1
時刻は、すでに午前零時を回っている。
自室に戻った
<
メッセージアプリで事のあらましを書き連ねた一哉は、最後にそう締めくくった。
送り先は、『ORION』と名付けられたグループチャットである。
すぐに、ぴこん、と携帯に通知が届いた。
<実里:いいんじゃない?>
<実里:やりたいことはどんどんやっちゃった方がいいもんね>
相変わらず返信が早い。一哉がチャットしてから二〇秒ほどで、立て続けにレスが帰ってきた。
<実里:カズくん、別にORION辞めるわけじゃないんでしょ?>
<一哉:当然。リーダーが辞めるわけにはいかないだろ>
<実里:それもそうだよね~>
しばらくしてから、他のメンバーからの返信も届く。
<
<
<実里:こっちの練習は、いつも通り?>
<一哉:うん。明日、パルで>
<一哉:朝のうちに来月のイベント用のセトリ送っとくから、各自譜面用意しておくように>
<実里:はーい!>
軽い打ち合わせを終えてアプリを閉じると、一哉はそのままカレンダーのアプリを開いた。
明日からとりあえず一週間ほど、すでに決まっている練習分のスケジュールがずらりと並んであった。
ORIONバンド練@パル。
個人練&リサ練@家。
友希那バンド練@サークル。
友希那バンド練@サークル。
ORIONバンド練@パル&リサ練@家。
友希那バンド練@サークル&リサ練@家。
友希那バンド練&リサ・オーディション@サークル。
これは、と一哉は思う。
明日から忙しくなりそうだな。
部屋の電気を消して毛布をかぶると、睡魔はすぐにやって来た。
翌朝、一哉はリサにゴムパッチンで起こされることになる。
そして開口一番に、彼女は言った。
「今日の一哉のバンド練習、連れてってもらってもイイかな?」
2
放課後、いつもより早く帰り支度を整えたリサは、駆け足で校門へと向かっていた。
廊下を抜け、階段を降りて玄関に着いたところで、黒い長方形のケースを背負った見慣れた赤いカチューシャが目に入る。
「実里!」
「あ、リサ~!」
こちらに気づいた八谷実里が、満面の笑みで振り返った。
ORIONのキーボーディストにして、同じダンス部の仲間である。
実は一年前、バンドメンバーを探していた一哉に彼女を紹介したのがリサだったりするのだが、それはまた別の話。
「ゴメン、待たせちゃった?」
「ううん、だいじょーぶだよ!」
靴を履き替えて、二人で校舎を出る。
「今日はいきなりで、ホントごめんね」
練習の見学のことだ。
いくらリサがベース経験者とは言え、彼女には約三年ほどのブランクがある。それを一週間で埋めなければならないのだ。半端な練習では、きっと友希那は首を縦に振らないだろう。
そこで彼女が出した結論が、身近なバンドに混ざってベースの練習をすることだった。
身近というのは無論、一哉のバンドである。
そういうわけで今朝、寝坊助の一哉をいつものように起こしたリサは言ったのだ。
今日の一哉のバンド練習、連れてってもらってもイイかな?
一哉は、二つ返事で承諾した。ただしメンバーに確認して、OKが貰えたら、とも言われたが。
結果、全員OKくれました。やったね。
実里は、今日の案内人というわけだ。
「何言ってるの、リサなら大歓迎だって!」
「ありがと♪」
「いやあ、それにしてもリサがベースか~。ちょっと意外だったなあ」
そう言って、実里の視線がリサの少し後ろの方を向く。
今、リサの背中にも黒い長方形のケースが背負われているのだ。家の外に持ち出すのはかなり久々で、だからクラスメイトからの質問も多かった。
「あれ、アタシ言ってなかったっけ?」
「うん、初耳。リサってほら、色々ネイルしてるじゃない? だから楽器やってるとは思ってなかったの」
言いながら、実里は自身の両手を広げて見せる。春の桜を彷彿とさせるリサのネイルに対して、彼女のそれはシルバーラメが散りばめられている程度で、しかも短い。
「私もやってはいるけど、爪の保護程度だし。あんまり長いと、鍵盤弾く時、邪魔になっちゃうしね」
「そうだよね~。でもアタシの場合、逆なんだ」
「逆?」
「うん。楽器を弾かないからネイルしてるんじゃなくて、ネイルしたいから楽器辞めちゃったんだよ」
「ほぇ~。……で、今回また楽器にカムバックと」
「そーゆーコト。まあ、アタシは基本、指弾きはしないからさ。」
そんな話をしながら、門を抜ける。
羽丘女子学園から、徒歩で一五分そこそこ。
国道沿いにあるとある雑居ビルが、目的の場所だった。
「……ここ?」
「そうだよ~。ま、スタジオは地下なんだけどね」
言われて彼女が指差す先のテナント案内板を見てみると、たしかにそれらしい名前がある。
こっちこっち、と実里の手招きに誘われるまま、リサも建物脇の階段を降りていった。
『
無人営業なのだ。
予約はウェブで受け付けていて、料金も銀行振り込みの前払い。ロビーへ入るのも、メールで送られてくる暗証番号をそのままドア・ロックに入力すればいい。予約した時間より早く来てしまったのならロビーで軽く暇をつぶし、利用開始時間からスタジオ入りするわけだ。
今日ORIONが使用するのは、三つあるリハーサル・スタジオの中で一番大きい二〇畳のCスタジオらしい。
「ささ、入って入って!」
「お、お邪魔しまーす……」
楽しさ半分、緊張半分といった面持ちでスタジオに足を踏み入れるリサに、
「お、来た来た」
エフェクターボードのケーブルを繋げていた一哉が、しゃがんだ姿勢のまま顔だけをこちらに向けた。
「もうちょっとで準備終わるから、そこの椅子に座って待ってて。ベース、出してスタンドにかけちゃっていいから」
「うん、判った」
「実里も、ちゃちゃっと準備ヨロシク」
「はーい!」
ぱたぱたと移動する実里を尻目に、リサも言われた通り背負っていたリュック・タイプのケースからベースを取り出しておく。中学まで使っていたジャズ・ベースだ。
「よーし、それじゃ機材のセッティングも粗方済んだんで、始めちゃおうか」
やがて全員の準備が整ったところで、リーダーの一哉がこの場の指揮を執り始めた。
「最初に紹介しとく。彼女が今朝話した今井リサ。俺の幼なじみで、練習を見学したいってことで来てもらいました」
「こんにちは。今日は無理言って見学に来させてもらいましたっ。よろしくお願いします!」
「よろしくねー!!」
「ん。よろしくっ!」
真っ先に返事を返してくれたのは実里と、鷲鼻が印象的な青年だ。すかさず、一哉が二人の紹介に入った。
「まあ実里は同じ学校だからいいとして、あっちのベースが鳴海さん。俺のニコウエで大学生」
「ちょっとカズくん。私の紹介、雑じゃなぁい?」
「雑じゃなぁい。んで最後に、奥にいるのが一つ年下の……」
「……影山です。よろしくお願いします」
いささか小柄な少年が、ドラム・セットの向こう側から会釈を寄越す。
「今年からドラム叩いてもらってる」
「今年から? でも一哉って、もう一年くらいバンドやってなかったっけ?」
「……まあ、色々あるんだよ」
「ふうん」
ひととおり紹介を終えて、一哉は今日の練習メニューをホワイトボードに書き込んでゆく。
大まかに分けて二つ。『「CiRCLE」イベント用セトリの確認&通しリハ』と、『リサのベース練習』だ。
「ていうか一哉、CiRCLEでイベントやるんだ?」
「おう、来月な。前にあそこで友希那とのライヴのリハやった時に、まりなさん……ああ、受付の人な……に声かけられて。色んなバンドが出るみたいで、俺らもその中の一つ。でもこういうイベントは久しぶりだから、けっこう気合入ってるよ」
「新旧織り交ぜたセットリスト組んでるんだー!」
足元のフット・ペダルを微調整しながら、実里の声が飛んできた。
「へぇ~! 凄いじゃん!!」
ギター・ストラップに頭と右腕を通してから、へへん、と一哉は得意げな笑みを浮かべた。そして正面の譜面台に乗せてある紙の束を手に取ると、ほい、とこちらに差し出してくる。
「参考になるか判らないけど、よかったら見るか? 今度やる曲の譜面」
「え、いいの? ありがとー!」
B4サイズの紙が、ペラで約一五枚ほど。これで五曲分らしい。
「げ」
渡された譜面に目を落とした時、リサはあまりの情報量の多さに思わず唸ってしまった。
一哉直筆の譜面は、四段譜になっていた。一段目にギター、二段目にキーボード、三段目にベース、そして四段目にドラムである。二段目と三段目の間には、捩じ込むようにコード・ネームが書かれている。
何より、ドラムのパターンやコードのバッキング、ルート音しか押さえない箇所のベースパートなどは極端に簡略化されているのだ。つまり、書かれていない部分は演奏者の裁量に委ねられているということである。
「わー、見事に読み辛いね」
それが、リサの感想だった。
やっぱり? と肩をすくめて見せるのは、実里だ。
「そもそもカズくんってデモ音源作らないタイプだから。曲の構成からアレンジまで、全部そこに書いてあるんだよね。おかげでも~読み辛くって! 暗号だよ暗号!」
「だから実際に合わせてみるまで、ガミから渡された譜面がどんな曲になるか判らないんだよな。まあ、それがカチってハマった時がめちゃくちゃ面白いんだけど」
ちなみに、友希那とのライブ・リハの際に友希那が持ち込んだカバー曲を一哉がアレンジした際も、ヴォーカル譜が読み辛いと友希那から苦情を受けたらしい。
「アハハっ! なんか色々言われちゃってるね~一哉」
「わーってる。……だから最近は、もう少し見やすくなるように色々試行錯誤してるよ」
「ふ~ん、例えばどんな感じ?」
「今の四段譜を三段譜……いや、二段譜に詰めて一曲一枚に収める、とか。一段目にギターとシンセ、二段目にベースとドラム……みたいな」
余計に読み辛いよ、という三人のツッコミが炸裂したところで、それに参加しなかった影山がドラム・スティックを打ち合わせる。いつでも行けるよ、という合図だ。
気を取り直して、一哉達は所定の立ち位置に戻る。
最初は聴いているだけだというのに、リサはさっきから変な緊張が続いていた。
一哉の演奏は幼いころからよく聴いていたが、思えばバンドとしての彼の演奏を聴くのは今日が初めてなのだ。
手元の譜面に目を落とす。一番最初は……、
「『新曲』?」
「ああ、そうなんだ。なんだかんだで初めての箱だし、せっかくだから『新しいバンドの顔になる曲』を作ろうって、実里がさ」
「だってCiRCLEだよ! がっつりロック調の曲もやってかなきゃ!」
「……まあ、こう言うもんだからさ。じゃあお互いに思いついたフレーズを出し合って上手く繋げよう、ってことになったんだよ」
タイトルはまだ決まってないけど、と一哉は足元のエフェクターを切り換える。
「とりあえず、だいたいの構成とアレンジは出来上がってきたし……ま、一曲目に関しては普通にアンサンブルの確認と個人練みたいな感じかな」
「でもよお、だからって打ち込みのパターンを人力でやらせるかい、フツー」
ひー、と両手のストレッチをしながら、鳴海が口を挟んだ。
この一曲目の譜面に関しては、一哉と実里が出し合ったフレーズをまとめて繋げるために、実里のパソコン・ソフトを使った大まかなデモが作られたらしい。
ところが『実際の人間が演奏する』という要素を若干無視したベースやドラム・パターンの構成だったらしく、鳴海は初めてデモを聴いた際に思わず二人に問いかけたというのだ。
──え、マジで?
「いやあ、むしろ鳴海さんに
「うんうん! ロックって言っても、そんなにテンポ早くないからイケるよねって」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど……いつか腱鞘炎なるで、ホンマに」
そんな彼の愚痴をよそに、まあともかく、と一哉が両手をはたく。
「いっぺん、通してやってみよう」
これから披露される曲がどんなものなのか、鳴海が言っていたように譜面を見ているだけでは判らない。
「ワン、ツー、スリー、フォー!」
しかしこの四人の演奏が合わさった時、それがとてつもない化学反応を起こすだろうという確信だけが、リサの心にはあった。
「いやーっ! 今日は疲れた~!!」
夜道を照らす街灯の下を歩きながら、ぐいっ、と組んだ両手を天に伸ばして、リサが大きく息をついた。
「お疲れさん。飲むか?」
「ありがと~☆」
駅から出る際に自販機で買っておいた二人分のオレンジ・ジュースの一つを渡して、一哉が笑う。
夜の帰り道である。
「一哉、今日はホンットーにありがとね。すごい助かったよ!」
「どういたしまして。でも驚いたよ。ちょっと基礎復習しただけで、譜面ひととおり弾けるなんて。本当にブランクあったのか?」
一七時から三時間押さえたスタジオでのリハーサルのうち、ORIONとして使用したのは九〇分。残りの九〇分は、リサのリハビリに
最初の一時間は基礎の復習として、鳴海が同じベーシストとして面倒を見たのだ。
そして鳴海を除いたメンバーはラスト三〇分でのセッションに向け、友希那がテスト用としてリサに渡した書き下ろしの譜面とにらめっこしての練習である。
細かいミスこそありはしたものの、リサは見事にORIONとのセッションを乗り切った。
課題曲のワンコーラスを弾き通したのだ。
「これは、あと何日かやれば及第になるかもな」
「マジ!?」
「大マジ。鳴海さんだって、筋はイイ、って褒めてたし」
もともと『相性』という面で見れば、リサと友希那は『合う』はずなのだ。そこに技術が伴えば、間違いなくバンド・メンバーとして迎え入れてくれるだろう。
だが気になるのは、
「それよりさ。ゆうべ、ドラムやりたいです、って友希那に直談判しに来た子、いたじゃん」
「ああ、あこのこと?」
「そうそう、その子」
結論から言えば、
あくまでも、現状では、というマクラがつくが。
「正直、音も聴かないで判断するのは早いと思うんだけどなあ」
友希那のファンだという彼女は、憧れの相手を前に興奮しきって宣言したのだ。
あこ、世界で二番目に上手いドラマーですっ! だからあこもバンドに入れてくださいっ!!
それは、彼女なりの自己PRだったのだろう。自分にはみんなの足を引っ張らないだけの実力がある、と。
しかし、二番目、というのがマズかった。その単語に目ざとく反応した友希那が、二番を自慢するような人とは組まない、と一蹴してしまったのである。
「友希那の性格は理解してるけど、それでもどうにかならないものかねぇ」
はあ、と息をついて、ジュースをあおる。キャップを閉めなおしてから、一哉はリサに顔を向けた。
「リサ的には、どう思うよ?」
「えっ? あ、アタシ?」
漠然とした一哉の問いかけに、視線を上向けて自身の顎を人差し指で押さえながら、う~ん、とリサは唸る。
一〇秒ほどしたところで、彼女は笑みを浮かべてこちらを振り向いた。
「あんまり心配しなくて良いんじゃないかな? あこがあれくらいで諦めるような子じゃないのは、アタシが一番知ってるし」
「ああ、そういえば部活同じなんだっけ?」
「うん、ダンス部。だからそれなりに体力もあるし、ダンスの振り付けを考えたりするセンスもある。それに、ちゃんと目標に向かって努力出来る子だから、そこに友希那が気づけたら、きっと可能性はあると思う」
「そっか、アリか」
「うん、大アリ。やる時はやる子だよ、あこは」
「そっかぁ」
だとしたら……、
「俺達は俺達で、今出来ることを全力でやるしかないな」
「そうだね! よぉし、頑張るぞー!」
おー、というリサの意気込みに笑顔を浮かべながら、黒いケースを背負った二人は家路についた。
たった独りで歌い続けてきた歌姫を、傍で支えるために。
そして一週間後……リサのオーディションを兼ねたバンド練の当日になって、彼女の所見は見事的中することになる。
一足早く『CiRCLE』に到着していた紗夜と二人でスタジオのセッティングを済ませている最中、メッセージアプリにリサから連絡が届いたのだ。
<リサ:友希那と『サークル』向かってるよー♪>
<リサ:あ! あと、あこもオーディション受けられるようになったよ☆ b~y リサ>
おや、マジですか。
何をどうして宇田川あこがオーディションを受けられるようになったのかは気になるが、それは後でリサに直接訊けばいいことだろう。
返事を送ろうと作業の手を止めたところで、紗夜から、
「……野上さん? どうかしましたか?」
「え? ああ、いや……何でもない。リサから連絡があっただけ」
「今井さん……でしたよね。彼女は何と?」
「友希那とこっちに向かってるってさ。……あ、氷川さん。このコンセント、そっちの延長コードに挿してもらえる?」
「判りました」
コードを紗夜に渡してから、一哉は空いている方の手でリサへの返信を打ち込んだ。
<一哉:りょーかい>
<一哉:気をつけて来いよ>
それだけ送ると、アプリを閉じて、一哉も機材のセッティングを再開した。
3
広いスタジオ内で、四人がそれぞれ最後のチェックを行っていた。
紗夜は指のウォーミング・アップも兼ねてひたすらフレーズの練習を、リサも両手のストレッチを済ませてから、譜面を見ながら自分のパートを復習している。
友希那から見て右側でスタンバイしている一哉も、最終チェックに余念がないようだ。
そして、スタジオの奥の方に置かれたドラム・セットには、薄紫の髪のドラマーが緊張の面持ちで一音一音を確かめていた。
宇田川あこ。
世界で二番目に上手いドラマー……らしい。
CiRCLEに友希那とリサ……そしてあこがやって来た時、紗夜は少し驚きの表情を浮かべたが、しかし反対の声を上げることはなかった。
曰く、湊さんの選出ならば私は構いません、とのこと。
スタジオで簡単な自己紹介を済ませた時に、一哉を見たあこが、この前友希那さんとライヴしてたカッコイイ人だ、と一人興奮してリサに宥められたのは、また別の話。
「そろそろ準備は良いかしら?」
マイクをスタンドにセットしながら、友希那が四人の楽器隊を見渡す。
「はい」
「おう」
二人のギタリストの返事を聞いてから、友希那はリズム隊に視線を向けた。
「リサ、あこ。あなた達には、これから私達と一曲セッションしてもらうわ。ワンコーラスだけとはいえ、もしそれで駄目なようなら、今回の話は諦めてちょうだい」
「うん、判ってるよ。そのためにこの一週間、死ぬ気で頑張ってきたんだからさ」
「あ、あこも! 絶対絶対、合格出来るように精一杯叩きます!」
二人の意気込みは充分だ。それが友希那にも伝わったのか、ふう、と小さく息をついて、友希那は宣言した。
「それじゃ、いくわよ」
オーディション、開始だ。
バンドの演奏に身を任せながら歌い始めた瞬間、友希那は今までに感じたことのない『歌いやすさ』に、わずかに戸惑いを憶えていた。
無機質ながら正確に弾いてゆく紗夜のギターに、バンド全体のサウンドを支えるリサのベース、前へ前へと推進力を高めるあこのドラムに、リズムを刻みながらも存在感を示す一哉のギター。
そして……友希那のヴォーカル。
五人の演奏が合わさった途端、奇妙な一体感が生まれたのだ。
それは例えるなら、『音楽の波』だろうか。
別々の時、別々の場所で生まれ、別々の人生を歩んできた五人が、今この瞬間『音楽』によって一つになっている。
それぞれが持つ『うねり』が合わさって、大きな『波』へと変化しているのである。
ちらり、と友希那は他のメンバーを見やる。
思ったとおりだ。紗夜も、リサも、あこも、一哉も……おそらくこの場にいる全員が、いつも以上の実力を発揮している。
……ああ、そうか。
これが『バンド』なんだ。
「――勝ち取れ、今すぐに! SHOUT!」
黒き咆哮をあげ、演奏が終わる。
それでもしばらく、友希那はその場を動くことが出来なかった。
「あの……さっきからみんな、黙ってるけど……あこ、バンドに入れないんですか?」
皆が唖然とする中、気まずそうに沈黙を破ったのは、あこだった。
彼女の発言で我に返った友希那は、一つ深呼吸をする。
「そ……うだったわね。ごめんなさい」
けれど今のセッションで、すべての答えは決まっていた。
「いいわ、二人とも合格よ」
その回答に、リズム隊の二人は飛び上がるように……いや、実際に飛び上がって喜んだ。
興奮冷めやらぬ勢いで、小さなドラマーは信じられないといった様子で自分の両腕に視線を落とす。
「それにしても、なんか、なんか凄かった!! 初めて合わせたのに、勝手に
「あこもそう思ったんだ! アタシ、練習の時以上に指が動いてさ! なんかイイ感じの演奏だったよね」
それが一体、どうして起きるのかは判らない。
けれどメンバーの技術やコンディションに
今の友希那達に起こった現象が、まさにそうなのだ。
「ミュージシャンの誰もが体験出来るものではない『感覚』……雑誌のインタビューなどで見かけたことはあるけれど、まさか本当に自分が体験することになるとは思いませんでした」
「なっ、なんかそれってっ、……キセキみたいだね!」
「うん。マジック! って感じ♪」
「そう、ね……。私も正直、驚いているわ。けど……今のセッションは良かった。とにかく二人とも、これからよろしく」
こうして、二人が新たにバンドメンバーに加わることになった。
これで、残すはキーボードのみ。
そう簡単に見つかるものではないと理解はしている。むしろ、こうもとんとん拍子でメンバーが集まったのが不思議なくらいなのだ。
それが偶然か必然かは、判らない。
しかしこの五人で奏でる音楽は、間違いなく今まで自分が体感したことのない『何か』をくれることは間違いなかった。
すべては、頂点を目指すため。
父が果たせなかった夢を、叶えるため。
そのためには、と友希那は思う。
少なくとも、ここにいるメンバーの力は必要になる。
けれど。
一つ……一つだけ、懸念があるとすれば……。
友希那は、メンバーで唯一の男子に目を向けた。
幼なじみのギタリストは、セッションを終えてから一言も喋ることはなかった。