4
CiRCLEのライヴ・ステージが地下にあるのには、いくつか理由がある。
まず、土地の問題である。
東京都の高い土地価格では、おいそれと敷地面積を横に広げることは難しい。それに加えてカフェ・テリアの併設がオーナーの意向で決まったことにより、ステージが地上に収まらなくなったのだ。
そのため、リハーサル・スタジオとロビーを一階、ライヴ・ステージを地下に建設することで省スペース化を図ったというわけだ。
ライヴ・スペースを地下に造ったことで周辺住民への防音上の対策もクリアし、結果としてこの判断は間違っていなかったと言える。
「ついにこの日が来たねっ!」
地下の廊下で、宇田川あこは声をあげた。
「りんりん、このボード見て元気出して! あこ達のバンド名だよっ!」
ほら、と指す先は、壁面に取り付けられた掲示板である。扉式になっていて、中に入れたポスターが透明のアクリル板を通して見れるようになっている。
そこには、今日のライヴに出演するバンドが一覧で書かれていた。
<LIVE HOUSE CiRCLE SPECIAL LIVE!!>と銘打たれた今宵のライヴに出演するバンドは、全部で四つ。
知らないバンドの名前が続く中、リサの目を惹く名前が、二つ。
『ORION』、
そして、
「
ついに来た。
来てしまった。
この日が。
「よーしっ! Roselia初ライヴ!! 行くぞーっ! おーっ!!」
拳を握って突き上げるあこに、遅れて燐子が控えめに拳を上げた。
「……っ! おー……」
リサも拳を上げてみたが、思った以上に声が震えて、動きもどこかぎこちない。
そんなリサの異変に、あこが気づかないはずもなく。
「……って、えっ? りんりんだけじゃなくって、まさかリサ姉も緊張……?」
ぎくり。
「し……っ! してない、してないよ! ダンスの大会でも、いっしょにステージ出てるじゃん!」
あはははは、と笑い飛ばして見せるものの、しかし実際のところあこの指摘は正しかった。
そう。
緊張しているのだ。
それも、ガッチガチに。
ダンスの大会に出る時は、緊張の糸が張りつめることもなかった。
それがどうして、今日に限ってこんなに緊張しているのだろうか。
……まあ、なんとなく見当はついてるけど。
「あれ?」
背後から声がしたのは、その時だ。
「三人とも、こんなところで何してんだ?」
聞きなれた、幼なじみの声である。
「あ、一哉。リハーサル終わ……」
……終わったんだ、と言おうとして、しかし振り返ったリサは言葉をひっこめた。
そこにいたのは、見慣れない恰好をした見慣れた幼なじみだったのだ。
白を基調としたセットアップは、立ち襟とポケットだけが黄土色になっている。前を留めている
おまけに伸びた髪もきっちりセットされているものだから、全体的な印象は一昔前のホテルマンを思わせる。
「うわあ……」
あまりの新鮮さに、思わず声が漏れた。
いつも学校の制服姿やカジュアルな私服しか見ないので忘れていたが、一哉はリサから見てもだいぶスタイルは良い方なのだ。
普段の彼を知っているからこそ、こういうフォーマルな恰好はリサにとって意外だったのである。
正直言って、見惚れていた。
「ん? どした?」
怪訝そうな顔で、一哉が言った。
「……もしかして、変か?」
「ううん、変じゃない変じゃない。へぇ~……けっこう似合ってるじゃん☆」
「うんうん! 大人のヒト、って感じでカッコいいです!」
「あの……その、衣装って……お店で買ったんですか?」
「んにゃ、メンバーの実家が服屋でな。そこのツテで作ってもらったんだ。今日は実里もブルーのセットアップだよ」
「実里姉も!?」
「うっそ! それ超レアじゃない?」
パンツより断然スカート派の実里までしっかりコーデを決めているとは、相当気合が入っていると見える。
リサは反射的に自分の服装を
お気に入りのオフショルダーのセーターは、太もも辺りまで丈のあるオーバーサイズ。他にはデフォルメされた兎の形をしたピアスやネックレスなど、ロング・ブーツも含めほとんど私生活で着ているものと変わりはない。
だからこそ、ふと嫌な予感が頭をよぎった。
あれ?
もしかして……いや、もしかしなくてもアタシ、浮いてない?
それより、と一哉は携帯を取り出す。どうやら時間を見ているようだ。
「これから最後のリハだろ? 行かなくていいのか?」
ブラシャの合わせに来たんだけど、と鼻を掻く一哉に、三人はそろって声をあげた。
「わわわ! リサ姉、もう時間ぎりぎりだよぉ!」
「うん、行こう! 早くしないとあの二人に怒られちゃう!」
急いで、四人は友希那達が待つスタジオへと向かう。
正直、不安はいっぱいある。
友希那のようにソロで歌ってきたわけじゃないし、紗夜みたいにリズムを崩さず弾こうとするとどうしても失敗してしまう。
あこのように誰かに憧れて楽器を始めたわけでもなければ、燐子のように大きなコンクールに出たこともない。
ましてや、一哉のようにバンド活動をしたことすらなかったのだ。
バンドで一番技術が足りないのが自分であることくらい、嫌でも判る。
でも。
やるしかない。
今日のライヴできちんと結果を出すんだ。
友希那の隣にいるために。
5
定刻通りに始まったCiRCLEのライヴ・イベントは、順調な盛り上がりを見せていた。
「CiRCLE! 盛り上がって行こーうっ!」
歓声とともに振られるライト・グリーンのペンライトに照らされて、フロントに立つヴォーカルの少女が小気味よいギターをかき鳴らす。
イベントは、もうすぐ折り返し地点に入ろうとしている。今は、ちょうどGlitter*Greenのステージだ。実里がバイトで厄介になっているライヴハウス・SPACEを拠点として活動している、四人組のガールズ・バンドである。
心地よいリズムに、透明感あふれるヴォーカルが重なる。研鑽を重ねることで培った演奏は、彼女達の実力の高さをうかがわせた。
「いいな」
思わず、一哉はそう呟いた。
ステージ上手の、舞台袖である。
ORIONとしての出番が、彼女達の次なのだ。小休憩出来るように置かれた椅子に座って、気づけば彼の右足は無意識にリズムを刻んでいた。
「は~っ、やっぱイイな~グリグリ」
まるで憧れの芸能人を見るような視線でステージを眺めているのは、隣に座る実里だ。
一哉と同じく、セットアップの衣装である。
もっともそのデザインには、一哉のそれとはいくらか違いがある。
ホテルマンのような一哉のジャケットに対し、実里は青いテーラードだ。前の釦は留めず、その下には黒いVネックTシャツを着ている。
スカートではなくパンツ・スーツなのは、ペダルの操作がし易いようにそう頼んだらしい。同様の理由で、履いている靴も白いスニーカーである。
衣装に合わせてか今日はトレード・マークのカチューシャすら外して、下ろした髪はいくらか大人びた印象を与えていた。
「実里お前、な~にうっとりしちゃってんの」
そんな実里の向こう側から、ぐい、と身を乗り出す鳴海は黄色味がかった
「そんなにグリグリのファンだったっけ?」
「ファンどころか大ファンですぅ~。ナルルンもSPACEのライヴ観に来たら判るよ。ゆりさんの歌、すっごいんだから!」
「そんなもんかねえ」
「鳴海さん、影山は?」
「んん? めーそーちゅー」
見ると、山吹色のセットアップを着た影山は一番奥に座って、本番前のルーティンである精神統一中のようだ。
「まあ、今日はだいぶ体力使いそうだしな。緊張もしんてんだろ」
「そう言う割に、鳴海さんは平気そうですね」
一哉の言葉に、とぉんでもない、と鳴海は食い気味に返してきた。
「俺ぁいつだって緊張しまくりよ」
「じゃあナルルン」
実里である。
「ずばり、今日の課題は?」
「手ぇ攣らないかどうか」
じゃあ大丈夫ですね、と一哉が口にしたところで、ステージの歓声がひと際大きくなった。
「みんなありがと~う! 今度SPACEでライヴするから遊びに来てくださ~いっ!」
どうやらGlitter*Greenのステージが終わったらしい。ステージの照明が落とされる中、四人の少女がこちらへはけてくると同時に、下手側から数人のスタッフが出てくる。機材転換のため、一五分ていどのブレイク・タイムに入るのだ。
「皆さん、お疲れさまです!」
舞台袖へと帰ってきた少女達に、立ち上がった実里が真っ先に飛び込んだ。
「ありがとう。実里ちゃん達の演奏、楽しみにしてるね」
「みのりんも頑張ってね~」
三〇分のステージングの疲れを感じさせない軽さで声をかけるベースの少女には、一哉も見覚えがあった。
近所の楽器店で何度か会ったことがあるのだ。一哉が客で、彼女はレジ・カウンターに立つ店員である。
その場の流れで実里に紹介された一哉達もGlitter*Greenのメンバーと軽く談笑し合い、そして彼女達は楽屋へと戻って行った。
「えー、ORIONの皆さん、スタンバイお願いしまーす」
やがて機材の入れ替えも済んだところで、若いスタッフの合図が飛んで来た。
影山も瞑想を終え、四人は示し合わせたように円になる。
「さぁて、それじゃ行きますか」
「オッケー」
「よっしゃ」
「はい」
拳を握り、腰だめに構える。
「せーの」
そのまま、
「えい、えい、おーっ!!」
握った拳を突き上げ、四人は気合を入れた。
出番は最後の最後、スタンバイまで時間的余裕があった紗夜達は、ステージでの模様をモニター越しに眺めていた。
「それにしてもRoseliaか~、『ロゼリア』って響きがもうカッコイイなぁ~」
手にしたドラム・スティックをくるくると回しながら、あこが感慨深げに呟く。
「そういえば友希那さん、どうしてバンド名、Roseliaなんですか?」
「
「青い、薔薇……」
もともと、薔薇には青い色素が含まれていないからだ。
実際、多くの物語や詩の中に登場する青い薔薇は、総じて『存在しないもの』の象徴として描かれている。どこかの国のおとぎ話では、魔女に青い薔薇を贈ると願いが叶うとも言われていたそうだ。
ゆえに、花言葉は『不可能』。
しかし、この話には続きがある。
バイオテクノロジー技術の発達により、西暦二〇〇四年、ついに世界初の『青い薔薇』が誕生したのだ。
どんなに遠い夢でも、信じればきっとたどり着ける。
『不可能』から『可能』へ。
花言葉が変化した瞬間だった。
「不可能を、可能に……いい名前ですね」
きっと彼女がこの名前に辿り着くまで、相当な時間がかかったのだろう。
きっかけが何かは紗夜には知る由もないが、しかし実際のところ、紗夜はこの名前にすでに愛着を持っていた。
何せ、目標は高い。
FUTURE WORLD FES.への出場なのだ。
一見不可能に見えるその夢も、きっと実現することが出来る。
不思議と、そんな自信をくれる名前に。
「そういえばリサ」
ふいに、思い出したように友希那が声をあげた。
「あなたこの前、ORIONの練習に顔を出したそうね」
「うぇっ!?」
ちょうど水を飲んでいたらしいリサは、友希那の言葉に反応して盛大にむせてしまった。
「わわっ、ちょっとリサ姉、お水零しちゃってるよ!」
「あの、ハンカチ……どうぞ……」
「……そんなに驚くことかしら?」
「今井さん、大丈夫ですか?」
「あ、あはは~……大丈夫だよ~。……ていうか、なんで友希那がそのこと知ってんのさ~?」
言いながら、リサは壁際のスタンドに置かれた一本のギターを見やった。
KN-1。鮮やかなプラネット・ブルー・サンバーストが美しい、一哉のギターである。
「アタシ言った覚えないんだけどな~」
「一哉から聞いたわ。ベースの練習に付き合ったって」
しれっ、と応えるのは、友希那である。
「え~っ!? ……まったく、そういうのは黙っておくのがデキるオトコノコなのに、何で言っちゃうかな~」
「彼、飲み込むのが早いってあなたのこと褒めていたわよ」
「むむむ、それは嬉しいんだけどさあ」
ぷう、と頬を膨らませて、それはいかにも不服そうだ。
「あ、もうすぐ一哉さん達の出番だよっ!」
わくわくした様子で、あこがモニターを指す。
暗いステージの上はすでに機材の入れ替えが終わって、そこにはORIONの楽器達が鎮座している。
「野上さんの技術はたしかに目を見張るものがありますが、バンドとしての実力はどうなんでしょう?」
「わ、私も……気になり、ます……」
友希那とバンドを組んでから、それなりに一哉に演奏について質問することはままあった。
しかし紗夜と燐子は、まだORIONとしての一哉の演奏を聴いたことがなかったのだ。
「彼らは一つのジャンルにとらわれない演奏スタイルだから、一言で表すのは難しいわね」
それが、友希那の答えだった。
「でもでも! あこ、ORIONの曲すっごい好きです! ドラムもどーん! ばーん! て感じで勢いがあって、それでそれで……!」
「あ~こ、ちょっと落ち着いて。……でも、言いたいことは判るかな。アタシも、正直言ってビックリしたし」
「そんなに、なんですか?」
「うん。何て言うのかな……みんな同じ方向を向いて演奏してる感じ? バンドとしてのまとまりが凄いっていうか……」
リサがそこまで言った時、モニターの映像に動きがあった。
打ち込みのシーケンスが流れ始めたのだ。
キックとスネアだけのシンプルな構成でテンポも100以下と、決して速くはない。
しかしシーケンスに合わせて明滅を繰り返すステージの照明につられて、徐々に観客席から手拍子も聞こえ始めてくる。
最初にステージに現れたのは黄色味がかったスーツの青年だった。ついで山吹色の少年、青い少女と続いて、最後にリハーサルでも見た白いセットアップのギタリストが姿を見せる。
それぞれの位置についたメンバーは軽く楽器の試し打ちをし、リーダーである一哉に視線を投げる。
「紗夜」
モニターから目を離さず、口を開くのは友希那である。ステージ中央に立つ一哉が、背後を向いてカウントを取るところだった。
「あなたも観ておいた方がいいわ」
そして、
「彼らは……いずれ私達が超えるべき壁になる存在だから」
――CYBER ZONE――
とくに自己紹介もなく幕を開けたORIONのステージに、紗夜は思わず息を呑んだ。
畳みかけるようなギターとシンセ・ブラスのユニゾンから始まったかと思えば、手足のコンビネーションを効かせたトリッキーなドラム・パターンにギターのコード・カッティングが入る。
世界観を広げてゆくキーボードの下で、ギターとベースは打ち込みかと思わせる正確さでロック・フィーリング溢れる16ビートのリフを奏でる。
キーボードと弦楽器組との掛け合いが見られるブリッジを経て、曲はギターがメロディーをとるサビへ入る。
どれをとっても、素晴らしい、としか言いようがなかった。
個々人の技量はもちろん、四人が合わさったバンドとしてのレベルがケタ違いなのだ。
ライトハンド奏法を駆使し汗を散らしながらギター・ソロを奏でる一哉の姿に、紗夜は目が釘付けになった。
紗夜自身も、人並み以上に練習しているという自負はある。
だが、一哉は?
いったいどれだけの練習を重ねたら、こんな……こんな『歌う』ようなギターを奏でられるのだ!?
太く鋭い、独特な音。
一哉が持つ、彼だけの音。
そんな音が、と紗夜は思う。
私にはあるのだろうか。
「すご……この前の練習よりも、もっと上手くなってる……!」
リサである。高揚した面持ちの中で、その口元は穏やかな笑みをたたえている。
圧巻の演奏は会場をあっという間に沸き立たせ、観客の心を掴むには充分過ぎた。
しかし、ORIONは止まらない。
一曲目が終わるや否や、すかさずドラムのカウントが入り二曲目へとなだれ込んだのだ。
――目撃者――
先ほどとは打って変わって、アップ・テンポで軽快なノリの8ビートである。
一体となった観客は手拍子で応援し、それに応えるようにメンバーも熱い演奏を繰り広げてゆく。サビを終えたあとはオクターブ奏法を使った短いベース・ソロが飛び出したりと、迫力満点だ。
「リサ姉リサ姉! ほら、実里姉のピアノだよ! すっごいカッコいいよ!」
「うん……本当、みんな凄過ぎて言葉が出ないよ……」
「お、お客さんも……みんな、盛り上がってますね……」
「これが……私達が超えるべき、壁……」
決意を新たにピックを握りしめた時、楽屋の扉が誰かにノックされた。
素早く、三回。
入ってきたのは、ライヴ・スタッフの女性だ。
「Roseliaさ~ん、そろそろスタンバイお願いしまーす」
はい、と友希那が短く、しかし力強く返す。
それから彼女はこちらを振り返ると、一つ息をついてから、言った。
「みんな……行くわよ」
頂点へと至る道を歩むために。
Roseliaは今日、その第一歩を踏み出した。