これから数回に分けて『SPACE編』を投稿していく予定です。
SPACE LAST:前編
1
神田川に架かる
後に地下鉄の駅が作られ、その駅名に橋の名称がそのまま使われたことで、付近一帯を総称して『江戸川橋』と呼ばれるようになった。
江戸川楽器もまた、神田川以前の江戸川からその店名をとっているという。
ギターやベースはもちろん、ドラムやキーボード、さらにはメンテナンス用の小物まで、たいていのものは手に入る品揃えの良さが店のウリだ。
三階には練習スタジオも完備していて、下の階で買ったばかりの機材を試すことも出来る。
だが
「はい、まいど~」
そう言って、カウンターに立つ
それから大きなハードケースの
続いて、数枚の紙幣と小銭がトレーに乗せられて、こちらへ
「じゃあこれ、お釣りね。あとレシートも、はい」
「どうも」
釣り銭を財布に仕舞って、一哉はカウンターのハードケースを手にとる。
「買っちゃったねえ」
にんまりと笑みを浮かべて言うのは、目の前の鵜沢だ。
「買っちゃいましたねえ」
応える一哉の方も、ほくほく顔である。
購入したのは、国産アコースティック・ギター・メーカーの老舗、ヤイリから出ているCE-2F。その中古品だ。
以前、鵜沢の
聞くところによると、この店に入荷してからは最低限のメンテナンスしかしていないのだという。フレットの損傷はもちろん、ネックの反りも買い取りの時点でほとんどなかったというのだ。
かつての所有者は、よほどこの楽器を愛していたのだろう。
ともあれ、そんなガット・ギターを、ようやく購入するにいたったわけだ。
「これで、そっちの新曲の方はだいぶ進展する感じ?」
「ええ。おかげさまで、今、アイデアがばんばん浮かんできてますよ」
おかげで学校ではちょっとした人気者になったし、いつも世話になっている
コンテストの打ち上げがあった翌日の
かつての師にそんな言葉を投げられて、嬉しくないわけがなかった。だからその時は、すぐ近くに友希那がいたにもかかわらず、わんわん泣いてしまった。
そんなこんなで、コンテストが明けてから二週間が経とうとしていた。
六月も半ばに入り、少しばかり陽射しが暑く感じるようになってくるころである。
「そうは言っても、アルバム二枚分でしょ? 何と言うか……よくやるよねえ」
鵜沢の言うのは、現在ORIONが抱えている問題……と言うより課題のことである。
五月の終わりだか六月の初めだか……詳細な日付は忘れたが、ふと鳴海がこう言ったのだ。
よし。この夏、アルバム作ろうぜ。
無論、自主製作で、だ。
レコーディングは、バンドの強化合宿も兼ねて八月の終わりごろを予定している。場所はすでに鳴海が手配してくれているそうで、だから一哉達はレコーディングに向けた楽曲制作に追われているのである。
全部が全部新曲、というわけではないが、それでも必要となる書き下ろしの曲数はゆうにフタケタを超えている。
当然レコーディングまでにはバンドとしてのアンサンブルも完成させなければならないため、これからの約二ヶ月は、長いようで短い期間であると言えよう。
「まあ、何も全部俺が書くわけじゃないですからね」
一哉はそう言って、肩をすくめて見せる。
「何曲かは、メンバーにも書いてもらってます。もちろん、言い出しっぺの鳴海さんにもね」
「鳴海さんかあ……」
デベコを抱きながら、彼女は目線だけを天井に向ける。
「あの人ばっかりは、どんな曲書くのか予想つかないなあ」
「ほ~。そりゃまた、なぜ?」
「だって、ORIONでの鳴海さんのスタイルってさ……こう言ったら失礼かも知れないけど、良くも悪くも個性的じゃない?」
「あー……まあ、たしかに」
苦笑である。
「俺もまだ譜面もらったわけじゃないんで、正直どんな変化球が飛んでくるか判らないんですよ」
「大変でしょ」
「大変ですね」
「例えばさ。前に
「そうですね。一曲めは実里と共作しましたけど」
『CYBER ZONE』のことだ。
「だから野上くんに関しては、何となく掴める気がしなくもないんだけど……やっぱり鳴海さんはさっぱりだ」
「それで言うと、実里もそうなりません?」
一哉の問いに、しかし鵜沢は首を振った。
「みのりんは……ほら、私達もそこそこ付き合い長いからさ」
「ああ、
「そーゆーこと」
思い出したように、そう言えば、と鵜沢が付け加える。
「今日のライヴは、野上くんも来るんでしょ?」
「そのつもりです。後で友希那達と合流してから行こうかと」
きっかけは、やはり
Roseliaにしても、先のコンテストの結果を受けて積極的にライヴ・イベントに出演しようと話がまとまったタイミングだったので、当然このオファーを受けることにした。
しかし、
「でも残念だなあ。Roseliaの野上くんが見れないなんて」
そう言って肩を落とす鵜沢は、心の底から残念そうだ。
「まあ、こればっかりは、ね」
コンテスト準優勝を果たしたORIONは現在、あらゆるライヴ・ハウスからイベントへのオファーがかかっている。
メンバーのSNSアカウントにダイレクト・メッセージがくることもあれば、どこで聞きつけたのか練習スタジオまでスタッフが直接やって来たこともあった。
学生が本分である以上、一哉達が受けられるオファーには限りがある。
だが実際のところ、平日は普段の学校があることを差し引いても、夏休みに入るまでの週末はほとんどスケジュールが埋まるくらいには、今のORIONは多忙なのだ。当然、Roseliaの練習に参加出来る頻度も減ることになる。
かと言って、Roseliaのサポートは辞めたくない、というのが一哉の希望である。
そこで、よく行くファミレスでRoseliaとORIONによる緊急のミーティングが行われることとなった。
一哉を含めた六人体制のRoseliaはCiRCLEのステージのみ……その決断に至るまで、そう時間はかからなかった。
「ORIONで出ればいいのに」
鵜沢の提案に、しかし一哉は首を振る。
「『ガールズ・バンドの聖地』でしょ? 演者で出るのは、ちょっと敷居が高いと言うか……」
「たしかにそうだけど、オーディションを受けてオーナーが納得すれば、SPACEのステージには立てるよ」
「そうなんですか?」
「うん。CiRCLEといっしょだよ」
「いっしょ?」
「ガールズ・バンドのために作られはしたけど、男子禁制じゃないってこと。割合は少ないけど、男性のお客さんだってSPACEには来るしね」
だから、と鵜沢は言った。
にんまりとした笑みで。
「機会があればでいいからさ、一回、オーディション受けてみない? あそこのPA、マジで凄いんだから」
「……機会があれば、ですけどね」
「お、言ったね? 私ちゃんと聞いたからね、今の言葉」
「はいはい」
がちゃり、とドアを開く音が聞こえたのは、その時だ。
「あ、いらっしゃい!」
反応する鵜沢に、一哉も振り返った。
店の入り口に、水色のセーラー服に身を包んだ五人の少女達が立っている。そのうち三人はタテに長いソフトケースを背負っていて、おそらくその中にはギターなりベースなりが入っているのだろう。
「こんにちは!」
声をあげたのは、赤い星の形をした髪留めをした少女だった。
おまけに、バンドマンでもある。
「おー、今日はまたお揃いで」
「よろしくお願いします!」
鵜沢に、星の少女の隣に立ったポニーテールの少女が笑みを浮かべて応える。
「好きに見てていいからね」
バイト少女の言葉に、はい、と全員が返事をして、そのまま店の奥の方へと歩いて行った。
「じゃあ、俺も行きます」
少女達の背中が陳列棚の奥に見えなくなってから、一哉は正面の鵜沢に向き直った。
そして立てた親指を、二階へと続く階段の方を差す。
「うちのメンバーも、そろそろ待ちくたびれてると思うんで」
「あ、うん。それがいいかもね」
一哉の用があるのは、ギターの購入だけではない。
三階にあるスタジオで、ORIONの練習の予定を組んでいたのだ。
すでにメンバーはスタジオ入りしていて、だから後は買い物を済ませた一哉を待っているのである。
「みのりん達には言ってあるけど、利用時間、二時間だからね」
今が午後二時だから、四時まで使えることになる。
「判りました。それじゃあ、また後で」
そう言って、一哉は階段へと歩いて行く。
二階へ上がる時、通路に置かれた電子ドラムに釘付けになる少女達の姿が見えた。
タイトなリズムに乗って、ギターとシンセ・ブラスがラストをキメる。
そして漏れるのは、溜め息だ。
「うん、なかなかいいんじゃねえの?」
組んだ両手を天井に向かって伸ばしながら言うのは、
「おニューの楽器も、さっそく大活躍みたいだしな」
それから彼が笑みを投げて見せる先は、フロントのリーダーだ。
スタジオには入り口から見て左側の壁一面に大きな鏡があり、横幅よりも奥行きのある構造になってる。そのため、実里達はほとんどライヴと同じセッティングで、鏡と向き合うように練習していた。
一時間ほど週末のライヴのリハーサルを済ませて、残りの時間で書き上がった新曲のうちのいくつかの音合わせをしていたのだ。
その中の一曲が、つまり、さっき一哉が下の楽器店で買ったというガットギターをメインに据えたものだったのだ。
「まあ、この曲はもとからそのつもりで書いてましたからね」
タオルで軽く汗を拭いてから、一哉が応える。壁の時計を見ると、まだ時間まで一五分ほど余裕があった。
「
そう問いかける鳴海に、ドラムセットに収まった小柄な少年は苦笑を浮かべる。座り直した椅子の後ろには、彼の行きつけだというパン屋の紙袋が通学鞄といっしょになって置かれていた。
「相変わらず、パターンが難しいです」
ドラムの、である。
「……それだけ?」
「……今のところは」
ORIONのドラマーは、口数が少ない。
「でも、けっこう印象変わるよねー」
譜面を畳みながら、実里は声をあげる。
一哉が、こちらを振り返った。
ナイロン弦の張られたギターといっしょに。
「なにが」
「いつもエレキの音に慣れてたからさ。こうやってアコースティックな音が入ってくると、なんかちょっと新鮮」
「あ、実里。それ違う」
言いながら、一哉の手がひらひらと振られる。
「ん?」
「こいつ、アコースティックじゃないから」
こいつ、というのは、今、彼が肩にかけたギターのことだ。
「……どゆこと? エレアコじゃないの?」
「違うんだなあ、これが」
途端に、一哉の笑みが得意げなものに変わる。
「エレクトリックでアコースティックなものって、ないわけ。だって矛盾してるだろ?」
つまり、こういうことらしい。
そもそもアコースティックの定義とは、電気機器を使わない、楽器本来の響きのみで奏でる楽器のことを差す。この場合、アコースティック・ピアノなどが、これに
ところが、一哉が使っているギターは、そうではないという。
ボディの中に、ピック・アップとプリ・アンプが搭載されているのだ。
「エレクトリック・ナイロンストリングス・ギター……縮めて、エレナイくんとでも呼んでくれたまえ」
「……それ、もしかしてMCで私が言わなきゃ駄目?」
「それは任せる。でもエレアコって言われたら泣く」
「えー、めんどくさぁい」
「出たよ、ガミの細かいところ」
鳴海である。いつもの八弦ベースに持ち替えながら、その顔には苦笑がある。
「だったら、ミス・エレナイ、とかの方がいいんじゃねーの? エレナイちゃんだよ、エレナイちゃん」
「まあ、とにかくさ」
脱ぐようにストラップから腕と頭を出して、一哉はガット・ギターのネックを左手に掴んだ。
「この曲に関しては、あとは各自練習、って形でいいかな?」
「うん!」
「はい」
「あいよ」
全員が返事を返してから、
「ああ、そうだガミ」
思い出したように、鳴海が付け加えた。
「ちょっとお前さんに渡すものがあるんだった」
「渡すもの?」
「おう。ええと、ちょいと待ってくれな……」
ごそごそと、ベーシストが探るのは足元のディパックである。
「お、あったあった」
そして中から一枚の紙を取り出すと、一哉のほうに歩いて行って、ほい、とそのまま彼に手渡した。
実里の位置からは、紙に何が書かれているのかは判らない。
だが渡された紙に目を落とした一哉の言葉で、だいたいの事情は呑み込めた。
「なんですか、これ?……ベース・ソロ?」
だから、
「それってもしかして、ナルルンの新曲?」
鳴海よりも先回りすることにした。
「おっ、実里ビンゴ!」
嬉しそうに、鳴海がこちらへサムズ・アップして見せる。
そして一哉の肩に手を乗せると、にいっ、と笑った。
「とりあえず思いついたベース・パターンでフレーズ作ったから、後はガミ、よろしくな」
「へっ!? よろしく、って……まさか残り全部ですか!?」
「おう。メロディーもアレンジも、全部だ」
鏡に映った一哉の顔が、判りやすいくらいに目を
「お前さんなら、後は書けるだろ?」
「うそぉん……」
にしし、と鷲鼻のベーシストは得意げである。
見ると、ドラム・セットに収まった小柄な影山も、微笑を浮かべている。
「そんなぁあ」
だはあ、と一哉が肩を落とした、まさにその時だ。
携帯のヴァイブレーションが鳴ったのである。
「あ。ごめん、私だ」
断ってから、鞄に突っ込んであった携帯を手に取る。
画面を
「
バイト先の先輩である。
<りりこさん:ごめんなさい。今、大丈夫?>
<りりこさん:(たすけて)>
パスワードを入力して、アプリを起動する。
チャット画面には、さきほどのメッセージと、それからデフォルメされた動物がぽろぽろ泣きながら『たすけて』というスタンプが送られてきていた。
急いで返信する。
<実里:大丈夫ですけど、何かありました?>
すぐに既読がついて、
<りりこさん:SPACEのスタッフが、インフルで次々倒れて困っています>
<りりこさん:たえちゃんの方は連絡がついたんだけど、それ以外が全滅で……>
<りりこさん:だからお休みのところ悪いんだけど、臨時で手伝ってもらえないかな?>
え?
インフル?
インフルエンザ!?
夏なのに!?
「
思わず声に出してしまって、だから一哉がキーボードごしにこちらを覗いてきた。
「なに、どうした?」
「SPACEのスタッフが、インフルエンザで倒れて困ってるって」
応えて、一連のやり取りがされた画面を一哉に見せる。
「……マジ?」
「マジだよ」
画面を見た一哉の顔が、一気に青ざめた。
「……今日のライヴ、どうなる……?」
「あ……!」
そうなのだ。
人がいないということは、すなわち店の準備から何やらをこなす人員がいないということなのだ。
つまり、スタッフが全滅している以上、最悪の場合、今日のライヴじたいが『飛ぶ』可能性だってあるのである!
「実里と、それからガミよ」
鳴海である。
「お前ら今日の練習は切り上げてよ、SPACEの方、行ってこいや」
「えっ!? ナルルン、いいの?」
おう、と鷲鼻のベーシストは頷いた。
「俺ぁこれからレコーディングの仕事が一本入ってるから、そっちにゃ行けねぇけどな。ピンチなんだろ? だったら行ってきな」
「ナルルン……」
「鳴海さん……」
「ああ、そうそう。もちろん自分の荷物くらいは片づけてけよ?」
「……実里」
言いながら、すでに一哉はギターをケースに仕舞い始めている。いつものエレキと新入りのガット、二本それぞれをだ。
「うん」
応える実里も、畳んだ譜面をファイルに挟んで、鞄に仕舞う。
「行かないと」
「だな」
超特急で片づけて、実里と一哉は江戸川楽器店を飛び出した。
2
ライヴ・ハウス
ロックバンド『ミラキュラス・スカーレット』のメンバーだったギタリストが、ライヴハウスは怖くて危なそう、というイメージを払拭するために立ち上げたのが、そもそもの始まりだった。
ガールズ・バンドのためのライヴハウスなのである。
ライヴに出演する条件は、ただ一つ。
店の
オープン当初はそうではなかったらしいが、少なくとも今の運営形態は、そうである。
以降、三〇
SPACEが歩んできた歴史は、SPACEから巣立っていったバンド少女達の歴史であるとも言えた。『ガールズ・バンドの聖地』と呼ばれる
「ああ」
SPACEのラウンジに辿り着いた実里達を、しわがれた声が迎えた。
「来たね」
それから実里の隣に立つ一哉を見るなり、やれやれ、とばかりに溜め息をつく。
「まったく、あんたもかい……」
年配の女性である。
短い髪の毛はほとんどが白くなり、かろうじて前髪の一束だけがムラサキに染められている。
腰こそ曲がってはいないが、手にした
その目に、あからさまな呆れがあるように見えるのは、気のせいだろうか。
「なんでピンピンしてる奴を呼ぶと、関係ない
気のせいではなさそうだ。
実里は、ぽりぽりと頬を
それから、口を開いた。
「バンド練してる時に凛々子さんから連絡が来て……。それで、気づいたらいっしょに来ちゃいました」
実里の言葉を受けるように、一哉が一歩、前へ出る。
「野上一哉です。今日Glitter*Greenとジョイント・ライヴをやるRoseliaのサポート・メンバーをやってます」
「Roseliaの……? でもあんた、今日の出演者じゃないね?」
「はい。だから今日は裏方でサポートに回るつもりだったんですが……」
言いながら、ちらり、と一哉がこちらに視線を投げて来る。
だから実里は、後を引き継いだ。
「人、足りてないんですよね? 私達も手伝います!」
「ああ、そのことなんだけどね……」
老婆がそう言った時だ。
「オーナー、着替え終わりました」
ぽやん、とした少女の声が、ロビーから更衣室へと繋がる廊下から聞こえてきた。
こつこつと足音を鳴らして、奥から出てくるのは、水色のポロシャツを着た長い黒髪の少女である。SPACEのスタッフとしての、それはユニフォームだ。
「あ……たえちゃん」
声をあげる実里に、向こうも、こちらに気づいたらしい。
「実里さん、来てたんですね」
「もしかして、そっちも凛々子さんから?」
「はい。呼ばれました」
直後、
「おたえ、待ってよ~」
明朗な声とともに、廊下の奥からぞろぞろと複数の人影が出てきた。
四人の少女である。
ボブやツインテールにポニーテール、それから……ネコの耳のように尖った不思議な髪形をした少女達だ。
ネコ耳の少女とツインテールの少女には、実里にも見覚えがあった。春先に何度か観客としてSPACEに来ていたのを見たからだ。
声をあげていたのは、ネコ耳の方だった。
「どう? SPACEのユニフォームだよ~」
「いいじゃん」
「ほんと!?」
「うん。
たえの言葉に、香澄、と呼ばれた少女が弾けんばかりの笑顔を浮かべる。
「えへへ」
笑みに細められた少女の目が、そのまま滑るようにこちらを向いた。
「……あ!」
そして、声をあげた。
指差す先は実里の隣に立つ、一哉である。
「あ……」
一方で、一哉もまた、声をあげた。
それから、
「楽器店にいたお兄さん!」
「さっきの楽器店の子!」
二人が同時に声をあげる。
「あ、本当だ」
香澄の背後から、ひょこり、とまた別の少女が顔を出した。ポニーテールの少女だ。
面倒見の良さそうな雰囲気で、会釈を寄越してくる。
「こんにちは!」
片手を挙げる香澄の挨拶に、
「こ、こんにちは」
一哉も応じる。
「なに、知り合いだったの?」
実里は訊ねた。
「いや、さっき楽器店で顔合わせただけ。ほら、練習前にエレナイ買ったろ? その時に」
「ああ」
なるほど。あの時か。
「とにかく、だ」
オーナーである。
「見てのとおり、今日だけこの子達に手伝ってもらうことになったからね。とりあえず
「は、はい!」
「それから、野上だっけ? あんた、服のサイズは?」
「あー……XL、ですけど」
「じゃあやっぱりナシだね。うちにはあんたに合うサイズのユニフォームがない」
「え? じゃ、じゃあ俺はどうすれば……?」
「心配しなくても、ライヴはやるよ。客が待ってるからね」
SPACEのオーナー、
唇の端を片方だけ吊り上げる、それは器用な笑みだ。
「あんたは予定どおりRoseliaのサポートに専念しな。店の準備は、こっちの仕事だ」
ごめんなさいね、と背中を押される形で一哉が凛々子にSPACEから追い出されるまで、三〇秒もかからなかった。
着替え終えた実里は、まずオーナーの指示で四人の助っ人の面倒を見ることになった。
無論、たえといっしょに、である。
仕事に入る前に、お互いに簡単な自己紹介を済ませた。そこで判ったのは、たえを含めた五人ともが同じ学校で、しかも同級生だということだった。
それから仕事に取り掛かるのだが、開店までに必要な作業は、いくつかある。
まずラウンジ内の拭き掃除。これはテーブルや椅子、それから受付カウンターや外からの光を取り入れる窓などだ。
それから床や店先のコンクリートの地面の掃き掃除。
それが済んだら、臨時の助っ人ということもあってドリンク・カウンターの接客のレクチャーもした。その割にはポニーテールの
ツインテールの
実際のところ、それまでの仕事を通して、実里の目には五人の仲がとてもいいように見えた。
同時に、既視感も憶えた。
その正体を探ろうと記憶の中を漁っているうちに、ふいに気がついたのだ。
似てるんだ。
私達と。
……ORIONと。
具体的に、何がどう似ているのかまでは判らない。しかし彼女達が醸し出している雰囲気そのものに、何か近しいものを感じていたのである。
だからなのか、
「そっか」
作業中、たえが話してくれたことにも、すぐに納得がいった。
「じゃあみんなでバンド組んでるんだ」
SPACEのステージ裏、事務室である。
小ぢんまりとした部屋で、部屋の中央にデスクが置いてあり、その上にパソコン・モニターが一つある。あとはロッカーが部屋の隅にぽつんとあって、あとは壁に
実里はその入り口に立って、真ん中で左右に割れた布製の幕の間から顔だけを覗かせていた。
「はい。
応えるたえは、クリップで留められたいくつかの書類をデスクに置く。
「じゃあポピパだね」
「えっ? なんでその呼び方知ってるんですか?」
「……フィーリング?」
「すごーい」
相変わらず独特の間で言いまわすたえに、実里も苦笑する。いつものカチューシャは外して、彼女もまた、長い髪を後ろで束ねていた。
「どう、バンドは?」
「凄く楽しいですよ」
「よかった」
「そう言えば、実里さんもバンドやってるんですよね?」
「うん、そだよ。カズくんとね」
「カズくん?」
「ほら、さっき私といっしょにいた」
「ああ、楽器店のお兄さん」
「なんかもうそれで定着してるんだね」
別に彼は楽器店の店員というわけじゃないのだけれど。
「バンドの名前って何なんですか?」
「
「ORION……香澄が喜びそうな名前だ……」
「そうなの?」
「はい。キラキラドキドキが、うちのリーダーのモットーなので」
「……やっぱり似てるね、私達と」
「何がですか?」
「カズくんもね、音楽でワクワクドキドキするのがモットーなの」
「ワクワクドキドキ……キラキラドキドキ……」
その二つを口にしてから、たえはこちらに向き直った。
笑みで。
「うん、たしかに似てますね」
「だしょ~? やっぱり、ポピパの目標ってSPACEになるの?」
「一応そのつもりです。香澄がどうしてもここでやりたいって」
「へえ~」
「実里さんのバンドはSPACEでやらないんですか?」
たえの問いに、少し考える素振りを見せてから、
「機会があればね」
実里はそう答えた。
「いつかやれたらいいなとは思ってるけど、でもORIONってほら、ガールズ・バンドじゃないじゃん? だから中々言い出せなくってさ」
オーナーにも、そしてリーダーである一哉にも。
でも、と実里は付け加える。
「時間はまだまだあるわけだし、そう焦らなくてもいっかなー、って」
「そうなんですね」
「うん。ゆっくりじっくり、やってこうって感じかな」
その時だ。
「……あれ?」
ふいに、向かって左側の壁にかけられたホワイト・ボードに目が留まった。
顔だけ覗かせていた実里は、完全に部屋に入った。
ボードに歩み寄った実里は、そこに書かれたスケジュール表を見る。
今日の日付には、RoseliaとGlitter*Greenのジョイント・ライヴが。
それ以前は勿論、それ以降の日付にもびっしりといろんなバンドのライヴ・スケジュールが書き込まれている。
それが、
「……なに、これ」
「実里さん、どうかしました?」
「たえちゃん、これ……」
振り返ることもなく、実里はスケジュール表の一点を指で差す。
近寄ったたえが、あ、と小さく声を漏らす。
本来ならば、それはあり得ないことだった。
だからこそ、二人は違和感を憶えたのだ。
「変ですね」
「うん、変だ」
伸ばした人差し指が示すのは、七月
その日以降、SPACEのスケジュール表には何も書かれてはいなかった。