東方短編集   作:slnchyt

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戦利品

―戦利品―

 

 

 

射命丸文。お前が嫌いだ。

 

 

 

私には我慢ならないものがある。一つは腰抜け、もう一つは――烏天狗だ。特に、文という奴は。

 

口から先に生まれたような女だ。とにかく白狼天狗である私を馬鹿にする。直接的な中傷ならまだいい。回りくどい言い方でいつも煙に巻くのだ。結局最後は喧嘩別れだ。…しかしそれも、僅かな間。奴はやってくる。この繰り返しを何度続けた事か。飽きないものだ。お前も、私も。

 

…どうでもいいが、私達の関係は白狼の間で話のタネになっているらしい。しかも私とあいつは関係を疑われているとか。とんでもない話だ。私とあいつがねんごろなら、太陽と月だって握手する。今日もあいつはやって来る。追い返す。もう何月、いや何年繰り返したかはわからない。

 

――まあ、慕われるのは悪い気分ではない。正気を疑われるそれも、確かに私の中で裂けた骨めいて引っかかっていた。

 

 ◇◆◇◆◇◆

 

その日も私は、歩哨をしていた。退屈な任務だ。監視は退くまでが仕事だ。全力で戦う事も出来やしない。そうしていると、あいつはやってくる。――ほら。私の勘は要らない所でばかり発揮される。…せめて、何らかの戦いに役立つような技能でも磨かれないものか。顔が険しくなる。

 

「お利巧にしてましたか、ワンころ」私は無視した。無視した所で、事態が好転した事はない。だが、少なくとも悪い方には転がらない。「今日はお土産を持ってきましたよ。そら、骨ガム」私は無視した。「おや、無下になさる」袋から取り出したそれを、片手で弄ぶ。

 

「要らないなら食べてしまいますがねェ」馬鹿な事を。烏天狗の顎の力で噛み切れる代物ではない。「ん~、ヤムヤム」――待て。今、何が起きた?「おや、欲しくなりましたか? 駄目ですよ、これは私のです」文はにやにやしながら、それを食いちぎった。視線を向ける。…目が合った。

 

「まあネタ晴らししますと、ソフトタイプでございますね、これ」スルメ、と書かれた袋を差し出す。「よもや、腰が抜けなさる?」そんなはずがあるか。私は文から袋をひったくると、一本取り出して噛みついた。確かに歯ごたえがない。こんな生温いものでは白狼の口に合わない。

 

「実はもう一つあるんですよ。これは本物」文は鞄から袋を取り出した。「要ります? 要るでしょうね。不満顔がわかります故」やにわに投げ渡されたそれを、私は受け取った。捨てるのは勿体ない。それだけの理由だ。決して奴に乗せられた訳ではない。「お礼は?」「言わない」

 

奴から勝手にしてきた事だ。私からすればどうでもよかった。「――いやはやまったく、しつけが悪い」文は腕を広げ、首を振ってみせた。「お仲間は喜んでお礼を言いましたがねェ」あいつらはプライドというものがなさ過ぎるんだ。そんな風だから忠実な犬扱いされる。

 

「あなたがそういう人なのを私は重々承知しておりますからね。他所でやってはいけませんよ?」少なくともお前に対してだけだよ。「まあまあ、実はもう一つ用事はありまして」「三回まわってワン、ならお断りだ」放っておけば延々弄ばれる。「そこまで自分を卑下なさる?」

 

「まあ、ちょっとした出世話ですよ。堅物のあなたも、興味がないとは言いますまい?」…まあ、ある。名声には貪欲なつもりだ。立場が上がれば白狼の長に戦いを挑んでみたいとも思うし、待遇が良くなれば余暇が増える。それだけ修練に費やす暇が増える。悪い話ではない。

 

「なくはないな、くらいの顔ですね。まあ、よろしい。これから話すのは内密です。私以外の誰にも話してはいけませんよ」文が釘を刺してきた。どちらかと言えば、珍しい。いつもは何でもない事を延々とくっちゃべっている。「あなた、飯綱丸ってご存じで」「…大天狗?」

 

「そう、そいつです。いやはや、飯綱丸は少々敵を作り過ぎたようで」文は笑っている。「しかして武力で負けたとあっては、己が名に傷が付くのは必然。何としてでも勝たなければならない」「…戦いになるのか?」「ええ、それもとびっきりの」文は扇を斜めに振り下ろして見せた。

 

「その為の御付きが足りないそうで、人材を引き抜きにかかったのですよ。腕が立ち、少なくとも裏切らない」文は扇で風を繰っている。「至極都合のいい駒ですが、さもなくば御付きは務まらない」「そんなに必要なのか?」「必要かと言われれば、イエスです。それも一刻も早く」

 

「あなたは白狼でも上から数えた方が早いくらい、腕が立つそうじゃないですか」すばらしい、と文はお世辞を言った。別に、普通にやっていたらこうなっただけだ。「それで私に、御付きへ加われと?」「それ以外に用事はありませんね」「…私に務まるか?」礼儀作法なんてわからない。

 

「いいんですよ、ぶっちゃけ傭兵みたいなものです。あなたは裏切らない。だからこの話をお持ちした訳です」「傭兵、傭兵か…」「勝てば金も女も思うがまま――なんて、言ってみたかっただけですが」複雑に繰られた風が四散した。その様子を私は見た。相変わらず、器用な事だ。

 

「さて、あなたがこれを受ける前提で私は予定を組んでいます」「…私の意思は無視するのか?」「無視ではありません。もはや決まっているのですよ」そう言うと文は――唐突に繰った風の刃を、背後の木へと叩き込んでいた。ギャァ、と声がし、白狼が一人、木々の合間に落ちていく。

 

「私はどうにも人気者らしく。あなたもそうなりますよ、椛」文の顔が、少しばかり真剣な色を纏ったように見えた。私も剣を抜き、文と背中合わせになる。周囲にいくつかの気配を感じた。今まで気付かなかったのは、この不良天狗と話していたせいか、或いは相応に実力のある相手なのか。

 

「烏は任せなさい。あなたは噛みつく悪い子を」言われなくてもそうする。烏との地力の差は覆しがたい。十人でかかっても相打ちに持ち込めるかどうか。「さあ、私と遊びましょう!」文が飛び出した。オトリだ。私は木陰で息を殺す。これ幸いと飛び出したのは烏が二人、白狼が五人。

 

一人に仕向けるには明らかに多すぎる。きっとあちこちでこんな事をして、返り討ちにしてきたに違いない。私は五人目が背を向けた瞬間に飛び出し、背後からそれを襲った。一人を斬り倒し、一人を蹴り落した。あのくらいなら死にはしない。振り向いた三人の内、一人の剣を弾き落とした。

 

丸腰で戦うほど白狼は馬鹿ではない。噛みつく間もなくそいつは逃げ出し、残りは二人。たった二倍だ。私を止めるには少なすぎる。一人の剣を受け、押し返すと同時に打ち払った。剣が閃きながら落下していく。――だが、馬鹿はいた。四人目の白狼は、私に噛みつこうとしたのだ。

 

手甲でそれを受け、顔を蹴り飛ばす。良い根性をしているが、それは又の機会にしてくれ。最後の白狼はもはや戦闘の意思を見せなかった。剣を叩き落とし、その場に放置した。こいつを倒す事が目的ではない。上を見やれば、文が一人目を撃ち落とした所だった。二人目の動きも芳しくはない。

 

私は剣を握り直し、烏に向けて飛翔した。白狼は貪欲だ。烏を倒したとなれば、否が応にも名は上がる。名声は力の証明だ。烏に勝つ。それが私にとっては重要だった。反撃を許さず、一撃で決める。速度に任せ、私は必殺の突きを放った。烏は背を向けていた。かわせるはずがない。

 

…そう。はずだった。烏は背を逸らせて突きを回避すると、手刀で私の剣を叩き落とした。まずい。そう思った時には遅かった。私の身体は掴まれ、烏の前へと突き出された。文の繰った必殺の刃が迫っていた。「ちいッ!」風が四散する。烏は用済みとばかり、私を強烈な脚で蹴り落した。

 

堕ちる間に、空が見えた。文が放った風の槍が、烏の身を引き裂いた。烏は退散していく。追撃は既に届かなかった。――なんてザマだ。白狼は所詮、白狼だと言うのか。結局は文の隙を作ってしまった。私のせいだ。仲間も私を嗤うだろう。私は、…私は弱い。負け犬だ…

 

背中に受ける激しい衝撃。バキバキ鳴るのは木々の呻き。意識を保ってはいられなかった。私は自己嫌悪の中で、正体を失った。

 

―――

 

  ―――

 

「あなたの気概は認めますがね」文は私の頭を二度、叩いた。「それでぼろくずになられては、私の予定も狂うわけですよ」何かをメモしている。時折頭を掻いては、ペンを手で回していた。「まあ、そのくらいなら寝ていれば治るでしょう。そのくらいなら、ね」含みのある言い方だ。

 

「――あの時、私が止めなかったら…。死んでましたよ。あなた。確実に」再び頭を叩いた。「そんな寝覚めの悪い事はお断りですがね」私の呻きに、文は答えた。「ともかくあなたは生きている。生きているからラッキーです。汚名返上のチャンスもあるでしょう」汚名返上。…そうだな。

 

「まあ、養生なさい。数日中には迎えに来ます故」そう告げると、文は部屋の窓から飛び去っていった。扉から出ろよ。――結局私は、白狼のねぐらに叩き込まれていた。怪我人はまあ、日常的に出る仕事だ。ヤブなれど医者もいる。痛み止めに酒を勧められたが、断った。それは消毒液だ。

 

私が急患用ベッドで寝込んでいると、周囲にはねぐらの白狼がぞろぞろと集まりつつあった。何をするかと思えば、戦いの話をしろと言う。…急かされては仕方がない。私は誇張を交えず、正直にそれを話した。五人を倒した事を、烏天狗に倒された事を、その他はまあ、色々だ。

 

烏に喰いついた件については、実際の所、かなり好意的に取られていた。確かに、滅多にできる事ではないが。私が倒した連中は、ここにはいない。子飼いという奴だろう。大天狗や、それなりの力を持つ烏天狗は白狼を自由に扱える。公正に扱われるかは、まあ主人によるだろう。

 

傍の上着から、骨ガムの袋を取り出す。しばらく考えて…ソフトタイプにした。今の私で噛み切れるかわからなかった。悔しくはある。後悔もしただろう。だがそれは、後から雪げばいい。生きている限りはチャンスがある。文の言う通りだ。齧る骨ガムは、やはり歯応えがなかった。

 

―――

 

  ―――

 

「あなたはほとほと頑丈にできておりますねェ」文は肩をすくめた。「白狼はそういうものだ」「それが答えは疑問ですが――まあ、いいでしょう」私の肩を叩いた。もう痛みはない。傷は癒えた。「多少は心配しておりましたが、馬鹿を見ましたね」「…心配したのか?」「ええ」

 

文は扇で口元を隠した。「あなたの事を高く評価しているのは、何も強さや忠実さではないという事ですよ」「とかく遠回しだな。お前は」私も肩をすくめた。「――私が心を許せるのは、あなただけですから」「…なんだって?」問い直した私と文の間に、荷車が割り込んでいった。

 

剣を持てない白狼が戦の準備で駆けまわっている。私は渡されるまま、左肩に青と白で染められた外套を巻いた。敵が天狗なら味方も天狗だ。これがなければそこら中で同士討ちになってしまう。周囲を見渡す。ここは御所の外庭。弓矢を持った白狼が居並ぶ。烏には通じないだろうが…

 

敢えて迎え撃つ形になったのは、単純に向こうの戦力が上だからだ。大天狗の御所はそもそも戦を想定して造られている。動員された河童の火砲もある。地の利もあった。リスクのある選択ではあったが、大天狗はそれを選んだ。いざとなれば逆侵攻もかけようというのだ。

 

「戦士にとってこの時間は、とても高揚するものでしょう」扇子をひらひらとしながら文は続ける。「あなたもそうですか?」「私は――そうだな。戦いたくて、うずうずしているかもしれない」剣に触れ、撫ぜた。「私は――いえ。あまりそういうのは、感じないタチですな」

 

「――あれほど強いのにか?」意外だった。てっきり好戦的なものだと。「まあ、戦っている最中はそうかもしれませんが。今はその気がしないと言いますか」「何故だ?」戦えるものが、戦わない理由はわからない。「何と言いますか。…守るべきものがあると、やりにくいんですよ」

 

「そういうものか」私はそれを大天狗と解釈した。或いはそうではなかったのかもしれない。私から目を逸らした文は、何処へともなく飛び去った。私の準備は既に整っていた。ありふれた剣、小盾と手甲、腰に留めた数本の短刀、そしていつぞか文に押し付けられた、得体の知れぬ御守り。

 

前衛に出る白狼は大体同じ装備をしている。違いは力量の差と、時の運だけだ。私にはそれを引き寄せるだけの実力があるはずだ。白狼は貪欲だ。戦いに勝つ為なら、いくらでも力が欲しい。富を、名声を、そして強さそのものを得たいからだ。私もそうだ。戦うのが好きだ。力を得たい。

 

やがて日は傾き、夜がやって来る。宣戦布告で定められた時間は、もうすぐだ。月の光が周囲を照らす。決して視界が良いとは言えないが、それは敵も同じ事。どんな時でも戦えるよう修練したのは、或いは今日この場の為だったのかもしれない。そんな事を考える。

 

―――

 

  ―――

 

――時間だ。戦場に笛の音が響く。敵の号令に違いない。私達は競うように御所を飛び出した。しかして、火砲の射程範囲に入ってはならない。私達の魂胆を知ってか知らずか、敵は真っ直ぐに御所へ向かって来ていた。河童達の号令が聞こえた。――さん、に、いち、ふぁいあ!!

 

飛び出した砲弾は空中で弾け散り、無数の水弾に変わる。烏はそれを風で弾くが、白狼はそうはいかない。多くが粘液に巻かれるが、それでも数の差は圧倒的だ。火砲の一つに烏が取りついた。慌てて逃げ去ろうとする河童の目前で、破壊された火砲が爆発した。状況は良いとは言えない。

 

私はと言えば、御所に取り付こうとする白狼をひたすらに迎撃していた。数が減らない。味方の白狼も徐々に墜落していく。烏は見逃す。今の私に敵う相手ではない。御所から飛び出した味方の烏がそれを迎撃する。未だ侵入は許していない。いつまで持つかは、わからない。

 

その時だ。月明かりに独特な影が浮かんだのは。それはいつぞ見たプロペラに似ていた。或いはそのものだったかもしれない。しばし滞空したそれの傍から閃光が閃く。千里眼で、私は見た。敵も河童を動員していたのだ。水流の主は飛翔体。何するものか、今の私には想像がついた。

 

火砲の迎撃は間に合わない。飛翔した物体は御所の壁にぶち当たると、激しい爆発を起こした。壁に大穴が開く。まずい。そう思った時には多くの烏が、白狼が、内部に侵入していた。何とか割り込もうとするが、前に烏が立ちはだかる。味方の烏は他の烏と戦っている。手一杯だ。

 

やがて烏は穴へと飛び込んだ。私は任務を放棄し、それを追う。今はもう迎撃などと眠い事を言っている場合ではない。大天狗を押さえられれば、私達の負けだ。御所が幾度も揺れる。飛翔体が次々に打ち込まれているのか。私が廊下を抜けようとしたその時、実際それは襲ってきた。

 

激しい衝撃と共に壁は抜かれ、目の前が粘液に包まれる。ひるんでいては間に合わない。私はまみれた廊下を飛び越え、階段を駆け上った。――そこには敵がいた。先へ、先へと駆けていた。私はその背中を見ている。追いつけたのだ。烏の姿はない。奴らはあまりにも、素早い。

 

私は追いすがった。廊下を駆ける白狼に短刀を投擲し、武器を蹴り飛ばす。ここにも馬鹿がいた。噛みつこうとする肩を掴み、前方の白狼に投げつける。将棋倒しになった白狼は揉み合いになる。私はその身体を踏み越え、進んだ、大天狗の居所はすぐだ。…間に合え、間に合え!!

 

グワッシャアアアン!! 目前のガラス戸が砕け、中から烏天狗が飛ばされてきた。咄嗟に扇を砕いて無力化すると、開いた扉から中を見た。倒れ伏した敵味方の中に、文がいた。大天狗の傍で風を繰り、後から後から現れる増援を、破裂するかのような風の結界で叩きのめしている。

 

「遅いですよ、椛!」「こっちにも都合がある!」どれだけの白狼を相手にしたと思ってる。しかし文の言い分もわかる。この場をたった一人で防戦していたのは想像に難くない。白狼が飛び掛かってきた。剣が盾で弾かれる。咄嗟に足を払って、斬り倒した。

 

「もう少し、向こうで戦ってくれればなお良かったんだが」肘掛けに腕を預け、大天狗が言った。「悪いが今回は、私が直接戦う訳にはいかんのでな。真正面から宣戦布告されれば、致し方ない」やれやれ、と大天狗は肩をすくめた。私に政治の話はわからないが、そういうものなのか?

 

風は大天狗を護り続け、そして侵入者を拒み続けた。合間を縫った幾人目かの白狼を斬り捨て、風がそれを外へと追い出した。侵入者の数は、ようやく少なくなってきた。やにわに風が止む。「このくらいにしましょう」味方の烏と白狼が駆けこんできた。後は任せても大丈夫だろう。

 

――味方の烏の集中攻撃で、窓の外、プロペラの主が撃墜されるのを見た。放っておけば次に何を繰り出してくるか、わかったものではない。ふと、知り合いの顔を思い浮かべたが、やめた。味方かもしれないし、敵かもしれない。感傷に浸るには、今はまだ早すぎる。

 

「行ってこい、文」「言われなくとも」文は窓から飛び出した。私は戸口からそれを追う。烏はやはり、疾い。特に文はそうなのだ。あいつの武力は尽きる事がないようにも思える。…その時だ。森から飛び出してきた一団が、文に喰らいついたのは。烏もいる。

 

若干の間、文の進行が止まる。しかしてそれは大した規模ではない。敵は文に近付けもしない。…しかし、新たに一団が現れる。これは恐らく、文を留め置く為にだけに置かれた連中だ。文とて全周へ無限に風を繰れる訳ではない。完全に足止めされ、被弾しかけているようにも見えた。

 

私は飛び込んだ。団子になって弓矢を放つ白狼を背後から薙ぎ払い、少なくとも一方向への壁を担う。身構えていれば烏にとて、一撃でやられる事はない。そのはずだ。…しかして私達は前に進む事ができない。防戦に回った烏の風は、城壁よりも堅牢だ。風の壁が幾重にも重なる。

 

「射命丸文。お前が嫌いだ」私達は背を合わせ、敵に向き直った。「お前は高慢だ。いつも無茶をする」「たまには自分を顧みなさる?」白狼は貪欲だ。或いは私のそれは、如何にも欲深いかもしれない。それが悪いか。私は誰も負ける訳にはいかないのだ。剣を握る手が、きしむ。

 

「剣をお貸しなさい」言葉もそこそこに、文は私から剣を奪い取った。「あなたに力を」私達の周囲を、風が渦巻いた。文が撫でた刀身が一瞬光ったような気がした。同時に、文の身体も。何が起こっているのかは理解できなかったが、文は剣に――いや、私に何かをしようとしている。

 

「私の一部をこの剣に込めました」渡された刀身には風が渦巻いていた。軽い。まるで重さがなくなってしまったようだ。これはまさしく、風の剣だ。すべてを斬り裂く、疾風の刃。「あなたなら使いこなせるでしょう、椛」文は口元を隠した。目は、もう笑う余裕を失っていた。

 

「お礼は?」「…ありがとう」他に気の利いた言葉は見つからない。「さあ、正念場ですよ。椛」「わかっている」自ら打って出るのだから、地の利ははない。遮るもののない森上。熾烈な戦いになるだろう。あれほど倒されたにも関わらず、空中の影が減ったようには見えない。

 

白狼の一団が私に向かってくる。如何にも数が多い。十人はいるだろう。それだけの数が必要と踏んだか。高く評価されるのに悪い気はしないが、この程度なら大した事はない。それに、この風を試すチャンスでもある。驚くほどに身体が軽い。私は烏めいて瞬時に距離を詰めた!

 

私が薙ぎ払った剣は、白狼の剣を真っ二つにへし折った。すかさず蹴り落とす。無駄に死なせる事はない。言い訳はつくはずだ。次の白狼を盾ごと打ちのめす。次々と白狼を――しかし私は唐突に危機を感じ、振り向きざまに剣を弾いた。私の後方にいた白狼の剣を、剣の鍔で受ける!!

 

剣が風を巻くと、逆に相手の剣がぼろぼろに風化していく。それを盾で殴り飛ばすと、私は駆けた。今なら烏天狗にも負けない。速度さえも互角。飛来した鉄の矢を切り払う。懐に飛び込み、袈裟懸けに斬る。弓がばらばらになる。驚愕の顔を踏みつけて駆ける。駆ける! 駆ける!!

 

一瞬、文の方を見た。――あり得ないと思った。しかし文は、明らかに苦戦していた。烏が五…七…いや、もっとだ。周囲の烏はすべて投入されているのではないか。上下左右、ほとんど全周囲を囲まれた状態だ。もはや風の球体を繰って身を守るしかなくなっている。

 

私は迷った。あの数を攻めきれるだろうか。またあの時のように、打ちのめされるのではないか。――考える必要はなかった。名誉が欲しい。白狼は貪欲なのだ。剣を包む風が烈しく渦巻いた。風に乗って、私は飛び込んだ。まずは一部分を剥がして、文が動けるようにしなければならない。

 

「退け――ッ!!」私は目の前の烏天狗に必殺の突きを見舞った。あの時よりも遥かに疾く、鋭い突きだ、烏は上体を反ってかわす。その時を待っていた。私は崩れた態勢に渾身の薙ぎ払いを捻じ込んだ。風を蹴り、一回転した私の前で、烏は――それを避け切れず、遥か下へと吹き飛んだ!!

 

烏がこちらを見た。そうだ、こちらを見ろ。私は吹きすさぶ風を推進力にしながら、周囲を逃げ回った。風の壁が私を圧し潰さんとする。それを薙ぎ払って相殺し、更に引っかきまわす。そうだ、お前達は最も危険な敵から目を逸らした。それが最悪の選択と、思い知らせてやれ、文!!

 

――周囲に竜巻が巻き起こる!! 烏らは慌てて向き直ろうとするが、遅い。風の壁を繰り損なった半数が、竜巻に切り裂かれて墜落していった。「私をごらんなさい! 今宵の記事はセルフィーです!」訳の分からない事を叫びながら、文は風の暴虐を放ち続けた。もう大丈夫だろう。

 

それからも、私は敵を倒し――いや、刈り取り続けた。風の力はそれほどに圧倒的だった。…だが、それも永久に続くものではないようだった。急に剣の重さを感じた。飛翔速度が落ちる。終わりを悟った。弱々しく渦巻いていたそれは私の目の前で四散し、後には何も残らなかった。

 

――惜しくはあったが、あくまで借り物の力だ。ここからは私自身でなんとかする。白狼の一団に食いつき、散り散りにさせた。白狼相手なら、少々の事では負けやしない。…白狼が、相手ならだ。突然に叩き込まれた弾丸。私は間一髪切り払うが、それは牽制に過ぎなかった。

 

風の槍と共に、鋭い、あまりにも鋭い手刀が振り下ろされた。接近を視認する暇もなかった。私はそれを受け――弾かれようとする剣を、必死に抑えた。後続の槍が私を襲う。私は一か八か、手刀に抵抗するのをやめた。圧された身体が一回転する。私は態勢を立て直さなかった。

 

その流れのまま、烏の顔めがけ踵蹴りを入れる。それは扇で軽々と防がれたが、少なくとも追尾する風の狙いを逸らす事はできた。二度の手刀を後ろに飛び避け、距離を取る。私の中には恐怖――そう、恐怖だ。恐怖は巡る。無様を晒すのではないか。…負け犬のまま、死ぬのではないか。

 

風の加護はもう、ない。文の力は借りられない。「…やってやるさ」私は剣を構えた。烏は扇子を握った。周囲の何者も、私達を邪魔しようとはしなかった。じり、と睨み合う。烏の考えはわからない。或いは私を嘲笑っているかもしれない。それでいい。貴様はその傲慢で、死ね。

 

――何の合図もなく、しかして同時に仕掛けた! 烏は風の槍を三本、同時にその中心へ風の螺旋を一つ投擲した。前方に逃げ場はない。だが、私は退かない。退いてはならない。前進し続けなければ距離を取られるだけだ。そうなれば、有効な飛び道具のない私は嬲られるだろう。

 

それは、あいつの得意とする戦法によく似ていた。ならば、弱点も同じはずだ。私は槍の中心に飛び込み、螺旋を斬り――払った! 槍は私の傍を掠め、中心に居た私を烈しく押し出した。一気に距離を詰める。烏は引こうとするが、今この時だけは私が疾い。ここは、私のあぎとだ!

 

風の壁が巻き起こる。無駄だ。文のそれを飽きるほど見たのだ。弱点はわかる。私は剣を握り直し、突きの態勢を取った。風は風を相殺する。ならば剣はどうだ。私はその答えを知っている。一点突破だ。これが通じないなら、私はそこまでの白狼だ。限界以上の速度を帯びて、飛び込む!

 

風の壁が、私の身を烈しく裂いた。だが同時に、剣は風の間を貫通し、先端が烏の扇を破壊していた。烏が逃げる。遅い! 私は烏の背中に向けて、己の剣を投擲した。刃が背中を激しく裂いた。烏にもはや戦う力は残されていなかった。私の目前で、烏は無様を晒し、墜落していった。

 

――実感はなかった。喜べる状況でもなかった。私は手近な白狼を締め上げて剣を奪うと、文の元へと向かった。もう、助けは必要ないかもしれないが、どうだろう。…心配だったのかもしれない。全身から血を零しながら、私は飛んだ。戦の剣戟は収まり、夜影も少なくなっていた。

 

「無事か」「このわたくしが無事でないとでも?」文は風の暴虐で白狼を、烏を、烈しい風で叩き落としていた。「さっきのお礼は?」「…ありがとうございます。これで満足ですか」「ああ、十分だ」私はその近くに寄り、風を抜けてくる白狼や烏を牽制した。隙を見せれば、文が堕とす。

 

――戦場に笛の音が響いた。それは二度、鳴った。敵に向き直り、刃を構えた。睨み合い。睨み合いだ。それは一瞬だったかもしれない。烏が飛び去り、白狼がそれを追った。敵は撤退したのだ。今にも崩れ落ちそうな気分だった。急に傷の痛みを感じた。私は剣を下ろし、大きく息を吐いた。

 

「終わったな、文」私は振り向きながら、ねぎらいの言葉をかけた。文はそこにはいなかった。私は咄嗟に空を駆けた。文の身体は落下していた。「文!」私の速度で間に合うかはわからない。共に墜落してしまうかもしれない。それでも今は、今だけは間に合ってくれ!!

 

――願いが通じたのか、私は文の身体を捕まえる事ができた。そのまま前で抱え込み、木々の切れ目から墜落寸前で地面に降り立った。文は目を覚まさない。たった一人で何十、何百の敵を相手にし続けたのだ。どうしようもなく疲労が溜まっていただろう。心の中で、労をねぎらった。

 

―――

 

  ―――

 

文を寝かせ、私は傍らに座った。…少し思いついて、私はその頭を膝に乗せてやった。目を覚ますまではこうしてやろう。周囲は静かだ。今の今まで戦いの場であったなんて、誰も信じないだろう。稀に人影が浮いては、敵味方双方の陣地へ飛翔していく。居残りだ。私達と同じく。

 

「もうしばらく、こうしていたい」文が目を覚ました。「いくらでも」「――ありがとう」文は呟き、目を閉じた。このまま寝かせてやるのもいいか、と思った。――やがて、夜が明けようとしていた。そろそろ戦場のゴミ漁りも現れる頃だ。「もう少し」お前も欲張りだな。

 

「射命丸文。お前が嫌いだ」私は膝の上の頭を撫でた。「嫌いであるなら、今から好きになれるという事だ」文は目をつぶったまま、私の事がをじっと聞いていた。「私はあなたが好きでしたよ」息を吐き、文は言った。「好きであるなら、もっと好きになれる」…屁理屈だ。お互い。

 

「お前はよくやったよ」足を組み直しながら、私は褒めた。心からの台詞だ。「ええ、やりましたとも。幾千万の天狗をちぎっては投げ、ちぎっては投げ」「早速誇張が入ってるぞ」文の頬に触れた「何か欲しいものはないか。とは言っても水くらいだが」私は荷物を漁った。…御守り。

 

「おや、持っていてくださった?」文の声は嬉しそうだった。「私の羽根が入ってるんですよ、それ。烏の間ではよくやる事です」そう言うと――しかし急に戸惑ってしまったように見える。「それはですね、愛する人に渡すものなんです。何も言わずに、あなたへ渡してしまいましたが」

 

「少しばかり戸惑うぞ、それは」実際の所、戸惑ってはいなかったが。何となく、そんな感じはしていたんだ。嘘こそ吐くが、お前はいたずらでこんなものを渡すようなひねくれものではない。「――さて、私はあなたから頂けると申しましたね?」文は起き上がり、しめやかに隣へ座った。

 

「それなら――ご褒美に、王子様のキスをば頂きたく」文はニヤニヤと笑っていた。しかしそれが、冗談の類でない事は、私にはわかっていた。「――わかった」私は文をそっと抱き寄せ、優しくキスをした。文は頬を、そして耳を赤くした。如何にも余裕のなさそうに顔を逸らす。

 

「なんだ、随分と初心な反応だな」「…あなたこそ、随分と手慣れておりますな?」「白狼だってそのくらいはする」私はニヤニヤ笑いを返した。私とて、色恋沙汰に首まで浸かる事はある。大抵は、泣かせて終わりだったが。剣に生きる私は、誰かと愛し合うには向いていないようだ。

 

「キスまでしたんだ。…今更、お前と離れるのは辛いぞ」私の言葉を、しかして文は想像していたに違いない。「私もです。…初めてのキスを、奪われてしまいましたからね」「初めて?」…嘘だろ?「誰も奪ってはくれませんでしたからね。不良在庫です。不良在庫」

 

なくなってせいせいしました、とお前は笑っていた。…しかして本当は、辛いのではないか?「私で良かったのか?」「あなたが良かったんです」口元を隠し、再び笑った。その笑みを塗り潰すべく、私はもう一度、唇を奪った。辛い時は、笑わなくたっていいだろう。

 

「白狼は貪欲なんだ」唇を離し、その身体を折れよとばかりに強く抱きしめる。「お前が欲しくなった」目を逸らさせはしない。「お前が欲しい」気の迷いで片付けさせはしない。「お前を奪い取ってやる」もう、お前は私のものだ。――誰にも渡さない。

 

「――烏と白狼は、一緒になれませんよ?」「方法はあると聞いた」実際、ここ百年でも皆無ではないらしい。「あれはそうですね、御付きに取り立てる事で間接的に娶るといいますか…」文は難しい顔をしていた。しかし、これは嬉しくもあるのだ。長い付き合いだ、そのくらいはわかる。

 

「なら、そうすればいい」「口で言うほど簡単じゃありませんよ」文は人差し指を合わせ、指を上下に動かした。「口で言うのは大得意だろう? ならば、それは簡単なものだろう」私の屁理屈に、文はしばらく固まっていた。実際の所、文が言うほど、私は堅物ではないのかもしれないな。

 

「――考えておきます」「今決めろ」「…はい?」「今、決めろ」私は文の手を握った。「躊躇うなんてガラじゃないだろう」「いえ、その…待ってください」「待たない」私はきっと、悪い顔をしていた。慌てふためく文を見るのは、或いは初めてではないか。これはこれで、面白い。

 

「わかりました。わかりましたよ。私の負けです」文は肩をすくめ、手を――という、予想していた行動は取らなかった。ただ頭を抱えた。耳が真っ赤になっていた。「私があなたを買い取ってやりますよ。ええ。飯綱丸も止められはしないでしょう」その台詞はとてつもなく早口だった。

 

「――金も、女も、思うがままだったな」「はい?」文は怪訝な顔をした。私はその顔を強引に抱き寄せて、キスをした。「白狼――いや、私は貪欲なんだ。何もかもが欲しい」まるで蕩けたように表情を崩した文を、両腕で持ち上げる「ちょ、何を」「連れていく。お前は私の戦利品だ、文」

 

 

 

「――ええ、それでいいですよ。わたくしめをよくよく大事になさい!!」

 

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