青薔薇を照らす星明かり   作:椎名洋介

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第九章 ときめき

       

 

 

 それは東京でも歴史のあるライヴ・ハウスである。

 最大収容人数は、二階席を含むオール・スタンディングで約一四〇〇人超。

 開業から二〇年を超える今までに、催されたイベントは数知れず。ワンマンライブを行う会場規模の一つの目標としてこの施設を掲げるミュージシャンも少なくない。

 そんなライヴ・ハウスが、F・W・Fコンテストの二次……もとい最終審査の会場だった。

 

「出場者の皆さん。出番の五分前には舞台袖で待機をお願いします!」

 

 戸口に立って、黒地に白く『STAFF』と書かれたシンプルなTシャツを着た若い女性が、広い室内に響くように大きな声をあげる。

 楽屋である。

 それも、特大の。

 音源審査を通過したバンドは、全部で一五組。その約半数が、一つの楽屋に集っていた。

 残り半分は、もう一つの楽屋だ。

 

「本コンテストは公開イベントです! たくさんのお客様がご来場してますが、くれぐれも審査や運営情報の漏洩(ろうえい)には注意してくださいね!」

 

 それだけ言ってから、女性はあわてて走って行った。おそらくもう一方の楽屋へ同じことを伝達しに行ったのだろう。

 

「思ったより落ち着いてるのね」

 

 戸口の方を眺める一哉(かずや)に、傍らから幼なじみが声をかける。

 振り向くと、そこにいるのは透き通るような銀髪の歌姫である。

 もっとも、その装いはこれまでとは大きく異なっていた。

 黒と紫で統一された、それは燐子(りんこ)手製(てせい)の衣装なのだ。

 全体的な印象は、ドレスに見える。すっきりした見た目の上半身に対して、スカートはゆったりとしたボリュウムのあるデザインだ。ベースとなった二色に加えて白い生地が、フリル状に折り重なっている。(えり)(すそ)の黒い生地には、全体のバランスを整えるように金糸の刺繍(ししゅう)があしらわれていた。黒いロング・ブーツも同様に、である。

 透き通る銀髪には、黒い薔薇とやや小振りな青い薔薇の髪飾りが付けられていた。

 胸元にあるリボンは、紫だ。

 そんな友希那(ゆきな)が、一哉の隣にぴったりと腰を降ろしていた。

 

「なに?」

「少しは緊張しているかと思ったのだけど」

「誰が」

「一哉が」

「俺が!? まさか」

 

 苦笑だ。だが同時に目を逸らしてしまう。

 そして、ぽつりと言った。

 

「……まあ、してるかしてないかっつったら、してるのかも知んないな」

 

 言いながら、一哉は楽屋の中を見まわした。

 大勢の参加者達は、その多くが緊張の面持ちである。微動だにしない者、机に敷いた丸いパッドの上にドラムスティックを叩きつける者、ギターやベースを構えてはフレーズの確認をする者……さまざまだ。

 だが全員に共通しているのは、その目の奥に小さな炎が燃えていることだった。

 

「何だかんだ言って、ここに集まってるのは一次を通過したバンド達だからな。みんなレベルは高いだろうし、そんな中にいるとなると、さすがに気が引き締まるよ」

 

 ざわつく楽屋を一通り見てから、一哉は身に着けた白いジャケットの袖を肘までまくり上げる。演奏の邪魔にならないようにだ。

 

「それよか、俺はあっちの方が心配だよ」

「え?」

「あそこ、見てみな」

 

 ほら、と一哉が指差す先を、目で追う。

 そこには真っ赤なベースを膝の上に乗せた栗毛の少女が、が彼女の前に立った青いセット・アップの少女と何やら話している。

 お互いに見せ合うのは両手……の爪だ。

 

「その様子だと、爪の調子もよさそうだね」

「うん、おかげさまでね。いや~、実里がいてくれなかったらどうなってたことか……」

「そんな大袈裟(おおげさ)な」

「大袈裟じゃないよ。本当に感謝してるんだから」

 

 言わずもがな、リサと実里(みのり)である。リサの方は友希那と似たドレスで、しかし胸元のリボンは友希那と違い赤いものになっている。メンバーごとに色が異なるのだ。

 

「いいのいいの」

 

 実里が、にんまりと笑う。

 

「楽器を弾くなら、やっぱ爪のケアはしっかりしとかなきゃだもんね」

「同感。アタシもピックじゃなくて指弾きとか……たまにスラップもやるけど、とにかくそういう時によく爪が弦を擦っちゃうことがあってさ。うっかり割れちゃわないか、心配なんだよね」

「気をつけないとね」

「うん。気をつけないと」

 

 指を全て曲げて自身の爪を見つめながら苦笑する、そんな二人のやりとりを見て、ああ、と友希那は声をあげた。

 

「そういうことね」

 

 リサの表情が、いくらか不自然なのだ。

 緊張にあてられているのである。

 

「そういうこった」

 

 じゃ後でね、とその場を離れる実里を笑みで見送ってから、リサは思い出したように自身の鞄に手を突っ込んで、何かを漁り始める。

 その手が、

 

「……あれ?」

 

 ぴしり、と固まった表情と同時に、ふいに止まった。

 

「おかしいな~、メンテ用のスプレー、たしかに入れたと思ったんだけど……」

 

 がさごそ、がさごそ。

 だが、どうやら探し物は見つからないらしい。徐々にリサの顔に焦りの色が見え始めた。

 

「ない……ないっ!? うそぉ……もしかしてアタシ、忘れちゃった!?」

 

 どうしよ、とうなだれるリサに、あちゃあ、と一哉が掌で目を覆った。

 そして浮かべるのは、苦笑である。

 もともと、会場入りした段階で一番落ち着きがなかったのはリサだった。だから何かやらかしてなければいいがと思っていたのだが、どうやらその予感は的中してしまったようだ。

 だが、

 

「もう、今井さん」

 

 あわてふためくリサに助け舟を出したのは、その隣に座る紗夜だった。胸元のリボンは、青い。

 

「忘れ物には注意って、昨日も連絡したじゃない」

「うぅ……ごめん、紗夜」

「……はい」

 

 言いながら、紗夜は手にした小さなボトルを差し出した。

 リサはボトルを見つめて、きょとん、と目を見開いている。

 

「私ので良ければ、これ使って」

「え、いいの? あ……ありがと……」

 

 無意識なのか、柔らかな笑みを浮かべている紗夜に、リサも微笑みで応えた。

 自然と、遠目に眺めている一哉の口元にも、笑みが伝播する。

 

「ねえ」

 

 ふいに、傍らの友希那が声をあげた。

 

「んん?」

「あなたは今回のコンテスト、どう見ているの?」

「どう、って言ってもなあ」

 

 一哉は少し考える素振りを見せてから、言った。

 

「さっきも言ったけど、俺達を含めて一次審査を通過したバンドであることには変わりない。だからどのバンドが上位に喰い込むか、なんてのは、正直読めないな。みんな、それなりの実力はあるわけだし」

 

 でも、と一哉の唇に浮かぶのは、不敵な笑みである。

 

「負けるつもりはないよ」

「そう」

「友希那だってそうだろ?」

 

 コンテストに出ることが目標ではないからだ。

 本当の目標は、コンテストの先にある……。

 そしてそのためには、上位三位以内に入ることが絶対条件なのだ。

 

「……そうね」

 

 友希那は視線を逸らして、そう言った。

 彼女が見つめる先は、ざわつく楽屋の中でも特に騒がしい一角である。

 目立っていたのは、二人の少女だ。雑談に興じているようだが、何やら一方の少女がやけに元気いっぱいだ。

 友希那に比べるとやや明るい色合いの紫のリボンと、白いリボンが目を惹く。

 あこと燐子である。

 

「りんりん大丈夫? ステージ、すっごい大きいよっ。いつかみたいに()(さお)になっちゃわない?」

「わたしね……最近、気づいたの……キーボードといると、何だか守られてる気がして……」

「あー、それ判る! あこもドラム叩いてる時はちょー無敵だもんっ! よーしっ、練習の成果見せてやろうね!」

「うん……頑張ろうね、あこちゃん……」

 

 ……少しばかり、騒ぎ過ぎだろうか。

 幸いにも、二人に向けられる視線は好ましくないものではないようだ。むしろ、その和やかな空気に微笑ましささえ感じているように見える。

 だが、やはりこれ以上エスカレートする前に一言告げた方がいいだろう。

 

「あこ」

 

 呼ばれて振り返るドラマーに、友希那は努めて威圧的にならないように気をつけつつ、言い含める。

 

「他の応募者もいるんだから、あまり騒ぎ過ぎないようにね」

「あっ……ごめんなさい……」

「それもそうだな」

 

 一哉が、後を引き継ぐ。

 しゅん、と縮こまってしまうあこに、安心させるように。

 

「でも、周りに迷惑かからない範囲なら、多少はかまわないよ」

「ちょっと、一哉」

「いで」

 

 友希那に、肘で脇腹を軽く小突かれた。

 そして小突かれたという事実に、一哉はまたしても苦笑するのだ。

 少なくとも、今までの友希那だったら絶対にしないはずの行動だったからだ。

 これも、と一哉は思う。

 バンドとして夢を追うことを決めたことによる、心境の変化なのだろうか。

 

「まあ、そういうわけだから。程々に、な」

「は、はいっ! ありがとうございます! 一哉さん、友希那さん!」

 

 ぱぁっ、と表情を明るくしてお辞儀をすると、あこは元気に燐子のもとへと戻って行った。それからすぐに雑談を再開したようだが、二人の言いつけをきちんと守って、その声量はさっきと比べいくらか落とされている。

 友希那が立ち上がったのは、その時だった。

 そのまま、戸口の方へと歩き始める。

 目の前を通り過ぎたあたりで、一哉は声をかけた。

 

「どこか行くのか?」

「少し外の風に当たってくるわ。ついでにコーヒーでも飲もうかと思うのだけれど……あなたも来る?」

「コーヒーって、アックスか?」

「ええ。それ以外にないでしょう?」

「いや、あれはなあ……」

 

 苦い顔をして一哉が思い出すのは、特徴的な黄色い缶コーヒーである。

 少し考えて、首を振った。

 

「んー……やめとくわ」

「そう? 美味しいのに」

「そういうわけじゃねえよ。……いや、それも少しはあるけど」

 

 だが一哉が言いたいことは、別にあった。

 

「たまには、一人で考えたい時もあるかと思っただけだ」

「……そうね」

 

 友希那は、そう言った。

 

「判ったわ」

 

 微笑みをたたえて。

 そして(きびす)を返すと、銀髪の少女は真っ直ぐに廊下へと向かってゆく。

 突き当たりで曲がったので、だからその背中はすぐに見えなくなった。

 リサがすっ飛んできたのは、それからすぐのことだった。

 

 

 

       

 

 

 コンテストは、順調に進んでいった。

 一〇分の持ち時間で、一バンドあたり平均で二曲を演奏する。一つのバンドが終わればすぐに次のバンドが準備に入り、最終的な成績は全バンドが演奏を終えた後の結果発表まで判らない。

 それゆえ一般客を招いた公開審査は、そんなとてつもないプレッシャーに出場者が押しつぶされないように、という運営側の厚意であるとも言える。変な緊張をせず、普段通りのパフォーマンスを見せて欲しい……そういうことだ。

 

「次、Roseliaだっけ?」

 

 天井から吊り下げられたモニターを眺めながら、呟くのは鳴海だ。画面に映されているのはいろんなジャンルのアーティスト達のCMばかりで、だからコンテストの様子は実際に舞台袖まで行ってみないことには判らない。

 だが鳴海の隣に腰かける一哉は、頷いた。

 

「ええ、そのはずです」

 

 Roseliaが楽屋を出て行ったのが、何分か前だからだ。おそらく、そろそろ舞台袖に着いているころだろう。

 

「いいのか?」

「え?」

 

 漠然とした問いに、思わず一哉は鳴海を振り返った。その反応に、鳴海は不満げに口を尖らせている。

 

「え、じゃないよ。え、じゃ」

「いや、質問の意図が判らなかったんで」

「出番前に、声かけに行かなくていいのか、ってことだよ」

 

 ああ、そういうことか。

 

「一応、お前ンとこのバンドだろ?」

「俺のじゃないですよ。友希那のです」

 

 そこまで答えてから、しかし一哉はすぐさま言い直した。

 

「……友希那達の、ですかね。俺はあくまでサポートですから」

 

 審査が始まる前、コーヒーを飲みに外へ出た友希那を追う格好で出かけたリサが彼女と何を話したのか、一哉は知らない。だが戻ってきた二人の晴れやかな表情を見て、何となく察したのだ。

 

「俺の出る幕は、今のところないと思います」

「じゃあ心配はしてないわけだ」

「してないわけじゃないですけど、でも友希那達の実力なら入賞は間違いないでしょうね」

「それは、幼なじみとしての贔屓(ひいき)目かい?」

「違います」

 

 一哉は、肩に下げたギターのボディに右手を添える。

 そして、言った。

 

「一人のバンドマンとしてですよ」

「でもさあ」

 

 口を挟むのは、青いセットアップの実里である。隣り合った一哉と鳴海の肩の間から、にゅっ、と顔を突き出して。

 

「せっかくなんだから、私達も向こう行かない?」

 

 舞台袖に、である。

 

「私、リサ達のステージが観たいんだ」

「いや、でもスタッフの邪魔にならないか?」

「だーいじょうぶだって! 私達Roseliaの次じゃん? 早めに来ちゃいましたー、って言えば何とかなるって」

「まあ、たしかにそうなんだけど……」

「なんだよガミ、やっぱり緊張してるんじゃねーの? 大事なコンテストの前に(いと)しの幼なじみと顔合わせるのが()ずいのか? んん?」

「ぅえっ!? なっ、なにを、ば、ばきゃ!」

 

 何を莫迦(ばか)な、と言おうとして、思いっきりカンだ。

 言い直しだ。

 

「何を莫迦なこと言ってんですか! 冗談でも言っていいことと悪いことがありますよ!?」

「おうおう、その割には顔(あか)くなってんぞ」

「あ、ホントだー。カズくん真っ赤になってる」

「はぃいっ!?」

 

 咄嗟に、両手で顔面を覆った。

 そのまま、一哉は喋り続ける。

 

「だいたい、友希那やリサとは別にそんな関係じゃ……」

 

 だが言い訳は、最後までさせてもらえなかった。

 がら空きになっていた両脇の下に腕を入れられ、無理やりに立たせさられた。

 

「ほれほれ、ノロケはいいから袖まで行くぞー」

「おーっ!」

「いや、ノロケじゃなくって……ふげっ!」

 

 そのまま鳴海に首根っこを掴まれ、引きずられてゆく。

 ……はあ、もういいや。

 早々に抵抗することをやめて、顔を覆っていた手をどかす。

 最後尾を歩く、山吹色のセットアップを着た影山と目が合った。

 苦笑を浮かべていた。

 

 

 友希那に、ありがとう、と言われた。

 いつの間にか楽屋からいなくなっていた彼女を追いかけて、外の休憩スペースで二人で話し込んでいた時だ。

 完全な不意打ちだった。

 嬉しくないわけがなかった。

 アタシが……アタシ達がやって来たことは、無駄じゃなかったんだって、そう思えたから。

 その場に一哉がいなかったのが、ちょっぴり寂しかったけど。

 ぎゅっ、とベースのネックを握りしめて、でも、とリサは思う。

 アタシはみんなに比べて、経験も練習量も圧倒的に足りない。……もしアタシが足手まといにでもなった、みんなの今までの努力が水の泡になってしまう。

 そしたら友希那に……ううん、友希那だけじゃない。Roseliaのみんなに迷惑をかけちゃう。

 それだけは駄目だ。

 

「今井さん。俯いてたら他の人に楽器が当たって迷惑よ」

 

 側に立つ紗夜に声をかけられて、初めて自分が俯いてしまっていたことに気がついた。

 そして彼女は、言った。

 

「ちゃんと前を向いて」

 

 上手側の舞台袖から、Roseliaの機材がセッティングされたステージを……かすかに見える客席を見据えたまま。

 

「前を……」

 

 そうだ。

 紗夜の言うとおりだ。

 どんなに練習を重ねていたとしても、失敗する時は失敗する。あるかも知れない『失敗』に怯えるよりも、まずは前を向いて、目の前のステージと向き合わなければ。

 それこそが、Roseliaのベース・今井リサとしてやれる、唯一のことなのだ。

 

「紗夜、ありが……」

 

 ……ありがとう、と言いかけて、しかしその言葉はあこの声にかき消される。

 

「あーっ! 実里姉だ!!」

「え?」

 

 声をあげたのは、リサだけではなかった。

 友希那もだ。

 振り返ると、舞台袖へと繋がる廊下から、四人組の男女がこちらへ向かって歩いて来る。

 先頭に陣取るのは、赤いセットアップの青年と、青いセットアップの少女である。その後ろを白い少年が続き、一番後ろを小柄な山吹色の少年が付いて来ていた。

 

「お、ちょうどこれから出番って感じか?」

 

 よっ、と片手を挙げる鳴海に、

 

「やっほー! 来ちゃった!」

 

 実里が続く。そこへ、駆け寄ったあこが抱きついた。

 

「実里姉達って、まだ出番まで時間あるよね? どうして?」

「ほら、私達、次だからさ。せっかくだからRoseliaのステージ見ようと思って!」

「ほんと!? よーっし、あこ、ドーンバーンって叩くから、実里姉ちゃんと見ててね!」

「うんうん、ちゃんと見るよ! あこちんも頑張ってきてね。楽しむ気持ちでいくんだよ? いい?」

「はーい!」

 

 そんな二人のやり取りを尻目に、鳴海がリサと友希那のところへやってきた。

 

「そぉら、お前らのだいじなメンバー、連れて来たぜえ」

 

 そして差し出されるのは、白い衣装の一哉である。

 三人の幼なじみが、向かい合う格好になった。

 

「一哉……」

「あ、その、えっと……」

 

 リサの声に、応える一哉は口をぱくぱくさせるばかりで、その言葉は半分も『言語』にならなかった。

 

「大丈夫よ」

 

 そう言ったのは、リサではなかった。

 友希那だ。

 あ、とリサが小さく声をあげた時にはすでに友希那は滑るような足取りで一哉に歩み寄っていて、俯いていた彼の頬を両手で包み込むようにして視線を合わせた。自然と、友希那が一哉を見上げる格好になる。

 白い肌の両手に挟まれた一哉の頬が、紅くなる。

 

「ゆ、友希那……?」

 

 困惑した様子の一哉を見て、ちくり、と胸が痛んだ気がした。

 

「私は、もう折れないわ。リサが……Roseliaのみんながいるから。そこには、あなたも入ってるのよ? だから心配しないで」

 

 友希那は、そう言った。

 

「そうだよ」

 

 一歩踏み出して、リサも笑みを浮かべる。それから一哉の手を取ると、ぎゅっ、と握りしめた。

 

「友希那のことはアタシ達に任して。一哉の分まで、アタシがRoseliaとしてかましてくるからさ!」

 

 だから、とリサは付け加えた。

 

「一哉は、自分のバンドに専念して」

 

 にんまりと。

 

「もともと、そういう話だったじゃん?」

 

 今日は五人のRoselia。

 一哉は四人のORION。

 

「そっか……うん、そうだよな」

 

 こちらを振り向いた一哉は、きょとん、と目を見開いてから、やがて小さく頷いた。

 彼もまた、二人に笑みで応えた。

 

「Roseliaさん、お願いします」

 

 ヘッド・セットをつけた若い女性スタッフが、進行台本を片手に呼びかけてきた。

 

「はい! じゃあ実里姉、またね!」

「うん。行ってらっしゃい!」

 

 実里から離れたあこが、早足で燐子のところへ向かう。

 同時に一哉の頬から友希那の手が離れ、リサもまた踵を返してステージへ歩き出そうとする。

 その二人の背中へ、一哉の声が投げかけられた。

 

「友希那」

「なにかしら?」

「……ぶちかましてこい」

「ええ、言われなくてもそのつもりよ」

 

 それから、

 

「……リサ」

「んー?」

 

 肩ごしに、振り返る。薄暗い舞台袖で、だから少しばかり距離を取っただけで、一哉の表情が見えなくなる。

 しかし、リサには何となく判っていた。

 一哉は、『笑って』いる。

 

「なに?」

「頼んだぞ」

 

 その言葉の意味するところを、彼女は一瞬で理解した。

 

「うん!!」

 

 だからリサも、にっ、と笑みを浮かべて見せるのだ。

 視線を引っぺがして、友希那と並ぶ。

 

「行こ。友希那」

 

 アタシ達の『音楽』を届けに。

 アタシ達の『頂点』を目指しに。

 

「ええ」

 

 紗夜達と合流すると、Roseliaは友希那を先頭にした『V』字の陣形になる。彼女の斜め後ろをリサと紗夜、そのさらに後ろに燐子とあこが並ぶ格好だ。

 先頭の友希那が二歩ほど先を行くと、ふいに立ち止まってこちらを振り返った。

 四人のメンバーを見まわす友希那の瞳は、透き通った琥珀色である。

 そして。

 

「いくわよ」

 

 真っ白い光に照らされたステージへと、真っ直ぐに歩き出した。

 

 

 

       

 

 

 ステージに轟きわたる黒き咆哮に、歓声が沸き上がる。

 赤、

 白、

 青、

 紫……、

 ムービング・ライトの多彩な演出に呼応するように、オーディエンス達の手に握られたペンライトが鮮やかな光を放つ。

『魂の形』と呼ぶに相応(ふさわ)しい演奏が、『波』となって聴き届ける者の心に『共鳴』する。そして昂った感情を吐き出すように、彼らは舞台へ声援を送っているのだ。

 五人の少女達へ。

 Roseliaへ。

 

「ねえ、カズくん」

 

 ふいに、傍らに立つ実里が声をあげた。

 

「Roselia……凄いね」

「ああ」

 

 一哉は拳を握りしめて、力強く頷いた。

 

「凄いよ、友希那達は」

 

 そこに立つのは、もはや『孤高の歌姫(ディーヴァ)』などではなかった。

 汗を光らせ、頬を紅潮(こうちょう)させて、細い喉から力強い声で歌いあげる。紡ぎ出された旋律は小さな手で握りしめたマイクによって増幅され、まるで噴出するマグマの勢いでホールを満たしてゆく。

 その音が、舞台袖に立つ一哉に全てを教えてくれた。

 紗夜のギターが、今までにないくらいに落ち着いていること。

 リサのベースが、緊張をものともせず滑らかな指使いでボトムを支えていること。

 あこのドラムが、これでもかと爆裂する勢いでビートを刻んでいること。

 燐子のシンセが、歓声や照りつけるライトに負けじと強く奏でられていること。

 そして……、

 

「あんなに楽しそうに歌ってる友希那、初めて見た」

 

 友希那の歌声が、心の底から『音』を『楽』しんでいること。

 

 ──Re:birth dayリ・バースデイ──

 

 かつて孤独を抱えていた銀髪の少女は、もうそこにはいなかった。

『仲間』とでも呼ぶべき少女達と夢を追いかける、その決意を今、Roseliaは奏でているのだ。

 

「私……なんか、すっごい燃えてきちゃった」

「奇遇だな。オイラもだよ」

 

 実里の言葉に、黒いヘッド・タイを結びながら鳴海が続いた。ちらり、と彼が視線を投げるのは、黙ってステージを見据える山吹色の小柄なドラマーだ。

 

「影山は……」

 

 言いかけて、しかし鳴海は言葉を引っ込めた。

 

「……言うまでもねえか」

 

 影山の目にも、小さな炎が灯っているのが見えたからだ。それから、彼の視線がこちらを向いた。

 

「ガミ、お前だってそうだろ?」

「はい」

 

 即答だった。

 

「めちゃくちゃ燃えてます」

 

 Roseliaの演奏が、終わる。

 万雷の拍手と大歓声の中、友希那達は一哉達が待機するのとは反対……下手側へとはけてゆく。

 同時に、イベントスタッフが急いで機材の転換にかかった。無論、ステージ中央に置かれたマイクスタンドもろとも、だ。

 

『さて、それでは次のバンドに行きましょうか』

 

 一五分ほど経ったころにようやくステージの準備が整い、司会が次のバンドの紹介を始めた。

 

『エントリーNo(ナンバー).14、ORION(オリオン)!!』

 

 そして流れる、リズム・シークェンス。

 同時に舞台袖に待機していた女性スタッフが、さっきRoseliaへ伝えたのとほとんど同じセリフを口にした。

 

「ORIONさん、お願いします」

 

 違いは、バンド名のみだ。

 

「さて」

 

 組んだ指を、掌を上にして大きく伸びをする。脱力とともに息を吐き出すと、ぱちん、と一哉は自身の頬を叩いた。

 それから、三人のメンバーに向き直る。

 

「それじゃ、行きますか」

 

 一体となった四人の足音は、出陣のドラムである。

 

 

 単色のセットアップ・スーツを着込んだ四人の男女が、呼び込みの拍手とともに広いステージに姿を現す。

 白いギタリストがステージのほぼ中央に陣取ると、山吹色のドラマーは客席から見てステージ後方に鎮座する黒いドラム・セットに腰を下ろす。複弦が備わった八弦ベースを構えた苅安色(かりやすいろ)の青年は下手側、青い少女は上手側でフロントに二台、サイドに一台という『L』字にセッティングされたキーボードの前に着いた。

 ギターとドラムがタテ、ベースとキーボードがヨコの対角線上に位置する、それは横に長い『菱形(ひしがた)』の配置である。

 ORION。

 今回のコンテストで唯一、ヴォーカルのいないインストゥルメンタル・バンド。

 自己紹介を省いたのは、Roseliaと同じだ。

 白いギタリストの合図で、奥のドラマーがスティックを打ち合わせてカウントを取る。

 

 ──CYBER ZONE──

 

 明滅する白いライトの下で、繰り出されるはギターとシンセ・ブラスのユニゾン・フレーズで始まるイントロだ。

 

「始まった、ね……」

 

 ぽそり、とリサは呟いた。

 

「ええ、そうね」

 

 応えるのは、銀髪の幼なじみである。

 出番を終えた……あるいは出番まで時間のあるバンドは、二階席から他バンドのコンテストの様子を見ることが出来る。無論、見るか見ないかを決めるのは出場者自身に委ねられるため、他人の演奏に惑わされたくないという者はずっと楽屋に籠っていることになる。楽屋のモニターにステージの映像が流れないのは、そのためだ。

 リサ達が陣取ったのは二階席のど真ん中、その最前列である。転落防止柵の手すりを掴んで、五人の少女が横並びになった。

 意外だったのは、友希那までがこうしてコンテストに臨むORIONの様子を眺めていることだ。

 ステージの中央で『歌う』一哉を。

 

「アタシね」

 

 唐突にリサの話し始める、その相手は友希那だ。

 

「一哉がバンドを始めるって言った時、実はけっこう不安だったんだ。おじさんのこともあったから、余計にね。……まあ、杞憂(きゆう)だったけど」

 

 一年前、ORIONは約一〇〇〇人の前でデビュー・ライヴを飾ると、瞬く間に大勢の人気を獲得し、個性豊かな楽曲と各メンバーの並外れた技術も相まって学生バンドの中でめきめきと頭角を現す存在となったからだ。

 

「どうしたの、急に」

「いいから聞いてよ」

 

 一度めのサビが終わり、最初のギター・ソロに入る。ワイヤレス・システムの利点を活用して、一気にステージのツラまで躍り出た。興奮する観客に応えるように、一哉のギターも唸りをあげる。

 

「でもね。アタシ、判っちゃったんだ」

「なにが?」

「一哉がバンドを始めようと思った理由」

 

 聞けば、バンドを組む『きっかけ』そのものは、ベースの鳴海から持ちかけられたものだったらしい。

 だがいずれにせよ、一哉がバンドを組むことを決断した理由が、そこにはあったはずだ。

 今なら判る。

 

「一哉も友希那も、いっしょなんだよね」

「……私と、一哉が?」

「うん」

 

 ソロからBメロに戻り、笑顔でリフを掛け合う一哉と鳴海の様子を見守りながら、リサは続けた。

 

「今日の友希那さ、すっごい楽しそうに歌ってたの、自分で気づいてる?」

「……ええ」

「じゃあ、その時の顔が一哉にそっくりだったのは?」

「え……?」

 

 あちゃあ、やっぱりか。

 

「アタシ、ずっと二人のこと見てきたから気づいちゃったんだよね。今あそこで弾いてる一哉と、さっきの友希那の顔、めちゃくちゃ似てるんだよ」

「そう、なのかしら……」

「うん。少なくともアタシはそう思ってる」

 

 リサは手すりの上に両の肘を突いて、掌の上に顎を乗せた。

 

「だからなのかなって」

 

 リサの抽象的な物言いに、しかし友希那は聞き返してはこなかった。

 ゆえに、リサは続ける。

 

「あのころの気持ちを忘れずにいられる場所が欲しかったんだと思う」

 

 だから、バンドなのだ。

 一人きりではなく、ともに『音』を『楽』しむ仲間と。

 それこそ、幼き日々のセッションをした三人の幼なじみみたいな。

 一哉にとってはそれがORIONで、

 友希那にとってはそれがRoseliaだっただけのことなのだ。

 

「お父さん……」

 

 ぽそり、と友希那が呟く。

 ちょうどそのころ、以前より少しばかり長い後奏のギターソロを経て、一曲めが最後のテーマを迎える。

 演奏が終わると、ひときわ大きな拍手が会場中に響き渡った。

 足元のペダルでギターの音量を落として、一度一哉は腰を折った。綺麗な九〇度だ。

 彼が顔を上げたと同時に、ステージ後方のドラムが一定のリズムでバスドラムを刻んでゆく。キックに合わせるように自然と観客達が手拍子を始めて、ステージを真っ白なライトが照らした。

 

「はーい! 皆さんこんにちはー! ORIONでーす!!」

 

 バスドラムをバックに喋り始めるのは、上手の青いキーボーディストである。

 

「最後にお聞きいただきます曲は、我らがリーダー・野上一哉が思い描く『音楽の原点』をポップスなナンバーに仕上げた、出来たてホヤホヤの新曲です!」

 

 軽快な実里のMCに、オーディエンスも歓声で応える。思ったよりも女性の観客の割合が高いことに、リサはこの時初めて気がついた。

 

「みんな盛り上がる準備は出来てるー?」

 

 歓声。

 それも、黄色い歓声だ。

 それに応える実里の声も、いくらか弾んでいるような気がした。

 

「さあそれではいってみましょー! ORIONのニュー・ソング……『と・き・め・き』!!」

 

 リズムに合わせた曲紹介に、ワン、ツー、と打ち鳴らされるドラム・スティック。

 実里のMCと同様に、その曲は軽快なシンセ・ブラスで幕を開けた。

 

 ──ときめき──

 

 朗らかな曲だった。

 晴れやかな曲だった。

 まるで無邪気な子供達が一心不乱に走り回ってはしゃいでいるような、そんな微笑ましささえ感じられた。

 だが、リサが感じたのは、懐かしさだった。

 途端に、記憶が(よみがえ)る。

 それは、幼き日の思い出だ。

 晴れ渡る空の下、

 近所の公園の片隅で、

 アコースティック・ギターを奏でる黒ずくめの男の前で、

 楽しげに歌う少女の側で笑顔で楽器を『弾』く自分の姿が。

 途端に、理解した。

 ああ、やっぱり。

 彼にとっての『原点』は……。

 

「一哉……」

 

 幼なじみの名を呟く友希那の口元は、わずかに笑みになっている。それを見たリサも、笑顔で言った。

 

「ねえ、友希那」

「なに?」

「アタシ、友希那の歌、好きだよ」

「……ありがとう」

「でもね」

 

 そう。でも、だ。

 

「友希那の歌とおんなじくらい、一哉の曲も好き」

「そう……」

 

 友希那が、ゆっくりとこちらを振り返る。

 そして、言った。

 

「私もよ」

 

 かすかな笑みで。

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