―最高の幸せを与えよう―
「なあ、霊夢」
「なによ」「その反応も聞き納めかもな」私は首を振った。霊夢はまるで気に留めず、茶をすすっている。「なあ、霊夢」私は語り掛ける。語り続けたかったんだ。「もし、もしも、私がいなくなったら――お前は、悲しんでくれるかな」霊夢は目を閉じた。少し、考えているようだった。
「どうかしら」霊夢が口を利いた。予想していた答えではあった。「いなくならないでしょ、あんたは」「まあ、ものの例えだぜ」霊夢は首をかしげてみせた。「まるで今からいなくなるみたいな口振りね」いなくなる。そうだ。私、霧雨魔理沙は、この世からいなくなるかもしれない。
「かくれんぼは上手だからな」縁側に倒れ込み、空を見る。嫌になるほどの快晴だ。「私とやるか?――かくれんぼ」「やらない」――どうしてそんな事を問いかけてしまったのか。霊夢のそっけなさが、今はありがたい。「いや、そうだよな。わかってる」ああ。嫌になるほどの快晴だ。
私の心に霧雨が降っている。これが晴れるか、それとも暴風雨になるか、或いは凪いでしまうか。私はその答えが欲しかった。……だから霊夢を当たったのか? 私は一体、何をしに神社くんだりまで飛んできた? 私は――ごく自然に、ここにやってきた。そこに、何の思索もなかった。
「これはお前にしか話さない」
霊夢がこちらを向いた。けだるげな雰囲気はもう、ない。こいつの勘が、私の不穏さを感じ取ったんだろう。「何て言うか、火遊びをしようと思ってる」お前の視線が私を見ている。「何、魔法使いなんて常に危険な稼業だ。お前だって知ってるだろ?」霊夢は視線を逸らし、頷いた。
「ちょいとばかし、危険な実験なんだ」私は起き上がり、霊夢を見た。「これが成功すれば、私は魔法使いとして飛躍する。賭けてもいい。胴元は私だけどな」「ふうん」「お前もいっちょ噛むか?」私の笑みは――或いは、から滑りしていたかもしれないな。「いらないわ、そんなの」
「失敗すれば――多分、死ぬ」死ぬ、の部分は小声だった。聞かれたくなかったからだ。「死ぬ?」「ああ」霊夢がこちらを向き――その顔は、少しばかりキツかったように見える。いや、実際キツかった。この顔は、怒り――いや、怒っているように装っている時の顔だ。私にはわかる。
「止めたら?」
私は首を振った。「止めなさいよ」首を振り続ける。「止めなさい」私はスックと立ち上がり、背を向けて歩き始めた。「止めて」箒に跨り、手を振った。「――止めて」霊夢が――私の手を掴んだ。暖かい手だった。「もし、もしも、あんたがいなくなったら――私は、悲しいわ」
「そうか」私は振り向き、手を掴み返した。「別に、試そうって訳じゃないんだ。魔法への渇望だって収まったわけじゃない」私の頭の中で止めて、という言葉が反響している。「それでも、止めて欲しかったのかもな」私は笑った。悲しいのに、笑えるのは――大人の仕業だろうか。
「――止めてくれるんでしょう?」霊夢はこちらを真剣な顔で見ていた。「いいや」私もそうだ。真剣な顔をしていたと思う。「私は止めない」「どうして」「止めたくないからさ」はは、答えになっていないな。だがな、霊夢――これはお前の為でもある。いや、お前だけの為だ。
「独りよがりだわ」「魔理沙さんはいつでも勝手なのさ」帽子を目深に被り直す。お前の視線を浴びるのが、少しばかり怖くなったんだ。「止められないんじゃ、私から言う事は何もなくなっちゃうじゃない」「それでいい。ただ、黙って命を賭けるなんてのは、お前に失礼だと思った」
箒を立てた。「きっと成功するさ。今はそう、辛かったりするかもしれないが――いずれ、お前を最高に幸せにしてやれる」私は霊夢を無理矢理に座らせた。「お前に何を贈ればいいか、ずっと考えていたんだ。ずっと考えて、思いついた」最後に、霊夢の顔を覗き込む。困惑の双眸。
「じゃあな」私は一気に空へと飛び上がった。霊夢が伸ばした手は、振り払った。それは今の私には必要のないものだから。すべての用意は済んでいる。予定は随分前倒しになったが、今の私なら五分五分――いや、百パーセントだ。成功させるさ。だってこれは、お前の為なんだもんな。
―――
―――
「なあ、霊夢」
霧雨と共に現れた少女が、私の傍に座っている。昔とまるで同じ姿。白黒の衣装を身にまとい、箒で飛ぶ姿は、疑いようもない。霧雨魔理沙。「なによ」「ああ、その反応だ」魔理沙は心底嬉しそうに笑っていた。子供らしい笑顔だ。「今日はお前に、プレゼントを持ってきたんだぜ」
そう言うと、魔理沙は鞄から水薬を取り出した。「渾身の出来だ。テストはしてないが、まあ大丈夫だろ」瓶の中で星がきらめいた。「こいつを飲めば――時が止まる。あの頃の姿を取り戻せる。今のお前には絶対に必要なものだ」魔理沙の手が、私の手を取った。私は口を挟めなかった。
「副作用が気になるか? 何、ただちょっと――人間を辞めちまうだけだ」水薬が静かに揺らぐ。「妖怪神社が完全体になっちまうかもな」私よりも低くなった――いや、私の方が高くなったのだ。少女の顔を見下ろす。魔理沙は胸を張った。「これが、お前にやれる最高のものだ」
≪魔法使い≫になった少女の顔は、自信に満ちていた。まるで私がそう頼んだかのように、私自身の望みを決めてかかって憚らない。二人、縁側に座っているのに、その間にはまるで大きな亀裂が入ってしまったように感じる。いつからかもう、魔理沙の考えはわからなくなっていた。
「いらないわ」
私は首を振った。「飲んでくれよ」首を振り続ける。「飲んでくれ」私はスックと立ち上がり、背を向けて歩き始めた。「飲めよ」御幣を取り、手を振った。「――飲んでくれ」魔理沙が――私の手を掴んだ。小さな手だった。「もし、もしも、お前がいなくなったら――私は、悲しい」
「そうね」私は振り向き、手を掴み返した。「別に、試そうとした訳じゃないわ」魔理沙の頭をわしわし、と撫でた。「でもね、私は一生人間として生きて、そして死ぬつもりよ」魔理沙は目を見開いた。手が握り込まれた。「なんでだよ?」「あんたほど、執着がないからかしらね」
私は笑った。悲しいのに、笑えるのは――大人の特権だ。夏の太陽。それから生み出される影は、私の方がずっと長い。「それじゃ、お前はいつか――私を置いて逝ってしまうのかよ?」魔理沙の双眸に困惑が浮かんだ。「あんたはそれが怖かったのね」私は一つだけ、魔理沙を理解した。
「あんたは――私に、悠久を生きて欲しかった訳じゃない。≪あんた自身≫が私、博麗霊夢を失いたくないから、そうしようとしたんでしょう」魔理沙の顔色が変わった。一歩、二歩下がり、縁側にへたり込んだ。「如何にも子供の理屈だわ」後ろを向いた。彼女を見ていられなくなった。
彼女は魔法使いだ。寿命など、どうとでもなる。私を失った悲しみは、あんたが生き続ける限り、続くだろうか。それとも、あんたの心は――それに、耐えられないかしら。私にはわからない。わからないけど、あの時――最高の幸せを与えようとしたあんたは、きっと本心だっただろう。
願いと利己、どちらが先なんて関係ないのかもしれない。魔理沙が用意した船に、私は乗らなかった。それはあんたが利己的だったから? でも、始めは祈りだったはずだ。それがいつしか、己を縛る呪いに変わった。きっと、あんたは――あの頃を、いつまでも続けていたかった。
でもね、終わりのないものなんてないの。いつまでも生きていたい。確かにそれは魅力的かもしれない。でもそれは、人間を辞めてまで欲しがるものじゃない。私は今までの経験で、そう結論付けたわ。あんたが人間を辞めてから、その思いはずっと、ずっと強くなったかもしれない。
さっきまで降っていた雨は、しとしとと境内を濡らしていた。水たまりに映った私の姿。大人になったその姿。置いて行くのはあんたも同じ。もう、あんたと同列にはいられない。それはあんたの望みではなかった。私もそれを望まなかった。行き違いと称するには、あまりにも悲しい。
「なあ、霊夢」
魔理沙の声を、聞きたくなかった。それでも隣に座った。亀裂が少しでも埋まればいい。あんたとは新しい付き合いができればいい。あの頃は、あの頃なんだから。「なによ」「――いつかはその答えも、聞けなくなるんだろ?」「そうね」「そうねって、お前――そりゃないぜ」
「そう、ないのよ。私があんたにかけてあげられる慰めは、もうこれだけ」魔理沙は怯えていた。どんな言葉でも、それは収まらなかったに違いない。だから、私は突き放した。「あんたは二度と私と並ぶ事はできないの」涙が一粒、帽子の下から零れた。魔法使いも、悲しければ、泣く。
「けど、そうね――私は死ぬまで、あんたの≪お姉さん≫ではいられるわ」魔理沙がびくりとした。帽子を傾け、顔を上げた。「それって、どういう――」「別に、お母さんでも構わないけど」私はくすくすと笑った。魔理沙はようやく事態を飲み込めたのか、穴が開くほど、私を見た。
「それは、つまり――今まで通りに付き合ってくれるって事か?」「違うわ。今から始めるのよ。人間を辞めたあんたとの、新しい関係をね」御幣で帽子をつつきながら、私は答える。「新しい、新しい関係――」そうよ、魔理沙。「それで少なくとも、死ぬまではきっと最高に幸せよ」
「本当か!?」顔を上げた拍子に、帽子が落ちた。「まあ、あんたが絶交したいのなら、話は別だけど」「しないしない!」ああ、また試しちゃったかな。あんたがそうしよう、なんて言うはずがないのはわかってた。見失ったあんたの事が、また少しずつ分かり始めた気がする。
「さあ、気を取り直しなさい」私は金色の髪に、トレードマークを被せてやった。「久し振りに遊びに行きましょう。ついてきなさい」「ちょ、待てよ!」飛翔した私の後ろから、箒が追い抜き、そして隣に並んだ。空の上には、あの時の思い出が一杯ある。それはいつまでも変わらない。
「ところであんた、親父さんの所には謝りに行ったの?」「あ?――いやあ、気が向かなくてさ」「人間はいつまでも生きてないのよ」首を振る魔理沙を見て、私は笑った。魔理沙もつられて笑った。これからのあんたは、色々なものを、本当に色々なものを見ながら生きていくのね。
「さて、何処に行く?」「久し振りにやらない?」「おう、やろうぜ。弾幕ごっこ」しかし、歳を取ると当たり判定が大きくなった気がする。別に太った訳じゃない。じゃないはず。ちょっとそうかもしれない。私達は周囲に被害の出ない――まあ、多少は出る感じの場所へと飛んだ。
「研究は怠ってないからな。負けないぜ!」「こちらこそ、勘は鈍ってないわよ!」