青薔薇を照らす星明かり   作:椎名洋介

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第一章 アタシにやらせて欲しいの:後編

       

 

 

 一哉に手を引かれて、気がつけばリサはライヴハウスの中へと入っていた。

 彼が二人分のチケットを支払い、そのまま地下へと降りて来たのだ。

 分厚い扉を開けて中へ入ると、むっとする熱気が二人を襲う。

 

「すご……だいぶ人、入ってるな」

 

 隣で呟く一哉の手には、何も()げられていない。他の客の邪魔になると悪いからと、ギターやらエフェクターやらが入ったハードケースはカウンターに預けてきたのだ。顔なじみだという女性スタッフは、快く引き受けてくれた。

 

「う、うん。そうだね……」

 

 リサとしては、そう返すのがやっとだ。

 それどころじゃなかったからだ。

 目の前の光景に見惚れていたから。

 カウンターのスタッフ……たしか、まりな、といっただろうか……が言うには、ちょうどこれから友希那のステージが始まるらしい。つまり、今この会場に集まっている観客全員が友希那の……幼なじみの歌を待っているということなのだ。

 それがたまらなく……嬉しかった。

 

「こんなに、たくさん……」

 

 前方へと歩いて行きながら、辺りを見回していた時だ。

 一哉が隣にいるのとは反対側の肩が、誰かとぶつかってしまった。

 

「あっ、ごめんなさいっ」

 

 慌てて、ぶつかってしまった人の方を向く。

 

「いえ……、こちらこそ」

 

 照明が落とされているせいではっきりとは見えなかったが、相手が落ち着いた声色の少女だったことに、リサは胸をなで下ろした。もしも『そっち系』のアブナイ人だったら、どんないちゃもんをつけられるか判ったものではないからだ。

 

「大丈夫か?」

 

 言いながら、一哉が手を握ってくれる。混雑した会場で、はぐれてしまわないための彼なりの気遣いだろうか。

 頷いて、リサは他の客の頭の間からステージを覗き込んだ。

 ……そういえば、ステージで友希那が歌うところを見るのって、いつぶりだろう。

 周りの喧騒を置き去りにして、だんだん意識がステージへと吸い寄せられてゆく。

 知らず知らずのうちに頬が紅潮し緩んでいることに、リサは気づいていなかった。

 

 

 一方で氷川(ひかわ)紗夜も、会場の熱気を前に驚きを隠せなかった。

 ぶつかってしまった女性に会釈を返してから、改めて周囲を見渡す。

 正直、バンドを組んで欲しい、と言われた時は何かの冗談かと思った。

 しかし。

 紗夜が何より驚いたのは、集まったファンの数は当然ながら、そのマナーの良さだ。

 タイム・テーブル上では、とっくに『湊友希那』のステージは始まっている。

 押しているのだ。

 それなのに、観客達は一切騒ぐ様子がない。近場の友人達との話し声が聞こえる程度なのである。

 みんな、と紗夜は思う。

 ……みんな、あの子の歌を待ってるみたい……。

 

「りんりん! こっちこっち!」

 

 ふいに、後ろが騒がしくなった。

 

「ほら。ここがドリンク・カウンター。ステージから一番遠いから、ここに居れば押されないからね……って、り、りんりん!? わわわわわわ~! り、りんりんの顔が青いー!」

「人が……たくさん……うち……に……か、帰り……た……」

「りんりんしっかりしてぇ! 友希那の歌を聞くまで死んじゃ駄目だよぉ~!!」

 

 あまりのうるささに背後を向くと、会場の入り口付近に二人組の女子が立っていた。一人はツインテールの少女で、大きな声は彼女が出しているらしい。

 もう一人……黒髪の少女の方には、見覚えがあった。

 同じクラスなのだ。たしか、白金(しろかね)という苗字だったはず……彼女も『湊友希那』のファンなのだろうか。

 それにしても、隣の子の騒がしさは目に余る。

 ここはひとつ、オーディエンスのためにも注意するべきだろう。

 

「ちょっとあなた達、静かに……」

 

 ……してもらえませんか、そう言おうとした、まさにその時だ。

 ステージのライトが一斉に灯った。

 同時に鼓膜に衝撃が叩きつけてくる。

 文字通りの、衝撃である。

 思わず、振り返った。

 歌っている。

 湊友希那が、歌っている。

 だが、

 信じられない。

 こんなことって……こんなことって、あるの!?

 言葉ひとつひとつが……音にのって、情景に変わる……色になって、香りになって、会場が包まれてゆく……。

 バック・バンドはいない。

 流れるオケに合わせ、湊友希那はたった一人で歌っているのだ。

 音の厚みだけで言えば、生のバンドには劣る。けれど彼女の歌声に……震える喉が編み上げる旋律に、紗夜は一瞬で心を奪われていた。

 

「湊、さん……」

 

 間違いない。

 彼女は『本物』だ。

 やっと、見つけた……!

 

 

 そして一哉は、

 

「なんだ、これ……」

 

 ただただ、見惚れていた。

 思えば、純粋に観客として今の彼女の歌を聴くのは、これが初めてなのだ。

 それも、昨日のライヴでは歌うことのなかった、彼女のオリジナル曲である。

 全身の毛が逆立つのを感じる。

 耳が、目が、肌が、細胞が、魂が……湊友希那という一人のヴォーカリストを余すことなく味わおうと研ぎ澄まされてゆくのが判る。

 力強い歌声である。

 気高い歌声である。

 繊細な歌声である。

 瞬間、彼女の目と目が、合った。

 途端に、何かが一哉の心の中へと入り込んでくるのが判った。

 期待。

 不安。

 焦燥。

 ……歌を通して、彼女の『感情』が濁流のように流れ込んできたのである。

 ああ、そうか。

 これが、お前が見てきたものか。

 これが、お前が感じてきたことか。

 これが、お前の『覚悟』なのか。

 ……だからお前は、俺に声をかけたのか。

 そして、

 

「……ああ」

 

 一哉の目に映るもの、その全てがにじんでゆく。

 にじんで、輪郭を崩して、光にきらめいてゆく。

 頬を熱いものが流れるのを感じながら、けれど一哉は動けなかった。

 ただ、じっと見つめることしか出来なかった。

 たった一人でステージに立ち、その歌声だけで観客を魅了する幼なじみの姿を。

 彼女の言の葉で紡ぎあげられる世界を、一身に受け止めていた。

 やがて友希那のステージが終わり、歓声の中彼女が舞台からはけるのを見届けてから、一哉は隣のリサを見やる。

 こちらの視線に気づいた彼女の顔を見て、思わず苦笑した。リサもまた、苦笑で返す。

 お互いが、同じような顔をしていたからだ。

 自分はブレザーの袖で顔を拭って、彼女には持っていたハンカチを渡してやる。

 そして情けない顔をどうにかしてから、示し合わせたかのように二人は同時に頷いた。

 答えは、もう決まっていた。

 

 

 

       

 

 

 ノックは三回。

 どうぞ、という返事を待ってからドアを開けると、彼女はいた。

 こちらに背を向けた状態で椅子に座り、けれどその表情は正面の鏡に映し出されているためよく見える。

 湊友希那。

『本物』のヴォーカリスト。

 失礼します、と紗夜が入室すると、

 

「……どうだった、私の歌」

 

 鏡ごしに、金色の瞳が尋ねてくる。

 

「なにも言うことはないわ……」

 

 垂らした両手を固く握り、紗夜はそう応えた。

 

「私が今まで聴いたどの音楽よりも……あなたの歌声は素晴らしかった」

 

 それは、本心だった。

 そうでなければ、あそこまで歌に魅せられ、心躍らされたことへの説明がつかない。

 だから続く言葉は、自分でも驚くほど自然と口から出てきた。

 

「あなたと組ませて欲しい。そして……FUTURE WORLD FES.に出たい。あなたとなら、私の理想……頂点を目指せる!」

 

 言いながら差し出す手は、ともに道を歩む相手へのほんの挨拶である。

 友希那は立ち上がると、滑らかな動きでこちらまで歩いてくる。

 そして、迷うことなくその手を取ってくれた。

 

「……ええ、こちらこそ」

 

 そこから、軽い作戦会議をした。

 早速スタジオの予約を取ろうとか、早く残りのメンバーを集めようとか、だ。どうやらもう一人ギター候補に声をかけているらしいが、返事はまだとのこと。それ以外にもベースやドラムといったリズム隊は勿論、表現の幅を広げるためにはキーボードも欠かせない。メンバー探しは急務なのだ。

 そしてその中で、現在進行形で友希那が制作しているというオリジナル曲のメロディーを聴かせてもらい、これを元にアレンジを詰めることになった。

 そんなこんなでロビーに出ると、受付カウンターに立つ女性が笑顔で迎えてくれる。

 

「あ、二人とも。お疲れさま」

「まりなさん、お疲れさまです」

「お疲れさまです」

 

 通い慣れているらしい友希那に続いて、紗夜も会釈する。

 そのままカウンターまで歩いて行くと、まりなは二人の背後を指して言った。

 

「一哉くん、来てるよ」

 

 同時に、

 

「こっちだよ、こっち」

 

 背後から、それに応える声があがる。

 紗夜も振り向くと、丸テーブルが二つ置かれた合成皮革のソファーに、一組の男女が座っていた。声の正体は、両腕を振っている少年である。

 どちらも、見覚えのない顔だ。

 ……いや、

 

「あら?」

 

 少年の隣に座る栗毛の少女の方は、なんとなく覚えがある……思い出した、さっき会場でぶつかってしまった少女なのだ。

 けれど友希那の方は、どちらも面識のある人物のようだ。

 

「一哉、リサも……」

「よう」

「あはは、来ちゃった」

 

 軽く手を挙げて一哉が、頬を掻きながらリサと呼ばれた二人がそれぞれ応える。

 

「その様子だと……バンド、組めたんだな」

「ええ。氷川紗夜……彼女、素晴らしいギタリストよ」

「ギター、もう一人声かけてたのか?」

「ええ。ツイン・ギターのバンドもざらにあることだし、その方がバンドとしての表現の幅も広がるかと思ったの」

「そっか……まあ、それならいいけどさ」

「湊さん、あの……この人達は?」

 

 会話についていけない紗夜は、ついに声をあげた。

 最初に応えたのは、栗毛の少女である。

 

「あ。挨拶が遅れちゃってごめんね! アタシ、今井リサ。友希那の幼なじみで、さっきのライヴ観てたんだ。で~、こっちが……」

「ども、野上一哉です。見ての通り、ギターやってる」

 

 言われて、気がついた。たしかに彼の手には、ギターケースが提げられているのだ。

 

「さっき話したもう一人のギター候補というのが、一哉なの」

「ということは、実力のある方なんですよね?」

「問題ないわ。一哉の腕は、昨夜セッションした私が保証する」

「セッション、ですか?」

「ええ、彼のバンドとね」

 

 そういうことなら、こちらとしては何も言うことはない。

 立ち話もなんだし、と一哉は空いているソファーを指した。

 

「座ってくれ。大事な話なんだ」

「……バンドのことかしら?」

「まあ、そんなとこ。リサにも関係ある話だから、このままでもいいか?」

「リサが?……判ったわ」

 

 そう言って、友希那はソファーに腰掛ける。紗夜も、それに続いた。

 さて、と一哉がイニシアチブを取った。

 

「あまり時間取らせたくないから、単刀直入に言うぞ。……バンドの話、受けようと思う」

「……そう……」

 

 瞬間、友希那の目に浮かんだものは、安堵だろうか。

 しかしそれは、ただし、と二つ指をたてた一哉の言葉によって瞬時に消え去った。

 

「二つ、条件がある」

「……言ってみて」

「まず一つ」

 

 人差し指だけをたてて。

 

「メインのギターはそちらの氷川さんだ。俺自身、自分のバンドもあるから、ずっと練習に付きっきりってことは出来ない。……それでも構わないか?」

「いいわ」

 

 即答だった。

 

「……驚かないんだな」

「もともと、無理を承知でお願いしたのはこちらだもの。受けてもらえるだけでも充分よ。私達が頂点を目指すためには、あなたの音楽センスは間違いなく必要だから」

 

 その代わり、と友希那は金色の瞳を一哉に向ける。

 

「練習に参加する時は、真剣にやってもらうわよ」

 

 もちろんだ、と一哉は唇を笑みに歪めた。

 

「お前の覚悟、想い……さっきの歌で全部伝わってきた。だから俺も、やるからには全力で、友希那……お前の歌に賭けようと思う。手なんて抜かないさ」

「それを聞いて安心したわ。……それより、もう一つの条件は?」

「ああ、それなんだが……」

 

 言いかける一哉を、

 

「一哉、ちょっと待って」

 

 それまで口を閉じていた今井リサが遮った。

 

「……ここからは、アタシに言わせて。ちゃんと自分で伝えないと、意味ないと思うからさ」

 

 そう呟く彼女の手はスカートの上に置かれて、小さな拳を二つ作っていた。

 

「ん、判った」

 

 彼の返事を待ってから、

 

「友希那」

 

 リサは幼なじみの少女と向き合った。

 

「アタシさ、今日の友希那の歌を聴いて、思い出したんだ。小さい頃、みんなでよくセッションしてた時のこと。友希那がヴォーカルで、一哉がギター、アタシは……ベース。憶えてるよね?」

「ええ……けど、それが……」

「アタシにやらせて欲しいの」

「……え?」

「バンドのベース、アタシにやらせて欲しいの」

 

 彼女は、そう言った。

 

「でも、リサ。あなたベースは……」

「うん、高校入ってからやめちゃった。けど、もっかい始めようと思う。たしかにブランクはあるし、みんなの足を引っ張っちゃうこともあるかも知れない」

 

 それでも、と友希那を見据える彼女の瞳には、たしかな決意の色が浮かんでいた。

 

「アタシは友希那の隣に立ちたい。傍で、友希那を支えたいんだ」

「リサ……」

「友希那、お前が俺の力を必要としてくれたように、俺には……俺達には、リサの力が必要だと思ってる」

 

 だから頼む、そう言って、野上一哉は頭を下げた。

 

「湊さん、どうしますか……?」

 

 紗夜の問いかけに、友希那は応えない。

 目を閉じて、考え込んでいるのだ。

 正直なところ、最初はリサの加入を断るべきだと思っていた。だが彼女の『目』を見てしまった以上、それは出来ない。

 だから、友希那の決断に任せる。

 それが、紗夜の出した答えだった。

 

「……二人の言いたいことは判ったわ」

 

 やがて、その瞼が開かれる。

 

「リサ、本気なのね?」

「うん」

 

 即答だ。

 

「アタシ、やるよ。精一杯、友希那の隣りに立つために。だから練習も、死ぬ気で頑張る」

「そう……」

 

 じゃあ、と友希那は言った。

 

「一週間よ」

「え?」

「一週間後……あなたをテストするわ。譜面は後で送るから、それまでに弾けるよう練習しておいて」

「そ、それって……」

「せめてブランクだけでも埋めてもらわないと、公平な判断が出来ないから。でも、もしそれで駄目なら……幼なじみでも諦めてもらうから。いい?」

「……うん、判った!」

「紗夜も、それでいいわね?」

「……私は、湊さんの判断に任せます」

 

 最後に、

 

「一哉は?」

「ああ、それで構わない。……ありがとな、友希那」

 

 そこまで言った時だ。

 突然ロビーの自動ドアが開いて、二人の人物が飛び込んできた。

 

「ゆ、ゆゆゆ……友希那さん! 今の話って、本当ですか!? バンド組むって……!」

「ちょ……あこちゃん……わたし、もう……」

 

 紗夜は、その二人組に見覚えがあった。

 さっきのライヴで騒がしかった少女と、クラスメイトの白金なのだ。

 だが二人に対して最初に声をあげたのは、リサの方だった。

 

「あ、あこ!?」

「ええっ!? リ、リサ姉!?」

「リサ、知り合いなの?」

「あ、うん。ウチのダンス部の後輩で、中等部の子」

「そう……」

 

 いきなりの乱入に友希那は二度ほど目を(しばた)かせてから、冷静に質問に答えた。

 

「ええ、そうね。その予定よ」

「あっ、あこ、ずっと友希那さんのファンでした! 憧れてますっ!」

 

 ツインテールの少女は、上擦った声のままで一気に言葉をまくしたててゆく。

 そして続く言葉に、紗夜は今度こそ頭を抱えたくなった。

 

「だ……だからお願いっ、あこも入れて!」

 

 当然、友希那のバンドに。

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