青薔薇を照らす星明かり   作:椎名洋介

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SPACE LAST:中編

「えー!? じゃあ結局、何もすることなく追い出されちゃったんだ?」

 

 大袈裟なリアクションを返すのは、隣を歩くリサだ。

 

「しかし、オーナーの配慮には感謝ですね。五人編成でのライヴには慣れてきましたが、それでも野上さんのサポートがあるのとないのとでは、ライヴの完成度が大きく変わりますから」

「野上さん……元気、出してください……」

「そーですよ一哉さん! そんなに落ち込んじゃ駄目です!」

 

 紗夜(さよ)に続いて、燐子や最年少のあこにまで慰められてしまった。

 

「……そんなに(へこ)んでるように見えるか?」

 

 やっとのことで絞り出したその言葉に、

 

「そうね」

 

 即答したのは、(りん)、とした涼やかな声である。

 傍らを歩く銀髪の少女。

 (みなと)友希那(ゆきな)だ。

 

「少なくとも、見ているこちらが気になるくらいには」

「マジかあ」

 

 そう言う幼なじみに、一哉としては苦笑で返すしかない。

 SPACEへ向かう道中である。

 あの後、特に行くあてもなかった一哉は、その足で友希那達があらかじめ待ち合わせ場所にしていた都電の駅に向かった。

 もともと一哉も同行する予定だったために何の問題もなかったのだが、それでもある種()らない子扱いされたことが(こた)えたのか、道中もその心持ちは穏やかではなかった。

 そして、Roseliaの中にはそういったことに敏感なメンバーがいる。

 言わずもがな、リサである。

 当然、そこを突っ込まれた。

 突っ込まれてしまったら、話すしかない。

 だから今、こうなっているというわけだ。

 すなわち、なんやかんやで少女に慰められる少年の図、である。

 

「とは言え、夏にインフルエンザとは大変ですね」

「だよねー」

 

 そう言う紗夜に、リサが応える。

 

「でも、実里がいるって聞いたら、少し安心しちゃった」

「安心?」

 

 一哉は顔を上げて、リサの方を向く。

 

「うん。初めての場所だし、スタッフ側に顔なじみがいるのって結構心強いじゃん?」

「ああ、たしかに」

 

 それは判る。

 

「いい意味で緊張が(ほぐ)れてくれたら、よりアタシ達の音楽がお客さんに伝わりやすくなると思うんだー」

 

 ヒマワリのような笑みで、彼女はそう言った。

 だから一哉も、頷きで返す。

 

「そうだな」

「ありがとね、一哉」

「なにが?」

「アタシ達のライヴが予定どおり()れるように、動いてくれたんでしょ?」

「ああ、まあ、そうだな」

「だから、ありがと」

「……おう」

 

 やがて目的のSPACEに辿り着き、六人は建物の中へと入る。

 途端に、ドアの閉じられたステージの方から音楽が漏れ聞こえてきた。

 

「いらっしゃい」

 

 迎えてくれたのは、さっき一哉をここから押し出してくれた張本人である。

 よろしくお願いします、という友希那達の挨拶を受けてから、彼女はこちらに向き直る。

 さっきはごめんね、とばかりに両手を拝み合わせてきた。見事なウィンク付きで、だ。 

 

「今、どんな感じなんですか?」

「ちょうどグリグリがリハーサル中だから、もう少し待ってもらえるかな?」

「判りました」

 

 頷いて、一哉は友希那達を振り返る。

 

「じゃあリハが終わったタイミングでいいから、紗夜さんとリサは俺ンとこに楽器持って来てくれるか? 本番までに弦、張り替えちまうから」

「え、いいの?」

「交換じたいは自分ので慣れてるし、今日はほとんど裏方みたいなもんだからな。それぐらいやらせてくれよ」

「そういうことでしたら、よろしくお願いします」

「うん。じゃ、その時は任せたよ」

「はいよ。任された」

 

 その後Roseliaのリハーサルとライヴ本番を見学した一哉は、PAが凄い、という鵜沢の言葉が誇張でも何でもなかったことを思い知らされた。

 

 

 

       

 

 

 結論から言えば、ジョイント・ライヴは大成功に終わった。

 集まった観客も大いに沸いたし、ステージでパフォーマンスする双方のバンドが実力を充分に発揮出来たのが、何よりの証拠だろう。

 Glitter*Greenのボーカル・牛込(うしごめ)ゆりも、自身の妹がスタッフとして参加していたこともあってか、この前のCiRCLEでのライヴ以上に伸び伸びと歌っている印象を受けた。

 Roseliaは本番中にちょっとしたハプニングが起きたらしいが、持ち前の対応力でもって事なきを得た。

 その全てを、実里はPA卓から観ていた。

 ステージから放たれる迫力も、観客の熱気も、全て。

 やっぱり、と実里は思う。

 SPACEって、いい。

 出演者とお客さんが一体になる、あの感じ。

 私もいつか、あのステージで()れたら。

 そう思っていた。

 

「やりきった、と思う者は?」

 

 フロアの中央に置かれたパイプ椅子に座る都築(つづき)オーナーの、それはほとんど呟きである。

 だがその声は、防音扉の閉められた会場の閉塞感の中で、耳障りなくらいに反響した。

 ステージに立つ少女達から、息を呑む音が聞こえた。

 オーディションである。

 無論、次のSPACEのライヴに出演するための。

 実里は凛々子(りりこ)とともにPA卓に立って、同僚のオーディションの様子を見守っていたのだ。

 そう。

 今ステージに立っているのは、花園たえと、その友人達なのである。

Poppin'Party(ポッピン・パーティー)』だ。

 

 実際のところ、演奏の出来としては、まあまあ、というのが実里の感想だった。

 それなりの練習は積んできたのだろう。個々人の演奏じたいは、緊張によるミスを度外視しても相応の実力が見受けられた。

 しかしこれが『バンド』となった時、果たしていい方向に影響が出るかは、また別問題なのである。

 事実、さきほどの演奏はリズムが乱れているように感じられた。

 曲の、ではない。

 メンバーそれぞれのリズム感のことである。

 それはバンド活動をするうえで、初めにすり合わせなければならないことの一つだ。

 ギターとベースのリズム感が……あるいはドラムとキーボードのリズム感が違えば、それは決して『良い演奏』にはなり得ないからだ。

 ORIONも結成当初、バンドとしてのリズム感をある一定のレベルで一致させるための練習を繰り返していた時期があった。四分(しぶ)音符、八分(はちぶ)ウラ、付点八分休符後の一六分(じゅうろくぶ)ウラ、そして一六分休符後のウラを、それぞれ一定のリズムに合わせて手を叩くトレーニングだ。

 休符を意識した演奏を、とは鳴海の言葉だったろうか。

 いずれにせよ、おかげでリズムの『喰い(アンティシペーション)』が多いORIONの楽曲も、今ではほとんど無意識に演奏することが出来るようになった。

 だが今の『Poppin'Party』には、それがまだ欠けているように聞こえた。

 実里でさえそう感じるということは、当然、オーナーが気づいていないはずがない。

 そしてそれは、どうやらステージに立つ彼女達も同じようだった。たえも紗綾もりみも有咲も、とても今の自分の演奏に納得しているようには見えない。

 やりきった、そう断言出来ないでいるのだ。

 ただ、

 

「はいっ!」

 

 その中で一人だけ、威勢のいい返事とともに挙手する者がいた。

 ステージの中央で星の形に似た真っ赤なギターを下げる少女、戸山香澄である。

 何とも自信たっぷりに手を挙げて見せるその姿に、果たしてオーナーはどう思ったのだろうか。

 かすかに、笑ったように息を吐くのが聞こえたような気がした。

 だが、

 

「駄目だ」

 

 それは残酷な宣告だった。

 

「うちのステージに立たせるわけにはいかない」

 

 だが、香澄も退かなかった。

 

「また受けます!」

 

 マイクによって増幅された彼女の声は、ステージの左右に積まれたスピーカーから放たれる。

 

「いっぱい練習して、何回でも挑戦します!」

「何回でも、ねえ……」

 

 オーナーの言葉に寂しげな色が感じられたのは、気のせいだろうか。

 

「ま、頑張りな」

「はいッ!」

「あの、オーナー」

 

 たえだ。香澄の隣で、彼女は青いギターを下げている。

 ネックを持つ手が、わずかに震えているように見えた。

 実里もまた、垂らした手が無意識のうちに拳を握っていた。

 

「この間スケジュール表見たんですけど」

 

 ジョイント・ライヴ当日に事務室で見た、あのホワイト・ボードのことだ。

 そう。

 それもまた、実里が気になっていたことの一つだった。

 

「七月の後半から、全部真っ白で……」

「……え?」

 

 きょとん、と香澄が呆けた声を漏らす。

 そして少女達の視線が、一人の老婆に集まった。

 不安と、

 そして疑問である。

 

「花園には、まだ言ってなかったね」

 

 それから、と都築(つづき)オーナーは肩ごしに背後を振り返る。

 PA卓に収まった実里を。

 

八谷(やたがい)、あんたにも」

 

 そしてもう一度ステージに立つ五人の少女に向き直ると、ぼそり、と言った。

 

「SPACEを閉めるよ」

 

 静寂。

 それを破るように、たえは問いかけた。

 

「どうして、ですか……?」

「私はもう、やりきった。それだけさね」

「そんな……」

 

 思わず漏らした呟きに、オーナーがこちらを振り返る。

 

「黙ってたのは悪かった。でも、これはもう決めたことなんだ。閉めるまではしっかり頼むよ、二人とも」

 

 Poppin'Partyがステージを後にすると、しばらくして次のバンドがステージに上がる。

 オーディション。

 結果。

 退場。

 入場。

 オーディション。

 結果。

 退場。

 その繰り返し。

 慣れた仕事。

 でも、ちっともバンドの演奏が頭に入ってこない。

 駄目なのに。

 今は、ちゃんと仕事しなくちゃいけないのに。

 でも。

 どうしたらいいの?

 私はどうしたらいいの?

 何をどうしたら、私は『やりきれる』の!?

 ぐるぐる、ぐるぐると、思考が渦を巻いてゆく。

 最後のバンドが終わってシフトからアガるまで、オーナーの言葉が頭から離れなかった。

 

 

 

       

 

 

「実里の様子がおかしい?」

 

 平日の学校終わりにCiRCLEでのRoseliaの練習に参加していた一哉は、休憩に入るとともに二人のメンバーに相談を持ちかけられていた。

 

「そうなんだよ!」

 

 リサと、

 

「そうなんです!」

 

 あこからだ。

 

「最近ちょっと元気がないみたいでさ。廊下ですれ違う時とか、心ここにあらず、って感じなんだよね~」

「部活の日とかも、どこか遠くを見てるみたいで……」

 

 そして二人は、口を揃えて言うのである。

 

「何か知らない?」

「何か知りませんか!?」

 

 ぐい、と詰め寄ってくる二人に対して考えるそぶりを見せてから、

 

「ないなあ」

 

 一哉の、それが答えである。

 

「練習の時も普段とあんまし変わんないし」

「そんなはずないです!」

「絶対何かあるって! あんな実里、初めて見たもん!」

「いや、そう言われてもなあ」

 

 実際のところ、一哉としてもそう応えるしかない。

 事実、ORIONの練習で顔を合わせる実里の様子に、特に目立つ変化が見受けられなかったからだ。

 せいぜいが、このところ口数が減ったな、と感じるくらいである。ライヴでよく喋る実里から想像すればたしかにそれも『違和感』なのかも知れないが、考え事があるならば多少なりとも口数は減るだろう。

 それが何についてなのかは、さすがに判らないが。

 だがリサ達が見たという実里の様子は、たしかにおかしいとは思う。

 

「そう言えば」

 

 友希那だ。水を飲んで、ペットボトルのキャップを閉めながら。

 

「休み時間に何か書いていたわね」

「実里が? ……そう言えば、今あいつとクラス同じなんだっけか」

 

 羽丘(はねおか)女子学園の、二年B組である。

 

「ええ。覗きはしなかったけど、でも何をしているかは想像がつくわ」

「マジっ!?」

「ほんとですか、友希那さん!」

 

 さっきまで一哉に喰いついていた二人が、今度は背後の銀髪の少女の方を振り向いた。

 その気迫に、さすがの友希那も多少気圧されてしまったらしい。一度咳払いをしてから、銀髪の少女は言った。

 

「彼女、曲を書いてるわ」

「曲?」

 

 訊き返すリサに、友希那は頷いた。

 そして彼女の視線が向くのは、一哉である。

 

「あなたなら思い当たる節があるんじゃない?」

「曲、か……」

 

 その話を聞いて、一つだけ、心当たりがある。

 むしろ考えられることとすれば、その一つしかない。

 

「……もしかして、アルバム用の新曲を書いてるのか、あいつ……?」

「アルバム、って……一哉達が作ろうとしてる?」

「ああ。さすがに俺だけで曲作るのは骨が折れるってんで、鳴海さんや実里にも曲を書いてもらうことになってたんだけど、あいつからはまだ譜面もらってなかったんだよ」

 

 言いながら、一哉は足元のリュックから分厚いファイルを取り出した。

 

「別に秘密でも何でもないから見せるけど、今アガッてるのだけでも、ざっとこんな感じだな」

 

 次々と床に広げられてゆく譜面に、Roseliaの面々が顔を覗き込ませる。

 

「もともと進めてたのも含めて、俺のが四曲。で、こっちのが鳴海さんの一曲だな。まだ予定の半分にも届いちゃいない」

「この倍以上って……相変わらず、とてつもない量ね」

「野上さんの創作意欲には脱帽しますね……」

「全部……新曲、なんですか……?」

「黒いのと白いのがいっぱい……あこ、全然判んないよぅ」

「一哉、これ本当に全部録るの?」

「録るよ」

 

 即答である。

 

「まあ、それに加えてライヴが立て込んでるから、キツいことには変わりないんだけど」

「うわぁ……想像しただけで大変そうだね。……あ、そうそう。それで思い出した」

 

 一哉が持ってきた譜面を両手に持って、ふいにリサがそう言った。

 

「一哉さ、来月の二〇日(はつか)って空いてる?」

「七月の? ちょっとまって」

 

 言いながら、手元の携帯でカレンダーアプリを開く。特に何も書かれてはいない。

 

「空いてるけど、思いっきし平日じゃん。何かあり?」

「アタシ達、その日ライヴに出ようかなって思ってるんだ」

「ほう。別にいいと思うけど、どこで?」

「SPACEよ」

 

 一哉の問いに、応えるのは友希那である。

 

「またオーディションを受ける必要があるけど、それまでにベストなパフォーマンスが出来るように」

「どうやら、来月にSPACEが閉店するらしいの。だからその最後のライヴへ」

「……なに?」

 

 思わず、一哉は友希那を見上げた。

 

「閉店?」

「知らないの?」

「いや。そんな話、聞いてないぞ。だいたい、それだったら一番に実里が……」

 

 ……言ってきそうなもんだけど、と言いかけて、一哉ははっとした。

 もしかして。

 

「……あ」

「ひょっとして……」

 

 リサ……そしてあこも、どうやら理解したらしい。

 ライヴハウスSPACEの閉店。

 それにともなう実里の異変。

 間違いない。

 

「それだな」

 

 一哉は頷いた。

 

 

 

 八谷(やたがい)実里(みのり)にとって、音楽とは彼女自身を形成するものの一つであると言える。

 

 初めて楽器に触れたのは三歳のころだった。親の勧めで通い始めたミュージック・スクールの、ピアノ科である。

 二年ほど経ったある日、テレビで流れていた曲を何となく鍵盤で合わせてみたら完全に一致した。それが絶対音感であることを、実里は後になって知った。

 この音を出したい、と思ったら、きちんと出したい音を奏でられるようになっていたのだ。

 楽しい、と思った。

 けれど同時に、物足りない、と思うようにもなった。

 何を弾いても、鳴る音はピアノの音一つだけ。それが物足りなく感じてしまったのだ。

 退屈だったわけではない。課題曲は弾き甲斐があるものだったし、どれも素晴らしい楽曲だった。

 だが、それだけだ。

 

 小学校に進級して少ししたころ、スクールの講師がこう言った。

 実里ちゃん、エレクトーンに興味ある?

 かくしてエレクトーン科へ転科した実里は、自分の世界が一気に広がる感覚を憶えた。

 表現したい音色(おんしょく)を、ボタン一つで切り換えて演奏する。

 演奏するのは一つの楽器なのに、その機械の中には無数の音色が眠っている。

 その事実が、何よりも実里を高揚させた。

 次はどんな音色(ねいろ)を弾こうかな?

 どんな音を使ったらもっと楽しくなるかな?

 そうやって試行錯誤することじたいが楽しくて、もっともっと、音楽が好きになった。

 中学に上がってダンス部に入ったのも、今度は『(からだ)で音楽を表現したい』と思うようになったからだった。

 毎日が音楽で充実していた。

 

 高校へ進学すると同時に、ライヴハウスでアルバイトも始めた。

 初めは、ちょっとした興味からだった。

 同じ楽器でも、奏者が違えばその音色(ねいろ)は十人十色だ。自分にはない何かを持っているだろう『誰か』の演奏を目で観て、耳で聴いて、肌で感じることで、自分にフィードバック出来ないものかと履歴書を持ってやって来たのである。

 全てが新鮮だった。

 ステージに上がるバンドの一つ一つが、自分達の音楽を……自分達だけの音楽を楽器にのせて、歌声にのせてライヴハウスに解き放つ姿が、とても眩しく見えた。

 いつか自分もあのステージに立てたら……そう思うまでに、そう時間はかからなかった。

 

 そして、それから間もなく。

 実里は、今井(いまい)リサの紹介で野上一哉と出逢った。

 そして彼の作り出す『音楽の世界観』に魅せられ、惹かれた。

 キーボーディストを探している、と彼は言った。

 だから実里は、その場で言ったのだ。

 私、やるよ。

 彼の楽曲を自分の音色で奏でたらどうなるのだろう?

 そう思ったら、自身の意思よりも先に口が動いていた。

 私でよかったら、キミのバンド、入るよ。

 その選択は(あやま)りではなかったと、今なら断言出来る。

 ORIONに入って、間違いなく実里の音楽性は磨かれた。

 演奏技術も、スクールに通っていたころに比べれば見違えるほどに上達した。

 一哉ほどではないが、曲も書き下ろすようになった。

 今なら昔以上に『自分』を表現出来る、そう言い切れるだけの自信が、いつの間にか身に着いていたのだ。

 

 だから、と実里は思う。

 だから今なら、立てるんじゃないの?

 立ちたいって、言ってもいいんじゃないの?

 カズくんに。

 ORIONのみんなに。

 でも、言葉でうまく伝えられる自信は、ない。

 だったら。

 作成したデータを、パソコンに繋いだ携帯に保存する。

 きちんと中身が入ったことを確認してから、実里は携帯を繋いでいるコードをパソコンから引っこ抜いた。

 パソコンのモニターには、右下に小さく今日の日付と現在の時刻が表示されている。

 午前三時。

 いつもならとっくに寝ている時間だが、どうやら気づかないうちにこんな時間まで作業していたらしい。

 二週間ばかりこんな生活サイクルだったが、それもとりあえず一区切りだ。

 あとはこれを、カズくんに渡すだけ。

 そして言うんだ。

 私の気持ちを。

 私が出した答えを。

 後悔しないために。

 

 

 

       

 

 

「みんな、今日は急に集まってもらってごめんね」

 

 七月初旬。

 週末から期末テストが始まろうというタイミングで、実里は放課後のORIONのメンバーへ招集をかけた。

 集合場所は、CiRCLEのカフェ・テラス。その中の一つのテーブルを囲うように、四人はそれぞれ座っていた。

 鳴海だけが柄シャツの私服で、残りの三人はそれぞれの学校の制服のままで。

 

「ナルルンも、今日はお仕事なんでしょ?」

「そうだけど、入りが遅いから問題ナシ。気にすんな」

「ありがと」

「で?」

 

 一哉である。オーダーしたカフェ・ラテを一口飲んで、ソーサーに戻す彼の上唇(うわくちびる)には立派な泡髭(あわひげ)が付いていた。

 

「話って?」

「その前に、カズくん」

「ん?」

「泡、付いちゃってるよ」

「ああ、こりゃどうも」

 

 慌てて、取り出したティッシュで口元を拭う。

 それから、彼はもう一度繰り返した。

 

「……で、話って?」

「そのことなんだけどね」

 

 言いながら、実里は携帯を取り出す。

 そして目的の画面を表示させると、テーブルの中央に置いて見せた。

 

「聞いて欲しい曲があるの」

「曲?」

 

 驚いたように声をあげる鳴海に、実里は頷きで応える。

 

「うん。ようやく、デモが出来たの」

「アルバム用のか? それなら今度の練習の時でもいいのに」

 

 だが、

 

「ううん」

 

 今度は頷かなかった。

 

「今じゃないと駄目なんだよ」

 

 揃えた膝の上に乗せた両手が、無意識に拳を作る。

 

「今、みんなに聞いて欲しいの」

「……判った」

 

 そう言って、一哉はポケットからイヤホンを取り出して、プラグをジャックに挿し込む。

 

「周りに迷惑かかると悪いから、一人ずつ聴いてこうか」

「んじゃ、ガミの次はオイラだな」

「……じゃあ、最後は僕で」

「うん。お願い」

「ええと……、この『ラスト・チャンス』ってので合ってるか?」

「うん。名前の方はまだ固まりきってなくて、とりあえず仮ってことで」

「ま、とりあえず聴いてみないことには始まらないか」

 

 そして、一哉は再生ボタンをタップした。

 デモとは言っても、アレンジから何までほとんど打ち込み終えた音源である。

 三分半弱。

 フル・コーラスのデモを聴き終えた一哉はイヤホンを外すと、ふう、と息を一つついた。

 それから鳴海がイヤホンを取って、耳に突っ込んだ。

 三分半弱。

 最後に影山が実里の携帯を取って、再生ボタンを押した。

 

「……どう、かな?」

 

 全員が聴き終えたところで、たまらず実里は声をあげる。

 自分でもびっくりするくらい小さな声で。

 

「どうって言われてもなあ……」

 

 口髭を撫でながら、口を開くのは鳴海だ。

 

「まあ正直、意外っちゃ意外だったな」

「そ、そう?」

「おうよ。実里のことだから、もっと爽やかな感じで来ると思ってたぜ」

「八谷さんのキャラクターからは、あまり想像出来ないタイプの曲ですね」

 

 オレンジ・ジュースをストローでちびちびと飲んで、影山も頷いた。

 

「でも、好きなタイプです。こういう曲は」

「影ちゃん……」

「実里」

 

 一哉だ。

 

「デモん中のギターがクリーンなのは、そういうオーダーってことでいいのか?」

「え? あ、うん。曲調的に、これは(ひず)んでない方がいいかなあって打ち込んでた」

「そっか」

「でね……」

 

 そう。

 ここからが、本題なのだ。

 

「実は、その……出たいライヴが、あるんだ」

「ライヴ?」

「うん。忙しいのは判ってるんだけど、それでもどうしても出たいの」

 

 そうだ。

 言わなくちゃ。

 私の気持ち。

 八谷実里は唾を飲み込んだ。

 

「SPACEのライヴに出たいの!」

 

 ああ。

 言っちゃった。

 

 

 

       

 

 

 SPACEのドアが開かれたのは、西日に照らされた空が茜色に染まったころ、詩船(しふね)がカウンターで次のライヴの進行表の束をまとめていた時だった。

 詩船は手元に落としていた視線を上げて、入口の方を振り返る。

 

「来たね」

 

 来ていた。

 オーディションに臨もうとする若者が。

 だが、

 

「……なに?」

 

 ロビーに立つバンドを見た途端、詩船はたるんだ(まぶた)をわずかに見開かせた。

 予想していた人物と違っていたからだ。

 短期間にオーディションを受けては落ちてを繰り返していた、あの五人の少女達ではない。

 小柄な少年、

 口髭を生やした鷲鼻の青年、

 ギター・ケースを手にした長身の少年……。

 三人の男子を従えた、それは一人の少女だったのだ。

 

「オーナー。お話があります」

 

 真っ赤なカチューシャを付けた、それはSPACEのアルバイトである。

 

「八谷か。こんな時間にどうしたんだい?」

 

 言いながら、しかし詩船は何となく想像がついていた。

 今日はSPACEを閉める前の、最期のオーディション日だからだ。

 そのタイミングで……しかも楽器を背負ってやって来たということは、もはや答えは一つしかあるまい。

 八谷実里は一歩、前へ出ると、見事な九〇度で腰を折る。

 

「お願いします!」

 

 そして、言った。

 

「私に……私達のバンドに、ここのオーディションを受けさせてください!!」

 

 声を張り上げて。

 

「私達、ガールズバンドじゃないけど……でも、ここで一年ちょっと働いてきて、ライヴしてる人達を見てると、すッごい楽しそうで! だからっ!」

 

 矢継ぎ早に、次から次へと言葉が飛び出して来る。

 

「……だから、私、どうしてもここでライヴしたいんです! カズくん達と……バンドのみんなといっしょに、SPACEのステージに立ちたいんです!!」

 

 突然、顔を上げる実里の、その頬が涙で濡れていた。

 

「そうじゃないと……私、やりきったって言えないから!」

「実里ちゃん……」

 

 声を漏らすのは、隅のテーブルに着いているゆりだ。彼女だけでなく、『Glitter*Green』のメンバーが勢ぞろいで、ステージの映像が中継されるモニターがよく見える位置に座っているのである。

 

「だからオーナー、お願いします! オーディション受けさせてください!」

「お願いします!」

 

 以前『Glitter*Green』と『Roselia』のジョイントライヴの時に顔を出していた野上が、続くように頭を下げた。

 そして鷲鼻の青年と小柄な少年も、静かに頭を下げる。

 

「やめとくれ」

 

 それが耐えられなくて、詩船は声をあげた。

 

「私ゃ頭下げられるのが好きじゃないんだよ」

 

 そして目の前の少女に、詩船は顔の前の虫でも追い払うみたいに、手を振った。

 

「そんなことしなくても、オーディションぐらい、見てやるさ」

「……え?」

 

 涙声で、実里が訊き返す。

 だから、

 

「もっとも」

 

 詩船は付け加えた。

 

「受かるかどうかは、実際にあんた達の演奏を聴いてみるまでは判らないがね」

 

 それから、

 

凛々子(りりこ)

 

 ドリンクカウンターに立つスタッフに声をかける。

 

「はい」

「オーディションの準備。あいつらが来るより先に、こっちを見るよ」

「判りました」

 

 応えて、凛々子は廊下の奥へと消えて行く。

 背後で、ぐすっ、と(はな)をすする音が聞こえた。

 振り向いた詩船に向かって、

 

「オーナー!」

 

 激突の勢いで実里が抱きついて来る。

 

「わっと!? ……ったく、泣くんじゃないよ。あんたはオーディションを受ける、私はオーディションを見る。それだけのことだろ?」

「だって、だって……!」

 

 それから詩船は、呆然と立ち尽くす三人の男子へ目をやる。

 

「ほら。あんたらも黙って見てないで、早くこの子連れて支度しな!」

「は、はいっ!」

 

 すぐさま三人は、実里の両脇を抱えて奥の控室へと移動してゆく。

 その背中を見送る詩船の唇には、自然な笑みが浮かんでいた。

 

 

 

 

 超絶技巧派バンド。

 牛込(うしごめ)ゆりは、ORIONのことをそう評価していた。

 CiRCLEで初めてそのステージを見た、あの瞬間から。

 

「前に、ちょっと声かけてみたんだよね」

 

 デベコを抱きしめながら、リィが呟く。

 

「オーディション受けてみない、ってさ」

「そうだったの?」

 

 驚いたように声をあげるのは、編み込みに眼鏡の七菜(ななな)だ。

 

「てっきり実里ちゃんが言い出したんだと思ったんだけど」

「どっちでもいーじゃーん!!」

 

 元気いっぱいに、ひなこがそう言う。

 

「誰の提案かなんて、些細なことに過ぎないの、さッ!」

 

 彼女のテンションが高いのは、今に始まったことではない。

 

「あ、出て来た」

 

 舞台袖から出てくる実里達の姿をモニターごしに見つけて、ゆりは声をあげた。

 その時だ。

 がちゃり、と入口のドアが開いた。

 振り向いたゆりの視線の先にいたのは、思ったとおりの人物達だった。

 

「りみ」

「お姉ちゃん?」

 

 妹と、その仲間達である。

 五人の少女。

『Poppin'Party』だ。

 誰もがその表情を固め、唇を引き結んでいる。そんな中で、姉の存在に気づいたりみが、我に返ったようにきょろきょろと周りを見回した。

 

「あの……、オーナーは?」

「ステージ。オーディションするところ」

「オーディション? どんなバンドなの?」

「実里ちゃん達のバンド」

「実里さんの?」

 

 喰いついたように、たえが声をあげた。

 

「実里さんが、オーディション受けに来てるんですか?」

「うん。見る?」

「見ます!」

 

 誰よりも早く応えたのは、香澄だった。いつも以上に気合が入っているように見える。

 それから空いているテーブルに着いて、全員でモニターを見上げる格好になった。

 ステージに、四人が立っている。青いドラム・セットには小柄な少年が座り、カミソデに近い方にベーシストが、反対側の壁際にキーボーディストが立っている。ギターはステージ中央だ。

 カメラは天井からのアングルで、フロアの中央で椅子に座るオーナーとステージに立つバンドがいっぺんに見えるようになっている。実際のライヴになれば、これがバンドと観客の図になるわけだ。

 ロビーからでも、ライヴの盛り上がりっぷりを観れるようになっているのである。

 

「……あ」

 

 フロントに立つギタリストが構えた楽器を見て、リィが声をあげた。

 

「どうしたの?」

「あれ、ガットが欲しい、って言って、うちの店で買ってくれたギターだよ」

「へえ」

「ガット?」

 

 香澄だ。頭に『ハテナ』マークでも浮かんでいそうな顔で、彼女は隣のたえに声をかけた。

 

「おたえ、ガットって何?」

「クラシック・ギターの一つで、ナイロン弦が張ってあるもののこと」

「ゆが……じゃないや、ひずむ?」

「基本的には歪まないけど、あったかい音が出るよ」

「そうなんだ~。……あれ? お兄さんのところ、マイクないよ? 何で?」

「実里さんのバンド、インストなんだって」

「インスト?」

「歌のない、楽器だけの演奏で曲を演奏するの」

「へー! そういうのもあるんだね!!」

「……あ。香澄ちゃん、おたえちゃん、始まるよ」

 

 りみの言うとおりだった。

 画面の中で、オーナーが口を開いたのだ。

 準備が出来たら、いつでも始めな。

 それに応えるように、唯一マイクスタンドが置いてあるキーボードに立った実里が、マイクを通して自己紹介をした。

 

「ORIONです。よろしくお願いします!」

 

 中央に立ったギターがドラムを振り返ると、その奥のドラマーがスティックを打ち合わせる。

 フォー・カウント。

 そして始まる演奏。

 だが。

 出だしの音を聴いたその瞬間から、ゆりは確信していた。

 いける。

 いけるよ。

 キミ達なら。

 だって、これだけ音楽に真っ直ぐに向き合っているんだもの。

 

 

 

 ORIONは、ライヴ・ハウスSPACEの最終公演への出演を掴み取った。




 次回、『SPACE LAST』、開演。
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