東方短編集   作:slnchyt

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一口だけ頂戴

―一口だけ頂戴―

 

「一口だけ頂戴」

 

はたてさんから見た私は、きっと目をぱちくりとしていたに違いない。無意識に耳が立った。投げかけられた言葉を反芻するように。「ダメ?」昼飯時の店内はいささか騒々しいが、その言葉は微笑みと共に確かに私に伝わっていた。向かい合う二人の座席を、給仕が足早に通り過ぎる。

 

「――はしたないですよ」たっぷり考えて、返答がそれだ。如何にも面白味がないな、と自分でも思うが、こればかりは性格だ。視線を泳がせる。目下には半分ほど食べかけたトンカツ定食(戯画MAX盛)が鎮座していた。別に一口が惜しい訳じゃない。足りないなら何皿でも頼む。

 

問題はそうではない。そうではなくてだな。「椛」カチャリ、と食器が鳴った。顔を上げるとはたてさんの顔、そして銀の匙。その上には洋風炒飯を卵で巻いた、オムライス――だったと思う――が乗っかっている。ふわふわとした外見から想像される食感に、私は想像を巡らせた。

 

「じゃあ、私からもあげる」差し出された匙の向こうで、はたてさんが笑っている。悪い笑みだ。私の反応を楽しんでいるな。絡み合った視線に、思わず目を細める。稀によく、はたてさんは我儘を見せる。それを許される環境で、まっすぐに育ってきたのだ――とは、文の言葉だったか。

 

「……一口だけですよ」貰う方が言うのも何かおかしい気はするが、私は身体を伸ばし、匙に向けて口を開いた。はたてさんもそれ以上の悪戯は好まなかったようで、一口分のそれはあっさりと私の口の中へと入り込む。口を閉じる。ケチャップの酸味と共に、匙が口から抜けていった。

 

丁寧に咀嚼する私を、楽しげな瞳がじっと見つめている。こういった小洒落た料理は滅多に口にする事もない。白狼天狗は質より量なのだ。「美味しい?」「――はい」食に頓着するタチではないが、これが美味しい部類なのは想像できる。想像よりも複雑ではない。むしろ素朴な味わい。

 

――だが、しかし。そう言う事を聞いているのではないのだ。私にだって分かる。正確には分からされた事がある。朴念仁とて付き合い続ければ学べるものもある。言葉は時に何重もの意味を持つ。「えへへ」はたてさんは口角を上げると、己の唇に人差し指をとん、とんと当てた。

 

私はカツを一切れ、箸で半分に切ると(断じてケチではない。とても彼女の一口には収まらないのだ)、はたてさんの眼前にそれを差し出した。はたてさんは目を閉じると、静かに口を開けた。カツが入り込む。箸が舌に触れた。まるでそれが合図だったかのように、口がすっ、と閉じる。

 

箸を引き抜いた先で、咀嚼が始まった。私はその始まりから終わりまでをじっと見ていた。喧騒が――いや、私自身の感覚すらも遠く感じた。半目を開けてこちらを見ている事に、気付かないほどに。「美味しいね」はたてさんの一言で、我に返った。目前の顔が、何故か赤らんでいた。

 

「このお店、何を頼んでも美味しいから、目移りしちゃう」皿を匙が走り、オムライスの一部をさらった。匙がはたてさんの口へと滑り込む。滑り出す。何故だろう。私はその仕草をじっと見ていた。「――よお!」不意に、聞き慣れた声がした。目線を向けた先に、青い髪と緑の帽子。

 

普段の私ならきっと接近に気付いただろう。ただ少し、気が散っていた。それだけだ。「昼間からいちゃつきやがって」歯を見せながらニヤつく顔が、私の隣へ無遠慮に座った。河城にとり。そこらで顔を合わせる程度の顔なじみだが、天狗の飯屋まで出張ってくるのは珍しい。

 

「珍しいって顔してるな」手にしていたサンドイッチとサラダの皿をテーブルに置くと、にとりは先手を打った。「お宅の大将の御殿で工事やってんのさ。冷房工事」にとりははたてさんへ目くばせをすると、何やらハイテックな話を始めた。冷房。はたてさんの部屋にはあったな。確か。

 

「――そんでまあ、近場で食事を済ませてる最中なワケ」キュウリの入った――キュウリしか入っていない?―――サンドイッチを一齧りし、辺りを見渡すにとり。見れば確かに、テーブル席には河童が固まっている。烏天狗達とは微妙に距離があるのは、実際気のせいではない。

 

身分の違い。住む所の違い。今はそれでも随分と寛容になったのだというが、千年の昔を知らない私には分からない。……何よりも、私の存在それ自体がこの場に相応しくないのだと言えば、その通りなのだ。ここは烏天狗の領域。はたてさんがいるから、白狼天狗の私はここにいられる。

 

――はたてさんがいなければ、か。私一人の世界なんて、きっと狭いものだ。ねぐらと歩哨を往復するだけの日々。不満がないとは言わないが、そういうものだと納得していたつもりだった。はたてさんに出会うまでは。あれから幾月、色々なものを見た。これからもそうだろうか?

 

半分に切れたカツを口に運び、噛む。今日の私は少しばかり、ぼんやりしていたかもしれない。隣から愚痴られる苦労話なんて半分も聞いていなかったし、口元に注がれた視線にも気付かなかった。「――てな訳で、お宅の大将ときたら施工費三割も値切りやがって――おい、聞いてる?」

 

「私は聞いてるよ」はたてさんの匙が残りをさらった。「飯綱丸様は倹約家で有名だからね」「カネモチはみんなそれだよ」呆れ果てた、といった調子でにとりが椅子に背を預けた。「下々にも分けて頂けませんかねえ」最後のサンドイッチを大口で一息に吸い込み、大袈裟に頭を振る。

 

「じゃあ、奢ってあげよっか?」「マジで!?」俄かに身を乗り出した業突く張りを、私は腕で制した。「こいつの言う事は話半分で良いんです」「何だとう? お前だって奢って貰ってる癖に」「……」「――って、図星かよ!」うるさい。払おうとはしているんだ。一応。確かに。

 

「そんならさ、追加でデザートとか頼んでも……」「いい加減にしろよ、お前――」「いいよ?」言われる前から、既ににとりはメニューを広げていた。「いいって」聞こえたよ。全く。はたてさんは如何にも人が良すぎる。「キュウリのパフェはないのか?」美味いのか。それは。

 

「私もケーキ頼んじゃおうかな」はたてさんがメニューを指差している。端々しいフルーツケーキの絵図。選択は素早かった。うんうん唸る優柔不断を差し置いて、給仕に目的のものを注文する。「椛は?」「いえ、私は――」最初からそのつもりはなかった。遠慮の気持ちも、ままある。

 

「そっか」はたてさんは敢えて勧める事はしなかった。まあ、掛け値なしに山盛りのカツを片付けている最中に追加も何もないものだが。「――ちょっと、おトイレ行ってくるね」はたてさんが席を立った。にとりもようやく注文を決めたようで、会釈した給仕が奥へと歩き去っていく。

 

―――

 

  ―――

 

「なあ」先に口を開いたのは、にとりだった。野菜サラダの残りをフォークでちびちびと齧りながら、こちらを横目で眺めている。串刺しになったトマトが潰れ、紅い汁が溢れた。体型の割に血の気のないものを食べるものだとは思うが、まあこれも好き好きだろう。「――何だ?」

 

「お前らまさか、あの食べさせ合いって、毎回やってるのか?」「いや」私は首を振った。覚えている限りでは、初めてだ。だから少々戸惑った。「へえ?――そうか。初めてなんだな」にとりの言葉には何やら含みがあったように思う。「何が言いたい」「いやね、あれって――」

 

「間接キスじゃん?」

 

ニヤリと笑いながら、膝が脇腹をつついた。「間接――何だって?」「とぼけちゃってぇ……」如何にもからかうように、にとりは口を尖らせ、鳴らせてみせた。行為の意図する所は私にも分かる。だがしかし、それが何か特殊な意味を持つのか? 少なくとも私に、そんな知識はない。

 

「回し飲みくらい、普通だろう」「恋するお嬢様にとっちゃ、普通じゃないんだよ」やれやれ、とにとりは腕を広げてみせた。「私らみたいなのがやるのとは違うんだ。そのくらいは弁えてると思ってたけど――育ちの悪さってのは出ちまうよなぁ、ハハ」にとりの手が、私の水に伸びる。

 

そのまま一息に呷ると、静かに首が振られた。「そういうの、気付いてやるのも――いや、乗ってやるのも彼氏の務めだとは思うがねえ?」「誰が彼氏だ」「お前以外の全員がそう思ってるよ」にとりは自分の水に手を伸ばした。「ほら、この水。飲めるか?」質問の意図が分からない。

 

「これからも気にかけないってんなら、それもいいさ。でもな、お嬢様の目の前ではやらない方がいいと思うぞ」にとりは何やら忠告らしき言葉を紡ぐと、自分の水を一気に呷った。「気にする奴は気にするもんだ」袖で口元を拭い、両肘をついて、何やら遠くを見ているようだった。

 

―――

 

  ―――

 

はたてさんが戻ってきた後も、私は会話に入りこめていなかった。間接キス。確かに料理の行き来はそれそのものだったかもしれない。だが、私にとっては仲間内で食器だの水筒だのを使い回すのは当然の事で、それに特別な意味を感じた事はない。例えばそれが、重要な事だとすると?

 

直接聞くのは憚られる。私とてそこまで馬鹿正直ではない。いや、そうであれば幾分か良かったのかもしれない。少なくとも思い悩むような事はない。特別な意味。気付いてやるのも、乗ってやるのも彼氏の務め。私はどう動くべきだったか。使命があったのだとすれば、責任も感じる――

 

「――おい、椛。寝てんのか? 大体、食い過ぎだぞお前」うるさいな。私は食いたいだけ食う。それだけだ。「食べさせがいがあるよね」はたてさんが笑っている。その表情からは落胆の色は伺えない。――案外、考えすぎではないだろうか。最後の一切れを口にしながら、そう思う。

 

「美味しいよ、このケーキ」にこにこしながら、はたてさんが言った。口元からフォークが引き抜かれる。残りのケーキはおよそ1/3。二回ほど切り取ればなくなってしまうだろう。――待てよ、二回? 一瞬閃いた予感が、しかし正しかったのだと証明されたのは、直ぐの事だった。

 

「はい、椛」

 

切り取られたケーキが目前へと迫る。これは――そうだ。間接キス。私は先程とは打って変わって緊張していた。にとりが嫌に真剣な顔をしているのにも気付かない。断ろうとした。出来なかった。目前の瞳に、そして期待を孕んだ表情に魅入られていた。はたてさんは、楽しんでいる。

 

「あ……いや、その……」躊躇う私の前でフォークがぐるぐると踊った。何を躊躇うものか。さっきは何の抵抗もなく口にしたじゃないか。だが。しかし。柄にもなく赤面するのを感じる。にじり寄ったケーキの先端が私の唇を突いた。このフォークには――はたてさんが触れていたのか。

 

「美味しいよ?」遂に私は根負けした。或いは、せざるを得なかった。小さく開いた口へ逃さぬとばかりにケーキは捻じ込まれ、舌の上にぬるりと乗せられた。フォークが引き抜かれるまでの僅かな間、私は放心してしたかもしれない。私とキスをしたフォークが、手元に引き戻される。

 

皿に残されたケーキの末路は、あっという間だった。拾い上げられたそれは速やかにはたてさんの口へと消えていった。フォークがつるりと引き出される。間接キス。私の残滓を、あなたが舐め取った。あなたの残滓を、私は口にした。たかが、それだけだ。――そのはずなのに。

 

「お熱い事でねえ」大きな溜息一つ、にとりがキウイのパフェを掻き込んだ。その一言が私を現実に引き戻してくれた。赤らんだ顔がそこにはあった。私は考えた。考えるまでもなかったのだが。はたてさんはきっと、私と同じ体験をしたのだ。何と言う事はない、とても不思議な体験を。

 

――ふと、丁度良いタイミングで給仕が皿を下げに来た。はたてさんが財布から紙幣を取り出す。「私も、ちょっとトイレ。払っといてくれや」にとりは私の手に領収を押し付けると、はたてさんに軽く手を振った。「サンキュ」手を振り返すはたてさんの横顔を、私はじっと見る。

 

間接キス。それを意識したから、私の見る世界は変わってしまったのか。はたてさんは何故、そんな事をしようとしたのか。それはしたかったからだ。恐らくは。「ねえ、椛」席を立ったはたてさんの手が、私の手に触れた。「美味しかったね」私は、静かに頷く事しかできなかった。

 

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