以来誰にも見せることなかった、湊友希那の『弱さ』だった。

 認めざるを得なかった。誰か助けが必要なのだ。

 だからこそ、

 

「大切だからだ」

 

 一哉の顔に顔を上げて、その時初めて自分が俯いてしまっていたことに気づいた。

 

「大切だから、俺達は友希那と向き合ってるんだ」

 

 それが、彼の答えだった。

 

「俺もリサも、自分の気持ちと向き合って、今ここにいる。だから友希那も音楽と向き合う前に、どうしたいのか何をしたいのか……自分の気持ちと向き合ってくれよ」

「自分の、気持ち……」

 

 そうだよ、とリサが友希那の手をとった。

 

「フェスに出たい、って友希那の覚悟は知ってるよ? でも皆で演奏してた時は、昔の……友希那のお父さんといっしょにセッションしてたころの友希那が戻ってきたみたいで、すごく嬉しかった。少なくともアタシには、友希那が幸せそうに見えてたよ」

 

 だから、と両手で優しく包み込む彼女の(てのひら)は、とても温かい。

 

「もし迷ってるなら、今はRoseliaを捨てないで欲しい」

 

 にんまりと、リサが笑う。

 

「それがアタシの気持ち」

「……気持ちだけでは、音楽は出来ないわ」

 

 やっとのことで絞り出した言葉は、

 

「本当にそうか?」

 

 一哉に一蹴された。いつのまにか椅子を降りて、ラグの上にあぐらをかいている。

 

「俺なんか、むしろ気持ちだけでやってるとこ、あるぞ」

「え……?」

「聴いてくれる人に盛り上がって欲しいし楽しんで欲しいし……踊ってもらえたらもう最高! って感じで」

「それはあなたのやり方でしょ!? 私はあなたみたいにはなれないの!」

「そりゃそうだ。俺と友希那は別の人間なんだから」

 

 でもな、とこちらを見上げる瞳は、昔のままだ。

 困ったように眉を寄せるその表情は、懐かしささえ感じられた。

 

「『気持ち』が……『こころ』がなきゃ、『思い』は決して届かない」

 

『こころ』がこもるからこそ、人は『音楽』に『こころ』を動かされる。

 

「俺はそれを、智之(としゆき)おじさんに教わった」

 

 友希那の父だ。

 無論、夢を諦める前の、である。

 

「あ……」

 

 思わず、友希那は声をあげた。

 思い出したのだ。

 公園でのセッションでギターと出会った一哉は、それ以来智之にギターを教えてもらうようになった。

 まるでスポンジが水を吸うような勢いで新たなコードやフレーズを身に付け、新たな曲を弾けるようになっては友希那とセッションする、そのたびに弾けんばかりの笑顔を浮かべる幼い彼の姿は、今でも友希那は(おぼ)えている。

 小学生に上がってしばらくしたころだろうか、いつものように湊家でギターを奏でる一哉を見守っていた智之がある日、口を開いたのだ。

 それはいつか、友希那も訊かれた言葉だった。

 

 ……一哉くん、音楽は好きかい?

 ……うん。大好きだよ! こうして弾いてるとね、楽しくってわくわくして、それから胸の奥がぐっと熱くなってドキドキするんだ!

 ……わくわくドキドキ、か……。

 ……おじさんは、わくわくドキドキしないの?

 ……もちろんわくわくするよ。それにドキドキもする。心の底から音楽が好きだからこそ、僕もキミみたいに演奏している瞬間が何より好きなんだ。

 ……へ~。

 ……でもね。たとえどんなに演奏が上手でも、『こころ』がこもってなかったら『思い』は届いてくれない。『こころ』がなくなった瞬間に、それはただの『音』の『流れ』に……『音楽』ではなくなってしまうんだ。

 ……おじさんのお話、ムズカしくってよくわかんないや。

 ……パパ、私も~。

 ……えっ、友希那もかい? そうだな……とにかく、一哉くんが感じた気持ちを大切にすること。これが一番大事かな。それさえ忘れなければきっと、ギターももっと(うま)くなれるさ。

 ……友希那の歌みたいに?

 ……私の歌?

 ……ああ。

 ……わくわくドキドキを?

 ……ああ。わくわくドキドキだ。

 ……でも、ちょっと長いよ。

 ……じゃあ、少し短くまとめようか。いい機会だから、友希那も憶えておくといい。

 ……うん!

 ……いいかい二人とも。これからもずっと音楽を好きでいる気持ち……、

 

「……ときめきを忘れては駄目だよ……」

 

 友希那の呟きは、ほとんど無意識である。だがその無意識に選ばれた単語に、一哉はうなずいて見せた。

 

「それが俺の気持ちだよ」

 

 ぽりぽりと頭を掻いて、一哉の笑みは苦笑である。

 

「ま、言いたいことはほとんどリサに取られたけど。まあ付け加えるなら……」

 

 ふう、と息を吐いて、一哉は言った。

 

「俺は友希那の歌が好きだ」

 

 それは、告白だった。

 

「小さいころ、あの公園で初めて聴いた時から……俺は友希那の歌に心の底から()かれてた。()れてた」

 

 恥ずかしがることなく淡々と言ってのける彼に、なぜか顔のあたりがほんの少しだけ、熱を帯びたような気がしたのは友希那の気のせいだろうか。

 

「でもおじさんの件があってから、すっかり変わっちまって。だからRoseliaが出来た時は、正直ほっとした。やっと、昔みたいに戻れる場所が出来たんだ、って……そう思った」

 

『音楽』に執着するのではなく、楽しんでいたころの湊友希那に。彼は、そう言っているのだ。

 

「あとは、リサと同じかな」

 

 つまり、

 

「俺も、友希那にはRoseliaとしてフェスを目指して欲しい。ORIONと同じくらい、俺にとっちゃRoseliaも大事なバンドだからさ」

 

 それから、

 

「俺はRoseliaで、友希那の音楽を奏でたい」

 

 それこそが、二人の気持ちである。

 だから、それを伝えに来たのだ。

 こうして、わざわざ部屋に上がり込んでまで。

 だったら、と思う。

 私の『気持ち』は、いったい何?

 お父さんの代わりにフェスに出る……その『気持ち』だけで、ここまでやってきた。

 でもそれは、フェスで否定されたお父さんの音楽を、娘たる私がフェスの舞台に立つことで皆に認めさせたかったからだ。言わばそれは、敵討ちのようなものだ。

 だとしたら。

 私が本当にやりたいことは……?

 

「よっしゃ」

 

 言って、一哉が立ち上がる。彼が向く先は、友希那の隣に座るリサだ。

 

「そろそろ帰るか。言い足りないこととか、あるか?」

「ううん、ないよ。全部言ったからスッキリしちゃった!」

「そうか」

 

 それから、一哉はこちらを振り向く。

 

「友希那……」

「……なに?」

 

 友希那の問いかけに、彼はしばらく応えなかった。

 じっと、こちらを見つめて。

 瞳を見据えて。

 それから満足げにうなずくと、呟いた。

 

「またな」

 

 それが最後の一言だった。

 一哉に続いて、じゃっ、とリサが快活に手を振って部屋を出てゆく。

 こちらのベランダからあちらのベランダへと、二人は帰って行った。

 向こうの窓が閉じられてカーテンが引かれるを見届けてから、友希那も窓を施錠してカーテンを閉じる。それから、ベッドに仰向(あおむ)けで横になった。

 天井のシーリングが眩しくて、目元を腕で覆った。

 正直、まだ気持ちの整理はついていない。

 けれど。

 

「自分の気持ちと向き合う、か……」

 

 少し……ほんの少しだけ前に進めるような、そんな気がした。

 

 

 リサの呟きは、

 

「一哉」

 

 自分の部屋に戻ってきて、カーテンまで閉じてからだった。

 ベッドに腰を下ろして、床に座った一哉に向いて。

 

「これでよかったんだよね」

「だといいけどな」

「でも、今アタシ達に出来ることは、たぶん……やれたはずだよ」

「そうだな」

 

 言って、一哉は組んだ両手を天井に向けて、ぐっと伸ばす。

 

「俺達の気持ちは全部ぶつけた。後は、友希那がぶつけてくれるのを待とうぜ」

 

 ちゃんと、己の気持ちと向き合ったうえで。

 

「うん」

 

 リサは、そう応えた。

 

「そうだね」

 

 それから。

 

「……あのさ」

 

 リサも、ベッドから降りて床に座る。

 一哉の隣になる格好で。

 

「もう、隠し事はしないでね」

「リサ……」

 

 言いながら彼のパーカーの裾をつまんで、ぎゅっ、と握りしめる。

 

「……困った時くらい、幼なじみを頼ってよ」

 

 リサの言葉に、一哉は何度かうなずいてから、応えた。

 

「判った」

 

 夕飯に呼ばれたのは、それからすぐだった。

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