―≪嘘≫を守り通そう―
幾百幾十年。新たな恋は、燃え上がるように。
一面の草原。暖かな太陽。吹き抜ける風は、すがすがしく。
私の頭を優しく梳くのは、死神。嫌われ者。死を運ぶ者。……ま、小町はそういうのとは少し違うけどね。「柔軟剤使ってるだろ?」「てゐ様はナチュラルさ」私は小町の膝に座っていた。そのくらい身長差がある。平均よりずっと高い。私なんて、ひょいと掴んで持っていけるくらいに。
「気持ちいいよ」「そうかい?」勝手がわからないね、と小町は首を傾げた。「この耳は、どんな音を聞いてきたんだろうな」小町の手が耳を撫で始めた。ふかふかで、自慢の耳だ。「色々な音を聞いたさ。気楽な音に、苦難の音。歓喜の音、そして――悲愴な音も」「思い出せるかい?」
「いくらかは、ね」私はししし、と笑った。「――昔の彼氏の話になるけど、いいかい?」「ああ、別に怒らないよ」「オーケー」この耳が聞いた音を思い出す。「辛い別れの前には――当然、幸せな時間があった。大抵はね」足を揺らしながら、思い出す。遠い記憶を、掘り起こす。
「そういう時には、皆――私に囁くんだ。あなたが好きだ。あなたが欲しいってね。何度聞いても、それは私を喜ばせた。愛されている実感が湧いたのさ」「あたいにもそうして欲しい?」「今はまだ、いいかな」私は首を振った。「もっと、最高のタイミングで聞きたい」「なるほど?」
小町はははは、と笑った。私もつられた。「けれど、喜びばかりじゃなかったよ。誰かの憎悪だって沢山聞いた。仲違いした思い人が、それを口にした。愛する人に後ろ指差すものが、陰口を叩いた。思い人の親類縁者が、私を貶した」小町に寄り掛かる。「私にはどうしようもなかった」
「何だって、思い通りに行くとは限らないさ」「わかってる」私がもじもじすると、小町は腕を伸ばし、私を抱いた。「最初はね、何だって思い通りに行くんじゃないかって、想像してしまうのさ。何の根拠もなく、ね。そしてそれは、いつも破れた。身勝手な傷だ。そう思うだろ?」
「そう思うよ」小町は私を抱き込んだ。「なら、今はどうだい?」そんなの、決まっているじゃないか。「何だって、思い通りに行くと思ってるさ」「いいね。なら、私もそう思っていいんだね?」「勿論さ」小町の胸が、私の背中を温かく迎えている。「――お前さんは、暖かいな」
「お互いね」小町は腕を放し、膝に乗る私の髪を、耳を、再び梳き始めた。「楽しい音は――まあ、色々ある。主に兎の事さ」私は地面を指差し、すとん、と指を落として見せた。「落とし穴を掘るんだ。そうすると、獲物がかかる。良いもの、楽し気なもの――たまには、危ないものも」
「一番良い獲物は?」「――鈴仙かな。ちょろい獲物だったよ」私は多分、にやけていた。「わかっていても、引っかかるんだ。もしかすると、私につき合ってやってたのかもしれないね」「あたいは引っかけるかい?」「どうかな。気が向いたら、また穴掘りを再開してもいいな」
「はは、お手柔らかにね」「勿論、最高の落とし穴に落としてやるとも」ししし、と笑った。思えば――あれからはずっと、心から笑う事なんてなかった気もする。耳を澄ますと、妖怪兎達の喜びの声、兎が飛び回る情景が見えるようだった。それはきっと、とても幸せな時間だった。
知り合いの兎を亡くしてからは、妖怪兎達も元気がなくなってしまった。本当は私が鼓舞しなければならなかったのに、私は兎達よりも深く、悲しみと絶望にくれていた。竹林を立ち去る兎も出てきていた。私にはもう、それを繋ぎとめるだけの人望もなくなってしまったのだと思う。
「何か、悪い事を思い出したかい?」小町の声で、我に返った。そうだ、今は違う。悲しみは私の中にある。絶望は常に私を狙い定めている。けれど、私には私自身が、そして今があるじゃないか。「ちょいとね。もう、何ともない」「そうかい」小町は梳くのを止め、私の頬を伸ばした。
「何すんの」「もちもちしたくなった」理由になってない。「赤ちゃんのお肌って奴だ。張りがあって、柔らかい」私の許可も取らずに、指がぶにぶにしている。「お前さんがどれだけ生きているか、まったくもって見当もつかないが――このまま一生、子供のままでいるのかい?」
「その方が気楽なのさ」「わからなくはないな」小町が噴き出した。「誰もがそんな風に生きられる訳じゃないが」「やろうと思えば、できるものさ。それが許されないのは、しがらみがあるから。けれど、私も、小町も――多分、孤独のままでは生きられない」「代償としては、高いね」
「独りでも構わないって人はいるけどさ」私は指をどかしながら、話す。「私は賑やかな方が好きさ。何しろ私は、兎達の頭目だもの」「この間、見たけど――まあ、凄かったね。あれだけの数をよく食わせていけるもんだ」「そこはまあ、ちょっとした裏技があるのさ」「はて?」
小町が再び、頭を梳き始める。「人からは毛嫌いされるタチだからね。独りだ、とまではいかないけど、まともなお付き合いは考えていなかった。いわんや、浮いた話をや。そんな私を受け止めたのは――多分、お前が最初だよ。或いは最後かもしれない」「ああ、最後にしてみせるさ」
「ねえ、小町」「何だい?」「聞き忘れてたけど、小町は今まで、幸せになれたかい?――私の幸運、ちゃんと効いてる?」小町は少し、考えていた。「理由はわからないけど、給料は上がったね。休暇も増えた。まさかホワイト企業になろう、なんて風の吹き回しでもないだろうが」
「後は――居眠りが見つかる回数が、心なしか減ったような」「それは多分、私のせいじゃないと思うわ」ししし、と私は笑った。小町もつられた。「まあ、即物的にはそのくらいさ」「――恋愛運は、どう?」「そうさね――今の所は、上手くいっていると思うよ」小町が私を抱き込んだ。
「あなたは、私が好き?」「藪から棒だね」「恋とはいつも、藪から飛び出してくるもんさ」私の持論だ。小町は笑っていた。「ああ、好きさ。でも、これだけじゃ味気ないな」「そうね」「そうさね」小町は腕を離した。私は立ち上がり、小町を見た。およそ、丁度良い高さだった。
「おいで」私はそのまま、小町に抱き着いた。「来たわ」二人の頭が、肩で交差する。「逃がさないよ、悪戯兎」背中に腕が回る。互いに顔を近づける。鼓動すら、私の耳は捉えている。私達は限界まで近づき――耳のようにふわりとして、底に熱さを秘めるような――キスをした。
「八回目」口を押えながら、小町は呟いた。「んん?」「八回めさ。キスがね」小町は少しだけ、頬を染めていた気がする。私の方はもう――大変な事になっていたんじゃないか。「そんなに少なかった?」「その内、数え切れなくしておくれよ。悪戯兎さん」「勿論、そうしてやるさ」
私は膝に乗り、互いに身体を引き合った。しばらくずっと、そうしていた。草原に風が抜ける。穏やかな気候だ。私達の前途も、そうなればいい。期待でもない。願いでもない。そうするのは、私達だ。「ずっと、一緒にいよう」私はまた、嘘を吐いた。「ああ」嘘を吐かせてしまった。
「嘘でもいいのさ」考えを悟られたように、小町が囁いた。「嘘が≪嘘≫になるまでは、本当だろ。なら、≪嘘≫を守り通そう」「――そうしよう。いや、そうする。そうしてみせる」「いいね」小町は私を膝から降ろし、隣に座らせた。「今更だけどさ、これってデートなのかな?」
「私はそのつもりだったよ」「あたいも――まあ、少し違和感はなくもないが」小町が頬を掻いた。「もう少し刺激のある場所がいい?」「たまにはね」「よし、てゐ様に任せなさい」私は財布を取り出し――ああ、ダメだこりゃ。この間、妖怪兎にウノを何組か買ってやったんだった。
「今月は潤ってるから、あたいが出すよ」「えっ?」私は何とか手立てを考えていた。このてゐ様がお金を出させたなんて、そんなのはプライドが許さないぞ。「――お金貸して?」「いいけど?」何だか本末転倒な気もするけど、まあ、これでいいか。「じゃ、里に繰り出すとしますか」
「――そろそろ変装着もヘタッて来たから、買い替えたいね」「あ、私もそうしよう」「お前さん、チョイスが地味すぎるよ。あたいが選んでやる」「白黒は私のチャームポイントなのさ」「まあ、たまにはいいじゃないか――」私達はゆっくりと歩き始めた。春。風が、私達を撫でた。
私は今、幸せだよ。
最期にあなたが言ったように、必ず幸せになるよ。鈴仙。