―暖かいしがらみ―
お前の心を掴み取ってやる。
「よう」魔理沙の顔は、決して明るいとは言えなかった。「どうしたの、そんな顔して」縁側から、その顔を見上げた。「魔理沙さんにも色々とお悩みはあるのさ」箒を立てかけ、魔理沙は横に座った。「お悩み、ね」私はあまり深刻に捉えなかった。お茶を淹れ、隣に置いてやる。
「霊夢は、自由について考えた事はあるか?」藪から棒な問いだった。「縁の遠い話ね」「やっぱりな」魔理沙は茶をすすった。「悩んでるのは自分だけじゃないかって思っていたが、自論がますます強化されちまったな」「あんただけって――そりゃ、考えている人もいるでしょうよ」
「実際、私は――自由じゃないわよ。博麗の巫女ってそういうものだもの」「そうかもな」魔理沙はぼんやりと前を見ている。「自由、なんてのは幻想なのかもしれないな」私は、魔理沙の方を見た。「しがらみって奴はいつも、私を捕らえて離さない。足を掴まれている気分だ」
魔理沙の顔はやはり、明るいとは言えない。何か、言いたい事を我慢しているようにも見えた。「何か言いたいなら、ここで吐き出しなさいよ。面倒見てあげるわ。出来る事ならね」魔理沙がこちらを見た。「お前、良い奴だな」「あんたほどじゃないわ」首を振る私に、魔理沙は語った。
「――たまたま、人里で聞いたんだ。親父が――いや、霧雨道具店の店主の調子が、良くないって」魔理沙は帽子の縁を掴み、顔を隠した。「症状からアタリをつけて、薬を作った。魔理沙様の自信作さ」ポケットから水薬が取り出された。陽の光を浴びて、それはキラキラと輝いていた。
「――だけどさ、それをどんな顔で持っていけばいいんだ?」それを、隣に置いた。「バカバカしい。無視すれば良かったんだ。私は店屋の何でもない。何でもないんだ」魔理沙は自分に言い聞かせていた。いや、それ以前の言葉だったかもしれない。己が行動のちぐはぐさを問うている。
実家と確執があるのは知っていた。普段、そんな事をおくびにも出さないけれど、魔理沙にとってはどうでもいい話――ではないのは、何となく理解できる。生まれた所を飛び出すというのは、どんな気持ちだろう。それが喧嘩別れだとすれば、猶の事、戻れないのかもしれない。
それが魔理沙のしがらみ。足を掴んで離さないもの。人間、誰しも逃れられないものだと、魔理沙は言った。私はどうだろう。博麗の巫女という立場はともかく、人の関係で不自由はしていない。ただ、関係が希薄なだけかもしれないが。ありのままを晒してきた。誰も拒みはしなかった。
魔理沙は多分、泣いていた。実際、感情の起伏が激しい奴だものね。それでも、人前で涙を流すのは嫌、らしい。私なんかにはいくらでも見せて良いと思うけど、本人は納得しない。意固地なのだ。こいつは。肩をすくめた。このまま、魔理沙を泣かせたままにするのも、面白くはない。
「持って行ってあげるわ。それ」魔理沙は泣き顔のまま、目を丸くしてこちらを見た。「持って行ってあげるって言ったのよ。これだけ? 他に渡したいものは?」魔理沙は戸惑っていたけど――とりあえず、意味は理解したらしい。「博麗の巫女が、そんな所に何の用があるんだ?」
「きまぐれよ」私は目前で手を振った。「たまたま荷物を預かって、たまたまそこに立ち寄った。そして、たまたま話をした」魔理沙の顔が次第に険しくなっている。これは、虚勢を張る時の顔だ。「そんな偶然、ありっこないぜ」「あるわよ。だって私、博麗の巫女だもの?」
「――とにかく、こいつは処分する事にする」「捨てるなら、頂戴?」「やらん」魔理沙はバッグから何かを取り出した。「これもやらないぞ。私のお気になんだ」魔理沙は――薬の隣に、それを置いた。紐で吊るされた指輪――だろうか。まあいいや。私はそれらをむしり取った。
魔理沙の箒を取り、それに跨った。「私は昼寝してるぜ。精々、良い夢を見てやるさ」魔理沙は手を振り、背中側に倒れた。一度だけ、こちらを見た。私は箒を浮き上がらせると、そのまま人里へと飛翔した。箒に乗った巫女なんて、考えてみればおかしな光景かもしれないわね。
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―――
箒を抱えたまま、私は通りを歩いていた。霧雨道具店の看板はすぐに見つかった。かかっている看板には、本日休業の文字。いやいや、そんなもので博麗の巫女は止められない。箒を立てかけると、私はずい、と店に押し入った。古い道具が私を迎えた。何ともいえぬ、独特の匂いがする。
正面に、店主らしき男性が座っていた。私の問いに、今日は休業です、とだけ答えた。私はそれを無視し、カウンターの内側に回り込むと、深く頭を下げた。店主は困惑していたかもしれない。無理もない。「用があります。大切な用です」私の言葉は、如何様に伝わっただろうか。
「これ、魔理沙からです」私は水薬と、そして指輪を見せ、カウンターに置いた。店主の顔色が変わったように思えた。息を飲んだ。手を伸ばした。それを何度も確かめるように、手に取って見定めた。水薬を、そして指輪を。「差し支えなければ、聞いても良いですか。その指輪の事を」
私の問いに、やや時間を置いて、店主は答える。形見のようなものです、と。私は、それ以上問う気にはならなかった。しかし、店主は続けた。それは、魔理沙が家を飛び出す原因になったものだと。「――どなたの?」妻です。店主は呟き、顎を掻いた。多分、悪い事を聞いてしまった。
私の神妙な顔を見たのか、店主は微笑みを浮かべた。構いません、と手を振る。放っておいても、いずれは家を出たでしょう。古びた――しかし、決して古ぼけてはいない道具に囲まれて、私は魔理沙の出自に思いを馳せた。……つまりは、お母さんを失って、それが原因で?
あれの好奇心を止められたとは思いません、と店主は続ける。あれは古道具屋に納まる器ではなかった。それは認めます。しかし、まさか何の後ろ盾もなく家を飛び出すとは。そこまで思い切るとは。私はあれを、理解できていなかったかもしれない。我が娘ながら――と、店主は呟いた。
「魔理沙の事、認めてはあげないのですか」それはできません、と店主は手を振った。顔を合わせれば必ず喧嘩になるだろう、とも。互いに、譲れないものがあるのだろう。「魔理沙はどうして、この指輪を持たせたのでしょう?」私への当てつけでしょう。店主はそれを手に取った。
――半分は。「半分は?」もう半分は――母親に捧ぐものでしょう。私は忘れない。だから忘れないでほしい、とでも言いますか。「魔理沙はお母さんを――いいえ、あなたもきっと、凄く心配していると思いますよ」事実は認めます。しかし、それを容易く認める気はありません。
店主の言葉は――私には、意固地に見えた。そういう所は多分、魔理沙とそっくりだ。「認める気はあるのですね」それを認める時には、私はぽっくり逝っておるかもしれませんな。店主の冗談は、ちょっと笑えない気分だった。母親を巡っての確執。親子間の問題。私には実感がない。
けれど、それが双方歩み寄れない原因なのは、なんとなくわかる。何が起こったのかはわからないけれど、魔理沙はきっと、母親を失ってやけになったんじゃないか。それが父親と衝突して、家から飛び出した。ありそうな話だと思った。あいつは沸点が低いし、仲直りも苦手なタイプだ。
――そう、その時だった。
あら、お客さん? 威勢のいい声がした。店主と同じくらいの歳の女性だ。おまえ、茶を出してくれ――と、店主が応える。「……あの、もしかして」店主は苦笑いを浮かべた。死んではおりません。その言葉は私をへにょへにょにしてしまった。なんだそれ。緊張感を返して欲しい。
どうです、騙されましたかな。店主は口角を上げた。こういう悪戯好きの所も、魔理沙そっくりだ。「――それはともかく、指輪はあの人のものなのですか?」店主は肯定した。飛び出す直前にあれが渡したのだ、と。その点はあれと意見の合わない所ですな、と店主は笑っている。
「それじゃ、どうして魔理沙と喧嘩――じゃない、問題が起きているのですか?」それを聞かれたかった、とばかりに店主は答えた。ツケです。「――ツケ?」私はそれを聞いて――意味が、ちょっとずつわかってきた。魔理沙、あんた、それは怒られて当然だと思うわよ……。
そこらの道具を根こそぎ持っていきましてな、と店主は声を上げて笑った。「――頭を下げさせに、連れてきましょうか?」店主は首を横に振った。あれが直に謝りに来るまでは、許しません――飛び出していった事も、こうやって卑怯な届け物をさせたのも、と。「まあ、確かに……」
魔理沙の母親から頂いたお茶を飲んだ。彼女は指輪を手でいじりながら、笑っていた。生きていればそれでいい。それは二人の本音だったかもしれない。「それでは、私はこれで」席を立つ私を、お待ちなさい、と店主が引き留めた。自分がしていた指輪を外し、紐に通した。
これをお持ちください。店主の顔は――そうね。多分、悪戯を思いついた子供みたいに見えた。これは、何かしらの意味があるのだろう。単に魔理沙を困らせてやりたいだけかもしれないが。私は頭を下げ、椅子から降りた。外は涼しい――いや、そろそろ肌寒そうだ。秋が近付いている。
立てかけておいた箒を持つ。それは私が使っていましたな、と店主は語った。なるほど。魔理沙がそれを至極大事にしている理由が、なんとなくわかった。お父さんの箒か。じっと見つめる。それにはあいつの苦労が染み付いている。それは、或いは店主にも見えていたかもしれない。
店主はもはや何も言わず、ただ頭を下げた。これ以上、話をする事もない。私は指輪をしまい、頭を下げた。道具店を出る時、何処からかあいつの声が聞こえたような気がした。今よりもずっと、幼そうな笑い声だ。あんたは家を飛び出すべきだったのかしら。それとも?
血縁。親のいない私には、想像する事しかできない。確かにそれは、足元を掴んで離さないのかもしれない。けれどあんたは、それに手を差し伸べたじゃないか。足を掴む手と、握手したじゃないか。不器用だけど、あんた達には確かな縁がある。ただ、意地を張っているだけ。
箒に跨り、離陸した。浮かび上がった私の後ろで、誰かが声を上げた。やっぱり、箒に乗った巫女って珍しいわよね。でもまあ、面白くはあるか。何ならいつも使ってる箒で飛んでみようかしら。にやにやする私の頬を、涼しげな風が撫でた。世界は僅かながら、紅に染まりつつあった。
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「――あー、おはようさん」魔理沙は上体を起こした。寝てたなんて嘘だ。きっと気をもんでいたに違いない。「薬、何処かでなくしてきたわ」「そりゃ、もう見つからないな」「それから――これ、返すわ」魔理沙は二つになった指輪を手に取ると、何やら呟いていた。「クソ野郎め」
魔理沙はそれをさっ、と仕舞った。「箒まで持っていきやがって」「いいじゃない、箒で飛ぶ巫女がいても」「まあな」私は魔理沙の隣に座った。「それで、良い夢は見れた?」「……あー?」魔理沙がこちらを向いた。涙が一筋、こぼれていた。「良い夢だったさ。憑き物が落ちた気分だ」
涼し気な風が、神社を駆け抜けていく。落ち葉がばらばらと散った。いくら掃除しても、これじゃ終わりがない。「ねえ」「――なんだよ」「家族がいるって、どんな気分?」魔理沙は私の問いに、少しだけ戸惑っていたようだった。「お前にそれを言うのは、私だって遠慮するぞ」
「良いのよ。聞きたいだけ」「そうか。そうだな……」魔理沙は言葉を選んでいるようだった。「しがらみ、かな。暖かいしがらみ」「それが重荷だったのね、あんたには」「まあ、そうなるかな」私はその答えで、なんとなく満足した。しがらみ――暖かいしがらみは、ここにある。
「ちょっとばかし、寒いな」夏服の魔理沙が震えた。「――暖かいわよ」私はその身体を、そっと抱き寄せた。魔理沙は帽子を脱ぎ、私の脚に頭を乗せた。「あなたにとって、私は重荷かしら?」私は魔理沙の頭をそっと撫でてやった。「ああ、重いよ」小さな呟き。「その重さが嬉しい」
私は手櫛で、魔理沙の髪を梳いた。美しい、金色の髪だ。「なあ、霊夢」「何よ、魔理沙」「――私達、家族みたいなもんだよな」「そうかしら」私は魔理沙の顔を見た。「家族と言えば家族だし、他人と言えば他人だわ」私は微笑んだ。微笑みが返ってきた。金色の髪を、手で梳いた。
「――恋人と言えば、どうかしら」「家族で、他人で、そして恋人か。欲張りだな」「あんたほどじゃないと思うわ」魔理沙が身体を起こした。私達は手を取り、見合った。「お前は、恋人って何だと思う?」「好きあう――」「そうじゃない」魔理沙は首を振った。「言葉じゃないんだ」
――私達は、暖かいしがらみを唇に当てた。「これであなたは、また足を掴まれるのね」「それが嬉しいって、言ったろ?」「そうね」私達は、互いに互いを抱き合った。「魔理沙」「いや。言わなくたって、わかってるぜ」私の胸に顔をうずめ、魔理沙は応えた。「好き、だろ」
「違うわ」魔理沙の肩に、手を置いた。「大好きよ」「はは、外れか」顔を上げた魔理沙の顔に、もう一度――しがらみを、増やしてやった。どちらからともなく、距離を離した。魔理沙は帽子を取り、頭に乗せた。トレードマークだ。これを被ってこそ、魔理沙はより、魔理沙に見える。
「じゃあ、な」魔理沙は箒を取った。「今度は、いつ来るの?」「さあな。魔理沙様は風の吹くままだ」背中を向けたまま、魔理沙はうそぶいた。「お前もだぜ。私というしがらみに、足を掴まれたのは」「わかってる」私の微笑みを、きっと魔理沙は感じていた。「またな、霊夢」
私の前から、魔理沙はあっという間に姿を消した。気恥ずかしかったのかもしれない。私は湯飲みを片付けて、再び縁側に座った。どうせ、明日も来るだろう。来たい時に、来ればいい。来たくなければ、来なくてもいい。あなたを縛る私の手は、足を掴む時を、待っているのだ。
風が落ち葉を吹き散らしていく。無為で、変わらない日常だ。それをまぜっかえすのは、あなた。時の流れを思い出させるのが、あなた。私の――大切な人が、あなた。自分の身体を抱いた。魔理沙のぬくもりが、まだ残っている気がした。「私だって、わかっているわ。魔理沙」
◇◆◇◆◇◆
机の上に置いた指輪を、じっと見ていた。私は苛ついていた。怒りだけじゃない。親父の意図が掴めなかったのだ。私はそれを手に取り、目前で見た。形見分けとでも言うのだろうか。そう簡単に死ぬタマじゃないのはわかっている。何しろ奴は、殺しても死なない魔理沙様の親父なんだ。
あの日、渡された指輪の意味を問うた。どうか忘れないでほしい。そういう意図だと汲んだ。それならこれも、私に忘れさせない為のものなのか? それは流石に、センチメンタルが過ぎる。私は紐から指輪を一つ外そうとして――やめた。それをしたら、私は負けたような気がする。
暖炉の光が、私とそれを照らした。指輪は、何の為にある。愛を繋ぐ為だ。母から私に、愛を繋いだ。親父は――そうだな。無理矢理に愛を繋いだ。しかし、二人の縁が切れた訳じゃない。指輪は――或いは、必要なくなったのかもしれない。長年の愛とは、そういうものなのだろう。
紐から指輪を二つ外して――大きい方の指輪を、左手の薬指に通した。やはりというか、それは大きすぎる。小さい方は――私には、やはり大きいようだ。私は小さい方を取った。……これを、渡すべき相手がいる。私達に合ったサイズのそれは、いずれ手に入れる事ができるだろう。
今は、これでいい。これがいい。私はもう一本、紐をあつらえると、それらを一つずつ吊るした。暖炉の光が、私とそれを照らしている。指輪は、何の為にある。愛を繋ぐ為だ。私からお前に、愛を繋ぐ。受け取ってもらえるだろうか。いいや、きっと受け取ってくれるはずだ。
扉も閉めずに、外へ飛び出した。箒をひっつかみ、月の夜を飛んだ。お前にはどんな顔をするだろう。しがらみの手に、指輪が通されるだけだろうか。……そうはならない。ならせるもんか。こちとら恋に恋する魔理沙様だぞ。暖かいしがらみで、お前の心を掴み取ってやる。
私の箒、親父の箒で、月夜を飛んだ。まあ、感謝してやるよ。私の脳裏に親父の顔が浮かんで、消えた。やがて、お前の神社が近付いてきた。私は不思議と、緊張してはいなかった。あるべきものが、あるべき所に嵌まる。そんな言葉が、私の傍を通り過ぎていった。私はにやり、と笑った。
「よう、霊夢」