東方短編集   作:slnchyt

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首が折れればやはり死ぬ

―首が折れればやはり死ぬ―

 

てゐが死んだ。

 

私が殺した訳じゃない。またぞろ落とし穴を掘ってるな、と思ったら――どうやら底におっこちて、首が変な方向に曲がっていた。これは即死だわ。ご冥福をお祈り――してる場合じゃない。困った時は師匠に投げる。あまり濫用すると話が崩壊するけど、今はそんな事言ってられない。

 

「どんなに長生きしていても、死ぬ時はあっさりしたものね」師匠はくすくす、と笑っていた。いや、笑っている場合じゃないんですって。「そうね。うどんげ、あなたが処置なさい」……はい?「あなたに任せると言ったのよ。頑張りなさいな」師匠は奥に引っ込んでしまった。

 

――いや、冗談でしょ? 確かに基本的な事は習ったけど、そんな、ぶっつけ本番を一人でなんて。どうしよう。どうしよう。……とりあえず、蘇生処置よね。私は慌てて道具をかき集めた。普段は使わないようなものばかりだ。私は事態の深刻さを、段々と理解してきた。

 

まずは、この回転のこぎりで首を――って、何でやねん。ていうか、処置室に何でこんなものがあるのよ。……師匠、ここで改造手術とかしてないでしょうね。振り返ると胡散臭い電撃発生装置とか、光る輸血パックとか、見るだに狂ったものがたくさん転がっている。何なのよコレ。

 

――それはどうでもいい。困った時はスティムパック。棚にあるだけ、胸にしこたま打ち込んだ。これで大体どうにかなる。後はそう、心臓マッサージ。妖怪の身体だもの、容赦はしない。一分間に三百六十回。心電図計に反応は――ない。まずいわ。このままだと、本当に死んでしまう。

 

私は備え付けの箱からAEDを引っ張り出すと、行程をすっとばしてそれを押し当てた。イメージ的には簡単に蘇生できる器具だけど、これが必要なレベルでは妖怪とて助かるかは怪しい。そんな事を言っている場合ではないとわかってはいても、どうしたって不安が勝つのだ。

 

ドゥン! てゐの身体が跳ね上がった。心電図系を見る。駄目だ、反応なし。もう一回! てゐの身体が再び跳ね上がった。しかし、反応なし。こうなれば手段を選んではいられない。何度も何度もショックを打ち込む。……今、ピクリと反応しなかった? 慌てながら、もう一発!

 

てゐの身体が大きく跳ね上がると、弱々しくも、心臓が再び動き始めた。とりあえず当座の危機は去った――訳だけど、どうしよう。今、てゐは首が折れている。普通は死ぬけれど、妖怪だから死なない。……人の事は言えないけれど、ホント妖怪ってテキトーにできてるわね。

 

とりあえず首を元の角度に戻して、首筋にスティムパックを打ち込んだ。これで安静にしていれば治るはず。……何でできているのかしらね。この注射。首にサポーターを捻じ込み、ベルトで固定した。首が折れているレベルで使うものじゃないけどね。とりあえず治るまで保てばいい。

 

ベッドに乗せ換えて、病室に運んだ。点滴つきになったてゐの顔は、安らかだった。このまま昇天しないでよね。思いはするが、それを選ぶ――というか、選ばされるのはてゐだ。殺しても死なない奴だって、首が折れればやはり死ぬのだ。195本あっても、折れてはいけない1本はある。

 

―――

 

  ―――

 

「うーん……」てゐの声に、私は耳を立てた。とりあえず生きてはいる。一つ安堵した。しかして、問題は山積だ。「目が覚めた?」これに反応がなければ、てゐは一生、植物状態かもしれない。耳をそばだてる。自分の心音が酷くやかましい。「――起きてるよ」聞き慣れた、声がした。

 

「鈴仙ちゃ――おおう!?」「あっ」首が曲がりそうになった。そんな角度に曲がったら既に死んでると思うけど、妖怪なので大丈夫――というか、首が折れたら死ぬってルールを理解していないから、生き残ってるだけなんじゃないか。詳しく話したら案外、死んだりするのかしら。

 

「その――動いちゃダメよ、捻挫してるから」捻挫ではある。捻挫を通り過ぎてるだけで。「ああ、そう?」てゐは大人しく天を仰いだ。「いや、私とした事が、あんなつまらないミスで死にかけるなんてねぇ」てゐは鼻を掻いている。「まあ、首をイワしたくらいで済んでよかったね」

 

いや、実際死んでたんだけど。敢えて言うものでもないか。「永琳はいなかったのかい? ……ふむふむ。処置を一人でやらされたと」どうだい。私は胸を張ってやった。……内心はびくついていたけど。油断はできない。今は薬で誤魔化しているけど、いつ再び死んでもおかしくない。

 

「動いたら治らないからね。絶対、絶対動かない事」「はいな」……治らない以前の問題だけどね。私の言葉を理解したのかしないのか。てゐは耳を指で撫でまわしている。「ヒマだね」「安静ってそういうものよ」変に首を動かされたらコトだ。雑誌を差し入れる訳にもいかない。

 

「しりとりでもしよう」「何それ」私は思わず吹き出してしまった。「私は強いよ。年の功って奴さ」「仕方ないわね」それで安静にしてくれるなら、まあ悪い事でもないか。「じゃあ最初は≪鈴仙≫から」「最初から≪ん≫じゃない」「おや、まいったね」てゐは楽し気に笑った。

 

―――

 

  ―――

 

「何よ、ンゴロンゴロクレーターって……」何度やっても私は負けていた。「助け舟だしてやったんだから、ぼやかない」てゐの笑い声が癪に障る。楽しいのは結構な事だけどね。「鈴仙ちゃん、今度はにらめっこしよう」「――はい?」その体制でどうやって――と思ったら。

 

「あ、いてっ」「こ、こらッ!!」こちらを向こうとしたてゐを全力で押しとどめる。「動くなって言ったわよね!?」「悪い悪い」この顔は、欠片も悪いなんて思っていない顔だ。「首を動かせないってのは思った以上に不便だねぇ」てゐは指を天に向けて、ぐるぐると回した。

 

「――そうだ。鈴仙ちゃんもこっちおいで」てゐの言葉の意図が掴めなかったが、私は促されるままベッドに近付き――「乗りな」「乗るって――ええ?」私は戸惑いながらもそれに従う。てゐが脚を開いた。私は手脚でそれを抱き込むように――って。これ、まずくない? 健全版だぞ?

 

「ほら、顔が良く見える」そりゃ見えるけどさ。「さあ、にらめっこだ。言っとくけど、私はこれも強いぞ」私だって自信はあるわよ。昔は福笑いのレイセンと――あれ、これって褒めてなくない?――呼ばれていたんだ。互いに顔を隠し、渾身の変顔を――「うどんげ?」びくり。

 

「あらあら、あらあらあら」師匠はいつも以上にニコニコしている。「何をしているのかしら」「いえ師匠、違うんです。これは――」すたすたと歩み寄った師匠が――私の耳をぐいぐいと引っ張る。痛いです。「医者が患者にそういう事をしちゃ駄目よ。評判に傷がつきますからね?」

 

何の評判だろう、と思ったけど、口にはしない。絶対藪蛇だ。……師匠はといえば、往診してくれるのかと思いきやそんな事もなく、さっさと立ち去ってしまった。何しに来たんですか。「つまり、信頼されてるのさ。鈴仙ちゃん」いやいや、てゐの命を使ってスパルタはちょっと……。

 

―――

 

  ―――

 

病室の戸が叩かれた。空いてますよ、と促して――なんと、姫様がそこにいた。手の中には小ぶりのメロン。「イナバにお悔やみを持ってきたわ」私は思わずずっこけた。「姫様、てゐは死んでないです」「冗談よ」冗談にしても心臓に悪い。姫様は時々こういう胡乱な話をするのだ。

 

或いは、師匠よりも。姫様はくすくすと笑っている。「おお、メロンかい?」迂闊にもそちらを向こうとするてゐ。慌てて私は制した。「だから動いちゃダメだってば!」「いやぁ、ははは」恐れ多くも姫様がそれを切り、てゐの顔に近付けた。「美味いもんだねぇ」ああ、そう。

 

――そもそも、怪我人に早々食べさせるものでもなくないか? 疑問を抱く私の目前で、てゐはメロンを一個丸々平らげた。少しはこっちに回してくれてもいいんじゃないか。思いはすれど、口には出さない。「良くなったら、祝ってあげましょうね」「そりゃ楽しみだ」てゐは笑った。

 

師匠が何もしてくれない事に関して、姫様から何か――いや、ある意味でこの状況を面白がっている節はある。姫様の考える事は、所詮兎の身になぞ、わからない。最終的に悪い方へは転がらないのは重々承知しているが、その間にいくつものトラブルを発生させる事が多々あるのだ。

 

「あなたはどう思うかしら」「――えっと、何がでしょうか?」姫様はくすくすと笑った。「永遠を生きるという事をよ」「いえ、それは――」「わからない。それが答えでも構わないのよ」姫様がてゐの頭を撫でた。「或いは、あなたもそのくらい生きると思っていたけれど」

 

「何、私なんてちょっと人より長生きしてるだけさ」「そうね」何やら笑い合っている。姫様はともかく、てゐってどのくらい生きてるんだっけ?「鈴仙ちゃんも健康に気を付けないと、早死にするよ?」「うるさいやい」あんたに心配されてもね。何事にも寿命ってもんがあるのよ。

 

――しかし、寿命か。私だっていつかは死ぬ。てゐもそうだろう。変わらないのは姫様と師匠、そしてもう一人だけだ。己が死を考えるのは、やはり恐ろしい。二度と目覚めない闇について考えてしまう。世界から私がいなくなるのを想像してしまう。姫様は、悲しんでくれるだろうか?

 

「何かお考えかい」てゐが呟いた。「さっきから黙ってる」耳をこちらに持ち上げた。「考えている時間を勿体ないと感じるか、有意義だと感じるかは、あなた次第ね」姫様は椅子から立ち上がり――恐れ多くも、私の頭を撫でた。耳がしわしわになっていた。それを引っ張る。痛いです。

 

「時の流れというものには確かな意味があり、そして何の意味もない」姫様は、椅子に戻った。「意味がないからといって、あなたは生きるのを止める?」私は少し、震えていたかもしれない。「そうではないでしょう」姫様の言葉の意図は、やはり掴めない。「意味は、見出すものよ」

 

「何も考えず、ただ漠然と時間を漂う事はできる」姫様は楽し気に話している。「けれど、そんなものを永遠に引き延ばす意味はないわ」目前でゆっくりと手を振った。「無意味を愉しむ。あなたも、私も、或いはすべての命が、そうしているのかもしれないわね」私は、顔を伏せていた。

 

くすくすと笑う声だけが、耳に入る。「難しく考える必要はないわ。世界はあなたが想像するより、ずっとシンプルにできているのよ」促されて、顔を上げた。その手にはいつの間にか、小ぶりのメロンが乗せられていた。「あなたも食べなさい。一時の恐怖は、そう続かないものよ」

 

恐れ多くも姫様がそれを切り、私の顔に近付けた。「えっ。あの」「口を開けなさいな」私はその言葉に従った。私は震えていた。さっきとは違う震えだ。私はメロンを口にし――咀嚼した。くすくすと笑う姫様を正面から見て、ああ、生きてて良かったな、と思うのだった。

 

―――

 

  ―――

 

病室の戸が叩かれた。空いてますよ、と促して――妖怪兎がズラズラと入ってきた。それも大量に。後から後から。……ちょっと、本当に部屋が埋まるんだけど。いや、待ちなさい、待てってば!! ――私の制止も聞かず、部屋の中はギュウギュウ詰めになってしまった。

 

「いやあ、てゐ様の人徳は無限大だねぇ」人徳とかそういう問題じゃないでしょ、これ!「ああ、大丈夫だよ。すぐに治る。そうしたら遊んでやろうね」てゐの言葉が兎の間を通う。泣きだすもの、笑いだすもの、手を振るもの、てゐの顔に触ろうと――あっ、こら!!

 

「待ちなさい、首を動かしたら――その、ヤバイわよ!」私の制止を、妖怪兎は聞かなかった。こいつらはいつもてゐの言う事しか聞かないのだ。「いいよ、首を回さなきゃいいんだろ」てゐはその手を取り、頬に当ててやっている。兎達に再び、今度は安堵が伝わっていったようだ。

 

「――それで、これどうするの? 動けないんだけど」もう部屋は限界ギリギリだ。これ以上は圧死しかねない。こんな所に死体を増やされたらたまったもんじゃない。「ああ、そろそろ帰りな」てゐはそう言うけど――やっぱ動けない。出口を閉めたのはどこのどいつだ。修正するぞ。

 

――その時だった。戸が無理矢理に開け放たれ、飛び込んできたのは――兎の群れ。それも大量に。後から後から。……ちょっと、ここはもう満員なんだけど。いや、待ちなさい、待てってば!! ――私の制止も聞かず、兎は妖怪兎の上に盛り盛りになる。どんどん。しこたま。

 

遂に部屋は三次元的にもギュウギュウ詰めになってしまった。てゐのベッドだけが安全地帯だ。「ちょ、本当、本当に潰れるって――」兎一匹、されど一匹だ。限界ギリギリの兎に、藁を一本乗せたら死んでしまうのだ。何か手はないかと考えるが、こうも圧迫されていては――

 

――その時だった。ガンガンガン、と打ち付ける音がする。食事の合図だ。兎全体に何らかの波が走った。扉側の兎が無理矢理外に転げだす。窓から飛び出すものもいた。パーティションの上によじ登る奴がいる。兎達が、水が流れるように滑り出ていく。皆、食欲に駆り立てられている。

 

あっという間に密度は下がり、この場には私とてゐだけになった。壊れた調度品と汚れた床だけが惨状を物語っている。一人、妖怪兎が入ってきた。フライパンとおたまを持っている。そいつはてゐの傍に歩み寄ると、顔に触れた。てゐも顎を掻いてやっていた。妖怪兎は頬にキスをした。

 

なるほど、はしっこい兎もいるものだ。そいつは調理器具を手に取ると、頭を下げて立ち去った。ああいうのがいずれ、リーダー代理でも務めるんだろう。リーダーはてゐが居座るから、死ぬまでNo.2だろうけど。……もし、てゐが死んでたら、覇権争いでも始まってたのかしら。

 

その時には、私が――なんてね。姫様がいるんだから、そんな事にはならないでしょう。多分。てゐの方を向いた。薬がよく効いているのか、てゐは眠ってしまっていた。シーツを掛け直してやる。……まったく、病室では静かに、なんて基本的な事も守れない連中だったわ。

 

―――

 

  ―――

 

病室の戸が叩かれた。空いてますよ、と促して――なんと、永遠の仇敵がそこにいた。手の中には竹炭の箱。「お悔みを――ってのは、どうもあいつが言ってたらしいな」妹紅は開いていた椅子へ勝手に座ると、荷物を私に手渡した。「見舞なんてガラでもないが、噂を聞いたんでな」

 

「――噂って?」「幸せ兎が、不運と踊っちまったって」呪い穴は一つだけで十分なんだな、と妹紅はにやついた。ポケットから紙巻き煙草を取り出し、指先から火を点け――「病室でそれって、あり得ないと思いますけど」「一本だけだ。いいだろ」私の言う事なんて、聞きやしない。

 

「本人は自覚ないかもしれないが、お前の所のいたずら兎は結構、あちこちで話のタネになってる。心配してくれるかどうかは別にして、ね」皆、幸運が欲しいんだろうな、と妹紅は呟いた。「幸運と不幸なんてのはバーターじゃない。ツイてる時もあればツイてない時もある」

 

「何をしようともなしのつぶてな時もある。逆に、何もかもが幸運と不幸の天秤をガタガタ揺らす時だってある。少なくとも、不幸の次には必ず幸運が来る、なんてのは、幻想だって事だ。偉い学者先生でなくても、本当は皆、気づいているんじゃないか」妹紅はふう、と煙を吹いた。

 

「その天秤を傾けられる存在がいるなら、誰だって欲しがるだろう。哀しいよりは嬉しい方がいい。私のような奴だって、幸運は欲しいさ。永遠の試行回数でダイスを転がし続けるなんてのは、私らにしかできないが、期待値はいつも私を裏切る」「そんなに欲しいものかしらね」

 

「お前は多分、日常的にその恩恵を受けてるんじゃないか」妹紅が煙を吐いた。「お前がてゐに依存している以上に、てゐはお前に依存しているように見えるぞ」「――依存って?」「あなたがいなければ生きていけない、って事さ」「いや、それって――」「色恋の仲でなくても、ね」

 

「私だって、張り合いがなければ生きていけない――いや、何かのジョークじゃないが。本気の殺し合いでしか得られない栄養素がある、とでも言えば通じるか。お医者さん。そして、お前らの関係もそうだと思うが」「つまり、てゐが生きるには私が必要って事?」「たぶんな」

 

よくよく考えれば、私がてゐを必死になって助けようとしているのは何故だろう? 友達だから? 医者の矜持? それとも――?「変な事言うのね」「ああ、変な奴だからな、私はね」妹紅が二本目に火をつけた。こうなると思った。「てゐは、自分自身を幸せには出来ないそうだな」

 

「それなら――幸せにした≪誰か≫から、幸せを貰いたいんじゃないか。返して貰う、なんてケチ臭い意味じゃなく」……誰かと言うのは、きっと私の事だ。私は、幸せなんだろうか? いつも痛い目に遭っている気がするけれど。「幸せかどうかなんて、過ぎ去って初めてわかるものだ」

 

「私だって平均以上には幸せだろう。今は、な」妹紅は顔を伏せた。「得るは幸運だが、失えば不幸だ。私はそれを嫌って、ニュートラルでいたかった。けれど、そうではないのを知った。知ってしまったと言ってもいい。とりあえず――何事もなければ、これから数百年は、幸運だよ」

 

多分、件の教師の事を思い浮かべていたのだと思う。妹紅は煙を吐いた。「永遠ってのは何だろうな。長らく考えていたが、私には答えを見出せそうにない」「――姫様も、似たような事を問いかけたわ。そして言ったの。世界は考えているよりもずっと、シンプルに出来ているって」

 

「あいつらしい答えだな」煙を吐く。「私はもうちょいとばかり、この世を憂いているよ」指を鳴らす音がする。「世界は考えもつかない程、複雑に出来ている。それを紐解ける者は、それこそ永遠の存在だけだろう。だが、それですら世界の流転には追いつかないんだよ。実際、な」

 

親指から、小指までに火が通う。「私は、全知全能なんてものを信じちゃいない。仮にすべてが見えるのなら、世界はそいつを、すべての目、全知の目で見返してくる訳だ。そんなものに耐えられる存在がいるとは思えない」煙を吐いた。私は、自説を語る妹紅の顔を、じっと見ていた。

 

「いたとするなら、それは≪世界≫そのものだ。私らでも、神や仏でもない」妹紅は肩をすくめた。「世界は考えもつかない程、複雑にできている」煙が部屋に漂っている。「私とあいつの関係だって、そうだ。きっかけは些細――とは言いたくないが」妹紅の顔が、陰ったように見える。

 

「数多の時が過ぎたとしても、あいつとの因縁は続く。それはシンプルな殺意だけじゃない。憎悪、悲愴、高揚、或いは喜び。あいつもそうだろう。それらがないまぜになって私達の間を飛び交う。入り混じる。私達のそれを取ってすら、事はそう単純じゃない。いわんや、世界をや」

 

三本目を手に取った妹紅を、私は睨みつけた。瞳の力が通じたのか、流石にそれ以上吸おうとはしなかった。「慧音はとかく、物事を悪い方に考え過ぎだと言うが」指を鳴らす音がする。「私は、悪い面ばかり見過ぎたよ。だから、これからは良い思いをしようと思ってる。羨ましいだろ」

 

冗談だと解釈して、私は笑った。妹紅も笑っていた。珍しい場だと思った。「てゐは眠ってるんだろ。私はそろそろ失礼するよ」妹紅は吸い殻を炎の中に消し去ると、戸を開けた。「私は、幸運だと思う?」私は問うた。妹紅は振り返らずに、手を振ってみせた。スッ、と戸が閉じる。

 

―――

 

  ―――

 

病室の戸が叩かれた。空いてますよ、と促して――妖怪鼠が入ってきた。「珍しい客ね」「アンコモンくらいさ」ナズーリンは背嚢を下ろし、こっちを向いた。「今日は、幸運をわけて貰おうと思ってね」「……アンタ、てゐが今どんな状態かわかってる訳? ふざけてる?」「いいや」

 

わかってるさ、とナズーリンは笑った。「これをあげよう」背嚢から取り出されたのは――御守りのようなものだ。いや、実際御守りに違いない。虎柄の小さな巾着。それは紐でぎゅう、閉じられている。「何、これ」「御守りだよ」「答えになってないわ」「実際、そのものだからね」

 

「このままでも霊験あらたかな御守りさ。しかし、これはもう一つ、何か≪幸運なもの≫――そう、例えば、四葉のクローバーを入れれば、ますます良い」段々何を言いたいかわかってきたぞ。「それで、クローバーを見つける為にてゐの幸運を当てにしてた訳?」おバカは頷いた。

 

「生憎と、私は運がない方でね。ダウジングに引っかかりもしないのさ」……怪我人に渡す為のお守りを怪我人に用意させる奴なんて、初めて見たわ。私はナズーリンを睨みつけた。「そう怒らないで。これは私なりの親切心さ」「……有難迷惑だけど、どうしてまた、そんなものを?」

 

「どうしてって、まあ――同業者のよしみかな?」手をひらひらとさせた。「幸せ兎を助けたとなれば、ますます箔がつくだろう?」結局は利己心じゃないの。「それで、代わりに何が望みなの?」「望みなんてないよ。だから、何も気負う必要なんてないさ」こちらに巾着を押し付けた。

 

ナズーリンは笑っていた。笑っていたけど――何だか、その笑いは何か違う色を帯びていた気がする。「――本当に、そうなの?」ナズーリンがこちらを見た。もう、笑っていない。「何か隠してるでしょ、あんた」私の瞳は目ざといのだ。正気を覗き込む事も容易い。「……そうだね」

 

「本当は、一度助けられた事があるのさ。迂闊にもダウジングロッドを落としてしまって、竹林に入った。それがいけなかった。飛べども飛べども同じ所を回っている。飛んで逃げても、竹藪は私を捕まえるように、空へは届かない。……はは、私には運がないと言っただろう?」

 

そう、竹林はすべてを飲み込む。その人はいなくなる。皆、皆、白い骨。だからいないのだ。その人は。どんな人間も、妖怪も、道を知らなければ、二度と出る事はできない。それが竹林の結界であり、或いは竹林そのものの意志なのだ。本当の所は、私達のような兎にもわからない。

 

それを承知で、人間は竹林に入る。幸運を求めて、だ。如何にも向こう見ずで、愚か。しかしてそんな者の前に、てゐは姿を現すのだ。人間は幸運を求める。てゐはそれに応えてきた。命を張るだけの理由があっただろう。願いがあっただろう。てゐはそれらを、幾度も看取ったそうだ。

 

「そんな時、彼女に出会った。私が妖怪な事に若干不満げだったけど、まあいいわ、と幸運を授けてくれた。走り去る彼女の背を追いかけると――いつの間にか、竹藪を抜けていた。ロッドも途中で見つけた。不幸な誰かの亡骸を飛び越えて進んだ。その時は、とにかくツイていた」

 

ナズーリンは頭を振った。「恩を着せるわけじゃない。恩を返したかったのさ。果たしてそれで足りるかどうかは、わからないけどね」窓際に歩き、外を見た。「幸運と不幸、か。誰かの幸運が、誰かの不幸になるとは限らない。幸運はもっと、あまねく人々に広まるべきだ」

 

「最大幸福論なんて言葉があるけど、それは不幸を足蹴にしている――とは、言わないけどね。それに、幸運は追い求めたものにこそ訪れる――なんてのはあり得ないことさ。成功体験を、幸運と呼んでいるに過ぎない。私達はそう、幸運と呼ぶ事もできない弱者にも、それを与えたい」

 

「――随分、偉そうな事を言うのね」「偉ぶっていると思われるのは、まあ、その通りだろう。人の身の分際で、人を救おうなんて、それこそ傲慢さ。しかし、それでも構わないと尼君は言った」指を回す。「本当の慈悲とは、一切の見返りを求めない。しかしてそれは、とても難しい」

 

「袈裟を与えたなら、それを問うてはならない。己が修行の為に――なんてのは、尼君の思う所ではない。だからこそ、ある所から金を取る。ない者には与える。ウチの寺は良くも悪くも、世俗に染まっているのさ」ナズーリンは首を振った。「財を扱うんだ。そりゃ、そうもなるか」

 

「永遠亭も、似たような事はやっているだろう?」「――薬の事?」「見方によっては、それも幸運を招くものだ」「まあ、わからなくもないわ。薬で助かった、って言ってくれるのは、やっぱり嬉しいもの」「そうさ。薬を売った君も幸運になった、だろ?」確かに、一理あるかもね。

 

「――おや、あれは?」ナズーリンが窓から身体を乗り出した。「はは、幸運はこんな近くに転がっていたんだ」ロッドで挟み取られたそれは、確かに四葉のクローバーだった。それは御守りの巾着の中に入った。一瞬、それが光ったように見えた。「これを枕元にでも置いておいてよ」

 

私はそれを受け取って、てゐの頭の上に置いてやった。……御守りなんてのは、気休めだ。どれだけ謂れのあるもので、実際好転したとしても、御守りのおかげか、単なる幸運か、判別する手段はないだろう。それでも、やらないよりは良いのだ。その時だけは、幸運を信じられる。

 

例えそれが、己、或いは周囲に言い聞かせるだけのものであっても。御守りが救いになるなら、それでいいじゃないか。妖怪の私だって何かに祈るのだ。手を尽くせば、後は神頼み。神に願いが届いた、神が私を見放した。前者が増えますように。ナズーリンの言葉はそういう意味だろう。

 

「じゃあ、私は帰るよ」「帰り道に悩まないようにね」「大丈夫さ。案内人に道は聞いてある」――妹紅か。そう考えると、てゐと似たような事をしているわね。或いは導いたという事実を、自分自身の幸運にしたいんだろうか。……ま、あまり突っ込む所でもないわね。その背を見送る。

 

―――

 

  ―――

 

病室の戸が叩かれた。空いてますよ、と促して――そこには、赤ずきんを被ったワーウルフがいた。素性は、匂いでわかる。「齧りに来たのなら、狂わせるわよ」ワーウルフ――影狼はぶんぶんと首を振った。「以前、てゐさんにお世話になりまして――」物腰が低い。いつもこうなのか。

 

影狼は、持っていた箱をこちらに差し出してきた。「つまらないものですが」「ああ、これはどうも」とりあえず受け取り、てゐの傍の机に置いた。「お世話って、何をされたの?」「あの、草の根の会合がありまして――一人、入ってもらえたんです。てゐさんの提案のおかげで」

 

てゐが何をしたかは知らないけど、そりゃ良かったわね。「ありのままって大事ですね」「まあ、そうね」ワーウルフなんてのは特に、ありのままをさらけ出す訳にはいけないタイプの妖怪だと思うけどね。「人間ともこのくらい、お付き合いできればいいんですけど」――人間と?

 

「人間とって、そういう趣味なの?」「そういう――いえ、多分違うと思います。単純に、お友達になれればなって」あまり妖怪らしからぬ事を言うわね。「仲良くしたいって、またどうして」「私、ワーウルフですけど――怖くないよ、可愛いよ、って思ってもらいたいんです」

 

いや、自分で可愛いとかいう根性は見習いたいけどね。「人間なんてつまらないわよ」「そんな事ありません!」影狼が噛みついてきた。「狼が赤ずきんを食べなければ、猟師さんとだって仲良くできたはず」「――あなた、泣いた赤鬼ってご存じ?」「知ってます」尻尾がバタバタした。

 

「生まれで、種族で、住む世界が決まるなんて、そんなの悲しすぎます」影狼は頭を振った。「私はもっと自分の世界を広げたい。自分自身が納得するまで続けたい。私が――折れてしまうまで」「多分、それは茨の道よ」「想像はできます」再び、尻尾がバタバタした。

 

「だから、てゐさんを見習いたい」「……そういう話で、こいつに見習う所なんてある?」「幸運をあげられます」影狼は何かを差し出すようなポーズを取った。「鬼だって贈り物を用意しました」不発に終わってなかったっけ?「切っ掛けはなんでもいいんです。例え即物的でも」

 

影狼は何かを差し出した。紐のついた――「犬のマスコット?」「狼です」「そんなに違わないし……」「違います!」影狼は大袈裟に主張した。「これを配ろうと思うんです。鍵を、道具を、衣服を、持ち出した時にいつでも思い出してもらえるように」確かに、目にはつくだろうけど。

 

「材料は私の抜け毛です」「……まあ、多分そうだろうとは思ったけど」「鶴が機織りに己を使ったのですから、ワーウルフがそれをしてはいけないという道理はないはず」いや、それはやっぱりモノと場合による訳で……「あなたとてゐさんにも差し上げます」はあ、それはどうも。

 

匂いは――あんまりしない。しっかり洗えば大丈夫なのか、案外身体から匂うのか。「試作品をてゐさんにも見せたかったのですが――眠っていますね」「今は叩き起こしたくはないわね」私は一つをベッドに括りつけてやった。「起きたら、喜んでくれるわよ。多分ね」

 

影狼はにっこりと笑った。「友達の友達の、それまた友達まで輪が広がればいい。草の根の理念はともかく、私はそう思っています」影狼は天井を見上げた。「けれど、それを望まない子もいる。それはそれでいいんです。強制するつもりはありません」「結果的に強制する事になったら?」

 

「その時は――私は、草の根を離れます」「随分と思い切るのね」「お付き合いとは、組み紐のようなものだと思います」尻尾がばたついた。「離れ合っても、二度と会えない訳じゃありません。縁と縁を、私が繋ぎ、会わせる事ができるかもしれない」「それ、自信はある?」

 

「あります」影狼は噛み付いた。「結果的に誰かの為になったとしても――それは、私の為にやるんです。未だ知らぬ誰かに、私を知って欲しい。友達になって欲しい。私が折れてしまわない限り、それは続く」「折れたら、どうするの?」「――きっとまた、竹林に一人で暮らします」

 

「今は、止まりません」ぬるい表情からは信じられないほど、毅然とした宣言。「先の事なんて、考えても仕方ないと言えば、そうね」「そうです」影狼は笑った。雰囲気が、がらりと変わった。それは――肉食獣の笑みだ。「……あなたにとって、その誰かさん達は、獲物なの?」

 

影狼は少し考えた後、首を縦に振った。「そうかもしれません」笑みが元に戻った。いつもの腑抜けた顔だ。「けれど、獲物と仲良くする狼がいても良いじゃないですか」以前食べそうになった友達もいますし、と影狼は呟いた。「相手はひやひやものかもね」「狼女は噛みつきます」

 

影狼は指を口に入れ、甘噛みした。「けれどもそれは、誰かを守り、喜ばせる為でありたい」「勇ましいじゃない」「私なんて弱くて、泣き虫ですけどね」誰かの為に戦うのに必要なのは、勇気――とは、誰の言葉だったか。勇気があれば、きっと守れる。少しばかり、できすぎた話だ。

 

彼女は勇気を持った。それは実際、思い切ったに違いない。それを匹夫の勇と呼ぶものもいるだろう。しかし、それでいいのだ。すべての人間と仲良く――なんて、端から不可能なのは、彼女とて承知なはずだ。だが、身内だけを囲っていればいいというのも、やはり違うように思える。

 

彼女の起こすそれがさざ波程度であっても、世界はそれに応えるはずだ。一瞬のさざめきであっても、行動は何かしらの結果を残す。世界が覚えている――とまでは、言わない。世界から俯瞰すれば、どんな行為も即物的なものだ。彼女はそれを知らず――そして、知っている。

 

「――てゐさんに、よろしく伝えてくださいね」影狼は立ち上がった。「あなたは私と、お友達でいてくれますか?」私は――そうね。どんな顔をしただろう。決してそれは、がっかりさせたとは思わないけど。「ええ」尻尾が揺れた。「ありがとう」立ち去る背中を、私は見届けた。

 

―――

 

  ―――

 

病室の戸が叩かれた。空いてますよ、と促して――そこには、歪んだ鎌を持った、実際見知った女がいた。「ドーモ、死神です」私は咄嗟に扉を閉め、鍵をかけた。「おおい、開けておくれよぉ?」開けろと言われて開ける奴はいない。「お引き取りください!」私は全力で扉を押さえる。

 

「そう言わないでさぁ。何もしないよ。本当に」嘘だ。てゐが弱っているからって殺しに来たんだ。わかってるわ。「弱ったね。お宅の上司にも許可を貰ったのに」「……許可?」師匠がこんな奴に許可を――出すはずがないと思うけど、わからない。私に丸投げした後だし。

 

私は一瞬、油断した。その瞬間、扉は外側から無理矢理にこじ開けられてしまった。鍵が壊れる音がする。「さあ、死にたい奴はどいつだい?」私は手首を振り、現れた銃を突き付けた。「てゐに手を出したら、躊躇いなく撃つわよ」「冗談さ、冗談」私の監視の元、死神は椅子に座った。

 

「死にたがりさんの顔を見に来たんだ」死神――小町は鎌から手を放し、腕を組んだ。「――ああ、こりゃ死なないな。死神も寄りつかないだろうさ」私は三途の渡しが本業だからね、と小町は笑った。私は銃を突き付けたままだ。「なに、殺す気なら、あんたからやってるよ」

 

「あんたの上司から許可を取ったってのは、本当さ。顔を見てきてくれって」小町はてゐの顔を覗き込んだ。「まあ、これならあたいから何も言う事はない。……どうしたのさ、そんな顔して」師匠も一応は、てゐの事を心配していたのね。銃を下ろす。やにわにてゐが、うぅん、と鳴いた。

 

「――しかしまあ、絶対に死なない奴が二人もいる所なんて、死神にとっては居心地が悪いね」小町は欠伸をした。「別にそういう奴がいるのをどうこう言う気はないけどさ。あたいは」「ふうん。あんた以外にとっては、都合が良くないと」それでも見に来たのは、義理か、御慈悲か。

 

「まあね。そんな奴の所に行ってたって言ったら、嫌味を言われそうだ」小町は懐から取り出した飴を舐め始めた。「いるかい?」「いいわ」小町は脚に肘を当て、顎を支えた。「案外、死にたがりほど死なないもんだ。死ぬ気のない奴が、先に死ぬ事もある」椅子に背を預け、天を見る。

 

「こいつが反証。こういう奴には寿命って概念すらないもんだ。いつまでも生きるつもりだろうな」寿命。それはあまり考えたくない。「お迎えが来ないって事は――こいつはまだまだ、生き続けるって事だ。余命が永遠に先延ばしされる。そんな感じだな」外で、セミが鳴いている。

 

「あんたは寿命を知りたいと思うかい?」「――どうかしら」知りたい気もする。知るのが怖い気もする。少なくとも、今の所は死なないと思っている。そう思っているのは、私だけかもしれない。「死神の目の代償は寿命の半分だ。……なんてな。まあ、欲しがる奴はほとんどいないさ」

 

「寿命は何の為にあると思う? 科学的とか、地獄行きとかそういうの抜きでだ」私は首を振った。「寿命は、死ぬためにある。タイムリミットだ」小町が指で×印を作る。「死にたくないのは、未練があるから。未練がなければ、どうだ? それはきっと、死を認識すらしないだろう」

 

「生きて死ぬまで、何を成したか。何を成したかったか。そして、何を遺して死ぬのか。タイムリミットがなければ、命は増える必要がない。考える必要もない。足掻く事すらしないだろう。いつか、何の感慨もなく消えてしまう。そんなものは死ですらない」小町は首を振った。

 

「一番最初に≪生きる≫事を決めたのは誰だったか、あたいには心当たりはないが、それに何の意図があったのか、考えるのは悪くない。考える事は生きている事だ。お前さんだって、立派な歩く葦だろう?」「――そう、かもね」考えるから、生きている。何処かで聞いたかもしれない。

 

「人生はあまりに短い。昼寝なんてしていたら、勿体ないくらいに」小町は苦笑した。「お前さんは、寿命までに何を成したい?」「私は――薬師になりたい」「いいね」……夢を肯定されるのなんて、ひょっとすると初めてじゃないか?「考える葦はさて、どちらを向いて歩いていくか」

 

小町はてゐの方を向き、目を細めた。「こいつの生き様も、或いは≪生きる≫事そのものなのかもな。悪戯が命を繋ぎとめる――と、までは言わないが。何かの拍子に、死に囚われそうな危うさを感じる」「何かの拍子って?」「そうだな、例えば――身近な人を、亡くしたとか、かな」

 

私は妹紅の言葉を思い出していた。共依存。もし、私がいなくなれば、どうなるだろう。……いくらなんでも、傲慢が過ぎる。後を追う――なんて、てゐはそんなやわじゃない。「多分、それはないと思うわよ」私は目前で手を振った。「そうかい?」小町は飴を取り出した。

 

「あんたもそんな風に見えるよ」「私も?」「悪い悪い。聞きたくないんだったな。忘れておくれ」――私も、か。てゐがいなくなったら、私はどうするだろう。……生きるのに、張り合いがなくなってしまうかもしれない。そうなったら、私には未練がなくなってしまうのだろうか。

 

「生に執着するように、死にも心を向けなきゃならない。けれど、向け過ぎれば――それこそ、生きる目的をなくしてしまうかもしれない。死を想え。しかして取り込まれるな。良い死に方をしたいなら、よくよく心がける事だね」説教臭いな、と小町は呟いた。飴が口の中に転がる。

 

「――生きてるって、楽しいかい?」「……何よ、藪から棒に」「いやね、知り合いに聞いてみようと思ってるんだ。嫌味に思ったなら、許しておくれ」「楽しいわ。それでいい?」「ああ、十分さ。たまに、それ以外の言葉が返ってくると、面食らうからね」「どんな言葉?」

 

「例えば――好きで生きてる訳じゃない、とか」小町は頭を掻いた。「そういう事を言われると、命を粗末にするんじゃない――なんて、説教したくなるけどね。そいつは文字通り、好きで生きてる訳じゃない。いや、好きに生きる事が出来ないとでも言うか」「もしかして、それって」

 

「あんたが考えている通りだと思うよ。そういう形をした命もある。……人身御供が、考えもすれば喋りもする人間だって、わかってない訳でもないだろうに」肩をすくめる。「大を生かす為には仕方ないなんて言ってもさ、可哀相だろう。死神が言う事でもないかもしれないが」

 

「視野が狭いって言われれば、その通りさ。けどさ、あたいはそういうのは、嫌いだな」「私も――それが大切な人だったら、なんとしてでも助けようとしたかもしれない」「そういうのが隣人愛って奴だろうさ。あんたがてゐを助けたように」私はてゐを見た。そして小町を見た。

 

「隣人を愛せよ。世の中の全員がそうできれば、いいんだろうけどね」「そうね」てゐを助けたように、誰かを助けられるだろうか。てゐを見捨てなかったように、誰かを必死に繋ぎとめようとするだろうか。それは簡単ではないだろう。しかし薬師は、それを出来なければならない。

 

「――さて、あたいはそろそろ行くよ」「そう、気を付けて」「気を付けるべきは上司だけどね」小町はワハハ、と笑った。「そうだ、これを置いていくよ」小町は懐から飴を――ちょっと待ちなさい、どんだけ入ってるのよ?「カンロは嫌いかもしれないけど、これしかないからね」

 

大きい皿一杯に飴の山を作り、小町は立ち去っていった。……待てよ? あいつ、壊した鍵の事は何も言ってないじゃないの。私は廊下に飛び出したけど、そこにはもう、小町の姿はなかった。まるで逃げ出したみたいに。……これ、絶対後で師匠に怒られるわよね。とほほ……。

 

―――

 

  ―――

 

「――お客は帰ったかい、鈴仙ちゃん」「起きてたの?」「いや、今目が覚めたとこさ」てゐは手を組み、上に伸ばした。「身体が硬くなっちゃうわ」「何処か動かす?」「いや」てゐは脚を張り、上に伸ばした。「さて、私も行くとしましょうか」「行く?」「ちょっくら遊びに、ね」

 

「よっ、と」てゐはベッドから飛び降りた。「ちょ、あなた、まだ安静に――」「大丈夫。ひっついたよ」てゐは肩を鳴らしながら、首をグルグルと回してみせた。目を丸くする私の顔を見て、てゐはニヤリと笑り、手招いた。「最初からわかってたさ。ああ、これ折れてるなって」

 

「鈴仙ちゃんが心配してくれるのが嬉しくてねぇ」歩み寄ったてゐが、わたしの鼻をつついた。「悪戯――かな。どうだろうね。とにかく、嬉しかったのさ」私はびっくりした。安堵してもいた。しかし、次に口から出たのは――「こんの、悪戯兎!!」私は捕まえようとした。

 

それをてゐはするりと抜けた。背を向け逃げ出そうと――する前に。「そんじゃ、退院させてもらうよ」てゐはステップを踏みながらこちらを向いた。「言い忘れたけど――ありがとう。助かった」「えっ? ま、まあね」私が視線を逸らしている間に、てゐはいなくなっていた。

 

病室に一人取り残された私は、少しばかり頭を抱えて――そうね。安堵していた。死なれたら沽券に関わるから? 師匠に叱られるから? それとも、姫様を悲しませるから? ……どれも、多分違うんだと思う。てゐに死んでほしくなかった。多分、そう。世界はシンプルに出来ている。

 

床を掃除し始めた。あんのすっとこどっこいども。修正してやろうと思いはするが、叱ってもどうせ聞きやしない。……ふと、辺りを見回す。机の上に、竹炭と飴、お菓子の箱。ベッドには御守り、それから犬――じゃない、狼のマスコットが吊るされていた。今日は色々な人が来たな。

 

たまになら、騒がしいのもいい。今日みたいな心配は、もう二度としたくないけどね。掃除道具を片付けながら、ほっと息を吐く。もう夕方だ。山の向こうに、鳥が飛んでいく。ベッドを整えながら、今度は今日より上手くやろう、と思った。だって私は、薬師見習いなんだもの。

 

 ◇◆◇◆◇◆

 

「鈴仙ちゃん、また首が折れた。治して」「ウワーッ!?」

 

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