東方短編集   作:slnchyt

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そこまでは、あなたの背中

―そこまでは、あなたの背中―

 

 

 

あなたの背中が、好きでした。

 

 

 

あなたはいつも、私を置いて行ってしまう。いつも二度、三度の言葉を交わしては、私の前から消えてしまう。私は文のようには飛べない。とても追いつけない。だから私の中のカメラには、あなたの背中しか写っていなかった。「文」私から声をかけた。それは風に巻かれて、通じない。

 

あなたに追いつきたい。あなたの隣に並びたい。あなたを目指していた。目指そうとした。…いつの間にかそれは、思慕になってしまった気がする。あなたの隣に立ちたい。…ううん、あなたにもっと近付きたい。けれども今は、その背中すらも追いつく事は出来ないんだ。

 

あなたのように疾くなりたい。あなたのように言葉を自在に操りたい。あなたのように、激しく風を繰りたい。あなたのように、新聞に熱意を燃やしたい。私には出来ない事ばかりだった。修行が足りない。わかっていた。――けれど、それだけではないのも、何となく理解できた。

 

あなたは命を燃やしているんだ。あなたは今を刹那的に生きている。まるで、明日にも死んでしまうかのように。私にはその真意を理解できなかったけれど、文がとても生き急いでいるのは、なんとなくわかっていた。私はその生き方の疾さに、力強さに、とてもついてはいけなかった。

 

天狗の居所に、あなたが飛び込んでくる。窓から。扉から入って扉から出ればいいのに。私の疑問もそこそこに、文は色々な人達と話をしていた。その時間は、とても短い。「頑張っていますね、はたて」一言だけだ。用事を済ませると、あなたは勢いよく窓から飛び出していく。

 

あなたに助けられてばかりの自覚はあった。後始末をしてくれた事も、きっと私が気付くよりもずっとたくさんあったんだと思う。それでも文は怒らなかった。仕方ない子ですね、と笑っていた。それが私の心をもやもやさせた。文はどうして、こんなに良くしてくれるんだろう?

 

やっぱり、私の家の名前がそうさせるの? そういう人はたくさんいた。文が追い払ってくれなければ、私は実家に泣いて帰っていたかもしれない。でもそれなら、どうしてあなたは見返りを求めないのだろう。優しいから。プライドがあるから、色々考えはするけど、わからない。

 

あなたの飛び出した窓を見る。そこから遥か離れた所に、あなたはいる。――山の向こうに、黒い雲が広がり始めた。もうすぐ雨が降るだろう。それでもあなたは羽を休めない。…私みたいなひよっこにはわからない、そうできない事情があるのかな、文。私は書き物を止めて、目を閉じた。

 

―――

 

  ―――

 

――漫然と日々を過ごしていたある日、文はとある湖に私を誘った。まさか文の方から誘ってくれるなんて思わなくて。「――びっくりした、という顔ですな」私の行動はいつも読まれていた。私は慌ててカメラをしまうと、文を追った。今日は何故だか、ついていけるスピードだった。

 

湖の上、誰も来ないような場所に、私達はいた。水面は遥か下にある。落ちたら寒いだろうな、と私は要らない心配をしていた。「どうして、ここに誘ったの?」私の疑問に、文は答えなかった。「ひょっとして、何か告白する事があるとか…?」それはむしろ、私の方だったかもしれない。

 

「ええ、まあ――そんな所です」文は肩をすくめた。「あなたに来て欲しかった。あなたと二人きりになりたかったのですよ、はたて」私は頬が赤くなるのを感じた。もしかして、これって――もしかするの? 私は自分勝手な想像を巡らせた。ひょっとして、文も私の事が…?

 

「これはあなただけに打ち明けます。誰にも言ってはいけませんよ」文はもったいぶった。私は浮かれていた。「私はね、余命幾ばくもないんです」「――えっ?」口から出たのは、嬉しい言葉ではなかった。…意味を理解できなかった。「そろそろ死にます」意味が、理解できない。

 

「質の悪い病気でしてね、コロっと逝くそうです。わたしは」文の顔を見て、ようやく何を言われたのかがわかった。文が死ぬ? そんな、馬鹿な事がある訳ない。「――文、文。今の、本当に本当なの!?」「生憎わたくし、あなたに対しては嘘をついた事がなく。ええ」

 

私の問いに、文はいつもの顔で答えた。違う。そんな顔を見たかったんじゃない。あなたは死んでいまうというのなら、どうしてそんなに平静でいられるの。わからない。わからないよ。何かの間違いであってほしい。今の今まで、あなたは隠していたの? 誰にも知られないように?

 

「けれどまあ、死ぬまで時間はあるそうで」文は――笑っていた。「寝台に転がさられている、なんてのは私の主義に反します。いいでしょう、死ぬまで生きてやりますよと、そう思っていました」立て続けの告白に、呆然としていた。どうしてこんな話を、私だけにしてくれたのか。

 

ゴボッ、と音がしたように思う。私は目を疑い、そして悲鳴を上げてしまった。「文、それって、血――!?」「…まあ、ケチャップではありませぬな」もう一度、あなたは血を吐いた。それは遥か下の湖へと落ちていく。私はもうどうしようもなくて、文の肩を掴んだ。

 

「大丈夫ですよ。大丈夫です」文は扇を振った。「鮮血です。大した事はありません。深い所なら、もっとドス黒い」「そんな、どっちだって血を吐いてるのに!」「病人の感想はよく聞くものですよ、はたて」文は笑っていた。そんな場合じゃないのに、どうしてそんな顔をするの?

 

「そうだ、実家のお医者さんに見てもらおう! そうしたらもしかして、治す手段だって――」「いいえ」私の声を、文は遮った。「あなたの気持ちはありがたいですが」文は肩をすくめて、首を振った。「少しばかり縁がありましてね。あなたの所で診てもらったんです。わたくし」

 

万策が尽きた。私には何もできない。今までは文がいた。文が私を気にかけてくれていた。それなのに私は、そのお返しすらできなんだ。無力感が私を苛んでいた。「私を、あなたに看取ってもらいたい、と――まあ、我儘です。私の最期の我儘」「我儘なんかじゃない。でも、嫌だよ…!」

 

「生き物はいつか死にます。それが今日であるか、十万年後かは、誰にもわからない」文は苦しげに息を吐いた。「あなたは生きなさい。生きる目標を持ちなさい。決して絶望してはなりません」頷く事しかできなかった。「こんな風ではなく、もっとあなたと話せればよかった」

 

「あなたの事が好きです、はたて」私の聞きたかった言葉。「今にも死なんとする奴に言われても、迷惑かもしれませんがね」「そんな事ない。…そんな事ないよ、文」私の目にはたくさん涙が浮かんでいたと思う。「おや、泣かせてしまいましたか」いけませんね、と文は頭を掻いた。

 

「私は、あなたみたいな――立派な天狗になるよ。約束する」文は私の手を取った。「それもいいでしょう」文はもう一つの手も取り、弱く握った。「しかして、それだけではいけません。いけないのです。理解してください」文の目にも涙がこぼれていた。きっと、私が泣かせたんだ。

 

「あなたが私を目指すというなら、止めはしません。けれど、死人に引っ張られてはいけませんよ」文が、私の首を抱いた。「あなたの中で、私の理想像は無限に膨らんでいくでしょう。気をつけなさい。それは、いつかあなたを殺すかもしれない」身体まで、抱き寄せた。

 

「私は私、あなたはあなたです。あなたは私にはなれませんし、私はあなたになる事もできない」文は、声を殺して泣いていた。「あなたはあなたの未来を描きなさい。それが、私の望みです」あなたの手から、力が抜けた。抱き返そうとしたのは、遅かった。「――さようなら、はたて」

 

文の腕が、私から離れる。咄嗟に飛んだ。私は文の扇だけを掴んでいた。文の身体は透明な湖へと沈んでいった。勢い良く飛び込んだけれど、駄目だった。私に深い所はとても探せない。すぐに河童の所へ飛んだ。よくよく探して貰ったけれど――文の身体は、何処にも見つからなかった。

 

―――

 

  ―――

 

―――

 

  ―――

 

―――

 

  ―――

 

私は飛んだ。疾く、疾く、疾く飛んだ。私より疾い天狗なんて、もう何処にもいなかった。私は正装していた。何か集まりがあったとか、そういうのじゃない。あの時の場所にいかなくちゃならなかった。あの時のあの月、あの日、あの時間。私は更に疾く、飛んだ。湖が、見えてきた。

 

私は湖の中心で止まった。ここは、あなたと最期に話した場所。あなたが亡くなった場所。…あなたが、導いてくれた場所。涙がこぼれた。遥か水面に向けてそれは二粒、落ちた。「はたては泣き虫毛虫でありますな。…あなたならたぶん、こんな事を言ったよね」もう一つ、二つ、涙が落ちた。

 

「今年は自慢する事が一杯あるよ」手を広げて、言葉を紡いだ。「文も見てたでしょ? 空を飛ぶのは、きっとあなたと同じくらい、疾くなったよ。みんなびっくりしてた」ばさり、と翼を広げてみせた。私の翼はあの頃とは比較にならないくらい、研ぎ澄まされた刃めいて、風を切っていた。

 

「風を繰るのだって上手になった。あなたの好きな竜巻だって、なんだって、みんなできるようになったんだから」私は扇を持って、大きな竜巻を無数に繰ってみせた。それらは互いにかき消すギリギリを保って、私がそれを手放すまで、激しく空を切り裂いていた。風が、四散する。

 

「花果子念報は相変わらず、そんなに人気はないかな。でもそれでいいの。コアなお客がついたんだもんね」私はそれを一枚、湖に向かって見せた。ひとしきり見せつけた後、懐に入れた。「今でもお嬢様って呼ばれるのは、ちょっと癪かも。まあ、でも、悪く気分ではないかもね」

 

私は水面へと飛び、お酒の蓋を開けた。あなたに向けて、そっと流した。「そこまでは、あなたの背中」お酒が水と混ざり、底へと融けていく。あなたに届くだろうか。あなたは喜んでくれるだろうか。「これからの事、ずっと考えてたの。それで、答えを見つけた」誰へともなく、頷いた。

 

「――私ね、大天狗になろうと思うの」

 

「推薦はもう、一つ貰ったのよ。もう二つくらい、貰えないはずがない」私はあなたに背を向けた。私の中で、あなたの残した心が跳ねた。かける声はそう、これしかない。「だってわたくし、姫海棠よ?」最近板についてきた笑いで、あなたを振り返る。そう、あなたを振り返ったんだ。

 

あなたの背中を見て、あなたに並んで。昨日まではそうだった。今から私は、あなたの前を飛ぶ。そうするんだ。そうなるんだ。あなたはきっと、それを望んでくれるだろうから。徳利をしまった。あなたの残した扇を腰に差した。今年はお別れだ。来年も、またくるからね。文。

 

 

 

(あなたの未来、確かに見せていただきましたよ)

 

 

 

「――文!?」

 

それは湖畔のさざめきだったかもしれない。私の聞き違いだったかもしれない。けれど、確かに聞こえたんだ。あなたの、あなたの羽音。あなたの背中がたてていた、あの音が。右を見た。左を見た。上も下も見た。けれどあなたの姿は、やはり何処にも見つからなかった。

 

あなたの残した羽音を抱いて。私は泣いた。泣いて、泣いて、泣き尽くした。それでもやがて、涙は枯れてしまう。「――ありがとう」私は天高く飛び上がり、風を蹴った。そうだ。私より疾い天狗なんていない。だって私は、清く明るい姫海棠なんだもの。涙を拭い、翼で風を切り裂いた。

 

「そして、さようなら。文」湖が遠ざかる。「さあ、やる事は一杯ある。あなたみたいに、片付けなくっちゃね」心の中が歓びに満ち溢れる感じがする。きっと、私の中で整理がついたんだと思う。私はいつもの顔――あなたみたいに悪い顔を作ると、天狗の居所に、窓から飛び込んだ。

 

 

 

――大好きだよ。大好きだったよ。…これからもずっと、大好きだからね。

 

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