今まで追いかけてきた白狼天狗は、俺が空を飛べるとは思っていなかったみたいだ。山に迷い込んだ普通の人間だと思い込んでいたのだろうか。もしこの白狼天狗が空を飛べないとしたらこの状況はかなりこちらに有利だ。上空からなら章さんを見つける事が出来るのかもしれないし、上手く行けばこの白狼天狗を撒けるかもしれない。
「今の内に、章さんを探すか」
ぼそりとつぶやいた言葉に白狼天狗は反応したらしく、白狼天狗はキッと俺を睨み、上空に飛び上がった。
「クソッ!逃がすか!」
上空へと飛びあがりながらそう叫ぶ。空中まで追ってくるなんてなんという執念だ。
「俺だって
「……文?」
白狼天狗の口から飛び出した言葉に、俺は眉をひそめた。なるほど、この世界にも文がいるんだ。そして、この白狼天狗は文から飛び方を学んだと。まあ同じ山に住んでいるのだからおかしいことは無いし、幻想郷最速を誇る文に飛び方を教わるというのはベストな選択だな。俺も文から飛び方を
白狼天狗は飛び上がった勢いのまま刀を振り上げてきたので、さらに高度を上げてその一撃を避ける。避けられたことに対して「ちっ」と小さく舌打ちをし、身体を反転させて追撃の姿勢を取る。
「お、おっと」
しかし、すぐに体勢が少し崩れてしまった。もしかして、まだ空中戦をやったことが無かったりして。空を飛べるようになって日が浅いのかな。まだ体が思う様についてこないみたいだ。
「……そう言えば、俺ってちゃんとした空中戦って初めてだったな……」
そう言葉を漏らし、体勢を建て直そうと体を動かした。
「なるほど……地面と空とではこうも違うんだな……集中を切らしたら駄目って事か……」
何とか体勢を整えると、気合十分と言った眼差しを向ける。やっぱりこの執念はすごいと思う。それと同時にうっとおしいと思うのだが。
「けど、直ぐに慣れてやるよ!」
空気を蹴るように足をバタバタと動かし、空を走り抜けるように一気に距離を詰めると、俺を超えてかなり上空まで駆け上がる。
「くらえ!」
その高さから体を縦回転させ、オーバーヘッドキックを叩き込んだ。
「くっ!」
頭上でクロスさせ、蹴りを防いだ腕に襲い掛かる衝撃の波。高速で回転したことによって生み出されたスピードと遠心力によって何倍にも膨れ上がった威力は、空気で腕を覆わなければ確実に骨が折れていたところだ。
「だから、少しは人の話を聞け!」
自分の話にちっとも耳を傾けない白狼天狗への苛立ちが爆発し、怒りの声音で叫んで攻撃を撥ね退いた。白狼天狗は空中で身体をクルリと一回転をさせ、懐から一本のクナイを取り出し、自分目がけて放り投げる。空中を一直線に飛ぶクナイを避けるのはたやすいのだが、ふとある仮説が頭をよぎった。
(そう言えば……さっきからあの白狼天狗の攻撃はクナイが起点となっている……。つまり、あのクナイになにかあるのか?)
そう、先ほどから白狼天狗が何度も投げつけてくるこのクナイに何か秘密があるのかもしれない。俺の不意を衝いた奇襲にも似た攻撃はどれも、クナイが放たれた後に起こっている。このクナイに秘められた何かが、この白狼天狗の攻撃の起点になっているのだろか。確かめてみる必要がありそうだ。避けるはずだった体勢を整えてクナイを人差し指と中指の間で受け止める。手にしたクナイには、特にこれといった術や印は無かった。ただの鉄製のクナイだ。
「特に違和感はないな……。これはただのクナイだ……」
予想とは違い、思ってる程に特別製ってわけではないようだ。じっとクナイに目を落として観察していると、直ぐ目の前に一つの気配が現れる。
「余所見なんて、随分余裕だな!」
突然すぐ近くで響いた声に驚愕し、声の聞こえた前方に目を向ける。視界に入った光景に、俺は思わず目を見開いた。そこには、自分から15m程の距離を空けていたはずの白狼天狗が刀を突き出そうとしていた。どうしてここにいるのか、その理由が全く分からなかった。特に油断していたわけではない。空気の流れに意識を向けていたし、ずっと警戒していた。クナイに目を落としていた僅かな時間に、どうして空気の動きを起こさず目の前に現れるのだろうか。脳裏に浮かんだ一つの仮説。到底信じられないことだが、この現象を説明するにはこれ以外に見当たらなかった。
「まさか、お前は空間移動の能力を!?」
そう、空間をあっという間に移動する空間移動の能力。所謂ワープ能力だが、この白狼天狗がそのような能力を持っていると言う事か。
「うおおおッ!もらったっ!」
猛り声を上げ、白狼天狗は手に握り締める剣先を突き出す。突然目の前に現れたショックで身体が思うように動かない。このままでは刀による一撃を食らってしまう。くそっ、仕方がない。
「すみません、紫さん」
俺を見込んで異文化交流を依頼してきたのに、その期待を踏みにじるようなことをして、本当にごめんなさい。そして天魔の颯希さん。許可証に書かれた条件を守れませんでした。
空気に意識を集中させ、スペルカードを発動した。
「空縛『エアーズロック』!」
「グッ!」
スペルカードを発動させることで、白狼天狗の身体の動きが止まる。突き出した剣先は、あと少し遅かったら俺のおなかを貫いていたことだろう。
「なんで、俺の体が……」
突然体の自由が奪われた白狼天狗はパニックに陥り、驚きを隠せないように目を見開いている。
「これが、お前の、実力かよ……」
力を振り絞り、無理やり開閉させた口でそう言い放つ。掲げた手を降ろしながら、じっと白狼天狗を見つめ、ふう、と息を吐いた。本当はこんなことしたくなかったんだけど、紫さんから託された異文化交流を無事に完遂するために天魔が出した条件は絶対に守らなければならなかった。しかし今、その条件を破り、手を出してしまった。
「元々君にこんな事をするつもりはなかったけど……すみませんね」
許可証を出し、山を散策することを許してくれた颯希さんと、今どこかから見ているであろう紫さんへの謝罪の言葉を述べ、動きを封じた白狼天狗から目線をそらし、背を向けた。
「それじゃあ。俺はある人を捜して直ぐに帰るとするよ」
もう、罪の意識を感じるこの場を早く離れたかった。それに、早く章さんを見つけないと。自分の後ろにいる白狼天狗に背を向けながら手を振ると、この場を離れようと進み始めた。しかし。
「待てよ」
短いが雄健ある声に、俺の動きはピタッと止まる。声の聞こえた後方へと振り返ると、その光景に少しだけ目を疑ってしまった。動きを封じたはずの白狼天狗はグヌヌッと全身に力を込め、空気の束縛を無理やり解き放とうとしていた。
「俺を、こんなので動きを封じられると思うなよ!」
おそらく体内の妖力を振り絞っているのだろう。でも、これは力任せに解くことなんてできない。
「無駄だ。君の力で俺のスペルを解こうとなんて、無理に決まってる」
「そんなの、やってみなくちゃ分からねえだろ!」
白狼天狗は怒号の声を張り上げ、更に妖力を高め上げ力を振り絞る。すると、驚いたことに先程まで1cmも動かなかった腕が徐々に横へと広がり始める。このスペルカードは鬼程度の力が無いと無理やり解くことは不可能のはずだ。それなのに、今、目の前の白狼天狗は自分のスペルカードを力任せに、妖力任せに解こうとしていた。それも、ただの虚勢ではなく徐々に体が動き始めていた。まさかこんな力が秘められているなんて。
「くっ!」
咄嗟に手を前に出して、ギュッと強く拳を握り締め、空気の束縛をより強固なものにする。しかし、自分の動きを拘束している力を解くことだけに力も、頭も、妖力を集中させているのか、負けじと動く腕。
「うおおおおおおおおっ!」
雄叫びを上げ、さらに力を込める白狼天狗の妖力は俺のイメージをはるかに超えていた。このままでは空縛「エアーズロック」が突破されてしまう。いや、もうダメだ。このままじゃあ…
「ちょっと待ったああああッ!」
「グホッ!」
突然耳に鳴り響く程の大声が聞こえた瞬間、天から猛スピードで何かが急降下し、その勢いのまま白狼天狗の顔面に強烈なドロップキックが叩き込まれる。目の前で起こった予想外の展開に呆気に取られ、は?という素っ頓狂な声を漏らす。地面へと落ちていく白狼天狗に呆気にとられ、再び目の前に視線を戻すとそこには2つの影があった。それは、こちらの次元の椛さんと、ずっと探していた章さんだ。
「もう。二人が山で色々と駆け回った所為で、二人の所に追いつくのに少し苦労したよ……」
落胆した様に文句を垂れ流す章。その言葉を聞き、章さんを探すために山を進んで行った作戦は逆効果だったと言う事が分かった。
「それはそうと章さん。その人が章さんが捜していた異世界からの来客なのですか?」
椛さんはまるで何事もなかったかの様に、章さんに小さく小首を傾げて問いかける。それに応えるかのように章さんはコクンと頷いた。
「そう。欧我君って言うらしいわ。こことは違う幻想郷から来た、所謂異世界人の」
「そうですか……」
章さんから視線を外した椛さんはじっと俺の顔を見つめる。こうしてじっくりと見てみると、俺の次元の椛さんと見た目や声の感じは全く一緒だった。椛さんの表情からして、直ぐに章さんの話を信用する事が出来ない様子だった。だが、章さんの言葉を信じようと決心した様に溜息に近い息を吐く。
「こんにちは欧我さん。私達の世界に遥々来てくださりお疲れ様です。私はこちらの幻想郷で白狼天狗第一部隊の隊長を務めています、犬走椛と申します。私の部下が大変非礼をしてしまったようで、申し訳ございません」
椛さんは小さく会釈をして自己紹介と謝罪をしてくれた。俺はあなたのことを知っているんだけどなと、若干戸惑った様に頭を下げる。でも、椛さんが白狼天狗第一部隊の隊長を務めているなんて知らなかった。こちらの次元の特色なのかな?
「ど、どうも、こちらの椛さん」
「こちらの、椛さん?」
俺の発した「こちらの」と言う言葉に怪訝そうに首を傾げる。その仕草を見て過言だったと口を直ぐに塞ぐが、その話は章さんに聞こえていたみたいで、面白がる様に椛さんの後ろから抱きつき、椛さんの頭に顎を乗せた。その表情はいたずらっ子のようなニヤニヤとした表情だった。
「へへえ?そっちの世界には椛ちゃんが存在するんだ。私と颯希ちゃんは居ないのに。で?そっちの世界の椛ちゃんってどんな感じ?こんな性格?可愛いの?彼氏とかいるの?」
「ちょっと章さん!?」
「え、えっとですね」
「いや、欧我さんも律儀に答えなくて大丈夫ですから!」
こちらの世界の椛さんも確かに可愛いけど、こんなふうに強気な性格だったっけ?章さんが一通り椛さんを弄った後、椛さんは話を戻そうと咳払いをする。若干顔が赤くなってないか?
「それでは、この後の欧我さんの方は章さんに任せますので、私は馬鹿終夜に少し
「うん。頑張ってね」
「は、ははっ……」
笑顔で手を振る章さんとは裏腹に、俺の顔は少しひきつっていた。椛さんの笑顔と言葉の裏を感じた俺は小さく手を振った。椛さんってこんな性格だったっけ?
「では」
椛さんは小さく頭を下げると、地面に降下した白狼天狗の後を追って凄い勢いで急降下していった。その時の椛さんの表情をちらっと確認出来たが、悪魔のような形相をしていて、それを見て思わず眉をヒクヒクさせてしまった。
「ごめんね欧我君。私の不注意で、大変だったでしょ?はいこれ」
そう言って章さんは一枚の紙を差し出す。小さく折りたたまれたその紙は、颯希さんから発行して貰い、章さんに預けたままになっていた妖怪の山を自由に徘徊出来る許可証だった。しかし、俺はその許可証を受け取る事が出来なかった。
「どうしたの欧我君。そんな申し訳なさそうな顔をして?」
罪の意識を感じ、章さんから目線をそらすようにして少し俯いた。
「すみません……もう、自分には必要ないと思います」
「なんで?」
「だって、自分は許可書に書いてある事を反してしまいました。だから、自分はそれを受け取っても特に意味がありません」
許可証に記されていた条件である『妖怪の山に危害を加えるな』と言う項目を守る事が出来ず、この山に住む白狼天狗にスペルカードを使ってしまった。つまり、この山に危害を加えてしまった。いくら自分から勝負を仕掛けなかったとは言え、元はと言えば自分が章さんに許可証を預けてしまったのが原因だった。自分のミスでこのような結果になってしまったので、もうその許可証を持つ資格は無い。
「もう。欧我君は真面目過ぎだよ」
「うっ……」
自責の念に駆られていると、不意に章さんの声が聞こえ、おでこをピンとはたかれた。いきなりされたデコピンに驚き、目線を上げると、章さんは俺の肩に手を乗せて優しい笑顔を浮かべていた。
「今回の原因は私にあるし、欧我君が気にする事じゃないよ。それに、後で終夜君に偽造の報告をさせる様に言うから、今回の件はノーカンだよ」
そう言い、ニシシッと軽薄な笑みを浮かべる章さんを見ていると、何故だかわずかに自責の念は薄らいだ。言葉の内容は少しあれだが、その心遣いが本当にうれしかった。
「だから、ほら……なんて言ったっけ……。えっと、そう!黙るが仏って言うじゃん!」
自身満々にふくよかな胸を張って告げる章さんに、俺は不思議と小さく笑みを浮かべる。何だろう、おおらかと言うか、優しく包み込んでくれるというか、そう言った雰囲気を醸し出す章さんと一緒にいると心が安らぐ気がする。少々頭のネジが外れているかもだけど。
「それを言うなら、知らぬが仏、ですよ」
「あれ?」
章さんと向かい合い、一緒に笑い合った。その笑顔や笑い方は俺の知る文と似ていた。おそらく、文に似た表情、笑顔に安心感を抱いているのだろう。文は今、元気にしているのだろうか。早く文に会いたい。ホームシックなのかな、これは。
「はい、これ」
「ありがとうございます」
章さんは優しい笑顔を浮かべながら再び許可証を差し出し、俺は笑顔で受け取った。今度は、その許可証を受け取ることに抵抗は感じなかった。
「さあ、行きましょう!お膳は急げよ!」
「章さん、たぶんだけど「善」の漢字が違いますよ」
「あれれ?」
笑いあいながら、一緒に山菜採取を再開した。ほとんどを戦いでぶちまけてしまったから、最初からやり直しである。みんなに美味しい料理をふるまうために、気を取り直して頑張ろう。
「ぎゃあああああああああああああ!!」
不意に椛さんから
それにしても、終夜君ご愁傷様です。