青薔薇を照らす星明かり   作:椎名洋介

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第四章 青い薔薇:中編

       

 

 

 空が茜色に染まり始めてゆく。

 それをリサは、窓側の席で頬杖を突きながら黙って見つめていた。

 放課後の羽丘女子学園、リサ以外に誰もいない二年A組の教室である。

 今朝の小テストに引っ掛かったらしい友希那が別室での追試を受け終わるまで、こうして待っているのだ。

 

「……はぁ」

 

 小さく、溜め息を零す。

 明日はついに、ライヴ当日なのだ。

 

「ねえねえ、リサちーいるー?」

 

 突然、快活な少女の声が聞こえた。

 がらり、と教室の引き戸を開けて、一人の人物が姿を現した。そのまま、とてとてとこちらに近寄って来る。

 ふんわりとパーマがかかった、翡翠色の髪の少女である。柄の入ったネクタイもスカートも紫を基調とした色で、だからリサと同じ二年生であることが判る。

 というか、

 

「あ、ヒナ」

 

 氷川日菜(ひかわひな)、リサのクラスメイトである。

 

「どしたの、部活これからでしょ? 何か忘れ物?」

「ううん、違うんだー。ちょっと訊きたいことがあって!」

「アタシに?」

 

 うん、と日菜は頷いて見せる。

 

「うちのおねーちゃんとバンド組んだってほんとー?」

「えっ、お姉ちゃんって……あ、そっか」

 

 思い出した。

 

「ヒナって双子なんだっけ」

 

 言われてみればたしかに、誰かに似ているような気がする。

 特徴的な翡翠色の髪……当てはまるとすれば、紗夜ぐらいだろうか。

 そこまで考えて、リサは記憶を探ってみる。

 

「……そういえば、紗夜の苗字ってたしか……」

 

 そこで、日菜が言葉をひったくる。

 

「そー。氷川紗夜。あたしのおねーちゃん。あたしには何にも話してくれないからさー、いろいろ教えてほしーなっ」

「いいけど……なんで紗夜はヒナに話さないのー?」

「んー……」

 

 リサ以上に表情豊かな日菜が、一瞬だけ困ったような笑顔になったのは気のせいだろうか。

 

「まぁいいじゃん、それはっ。それよりバンドしてる時のお姉ちゃんってどんな感じ? 楽しそう? 嬉しそう?」

「えっ? う、うーん……いつもと変わらないんじゃないかなぁ……?」

 

 実際のところまだ付き合いもそこまで長くないので、リサとしてはそう答えるしかなかった。

 ギターの腕は相変わらず凄いし、わずかなリズムの乱れにも気がついて注意してくれる。少しでもバンド全体の実力を底上げしようと尽力してくれる姿は、バンドメンバーとして頼もしいとさえ思っている。

 それが『普段』の紗夜であるならば、いつもどおり、と答えるのが一番しっくりくるのだ。

 

「そっかぁ……」

 

 けれど日菜としては、リサの返事はちょっぴり納得していないようだ。

 だが、

 

「……あ」

 

 ちょっと待って。

 思い出したかも。

 

「そういえば、ちょっと前に紗夜、練習中にギターの相談してたなー」

「おねーちゃんが?」

「うん。アタシの幼なじみにね」

 

 

 それはまだキーボーディストが見つかる前の、一哉も交えたある日のスタジオ練習の時だ。

 フルサイズのアレンジが出来上がったばかりのオリジナル曲『BLACK SHOUT』を磨き上げることが目標にされたその日、各々の個人練習時間に思い立ったように紗夜が一哉に声をかけたのだ。

 

「野上さん、少しいいでしょうか?」

「どうかした?」

「ギター・ソロのことで、ちょっと相談が……」

「ん、判った」

 

 応えて、立ち上がる。一哉はワイヤレス・システムを導入しているようで、だからケーブルが邪魔になるようなこともなく紗夜の方に歩いて行った。

 

「ここのフレーズなんですが、何度弾いてもミスしてしまって……」

 

 ちょっと聴いてもらえますか、そう言って紗夜はギター・ソロを奏で始めた。

 アンプを通して歪ませたソリッドなサウンドが流れ、リサも自身の練習の手を止めて紗夜の方を向く。見ると、友希那やあこも視線をそちらに投げていた。

 日々の基礎練習によって培われた左手の運指と右手のピッキング。機械的ともとれる滑らかなソロ・フレーズがほんの一瞬だけ、たしかに途切れたような気がした。

 

「ど、どうでしょうか……?」

「んー、そうだなあ……」

 

 言いながら、腕を組む。

 

「どこまで言って良いかによるけど……」

「構いません。野上さんが思ったことをそのまま言っていただければ」

「そか。じゃあ、お言葉に甘えて言わせてもらうけど……うん、ソロの組み立て方は悪くない。フレーズもまとまってるし、全体的に見てもちゃんと『弾けてる』と思うな」

 

 ただ、と一哉は付け加えた。

 

「固い」

「固い?」

「ああ、固い。とにかく全身に力が入ってる。こう弾かなきゃ、って気持ちが前に行き過ぎて、それで同じところで躓いてるんじゃないか?」

 

 たとえばさ、と一哉は自分の椅子まで戻ると、右足でボリューム・ペダルを上げる。そのままエフェクターの隣に足を滑らせ、作動させるのはMIDIコントローラー・G-MINORである。ディレイ・エフェクターをオンにしたようだ。

 足を軽く前後に開く、それは一哉がソロ・パートを演奏する時によくとる姿勢である。

 

「ちょっと演ってみるな」

 

 そして、先ほどの紗夜が弾いたのと同じフレーズを弾き始めた。

 一哉のギターは、軽量化のためにボディの中が一部くり抜かれたセミホロウ構造になっている。楽器職人の彼の祖父が、ORIONの結成祝いにとオーダーメイドで造ってくれたらしい。

 一哉が考案したオリジナルヘッド/ボディ・デザインを持つギターは、まず全体の試作品ということでプロト・タイプが一本が制作され、こちらはORIONのLIVEで主に使われている。

 そして今、彼が持つ青いギターこそ『KN-1』と名付けられた、二つとない彼だけのオリジナル・モデルというわけだ。

 まあそんなわけで、使用するギターが違えば『音の鳴り方』が違うのは当然のことなのだが、一哉の最初のピッキングの段階で、リサは二人の決定的な違いに気がついた。

 一哉が指摘していた通り、たしかに先ほどの紗夜の演奏は正確ではあったものの、どこか『型に嵌まった』ような感覚があった。

 だが一哉には、それがない。

 別段、高度な演奏をしているわけではない。フレージングはそのままに、ちゃんと『自分の音』としてソロに昇華しているのである。

 

「……まあ、こんな感じか」

 

 紗夜が躓いていた箇所も含めて、一哉はソロを弾ききってしまう。

 演奏者が違うだけでこうも変わるのか……素直な驚嘆と同時に一哉の高い実力にリサは舌を巻いた。

 そしてリサでさえここまで感嘆するのだから、同じ楽器を弾く紗夜が受けた衝撃は、きっとリサの比ではないだろう。

 一哉のセンスがバンドに必要だという友希那の言葉の意味が、少し判ったような気がした。

 

「とりあえず俺から言えるのは、肩肘張らなくていいってことかな。躯が固まってちゃ、出来るものも出来なくなるから。もっと肩の力抜いて。ソロなんて自由に弾いてナンボなんだし」

「自由に、ですか……?」

「おう。いやまあ、コード進行はしっかり憶えとかないとフレーズが出て来ないとかあるから、そこは気をつけてな。……あと技術的なことを言うなら、右手が左手の動きについて行けてないところがあったから、アルペジオのエクササイズとかやってみるといいかも」

 

 たとえばCのメジャー・アルペジオを、ダウンとアップを交互に行うオルタネイト・ピッキングで6弦7フレットから1弦8フレットまでしっかりと正確に行う。かなり難しいが、五分くらい弾き続けると相当右手と左手の調整になるという。右手を左手に追従させるには、かなり効果的な基礎練習法らしい。

 説明を受けていた紗夜はいつの間にノートを取り出していたのか、一哉から提示されたメニューやアドバイスを書き込んでいた。

 

「……なるほど……ありがとうございます。とても参考になりました」

 

 ぱたん、とノートを閉じて、紗夜は一哉を見上げた。

 

「今日から早速やってみます」

「それがいいな。ああでも、無理はしないように。初めはゆっくりでいいから、徐々に慣らしていきな」

 

 判りました、と応える紗夜の顔に、どこか焦りに似た何かが見えたような気がした。

 

 

「へー、そんなことがあったんだぁ……」

 

 リサの隣の席に腰を下ろして、

 

「だからなのかな……」

 

 ぽつり、と日菜が零す。

 

「なにが?」

「えっとー……最近ね、おねーちゃんのギターの音が変わったような気がして。うまく言えないけど……こう、ぽわーっ、てなるんだー」

 

 氷川日菜は、頭の回転が速い少女である。

 成績も優秀で理解力もある一方で日常的な会話では感覚的な擬音を多用するのだが、それでも彼女の言いたいことはリサには判った。

 だが、

 

「……ねえ、リサちー」

「んー?」

「おねーちゃんのこと、よろしくね」

 

 よろしく?

 その言葉の真意を聞く前に、双子の妹は立ち上がって教室を出て行ってしまった。

 じゃああたし部活行ってくるねー、と言い残して。

 追試を終えた友希那がA組の教室に顔を出したのは、その少し後のことだった。

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