東方短編集   作:slnchyt

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赤い兎

―赤い兎―

 

 

 

大事なものは、去って初めて気付くものさ。

 

 

 

鈴瑚と行動を共にし始めたのは単なる偶然でしかない。生き残りがいたから、寄り集まった。それだけだ。合計二人の一団。キュリオシティの一件は殆どの人妖にとってまったく意識外の出来事でしかない。鈴瑚はそう語った。だから私達は、人里に潜伏しようとした。人間の巣窟。そこが一番、紛れる。

 

近郊にあばら家を立てた。この手の工事、工作活動には慣れていた。家らしき形ができるまで、しかし鈴瑚は何も手伝おうとはしなかった。ただ紙を広げ、ぶつぶつと呟いていただけだ。こいつは何の役にも立たない。私は早々に見限っていた。所詮は事務方。サバイバルのサの字も知らぬ軟弱者め。

 

一仕事を終え、私は団子をついていた。ぺたん。ぺたん。慣れた仕事だ。…同僚にも、敵う奴はいなかった。横では鈴瑚も、見様見真似で団子を搗き始めた。手元がなっちゃいない。所詮は素人。何をするものか。私は僅かな優越感に浸りながら、愚か者を横目に、団子をついた。

 

それは供える為の団子ではなかった。私達はそれを人里に持ち込み、店屋の真似事をした。せざるを得なかった。収入がなければ野山で暮らさねばならない。一時ならいい。永久にそれをしなければならないとしたら。…嫌な事を考えてしまった。いずれは穢れそのものと化す。そんな気がした。

 

月に穢れはない。――否、私達がそうだ。僅かながら穢れを持つ種族。なればこそ汚れ仕事を与えられるし、私達はそれに服従しなければならない。月において穢れの有無は絶対的だ。決して玉兎に触れたがらない御方もいる。死を受け入れる玉兎を最大の穢れと見る御方もいる。処遇も、色々だ。

 

団子をつく音が、重なり合って聞こえる。やはり鈴瑚はへたくそだ。力ばかり入って、腰つきがなっちゃいない。つき終わっていた私は、鈴瑚を手で払った。代われ。つく。つく。つく。あっという間だ。どうしてこんな簡単な事ができないのか。顎に手を当てる鈴瑚に、私は再び優越感を覚えた。

 

…しかし、私の団子は売れなかった。いつもそうだ。鈴瑚はどうだ。今日も、金銭を携えて帰路に就く。売れ損なった私の団子は、鈴瑚が粗方消費した。私はもう、食べる気にはなれなかった。何が違う。何かが違う。私には焦りがあった。鈴瑚に負けるなんて、そんなはずはない…

 

「――清蘭は焦りすぎなんだよ」団子を口に放り込みながら、鈴瑚は放言した。「ゆっくり考えてやれば、結果は伴うはずさ」事務方の発想だな。お前は勘違いしている。兵が拙速を貴ぶのは、それが最も素晴らしい作戦だと知っているからだ。刺し貫けば、結果は後からやってくる。

 

「その考えは、いつか自分を殺すよ」脂肪に澱んだ鈴瑚の目が一瞬、真面目な光を放ったように見えた。死ぬものか。月の地を再び踏むまで、私は生き延びてやる。それが上への反発であり、私を、そして同僚の魂を救うのだ。

 

「…忘れる事を覚えようよ、清蘭。大事なのは今じゃないか」

 

忘れる。忘れる? 馬鹿な事を言うな。地上に洗脳されたお前は、既に地上の兎だ。月の兎に何を楯突くものか。私が忘れない限り、彼らはの魂は永遠だ。私が忘れてしまったら、彼らの魂はどうなる。無念はどうなる。

 

「無念を晴らさなければならない」償わせなければならない。今はその手段がない。しかし、いずれ、この私の手で。その為に我が身が砕けようとも、構うものか。

 

「…それは感傷だよ」その言葉は、私を激昂させるに十分だった。

 

「…出ていけ。出ていけ!」手当たり次第に掴んで、投げつける。座る鈴瑚。避けようともしない鈴瑚。私は首を掴んで持ち上げた。やはりそれは、真顔だった。憎い。憎らしい。お前の言葉は、お前への報復で償わせなけれならない。わかるか。わからないだろう、お前のような冷血には。

 

「…そうだね」鈴瑚が口を利いた。ようやくわかったのか。聞き分けのない奴は、嫌いだ。首から手を放す。荷物がまとめられている間、私はしかし苛立ちを隠せなかった。離ららば、どうせ野垂れ死ぬ命だ。好きにさせればいい。それでも腹の虫は収まらない。…嫌いだ。お前が。

 

あばら家は、少しばかり広くなった。もう少し小さくても十分だったかもしれない。そんな事を思いながら、天井を見る。どうせ野垂れ死ぬ。そうだ。私の力がどれだけ必要だったか、知るがいい。そして、もう二度と会う事もない。

 

――翌日、屋台を片付けていると、隣で商人らしき男が、リンゴを売り始めた。買うだけの持ち合わせはなかった。別に欲しかった訳ではない。ただ、気になっただけだ。目の前で買われて行くそれを、私は横目で見つめていた。

 

 ◇◆◇◆◇◆

 

私がいつも通りに屋台をくみ上げていると、人間が私に話しかけた。ここでの商売には許可が必要だと言った。初耳だった。…ふと、鈴瑚が弄り回していた紙を思い出す。あれが、そうか。私にそういった仕事はわからない。食い下がったが、糠に釘。取り付く島もなかった。

 

最後の米が、尽きた。食べるものも、その当てもなかった。野山に分け入ったが、この辺りには食べられる根も、草も、実も僅かしか見つからなかった。恐らくは先客がいる。私の存在など知らず、それらを持っていくのだ。苦々しいが、分けてほしいなどと乞うのは、絶対に嫌だった。

 

玉兎は頑丈にできている。あらゆる敵と戦い、勝利を得る為の存在だ。それでも、飢えには勝てなかった。身を起こそうとした。できない。身を起こす。できない。私には既にその程度の力も残されていないのか。歯がゆさと共に、私を襲ったのは、死の影。

 

私は酷く冷静だった。或いは飢えがそうさせたのかもしれない。ボロ屋の天井を見て、思いを巡らせた。何も良い事のない命だった。厳しい訓練を受けた同僚は、僅かに打ち解けてきたと思った同僚は、皆、死んでしまった。月に置いてきたものがないだけ、少しは幸いなのかもしれないが…

 

イヤーデバイスに僅かなノイズが、乗った。味方の接近を知られてしまう、ただの不具合だ。だったはずだ。「清蘭」耳がそちらを、向いた。「一人は寂しかったろ」哀れむのはやめろ。私はここで死ぬのだ。穢れの中に沈むのだ。もう帰らない。もう還れない。私はもう、疲れた。一寸、眠らせてくれ。

 

「死にたがるのは、腹が減っているからさ」鈴瑚はリンゴを取り出した。慣れた手つきでそれを切り刻むと、それを私の口に触れた。私は口を開かなかった。「食べろとは言わない。生きたいなら、食べてくれ」兎を模した切り口。赤い兎。浅葱色とは似ても似つかない。赤い兎など、この世にはいない。

 

「食べないなら、食べちゃうからね」リンゴは引き戻された。鈴瑚の口に、それは放り込まれる。私は苛立ちを感じた。目の前でリンゴが消えていく。私には一つたりとも得られなかった、それだ。腹が立つ。お前は見せつける為にここへ来たのか。腹が立つ。一発殴り付けてやりたい気分だ。腹が立つ…

 

「怒りなよ、清蘭」最後のリンゴを口に放り込み、鈴瑚は口から放言した。「怒るって事は、生きたいって事だろ」鈴瑚は鞄をまさぐると、中からもう一つのリンゴが現れた。「一発ぶん殴りたいって顔してるよ、今」慣れた手つきでそれを切り刻むと、それは私の口に触れた。

 

私は口を開き、咀嚼した。赤い兎が私の中で、砕けた。私が生きている限り、彼らの魂は共にある。なればこそ、生きねばならないと思った。

 

「お前を殴り付けてやりたい」私は腕を持ち上げた。残された力は僅かだ。肩を叩くのが精々だった。「そうしたいなら、そうすればいい。そうできるまで、死ぬのは置いておいてさ」

 

鈴瑚の手が、静かに顔を撫でる。涙を拭う。…私は泣いていたのか。どうして。考える間もなく、リンゴが付き出される。咀嚼する。私には今、この仕事しかできないのか。もどかしくとも、今はまだ、身体を動かせはしなかった。

 

 ◇◆◇◆◇◆

 

――愛想が悪いなら、良くすればいい。難しいかもしれないが、鈴瑚がそうしているのだ。私にできないはずがない。…その日、二人の団子屋は、かつてない盛況の中にあった。なんだ、簡単だったのか。自分でもわかるほどに硬い笑みを浮かべながら、私は団子を手渡していた。

 

「もうかった、もうかった」

 

紙幣を数える鈴瑚を横目に、私達は歩いていた。夕暮れ。昼と夜とが交わる瞬間。私にも少しばかりの哀れみがあったのだろうか。これをするなら、今しかない。「鈴瑚」背に回り、私は呟いた。間抜けは金勘定を中断し、こちらを向き――

 

振り返った鈴瑚の顔を、思い切り殴ってやった。「あの時の分」血が飛んだ。苦笑いを浮かべる鈴瑚を見下ろしながら、顔を指した。「私を殴れ」刹那、飛び上がった鈴瑚は私の顔に、思い切り蹴りを入れた。再び、血が飛んだ。「これでおあいこ、かな」起き上がりながら、私は頷いた。

 

鈴瑚の手が、私の手に触れた。振り払っても良かった。しかしなんとも、柄にもない事をした。「清蘭」手を優しく、引かれる。「これからも、一緒に居よう」今思えば、私は頷かされたように思う。その場の雰囲気に飲まれたのだ。そうに違いない。そうでなければ、あまりにも…軟弱だ。私は。

 

手を繋いだ私達は、赤い赤い夕陽の下、歩みを進めた。私も、鈴瑚も、赤い兎だった。

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