―余命幾許も無し―
生きるのは、きっと楽しいさ。
あたいはぶらぶらと人里を歩いていた。今は休暇だ。本当だよ。サボってなんかいない。上司の視線を感じながら、辺りを見回す。あたいは目を細めた。道行く人間の頭の上に、数字が浮かんでくる。それはあたいにしか見えていない。死神の目を持つものだけが、それを見る事ができる。
もしも、それが見えたとしたら――察しの良い奴は、気付いただろう。それが、余命のカウントだって事に。老若男女、その数字は様々だ。誰もが自分がどれだけ生きられるか、なんて考えてもいない。考えていたら、きっと生きていけない。……目の前の子供のカウントが、急に動いた。
私達、死神から見ても、余命なんて不確かなもんだ。伸び続ける奴もいれば、突然カウントがゼロになる奴もいる。誰かの善意が、悪意が、計画が、偶然が、命を揺り動かしている。完全に正確な余命は、誰にもわからない。もしもそれを出来る者がいたなら、それは未来を観る者だ。
――ふと、店屋に向いた視界の端に、何か異常なものが映った。すぐにそちらを向く。フード付き外套を着た小さい姿。耳がはみ出ている。あいつは――因幡てゐ。その頭上のカウントが、滅茶苦茶に回転している。茶屋で何も頼まずに座るその姿に、あたいは不穏なものを感じ取った。
「おい、そこの――」声をかけた。かけてしまった。ああ、また面倒に首を突っ込んじまった。折角の休暇が台無しだ。これなら家で昼寝してた方がマシだった、が――しかしてゐは、私の顔を見もせずに立ち上がると、外套を目深に被り直し、あっという間もなく街道を駆け出した。
生憎と、兎は素早い。あっというまに雑踏の奥へ消えていった。さて、何処に行ったのやら。そんなもの放っておけばいいのに、あたいは周囲の人間に小さな奴を見ていないか、聞いて回った。とりあえず外へ出て、飛んだのはわかった。最後に飛んだ方向を知れば、行き先の見当もつく。
――やっぱ、あたいはお節介だな。我ながら、頭が痒い話だ。でもまあ、あんなのを見せつけられたら誰だって心配もする。あれは――死のうとしている奴のカウントだ。それが実行されるか、それとも思い留まるか。未来はわからない。だが、今は止められる。あたいは急ぎ、飛んだ。
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「あなた、死にたいの?」メディスンが私の顔を覗き込んだ。「そうさ」「そう」如何にも気のない返事だ。「何処か他所で死んでくれない?」「ここがいい」鈴蘭が咲き乱れる、最中。どこまでも、どこまでも続く風景。「変わってるのね」「まあね」仰向けになったまま、手を振った。
「どうして、死にたくなったの?」「死にたくなったというより――生きたくなくなったのさ。もう」「未練は?」「そりゃ、ある」私は首を振った。「兎達を置いて逝くのは、悲しい。永遠の友人が知れば、バカな事をするな、と叱られるだろう。でも、それでも」私は耳を立てた。
「もう、生きたくなくなった。あの子のいない世界に、何の意味もないから」「本当に?」「本当さ」メディスンは首を振った。「私には、嘘をついているように見えるわ」「嘘吐きは私の専売特許だからね」ししし、と私は笑った。「死にたいのは――鈴仙が、いなくなったから?」
「そうだよ」耳を引っ張り、目隠しをした。「ここ数百年は、とても幸せだった。鈴仙は私を愛してくれた。いずれ別れがくるとわかっていても、私はそれを選んだ」「愚かね」「愚かさ。愚かで何が悪い」つつ、と涙がこぼれた。「皆、私を置いて行ってしまう。わかっていたさ」
「清蘭もさ。鈴瑚もそうだ。人間達だってそう。古い知人は皆、死んでしまった。新顔連中と、新しい付き合いはできた。兎も皆、変わらずに私を慕ってくれる。でもね、私は変わってしまった。鈴仙は私の寂しさを埋めてくれた。鈴仙は私に、大きな穴を開けて逝ってしまった」
「恋をすれば?」「今はまだ、そんな気にはなれない」寝返りを打った。「死別なんて、幾度も経験した事だ。何度も恋をし、何度も別れた。もう二度と、恋なんてしないと思った。それでも私は、恋をしてしまった。鈴仙は死なない。永久に愛し合う――なんて、そう思ってた」
「あなた達には、寿命があるものね」メディスンはただ、頷いた。「最初に鈴仙を見つけたのは、私だった。最期に鈴仙を看取ったのも――私だった」涙がぽろぽろとこぼれて、止まらない。「今まで、幾多の命を看取ってきた」丸まって、泣いた。「いずれは、鈴仙の事も忘れてしまう」
「自分は薄情だと、そう言いたいの?」「その通りさ」「ふうん」メディスンが、私の隣に座った。「死んだ人は、あなたに忘れてほしいと思ってるんじゃない?」「そんなバカな事、あるか」「どんなものでも、死んだら終わり。いなくなった者の事を考えるのは、無駄だと思うけど」
「お前にはわかるまいよ」「ええ、わからない」メディスンが鈴蘭に手をかざすのを見た。「わかる人は、精々感傷に浸ればいい」メディスンが首を振る。「私にはわからないから、あなたが死のうとしている現実しか、見えてないわ」「お前も薄情だな」「だって、わからないんだもの」
メディスンは立ち上がった。「あなたと話していると、難しい気分になるわ」「お前と話してると、私が酷くちっぽけな気がしてくるよ」「私から見ると、ちっぽけな考えに見えるわ。でも、あなたにとってはそれが大事なんでしょう?」「そうさ」「それなら、大事に抱えていればいい」
私は、酷い咳をした。頭痛がする。吐き気が止まらない。「誰かに助けてもらうのを期待してる?」「どうだろう。そうかもしれない」メディスンが私を覗き込んだ。「きっとあなたを、誰かが探しに来るわ。迷惑な話」メディスンは私に背を向けたまま手を振り、静かに歩き去った。
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「よう、死にたがり」私は、一面の鈴蘭畑にいた。追いかけて正解だった。自殺兎は鈴蘭の中に埋もれている。そのまま放っておいたら、毒で死ぬだろう。もうすぐ遺体を、畑から引きずり出した。軽く揺すってやると、てゐは目を覚ました。自分の状況が、掴めていないようだった。
「自殺なんて、死後の扱いが最悪だぞ」頭をぽんぽん、と叩く。「構わないわ」「まあ待て。早まる前に話を聞きな」私はその場に座った。てゐの手を引いて、無理矢理に座らせた。「昔、お前が死にかけてた時、鈴仙に言ったことがある。お前さん達は、互いに強く依存しているってな」
「鈴仙は頷いていたが、実際その通りだったんだね。お前さんにとって、あいつは特別だった。……いや。お前さんにとっての恋愛相手は、いつも特別だったんだろう。そうでなきゃ、連れ合いをなくす度に死のうとする、なんて事を繰り返す訳もない。あんたは危なっかしいんだよ」
てゐがこちらを向いた。「死神だからね。そういうのは顔を見ればわかる」「放っておいて」「放っておいたら、死んじゃうだろ?」私は懐から飴を取り出し、舐め始めた。「いるかい?」「いい」いつ勧めても、遠慮されるもんだな。あたいは肩をすくめた。まあ、いいさ。
「お前さんは幾度も死のうとした。でも、死ねなかった」生き汚いのさ。てゐは自嘲した。その顔は悲しみにくれていた。「いいや、それだけじゃない」あたいは首を振った。「お前さんに、生きて欲しい。愛する人がそう願ったから。違うかい?」「違うわ」「じゃあ、どうしてさ?」
「私は生き汚いの」てゐは頭を抱えてしまった。「一緒に死んでほしい――なんて願いすら、叶えてやれなかった。心変わりした恋人に刺された時も、私だけが生き残った。関係を清算した相手も、結局は看取る事になった。その度に私は死のうとした。けれど、一度も成功しなかった」
「それでも、恋に生きた」あたいは静かに告白を聞いていた。「置いて行かれた悲しみを、新たな縁で埋めようとする。私はずっと寂しかったんだ。穴を埋めてくれるなら、誰でも良かったのかもしれない」節操のない、色ボケ兎さ。てゐは再び、自嘲した。「長く生きれば、色々あるさ」
「そうね」「色々、なんてのじゃ測られたくない。そんな顔をしてるね」てゐの顔が悲しみに歪んだ。「当たり前じゃない」「あたいには、それを推し量る事しかできないが」鎌を取り出し、担いだ。「死にたいってんなら、死神に頼むって手もあるんじゃないか」場を凍らせる、一言。
「そうしてくれるなら、嬉しい」「本気でそう思ってる?」てゐは頷いた。頷いて、手で顔を覆った。「もう一度聞くよ。≪本当に≫そう思ってるんだね?」てゐは顔を隠したまま、頷いた。「何度聞かれても、答えは同じさ」「そうか」私は鎌を持ち上げ、てゐの首元に当てた。
「だが、もう少し見せたいものがある。顔を上げな」てゐは顔を上げた。首元の鎌を見て、少しだけ震えたように思う。「――見せたいものって?」「お前さんにとっても、重要な事さ」あたいは指を鳴らした。周囲に霊力が渦巻いた。「特別に、お前さんの余命を見せてやろう」
私はてゐに、まじないをかけてやった。死神の目、お試し版だ。今ならブルーベリーエキスとセットで\3,980のお値打ち価格。今はツケといてやる。「どうだ。それがお前さんの余命だ」てゐが天を仰いだ。カウントが静かに進んでいた。百を切った。「ゼロになれば、お前さんは死ぬ」
「汝、余命幾許も無し――とまあ、あたいの行動如何によっては、どうとでも変わり得る数値だ。あたいがお前さんを斬首すれば、カウントは即座にゼロになるだろう」てゐはカウントをじっと見ていた。残り五十を切った。刃を引いた瞬間、兎の命は砕け散る。「――覚悟はあるか?」
てゐは一歩、後ずさった。あたいは踏み込んだ。首を斬り損ねるなんて、死神の名折れだ。残りのカウントは十を切った。「辞世の句を読むなら今の内だ」――九――八――七――「そうか、何もないか」――六――五――四――「さようなら、てゐ」――三!――二!!――一!!!
「――嫌だッ!!」
てゐが転がり、刃から離れた。飛び下がり、私を睨み――頭上のカウントを、はっと見上げた。カウントは、一で止まっていた。もはやそれは、動かなかった。「お前はここでは死なない。決して死ねない。例えあたいが、その命を終わらせてやろうとしても」あたいは、鎌をしまった。
カウントが逆回転を始めた。それは凄まじい勢いでカウントを巻き戻し、やがて、読み切らない程の桁数に達した。故なくば、こいつはいつまでも生き続けるだろう。「死にたがりさんよ、これでわかっただろう。お前さんはこれからも、悲しみを背負って生きなくちゃならない」
てゐの顔が、絶望とも希望ともつかぬ感情に、歪んだ。てゐは、死ねなかった己を責めている。てゐは、命を拾った事に安堵している。てゐは――鈴仙の事を想い、涙している。ぼろぼろと落ちる涙が、その顔を濡らした。てゐはうずくまり、その場に転がった。頭を抱え、泣き続けた。
あんたは死なないよ、幸せ兎。いいや、死ねないんだ。お前が背負っているものが、お前を置いて逝ってしまったものの意思が、お前の生き汚さが、お前を殺さない。殺させようとしない。お前は多くのものを抱えて生きる、使命がある。実際――これまでも、そうしてきただろう?
「死人を弔う心は大事だ。でもね、いつまでも死人を想っちゃいけない。後を追うなんてのは最悪だ」てゐの傍に座り、頭を撫でてやる。「お前さんはわかっていただろうに。悲しみも、いずれは忘れる。そういう風にできているのさ。忘れるから――前を向いて、生きていけるんだろ」
てゐは起き上がり、座った。最後の涙が落ちた。「ほら、ね。悲しみは永久には続かない」「――わかってたさ。でも――私は、忘れるのが怖かった。どれだけ愛し合った人も、看取った人も、すべて忘れてしまったら、私には何が残るの?」「今が残る。そして、お前さんが残る」
「恋だけが悲しみを埋めてくれるのなら――また、恋をしな。お前さんを好いてくれる人は、何処かにいるだろう。今までも捕まえたんだ。これからも捕まえられないなんて、ありゃしないさ」てゐは多分、呆然としていた。てゐはあたいを見た。てゐは――あたいから、目を逸らした。
「――例えば、あなたとか」「ん?」てゐは視線を泳がせながら、こっちを見た。「恋をしな、なんて――多分、初めて聞いたかも」「そうかい」あたいは飴を取り出した。「いるかい?」「頂戴」てゐはあたいに顔を近付けた。包み紙から出して、開いた口に放り込んでやった。
「あなたはどうなの?」「何がだい?」「恋をする、なんて」あたいは頬を掻いた。「そういえば、浮いた話はまったくないな」職場が職場だからね。あたいはてゐに応えた。「そうか、ないのか」てゐが脚をぶらぶらさせる。「そういうのに興味はあるかい?」「さあ、どうだろうな」
「もし、興味があるならさ――」「さっきから歯切れが悪いね」てゐが勢いよく頭を振った。「私はね、惚れっぽいのさ」てゐの言葉で、あたいはようやく何を言われているのか、わかってきた。あたい、口説かれてるんだ。……参ったね。こんなのは初めてだよ。どう答えればいいんだ?
「答えに困ったなら、私の言葉を聞いておくれ」てゐがこちらに近付いて、座り直した。「私は因幡てゐ。兎達の頭目。竹林の領主。愛され体質にして、幸運を運ぶ者」てゐは肩書をつらつらと並べた。「そして――恋する、一匹の兎」てゐはもじもじしていた。意外だと思った。
「お前さんはもっと、図太いと思っていたが」「図太いさ。ただちょっと、夢見がちなだけ」首を振るてゐの顔が、少しずつ赤くなってきた。「あの子が――居なくなって以来、こんなに私の事を思ってくれる人なんて、いなかったの」「まあ、あたいはお節介だけどさ。そんなにかい?」
「二度も、命を助けてくれた」「一度はお前さんの選択だろ。全部、成り行きさ」「成り行きでも構わない」てゐは耳を掻いた。それを丁寧にグルーミングし始めた。「それであたいに、鈴仙の代わりになって欲しいって?」「違う。そんなんじゃ――」「はは。意地悪だね、これは」
誰かの代わりになんて、誰にもなれない。それは同じようで、似ても似つかない。お前さんが鈴仙に求めていた事と、あたいに求めようとしている事は、まるで違う。「――ま、そうだね。もう少し考えてみよう。お前さん、もっと口説けるかい?」「もち」てゐが勢いよく頷いた。
「このてゐ様は――あれ。そういえば、名前を聞いてないわ」「ずっと前に言った気もするが、あたいも忘れてるな――小町だよ。小野塚小町。小町でいい」「オーケー。小町、あなたはてゐ様にかかれば、幸運に満ちた生活が送れるわ。仕事運も金銭運も、恋愛運だってうなぎのぼり」
「恋愛運は上げちゃダメじゃないか?」「恋が上手くいくって意味だから、いいのさ」ししし、とてゐは笑った。「兎が好きならいくらでもハーレムが作れるし、何なら永遠亭に住まわせてあげても――」「死なない奴が二人もいる所は、ちょっと遠慮しとくかな……」「あら、そう?」
「――ともかく。私とくっつくと、これだけの特典がある」「特典、ねぇ」あたいは顎に手を当てた。「大事な事が抜けてるんじゃないかい?」「大事な事?」てゐは首を傾けた。「あたいを愛してくれるか、って事さ」てゐはハッとしたようだ。「そ、そりゃ、愛して見せるともさ!」
「本当に?」「ホント、ホント」「お前さんは、嘘吐きだしなぁ……?」「嘘じゃないよ!」「嘘じゃないんだね?」「ああ、絶対に!」あたいはニヤニヤと笑った。「いや、すまないね。ちょいと、試してみたかっただけさ」あたいは、てゐの背に腕を回す。てゐの手も、そうした。
「まずはお友達から。それでいいかい?」「いいともさ」「決まりだ」腕を引き、てゐを抱き寄せた。「こういう時は、愛の言葉の一つや二つは囁くもんじゃないのかい?」てゐがししし、と笑った。「あなたが好きさ。あなたの心にもっと触れたいよ。お願い、もっと暖かさを頂戴――」
「んん?――聞こえないねぇ?」あたいはてゐをぐい、と抱き寄せ、頭を撫でてやった。「あたいもまあ、好きだよ。いつまで好きかはわからないけどね。お前は頑張って、あたいを繋ぎとめておくれ」「私はぐいぐい行くよ?」「そりゃあ、楽しみだ」耳を掻いてやる。ふかふかだ。
しばらく、そうしていた。あたい達は立ち上がり、そっとハグをした。身長差があるから、子供とやってるみたいだけどね。まあいいさ。てゐが肩を指差した。あたいがハテナを浮かべていると、てゐはぴょんと飛び上がり、あたいの肩に乗っかった。やれやれ、やる事もまるで子供だね。
「いつもこうしてたのかい?」「いつもこうしてたよ」てゐがあたいの頭を撫でた。「こうでもしないと、届かないからね」「あんまり撫でないでおくれ。恥ずかしい」「おや、失礼」よろけそうになる身体を、片手で支えてやった。てゐはししし、と笑った。あたいも、つられた。
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そして――名残惜し気に、てゐは去っていった。そもそもが買い出しの途中だったらしい。叱られてくるといいさ。あたいは夕日を眺めながら、先の兎の愛の言葉を反芻していた。あなたが好きだ。中々出てくる言葉じゃない。もし、好きだと応えたら――それはもう、恋の始まりだろ?
あたいだって永遠の存在じゃない。もしも、川を渡る者が一人もいなくなれば。もしも、お役御免を命じられたら。もしも、あたいが他の人を好きになったら。その時は、お前の前からあたいは姿を消すだろう。ただ、人より少しばかり長生きなだけだ。終わりは必ずやってくる。
でも。それでも。ここらで一つ、恋をしてみるのも悪くはない。人生経験。日々の張り合い。或いは、相思相愛への道すがら。お前があたいをどう愛してくれるのは、まだわからない。気に入らなければ、容赦なくフッてやる。でもまあ、そうはならないだろう。お前さん、経験豊富だろ?
「余命幾許も無し――か」
兎の恋路は、いつまでも、いつまでも続きそうだ。