「ぬぅわああああああああああっっ!!?」
早朝。部屋を貫く勢いで響き渡るソーニャの絶叫。その肺と喉から発射された空気の振動はさながら衝撃波の様な勢いで駆け抜け、壁と窓を突きぬけて外の電線で羽を休めていた雀を蹴散らすほどであった。
一体何がソーニャをここまで叫ばせたのか。心の底から驚愕し、腹から声を出して絶叫したのなんて一体いつ振りだろうか。いや、絶叫というよりもこれは悲鳴と言った方がいいだろう。ソーニャは己の身に起こった事実が信じられなくて思わず恐怖したくらいだ。
いや、誰だってこんな経験したら恐ろしく思うだろう。あるはずのない物が自分にあるのだ。
ソーニャの視線の先、自分の下腹部。そこには自分の下着。その下着は本来なだらかな丘になって股の下へと続いているはず。
だがどう言うことだろう。なだらかな丘になっているはずの下着が、異常な膨らみを持っている。恐る恐る、自分の下着の中を覗いてみる。そしてソーニャは自分の顔が引きつるのを抑える事が出来なかった。
その視線の先には、名状しがたい突起物。それは女性にあるはずのない男性特有の臓器。ここまでくれば下手な表現はいらないだろう。そう、ソーニャの下半身にはネオアームストロングサイクロンジェットアームストロング砲が装着されていたのだ。
「な、なんで……なんでこんな物が……!?」
生物学的にあり得ないことである。いや、つい最近ニュースで男性とも女性ともつかない性別が認められたと言う話を聞いたが、自分はつい最近まで生物学的上女として生活していた。だがどう言うことだろう。女性にあるべき口が完全に消え、その代わりにネオアームストロングサイクロンジェット(以下アームストロング)がある。
ソーニャはそれが作り物か何かではないかと確かめるべく、息を飲んでゆっくりと指を触れてみる。きっと良くできた作り物なのだろう。触って何も感じなければ引きはがしてやる。
そっと、ソーニャは己に生えた手法に手を触れてみる。触った瞬間、言葉に出来ないような感覚が脳髄に叩きつけられ、思わず手が止まる。間違いない。これには血が通い、神経が通ったモノだ。
(本物……本物だと……!? そんな馬鹿な、私は女だ! 昨日も一昨日も、その前も私は女子トイレに入り、女風呂に入り、女にしか味わえない快楽だって間違いなく経験してきた! なのにこれはなんだ、なんでこんな物がある!?)
ソーニャの脳内でぐるぐると自分の身に起きた異変の原因を探す自問自答が繰り返されるも、最近起きた自分への異変に通じる糸口を探す。まずは昨日だ。昨日体に起こった異変と言えば、少し風邪っぽくてあぎりに薬をもらって…………。
朗報。犯人発覚。
「あぎりぃいいいいいいいいいっっ!!!」
と、枕元に置いておいた携帯電話の着信音。ソーニャはなんの驚きもなくしてひったくり、乱暴に通話ボタンを押しこんでまだスピーカーの向こうの主が喋る前に声を荒げて怒鳴り込んだ。
「あぎりてんめぇえええええええ!!!」
『あらあら~、どうして私の事が分かったの~?』
「こんなタイミングで電話してくる奴なんてお前しか居ねぇ!!」
『御名答です~』
「御名答です、じゃねぇ!! お前私に昨日風邪薬飲ませただろ、一体何飲ませやがった!!」
『その事について今話そうと思ってたのですが、どうやらあなたにあげたのは何が起きるか分からない秘伝の丸薬で、ソーニャに起きた体の変化はその副作用だと思われますねー』
「ふっざけんな! こんな副作用聞いたことないぞ!」
『私も予想外です~。調べてみた結果、性別を入れ替える副作用があるみたいです。つまりソーニャは今男の子になっている、という事ですね』
「お、男だと……一番おかしい所以外に変化は見られないのだが……」
『ソーニャがもともと女性らしくない体系だから、というのもあるでしょうね~。声もどちらかと言えば少年声ですし、表面上違和感は無いのでは?』
「なんかさらりと酷い事言われた気がしたがまぁ置いておこう。とにかくどうにかしてくれ!」
『もちろん対策は考えますのでしばらくはそのままで頑張ってください。解毒剤が出来次第お送りしますので。それでは~』
「あ、ちょっと待てあぎり! 今日中に何とかしろ、だって今日は!!」
プツン、と通話の切れる音。ソーニャはそれ以上の言葉を失ってしまい、力なく受話器を耳から離して携帯の画面を見つめる。それを見て絶望のため息を突いて布団に頭を突っ込む。今日は大切な日なのに。なんてことだ。
ソーニャはカレンダーを横目に見る。そこには赤丸で印がつけられ、「やすなと海」と書かれていた。
そう、今日はやすなと海へデートに行く日なのだ。海に行く、ということは必然的に自分の裸体をやすな、または一般人の前で晒すことになるだろう。一般人に対しては隠し様はあるが、やすなに対しては嫌でも気付かれてしまうだろう。一体どうすればいいのだろうか。
かといって、今更中止にする訳にも行かない。今日の旅行は泊まり込みでのプランだ。夏休みに入る前から念入りに計画し、この計画を話すたびにやすなは目をキラキラさせていた。今更中止なんてことにできるはずがない。
しかし、宿泊月のデートとなると、二人でお風呂に入ることだって十分にあり得る。というかそのつもりだろう。ソーニャだって半分くらいそのつもりではあった。
が。この有様だ。一体やすなに何を言われるか分かったもんじゃない。ソーニャはやすなの反応を予測してみる。
『ソーニャちゃんなにこれ、ぞうさんだ、ぞうさん! うひゃひゃひゃ!!』
「…………むかつく」
事実やすななら言いそうだ。言ったら取りあえず殴っておこう。いや今そんなことはどうでもいい。問題は自分のこの体をどう誤魔化すかだ。
ソーニャは用意した荷物の中にある自分の水着を思い出す。この水着はせっかくのデートということで街に引っ張り出され、やすなのチョイスで購入した新しい水着である。細かい形の描写は省くが、単純にカッコいい黒ビキニとでも言っておけばイメージは作れるだろう。
これを選ぶときのやすなの顔は真剣だったし、ソーニャだってやすなに任せるつもりだった。だが、この水着を着れば自分の股間のふくらみは大衆の目下に晒されることになる。そんなのは断じて御免だ。どうする、ソーニャ?
「…………仕方ない」
苦肉の策だが、ソーニャは鞄を開けて中身を確認する。まだ服一着くらいなら入るスペースがある。なら問題ないだろう。
クローゼットを開けて、その中に自分の求める衣服を探す。あった。海での諜報活動での御用達、黒いウェットスーツである。これなら少なくとも男として入れば違和感はなくなるだろう。いや、あぎり曰く生物学的上今は紛れもない男らしいのだが、少なくとも今のところ心は女のままである。今この体でビキニを着て大衆の前で歩くなんて、全裸で渋谷のど真ん中で奇声を上げながら走るに等しいくらい嫌だ。やすなには悪いが、泳ぐときはこれで行かせてもらおう。
ソーニャはほんの少し残念な気がしたが、やすなに事情があると説明すればわかってくれると思い直し、いましがた慣れない男としての自分の体に違和感を覚えながら、身支度へと入った。
*
「うわぁーい、ソーニャちゃん見てみて! この部屋目の前が一面海だよ、オーシャンビューだよ、オーシャンパシフィックピースだよ!」
「それを言うならパシフィックオーシャンピースだ」
「そんなの関係ねぇ!」
「また古いネタを」
特にトラブルもなく、無事に予約した宿に到着した二人は荷物の整理をしてとりあえずくつろぐ事にする。やすなは海が一望できる部屋にはしゃぎまわり、畳張りの部屋をどたどたと走り回る。しかしいい部屋だ。部屋自体は広くないが、この狭さがちょうどいい安らぎを覚える。まるで自分の部屋に居る気分だ。
加えてこの畳部屋。これぞ和の日本。完全な和室にこだわったであろうこの部屋には、素材である檜の香りと畳の匂いで満たされ、鼻孔の奥にまで届いて脳髄に癒しを届けてくれていた。
「ねぇねぇソーニャちゃん!」
今まではしゃいでいたやすながソーニャの目の前にちょこんと座りこみ、じっと目を見ながら話しかけてくる。私服だと本当に小学生にしか見えない奴だなと思いながら、ソーニャは「なんだ」と返事する。
「男の子になったって本当?」
「…………は?」
は? としか言えない。ソーニャはおそらく人生で最も間抜けな顔になっているだろうと自信を持って言えた。いや待て待て、それについてはどうでもいい。なぜだ。なぜだ。
「なぜおまえがそれを知っているーーーー!!」
襟元を掴み、ソーニャはグワングワンとやすなの体を大きく揺らす。最大のフルパワー。殺し屋で鍛えた腕力は伊達ではない。そのフルパワーをまともに食らっているやすなにとってその一撃は強烈で、それはまるでジェットコースターに乗っている気分に陥るほどの勢い。脳が揺られ、胃袋が揺られ、脳の衝突が連続した上に胃袋の中身がエクストリームなシャッフルによって跳ね回る。
「そ、ソーニャちゃ、うっぷ、落ち着いて……!!」
「誰だ、誰から聞いた、いつ見た、どこで見た、吐けぇ!! 吐かないと貴様許さないぞ!!」
「ソーニャちゃ……吐く……出る……」
「だせぇええええ! 偽りなくすべて吐きだせぇえええ!!」
「じゃ……じゃあ遠慮なく……オロロロロロ」
「うぎゃぁああああああああああああああーーーーーーーーー!!!!」
結局、やすなの口から吐き出されるスラストリバーサにより、和の香りで満ちていた和室の匂いは強烈な臭いで包まれ、ソーニャの服を皿替わりにやすなの朝食がこんにちはすることになり、しばらく収拾がつかなかった。
*
「と、とりあえずは謝る。取り乱してすまなかった」
「もー、確かに私も突然すぎたとは思うけどあれはちょっときついよ。まぁ大丈夫だからいいけどね」
あれからどうにかして落ち着きを取り戻したソーニャだったが、いかんせん気まずかった。内緒にしようと思っていたことがあっさりとやすなに見抜かれた(?)のだ。まさかあんなにもあっさりばれるなんて誰が思っただろうか。
そして誰から聞いた、と自分は言ったが、よくよく考えてみればこの事態を知っている人物なんてソーニャ以外に女子高生忍者一人しかいないわけで、冷静になればあっさりわかる内容だった。まったく恥ずかしい話だ。
「で、あぎりから聞いたのか?」
「うん。今朝あぎりさんから電話が来て、『今日ソーニャは男の子になってますよ~』って言われた」
「あの野郎いつか切る」
「それで本当かなーと思ってソーニャちゃんに聞いたらあの反応。あぎりさんは嘘を吐いていなかった!」
「嘘だと言ってほしいくらいだ、私は……」
額に手を置いてソーニャはがっくりとうなだれる。なりたくてなった訳じゃないのに。女でも十分だった。
「ねぇねぇ、ソーニャちゃんつまりソーニャちゃんは今現在男の子ってことで間違いないよね!?」
「まぁ、そうだが……」
「なら生えてるんだよね!? 男の子の象徴でもあるネオアームストロングサイクロンジェットアームストロング砲が!!」
「生えてるからなんだ。信じたくないが」
「見せて!!」
がばっ、とソーニャのズボンに手を突っ込むやすな。ソーニャはいったい何が起きたのか理解できず、完全に脳内がフリーズしてしまうのだが、やすなの手が自分の履いているズボンのボタンを外しにかかったのを見てようやく意識を取り戻し、悲鳴を上げながら思いっきり右ストレートを発射し、やすなは美しい放物線を描いて畳にタッチダウンした。審査員がいたら、間違いなく10.0の満場一致であろう。
「てんめぇ、ふざけやがって!! ぶん殴るぞ!!」
「殴ってから言われても……」
おお痛い痛いと頬をさするやすな。ソーニャは顔を真っ赤にしながらズボンを履きなおしてプンすかと怒る。
「もー、ごめんって。そんなに気を悪くしないでよ」
「お前今と同じこと男にされて冷静でいられるのか」
「あー、なるほど。でもソーニャちゃんだったらいいかな!」
「はぁ!?」
思わず振り向いてしまう。そうは言うやすなだったが、嘘を言っているように見えず、おそらく半分くらい本心なのだと予想できた。それでも少しばかり頬が赤い。いったいどういうことかは理解している、ということだろう。
「……知らん」
「えへへ……そうだ、早く海に行こうよ! せっかく来たんだからもったいないよ!」
「そうだが……この恰好じゃお前の選んだ水着は着れないぞ? ウェットスーツならあるが」
「それでもいいよ! 確かに水着のソーニャちゃんが見れないのはちょっと残念だけど、二人一緒だから十分楽しいよ!」
いつもと変わらない太陽の笑顔。自分がこんな状態だと言うのにやすなは全くいつもと変わらない笑顔を自分に向けていた。自体の大きさを理解してないのか、はたまた本当に気にしてないのか。ただ、どちらにしても今のソーニャにはありがたい物だった。朝からずっと表情こそはいつも通りにしていたが、心の奥では不安に満ちていたからこの笑顔には救われた。
「…………ったく、お前には適わないよ」
ソーニャは少し悩む事がバカらしくなる。どの道今はどうする事も出来ないだろう。あぎりが解毒剤を作るまで普通に楽しむのがベストなのは間違いない。少しだけ安心したソーニャは小さく笑みを浮かべ、それを見たやすなもにっこりと笑う。
「それでは早速着替えよう! 時間は止まってくれないよ!」
「はいはい」
やすなは善は急げとTシャツを脱いで下着姿になり、バッグに手を突っ込んで水着を探す。ソーニャも自分の鞄を開けてウェットスーツを取り出す。ちらり、とやすなの方に目を向ける。ちょうど上半身裸になって下着一枚になったところだった。
だが、どうしたことだろう。ソーニャはそのやすなの後ろ姿を見て急に心臓の鼓動が速くなるのを感じた。いつもと違う。やすなと居ることの高揚では無い。まるで見てはならない物を見ているかのような感覚だ。なんだこれは、今まで経験したことがない。
その時だった。ソーニャは自分の股間が体のどの部分よりも熱を帯びている事に気がつく。ばっと下に目を向ければ、自分の短パンが大きく膨らんでいるではないか。
(な、なぁっ!!?)
ソーニャはそれがすぐに何なのか理解した。男の本能によって呼びさまされると言う暗炎龍。これが後にいきり立つ巨大なネオアームストロング砲となり、その砲丸が女に注ぎ込まれるのだ。なんて大きさだ。朝見たときとまったく違う。二倍、いや一歩間違えたらそれ以上に巨大化している。
(ななななななんで、どうして!!?)
と、ソーニャは自分の今の状況を整理して、暴発寸前になってしまった主砲の原因が半分ほど予測も混じるが分かった。まず、ソーニャの体はどの程度までかは分からないが、恐らくはほぼ完全な男になっているとみて間違いない。つまり、欲求面も男性方面になっているのではないだろうか?
今までやすなの体を見た所でどうということは無かったが、今この状況で自分が緊張、または興奮していると言う事はそう見て間違いないだろう。簡単に言えば、異性のカップルが同じ屋根の下で、裸になっている自分の彼女を見るのと同じ状況なのだ。健全たる男子、これで興奮しない訳がない。つまりソーニャは欲情しかけていると言うことだ。
(落ち着け、落ち着け、落ち着け! やすなの裸なんてしょっちゅう見て来ただろ、収まれ、収まれ……ええい何で元に戻らない!)
こんなみっともない姿で服を脱ぐ訳にはいかない。ソーニャは発射態勢を整えているアームストロング砲を納めようと手で押しこんだり強く握ってみたりはするが、むしろ逆効果な様で収まる気配を見せなかった。体を前かがみにして膨らみを誤魔化そうとするが、締め付ける短パンの感覚、後ろでやすなが裸になっていると言う状況が頭の中をぐるぐると回り、頭がくらくらとしてくる。
「ソーニャちゃんどうしたの? 着替えないの?」
ひょっこり、とやすなが顔を覗いてくる。いつもと変わらない距離。なのに胸が破裂しそうなほど緊張する。やすなの顔の向こうに続いているその白い半裸。それを見るとまるで何かが突き刺さったかのような感覚に襲われる。息が荒い、体が熱い。男はこんな感覚を味わって生きているのか。
「や、やすな……取りあえず一旦離れてくれ……大丈夫だから……」
「でも顔赤いよ? もしかして薬の副作用かも?」
「半分くらいそうかもしれないが、とにかく一旦離れてくれ! 落ち着かせてくれ!!」
「えー、ソーニャちゃんどうし…………」
と、やすなの視線が下されてソーニャの体の異変に気がついた。それを見て思わず硬直し、やすなの顔はみるみる赤くなっていく。
「えっとぉ……その……」
「わ、分かったならちょっと向こうに行ってくれないか……このままじゃ部屋から出れない……」
「あ、うん……」
やすなはいそいそと水着を着て、下半身をタオルで覆って素早く着替えを終える。「終わったよ」というやすなの声に安心し、ソーニャはほっと胸を撫で下ろしながら向き直る。さすがにスク水ではなく、フリルの付いたかわいらしい水着だった。相変わらず胸の発育は絶望的だが、それでも女を主張しようとする体のラインはマニアックな人間ならそそられるであろう。ソーニャも危うくそうなるとこだったが、まだ保っている理性でぐっとこらえ、どうにか落ち着きを取り戻した。
「どうどう、似合ってるかな?」
「ま、いい感じだ。もっと凹凸があれば魅力的なんだろうけどな」
「ソーニャちゃんだって似たようなものじゃん」
「あんだとぉ?」
「やーいやーい、スケベ貧乳!」
「お前言ったなゴルァ!!」
許さん、とソーニャはやすなに飛び掛かるが、ひらりとかわされて危うく壁に激突しそうになる。やすなはケラケラと笑ってソーニャをバカにし、さらに煽る。
「やーいやーい、覗き魔ー、けだものー!」
「きっさま~……どうやら永遠に海で泳ぎたいようだな!!」
「へっ! やれるものならやってみろ!!」
「逃がすかオラァ!」
「うおっ、あっぶな! だからナイフは禁止だってば!」
「じゃあパンチだ!」
「おぶぅ! 抜かった!」
「さぁてどう料理してやろうかな」
「あいだだだだ! エビ固めはやめてぇーーーー!!」
のちに気付いたことなのだが、ソーニャはこのやすなの煽りは自分を安心させるためのいつも通りの日常を心掛けたものだと知った。そのおかげでやすなを性の対象として見なくなり、アームストロング砲の暴発危機は防ぐことに成功していた。
もっともそれに気が付いたのはソーニャが二、三度やすなの手首を折った後だったが。
*
「海だーー!」
どこからか用意したのか、やすなは浮き輪を持って砂浜を全力で走り、海の中へと飛び込んだ。ソーニャもなぜか浮き輪を持たされ、ダッシュで駆け抜けるやすなを遠くから見ていた。海なら何回か来ただろ、と思ったが、二人のデートとなればやはり変わってくるのだろう。ソーニャもゆっくりと海に向けて歩き出す。夏の日差しがじっりじりとソーニャの体を焼いていく。日焼け止めを塗ったが、それでも真夏の日差しは厳しいものだった。
波打ち際までやってきて足が海水に触れる。水温はぬるめだが、夏に入るにはちょうどいい温度だ。ソーニャもとりあえず浮き輪に乗ってみる。ほう、これが庶民の愛する海での必須アイテムの威力か。確かに何かよくわからない魅力に引き込まれる。上半身を乗せる形で乗っかり、バタ足でやすなに追いつく。
「ソーニャちゃん、気持ちいいね! 暑いけど海の温度がちょうどいい!」
「そうだな。このまま浮かんでいるのも悪くないな」
「いやー、夏だねー。ビバ、バケイション!」
やすなは浮き輪の真ん中にすっぽり収まる形でぷかぷかと浮かび、気持ちよさそうに瞼を閉じる。ソーニャもつられて目を閉じそうになってしまうが、このままでは本当に眠ってしまいそうだったからぐっとこらえる。ゆらゆらと波に揺られて、波が砂浜に流れ込む音が耳に届く。これで体が女のままならもっと気分が良かっただろう。
「そう言えばさ、真夏の海に女の子二人って普通ナンパとかのいい対象だと思うんだけど全然そんな事無いね」
「見た目の問題もあるだろ。お前も私もどちらかと……というか、思いっきり見た目が子供だしな」
「それにソーニャちゃん今男の子だったもんね」
「それもそうだ。まぁ、どちらにしてもお前に近づこうとする奴がいるなら問答無用で切る」
「嬉しいけど怖いよ……」
「冗談だ。だがそんな輩が色目つかせて近づくなら断じて許さん」
「……えへへ、なんか照れちゃうね」
やすなは少しばかり恥ずかしそうに目を反らす。ソーニャだって恥ずかしい気はしていたが、本心を言って一体何が悪い、というのがソーニャのモットーである。それに以前よりも素直に話せているから、どちらかというと自分の進歩に嬉しく思った。
「……夏だな」
「夏だね~」
二人は特に何をする訳でもなく、ただ海に浮かんでいるだけでの時間を過ごす。はしゃいで回るつもりではあったが、やすなも何だかんだで大人しいからつい自分もじっとしてしまう。と、やすながソーニャの手をそっと握って来て、ソーニャもそれを握り返す。
「こうしないと離れちゃいそうだからいいよね」
「……ああ」
改めてやすなの手を握ると、いつもより柔らかく感じた。何か新鮮な感覚。もしかしてこれが男視点の女性の感触という奴だろうか。なるほど、確かにこれは刺激的に感じる。あぎりに恋した青年の気持ちは、きっとこんな感じなのだろう。しかも恋した忍者は容姿端麗スタイル抜群。惚れるなと言う方がおかしい気がする。ふと自分の見る真っ白な世界の夢を思い返す。もし今度見るならまた広くなってそうだと、ソーニャは溜め息を吐いた。
*
昼時。いい感じに空腹になった二人は一旦海から上がり、海岸に並ぶ海の家からどうにか空いてそうなところに入り、座席を確保した所で一息ついた。
「んー、やっぱり混んでるねー」
「考える事はみんな同じだからないざとなったら私が」
「すとぉーっぷ! そう言うのはノーセンキュー!」
「ふふっ、冗談だよ」
「おおー。ソーニャちゃんが冗談を自然と言えるようになってるとなんか不思議!」
「まぁ……そうかな」
「今のソーニャちゃん、とっても優しいから大好き!」
ぎゅう、と腕にくっつくやすな。暑苦しいが嫌な気分ではないから適当に「はいはい」とあしらう程度にしておく。が、さっきよりも密着してくるやすな。その姿は水着姿で、彼女の体温が直に伝わってくる。
ん? やすなの体温が、時間に? 密着? ソーニャはそう考えて次の瞬間はっとして、そしてやすなを意識してしまった事をまた悔いた。下腹部が熱くなる感触。また男の本能が働き始め、ゆっくりと主砲の発射体制が進行する。ちくしょう、なんて面倒な体なんだ。唯一の救いはカウンター席だったからあまり人目につかない点だろう。ソーニャは小声でやすなに話しかける。
「やすな、すまん。またあれが……だな……」
「…………あ、ああね! その……スケベ!」
―ゴチン!―
「いっだーい!!」
「懲りない奴め」
「もー、酷いよソーニャちゃん。今日何回目だと思ってるのさ」
「私は考えるのを止めた」
「究極生命体の末路みたいなこと言わないでよ」
そのタイミングで、二人の注文したメニューが運ばれてくる。やすなはカレー、ソーニャは焼きそばである。ソースのいい香り。恐らくスーパーで買えば自分も家で作れる程度の物だが、場所の雰囲気もあるのだろう。より美味しそうに見える。試しに一口、うむ美味い。
「んー、うんまい!」
「ああ。いつもより美味く感じるな」
「私のカレー、たぶんボ○カレーだと思うけどなんか違う気がする!
きっと海の潮の香りがカレーの香りと相乗効果的な物を起こしてるんだ!」
「お前それっぽい言葉言いたかっただけだろ」
「あ、ばれた?」
「やっぱりか」
本当に単純だなと思いながら、ソーニャは焼きそばをすする。ああ素晴らしきかなB級グルメ。組織の幹部との食事でコース料理などはよく食べたが、こうやってずるずると自分の食べたいように食べる食事こそが一番だと思う。
気がつけば股間の膨らみも沈静化していた。やはり意識しすぎるのはよくないのだろう。冷静に意識を外に向ければどうにかなると、ソーニャは少しずつ理解して行く。
(…………男って、案外単純でバカなんだな)
そんな自分も男なのだが。そうは思いながら、ソーニャは最後の一口を口に入れて焼きそばを完食。手を合わせて御馳走さまをし、それとほぼ同じくしてやすなも完食した。
「さぁソーニャちゃん、まだまだこれからだよ! 私たちの夏は終わらない!」
「あー、分かったからそんなに焦るな」
早く早くと急かすやすなに呆れながらも、ソーニャはまだ時間がある、という事が嬉しくてついつい急ぎ足でやすなを追いかけて行った。
*
そうやって二人で遊び、透き通るように青かった空はいつの間にか茜色に染まり、たくさんの人で賑わっていた海岸は一人、また一人と人の気配が少なくなっていき、やがて両手の指で数えられる程度の人数になる。
その中に、やすなとソーニャの姿……は無く、二人は宿に戻って浴衣に着替え、窓のから夕陽を見ながら遊び疲れた体を休ませていた。
窓枠に腕を置き、その上に顔を乗せる形のやすなと、同じく窓枠に肘を付いて頬づくソーニャ。「綺麗だね」というやすなに、ソーニャは「ああ」と答える。
「今日は来て良かったね。この宿も夕日と海のベストポジションだし。ソーニャちゃんと選んで良かったよ」
「元はお前の提案だ。お前が一番の貢献者とも言えるんだから、もう少し買い被っていいんだぞ」
「えへへ、そう言われると照れちゃうな」
いつもなら「ふははは! 私のセンスに膝ま付くがいい!」と言う所なのだろうが、その反応が来ないと言う事はけっこう疲れているのだとソーニャは察する。まぁ、あれだけはしゃげば当然だろう。泳いで潜って、水鉄砲の撃ち合いをして、やすなを砂に埋めてまた泳いでと、マシンガンの様な海水浴だった。ソーニャでさえもくたびれたくらいだ。
だが、楽しかったのは間違いない。明日には帰るのだと思うと少しばかり寂しい気がした。
二人の耳には波の音しか聞こえない。それが心地よくてソーニャは空いた方の手をやすなの手のひらに乗せようとするが、腕を組むような形になっていたから触る場所が見つからずに少し戸惑う。
しかし、気付いたやすながすぐにソーニャの手を持って握る。どきりと、胸の奥が跳ね上がった。
「ソーニャちゃん……」
やすなの声が聞こえる。その声がとてつもなく甘く聞こえて、ソーニャはゆっくりとやすなの顔を見る。夕日のせいか、やすなの顔が赤いのか。どちらかは分からないが、今彼女の顔は普段から想像つかないような色気を持った顔。脈打つ心臓の感覚がいつもより早い。男の視点だとやすなの顔はこんなにも魅力に満ちた物だったのかとソーニャは驚愕する。そして、その感覚がたまらなく癖になりそうだった。まるで麻薬の様な恐ろしい力を持っている。ソーニャは思わずやすなの手を強く握る。
じっと見つめて来る純粋な瞳、汚れきった自分を洗い流してくれる綺麗な目。柔らかくて張りのある幼い頬のライン。しかしその先に続く口元は確実に「少女」の物ではなく「女」を主張していた。
ほんの少し湿った唇は夕日の反射で美しく見え、ソーニャは急に喉の奥が渇くような気がした。いや、違う。これは口が寂しいという表現の方が正しいかもしれない。自分の唾を飲み込む音が大きく聞こえる。脈打つ心臓の音が感覚では無く耳に聞こえてきそうだった。
また唾を飲み込み、少しだけ荒い呼吸をする。もう一度口を閉じてそれをこらえる。今ここで動いたら自分が自分じゃなくなりそうで少し怖かった。こんなのは初めてだった。
「ソーニャちゃん」
もう一度、やすなが自分の事を呼ぶ。さっきよりも甘く聞こえて、閉じた口が思わず開いてしまう。その開いた口からまた深い息が出る。自分の中の安全装置が外れる音がした。と、その直後。やすなの顔が数センチだけ近づいて来た。ソーニャ風に例えるなら獲物が銃の射線上に入り、今なら確実に仕留められると気持ちが高ぶる瞬間。そう言う感覚だろう。それが全てのトリガーになった。
ソーニャはぐいとやすなを自分に引き寄せて唇を押しつけた。思ったよりも勢いが強く、やすなは少し驚くがソーニャの熱い唇の感覚を直に受けとって気持ちが高揚する。その次に体が反転して畳に押しつけられるようにして倒れ込む。少し驚いて、ソーニャの顔を見る。だが、見る間もなく再び唇を押しつけられてしまい、良い様にされてしまう。いつもと違う。やすなはそう思った。
ようやくソーニャの唇が離れてやすなは顔を見る事が出来た。そのソーニャの顔を見て、一瞬、一瞬だったが恐いと思った。
その顔は、優しいキスをしてくるソーニャでは無かった。目がぎらついていて、荒い呼吸を繰り返し、獲物を追い詰めた獣の目をしていた。今のソーニャは自分を認識していないのではないだろうか。やすなはそう感じた。その直後、また唇を塞がれる。
今度は唇をこじ開けられる感触がして、ぬるりと生温かく、湿った物が自分の口の中に入り込むのを感じた。舌を入れられたのだ。ソーニャの舌は上唇から下唇を舐めずり回し、次に唇と歯の間に到達して本能的に侵入を防ごうとするやすなの歯を舐めまわす。前歯、犬歯、奥歯、歯茎までもを絡め取り、そして絶え間なく唾液が流し込まれる。思わずやすなは歯をわずかに開いてしまい、その隙を見逃さなかったソーニャの舌はついに口の中へと侵入した。
その先にはやすなの舌があった。ソーニャは舌先を当てると、円を描くようにしてやすなの舌を制圧して行く。完全に抵抗する気を無くしたやすなの舌。それを感じ、今度は唇をわずかに開いてやすなの舌を吸い上げる。
「んんっ!?」
まさかここまでされるとは思ってなかった。ソーニャの口の中は彼女の欲望をそのまま表したかのような唾液で包まれ、それが自分の舌を伝って包み込んでいく。ああ、だめだ。奪われていく。自分がソーニャで埋め尽くされ、奪われてしまう。体が熱い。震える。抵抗できない。誰も助けてくれない。でも、でもそれでもいいと思う自分がいる。ソーニャに乱されてしまってもいいと囁く自分がいる。理性が吹き飛びそうだ。これを手放したら、自分はもう何もできなくなる。弄ばれる。
それでも……もう、……良いじゃないのか…………?
そう思った直後、やすなは自分の下腹部に何かが当たっている事に気がついた。これは? 一瞬だけ正気の自分が戻る。そして自分の体に当たる物がなんなのか理解した直後、やすなはこれではだめだと目が覚めた。
「ダメっ、ソーニャちゃんダメ!!」
とっさに肩を押しだし、ソーニャの体を起こす形にしてやすなは制止する。口が解放されて一機に酸素を送り込む。その中でソーニャの顔を見る。そして、確信した。
今のソーニャは自分を見ていない、本当の獣になっていたと言うことに。
そのやすなの制止でソーニャも我に返った。目の前には浴衣が大きく乱れ、恐怖に怯えているやすなの姿。その目にはうっすらと涙が浮かび、唇はわずかに震えていた。一体、自分は今何をしていた?
ソーニャは自分の手を見つめる。今起こった事が理解出来ず、恐怖して震えていた。まるで覚えていない。ただひたすらにやすなが欲しくて欲しくて仕方がなかった。そうだ、まるで極限の空腹状態で食べ物を見つけたかのような感覚だ。今自分は理性を完全に失っていたのだ。
「ごめん……やすな……」
ソーニャは手で顔を覆い、そのままうな垂れる。何と言うことだ。自分が本能に飲みこまれてしまうなんて。あんなの違う。自分のやりたいように貪るのなんて。やすなは怯えていたのに、むしろ自分はそれの興奮して食いつくそうとした。その証拠に、自分の下半身には猛烈な勢いで血が流しこまれ、どこよりも熱くなっていた。
涙が出そうになる。こんなはずじゃなかったのにと、ソーニャは首を振った。無意識のうちにもう一度「ごめん……」と呟く。波の音に負けそうなくらい小さな声だったが、やすなは聞き逃さなかった。
起き上がり、うな垂れるソーニャの背中に手をまわして優しく抱きしめる。今のソーニャはいつものソーニャだった。やすなは少しほっとする。ただ思いの外さっきの自分が信じられなかったのだろう。ソーニャは小さく「ごめん」と繰り返していた。少しナーバスな状態だった。しばらくこうしていよう。私は大丈夫だから。
「大丈夫だよ、ソーニャちゃん」
海の向こうに沈みかけていた夕日は、もう水平線の向こうへと沈んでいた。
*
どうにか落ち着いたソーニャだったが、やはりさっきの事が響いているのだろう。その後は少しよそよそしい感じで過ごし、食事は可能な限り明るく振舞っていたが、流石に風呂に関しては別々に入ると言い、やすなも察して素直に一人で入った。
宿の風呂は檜の浴槽で、独特な香りが浴室を包み込んでいた。やすなは鼻で深呼吸して存分にそれを味わう。大分落ち着けるだろう。ソーニャもきっと気に入ってくれるはずだ。
風呂に入る直前にソーニャの顔をちらりと見たが、やはり浮かない顔だった。笑顔は作るようにしていたが、それでも所々気にしている面が見えた。例えるなら任務の内容が自分の満足いかない物だった、といった感じだろうか。前に似たような事があったからそれが一番近いだろう。
あまり気に病みすぎなければいいが、とやすなは少し不安になる。一番の方法としては早くあぎりがソーニャの体を元に戻す薬を作るのが確実だろう。
やすなは自分を押し倒した時のソーニャの顔を思い出す。あれは恋人である「やすな」を見ていたのではなく、性欲のはけ口である「女」を見ていた。今になってやすなはソーニャが本当に男になっている事を自覚した。
が、もしもあのまま自分が止めなかったらどうなっていたのか想像してしまう。ただひたすらに欲望に身を任せ、しゃぶり尽くされてしまったのだろうか。本当にそうなっていたら……。
やすなは体の奥が熱くなるのを感じた。心臓の鼓動が速くなる。今やすなは初めて「男」という物を知った。だがそれはまだほんの片鱗なのだ。ようやく入口に立った程度の事。その先は一体どうなっているのだろうか。
好奇心が溢れる。開けるなと書かれた部屋の扉を開けたくなるような好奇心。その先には一体何が待っているのだろうか。
じわり、と自分の腹部の奥がうずく。手がその先に伸びそうになり、やすなはそれを止める。待て、今はダメだ。首を振ってやすなは浴槽から立ち上がる。きっとのぼせてしまったんだ。現に頭がくらくらして、視界が少しばかり暗くなっている。
荒い呼吸を繰り返し、少し落ち着きを取り戻す。そしてソーニャの顔を思い出す。あの分だとかなり気にしているだろう。このまま何もせず終わる、という訳にも行かないかもしれない。なら、自分が動くべきではないだろうか?
そこまで考えたやすなだったが、このまま立ってても仕方ないと、取りあえず湯船から出て、脱衣所にあるバスタオルを掴む。濡れ切った自分の体をそれで拭き取り、体温もそれに合わせるかのように体を冷ましていく。
ただ、腹部の奥にある火照りだけは、収まりそうになかった。
*
月明かりが窓から差し込み、真っ暗なはずの部屋を明るく照らし出す。時刻は深夜の零時を回り、窓越しの波の音と、時計の針が動く音しか聞こえない。まるで部屋には誰もいないかのような静けさだった。
だが、布団に入るソーニャの隣には、間違いなく自分では無い温もりがあった。もちろんその主は折部やすなである。
本来なら別々の布団で寝た方がいいのではと思っていたのだが、用意された布団が二人用しかなく、追加してもらおうにも他の部屋が満室で余っていないと言われてしまった。
ならば適当な畳の上でもいいとソーニャは言ったのだが、やすながそれを許さなかった。しばらく粘っていたソーニャだったが、結局折れてしまい同じ布団で寝ることになった。
そのせいか、布団に入って電気を消して二時間ほど経過したのに、全く眠れる気配がなかった。夏の夜にしては涼しく、騒音になる物もなく、むしろ睡魔を誘ってくれる心地よい波の音のサービスまであるのに、眠れる気配が微塵もなかった。思えば付き合う前からも、付き合ってからもそれなりに同じ布団で寝ることはあったのに、どうして今日はこんなにも緊張してしまうのだろうか。何度も無理矢理寝ようと目を閉じ続けるが、その度に目はギンギンに冴え切っていた。羊を数えてみたりしたが、686匹を数えた所で止めた。
あともう一つ、恐らくソーニャの睡眠を妨げている物がある。それはもう何度目か分からない発射体制を整えている自分の下腹部の「アレ」である。どうにか考えないようにしているが、やはり収まらない。しかも何か昼とは違う感覚。自分の体の奥底にある何かを吐き出したい衝動に駆られている。ソーニャは思い当たる節はあった。
(要は出せ、ということだろ……子種って奴を……)
こういう場合、一般出しの諸君は自らの手で「それ」を握り、そして吐き出させる物だとソーニャは聞いている。実際に見たことは無いが、映像でならそこそこに知っている。だが、やすなと同じ布団の中でする訳にも行かない。収めたら眠れるだろうか。
「ソーニャちゃん、起きてる?」
不意にやすなから声を掛けられて、ソーニャは思わず体がはね上がりそうなったがぐっとこらえて返事をする。
「……ああ」
「眠れないね」
「そうだな」
「やっぱりさっきのこと気にしてる?」
「……そりゃ、な」
あんな事をしてしまったのだ。正直死にたいと思ったくらいだ。口には出さずソーニャは溜め息を吐いた。それよりもまだ起きていた事の方にソーニャは驚いた。
「お前も寝れないのか?」
「まぁね。ドキドキしてるかな」
「いつ襲われるかもって感じか?」
「まぁ……そうなのかな」
やはり気にしていたのだろう。ソーニャは申し訳なくなる。ソーニャはもしまたあんな状態になってしまったらと恐怖する。そして、不意に自分が一生このまま男になってしまったらと考え、血の気が引いていく気がした。
「……もしも、私がこのまま女に戻れなかったら…………どうすればいいんだろう」
「…………」
「男ってよく分からないし、自分の性欲があり得ないほど分かりやすくて扱いづらいし、なんて言うか、居心地が悪い気がする……」
考えた事もなかった。あぎりが何とかしてくれると思いこみすぎたせいで、万が一の事を全く考えてなかった。信じたくないが、そう言う可能性だって無くは無いのだ。春の一件からかれこれ長い休暇を与えられ続けているせいか、思考力が少し鈍っただろうか。
「今になって怖いと思うようになってきた……情けない話だよな」
「……誰だって、怖いと思うよ? だって朝いきなり男の子になるなんて普通はあり得ないことだし、むしろ大丈夫な方がすごいよ。ソーニャちゃんが怖いって思うのは普通な事だよ」
「普通……なのか?」
「そうだよ。それに……もしソーニャちゃんが戻れなくても、そのままでいいかもってちょっと思ってるんだ」
「はぁ?」
そのままでもいい? どう言うことだ? ソーニャはやすなの考えが理解できなくて頭が沸騰しそうになる。もうしばらく考える時間を与えられたのなら、知恵熱を出す自信があったくらいだ。
「なんで、そう思った?」
ソーニャが聞く。だが、少しの間やすなの返答が来ることは無かった。正確に言えば何かを言おうとして居る気配があった。今何を言うのか整理をしているのだろうか。時計の針の音がしばらく続き、どうしたと聞こうとしたタイミングで返事が来た。
「あのね……あの時実を言うと、私ちょっと期待してたんだ」
「期待って……お前、意味分かって言ってるのか!?」
思わず振り向いてやすなの方を見る。振り向いたその瞬間に、やすなの真っ直ぐな瞳が自分を覗きこんでいて、思わず思考が停止してしまった。それを見抜いたかどうかは分からない。だがやすなは言葉を重ねて行く。
「一瞬だけね、もう全部ソーニャちゃんにあげちゃってもいいって思ったんだ。あのまま滅茶苦茶にされちゃってもいいって。でも、違うって思った」
「…………」
「あの時のソーニャちゃんは、『私』を見てなかったのが分かったの。だからダメだと思ったんだ」
やすなは右手をそっとソーニャの頬に置く。ひたりと、柔らかい感触。男になっても変わらない温かさ。大丈夫。男になってもソーニャだ。ちょっと乱暴で、まだちょっと素直じゃないとこもあって、お金は貸してくれないし短気だし、胸も絶壁で自分よりも背が低い幼児体型だが、誰よりも自分の事を考えてくれている人だ。きっと大丈夫。
「だから、今度は『私』を見て。それなら私、ソーニャちゃんに何されてもいいから」
強がっている目では無い。本気で、やすなはソーニャに何をされてもいいと思っているのだ。心臓の鼓動が速くなる。また、さっきと同じ感覚に襲われる。だが落ち着け、落ち着くのだ。ここで理性を失えばさっきと同じだ。
ソーニャは目を閉じて深く息を吸う。しっかりと肺に酸素をため込み、血液へとその酸素を流し込む。体を循環する血液が酸素を脳に運び込み、沸騰しそうだった脳を冷却する。
そして、息をゆっくりと吐きだし、再び目を開く。やけに視界がはっきり見えた気がした。ああ、間違いない。今私が見ているのは『女』では無い。茶色のショートヘアー、ぱっちりと開いた幼さの残る瞳。柔らかい素肌。間違いなく自分が愛している『折部やすな』だ。
そうか、こうすればいいのか。今のソーニャは理性と本能が絶妙のバランスで成り立っていた。理性と本能の両立、中々コツのいるバランスだ。やたらと冷静にそう考える事が出来た。
「やすな……」
きっと大丈夫だ。落ち着けばいい。彼女を愛でる。ただそれだけでいいのだ。そっと、やすなの頬に手を置く。そのまま顔を近づけて、唇がまず軽くやすなの唇に触れると、一旦離れる。やすなは幸せそうな顔をしていた。
もう一度唇を重ねる。今度はさっきよりも長く、それでいてもっと優しく触れさせる。時間が経つにつれてお互いの唇が湿っていく。そのタイミングで、なんとやすなの方から舌を入れて来た。さすがにこれは意外だったが、取り乱すほどではない。そう、受け入れればいい。
ソーニャも自分の舌を伸ばし、やすなの舌を受け入れる。まずお互いに先端を触れさせると、その次にお互い円を描くようにして舌を絡め、そしてそのままお互いの口の中に自分の舌を押しこむ。
唇を重ねている時、呼吸は時折り口を離すか、口を少し大きめに開いて呼吸するか、鼻で呼吸するかのどれかになる。今ソーニャの呼吸の大半は鼻であり、やすなも同じだ。息を吸い込むときに、やすなの香りがソーニャの鼻の奥をつつき、脳髄のアドレナリンが大量に放出される。思わずその快感に耐えきれなくなり、大きく息を吐き出してしまう。
「っ、はぁ……!」
思っていた以上に苦しくて、ソーニャは荒い呼吸を繰り返す。やすなも同じで、顔を赤くしながら口から酸素を送り込む。だがそれよりも早く呼吸を整えたソーニャは、今度はやすなの首筋にかぶり付いた。
「ああっ!」
やすなは思わず声を上げてしまう。まるでライオンに喉元を噛みつかれたかのような気分だ。普通なら恐怖を覚える感覚なのだが、やすなは悦びを覚えていた。いっそ本当に噛みつかれてもいいと思うくらい。
と、まるでその思考を読んだかのように、ソーニャはやすなの喉に甘噛みをした。ぞくりと体の鳥肌が逆立つ。無意識のうちに「いやぁ……」と声を上げるが、ソーニャは構わずに上から下へとまんべんなくやすなの喉元を味わいつくす。そして、甘噛みしながらその口の中ではぬるりと舌を這わせ、自分の唾液で濡らしていく。
再び首筋に口づけをする。今度は強くやすなの首筋を吸い上げる。これでもかと吸い上げる。呼吸以外はすべてやすなの首を吸い上げることに全てを捧げる。やすなは体がゾクゾクとしていくのを黙って受け入れるしかない。布団を握る手の力が強くなる。と、ソーニャの手がそれを見逃さずに、やすなの手を強く握る。
「ソーニャ……ちゃ……」
「やすな」
ソーニャの口が一旦離れる。やすなは開放された気分になる。体がうずうずとしてとんでもなく熱かった。あのまま続けられたら今度は自分の理性が吹き飛んでしまうのではないだろうかと思うくらいだ。これが、「男」という物なのだろうか。
いや、違う。「ソーニャ」だ。自分はソーニャによってここまでおかしくされたのだ。普通の何ら変哲のない男だったらこうはならない。ただ怖いとしか思わなかった。けど、今目の前にいるのはソーニャなのだ。
「愛してる」
その言葉が鼓膜に触れた瞬間、ソーニャはやすなの耳にかぶり付いた。
「ひゃ、うぅ……」
背筋がゾクゾクする。壊れてしまう。けどいいから壊して。もう壊して。何でもいいから。自分の事を思い切り愛して。思考が似たようなことばかりを考えてしまう。直後、ソーニャの舌が耳の中に入り込み、何度目か分からない嬌声を上げる。
「んっ……はっ……あ、あぁ……」
奥の奥まで舌が入り込み、じゅるじゅると唾液に濡れたソーニャの舌が暴れ回る。耳の奥も、耳たぶも、耳の裏も、一つ残さずなぶる。手を握る力が強くなる。ソーニャも負けじと握り返す。ちゃんと自分を見ている証拠で、嬉しくなった。
するり、と浴衣が抜け落ちていく感触。空いた方の手でやすなの浴衣を肩まで脱がしている。素肌が外気に触れる際に生まれる解放感は、また少しだけやすなを興奮させた。
耳から口を離したソーニャは、うなじ、首筋、鎖骨の順番にやすなの体を愛でていく。浴衣をはだけさせた手は太ももへと侵入し、しかしそれ以上動くことなく柔らかい感触を味わう。
やすなは自分の下着が湿っているのに気がついた。ソーニャが太ももに手を置いたことで意識が下半身に向いたおかげだろう。下腹部の奥が熱くてとても物寂しい。足を閉じたら楽になるのだろうかと動かすも、ソーニャの指先が太ももを撫でまわす感触で力が抜けていく。
「ソーニャ……ちゃん……」
荒い呼吸を繰り返し、もう衣服の乱れも何も気にしないくらいになってしまったやすなは、力のない目でソーニャを見つめる。その目は性欲に思考が乗っ取られている弱々しい瞳。それは男の本能を呼び覚ますトリガー。ソーニャはまた自分の心以外の物がざわつく気がした。
「……なんだ、やすな?」
「あのね……もう、私……大丈夫だよ……」
「…………」
「ソーニャちゃんなら、大丈夫だから……好きにして、良いよ?」
「……言ったな?」
その返事はとても低い声だった。どきり、と胸の奥が締め付けられる。だがこの締め付けはむしろ喜びだ。やすなは今、男という物の扉を開けたのだ。それを前にしてしまうと、自分だって獣の様になってしまうのではないかと察した。だが、例えお互いが獣のようになったとしても。
きっと、いつもの二人に戻れる。やすなは、そう感じていた。
*
朝の光が差し込み、瞼の奥の眼球を刺激する。睡眠が終わる覚醒感。ソーニャはそれを素直に受け入れて目を覚ました。
まず視界に入ったのはやすなの寝顔だった。とても気持ちよさそうに、すやすやと眠っている。この分だと起きるのにもう少し時間が掛るだろう。ソーニャはちょっとだけやすなの頬をつついてみる。ぷに、と柔らかい感触。お餅みたいだなと思いながら、やすなに気づかれないように体を起こす。
「……うわぁ」
起き上ったソーニャは、思わずその視線の先の散らかり具合を見て声を漏らした。まず自分の着ていた浴衣は半分ほど脱いでいると言っていいだろう。二人の寝ていた布団はぐしゃぐしゃになり、敷き布団の一部はまだ湿っていた。そして、その中に小さく血痕が残っている。それが一体誰の物なのか。ソーニャはそれを見て、夢じゃなかったと再認識する。
忘れもしない、昨晩の記憶。やすなが「良いよ」と行った先の事。あの後の自分は最初こそ理性を保っていたが、いつの間にか完全に本能に乗っ取られていた。一言で言うなら無我夢中、という奴だろう。
ゆっくりと記憶のページをめくる。二人で二人の欲しい所をまさぐり合い、いつの間にか浴衣は脱ぎ捨てられていた。その次に少しおどおどしながらも自分に尽くすやすなの姿。そしてそのお返しと今度はやすなに尽くす自分。その時の彼女の顔は本当に真っ赤で、あまりにも恥ずかしすぎたのか両手で顔を覆うくらいだった。
その他にもいろいろした様な気がするが、群を抜いて頭に焼き付けられている記憶がある。涙を浮かべながらも、大丈夫と言い続けて自分を受け入れるやすなの姿。それを信じ、侵入して行く自分の体。その快楽は侵入を拒もうとするやすなの体の中を進み続けた。少しの血が流れてもそれは止まらず、ついに一つになった。
あれが女を味わう男の快楽。バカにできない物だった。味わえば味わうほど抜け出せなくなっていく。理性を保つ方が無理な話だった。
だが、それでもやすなは受け入れてくれた。最初こそ苦痛な表情ではあったが、最終的に部屋にはやすなの嬌声が響き渡り、表情も苦痛から快楽に変わっていくその様はソーニャをより一層興奮させていた。
そして迎えた絶頂。思わず腰が抜けそうになるほどの痙攣を起し、やすなの中にソーニャの全てが注ぎ込まれた。やすなの体の痙攣が起こったのもそれとほぼ同じくしてからだった。二人とも疲れ果て、そこから先の事をよく覚えていなかったからここまでだろう。恐らく適当に浴衣を羽織って、そのまま寝たと思う。
「……まったく、なんて言ったらいいのか」
ソーニャは乱れた髪の毛を手でまさぐる。起きてコーヒーでも淹れようかと立ち上がり、その前に手洗いに行こうとする。
すると、ここで何か違和感に気がついた。体が少し軽くなったと言うか、何か邪魔ものが無くなったかのような感覚。なんだこれ、と思いながらソーニャは自分の下腹部を見る。
「…………ん?」
あれ、おかしい。下着が膨らんでない。なだらかな丘がその先に続いている。なに、ちょっと待て。まさか。
「おわぁあああああああああ!!?」
思わず絶叫。またもその絶叫は羽を休ませていた海猫を吹き飛ばす。この二日間で何度絶叫したのだろうか。ソーニャの絶叫した数を書いて応募すれば抽選でプレゼントしよう。って違うそうじゃない。そんな馬鹿な、昨日確かに自分にはネオアームストロングサイクロンジェットアームストロング砲が搭載されていたのだ。
まさかと思って下着の中を覗き込む。何もない。きれいさっぱりに消えてなくなっていた。
「んっ、う~ん……ソーニャちゃんなに~?」
と、やすなが目をこすりながら起き上る。しまった、起こしてしまったか。それもそうだ、あんな絶叫を部屋ですれば誰だって起きる。ソーニャは一瞬やすなを起してしまった事の方が優先的になり、頭が冷却される。
「あ……すまん……で、でも何と言うか……」
「もしかしてエッチな本とかでよくある出したら消えちゃったみたいな感じ?」
「…………」
ソーニャは何も言わずに頷いて半分寝ぼけ、半分バカにしていたやすなの顔はそのまま固まって、しばらく動きそうになかった。
*
『恐らく薬の効果が切れたと見るのが妥当ですね~』
また良いタイミングで電話が掛って来た。その相手はもちろんみんな大好きあぎりさん。ちょうどいいとソーニャは自分の体が女に戻った事を告げると、帰ってきた返事がこれだった。
『しばらく薬の成分を調べていたのですが、どうやら一時的に体の能力を飛躍的にアップさせるのが目的で、その中に筋力増強用に入れた男性ホルモンが多く含まれていたことが原因のようですね~。まぁ詳しい事はファンタジーだと思ってくださいね』
「とても分かりやすい説明どうもありがとう」
『一応ですが体の方に異変はありますか~?』
「いや、ない。いつも通り女の私だ」
『ならよかったじゃないですか~。正直いつ作った薬なのか分からなかったので解毒剤もワクチンも作れない状態だったんですよ~?』
「おいこら、さりげなくとんでもないこと言ってんじゃねぇ」
『うふふ、終わりよければすべてよしですよ。やすなちゃんと熱い夜を過ごせたから良かったじゃないですか~』
「……お前は一体どこで私たちを見ている」
『あら~、冗談で言ったのにその反応ということは本当にしちゃったんですね~』
ぶちり、とソーニャは電話を切った。もう知らぬ知らぬ。私は何も知らぬ。ソーニャは大きくため息をついた。たたまれた布団に頭を突っ込んだ。だが、突っ込んだ先の布団はやすなの匂いがしっかりと残っていて、嫌でも思い出すことになる。そう言えば男だったらまた反応を示しそうな状況だったが、今はそうでもないと言う事に気がつく。いや、少し内心緊張はする。ただ外から見た明確な反応が無いからさほど影響は無かった。なるほど、あると無いのではこんなに違うのか。
「ソーニャちゃんなにしてるの?」
と、浴室からシャワーを浴びて来たやすながバスタオルで濡れた髪の毛を拭きながら出て来た。ソーニャは布団から抜け出しながら「別に」と言い、テレビの電源を入れた。
「あ、あぎりさんから連絡あった?」
「ああ。特に問題ないそうだ。色々府に落ちない所はあるが」
「そっかー。ソーニャちゃんも女の子に戻ったかー」
「なんだよ?」
えーっとね。とやすなは少し恥ずかしそうにしながらも、一人で頷いてきっぱりとこう言った。
「あの時さ、私ソーニャちゃんが戻れなくてもいいって言ったでしょ?」
「ああ。そう言えば言ってたな」
「あれの本当の意味はね……もしソーニャちゃんが男の子のままだったら結婚できる、って意味だったんだよね」
「け、結婚だと!?」
素っ頓狂な声を上げてしまい、ソーニャは顔が真っ赤になるのを感じた。やすなも、ちらちらとソーニャを見ながら少し顔を赤くしてる。自分で言って恥ずかしかったのだろう。しかし結婚。結婚とは全く考えていなかった。もしかして自分はもったいない事をしたのかもしれないと思ったが、どの道元に戻ることになるから結果は同じだったろうと結論が出る。それに。
「…………ばか。女同士でも結婚してやるっつーの」
「えっ…………」
やすなはそのままの表情で固まり、ソーニャは面白いと思いつつも自分で恥ずかしくなり、それを誤魔化す為にさっさと帰り支度を始める。
やすなはしばらくそのまま固まり続け、やがて湯冷めして夏風をひく羽目になるのはそれから翌日の話である。
*
帰りの電車に揺られながら、ソーニャは流れていく窓の景色を見る。やすなはソーニャにより掛る形で再び眠っていて、さっきから耳元に寝息が掛っている状態だった。
ソーニャ本人も少しばかり睡魔を感じており、やはり昨晩はやりすぎたのかと思っていたが、一回戦止まりとなると案外そうでもないだろう。まったく、男という奴は本当に分からないなと、ため息を吐いた。
「んっ……ソーニャちゃん……」
「……なんだ、寝言か」
むにゅむにゅと眠るやすな。宿から駅までの徒歩で、彼女の歩き方が少しぎこちなかったのはやたらと印象に残っていた。どうやら経験を済ませた女性陣は歩くのに少し支障を感じるらしい。しかもやすなについては幼児体型もいいところだから、時々歩みを止めないと動けないほどだった。
(…………女も男も面倒だな)
しかしちょっとだけ、男のままでよかったかもしれないと思う。やすなが「結婚できるから」と言ったせいだ。やろうと思えば女同士でも結婚は出来る。だが、やるからにはやはり二人の子孫を作りたい、と思うのがソーニャの考えである。殺し屋である自分が命を作りたいと思うとは、全く世の中何が起きるか分かった物じゃない。
「そーにゃちゃん……だいすき……」
また寝言。ソーニャはこつんとやすなの額に頭を当てると、小さく言った。
「私もだ、やすな」
まぁ、考えるのはまた今度だ。今は二人一緒で居られることに感謝しよう。いっそのことあぎりに男になれる薬でも作ってもらおうか。いや、やっぱりやめておこう。あいつの作る薬はどんな副作用があるか分かった物じゃないからな。
そうやってくだらない事を考えていくうちに、ソーニャも眠くなってくる。降りる駅までまだまだ時間はある。今はもう少しだけ休ませてもらおう。
列車の振動に体を任せ、ソーニャは瞼を降ろす。まだ残る潮の香りと、やすなの香り。その二つはこれ以上に無い心地よさと安らぎを与え、ソーニャを眠りへと誘う。そして大して待つ事もなく、二人は一緒に寄り添って眠りに入った。
男海って水着初夜
おわり