夢とは、やがて須らく醒めて消えるのが道理。
ORIによって創られた偽りの夢から醒めた時、彼女たちが直面する絶望とは。
朝からぐずついた天気の中、箒は傘もささずに歩いていた。
途中バンダナを巻いた長髪の少年とすれ違う。悲痛な思いを堪えるように唇を噛みしめているその姿。もう何度かここで見た顔だ。ここに何度も足を運ぶということはおそらく一夏の友人だったのだろう。でも話しかけたことも、話しかけられたこともない。箒にとってはそんなのはどうでもいいことだから。
先ほどまで小雨だった雨は徐々に勢いを増して本格的に降り始めてきた。だが箒は構うことなく、慌てる素振りも見せずゆっくりと目的地に向かって歩く。だって彼はいつもそこにいるのだから。もうどこにも行かず自分を待っていてくれるのだから。だから焦る必要なんてない。
雨が箒の髪を、服を容赦なく濡らしていく。雨の冷たさに身体が冷えていく。
夏の涼雨とは違う冷たい雨。季節は夏を通り過ぎ秋に入った。あと少しで冬の準備に入るだろう。時間は止まることなく誰にでも平等に時を刻んでいく。
そう。何があっても世界はまわっていく。
人一人がいなくなっても、世界はそんなことなどおかまいもなしに、これからもずっと続いていくのだから。
一夏が自ら命を絶ってすぐ箒はIS学園を退学した。
そのことに周りが何やら騒いでいたがどうでも良かった。何故かあの姉までが何処からかシャシャリ出てきて、あれこれ説得らしきことをされた。鬱陶しかったので「うるさい消えろ」と一言返すと、もう何も言わなくなった。ISなどという元凶を創り、今まで散々迷惑をかけられた姉へようやく言えた本心だった。
右から左に聞き流して姉の言葉によれば、千冬は病院に入れられたらしい。
そんなつもりじゃなかった。どうかしていた。なんであんなことを……。
一夏。すまない。一夏。すまない。一夏。すまない。一夏一夏一夏……。
そんな謝罪の言葉を誰に向かって言うのでもなく、日がな一日中ぶつぶつと繰り返していると姉が言っていたが、だから何だとしか思わなかった。千冬が壊れようが知ったことではなかったし、一夏を追い詰めたことへの憤りもなかった。なぜなら罪というならそれは自分も同じなのだから。
一夏を守ってやれなかった。助けてやれなかった。救ってやれなかった。
何が幼馴染だと何度自分を責めただろう。でもいくら自分を責めたところで一夏は帰ってこない。もう全てが終わってしまった。一夏は死んだ。自分は何も出来なかった。それだけだ。
目的の場所につくと、マゼンタ色の傘をさして誰かが屈んでいるのが見えた。ここに参る人などそういないのに先客だろうか。一夏との二人きりの時間を邪魔されたように思えて箒の顔が曇る。暫くそのまま見ていると、相手もようやく立ち上がった。するとその相手も自分に気付いたようだった。自分を見て驚いたように持っていた傘を下げる。その顔を見た箒も驚きで一瞬固まった。
かつては毎日のように見ていた顔。彼のもう一人の幼馴染『だった』少女。凰鈴音。
「箒……」
きまりが悪そうに自分の名を呼ぶ鈴に、箒は何も答えずただ黙って見つめ返した。
鈴が居て一瞬驚いたのは事実だったが、だからといって相手をしてやる必要も、その気もない。
「久しぶり……ね。元気だった?」
眉をひそめた箒を見て鈴が目を逸らしながら続ける。
「心配……してたのよ。急に黙って学園辞めちゃうから。みんなも……心配してた。その……」
鈴は言葉を探すように口をもごもごと動かすが、上手くいかないようだった。
「あの、えと、あたし……」
「ここに何の用だ?」
埒が明かないので仕方なしに助け船を出してやる。
「い、一夏のお墓参りに、その……」
「帰れ」
箒は一言だけ返すと鈴を睨みつける。
「待って。聞いて箒。あたしのこと怒ってる?許せない?そうなの?そうなんでしょ?当然よね」
「帰れ」
「ど、ど、どうかしてたのよ。アイツにそそのかされたとはいえ、一夏に対してあんな……あんな酷い言葉を言うなんて。あんな酷い態度を取るなんて。あ、あたしずっとどうかしてた。何でか自分でも分からないけど、あたし……」
「帰れ」
「箒信じてよ。お願い、お願い、お願いだから!あたしは、あたしはそんなつもりじゃなかったの!こんなことになるなんて思わなかったのよ!」
うるさい。
「なんで、なんで今頃になって気付いて……ごめんなさい、ごめんなさい一夏。ごめんなさ……ああああぁぁぁ!なんで!なんで!なんでぇ!」
うるさい。
「ねぇ箒。あたしどうしたらいい?どうしたら一夏に許して貰える?どうしたら一夏に責めて貰えるの?どうしたら一夏に謝れるの?ねぇ箒ぃ、あたしどうしたらいいの?」
うるさい。
「だ、弾にも絶交されて……口もきいてくれなくて。教えてくれないのよ。だ、だから、ねぇ箒。あたしに教えてよ。あたしを助けてよ。時間が経つにつれ自分がしでかした罪の重みで潰れてしまいそうなの。心が壊れてしまいそうになるの」
うるさい。
「箒……箒ぃ。あたしだって、あたしだって一夏の幼馴染なのに……なのにあたしは……!」
「黙れ」
ずっと聞き流していた箒だったが『幼馴染』という言葉だけは聞き流してやることは出来なかった。だってそれは箒にとっては何より特別なものだったから。少なくともこの女にはそれを名乗って欲しくなかったから。
そのまま鈴との距離を詰める。近づいた分だけ鈴が怯えたように後ずさった。
「鈴。そんなに辛いのか。そんなに苦しいのか」
「う、うん……」
「ならさっさと楽になってしまえばいいだろ」
「えっ?」
「死ねばいいじゃないか。一夏のように。そうすれば全て終わる。全てから解放される」
「ほ、ほうき?」
「死ねよ」
「あっ……ああ……あああ……」
「死ね」
鈴は呻き声を上げると、頭を抱えてそのまま蹲ってしまった。放り投げられたマゼンタの傘が、この雨が降る灰色の空間でひときわ鮮やかに揺れている。
箒は打ちひしがれている少女を見て舌打ちをする。
この調子じゃこの女は中々ここからいなくなりそうもない。仕方ない。時間を置いて後で来ることにしよう。大丈夫、一夏はいつでもここに居る。もうどこにも行かない。だから焦ることはない。二人きりになれる時間は沢山ある。
そう。時間なら沢山あるのだから。永遠にも思える程に。
箒は踵を返すと、そのまま来た道を戻り始めた。そのまま空を見上げる。
この雨がみんな、みんなみんな消し去ってくれればいいのに。
そんな叶わない願いを抱き、箒はただ灰色の空を見上げ続けた。
朝から降り続いていた雨はようやく上がっていた。周りは夜の闇が支配している。雨に打たれたくなかったのと、もう誰にも会いたくない、という理由で箒が家を出たのは、既に夕方も過ぎてからだった。
墓地は夜になど決して来る場所ではない。そんなことは誰でも知っていることだ。だが箒は何ら気にすることなくその陰鬱した場所をいつも通りに歩く。
だってこの道を行けば一夏にあえるのだから。一夏はずっとそこに居てくれるのだから。
親はこんな自分に何も言わない。朝ずぶ濡れで帰ってきた時も、このような時間から出かけることにも、一切何も。ただ悲しそうな目で見つめてくるだけ。「すまない」「ごめんね」と。学園を辞め家に戻ってから、もう何度も聞き慣れたその言葉を申し訳なさそうに言ってくるだけ。腫物に触るように。滑稽なほどの態度で。
それは篠ノ之束という怪物を世に産み出し、散々迷惑をかけたことへの親としての罪悪感故か。
こうなってしまったことに、純粋に自分のことを心配して時間を与えてくれているのか。
箒には分からなかった。ただ周りからの歪な優しさに甘え、日々を無情に過ごしている。
だってどうでもいいから。
親も家族も友達も。みんな全部どうでもいいのだから。
箒にとっては、こうして一夏の下に向かって逢瀬を重ねることだけが生きる意味なのだから。
そうして歩いてようやく一夏の下に辿り着いた。
鈴はさすがにもういなかった。おとなしく帰ったのだろうか?それとも……。
箒が再度家を出る直前。部屋の片隅に投げ出したままの携帯が久しぶりに鳴った。
メールが一件。相手は鈴からだった。一瞬朝の泣き言の続きかと思い、舌打ちをしつつ確認をした。
『ごめんなさい』
文面は一言それだけが書かれてあった。
ごめんなさい。
鈴が何を以ってそう言ったのかは分からない。
一夏に対し犯してきた行いを悔いてのことなのか。
その罪悪感を胸に、これから精一杯生きていくということへの決意の表れなのか。
自分には分からない。それに鈴がどうしようが、どうなろうが、結局のところはどうでもいい。
あの時死ねとは言ったが別に鈴に死んで欲しいとも思わない。
死にたいなら勝手に死ねばいいし、安っぽい悲劇のヒロインに酔って生きていこうというのなら、それでもいい。一夏との時間を邪魔をしないというのなら、どっちでもいいのだ。
「こんばんは一夏」
墓石の前に立ち彼に問いかける。
何時もは二人で静かに楽しい思い出に浸る。一夏と過ごす箒にとって何より幸せな時間。
でも、今は……。
「なぁ?鈴とは何を話していたんだ?……いや分かるよ。どうせ散々赦しを請うてきたんだろ?厚顔無恥も甚だしいとは思わないか?よってたかってお前を蔑んでいた連中の一人のくせに。お前を追い詰めた連中の一人のくせに。お前を殺した連中の一人のくせに……!」
手を握り込む。
「それでもお前ならアイツを許してやるんだろうな。きっとお前なら。一夏なら、絶対に……!」
爪を掌に食い込ませる程強く握り込む。
「お前は信じられない程お人よしだからなぁ!あんな扱いをずっと受けてもお前は連中を恨むことはしなかった!あの男に散々いいようにされても、お前は奴と友達になることを諦めてなかった!そしてそんな状態でありながら私なんかを気遣って!その挙句が……!どこまでおめでたいんだ!お前という奴は!」
こんなこと言いたいわけじゃないのに。一夏との時間は大切な思い出に浸りたいのに。
それでも言葉は止められなかった。胸に広がる『最悪』を抑える方法が分からない。
「なぁ一夏?今日のニュースの速報でやっていた記事を見たか?見れるわけないか。お前は死んだんだから。じゃあ私が教えてやるよ。あの男のニュースだったよ」
嗚呼。それにしても今日は何ていう最悪の日なのだろうか。
朝から会いたくもない鈴と出会ったばかりではなく、家に帰ってから時間潰しにネットを開いたのがまずかった。ホーム画面に表示されたいくつかのニュース。それを見てしまったのが運の尽き。
『お手柄!IS学園に通う唯一の男性操縦者の彼が強盗団を捕まえる!』
そんな見出しと共に載ってたのはオリ主の画像。吐き気がする気取った笑みを全面に、ポーズまで決めて写っていた。その後ろには見知った嘗てのクラスメートらの姿も。記事によれば何人かで街に出てお茶をしていたところ、なぜか強盗騒ぎに巻き込まれ、なぜかあの男が華麗に一人で強盗団を打ち負かし、賞賛されているらしい。
だがそれこそがこの世界線における転生オリ主が願ったセカイ。ORIの世界。
休日に女性と出掛ければ、原作で見たようなイベントが都合よく起こり、それを華麗に解決する。結果が分かっているから失敗しないし、その度にこのような賞賛を受けられるのだ。
だが別にこれだけならここまで最悪な気分にはならなかっただろう。問題はその後、治安を守ったヒーローとされたオリ主へのインタビュー記事だった。
そこには箒にとって最も触れて欲しくないことである、一夏について語られていたからだ。
IS学園で出会えた唯一の同性。その大切な仲間を失い、今は胸が張り裂けそうだと。
辛いことがあればいつでも相談するようにずっと言ってきたつもりだが、一夏の悩みを解き放つことが出来なかったことがくやしいと。
成績が上がらない一夏をずっと懸命にサポートしてきたが、まだ努力が足りなかったと。
嫌がられようとも、もっと話をするべきだった。もっと向き合ってあげればよかったと。
自殺だなんて一番やっちゃいけないんだと。どうして周りを、自分を頼らなかったのだと。どんな悩みがあったかは分からないが逃げちゃダメなんだと。どんな理由があろうとそんなのはただの弱虫なんだと。
最後は感情激しく「アイツは大切な俺の友達だったんです!」と涙ながらに吠えて、オリ主の優しさと友情に、インタビュアーや聴衆から多くの涙を誘ったということで記事は締められていた。
更に悪いことは続き、記事の内容に呆然とする箒をよそに、記事に対する多くのコメントが表示されていて、否応なしに目に入ってしまった。
そこに書かれていたのは『最高』のオリ主をひたすら褒めたたえる声。声。声。
そして『最低』の一夏をひたすら貶し中傷する声。声。声。
それを見てしまった瞬間、箒の『最悪』は極まってしまった。
「一夏。なぁ一夏。お前の人生って一体何だったんだろうな?」
滾る感情を押さえつけるように唇を噛みしめて、箒は一夏に問う。
「こんなことってあるか?一夏お前は、お前は……!死んでからもまだあの男に利用され!死んで尚皆から、世界からイジメられているんだ……!」
我慢できなくなり箒の頬を涙が伝う。
「こんな仕打ちを受けねばならない程お前は罪を犯したというのか?お前はただあの男と友達になろうとしていただけだった……!みんなを守ろうと、守りたいと願っていただけだった……!それがそんなに悪いことだったというのか?どうしてこんな酷い……!」
嗚咽し、しゃくり上げる。立っていられなくなりその場に蹲った。
「一夏……。わ、わたしくやしい。苦しい。助けて……」
救いを求めるように箒は手を伸ばす。
「声を聞かせてくれ。大丈夫だって言ってくれ。心配するなって笑ってくれ。お願いだから……」
返事なんてない。そんなこと分かっていても。それでも……。
「思い出なんかじゃ嫌なんだ。聞きたいんだ。触れたいんだ。一夏に逢いたいよ……!」
伸ばしたその手が一夏が眠る墓石に触れる。でも伝わるのは彼の温かさではなく、冷たい石の感覚だけ。
箒ははただ世界を呪い、絶望の涙を流すしかなかった。
一夏を嫌おうが憎もうが蔑もうが、結局はその一夏に一番依存しているのはオリ主という不思議。やっぱ一夏なしにはORI世界は成り立たないのでしょうかね。
さて。これ以上鬱っぽいの書いててもしゃーないので、次回私が勝手に思い描くハッピーエンドで締めたいなと。