―神、名を得た神よ―
――神社から一直線に進んだ、遠い、遠い、森の中に一つの石碑があった。祟り神を祭るものであろうそれは――しかし、名を穿たれてはいなかった。いや、掘ろうとした後はあった。僅かな傷だ。まるで石で引っかいた程度のそれは、恐らく子供の手によるものだ。足元に、骨が転がっていた。
恨み、つらみ。最期にこの子供は何を思っただろうか。名前を与えたかった。名前を与え、祭る事が唯一の使命だと理解していた。その無念が、祟り神を震わせた。名を与えられなかった事を恨んだ。名を得られなかった事を呪った。その本質は変じ、名前のない神として、静かな怒りを蓄えた。
◇◆◇◆◇◆
「暑い」小鬼がぼやいた。お前が住んでた所の方がずっと熱いだろうに。「それとこれとは話が別。不快指数が高い」やれやれ。頭を剣で軽く小突いてやった。刃も立たない。まあ、人の事は言えないか。「天人様ぁ~」紫苑がふよふよとついてくる。どうだ、恋しいだろう。ここは。
鬼の傍を通り、私がぶっ壊した神社を見る。まあ、綺麗に立て直しちゃって。戯れに、もう一回ぶっ壊してやろうか。……さて、私の悪戯心に反応したのか、博麗の巫女がポップした。脇狩り――じゃない、出待ちボス狩りなんてガラじゃない。今回は穏便に済ませるつもりだ。おい、博麗の巫女。
「帰れ」取り付く島もないじゃないか。「やかましい。そんなの連れてくるな」「お前の神社にこれ以上窮する要素があるのか?」私がつついてやると、思った通りに巫女はキレた。「いけっ、あうん!」あううぅぅん! 何処かキンキンした鳴き声を上げ、狛犬が現れた――が、及び腰だ。
「どうしたのよ!?」どうしたもこうしたも、私の気迫に気圧されたのだろう? 流石天人は格が違った。「負のオーラで能力値が六段階下がっちゃって……」何を言っているんだお前は。「ええい、なら私が相手してやるわよ!」「ひええぇ」おいィ、私は無視されていないか、これは?
「ひゃあぁぁ」紫苑はお札を食らいまくっているが、効果はいまひとつのようだ。腐っても神、腐りきっても神。轢かれても神は神だ。そうそう簡単にヘバりゃしない。「天人様ぁ~」おう、ようやくお鉢が回ってきたか。「あんたには色々と恨みがあるからね」「いい加減、忘れたら?」
「そもそも、別に喧嘩しに来た訳じゃない。ただ、無事を確認したかった」「無事ぃ?」巫女は怪訝な顔で見る。それはそうだろう。今から自分が――殺されるなんて、思い当たる訳がない。「今の所は生きているようで、安心したわ」「何よ、えらく不吉な事を言うわね」不吉。そうだな。
「じゃあね」私は紫苑を伴って、来た道を引き返した。「なんなのよアンタら」お前の見守り隊だよ。私は相変わらず寝転んでいる小鬼の頭を、再び小突いた。「よく見張っておけよ」「あいあい、わかってるさ」小鬼は瓢箪を呷り、にやりと笑った。やれやれ、本当に大丈夫なんだろうな。
――まあ、私らに言えた義理でもないか。たまたま、面白そうだから首を突っ込んだのだ。それに、巫女への意趣返しにもなる。お前がしばき倒した相手に守られるなんて知れば、さぞ悔しがるだろう。そういう顔が見たいか、見たくないかと言えば――見たい。実によく見てやりたい。ははは。
―――
―――
私は十字路の角から、霊夢の形をした何かを観察していた。ここは人里だ。私の縄張りではないが、誰も騒いだりはしない。賢明だ。天人を指差すとは浅はかさは愚かしい。偽物は――やはり、巫女と同じ形をしているからだろう。誰も騒がない。むしろ積極的に話しかけてすらいる。人気者め。
その気質は――虚無。あれは生きているとは言えない。あれは断じて霊夢ではない。「――さて、どうする?」奴は完全に油断している。この場で斬り捨てるのは簡単だが――人目につくのは、賢明とはいえないだろう。巫女殺しなんて悪名がついた日には、朝日を拝めないかもしれん。
偽物の霊夢の後をつける。紫苑は置いてきた。これからの戦いについていけそうもない――というのは、半分冗談だ。もう半分は、単純に目立つ。耳目を引くのは唯一ぬにの私だけで十分だ。偽物は歩く。知人に声をかける。とりとめのない話をする。次へ向かう。……偽物の目的が掴めない。
或いは、目立つ事が目的なのか? 何の為に? いよいよ偽物は歩き続け、人里の端まで到達した。これからどうする。私の問いに答えるように、そいつは外へと歩いていく。門番に頭を下げる。ああ、確かにそちらは神社の方向だ。私は壁を蹴り、壁の向こうへ、しめやかに飛び出した。
身をかがめ、飛翔する偽物を伺った。どうやらこちらを見てはいない。ゆっくりとした飛翔だ。私は可能な限り低空を飛び、偽物の行方を追った。偽物は――やはり神社へ向かっている。私は一気に速度を上げた。少々難しいが、私にとっては何という事はない。枝を斬り、木々を抜ける。
実際、空中で切り結んでもよかった。だが、あの偽物は霊夢とまったく同じ能力を持っている。事はそう簡単ではない。敗北すれば、まずい事になるだろう。霊夢が飛び出してこようものなら、最悪だ。巫女を万が一でも殺させる訳にはいかないのだ。こいつは内密に始末しなければならない。
ならばこそ、完全に油断した所を、一撃で殺す。私は一息に神社へと乗り込み――寝転がっている萃香を蹴飛ばした。萃香はサムズアップした。寝ていると思ったわよ。「そのまま寝たふりしてなさい」「合点」私は――縁側で茶を飲んでいた霊夢に呼びかけた。「ちょっといいかしら」
「裏に怪しい奴がいたわよ」「怪しい奴なら目の前にいる」目が座っている。紫苑抜きでも、まあ歓迎されてはいないか。「本当よ。もしかしたら、賽銭泥棒かも」「賽銭!?」おっ、釣れた。「――いいわよ、どうせ入ってないんだもの」学習性無気力という奴かな。「そうかしら?」
私は霊夢の目の前で、百円、千円、そして万札をジャラジャラと入れてやった。後でスキマに必要経費として出させるから、遠慮はない。「!!」「念入りに見てきた方が良いと思うわよ。こんなに入ってるのに」「も、もちろんよ。賽銭に手を出す奴は誰であろうと許さないわ」現金だなあ。
御幣を持ち、いそいそと裏に回る霊夢。私は物陰に素早く身を隠した。丁度その時、偽物の霊夢が帰ってきた。随分と辺りを警戒している。霊夢の姿を探しているようだった。どうやら見当たらないとわかると、偽物は如何にも平然と石段を上がるフリをした。その辺には萃香が転がっている。
「よう霊夢、お帰りかい?」「――何よ、萃香」偽物がよっぱらいに絡まれた。「――あー、さっき神社の裏に行かなかったっけ?」萃香は大欠伸しながら問うた。中々クリティカルな質問だ。だが、偽物とてその問いを予測していない訳がない。周囲に霊夢はいない。偽物は返事をした。
「ちょっとアンタ、飲み過ぎじゃない? 私はずっと人里にいたもの」「そうだっけ?」如何にもとぼけている。偽物はその場を取り繕えたと思っているようだった。「――まあいいや。それより、賽銭箱覗いてみな。今日は凄いよ」萃香が誘った瞬間、偽物は滑り込むように賽銭箱を覗いた。
「嘘、入ってる――こんなに入ってる――!!」そりゃさっき入れたからな。「さっきも言ったけど、裏に誰か潜んでいるようでね。賽銭泥棒かも。見に行かなくていいの?」「言われなくたって行くわよ。賽銭に手を出す奴は誰だって許さない」偽物は、やはりいそいそと裏に回ろうとする。
こいつは恐らく、本物が裏に向かったと信じ切っている。「じゃあ、おやすみ」「はいはい、おやすみ」萃香が向こうを向いたのを見て、偽物の霊夢はいそいそ――いや、決断的な足取りで、裏へ進んでいた。私は物陰から、その足音を聞いていた。背中が見えた。念願を前に、油断した背中。
判断も、行動も同じ。それはそうだ。同じ記憶を持っているのだから。ただ一つ違うのは、本物を殺さんとする強迫観念だけ。裏に回る霊夢が、針を取り出したのを見た。何をしようというのか。答えは明白だ。本物を殺し、完全に成り代わる。不意を撃たれれば巫女とてただでは済むまい。
――そうか、今日のそれは、自分はここにいた、という根回しだったのか。例え神社の霊夢を誰かが見たとして、人々はどちらを信じるか。同じ顔、同じ記憶、同じ対応、同じ感情表現。人々は確実に、偽物こそ本物だと思うだろう。露見したとて、偽物を巫女が退治した。それだけの話だ。
なるほど、狡猾だ。だがお前はミスを犯した。ここに、偽物を見破れる存在がいたという事だ。緋想の剣を手に取る。奴の気質は、やはり虚無。疑いようもなく、お前は人間ではない。よりにもよって、博麗の巫女を狙ったのが運の尽きだ。彼女の追っかけには、怖いお友達がたくさんいるのだ。
お前は己を過信した。お前は己を何も知らなかった。私は物陰から飛び出すと、一直線に飛び込み――偽物の霊夢の背に、剣を突き立てた。
「悪いが、お前には死んでもらう」偽物の霊夢はびくり、と身体を震わせたが、やがて大人しくなった。私はその身体を地に落とし、首を刎ねた。気質を浴びた身体がぐずぐずと崩れ、歪な人型に変じた。死ねばこんなものか。緋想の剣を振り払った。その死体は――塵となって消え去った。
「――何よ、何にもいないじゃない」裏から霊夢が出てきた。そりゃいないだろう。嘘なんだから。「良かったな、賽銭入って」「えっ? まあ、良かったわ。嬉しい」急に顔が緩んだ。博麗神社の賽銭箱に金が入っているなんて、明日は大地震だな。「お茶でも飲んでく?」「いや、いい」
「そろそろ帰ろうと思ってた」「あらそう? その――お気をつけて」何だか気味が悪いな。私は飛び立つ直前、小鬼に手を振った。小鬼は――手を振り返したが、何やら思う所でもあるのか、再び寝転がってしまった。「終わったはずだが、な」私も、そうだ。何か引っかかるものを感じていた。
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ドッペルゲンゲルという妖怪がいる。それ自体は大した事のない存在だ。脳と言えば変身――姿形、そして記憶までを真似る事。もっとも、変身するだけでは近所のお騒がせレベルだ。それならどうする。ドッペルゲンゲルは、写し取った相手を殺そうとするのだ。密かに。誰にもわからぬように。
そして、完全に成り代わる。いずれ成り代わった事すらも忘れて、元の人物と全く同じように振舞う。世界全体から見れば、何ら変わる事はない。一を足して、一を引いただけだ。或いはドッペルゲンゲルが殺され、正体をあらわにでもしない限り、その仕業が露見する事は、まずない。
まあ、私にはわかってしまうのだが。もし、既に成り代わられているなら、その気質は虚無に飲まれているだろう。そんな妖怪が何故存在しているのか、門外漢故によくはわからないが――そいつらは、自分の姿を得る事ができなかったのではないか。或いは何処かになくしてしまったか。
いささか哀れには思う。しかし、手を出した時点で喧嘩は始まっている。私的にはどうでもいいのだが、メイン盾としてはみすみす殺させる訳にもいかない。力あるものたるもの、たまには下々を思いやってやるものだ。……まあ、建前だ。本当は、しばらくぶりに、思い切り暴れてやりたかった。
ドッペルゲンゲルに成り代わられれば、それは悲劇だろう。もっとも、激情に任せて殺してしまったとして、世界から再び一が引かれるだけ。命とはかくも儚いものか。私は肩をすくめた。紫苑が不思議な顔でこちらを見ている。お前はいいんだよ、と手を振った。考えるのは私だけでいい。
この件、まだ霊夢には伝えられていない。聞けば必ず飛び出していくだろう。ドッペルゲンゲルが何体いるかわからない以上、単独で行動させる訳にはいかないのだ。ある程度方針が決まってから、注意深く言い聞かせる。紫はそう言って、頭を抱えていた。実際の所、お前しか操縦できまいよ。
「――性質に関しては、大体わかったわね?」スキマの指が空を切った。霊夢が留守にしているのをいい事に、博麗神社へ集まったのは、六人。所属はてんでばらばらだ。そこら辺を飛んでいた烏天狗。瀟洒に飛んできた咲夜。ノコノコ歩いてきた鈴仙。そして紫と、そこに転がっている萃香。
顔ぶれを眺める。如何にも寄せ集めといった連中だが、まあ腕は確かだ。昔、散々殴り合ったから、わかる。成り代わられていないのは全員、確認済みだ。さすがに天人は格が違った。……まあ、これから成り代わられない保証は何処にもないが。その時は私がズンバラリン、と片付けてやるさ。
「まあ、それはわかりましたが――突撃取材のネタとしては、いささかパンチに欠けますな」ペンで頭を掻いた。「ドッペルゲンゲルが現れたなら、まあ、戦うしかないでしょう。己が戦士なら、猶更の事。おいたを野放しにしてはおけますまい」お前のジョブは捏造新聞記者じゃなかったか?
「――そもそも私は、関係者でも何でもないわよ?」鈴仙がぼやいた。「何やら不穏な動きがあるから、調査するように――と師匠が言うから、とりあえず神社に来ただけ」鈴仙は肩をすくめた。「……来るべきじゃなかったわね。酷い事に巻き込まれそうな気がする」まあ、運が悪かったな。
生憎と、お前もめでたく関係者だよ。お座敷兎。「私も、そこの兎と似たような理由ですわ」咲夜は静かに首を振った。どうせアホの当主が何か言ったんだろ。あいつには良い印象がない。左右めくりお前いい加減にしろよ……。「いいのよ、寄せ集めでも。今は頭数が欲しいのだから」
「ドッペルゲンゲルが姿を真似る為には、顔がわかるくらいの距離から、対象をじっと観察しなければならない。……そうね、五分くらいかしら」紫は知識をひけらかしている。まあ、必要ではある。「私達の姿も、ひょっとすると既に真似られているかもしれないわね」全員が辺りを見渡した。
「――確かに、私らしい姿を見たわ。何かの妖怪だと思って、反射的に狂わせたけど――もしかしたら、もっといたかもしれない」「あまり聞きたくない情報をありがとう」紫は頭を振った。竹藪は決して見通せず、そしてすべてを飲み込む。成り代わられたとしても、それは誰にも気付かれない。
「同じ姿が増えれば増えるほど、面倒な事になるわ」「ええ、まったくですわ」咲夜がナイフを四本取り出し、刃を撫でた。「門番が四人に増えたのよ」咲夜はナイフを突き刺す素振りを取った。「二人ならわかるわ。三人でもわかる。四人はないでしょう」いや、二人でも十分おかしいが?
「それで、門番は全員昼寝をしていたの。どうかしていますわ」――如何にも平和な奴をコピーしたら、そうなるのか?「ええ、わたくしも先日、自分の背中を見た覚えがありまして。あれはすなわちドッペルゲンゲルであった訳ですな」天狗よ、お前もか。「疲れていたのだと思いましたがね」
「多分、間違いないわ」紫が頷いた。「想像していたよりずっと多い。もう、霊夢だけの話ではなくなったかもしれない」私達は事態を少しばかり深刻に考えざるを得なかった。近所のお騒がせならまだいい。ドッペルゲンゲルは成り代わる。貧弱一般人に影響が出たら、それこそおおごとだ。
「――私が、なんですって?」
私達、全員が振り向いた。霊夢の顔は――ああ、駄目だなこれは。かつてあの時、私を見た冷徹な目だ。「大体聞こえてたわ。つまりその、ドッカデゲルゲルって奴をぶっ飛ばせばいいのね?」巫女に慈悲はない。後で殺すか、今殺すかだ。私は、この目を相手をしたくない。誰もがそうだろう。
「――まあ、いいわ。いずれは伝えなければならない事ですもの」紫はどうどう、と霊夢を制した。「とりあえず話だけは聞いて頂戴。ね?」霊夢は憮然としながら、それに従った。「とりあえず、現在の情報が欲しいわ。……萃香、そっちはどう?」紫が、その辺の酔っぱらいに呼び掛けた。
「ほいほい」寝転んでいた小鬼が希薄化し、霧めいて消滅したと思いきや、私達の近くでそれは実体化した。そういえばこいつは、霧になって幻想郷を覆えると言っていたな。寝言をほざいていると思っていたが、実際本当だったらしい。恐らくは誰が、何処にいるかくらいはわかるのだろう。
「見えた限りでは、そいつらは神社の近くに集まってきてる。ほとんど全部」「……それってつまり、うちの裏がそいつらの巣窟になってるって事?」霊夢は御幣をぐるぐると振り回している。はは、逆鱗に触れたな。「まあ、そう考えた方が自然だね」萃香は先から酒を呷っている。酒乱め。
――しかし、妙だ。「何故、ドッペルゲンゲル共は神社の裏に集まっている?」「そうよ。人の神社に向かって」霊夢がわめいた。まあ、裏にゴキちゃんが湧いているくらいに考えれば、わからなくもない。「神社を襲撃する計画を立ててるとか」「戦力を統合して、何処かに雪崩れ込む気か」
「――或いは、そこに守るべき何かがあるか」紫は扇子を取り出し、手首を振った。「現状では何もわからないわ」「そうですわね」「わかっているのは、少なくとも敵がうじゃうじゃいる事くらい」萃香は笑った。こいつもバトルジャンキーか?「――それなら、そこを叩くんですか?」
「ええ。あなたにも協力してもらうわよ」鈴仙はあっしまったな、という顔をした。お前には必殺のすうどんパンチがあるだろ。気張れよ。「ここで迎撃いたしますか?」「討って出ましょう」霊夢は今にも飛び出しそうだ。「待ちなさい、霊夢」「なによ」紫は首を振ると、霊夢の手を取った。
「ここの方がいいわ。嫌な予感がする」「――確かにね」霊夢はあっさりと引き下がった。こいつの勘は、よく当たるそうだ。「ならば、わたくしめが偵察なさる?」「それも止めておいた方がいいでしょうね。あなたが何体もコピーされたら、手が付けられないわ」想像はしたくないな。
―――
―――
――それに気付いたのは、霊夢だった。「何か来るわ、紫」神社の空気が変わったように思う。これは、戦いの空気だ。霊夢の言葉を受けて、全員が身構える。ナイフを構える。風を繰る。スキマを向け、波長を操る。鋭い目が注意深く針を構える――が。それは完全に、不意打ちだった。
こいつらとまったく同じ姿が、スキマから、疎から、亜空から、波長の向こうから、暴風の中から、己が背後から、一気に飛び出してきたのだ。それらはコピー元に飛び掛かり、戦いを挑んだ。互角の能力、記憶を持つなら、戦いは一進一退だ。要は同キャラ対――何でもない。忘れろ。
遅れて、木々の間からドッペルゲンゲルが現れる。人型のその姿はただ、黒い。まるでインクをぶちまけたかのように、不自然な黒さだ。そいつらは私達の傍に陣取ると、私達を凝視――目はないのだが――し始めた。まずいな。更なるコピーを作り出す気だ。更に現れる。更に。更にだ。
私の姿をしたドッペルゲンゲルは見当たらない。どうやら真似る事ができないようだな。緋想の剣の力だろう。我が愛剣は、草々コピーされるような安いものではない。討って出なかったのは正解だった。木々の合間から凝視するなんてのは簡単だろう。ここなら、遮るものはない。
敵を増やし過ぎれば、この私と言えども面倒だ。剣を振りかざし、未だ真似ざるドッペルゲンゲルを斬り捨てて回った。しかし、これでは埒が明かない。かといって乱戦に割り込めば、コピーごと斬りかねない。何人目かを斬り捨てた私は――新たな敵の気配に任せ、空を仰いだ。
「ちょっと、まだ来るわよ!?」御幣で激しく打ち合いながら、霊夢が叫んだ。「偽物の相手でも一杯一杯なのに!?」目からビームを放ちながら鈴仙が嘆いた。空から飛来するは雑多な妖怪、妖精、そこらに転がっているような無機物まで。多種多様な物体が、私達に襲い掛かってくる。
恐らく、すべてドッペルゲンゲルだ。そんなものを一々相手にしていたらきりがない。私は剣に気質を込め――薙ぎ払う! 光の刃がそれらを一撃の下に屠るが、しかしてまだまだ数が来る。我が必殺の技は、こんな雑魚相手では役者不足だ。ちまちまとレーザーで迎撃するが、一向に減らない。
「わたくしにお任せを!」飛び出した文が、暴風で雑魚共を叩き落としていく。ここは任せよう。私は代わりに文のコピーに向かう。お前の相手は昔、散々したからな。私は要石ドリルを打ち込みながら、足元を蹴り、一気に飛び上がった。お前は疾い。ならば、釘付けにするまで!
「懺悔せよ、烏天狗!」ドリルがその背を抉る。態勢を崩したコピーを、私は一刀の下に切り伏せた。両断されたその姿が、暗黒を吐き出し消えていく。汚いなさすがコピーきたない。興が乗ってきた。私は空のコピーに向けて、巨大な要石を叩きつけた。荒々しい風が生き残りを叩き落とす。
「やだぁー!」ふと傍を見ると、紫苑が紫苑を追いかけまわしている。どちらかがコピーだろうが――まあ、追いかけ回している方だよな。「もう、あっちいけっ!!」紫苑がコピー紫苑に――思い切り体当たりをかました。おや、随分とアグレッシブになったじゃないか。私も嬉しいぞ、紫苑。
コピー紫苑がこちらへ弾き飛ばされてくる。それは戦いの中心で止まり、どうやらまごついていたようだが――唐突に、敵の動きが鈍くなった。ひょっとすると、紫苑の能力がそのまま敵のツキを遠ざけているのかもしれない。私はコピーを牽制し、退路を塞いだ。形勢はこちらに傾いた。
戦力が互角なら、最後にものを言うのは、やはり運だろう。私のような強運の持ち主でもなければ、不運の魔の手から逃れられはしない。元より不運な生まれのお前達だ。どうやら、これこそ運の尽きらしいな。私の目前で、コピーどもが押し込まれている。己が生まれの不幸を呪うがいいさ。
始めに、紫がコピーを撃ち落とした。萃香もそれに続いた。霊夢もだ。雑多なコピーどもは文が粗方、吹き飛ばし尽くした。鈴仙のパンチが裏を取った。咲夜のナイフが己が姿を処刑した。私も剣を構え、紫苑のコピーを一刀両断した。草むらから悲鳴が聞こえた気がするが、気のせいだろう。
「な、何とかなった……?」鈴仙はほっと息を撫でおろしていた。生憎、まだ早いと思うぞ。「――何、この音」霊夢が向いた方から、音がしている。そう、何か重いものが這いずってくるような。「親玉の登場か」萃香が腕をグルグルと回している。やる気に満ちあふれていてたいへんよろしい。
――木々の間から、それはぬるりと現れた。スライムめいて粘液を垂らし、這いずる人型の何か。それは顔が、ない。何処が正面かもわからないが、まあ、私達に向かってくる方だろう。黒々とした身体中から、ドッペルゲンゲルがあふれ出ている。その背から黒い弾丸が射出され、私達を襲った。
皆は弾丸を回避すると、ありったけの火力を撃ち込み、ドッペルゲンゲルを滅していく。姿を真似られれば、再び乱戦になってしまう。その一部は親玉の身体を捉えるが――どうやら、効いているようではない。射撃が吸い込まれるような手応えだ。要石も同様だ。如何にも手応えがない。
踏み荒らされた石畳が砕ける。神社の一部が壊れ散った。ドッペルゲンゲルは生まれてくる。私達は全方位から弾丸を浴びせ続ける。その数は無限にも思えた。討ちそこなった一体が死角から覗き込む。割り込んだナイフがそいつをなます切りにする。互いに防御し合わなければ、防ぎきれない。
波長が彼奴等の視線を切る。ナイフが幾重にも反射して、隠れた敵を襲う。分裂して敵影をあぶりだす。スキマから突き出される刃物がまとめて切り裂く。無数のアミュレットを飛ばす。竜巻の壁が繰られる。そして私は、あらん限りのドリルを放つ。それは一種の連携だったかもしれない。
「一体何なのよ、こいつ!」霊夢が針を打ち込む。やはり効いているようではない。風の刃も、光波も、懐中時計も、私のレーザーも、やはり効果がない。はっきり言って、状況は悪い。しかして、最悪ではない。「何となく、推測はついたわ」紫がスカイフィッシュを飛ばしながら、叫ぶ。
「恐らくは、名の伝えられなかった神」傘を振り回しつつ、続けた。「やがて消え去る定めのそれが、何らかの理由で力を蓄えていたのだわ。それがドッペルゲンゲルを生み出していた。名を得る為に。姿を得る為に。存在を知らしめる為に」「それじゃあ、こいつの目的って……?」
「博麗神社、それ自体に成り代わる。名のない神にとっては、これ以上ない餌でしょう」「ほうほう。そんな事が、本当にできるのですか?」「やらせてみないとわからないわね。やってしまえばお終いだけれど」萃香の火球が爆発し、敵の群れを吹き飛ばす。……一瞬だが、隙ができた!
「後は任せた!」私は神に向けて飛翔した。その意を紫だけは汲んだようだ。雑魚を殲滅すべく総攻撃を命じた。そうだ、お前達は雑魚の相手をしていればいい。この天子様が、彼奴をやってくれよう!! 私は首尾よく神の背に飛び乗り、緋想の剣を突き立て――しかし、やはり手応えはない。
まるで存在のない、虚無を突き刺しているように感じた。飛び掛かってくるドッペルゲンゲルを切り伏せながら、手立てを考える。……虚無。存在がない。名もなき神。存在を知らしめる神――そうだ。こいつが虚無なのは、己の存在意義が満たされていないからではないか――?
私は剣を払い、気質を問うた。虚無。こいつには気質がない。こいつは生きてすらいない。こいつは、己が名を得んとして、飢えている。私に名前がなかったとすれば、やはり同じように振舞っただろうか。……そういう感傷など、今はどうでもいい。お前が、名を得んとするならば――
この私が、お前に名前を与えてやろう!「『荒ぶる無貌の神』よ! 空白、故に万色を秘めた神よ!!」緋想の剣を、額のあるであろう場所へ、突き込む!!「鎮まれよ、『荒ぶる無貌の神』!!」確かな手ごたえがあった。そこから万色の気質と共に、暗黒めいた物質があふれ出た。
ドッペルゲンゲル共が、暗黒を吐き出し、消えていく。連中が残心する中、私は――「神、名を得た神よ」私は再び剣を突き立て、そのまま高く飛び上がった。すべての気質が手の内に集まる。この技は、お前のようなものにこそふさわしい。腕を高く掲げ、力を集め、そして足元へ――放つ!!
「全人類の緋想天」
両の手から放つ気質の奔流が、神を飲み込んだ。名を得た神の輪郭が、崩れていくのがわかった。神の気質が変容していく。それからはもはや、怒りや悲しみを感じなかった。そうだ。お前の存在は無に還る。しかしてその名は、確かにこの世に残るだろう。神よ。無貌の神よ。終わりにしよう。
すべての気質を放ち尽くした私は、神の背――いや、もはや背とも言えぬ残滓に降り立った。その身体から剣を引き抜き、最期に再び、名を呼んだ。神の身体を構成していた黒い物質が、天へと昇る。昇る。昇る。希薄化した存在の証明が、空に溶けていく。その姿は――もう、見えない。
「終わった」私は剣を振り払うと、連中の顔を見た。皆、安堵しているようだった。感謝するがいい。この戦い、私抜きで対処できたと思わない事だ。私は思い切り、胸を張った。
◇◆◇◆◇◆
――神社から一直線に進んだ、遠い、遠い、森の中に一つの石碑があった。祟り神を祭るものであろうそれは――しかし、名を穿たれてはいなかった。いや、掘ろうとした後はあった。僅かな傷だ。まるで石で引っかいた程度のそれは、恐らく子供の手によるものだ。足元に、骨が転がっていた。
封じられようとした神を、崇め祭るものがいなくなれば、どうなるか。名前を与えられなければ、どうなったか。或いは名を穿たれる前に、その権能によって人間が死に絶えたとすれば、どうか。すべては推測でしかない。私はその石碑をじっと見た。神の名を思い浮かべた。静かに剣を構えた。
「『荒ぶる無貌の神』。お前の名だ」石碑を何度も、何度も切り裂いた。剣を下げた時、そこには神の名が刻まれていた。木々がざわめいた。要石で穿った穴に、骨を埋めてやった。恐らくは、最後の生き残りだ。弔うものなどいなかった。死した今になっては――ただの、感傷に過ぎないが。
「世界はお前を忘れないだろう」私は紫苑の手を取り、石碑に背を向けた。「あの、天人様」「どうした?」「――私の事、忘れないでくださいね」「ああ」――まあ、貧乏神なんてものは財がある限り、消えはしないだろうがな。「さあ、帰ろう」私達に、しめっぽい雰囲気は似合わない。
「今度は何処に行こうかな」「お供します、天人様」
非想天則をスチムーで出すんだよ!!11!