青薔薇を照らす星明かり   作:椎名洋介

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第八章 Re:birth day:後編

 奇跡のバンドマン、と呼ばれた男がいた。

 湊智之(としゆき)その人である。

 学生時代にバンド活動を始めると、めきめきと実力をつけていった。

 天才的な作曲センスと魂を削るようにして紡がれる歌詞、そして命を燃やして歌う彼の姿が、観客を魅了した。

 大学時代の友人が立ち上げたインディーズ・レーベルに所属したのは、ちょうど娘が生まれたころだった。

 全てが順調だった。

 順風満帆(じゅんぷうまんぱん)、と言ってもいい。

 不定期で制作されるアルバムはインディーズにしては異例の売り上げを見せて、レコ発ライヴは超満員、雑誌での特集も何度も組まれては『FUTUR WORLD FES.』への出場を最も有望視されている、そういった人物なのだ。

 いや、そういった人物だった……と言うべきだろうか。

 だがやがて、破局が訪れた。

 いや、その萌芽(ほうが)はもっと以前……メジャー・レーベルの目に留まり、メジャーでのデビューを持ちかけられたことから始まっていたのかも知れない。

 まず、それまで自分達でしてきた曲作りを、事務所が抱えるプロの作編曲家が担当するようになった。歌詞も同様に、だ。

 商業的な成功を求められた。

 だが何よりも屈辱的だったのは、念願だったフェスで披露する曲さえもが、強制的に事務所プロデュースの楽曲に変更させられたことだった。

 だが問題なのは、突然のサウンドの変化にオーディエンスがついてこれるはずがなかった、という事実である。

 そして、それはバンドメンバーとて例外ではない。

 ひいては、智之自身も。

 それが引き金だったのかは、実のところ判らない。

 しかし二年前の春、智之のバンドは突然、解散した。

 フェス出演後に発売されたオリジナルアルバムを最後として、事実上、消滅してしまったのである。

 そして、彼は表舞台から姿を消した。

 だが少なくとも、そのジャンルに完全に無関心でない限り、誰もが知っている人物であると言える。

 そう。彼の音楽は、決してフェスで見せたようなものではないのだ。

 だからこそ、一人の少女は立ち上がった。

 彼が『音楽』というものに希望を見失い破滅してゆくのを。最も近くで見ていたたった一人の娘が。

 友希那が。

 復讐(ふくしゅう)のために。

 父の本当の音楽を、認めさせるために。

 湊智之。

 奇跡のバンドマン。

 

「そのバンド……前に雑誌で見たことがあるわ」

 

 翡翠の少女が口を開く。

 

「インディーズ時代のアルバムは名盤揃いだって……」

 

 おそらくそれは、彼が引退してからどこかの音楽雑誌が組んだ特集の何かだろう。きっと惹句(じゃっく)は『惜しまれつつも引退したアーティスト達を振り返る』とかに違いない。

 

「湊さんのお父さんが、そうだったの……」

「Roseliaを立ち上げた私は、『自分達の音楽を極める』なんて言葉で私情を隠して、あなた達を騙した。……この前は上手く言葉に出来なかったけど、私には責任がある」

 

 私情のために音楽を利用してきた責任。

 そのために、バンドメンバーを騙し続けてきた責任。

 

「その責任をどう取ればいいのか、ずっと悩んだわ。一時は、Roseliaから抜けるべきなんじゃないかとも思った……。私と違って、あなた達の信念は本物だから」

 

 でも、と友希那は続ける。

 

「私は、あなた達と音楽がしたい……! このRoseliaでなきゃ駄目なの!」

 

 もう一度、Roseliaという一つのバンドとして音楽を奏でたい。

 今この胸にある『ときめき』を、失いたくない。

 それこそが、湊友希那が向き合った本当の『気持ち』だった。

 

「でも、みんなの意見は判らない……こんなことをしておいて都合が良過ぎるのも判ってる。でも……」

「……それでも」

 

 口を挟んだのは、傍らに立つ一哉だった。

 

「お願いします」

 

 言って、彼は深々と頭を下げる。

 意外そうに、紗夜が目を見開いた。

 

「友希那が必死こいて、ようやく自分で見つけた『答え』なんだ。身内びいきかも知れない。俺のワガママかも知れない。でもどうか、こいつの頼みを、聞き届けてやってください」

「アタシからも」

 

 言いながら、リサが前へ出る。

 

「お願いします」

 

 一哉と同様に、頭を下げた。

 友希那もまた、二人に続くように頭を下げる。

 

「頭を上げてください」

 

 そんな三人に最初に声をかけたのは、紗夜だった。

 溜め息混じりで。

 

「そんなことをして欲しいんじゃありません。それに湊さん、あなたが言ったのよ? Roseliaに私情を持ち込まないで、って」

 

 そうだ。

 そのとおりだ。

 だが、

 

「でも……」

 

 その言葉には、続きがあった。

 

「あなたの気持ちも、判るわ」

 

 見ると、彼女の顔には今までにない表情が浮かんでいた。

 肩をすくめた、それは苦笑なのだ。

 

「音楽を続ける動機はともかく、始める動機なんて……みんな、私的なものなんじゃないかしら」

 

 つまり、私情、である。

 

「そ、そーだよっ!」

 

 賛同するように声をあげたのは、あこだ。

 

「あこだって、おねーちゃんみたいになりたかったからだもん!」

「わたしも……」

 

 くすり、と笑みを浮かべて見せて言うのは、燐子だ。

 

「……どこかで、こんな自分を変えたい、って思ったから……」

「アタシは友希那と……って、言うまでもないか」

 

 それは、それぞれが音楽を始めるに至った、私的な動機である。

 そして友希那もまた、音楽を始めた『きっかけ』そのものが父への憧憬(どうけい)だったことを、思い出した。

 きっと、と友希那は一哉を見上げて思う。

 あなたも……。

 

「抱えているものはそれぞれにあっていい。どうしても手放せないから抱えているんでしょう? だったら、そのまま進むしかない……そうじゃない?」

「紗夜……」

「それに、私もまだ、Rosleliaを終わらせたくはないですから」

 

 手を伸ばす紗夜に、友希那も腕を伸ばして握手に応える。そして力強くうなずく友希那に、彼女もまた、うなずきで返した。

 あっ、と思いついたように、あこが声をあげる。

 

「これってもしかして、Roselia再結成フラグですか!?」

「解散してない」

 

 友希那の返しは、奇しくも紗夜と一言一句(たが)わなかった。

 思わずお互いに顔を見合わせ、それから、くすり、と笑った。

 それから、

 

「ああ、そう言えば」

 

 言いながら、紗夜の視線が動く。

 その先にいたのは、一哉だった。

 

「……ん? 俺?」

「湊さんは断ったとのことですが、あなたは結局どうしたんですか?」

「はい?」

 

 いきなり話を振られた彼は、きょとん、と目を剥いている。

 

「スカウトのことです」

「え!?」

 

 後退(あとずさ)った。

 

「あ、いえ、まあ……その、どうしたもこうしたもないといいますか……」

 

 彼女の気迫に気圧されたように頭をぽりぽりと掻いて、一哉の方は判りやすいくらいの狼狽だ。目なんか合わせようともせずに、全然違う方向を向いている。

 だが、翡翠の少女は容赦がなかった。

 

「どうしたんですか?」

 

 言いながら、一歩前へ出る。

 

「いや、ええと……」

「ちょっと()()、あんまり(いじ)めないであげなよ」

「そうだよ紗夜さん! 一哉さんは……」

 

 だがその気迫が綺麗さっぱり消え失せたのは、リサ達が助け舟を出した時だった。

 二歩ほど退がってから、彼女はしてやったりとばかりに笑みを浮かべて見せたのだ。

 

「ふふっ、冗談です」

「……え?」

 

 眉を寄せ、目を見開き、唇を尖らせる……さながらひょっとこのような珍妙な表情で、訊ねる一哉の声は裏返っている。

 

「冗談?」

「はい」

「冗談が冗談……みたいなオチじゃなしに?」

「そんな回りくどいことはしません。さっきの詰問(きつもん)が、です」

「もしかして……俺がスカウト断ってたこと、気づいてました?」

「ええ」

 

 もっとも、と彼女は続ける。

 

「もしかしてと思ったのは、湊さんからメールを受け取った日なんですけどね」

「え?」

「動画を見たんです。去年の、ORIONのライヴを」

 

 去年と言えば、友希那の記憶ではまだORIONのドラマーは影山になる前だ。

 だが、そんな細かいことはどうでもいい。

 

「見事なパフォーマンスでした。画面越しに見ていた私まで、心躍ってしまうほどには……」

 

 それを見た彼女が何を感じたか、何を思ったかが重要なのだ。

 

「画面の中のあなた達は、とても楽しそうに演奏していた。音楽が……バンドが好きであるという気持ちが、真っ直ぐに胸に届いてきたんです。そんなあなたが、バンドを裏切るような行動は取らないのでは、と」

「あの」

 

 おずおずと、燐子が手を挙げる。

 

「実は……なんとなく、わたしもそんな気がしてたんです……」

「え、白金さんも?」

「はい。……気づくきっかけは、違いますけど……」

「そうだったのか……」

 

 ですから、と紗夜は言った。

 

「この前の失言を、どうか(ゆる)してください」

 

 綺麗な四五度で頭を下げた、そんな彼女の言う『失言』が何を差しているのか、友希那は気がついていた。

 そしてそれは、一哉も同じだったようだ。無論、リサも。

 

「そんな……俺は別に気にしてないから……」

「いえ、それでは私の気が済みませんので」

「えー……」

 

 幼なじみの少年は、助けを求めるような視線をこちらに寄越してくる。だから友希那は、肩をすくめてみせることにした。

 自分でどうにかしなさい、だ。見ると、リサも同様に苦笑を浮かべている。

 困ったように顎をさすって、一哉は目を閉じる。そして開くと、彼は真っ直ぐに紗夜を見つめた。

 

「だったら、半々ってことにしません? 俺もみんなに隠し事してた事実はあるわけだし、少なからずの非はこっちもあるよ」

 

 お互い様にしようと、彼は言っているのだ。

 

「……判りました」

 

 紗夜の方も、それで納得したらしい。こほん、と咳払いをしてから、彼女は友希那達を見渡した。

 

「では、最後に。私達はRoseliaとしてFUTURE WORLD FES.のコンテストにエントリーする、みんな、それでいいかしら?」

 

 紗夜の言葉に対する返事は、人それぞれ。

 そんな中で、

 

「……それについて、大事な話があるの」

 

 突然放たれた友希那の言葉に、全員がこちらを振り向いた。

 

 

「友希那?」

 

 傍らの幼なじみを振り向いて、一哉は声をあげた。

 大事な話がある、彼女はまさに、そう言ったのである。

 

「なんでしょう?」

 

 紗夜だ。

 

「まさか、今さらコンテストに出ない、なんてことは言わないですよね?」

「違うわ。改めて私達がフェスに向けて動き出すことには何の変わりもない」

 

 ただ、と友希那は付け加える。

 その目が、真っ直ぐに一哉を見つめていた。

 

「今回のコンテスト、私はサポート抜きで挑みたいと思ってる」

「え!?」

 

 驚愕の声は、誰があげたのかは判らない。見事なまでに被っていて、それは歌姫の発言の突拍子の無さを物語っていた。

 

「え……?」

 

 一哉も同様に、けれど唇の隙間から漏れるのは困惑である。

 友希那が言っていることを理解するのに、いくばくか時間がかかった。

 そして理解した瞬間、一哉の口から零れるのは、疑問である。

 

「どうして……」

「ちょ、ちょっとまってよ友希那」

 

 続いて声をあげたのは、リサだった。言いながら友希那に詰め寄る彼女もまた、明らかにうろたえている。

 

「今のどういう意味!? サポート抜きでって……それじゃ一哉は!?」

「そうですよ友希那さん! 一哉さんもRoseliaのメンバーなんだよ!?」

 

 続くように、あこも友希那に駆け寄った。その手を取って、ぶんぶんと上下に振っている。

 

「リサ……あこも、最後まで話を聞いてちょうだい」

「でも……」

「リサ」

 

 逸る鼓動を押さえ込んで、一哉は言葉を絞り出す。膝から崩れ落ちないだけ、まだマシだ。

 

「あこちゃんも、ありがとう。けど大丈夫だから」

「一哉……」

「一哉さん……」

 

 半分は、本当。

 もう半分は、嘘だ。

 友希那の隣でRoseliaとして音楽を奏でたい……その気持ちを彼女に打ち明けた矢先に、いきなりこんなことになってしまっているのだから。

 

「一哉……」

「……友希那も、何の理由もなしに言ってるわけじゃないんだろ?」

「当然よ」

「だったら、いい」

 

 友希那が考え、悩み、その上で下した決断であるならば。

 

「なにも、一哉にRoseliaのサポートを辞めてもらう、というわけではないわ」

 

 それは、友希那がこれから話す内容の、前提条件だった。

 

「これからも練習には参加してもらうし、必要があれば遠慮なくいっしょにステージに立ってもらう。もちろん、どちらもORIONのスケジュールとの兼ね合いを(はか)った上で、よ」

 

 なるほど。

 

「そうなるとこの先、私達はどうしても一哉を除いた五人での活動がメインになると思うの。この前みたいなことが、また起きないとも限らないし」

 

 RoseliaとORIONのダブル・ブッキングが起こった、CiRCLEのイベントだ。

 

「だから今度のコンテストには、今後の指標としても五人で(のぞ)みたい、というのが理由の一つよ」

 

 つまり、

 

「他にも?」

「ええ」

 

 歌姫は、うなずく。

 

「あるわ」

 

 そして、

 

「一哉」

 

 彼女は言った。

 

「あなたには、ORIONでコンテストにエントリーして欲しいの」

「は……?」

 

 ORIONで、FUTUR WORLD FES.のコンテストに出る?

 

「なんで?」

 

 今度の問いかけは、するりと出てきた。

 

「さっきの友希那の言い分は判った。でも、それがどうして、ORIONのエントリーに繋がるんだよ?」

 

 だが友希那はその質問へ答えるよりもまず、

 

「紗夜」

 

 翡翠のギタリストの方を向いた。

 

「この前のライヴで私がORIONに対して言ったこと、憶えているかしら?」

「え? あ、ええ、はい」

 

 紗夜は少し考える素振りを見せてから、

 

「いずれ私達が超えるべき壁になる存在、でしたよね」

「ええ」

 

 超えるべき壁?

 

「どういうことだ?」

「そのままの意味よ」

 

 彼女はそう言った。

 

「私達が音楽に魅せられた『きっかけ』、憶えてるわよね?」

「そりゃあ、忘れるわけないだろ」

「それなら、判るはずよ」

「はあ?」

 

 さっぱりだ。

 一哉と友希那……そしてリサが音楽を好きになった瞬間、側にいたのは湊智之だ。

 彼のギターに倣って、友希那は歌い、リサはベースを構えて、一哉もギターを奏でる。

 そうやって育ってきた。

 だからこそ俺は……、

 

「……まてよ」

 

 おいおい、ちょっとまてよ。

 まさか。

 

「あっ」

 

 だが最初に声をあげたのは、黙ってやりとりを見守っていたリサだった。ぴこん、と豆電球が光ったような、まさにそれは閃きだ。

 

「……もしかして友希那、ORIONに挑戦しようとしてる?」

「はあ!?」

 

 思わず、一哉は素っ頓狂な声を上げてしまった。それから、もう一人の幼なじみの方を見やった。

 銀髪の少女の目が、真っ直ぐにこちらを見据えている。

 その瞳は、澄んだ琥珀色(こはくいろ)である。

 

「……そういうことなのか?」

 

 その頭が、たしかにうなずいた。

 そして、話し始める。

 

「かつて同じバンドマンのもとで音楽を習っていた私達が、何の因果かお互いにバンドを組んだ」

 

 活動を始めたのは、一哉の方が一年ほど早かったが。

 

「どっちが上か下か、なんて不毛な論議には興味ないわ。でもなぜかしら……」

 

 言いながら、友希那は胸の前で祈るように両手を握りしめる。

 

「あなたには『今』の私達の音楽を聴いてもらいたいし、何よりあなたの『今』の音楽を聴きたい……私達が頂点へ辿り着くためには、それが必要な気がするの」

 

 友希那の口元に浮かぶのは、笑みだ。

 どこまでも柔らかい、それは一哉が久しく見ていなかった、友希那の『微笑み』だった。

 

「お父さんから『ときめき』を教えてもらった者どうし、ね」

 

 友希那は、歌を。

 一哉は、ギターを。

 お互いにお互いの『音楽』をぶつけ合い、その上でRoseliaは上位三位以内に喰い込んでフェスへの切符を掴み取って見せる。

 目の前の幼なじみは、そう言っているのだ。

 

「友希那」

「なに?」

「……いいんだな?」

「自分の気持ちと向き合えって言ったのは、どこの誰だったかしら?」

「やるからには、こっちも本気でフェス狙いに行くぞ」

「そうでないと困るわ。それに、私達だって負けるつもりはないから」

「そうか」

「ええ」

 

 一哉の唇に、笑みが浮かぶ。

 友希那の微笑みも、いくらか挑戦的な笑みに変わった気がした。

 だったら。

 

「判った」

 

 野上一哉はうなずいた。

 なにより、

 

「その話、めちゃくちゃ面白そうだな」

 

 彼の心は今まさに、ワクワクドキドキしていた。

 

 

 

       

 

 

 FUTURE WORLD FES.コンテストには、大きく分けて音源審査と公開審査の二種類の審査が存在する。

 期日までに演奏した楽曲を収めたデータと必要書類を送りつけるのが音源審査、それらをパスし、審査員に加えて一般客の来場するステージで実際に演奏して見せるのが公開審査である。

 しかし実際にフェスへの切符を手にすることが出来るのは、その中のさらにごく一部……上位三組だけなのだ。

 音楽界の未来を担うだろう若手バンドを輩出するには、狭き門であると言える。

 だがその狭き門を抜けなければ、頂点へ昇り詰めることなど出来はしない。それが友希那の言い分だった。

 そして、そのために今、何が必要なのかも。

 

「友希那、ちょっとそこの消しゴム取ってくれるか?」

「……はい」

「ん、さんきゅ」

 

 野上家の、リビングである。壁際のテレビと向かい合うように置かれた大きな『L』字型ソファとの間にある、背の低いテーブルに、一哉と友希那は隣り合うように座っていた。友希那は自宅から持ち込んだノートパソコンを広げて打ち込みソフトを展開しているし、一哉はギターを構えて一音ずつ確かめながら手元の五線紙に書き込んでいる。

 友希那達がRoseliaとして再び一つにまとまってから数日後。今の気持ちを正直に歌にしたい、と言い出したのは友希那だった。

 それは妥当な判断だと、一哉も納得している。

 何しろ音源審査に必要な楽曲は二曲。しかも、どちらもオリジナル曲であることが規定されているのだ。

 ところがここで、ある問題が浮上する。

 Roseliaにはまだ、オリジナル曲が一曲しかないのである。

 提出期限まで余裕があるとはいえ、早急に新曲を用意する必要があった。可能であれば、提出用の音源を録るまでに何度か全体の音合わせもやっておきたい。

 つまりそういうわけで、騒動がとりあえずの幕引きを迎えてから最初の週末、二人はテーブルに向き合っていた。

 生活音らしい生活音もほとんどないので、環境的な面で言えば一哉の家は曲作りに持って来いなのだ。

 ただし、進捗状況はあまり芳しくないと言える。

 特に、友希那の方が。

 陽の光が落ち始めたころ、傍らで聞こえていたキーボードを打つ音が、ふいに止んだ。

 

「あ、祈りタイム入った」

 

 彼の傍らで、銀髪の少女が突然、顔をあおのかせて天井を見上げたのである。そのまま背後のソファに背をあずけて、ゆっくりと目を閉じる。お腹のあたりに置かれた両手は、指を組んでいた。

 歌詞は、驚くほど早い段階である程度のまとまりを見せた。だがそこから先のメインとなる旋律が、いまだ決まらずじまいなのだ。

 

「ねえ」

 

 ふいに、友希那が声をあげる。

 

「ん?」

「参考までに()いておきたいのだけど、あなたって今まで何曲書いてきたの?」

「んん、どゆこと?」

「ORIONを組んでから今までに書いた曲よ。何曲あるの?」

「ええと、何曲だっけかなあ」

 

 シャーペンを走らせる手を止めて、少し考える。目線だけを上にして、思い出すのはこの約一年の活動の記憶だ。

 

渋谷(しぶや)dub(ダブ)で初ライヴした時にやったのは、もともと書いてた五曲だろ。……で、夏休み返上して書き下ろしたのが一〇曲近くで……秋にも書いたっけな? ええと、後は年末年始に()(こも)ってやったのがだいたい……」

「も、もういいわ……」

「え、そう? とりあえずまあ、そんなとこだ」

「随分と、書いたのね」

「ああ」

 

 我ながら同感だ。

 たまに実里(みのり)が曲を書くこともあるが、それでもORIONの大半の楽曲を手掛けているのは一哉なのだ。当然、アレンジも含めて、である。

 

「たぶんレパートリーだけで言えばけっこうな数じゃないかな」

「そんなに?」

「バンド組む前に書いてた曲とか含めると、たぶん」

「そう……」

 

 友希那の唇から漏れるのは、純粋な感嘆だ。それから姿勢を直して、顔だけをこちらに……正確には一哉の手元にある五線紙に視線を向けた。

 

「それでいて、また新曲を書いているんでしょう?」

 

 そう。

 曲を書き下ろすのは、何もRoseliaだけではない。

 ORIONもまた、コンテストへ向けた新曲の制作に入ったのである。無論、その作曲とアレンジは、全て一哉が担うことになる。

 

「まあ、曲作りが半分趣味みたいなもんだから」

「どうしたらそんなに早く書けるのかしら」

「さあな~。別に早けりゃいいってもんでもないけど。……そう言えば、そっちのテーマって『再出発』だっけ」

「ええ。一哉は?」

「『原点回帰』」

「ああ、それで」

 

 納得したように言いながら、彼女の視線は五線紙の上端を見つめている。ORIONの新曲……そのタイトルが書かれているあたりだ。

 その琥珀色の瞳は、遠い昔を思い出しているようだ。

 

「曲にするなら今しかない、って思ったんだ」

 

 憧れたバンドマンから渡された『思い』を。

 

「そう」

 

 だが友希那の話は、まだ続いていた。

 

「あなたこそ、ORIONの方にはもう話したの?」

「コンテストのことか?」

「ええ」

「それがさ、もう目茶苦茶盛り上がってたよ。特に実里と鳴海(なるみ)さんが」

 

 鳴海なんて、見事なガッツ・ポーズまで決めて喜んでいたっけか。

 

「……なんとなく想像がつくわ」

「それこそ、ドデカいフェスなんて去年以来だからな」

 

 それも年の瀬に催された『CROSSOVER JAM』以来、である。思えば、あれもアマチュア・コンテストを経ての出場だった記憶がある。

 

「今、燃えに燃えてるさ」

「あら、もうフェスのメイン・ステージに立つ気でいるのかしら?」

「当然」

 

 一哉の唇が、挑戦的な笑みに歪む。

 今の一哉は、Roseliaのサポート・メンバーではない。

 ORIONのリーダーなのだ。

 そして、そうなることを望んだのは、目の前にいる友希那なのである。

 ならば。

 

「やるからには優勝狙ってくんで。そこんとこ、ヨロシク」

「……これは負けられないわね」

 

 応える友希那は、ヘッドホンをつけ直すとパソコンの打ち込みソフトと向き合った。そのまま彼女は、無言で手元を動かし始める。

 どうやら、スイッチが入ったようだ。

 口元を笑みに歪めて、一哉もまた、自身の作曲作業に戻ることにした。

 二人の楽曲制作は、学校やバンド練習の合間を縫う形でそれから約一週間、行われた。

 

 

 RoseliaとORION、両者の一次審査通過の連絡が来たのは、それからさらに二週間後だった。




 というわけで、バンドストーリー一章、こんな感じの展開になりました。
 多くは語りません。


 次回もよろしくどうぞ。
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