―兎狩り―
私達は、追われていた。
『…清蘭、そっちは?』『大丈夫、今の所は』私達はイヤーデバイスを通して、思念をやり取りしている。暗号通信の周波数はいじってあるが、それもいつまで持つかはわからない。『先制攻撃を掛ける余裕は?』『今の内なら』つまり、今を逃せば二度はないという事だ。『やる』『オーケー』
『西に孤立した部隊が一つ。たぶん三人だけ』『わかったよ清蘭。そいつらを襲おう』私は挟撃すべく、清蘭とやりとりをした。
…鼻歌が聞こえる。玉兎の本来の性質はいい加減なものだ。茂みに潜んだ私の姿を、そいつは確認すらしなかった。まだだ。まだ一人。後続の三人目を狙う。二つ。何事もなく通り過ぎた。三つ。…こいつは少しばかり真面目だったかもしれない。茂みを見られる前に、私は行動を起こした。
「こっちを見ろッ!!」私は声を張り上げ、玉兎にソバットをお見舞いした。起き上がろうとするそいつを踏みつけ、黙らせる。私の声と、暗号通信の不通を不信に思ったのだろう、二人の玉兎が注意深く近づいてくる。私は再び茂みに隠れ、機を伺った。ここで失敗すれば、不味い事になる。
――今だ!「ウオーッ!!」倒れた玉兎から突撃銃を奪い取ると、残る二人に向けてむやみやたらに撃ちまくった。当たらなくてもいい。狙いをこちらに向ければ十分だ。『下がって!』私は突撃銃を捨て、背後に向けて転がり込んだ。二人が物陰から顔を出す。一瞬油断した、その時だった。
『――これでもくらえ!』清蘭の思念と、目前の二人が異空間からの狙撃に倒れたのは、ほぼ同時だった。死んではいない。このくらいで死ぬほど、玉兎は繊細にできちゃいない。『やったね鈴瑚』『ああ、清蘭はよくやったよ』私達は僅かばかりの健闘を讃え合うと、玉兎から装備を剥き始めた。
最初からこれが目的だ。敵に偽装して、奴らの目をくらます。「見て鈴瑚、似合う?」この制服を着るのはいつ振りだろうか。「似合うよ、清蘭」少しばかりはしゃいでいる清蘭を横目に、私は次を考えていた。今の状態は、あくまで急場しのぎ。このままふらついていれば、すぐバレるだろう。
…ただ逃げるだけでは、永遠に追われる身だ。もう"二度と"、私達が追われないようにしなければ。『その為に、私達は死ななきゃならないんだ』通信の向こうで、清蘭が笑った『あいあい、派手に散って見せましょう』私達はしめやかに森の中を進んだ。巡回の間に、若干の隙間ができていた。
途中、幾度か敵にぶつかりそうになったが、彼らは暗号通信に頼り過ぎている。目視は甘かった。私達はできるだけ通信を控え、着実に進んでいった。目的地は奴らの前哨基地。そこで私達は――「鈴瑚、ちょっと」耳元で囁いた清蘭が指差した先には――赤いコートマフラー。…鈴仙がいた。
「…!?」どうしてこんな所にいるのかは知らないが、まずい。あいつの波長を操る能力は未知数だ。高性能なレーダーになるのは知っているが、もしやこちらを既に気取られているのではないか? 私達は息を殺し、彼女を見た。一秒、二秒、三秒。――鈴仙は、背中を向けた。
『どうする』『どうするったって…鈴仙よ?』清蘭は戸惑っているようだった。しかし、ここを抜けられないなら非常に遠回りをしなければならなくなる。その間に朝になれば、見つかってしまう可能性は跳ね上がる。私達はゲリラだ。ゲリラにはゲリラの戦い方しかできない。
『…迂回しよう』それでも、兎仲間を倒してしまうのは気が引けた。――いや、逆に倒されてしまう公算が高かった。私達との相性は、かなり悪い相手だ。静かに後退する。鈴仙はまだ背中を向けたままだ。後退する。もう藪を抜ける音も聞こえないだろう。私達は急ぎ、敵の通信を傍受した。
『どうやらあの時の連中が見つかったらしい』『裸に剥いた連中?』『…もっと言い方ない?』これで警戒は厳しくなるだろう。私達の移動経路も、推測できない訳ではない。指揮官が聡明であるなら…難しいかもしれない。今の所は出し抜けている。それも単なる幸運かもしれないのだ。
――いたずらに増える部隊を、上手く迂回できた。もう少し進めば、指揮官の天幕があるはずだ。それを密かに制圧すれば、敵はまともな統制が取れなくなるだろう。あわよくば指揮官を捕える事もできるかもしれない。その間に私達は――死ぬ。死ななければ、活路はない。
天幕の周囲には誰もいない。通信も飛ばなかった。あまりにも無防備すぎる。私達はしばらく警戒していたが、ずっとそうしている訳にもいかない。しめやかに広場へ進む。私達は己の得物を構え、天蓋の中に突き付ける。誰もいない。…いや。それは天幕の真ん中、暗闇の中に、いた。
椅子に座る姿が、一つ。――月人だ。この戦いに、月人がいたのか。
――瞬間、辺り一帯から凄まじい数の玉兎が現れた。…しまった、敵の数を見誤った。30…いや、40人はいるだろう。たった二人に対して、どれだけの戦力を投入してくるのか。或いは月人の権力で好きなだけはべらしていたか。どちらにしても、敵う相手じゃない。
『一人辺り、20人』『ちょっと厳しいわね』『そうか。私もそう思ってたんだ』足を踏みしめ、奪い取った突撃銃を構える。銃口は少しばかり、震えていた。向けられた銃口は実際よりも遥かに多く感じられる。死が、私達の足元にまで迫っていた。
「――かかれ!!」月人の命令は絶対だ。瞬間、鉄砲水もかくやと思える銃弾が浴びせられる。何とか木の陰に飛び込んだが、端から戦えるような数じゃない。非目視で撃ち返す度に激しい衝撃が襲った。下手をすれば木が削り折れてしまうんじゃないか。何か打開する手段は、手段は――!!
『鈴瑚!』私の側の玉兎が二体、銃を撃ち抜かれて爆発した。三の矢は…素早くかわされた。不意打ちでなければ、狙撃は難しい。清蘭に向かった半分は、私側と同じように木陰を撃ちまくっている。もう顔を出すのも難しいだろう。
『…やるか』『…うん』こうなる事を考えていなかった訳ではない。策もあった。――しかしこれは、ほとんど生きる目のない方法だ。清蘭の思念が頷いた。私も頷き返した。私達は懐からスモークグレネードを取り出した。以前に追っ手から毟っておいた奴だ。混乱を誘い――指揮官を、人質に取る。
私達は同時にそれを投げつけた。手を出すのも危険な有様だったが、それは狙い通り敵の中心で炸裂した。私達は駆けた。煙の中へありったけの弾丸を打ち込み、邪魔する奴を蹴り飛ばし、前へ、前へと駆けた。煙の中に月人が見えた。私達は同時に、その姿を拘束しようと――
顔を殴られた清蘭が弾き飛ばされた、私は腹を蹴られ、天幕の外へと転がり落ちた。やがて煙が晴れ、私は最後の悪あがきが失敗した事を悟った。玉兎は素早く私達を拘束し、天蓋の前に突き出した。…月人と玉兎とは、どうしようもないほどの力の差がある。
天幕から現れた月人が、私の顔を蹴った。「このような場所に降り立つ我が身の悲しき事よ。我は一刻も早く月に帰らねばならぬ」月人は腕を横に伸ばた。「穢れた兎よ。速やかに死ね」それが振り下ろされた時が、すなわち私達の終わりなのだろう。痛みの中で、それを見ていた。
銃口がこちらを向いた。穢れを滅する弾が装填される。玉兎がいくら頑丈と言えども、限度はある。私達のような"地上の兎"には、特にだ。今にそれは、私達を粉々に分解してしまうだろう。『ここまでか』『鈴瑚』清蘭の通信は、弱々しかった。『よくやったわ』『…ああ、よくやった』
『愛してる。清蘭』『大好きよ、鈴瑚』すべてが終わった。せめて、せめて…君と同時に死にたい。私は目を閉じようとして――天幕の後ろ、崖の上辺りで、何かが瞬いたような気がした。それは一瞬だった。私以外に誰も、それに気付いていなかったに違いない。
「――待て!!」
月人は手を振り下ろさなかった。ただ戸惑ったように手を手前で振っていた。足元がおぼつかないようだった。「いやそのなんだ、とにかく待て」月人は頭を掻きむしっていた。「――そうだ、こいつらは生かしておけ! 死んだ事にするんだ! わかったな!?」撮り落した帽子を、踏んた。
主人の豹変を、玉兎の多くは唖然として見ていた。しかしまあ、逆らう奴はいやしない。銃を下すと、そいつらは私達の事を見た。敵意は、特に感じなかった。
玉兎の一人が、手を出した。私達はその手に、自分達のホロタグを置いた。それは機械にセットされ――「おめでとう。君らは死んだ」彼はヘルメットの下で、にやりと笑ってみせた。…彼はもしかすると知人、或いは友人だったかもしれない。今の私には、それを聞き取る事はできなかったが。
てきぱきと引き上げ準備が行なわれる中、私達はそれをぼんやりと眺めていた。水を勧められたので、飲んだ。…よくよく見ると彼女は、私達が引ん剥いた相手だった。そこに脱ぎ捨ててきた私の服を着ていた。鈴仙の服を着た者もいた。事が終われば、水に流す…か。私は小さく頭を下げた。
『私達、死んじゃったね』『ああ、死んでしまったよ』そうだ。残された月の兎は死んで、新たに地上の兎が二人、生まれた。『生まれ変わった実感は?』『まだ、ちょっとわからないかな』彼女はイヤーデバイスを外して、私に言った。「でもこれで、一杯話ができるね」微笑みが、愛おしかった。
◇◆◇◆◇◆
――崖上。ルナティックガンをスピンさせ、弾く。それは虚空へと消えた。「師匠があんなクズに私を貸し出したのは、きっとこの為だったのね」狂気に囚われた月人の背を見ながら、私は呟いた。例え正気に戻ったとしても、その時には何もかもが終わっている。
裁かれるべきは二人ではなく、お前だ。傲慢なる兎狩りの使者よ。
「汚れ仕事には飽き飽きしてたはずだけど」マフラーが風を受けてはためく。「こういうのは、まあ悪くない」見下ろす先には二人がいた。私は振り向き、手を振った。私の波長が闇に溶けていく。再び風が吹き荒れた時――もうそこには、誰もいなかった。