東方短編集   作:slnchyt

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困った時は永琳に投げる

―困った時は永琳に投げる―

 

鈴仙が死んだ。

 

私のせいである――けど、過失致死だ。気が乗りすぎて作った特製の落とし穴に落ちて、それで死んだ。底に師匠の所からパクってきた硫酸を貯めていたのが良くなかった。どうも守備力が2,000以下だったらしい。スカートはあんなに鉄壁なのにな。身の守りが極端なのよ。実際。

 

「さて、どうするかねぇ……」流石にやりすぎた。これは晩御飯抜きでは済まないだろう。「困った時は永琳に投げる」基本中の基本だが、これを濫用すると話が崩壊するので、程々にしよう。私は溶け残った鈴仙をお米様だっこし、こっそりと処置室に運んだ。後はなんとかしてくれるでしょう。

 

しかしまいったね。鈴仙がいないと行商は止まるし、兎角同盟のヤクもさばけない。ヘビーユーザーのおじさんも困るだろう。頭を掻く。これもまた、仕方がないか。私は自室に戻ると、鈴仙の格好に似た行商衣をまとった。なかなかサマになっているじゃないの。自画自賛は得意中の得意だ。

 

これで人里まで行って、私が薬を売る。簡単な事だ。私の商才はカラーうさぎとM&Aで証明済みだ。鈴仙より多く売っちゃおうかな?――などと考えていると、処置室の方で何やら音がし始めた。いかん、このままでは叱られる。私は鈴仙の部屋にあった背負い籠を――あ、これ後ろ引きずるわ。

 

若干前屈みでそれを背負う。重さは大した事はない。外見で軽んじられるが、本当は鈴仙より何倍も強いのさ。いつもは手加減してるだけ。飛び蹴りかますのも、背中に抱き着くのも。……いや、ニヨニヨしている場合ではない。私は玄関から勢いよく飛び出し、竹林を駆け抜ける。

 

最短コースは私だけが知っている。ほら、もう外が見えた。勢いよく飛び出し、獣道を突っ切る。大きな道に出た。更に飛び出したい所だけど、ここからは歩いて行こう。人間がびっくりする。荷物を引きずらないように歩く。風が心地良い。空をぐるりと見渡した。いいね、日本晴れだ。

 

人里は、遠くて近い。永遠亭に人間は、まあ来ない。助かる見込みのない患者を極々稀に導いてやるくらいだ。その間を繋ぐのが行商。それが求められているのを理解しているから、永琳はそれを始めた。私らもそれに乗っかっている。兎角同盟が独自に売っているのは、まあばれているだろう。

 

叱らないって事は、黙認しているのだ。誰に対する慈悲かはわからない。たぶん鈴仙に対してだけど。何でも自分でやりたがるが、実力が伴っていない。酒が入ると、私は師匠を既に超えたとか、冗談でも面白くない事をよく言う。まあ、向上心があるのは良い事さ。微笑みがこぼれる。

 

永く生きると、自分自身を変えようなんて気も起こらなくなってくる。それが嫌だから、私は自分の外側をまぜっかえす。カオスを生み出すのが私の仕事だと思っている。……しかし、それはあくまで外だ。いくら落とし穴を掘っても、或いは自分自身は何も変わっていないのではないか?

 

鈴仙が逃げ込んできてから、人間が押し込んできてから、そして今まで、私は変わっただろうか。永く生きていれば色々な側面を持つ。それらを見せてはきただろう。……本当の私って、なんだろう。私は私だ。それは確かだ。しかしそれは、私の一部がノット私ではない証明にはならない。

 

私の中にある、私ではない私。それは希望だろうか。それは恋だろうか。それは安堵、或いは死に至る病か。私自身をまぜっかえせば、それは出てくるだろうか。まぜっかえす。……今更だな。海千山千のてゐ様だぞ。老練――別に老いてるつもりはないが――の思慮深さを持っているんだ。

 

私が問答を続けていると、向こうに人里が見えてきた。適当にゴマをすりながら、門を抜ける。ちゃんと変装、或いは変装する意思がある限り、妖怪とて出入り自由のようなものだ。完全に人間に化けているものがいれば、耳なり尻尾なりをぶら下げている奴もいる。誰もさして騒ぎやしない。

 

私の事もただのチビだと見られた感がある。実にむかつく。私はてゐ様だぞ。お前達よりずっと長生きなんだぞ。……誇れるかどうかは別として、だ。実際、門番の腰くらいまでしかない。鈴仙もそんなに高くないから余計に小さく見える――だけではない。しかし、小柄にも利点はあるぞ。

 

「ご苦労様ですねぇ」道なりの衛兵にもゴマをすっておく。何かあった時に顔を覚えられている方が有利だ。何かやらかす気なら隠すべきだが、そんな事はしない。今の所は。「よっと」いつもここで薬を売っていたはずだ。個々の置き薬は――まあ、住所を書いた紙があるし、何とかなるだろう。

 

―――

 

  ―――

 

「今日はお姉さんじゃないのね?」早速お客が現れた、が。「そうなの。お姉ちゃんが怪我してねぇ」そう、お姉ちゃんである。今だけ。多少の齟齬は無視して話を続けるべきなのだ。「じゃあ、これとこれをお願いするわ」「はいはい」求められたのは――興奮剤? 旦那にでも使うのかい?

 

「兄さんが病弱で、気付けに必要なの」真っ当な使い方だった。もう一つの薬は――そういう雰囲気にする薬? 鈴仙ちゃん、真顔で何を開発してるのさ。「兄さんがね、その――」その兄さんは、あなたの想像上の存在に過ぎないのではないでしょうか。「もう、大人を馬鹿にしないの!」

 

へっへっへ。こちとらあんたより年長者よ。わかってるわかってる。若い時分にはそういう事もあるさ。しかしまあ、もしも道ならぬ恋に入れ込んでるとすれば、いずれ火傷しちまうよ。それがいい、なんて奴も――まあ、いなくはない。私だってそういう経験は何度もあるものさ。

 

手を包むように釣銭を渡す。暗算は大得意のてゐ様だ。一円だって間違えたりなんかしない。……多少ガメてもわからない気はするが、そんなつまらない犯罪はしない。信用を売り渡すなら最高値で、だ。期を掴めば、幸運は自然に舞い降りてくるものさ。専門家が言うのだから、間違いない。

 

―――

 

  ―――

 

「おお、薬売りさん」――例のおじさんか。身なりは相変わらずだ。「この間の薬がもうなくなってね」あんたはオーバードーズし過ぎだ。直に死ぬぞ。「はいはい」天真爛漫な営業スマイルでヤクを売る。絵面はともかく、倫理的には最悪だね。これは。こんな所を見たら、親が泣くぞ。

 

「いやぁ、これを飲みだしてから何も怖くなくなったよ。遥かに良い」このままヤク中を放っておくのは、実際危険だろう。兎角の評判にも関わる。しかしまあ、突っぱねるのも危うい。急に薬がなくなったら、暴れ出すか――最悪、首を括ってしまうかもしれない。それは避けたい。

 

薬自体は詳しくないが、おじさんが薬を必要としているのは本当だろう。そうでなければ、鈴仙がそんなものを売り渡すはずがない。あの子はそういう不義を働くような兎じゃない。ただ、本人が薬に頼り過ぎているのだ。おじさんはやがて、破滅の恐怖と向き合わなければならなかった。

 

そんなものはない、と気付かなければならなかったのだ。しかし、そうはならなかった。おじさんは今もあの時と同じく、破滅に怯え続けている。本当に必要なのは、話を聞いてやる相手ではないか。そう思わなくはなかった。しかし、多分それは鈴仙や私には務まらないと思うのだ。

 

おじさんには今後もつかず離れず、用法用量を守ってもらおう。それができないなら――どうしような。永琳にでも頼んで薬を抜いてもらうかね。そんな都合のいい薬があるなら、だが。中毒にはサソリの卵が効く、何てのは聞いた事があるが、はて。サソリなんて何処にいるのかねぇ。

 

―――

 

  ―――

 

「わしにもくれんかの」ほいほい、と捌いている所にやってきたのは――化け狸だ。匂いでわかる。「この、禁煙ガムとやらを頂こうか」……禁煙?「小娘が煙を嫌がっての」狸はぼりぼりと頭を掻いた。まあ、売れるなら何だっていい。「昨今の健康志向で喫煙者は肩身が狭い、てな感じじゃ」

 

そりゃそうだ。健康に気を付けないと長生きできないぞ。「養生しすぎてもつまらんよ」狸は肩をすくめた。お前さんも人並みには長生きしてるだろうに。妖怪の身とも、死ぬ時は死ぬ。己が身体が己を殺すなんてのがいい例さね。不摂生、無自覚。症状が出た頃にはもう、オタッシャ重点だ。

 

「お嬢さんというのは、どちらの?」「貸本屋じゃよ。火気厳禁とも言いおってな」本の園にキセルを持ち込んだら、そりゃ怒られるだろうに。「きついの出しておこうね」「お手柔らかに」キツくないと止めないだろう。禁煙なんて簡単だ、もう十回もやってる――なんて冗談があるくらいだ。

 

煙草の匂いしみついて、むせる。狸の着物からは、確かに匂いがしている。僅かなものだが。吸わない者にとっては特に鼻をつくものだ。実際、煙草を苦手とする妖怪もいる。むしろ嗜む妖怪の方が少ないのではないか。妖獣はえてしてそういう傾向があるようだが。無論、てゐ様は吸わない。

 

お金を数え終わると、狸は私の目の前でキセルを取り出した。「……禁煙はどうなさるので?」「明日からじゃ」中毒者の言い訳そのままだわ。依存性という奴はまだまだ認識されていない。私達の売っているそれにも、危うい薬はいくつもある。薬、かつ嗜好品なんてものは最たるものだろう。

 

毒だって薬にはなるが、それを毒として使ったら元も子もないのだ。薬とは、やはり薬を扱うものが管理しなければならない。好き勝手に散逸したら、どんな惨事が起こるか、案外誰も気づいていないかもしれない。簡単にやめられる、なんて考えて、濫用するなんてのはあってはならない。

 

ダメ、ゼッタイ。永琳の部屋に貼ってあった。絶対ダメ、よりもインパクトがあっていい標語じゃないか。私は狸の方を見る。お前さんはいつまで生きられるかな。健康に気を使っているてゐ様が、たったこの程度しか生きていないのだ。超えられるかな。無理だろうかな。どうかな。

 

私が釣銭を返すと、狸は着物をはたいた。「臭いと言われては敵わんからな」ばっちり臭ってますよ。残念ながら。狸はキセルをしまい。私の顔をじろじろと見た。何のつもりやら。「ほっほ。それではな、悪戯兎」……あんのじょうバレていたか。やはり、狸は信用ならない。

 

―――

 

  ―――

 

「そこの」声をかけられ、振り向いた。女教師だ。「何をご都合致しましょう? ――妹紅のカキタレさんや」「――!! 馬鹿、何を――そ、そういうのじゃない」わかりやすい反応だ。いじりがいがある。ま、あまりいじめても可哀相かもしれない。「傷薬を」求められたのは結構な数だ。

 

「子供を預かる身として、こういうものを備蓄しておかねばな」ちょいとばかし過保護じゃないか。「ありがとうございまーす」まあ、子供は昔よりも遥かに死ななくなった。神様は赤ん坊に興味がなくなったのかね。もっともそれは、子を持つ親にはとてもとてもありがたい事だろうさ。

 

釣銭を渡しながら、思う。こうしてこのまま人間が増えていけば、いつかは――そうさね、盛大な間引きが行なわれるのは想像に難くない。神隠しの主犯はそういう事を真顔でやってのけるだろう。喜んでかは、わからない。顔を突き合わせた事があまりないからねぇ。あくまで、想像だ。

 

私からすれば、むしろてゐ様の所にそっちから挨拶に来い、と言いたい所だね。思うに、私はとかく軽んじられているようだ。それもまあ、性に合ってはいるか。竹林の兎の頭領。それくらいでいい。もっと若ければ、そういう気にもなったかね。或いは、誰かの野望を支える為なら。

 

立ち去る教師の背中を見つめる。あいつも、道ならぬ恋を追う者だろう。永遠とは、文字通り永遠だ。如何に数字を積み上げようとも、永遠の前にはすべてが霞む。滅びの魔の手は、いつか私をも捕らえるだろう。永遠は、文字通り永遠だ。定命の者に伺えるのは、しょせん永遠という文字だけだ。

 

永遠について考えるのは、好きじゃない。私とて無数の命を看取ってきた。だがそれは、無限ではない。永遠こそが無限を扱いうる。永遠の存在は、永遠以外のすべてを看取らなければならない。いずれ来る結末。燃やした命に意味はあっただろうか。道半ばに倒れた命に慈悲はあるだろうか。

 

腕の中で死んでいった兎を、或いは妖怪、果ては人間は、もうおぼろげにしか思い出せない。私という存在が無限に近くとも、私の内面はそうはいかなかった。あらゆる記憶は風化し、忘れ去ってしまう。それが妖怪の限界なのか、それとも私が思い出したくなくなったが故の事か。

 

鈴仙の顔を思い出した。あの子もいずれ、私の中で風化してしまうだろう。幸い私には、永遠の友人が二人もできた。知友をすべて失い続ける事は、もうないだろう。恋なんてするもんじゃない。愛なんて囁くもんじゃない。めおとになり子供を持つなんて、考えるだに、悲しい事だ。

 

――それでも恋をした。それでも愛に生きた。子を成し、そして看取った。すべてが私を置いて逝ってしまうのを承知で、そうしたはずだったが、最期はやはり後悔と、申し訳なさで一杯になった。そうさ。二度と恋などしない。そう誓った所で、駄目だった。恋はいつも私を狂わせていた。

 

心の中で、私はくずおれた。嫌な事を考えてしまった。いつも明るい私はどうした。発破をかけるが、それは届かない。心が泣いて――いや、現実の私自身も、きっと泣いていたと思う。お客の声で我に返った。網傘の下のそれを、見られなかったのは幸いだったさ。私は頭を上げ、笑った。

 

―――

 

  ―――

 

それからも、薬は売れて行く。売れすぎるペースと言ってもいい。薬屋が儲かるという事は、すなわちより多くの病人がいるという事でもある。それを喜ぶ趣味は、私にはない。それは悪戯とは別ベクトルの話だ。例えば、人々に病気をばらまく妖怪がいたとして、それと手を組むだろうか。

 

……心無い医者は、それをやるだろう。狭くて広い人里、鈴仙が回した方がまだマシなヤブ医者がいる。後ろ暗い者達の為のヤミ医者もいる。それでも医者は、確かに医者だ。医者にかかれない立場のものが、一抹の希望をかけて薬に頼る。だからこそ、私らは足元を見てはならないのだ。

 

「よう、おくすりやサン」誰かと思えば、白黒の。「どちらさまでしょうか」「おいおい、余の顔を見忘れたのか?」白黒は笑っている。正直な所、こいつは苦手だ。普段は胡乱な癖に、時折馬鹿正直な言葉を打ち込んでくる。若いのだ。如何にも眩しい。私なんか相手にならないほどに。

 

「……何かご所望かい?」「おう。そうだな、マンドラゴラの種とかあるか?」「はいよ」中々の危険物だが、あんたに扱えるのかね。「やっぱりあった。アリスに聞いて正解だったな」相方の人形遣いか。そういえばこの辺りで、たまに人形劇なんかをやっているらしいが。「サンキュー」

 

「お代をいただいておりませんよ」「ツケといてくれ」……いつもならぶん殴ってやる所だが、生憎と武器がない。「鈴仙に同じ事してないでしょうね?」「あいつの方がちょろい」可哀相な鈴仙ちゃんや。全額回収できるまで戻ってくるなよ。「もう来るない」「おう、また来るぜ」

 

――私は一体何を忘れちゃったんだろうねぇ。若さ、若さって何だろう。向こう見ずなのは間違いない。若者はえてして全能感に満ち溢れている。自分は何でもできる。今できなくてもできるようになる。それが無理でも踏み倒してやれ。無理を通せば道理も引っ込む。世界はあなたの為にある。

 

私だって、世界は自分中心に回っているなんて事を平気で吐くさ。だが、それが事実でない事も知っている。あの子たちは知らない。知るものか。挫折すらも名誉の傷。己をも燃やし尽くすような情熱で、三千世界を駆け回る。……たぶん、私にもそういう頃があった。あったはずだ。

 

今はもう、想像すらできない。それを悲しいと思う感受性もなくしてしまった。ただただ、若さに圧倒される。私には、眩しすぎる。……いずれは、己の若さの終わりを知るだろう。私のようにつまらない、枯れ木に変わってしまうだろう。そういうものだ。時の流れは、無常で残酷だ。

 

もしもあんたが、生きて死ぬまで情熱を持ち続けられるのなら――私は尊敬するよ、霧雨魔理沙。

 

―――

 

  ―――

 

「――ご本尊自ら、何をご所望で?」目の前には、虎の妖怪がいた。「いえその、記憶をなくしてしまいまして」……記憶喪失?「買い物をするつもりだったのですが、何を買うのだったのやら……」「健忘症の薬ならあるけどねぇ」「じゃあそれを」「どうぞ」何だか調子が狂うわね。

 

「――あ、そうです! ここに買うものの一覧が……」薬を一気飲みした虎は何か思い出したらしく、懐を探り始めた。そんなに早く効くものじゃないわよ、それ。「あ、ありました。えーっとですね、健忘症の薬と――」ビュウウゥゥ!! 突然に風が吹き、虎の手から紙を奪い去っていった。

 

「ああっ!! ……ううー」虎が頭を抱えた。頭を抱えたいのはこっちである。「でも一つわかりました、とりあえず健忘症の薬を」「どうぞ」虎は再びそれを一気飲みした。「――んん゛っ! 思い出しました!!」ほんまかいな。「生姜と山葵、香草を二袋、プロテインを五箱……」

 

意外な事に、虎はスラスラと買うものを言ってのけた。「全部思い出しましたからね!」虎は胸を張った。張るな。「……それで、私は何をしに来たんでしょう?」「健忘症の薬ならあるけどねぇ」「じゃあそれを」「どうぞ」何度目かの薬を一気飲みした虎は、何やら虚空に視線を走らせ――

 

「ああっ、ナズと約束していたんでした!!」荷物を忘れたまま、何処かへ駆け出してしまった。「……何だったの?」「何だったのでしょうね」私は横を向いた。妖怪寺の親分がそこにいた。「昔はあれでも、几帳面でシャンとしていたのですが」聖が何処か嬉し気に微笑んだ。

 

「あのくらい抜けている方が、あの子にとっては幸せかもしれない」いや、あれは抜けているというレベルでは……。「荷物は私が受け取りますわ。星が戻ってきたら、私の所に来るように、と伝えてくださるかしら」にこにこしながら、聖は言った。折檻でもするのか。するんだろうな。

 

――実際、記憶なんていい加減なものだ。願望、悲観、憤怒に不正。様々な原因で記憶は捻じ曲がる。それこそが当人の真実になる。私にも後ろめたい事はある。溶けた鈴仙の件とか。……まあ、記憶を正しく保持するのはとても難しいという事だ。それを正す為にあなたがいる。わたしがいる。

 

誰かが保持している限り、記憶は生きている。すべての生き物から忘れられた時が妖怪の最期だ、とは半分正解で、半分間違っている。人間だってその状態では、死んでいるも同然だからだ。自分自身が生きている、と主張した所で、それを認可してくれる存在が誰もいなければ、どうか?

 

あなたを忘れない。わたしが忘れない。恋する二人が惹かれ合うのは、或いは互いを深く知り合いたいからかもしれない。互いは互いを知っている。知り合っている。死が二人を分かたねど、記憶の中に生きている。例え忘れてしまったとしても。人と人が知り合う限り、このループは続く。

 

私は――そうさね、一番古い知り合いの記憶は、人間だ。愚かな人間。幸運を求めて竹林に入った。それは重い病気の両親の為だった。私は幸運を与えた。その人間は竹藪に飲まれて消えた。竹林に入るとはそういう事だ。死の運命は変えられない。だから、せめて看取ってやった。

 

記憶はまだ、私の浅い部分にたゆたっていた。いずれはそれも、忘れてしまう。両親も、いずれは息子の顔を忘れただろう。誰もお前を知らない。その時が二度目の死なのだ。だから私は覚えていてやった。それが無駄な事だったとしても、構わない。私はそうしたかったから、そうしたのだ。

 

――脳トレとやらもやってみるか。私は伸びをした。てゐ様の頭なら余裕だろうが、やってみるのも、悪くない。私は散発的に来る客を捌きつつ、自分自身の記憶に思いを馳せた。人間より古い看取りの記憶は、やはり曖昧だ。拾い出せたのは、漠然とした悲しみだけだ。少しだけ、涙をこらえた。

 

―――

 

  ―――

 

「脱毛剤?」赤ずきんの妖怪は小刻みに首を振った。「毛生え薬ならあるんだけどねぇ」赤ずきんが頭を下げた。どうも落胆したらしい。「除毛クリームで剃る――いや、駄目なのかい?」赤ずきんは頭を大きく振った。どうやら深刻な問題らしい。「剃刀が負けるので……」

 

どれだけ強い毛をお持ちなのか。「また今度、こちらで調合してみるという事では?」赤ずきんが頭をブンブンと振った。弾みでずきんがずれた。獣の耳だ。……なるほど、ワーウルフか。「今すぐに欲しいんです。どうしても」そういえば今日は、丁度満月だったっけ。つまり、そういう事か。

 

「せめて、袖口と顔の毛を剃らないと……」何の用事か知らないけれど、新月とかじゃ駄目なのかね。駄目なんだろうな。この分だと。「じゃあせめて、香水とかは――」「ありますよ。キツい方がいいかい」「一番キツいのでお願いします」つまりは、獣の匂いを消したいんだろう。

 

「どうしてそんなに素性を隠したいの」「いや、あの――草の根の集まりがありまして」草の根ってあれか、寄り合い所帯。「草食系の子が入ってくれそうなんですけど、私がいたら多分無理かなって……」だろうね。ビビるだろ普通に。「どうです、臭い消えましたか……?」微妙。

 

私とて草食系だ。てゐ様の高性能危険センサーがピンピンしている。当人にその気はなくとも、まあ、仕方ないわね。「ワーウルフだって打ち明けたら?」「いっいえ、それは……」「案外上手くいくかもよ」他に手段がないとも言うがね。「そ、そうですか――そうですよね、ええ」

 

赤ずきんはふんすふんすと鼻息荒く、尻尾を振りながら去っていった。私は香水をしまいながら、その背を見送ってやった。――ちょっと悪い事をしたかね。まあ、どう小細工しようと、いずればれるんだ。傷口は浅い方がいい。ま、頑張んなさいな、赤ずきんに化けたおおかみさんよ。

 

……実際、どうだろうね。そう生まれてしまったからと言って、そのように生きなければならない道理はない。しかして、その結果が良いものとは限らない。正体を現したばかりに、集団から追放されるなんてのはよくある話だ。ありのままを受け入れてくれるなんてのは、やはり幻想だ。

 

異種に近付きたければ、最初から打ち明けるか、それとも死ぬまで隠し通すか。どちらかを選ばねばならない。そして後者は、得てして最悪の結果を招く。そう、傷は浅い方がいい。拒まれた所で、死ぬ訳でもあるまい。……私も、まあ、そういう事はあった。傷は深かったよ。狂おしいほどに。

 

在るべき所の違う二人が惹かれ合い、一緒に逃げると言ってくれるなら――それは立派な愛の形だろう。例え道半ばに倒れたとしても。追っ手の刃にかかったとしても。二人逃げている間のそれは、確かに恋と言うのだろう。確かに愛と言うのだろう。例え、例え、最悪の結末を迎えようとも。

 

あの時の事を思い出す。もうそれは時の流れに風化していた。あなたの顔も思い出せない。ただ傷付いた心だけがあった。あなたが死ぬまで、隠し通すつもりだった。そうはならなかった。ならなかったんだ。すべてを捨てて逃げた。――あなたは、あなた自身の命も捨ててしまった。

 

私が死ねば良かったのに、と思う瞬間はきっと、数えきれないくらいあった。しかし私は、生き汚なかった。自分だけは逃げ切ってきた。もう二度と逃げないと誓った。しかしそれは、嘘吐きの気の迷いに過ぎなかった。幾度とも逃げた。幾度とも生き残った。皆、私が殺したようなものだ。

 

――昔の話は、私にとって楽しいものではなかった。刹那的に今を楽しむのは、過去を振り返るのが怖かったからかもしれない。私が辿ってきた道には後悔と、幾多の犠牲があった。悲しみがあった。そういうものだけを覚えていた。今は違う。少なくとも馬鹿をやれる仲間がいる。

 

楽しい思い出も、いずれは記憶の底へ沈むだろう。それでも今は、暖かな思い出を抱いて生きていく。失う事は怖い。自ら跳ね除けた時もあった。もう、そんな事はしなくてもいい。私は集団を許容し、集団は私を受け入れてくれた。逃げる必要はなくなったんだ。それが何よりも、嬉しい。

 

―――

 

  ―――

 

……まあ、それからの応対はサクサク進んだ。てゐ様の人徳のおかげだ。置き薬を撒き散らしてきて、戻った頃には夕日が落ちていく頃だ。潮時だ。私は籠を再び背負った。……少し引きずった。何なら私専用の背負い籠を作ってもいい。気分が良かった。なんだかんだ、妙な奴と話すのは楽しい。

 

人里を勢いよく飛び出し、大路を突っ走る。今は妖怪の時間だ。遠慮など要らない。獣道に飛び出した。竹林を突っ切った。あっという間に私のハウスだ。……さて、鈴仙の事をどう誤魔化したもんか。こっそりと中を見る。誰もいない。外側を周り、処置室を覗く。やはり誰もいない。静かだ。

 

――ひょっとすると、これはバレないか? 私は鈴仙の部屋で背負い籠を下ろすと、私の部屋でいつもの服に着替えた。その間も何事も起こらない。永琳はともかく鈴仙が出てこないのは意外だったが――まさか、ね。少しばかり恐ろしい想像をしてしまった。背中がざわざわする。

 

外に出た。相変わらず誰も――いや、妖怪兎がいた。それもたくさん。何かを囲っている。なんだろう。私は軽くステップを踏みながら近づいた。……冗談でしょ?「てゐ様、鈴仙が……」目の前にはドマンジュウ。その上には――鈴仙の顔写真。「死んじゃったんです」妖怪兎は泣き叫んでいた。

 

いや、そんな、永琳でもどうにもできなかった訳? つまりこれって、私が殺したって事になるのかい? ――いや、いや、そんな事より――鈴仙、私はそんなつもりはなかったのよ。許してくれなんて言わないわ。ただ、ただ、私の軽率な遊びが、あなたを殺してしまった――!?

 

「ごめんなさい、鈴仙――!!」涙があふれた。実感が湧いてきた。私が鈴仙を殺した。鈴仙の顔を、誰も二度と見られなくしてしまった。永琳は悲しむだろうか。姫様は悲しんでくれるだろうか。そんな事はどうでも良かった。妖怪兎と一緒に、私は大声を上げて泣いた。

 

 ◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

「――はい、少しは反省した?」私達は泣きながら、声の主を振り向いた。「れ、鈴仙……?」私の視線の先には、鈴仙がいた。でも、鈴仙は死んだはずなのに。「酷い顔してる」私は両手でゴシゴシと顔を拭った。幻覚ではない。本物だ。生きてる。動いてる。どういう事なの、鈴仙!?

 

「悪戯仕掛けられるのには慣れてないのね、あんた」鈴仙が銃を取り出し、ドマンジュウに撃ち込んだ。写真の顔が舌を出したものに変わった。「あんたに運ばれている間、意識があったのよ。それでこんな事を思いついたって訳」いつの間にか縁側には永琳、そして姫様に兎達が集まっていた。

 

「れ、鈴仙ッ……」私は確かに酷い顔だったと思う。泣き笑い。騙された怒り。ない交ぜの感情のまま、私は鈴仙に抱き着いた。「どうしたの、ほら」私は鈴仙を登ると、そのまま肩に乗っかった。頭に腕を回す。「びっくりした、本当にびっくりしたよ……」「ふふ、悪戯は大成功ね」

 

永琳は笑っていた。姫様も。完全に騙されていたらしい妖怪兎も。兎達がぴょんぴょんと跳ねていた。なんだ、皆して私を騙してたって訳ね。落ち着いてきたら、ちょっとばかしムカついた。今度はもっとスゴい悪戯を仕掛けてやろう。ただ、今は――色々な事を、話してしまおうと思った。

 

「――それでね、薬を売ってきたんだよ。そりゃ大盛況さ。鈴仙よりも上手くやった」鈴仙はそれをじっと聞いていた。仲直りできただろうか。私は肩に座り直し――「あっ! そっちは駄目!」警告も空しく、鈴仙はそこに踏み込んだ。私達の足元が崩れた。落とし穴だ。そこには硫酸が――

 

「「いやああぁっ!!」」

 

私達はドロドロに溶けて死んだ。どうやら守備力が2,000以下だったらしい。

 

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