齢60を超え、白髪が伸び衰え、蜀漢に仕えた忠臣、死せる孔明は今戦慄としていた。
「...何故に、天は何故にかやうな仕打ちを設けたのだッ...ぁぁぁ...!!」
彼の目の前には、噂に違わぬ天界 であろうか。
神龍がただ周囲を馬車のように乗り物を引きながら走り回っている。
それに、トカゲや犬のような顔の者達がまるで人の如くして道を歩いている。
これを天界として何と言えようか。
この男、名をば諸葛 亮 字 孔明と呼ぶ。
「大業も未だ為せず、あまつさえかやうな場所に我を移すとは...何たる...。」
彼が嘆いているのは、ここに来る前のこと...
将軍 魏延が謀反を企み、魏には司馬懿 仲達がおり、荊州も取られ、このままではいずれ滅ぶであろう蜀での大業
即ち天下の統一が果たせずにこの天の場へと来てしまったことに対してである。
ちょうど、彼がいる場所は屋台やら露店が出回っている箇所であり、その独特な服装も相まって、周りからは奇異の目が向けられる。
「よぉにいちゃん、どうしたんだい?」
そんな中、目の前の露店の店主であろう男が近寄り、諸葛亮のあまりの号泣さにワケを聞こうとする。
「そなた...あぁ、天の使いか。これは失礼した。孔明、ここが天上で拝謁いたします...。」
彼はあろうことかまだここが天界であると思っているようであった。
手を地に着き、頭を深く下げ、扇を平伏せる。
だが、その奇妙な礼と姿勢に驚きながらも、店主はひとまず、露店の奥へと彼を移動させて人目から遠ざけ、彼を落ち着かせる。
未だ乱心の状態の彼は、店の奥の椅子に座ったままだ。
そして何やら「蜀漢を救い給え。」などと申す。
その姿に呆れた店主は、とにかくこのものを落ち着かせるために店番をしながらも話しかける。
「なぁ兄ちゃん、そうやってメソメソ泣いてたって始まらないもんだぜ?
こちとら早く事情を聞いて立ち去ってもらいたいんだ。客が減っちまう。」
と、愚痴を溢す店主は律儀にも話くらいは聞いてやると申す。
その言葉にはっ、となったのか諸葛亮 椅子から跳ね上がり、
「きゃ、客...客人が天界にいると申すか。」
「天界だぁ...?......はぁぁ、兄ちゃん、気でも動転したか。」
と、ごく真面目に切り出されるが
「...いや、取り乱してすまなかった、天界の民よ。私は先程申した通り諸葛亮
字を孔明という。今は少し落ち着いた故、物事を聞けよう。」
と、急に取り直しを行なった。
その律儀な態度に感心を覚えた店主は、とりあえず先程の疑問を問うことにした。
「そうかぃ...聞かねえ名に服装...ルグニカ王国じゃぁ珍しいな、ふははっ。」
と少し微笑した。
孔明は色々と自分の服装が変であることに気づき、
「...確かに、服装がこうも地上の物とは違うとは...すぐに編み物を頼もう。...いや、臣下も既にいなかったな。」
はぁー、とため息を深くつく孔明。
それにしても引っかかることがあるのか、店主は申し上げる。
「なぁ、孔明さんよ。天国だか地獄だか知らんが、ここは誠の現実、ルグニカ王国 王都だぜ?
今時そんなの信じてる奴なぞおりゃせんよ。」
と、彼の戯言を一掃した。
しかし、孔明、椅子にドッカリと座り直していようとした時、その言葉を聞き再びガッと飛び起きた。
「...今、何と申した...。」
と。
「だぁかーら、孔明さんよ。ここはルグニカ王国王都だっつってんだ!
天国でも地獄でもねーよ。」
と、現実を突きつけられる。
孔明、唖然と目を見開いて椅子に腰掛ける。
「そんな...まさか...ありえん。」
「ありえんも何もあるかい。さ、商売の邪魔だ。どいたどいた。」
と、彼を椅子から再び腰上げさせた。
彼は言われるがままに呆然としながら従うが、再び口を開く。
「...待ってくれ、其方、るぐにか王国、といったな。そしてここはその王都である、と。」
「んー?そうだぜー兄ちゃん。そんな事も知らないんかい。」
...何かがおかしい。
ここで孔明気づく。
己の知る天界とかけ離れている事。
己の行くべきところではない事。
「...異なる星...。」
「は?」
彼はここを、天により与えられた異なる星であると理解した。
るぐにか、なる名を聞いて、この世界広しといえどそのような語句 聞いた事もない。
それにあり得んばかりのトカゲの形をした人種 民族 民達がいる。
故に彼はそうひとまずは結論付けた。
「いや、こちらの話だ。殿方には迷惑をかけてすまなかった。もう出てゆく...。」
自らの非を認め素直に謝り、とかく先を急ごうとせんとするその姿勢、流石に早とちりが出てしまったようだ。
「お、おい兄ちゃん!帰るならリンガ、よかったら買ってかねぇか?」
と、最後に足を止められた。
「りんが...ですと?」
と彼が再び怪訝に思いその物を尋ねると、
「これさ、真っ赤な熟れたリンガさ。あんた旅人だろ?なら、保存食としてもある程度効くぜ。
安くしとくから、安心しなよ。」
と、そういえばこの主人は露店をやっている、そして果物を扱っているようだと改めて認識した孔明。
そして店主が手で持ち上げた赤い初めて見る果実をマジマジと見つめる。
そして、
「...ぅぅむ...私も初めて見る...味はいかほどに。」
「そりゃー甘いに決まってんだろ。ウチのリンガはここじゃ一番甘ぇんだぜ?」
と自信満々に語る店主。
少々熟慮したのち、孔明はきちんと考えを巡らせていた。
ここは天命により私が再び生をえた異国の地...るぐにか王国なる場所の貨幣の流通を私は知らぬ...。
故に、
「これで買えるか、店主よ。」
と、銅銭20枚を懐から出した。
すると、
「なんだいこりゃ......確かに銅で鍛造されているが...ウチじゃ使えねーな。」
「では質屋はあるか。この銭を費用にしたいのだ。」
と、言うと店主は迷った末に
「うぅむ...わかった。
ここから東の都の外側に貧民街がある。そこのロム爺って奴に頼めば、何とか換金してもらえると思うぜ。」
「ろむ...爺なる者...しかと耳に入れた。感謝する。では私はこれで。」
「おう!今度は客として待ってるぜ!」
「私も、受けた恩を返しに来ましょう。」
孔明はこの店主と別れ、露店街を離れ、言われた通り東の門を潜り城下町外に出て貧民街なる所へと向かい始めた。
彼はまず第一に当面の費用、それからこの世 俗世の情報を集めることに徹底する事を決めた。
ここに彼が天命によって呼び出され、狂乱の挙句その事実に気がついたとき、彼は再び大業を天より与えられるかもしれんと予知し始めたのだ。
道中、周囲のるぐにか、なる王都とは違った下賤な臭いが立ち込める雰囲気、明らかに陰の集い場所といった感じであった。
若い子供達はみすぼらしく徒党を組んでおり、ここの場所の悲壮さが伝わってくる...。
だがそれでも足を休める事なかれ。
手を止める事なかれ。
目を安んずる事なかれ。
彼の急ぎぶりは異常であったが、途中貧民街を流れる川に目をふとやると、若返ったまだ幼き頃の15の自分の顔を見つめて、思わず驚嘆した。
即ち、彼は若返りまで頂いたのだ。
「これも天からの恵み...これで大業を再び成せようぞ...。感謝いたしまする。」
そうして、これも天の加護であろうか、足並み早く、異様な程疲れがなく、目はギョロリと見回し
耳は十里先の虫の音を聞き、足は走らばまるで西遼の馬、駿馬の如し。
彼は、誠に神の如し生まれ変わりを遂げたのであった。
だが、時は既に夕暮れに傾きつつあった...。
そして盗品蔵のロム爺にお目通りを乞うているのは、何も孔明一人ではなかったのである...。