―白狼の華―
高嶺の花、気高き花をめぐる醜い争いは多くの脱落者を迎え、今や三者のせめぎ合いにありました。勝ち抜いたものがはたてとの婚姻を約束される。今日び古風すぎる話ではあります。はたて本人の許可もないでしょう。御家とはそういうものです。周囲ははらはらとそれを見守るのみ。
はたての事は好きでしたよ。しかしてそれは、不純な恋であると理解してもいました。それでも争奪戦に加わったのは――ある意味、卑怯な行いです。椛を奪われたくなかった。例え、私が椛を射止められなかったとしても、椛が誰かとめおとになるのが、許せなかったのです。
はたて本人は、己を巡って恋のさや当てが起こっているなんて、思いもしなかったでしょう。あの子は純粋です。だからこそ、飯綱丸はそれを欲した。なればこそ、椛はそれを求めた。私は――そうですね。咎を問われるような理由で、はたてを利用しようとしている。
負ける気はありませんでした。甲斐性、教養、そして地位――姫海棠家から様々な試練を課され、多くの天狗は脱落していきました。残ったのは私達、三人だけ。博徒が喚いていましたが、そんなものに手を出す方が悪いのです。賭博場のチンチロくらいにしておくべきですね。はい。
最後の試練は――誰がはたてさんに相応しいか、本人に選ばせるのです。私ははたてと仲良くしてきたつもりですし、政略結婚丸出しの飯綱丸は選ばれないでしょう。椛――椛は、はたてと親交が深い。しかしてそれは、道ならぬ恋。はたてが賢明であれば、私を選ぶ以外にありえない。
姫海棠家の御家に呼ばれた私達は、はたてと見合いました。椛はいつもの仏頂面を崩しません。飯綱丸は――顔がひきつっていますよ、あなた。本当に、そういう所は変わりませんね。しかしまあ、妻を娶ろうとするだけ、成長が見られはしますが。私は首をすくめ、はたてを見つめます。
「この中の誰かから選べって、その――お付き合いする人を?」散々お膳立てしておいて、本人の意志を尊重するも何もないものですが。姫海棠の老人は神妙な顔で頷きました。はたてと結婚する、となれば、実質婿入り。姫海棠家の跡取りにもなり得るでしょう。とかく、重い選択です。
はたてとて子供ではありません。この選択が招くものは、重々理解している。だからこそ、迷っているのです。地位を求めるなら、飯綱丸一択。道ならぬ恋に走るなら、椛でしょう。私はどうでしょう。そうですね――故あらば、不良天狗を辞めて、腰を落ち着けても良いと思っている。
あなたを受け入れる準備は出来ているのですよ、はたて。ふと、はたてと目が合い、私は笑いかけました。いつもの悪い笑みではありません。あなたの為に用意した、最高の笑顔です。はたては当然というか、迷っていました。老人が、三人が、ただただその選択を待っています。
「――椛。あなたがいい」
笑いました。私は笑った。心から己を嗤いました。己の虚しさを噛みしめました。そうですか。あなたは椛を選んだと。椛を欲している私の目の前で、あなたがたは抱き合うと。首を寄せ合うと。あまつさえ――その頬に、キスをすると。ああ。あなたが、はたてのものになってしまう。
私は平静を装いました。必死にそうしました。頭を掻く飯綱丸を、煽る余裕すらありませんでした。首をすくめて、手を振りました。いつもの私なら、椛を目一杯嫌味を言ってやれたでしょう。いつもの私なら。そうです。……今の一瞬で、私が、私でなくなってしまったのです。
姫海棠の老人は頭を抱えていましたが、やがて頷きました。うやうやしく頭を垂れた椛に、相応の地位を表す印を預けました。お嬢様、御付きの印。これであなたは、烏天狗と同等の地位を得た訳です。二人の結婚を邪魔するものは、何もなくなりました。誰もそれに異議を挟めはしない。
私はいたたまれず、飛び上がりました。悲鳴を上げる博徒どもを尻目に、飛びました。むやみやたらに飛びました。目的地なんてありませんでした。もしも願いが叶うならば、わたくし――否、椛の中から、わたくしの記憶をすべて、すべて消し去って欲しい。願わくば!――願わくば!
家に戻りました、わたくしは――号外を書き始めました。≪道ならぬ恋、成熟!≫。わたくしを散々、負け犬呼ばわりしました。自虐ではありません。すべて事実でした。真実はわたくしめが定める。わたくしが何を思っていたか。何を想ったか。何に負けたのか。それは書く必要がない。
ある意味でこれも、捏造新聞でありましょう。事実を歪め、真実すらも隠遁する。わたくしはもう、笑う気力もありませんでした。服も脱がずにベッドに飛び込むと、頭を抱え、眠りに落ちました。明日になれば――すべてが終わり、終わりが始まる。終わりの日々が、いつも通り続く。
「椛」
その名を口にするのは、最後になるでしょうか。
―――
―――
二度と会うつもりはなかった。接触を注意深く避けてきた。それこそ、執着そのものです。いつも通り接すればいい。いつも通り――小馬鹿にすればいい。ただ、そうしたくなかったのです。だから、しない。建前です。しかして建前を失えば、人は生きてはいられないでしょう。
わたくしめの中に、わたくしという事実だけが残った。あなたはいない。はたてもです。私の中に住んでいた≪心≫が、何処にもいなくなってしまった。恋しかった。愛して欲しかった。恋を失う事を――覚悟してなかった訳ではないのです。しかし、わたくしめの心は嘘をついた。
「椛」
ああ!――あなたが欲しかったのです!! あなたを抱きしめたかった! あなたの傍にいたかった! 道ならぬ恋と、指差されたって構わない! あなたを隅から隅まで知りたかった! あなたに知り尽くして欲しかった! あなたに――私が欲しいと、言って欲しかった!!
私の瞳から暖かいものが落ちました。わたくしめの心でした。それを枯らせば、あなたを忘れられる?――いいえ、そんな事はあり得ない。記憶とは曖昧でいい加減なものです。しかしてそれは、好き勝手に流し去る事などできない。抱くしかないのです。裂かれるしか、ないのです。
――その時でした。何処へともなく飛び回る私の視界に、見慣れた姿が二つ、映ったのは。私は瞬間、背を向けました。しかし、あなたはこちらを見ていた。千里眼が私を捉えていた。予測した訳ではない。わかってしまったのです。何をするものか。あなたの瞳が問うている。
わたくしは、ゆっくりと振り向きました。
「好きでしたよ」
あなたはきっと、唇の動きですべてを悟ったでしょう。涙を拭い、一気に飛び去りました。わたくしめの恋心は、そこに置いていきました。これからの私は、心のない抜け殻として生きていく。あなたと付き合いましょう。はたてとも上手くやりましょう。あの頃を、取り戻しましょう。
わたくしはもう二度と、あなたを嗤う事はないでしょう。それでいい。それがいい。あなたが好きだった――いいえ。あなたが好きだから。恋心を失っても、残るものはある。わたくしは、あなたがたを見守りましょう。あなたがたが瀕する時、わたくしめは喜んでこの身を捧げましょう。
「さようなら」
別れの言葉は、私自身への手向けでした。