―本物の心霊写真―
文が死んだ。
私が殺した訳じゃない。幻想郷最速だの嘯いていたら、大天狗居所の石垣にぶつかって、それで死んだ。如何にも前方不注意だ。現場は――見せられないよ、という奴だ。あまり描写もしたくない。周囲に流れる、死の匂い。耐性のある連中で片付けたが、私だって気分が良くはない。
数日が経った。今日も歩哨だ。私を一通りバカにした後、死に向かい、思い切り羽ばたいたあいつの顔を思い出す。あのバカは、死の瞬間までそれに気付いてはいなかっただろう。最速ではあったが、才智はなかったという事だ。感慨はない。だが、弔う心くらいは、持っても良いだろう。
――まあ、それもこれも無駄な感傷だった訳だが。墓を用意する時間もなかったんじゃないか。「成仏してくれ」私の目前には、あいつが浮かんでいた。その姿は半透明だ。如何にも幽霊然としている。『はっはっは。わたくしめがひとつ、憑り付いてやりましょう』こいつときたら。
「斬るぞ」『よろしくどうぞ』私は剣を抜き、思い切り振るった。……まあ、通り抜けるよな。わかってはいた。『あちこち回っては見たのですが――どうやらわたくし、あなたにしか見えていないようです。千里眼の功名という奴でしょうな』扇で仰いでいる。意味あるのか、それは。
『こうなった理由には想像がつきます。あの時、確かにわたくしは死んだのです』私は興味もなく、話を聞き流していた。『……ただし、肉体だけですがね。どうやら≪肉体が魂を追い抜いて≫しまったようですねぇ。流石はわたくし』そんなエキサイティングな幽体離脱があってたまるか。
『わたくしめのボディが爆発四散した瞬間は、まあばっちり見えておりましたとも。二度とは御免ですがね』文は頭を振った。案外余裕じゃないか。そのまま幽霊として暮らしたらどうだ?「――と、いう訳で、わたくしはあなたに助けを求めているのです。やってくれますね?」
「お断りだ」『邪険になさる』「逆に、何で私が首を縦に振ると思ったんだ」『それしか手段がない――とは、事実ではありますが。少なくとも、話を聞いて頂けると思いまして』頭痛がする。こうなったら聞かないだろう。「除霊師の所にでも連れていくか」『おお、こわいこわい』
「――それはともかく、どうするんだ。お前」『いかがいたしましょうな。……まあ正直、ノープランではあるのですが』何のプランもなしに助けを求められても、どうしろって言うんだ。『まあ、ないなら今から考えればいいのです』「悠長だな」『せっかちは嫌われますよ?』
『まあ、大目的としては、もちろん肉体を取り戻したい。しかして――小目標としては、そうですね。今まで出来なかった事をやろうかと』「プライバシーを侵害してやろう、なんて話なら今後、二度と協力しないぞ」「おや、協力する気はありなさる?」「一生つきまとわれたら敵わん」
『とりあえず、私の部屋に行きましょう。鍵は正面から見て右下のプランターの下にあります』「古風な事をするな」『こういう時に備えているのですよ、椛』文はニヤリと笑った。幽霊になってもこいつの本質は何も変わらないようだ。お前が耳元に乗っかったようなものか。やれやれ。
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鍵を取り、扉を開けた。部屋の中は如何にも雑然としている。デスクの傍を埋め尽くすように詰まれた書籍。メモ書き。そして書きかけの草案。玄関開けたら二秒でこのざまである。「もう少し綺麗にしたらどうだ」『あなたの部屋も大して変わらないでしょうに』「あれは狭いからだ」
私達は適当に喧嘩しながら、奥の部屋へと進む。シャワー付き浴室、脱衣所、そして台所だ。特に何かがある訳でもないが――『シンクの引き出しの上にデスクの鍵が貼ってあります』手を差し込むと、なるほどあった。「何でこんな事してるんだ」『私に何かあった時、困りますからね』
「三段目の棚を開けなさい」「――これは?」古びた写真だった。十数人の白狼、はたてさん、そして文が写っている。確か、何かの催しの余興で撮られた写真だった。無理矢理――いや、この頃は、それなりに仲が良かったか。私が笑っていた。こんな頃もあったな。私は目を伏せた。
「それもまあ、重要ではあるやもしれませんが――その下です。フィルムがあるでしょう」「これか?」「そうです。それを持って、暗室――いや、あっちの部屋に入りなさい。そこに暗いスペースがある」私は素直に従った。何をさせたいのか、何となくわかったからだ。
そこには確かに、暗い帳と何やら作業台が置かれていた。『必要なものは用意したままです』独特の匂いだ。私はよくわからない器具の前に立った。『そこにネガを入れなさい』文の指が、それを弾いた。『あなたならできるはずです』そうだろうか。私は、剣しか握った事がない。
ネガ?――をセットし、暗闇の中で手を動かす。私に光は必要ない。如何にも精密な作業だ。手つきがついていけるかどうか。『あなたは筋が良い』文の手が、私の手に重なった。『なんら難しい事ではありません』「十分、難しいぞ」『慣れですよ。慣れ』文の手が、私の頬を撫でた。
ほとんど文の指示に従っただけだが――それなりに上手くいったらしい。しばらくして、それは出来上がった。「――こんな写真があったか?」『あったのですよ。ついぞ、印刷はしませんでしたが』私の手の中には――剣に振り回される幼い頃の私と、文とが写った写真があった。
『あなたの事は何でも知っているつもりでしたが。まあ、我が手を離れてしまえばそうもいかず』文は肩をすくめた。『きっと覚えていないでしょう。しかして、あなたを育てたのは私と言っても過言ではない』私は写真をじっと見つめた。記憶はない。ただ写真だけが、それを物語る。
『あなたは永遠に反抗期なのでしょうね』私の肩に、文は顎を乗せ、こちらを向いた。『そうさせたのは――まあ、わたくしのせいではあるのでしょうが』「私が記憶している昔から、お前はからかってきたな」『ええ。そうしたかったのです。私は――そう。寂しかったからですかね』
『あなたの手綱を取り戻したかった。鎖で繋ぎとめていたかった。結果的にそれがマイナスイメージになろうとも。……まあ、自分勝手ではありますな』私は、文の顔を見た。「繋ぎ留められたか?」『――いいえ。出来ませんでした』頭を掻く文の顔は、どうにも曇っていた。
『あなたが手を離れてから、私の心には大穴が開いてしまったのですよ。子を手放した母はこんな気分なのだろうか、とも思いましたが――否。わたくしはあなたと、或いは子離れできなかったのかもしれない。子を望んだ訳ではありませんが、あなたが歳を重ねる様が、ただ怖かった』
『わたくしの方が遥かに年上なのに、置いて行かれる感じがしたのです。あなたに』「お前を置いていったつもりはない」文は首を振った。『あなた自身はそうでしょう。きっと――子を持てば、わかるのです。そして同じように、愛する者は穴を開けていく』霊体の顔から、涙が落ちた。
『少々、しめっぽくなりましたね』文は、涙を振り払った。『――次に行きましょう。さっきの棚から、写真ケースを出しなさい』「ああ」私は扉を閉めた。先程の棚を漁ると、ベルト付きのケースに何枚かの写真が保存されていた。これらを辿るつもりだろうか。文はこちらを見ていない。
『――それと、そうですね。机の中に木簡があります。それも』文が振り向くまでには、かなりの時間が必要だった。「これか?」『腰にでも下げておきなさい。なくさないように』何が書いてあるか、私には読めない。私はそれを下げた。文はもう一度、ここに戻れるだろうか。
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大天狗の御所は、私のような者には近づく事さえ憚られる場所だ。上位の天狗が幾重にも守るその地に、大天狗は君臨する。私は着陸し、石段を上った。この時点で、薙ぎ払われても文句は言えないだろう。踏みしめる階段すら、私を拒んでいるように思える。……さあ、門が見えてきた。
当然ながら、御付きに止められる。『木簡を出しなさい』槍を突き付けられたまま、私はそうした。ざわり、と波が走ったように思う。御付きが槍を引いた。促されるまま、私は御所に入っていく。不思議な気分だ。こんな所、私なぞ一生縁のない場所。私の存在は、如何にも場違いだ。
幾度も部屋を抜けた先に、大天狗――飯綱丸様が仰せになった。「お目通りが叶い、大変恐縮で――」「あー。堅苦しいのはいい。楽にやってくれ」正直、ありがたい。『あなたには向かないでしょうね』(お前にも向かないだろ)私は御前へ静かに進み、促されるままにそっと、座った。
「お前が、文の飼い犬か?」「僭越ながら、飼われているつもりはございません」「おお、そうか。すまんすまん」文はげらげらと笑っている。笑うな。動物病院に連れて行くぞ。『飯綱丸も中々面白い事を言うようになったじゃないですか』(お前よりは面白いかもしれないな)
「それで、用事は何かな?」『さっき言った通りになさい』私はケースから写真――いや、絵だ。絵を取り出した。「これを」御付きにそれを渡す。改められたそれは飯綱丸様の所に届けられ――その顔が、苦笑いに変わった。「あいつも趣味が悪いな」(おい、本当にこれでいいのか)
『勿論です。あいつを困らせる為にそれをやったのですよ』その絵は、小さい頃――そう、文と飯綱丸様が小さな頃の肖像画。古びてはいるが、しっかりとしたものだ。「文が自分の死後、渡すようにと」「まあ、確かに――送る言葉としては、悪くない」飯綱丸様は指でそれを掻いた。
「昔の話だが、聞きたいか?――聞きたいだろう?――是非、聞いてくれ」飯綱丸様は如何にも聞かせたがっているようだ。私は頷いた。「あいつにはとかく、迷惑を掛けられたよ。あいつは悪巧みのプロだった。喧嘩をすれば負けばかり。菓子を取られ、悪戯の責任を私だけ取らされた」
「だが、悪い思い出ばかりでもない。私が迷子になった時、いの一番に見つけてくれたのはあいつだったし、賊に攫われそうになった時に一緒に立ち向かってくれたのもあいつだ。あいつは小さい頃から強かったよ。私なんかよりも。今も――いや、今までも、そうだったかもしれんな」
それから私達は、袂を分かった。私は上を目指した。あいつは自由に生きた。それは今でも変わらない。変わらないはずだったんだが――お前が先に逝くなんて、思いもしなかった。助力を求めた事もあった。その時はまあ、散々に嫌味を言われたよ。それでもあいつは、断らなかった。
「あいつの事は――ああ。好いていた。今更だから言ってしまうが――本当はもっと、先を見据えた付き合いをしたかったな。もはや叶わぬ話だが」飯綱丸様は後頭部を抱え込んだ。「どうして死んでしまったんだよ。私を困らせたいなら、もっと別な方法があるだろ、バカめ……」
飯綱丸様は悲しみを唱え――いや、むせび泣いていた。私は文の方を見た。……若干、困ったような顔をしていたように見えた。(これで満足か、お前)『いえ、これは――そういうつもりはなかったのですが』(悪戯にしてはタチが悪かったな)『……』飯綱丸様は泣き続けている。
飯綱丸様はひとしきり泣くと、御付きに肖像画を渡した。それは私の元に戻った。「持って帰って、墓前にでも供えてくれ。私には――必要ないよ」私は静かに頷き、立ち上がった。「何ももてなせずに、すまんな」「――いえ。それでは、失礼いたします」御付きに連れられ、退室する。
文は何度も振り向いた。私は進んだ。あやや、と戻った文の顔は、如何にも困惑していた。『椛、もう少しここに……』(悲しんでほしかったんだろ。これ以上何を望む)『それは――』(それもこれも、お前が死んでしまったから招いた事だ。生き返る気があるなら、そうしろ)
私は文を置いていった。ついてこないなら、いい。あいつの事は一生無視するだけだ。私が御所を出て、敷地内から飛び立った頃――文は戻ってきた。『泣き顔を散々見てきてやりましたよ』(それで――お前も泣いてる訳か)『わたくし、感受性が豊かなものでして』まあ、そうかもな。
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―――
私は目的地へ向けて飛んだ。その後ろをゆっくりと文がついてくる。珍しい事だ。こいつはいつも物凄い勢いで私を置いていく。疾くは飛べなくなったのだろうか。それとも、自分の死に様を反省したのか。それとも、私の前に飛び出すのが――或いは、怖くなったのか。
『あなたは子供の頃を、何も覚えていなかった。私は、覚えていました。……それは単に、私が年長者だったからでしょうね』文は首を振った。『いずれ私が、あなたを認識できなくなる日が来るかもしれない。その時はあなたが、あなただけは私を覚えて――くれるでしょうか?』
「どうだろうな」頭を掻いた。「私が生きている限りは、忘れないと思うが」『わたくしも、そうありたいものです。……実の所、私自身もあなたの記憶は曖昧なのです。遊んだ事は覚えている。剣を教えてやったのも。傷付いた時も。苦楽。しかしそれを、鮮明には思い出せない』
『だからこそ、写真に興味を持った』霊体の後ろからカメラが取り出された。『写真は忘れない。写真は真を写す。写真の中で――私やあなたは、生き続ける』写すフリをした。やはりそれは、機能しなかったが。『年少者にとって、年長者はどのように映るのでしょう』「どうかな」
『――年長者というものは、年の功を得た代わりに、何もかもを失っていくものなのかもしれない。世代交代という奴ですよ。わたくしめはもう、頑迷なロートルでしょうね。恐らく』「……お前はまだ、若いだろう?」『若いつもりではいます。しかし、千年も生きれば達観もします』
『私はもう、誰にも必要とされていないのではないか。そう思ってしまうのですよ、椛』「――怖いのか?」『はい。わたくしは生きています。しかして、生きる意義を失えば、どうなるか』「いくらでもあるだろう。捏造新聞を刷ったり、不良天狗として暗躍したり――」「ええ」
『それもまた、生きる意味です。しかして意義は?』文は首を振った。『周囲の目を、これほど気にし始めたのは、いつからでしょうね。良くも悪くもない、値踏みすらされないような、無為の視線』「耳目を集めたいのだとばかり思っていたが」『最初は、そうだったはずです』
『わたくしめは必要とされているのでしょうか。それを誰が肯定してくれるのでしょうか』幾度目か、首を振った文に、私は撫でる頬で応えた。「少なくとも――こういうのは癪だが、お前を必要としているよ。はたてさんだってそうだ。新聞を読む人だって、そうだろう?」
「弱くなったな、文」『ええ、弱くなりました』「私はもっと、強くありたいと思う」尻尾を振った。「それは若いからか?――お前がそうしないのは老いたからなのか?――私は違うと思う」文は少し、驚いていたようだった。「自分を信じられなくなったからだろう。違うか?」
文は――二度、頷いた。『そうですね。自分を――信じてやれなくなった』「それが心に開いた穴のせいだというのなら、埋められるものはないのか?」『――どうでしょう』「多分、穴が開かなくても――お前はいずれ、意義を失っていたんじゃないか。今のように、己を見失って」
「――配偶者を持つ、てのはどうだ」『めおとですか?』「お前の主義には、反するかもしれないが」『――不良天狗がめおとなんて、ガラじゃありませんよ』「ほら」私はニヤリ、と笑った。「意地を張れるじゃないか、文」『……?』「意地を張るのは、自分を信じると言う事だろ」
『そういうものでしょうか』「弱気になるなよ」尻尾を振る。「――もし、私がお前のイイ人になってやる、なんて言ったら、どうする?」『えっ』文は固まっていた。私は思い切りニヤニヤしてやった。『……冗談でしょう?』「冗談とも言えないな」慇懃無礼にお辞儀をしてやった。
文は真っ赤に――幽霊が真っ赤になるなんてのもおかしいが――なっていた。『えっ、いやその、今はわたくし死んでおる身でありまして』「生き返る予定はあるんだろ」『え、いやいや、予定は未定と言いますし……』「何だ、意外と押しには弱いんだな」私から、肩をすくめてやった。
「身分違いが嫌なら、そこらの天狗だってよりどりみどりだろ」大仰に手を広げてみせる。「何なら、はたてさんだって。絶対断らないと思うぞ」『はたてと?――いや、そうではなく』文はわちゃわちゃしている。『な、何でけっ、結婚を前提とした話になっておられる?』
「――ほら。こうやってバカやっている時は、少なくとも意義はあるんだ」『意義……』文の目が泳いだ。「対等な友達は、要らないのか?」『そういうのは、不良天狗のわたくしめには――』「飛ぶのが疾けりゃ、諦めも速いな」『むむ……』「少なくとも、私とはたてさんは友達だよ」
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それから私達は、方々の知人を訊ね――いや、嫌がらせしに行ったと言うべきか。文の写真を渡すと、笑う者、泣く者、困惑する者、さもありなんと頷く者、愕然とする者、或いは怒り狂うもの。反応は様々だった。総じて、歓迎はされていない。いないが――死人を貶す者は、いなかった。
『さっきの見ましたか!――あの顔が見たかったのです、わたくし!』「如何にも悪趣味だな」生き返ったら袋叩きに遭うんじゃないか。思いはするが、当人もそのくらいは承知だろう。その際、己に対する反応を知りたかったのか。幽霊の考える事は、私には理解しかねる。「おい」
『何です?』「写真がなくなりそうだ。後は――」私はそれを確認して、ぴくりと震えた。『最後は、そうですね。はたての所です』私はつい、熱くなりそうになった。はたてさんに狼藉を働くなら、見捨てるぞ。お前。『悪いようにはしませんよ』「……本当だろうな」『無論です』
先に飛び立つ幽霊を追って、私は考えていた。これは文の終活なのではないか。困らせてやろうなんてのは建前で、自分と現世の繋がりを清算したかったのでは。もしそうなら――こいつは、生き返れるなんて考えていないのか?――私は頭を振った。図々しいお前に限って、それはない。
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姫海棠家は温和――というより、極めてお人よしとして有名だ。実際、私のようなものも平気で出入りできている。油断している訳でもないだろうが、御付きの態度も、大天狗の御所とは大違いだ。(変な事を吹き込ませる気なら、帰るぞ)『有意義な事ですよ。あなたにとってもね』
私は首を傾げたが、こいつの言う事をすべて真面目に取っていたら、日が暮れるのもわかっていた。(はたてさんは立ち直っていないと思う)『おかわいそうに』(塩撒くぞお前)全部が全部、お前が招いた結果だろうが。思いはするが、口にはしない。いくら言っても、無駄だからだ。
はたてさんの部屋に着いた。私が会釈すると、御付きは手で入室を促した。顔を覚えられる程度には二人とも、通っている。「はたてさん」『はたてや』私の言葉は――届いてはいた。部屋の奥、壁に向かって座っているのは、確かにはたてさんだ。衣装は――喪服のままだ。
「椛」はたてさんは振り向いた。……真顔だ。悲しいほどに。今までずっとそうだったかのように。「来てくれてありがとう」その言葉には、様々な色が混じり合っていたように思う。「座って」私は座卓に座った。はたてさんも、前についた。歓迎されている風では、ないか。
(どうする。今の状態を話すか)『止めておきましょう』文は躊躇している。どうせ生き返るつもりなら、伝えても構わない気はするが――或いは、もはや二度と元には戻れないのだと、考えてしまっているのか。『さっき言った通りに振る舞いなさい』私は何とも、奇妙だと思った。
「もしも自分が死んだら、この写真を渡してくれと――文が」その写真は、文とはたてさんが写ったものだ。はたてさんはまだ、小さい。はたてさんはそれを受け取り、ひとしきり眺めると――畳の床に、涙が落ちた。泣かせてしまった。「ごめん。今はまだ、整理がつかなくて」
「わかります」私もつられて、少しばかり悲しげな気分になったかもしれない。最も、泣かせた張本人は私の横に浮かんでいる訳だが。『ほら、慰めてやりなさい』(何を言っているんだ、お前)『わたくしはもう、背中を押すしかできません故』(だから、何を言っているんだ?)
私が張本人とひそひそ話をしていると――はたてさんはスックと立ち、私の横に、座り直した。……これは、あれか?「ごめん」彼女の身体が、私に預けられる。「死んじゃってから言っても、仕方ないのはわかってる」文がびくり、と震えた。「私ね、文の事が好きだったんだ」
「ううん、好きなんてものじゃない。結婚するんだ――なんて、子供の頃からずっと思ってた」私の衣装に涙がこぼれた。「自分で物事を動かせるようになって――一番最初にしようと思ったのは、文にこの気持ちを伝える事。でもそれは、ずっと後回しになってた。怖かったんだ」
私の横で幽霊が身悶えしている。殴るぞ。無理か。「文もきっと、言い出せなかったのだと思います。はたてさんの事を話す文は、とても嬉しそうでしたから」私の言葉は、救いになっただろうか。それとも、涙を増やすだけだったか。「ごめん……もう少し、このままでいさせて」
背に腕を回して、頭を撫でた。こんな様子を他の烏天狗に見られたら、手打ちにされても文句は言えない気がするが――御付きの烏はあくびをしている。今は見逃してやる、という事か。「ごめんね、ごめん……」頭を撫で続ける。泣き止むまで、こうしよう。……そう思っていたのだが。
『何をやっておられる?』(何って、何だ?)『――ああもう、じれったい!』目の前で悪霊が手をワキワキしている。『未亡人――ではないですが、今が最高のチャンスではありませんか!』(チャンスって――お前、それはないだろ)『このままではわたくし、成仏できませんよ!』
(……成仏する気はあるのか?)『言葉のあやという奴です。いえ、そんな事はどうでも良いのです』(そんな事をしたら、私は確実に殺されると思うが)『姫海棠家に限ってそんな事はあり得ませんよ。保証します』(そもそも、命の保証以前に、それは恥ずべき事じゃないのか)
『いいから抱けえっ!! 抱け―っ!!』(黙れ気ぶり天狗)つい、声が大きくなったか。「――椛、誰かと話してる?」「い、いえ」『せめてお手付きになさい!』(そんな姿勢だから嫌われるんだぞ、お前)「文はきっと、空から見ていてくれますよ」見てるも何も目の前だけどな。
『わたくしはですね、はたてをこれ以上悲しませまいと――』(それで私をあてがうと?――至極自分勝手な話だ)『あなただって知らぬ中ではないでしょうに!』はたてさんの頭を撫で続ける。(そういう卑怯な手段は取らない)『まったく、この駄犬ときたら――』(破廉恥天狗め)
「?」はたてさんが頭を上げました。「何か、聞こえた気がする」横を見た。文が驚愕の表情を浮かべていた。『はたて、はたて!――聞こえているなら返事をなさい!』「――?」はたてさんは不思議そうな顔をしますが――「ごめん、なんでもない」聞こえてはいなかったらしい。
「いいですか?」「うん……。また今度ね」はたてさんを座らせ、私は立ち上がる。今も叫び続けている文を放置したまま、私は退室し、玄関へと向かった。やるだけ無駄だと思うが、やらせておこう。私が飛び立った頃――文はついてきた。焦燥している。無駄な抵抗だったようだ。
『はたてが私を好いているとは、正直予想外でしたね……』「そうか?――たぶん、傍から見れば良い仲だと思われているぞ」『それを言ったら、あなたもはたてと知らぬ仲とは思われておりませんよ』「そうなのか?」『……お互い、認識に齟齬があったようですな』「かもな」
「どちらにしても、はたてさんには時間が必要だろう。お前がポンと生き返らない限りは」『難しい問題ですな』文は腕組みしながら、何やら頷いている。『アテがないとは言えないのですが』(アテとは?)文は振り返り、そこを指し示した。『河童にですね、用立てて貰おうかと』
―――
―――
「ボディを作ってくれってぇ?」にとりはどうやらノリ気ではなさそうだった。「――で、その幽霊とやらは本当にいるのか?」『いますよ』「いるんだが――私にしか見えていない」にとりは鞄をざがざがと漁ると――何かを取り出す。「まことのメガネだ」にとりはそれを覗き込んだ。
「――あー、確かに後ろになんかいるね。プラズマの類でないなら、幽霊かもしれない。はっきりはしないな」にとりはメガネを下した。「疲れるからあんまり使いたくないの。肩こってしまう」『――肩叩きをしてでもそいつを借りなさい、椛!』「にとり、できればそれを貸して――」
「悪いがこれは一品モノだ。貸さない」にとりはメガネをしまった。「それに、見えたってどうするんだ?――何も伝えられないんじゃ、生きてる証明になんてならないぞ」確かに。私と文は顎に手を乗せた。「――それで、天狗のロボを作って欲しいと。意図はわかった」
「そんなら、いくらだす?」『はい?』(金だよ。いくらなら出せる?)『いや、いくらならと言っても――預金は本人しか下ろせませんし、きゃっしゅれす決済に頼りきりでしたから、家にもお金は――』「出せないらしい」「帰れ」けんもほろろに突き放される。そりゃあそうだ。
「その辺に落ちてる空き缶ロボならタダでやるけど」ゴミだからね、とにとりは笑う。『ええい、それで構いません』「構わないって」私は転がっている内の一つを文の足元に置いた。『ふんっ!――ふんぬっ!!』文は何やら唸っているが――その身体が、缶詰に吸い込まれていく。
「どうです!」「どうもこうも……」私は足元で二足歩行するロボを見やる。「おお、ホントにいた。まあ、≪誰≫の幽霊かは証明できないだろうけど」それはそうだ。「私を銀行に連れて行きなさい!――預金を下ろしてもっといい身体を――」文がエキサイトした、その時だった。
丸い頭が外れて、おっこちた。『¥~%#!?』「あんまり喋らない方がいいな」「ゴミだからね」にとりはへへへ、と笑った。私はゴミを拾い上げ、銀行へと向かう。飛び込んで――奇異の目で見られる。如何にも場違いだ。こういう所に用事があるほど、白狼は給金を頂いていない。
「預金を下ろしたいのですが!!」カードは文の財布と一緒に爆発四散した。窓口から下ろさなければならない。通帳だけで下ろせるようにはできていない。面倒だが、こうでもしなければ金を預かったりはできないだろう。行員は目の前の空き缶が喋ったのに、びっくりしたようだ。
そりゃあそうだろう。「――あの、これは?」「代理か何かと思って頂ければ結構です」思い切り不審がられているが、空き缶は名前と暗証番号を正確に伝え、印鑑を見せていた。ただ、それだけでは足りない。本人証明が必要だ。「わたくし本当に射命丸でありまして……」「はあ」
窓口は何やら調べていたが、どうやらそれ以前の問題だったらしい。「お客様の口座は凍結されておりますが」「凍結?」「――凍結」文はうなだれた。ついでに頭が落ちた。話を聞いてみると、口座というものは、死ねば凍結――つまり、下ろせなくなるらしい。ややこしいんだな。
私は頭を下げ、ゴミを持ち帰った。「――もはや、手段がありませんな」空き缶から文が出てきた。ゴミは正真正銘、ゴミになった。「誰かに憑りつけばいんじゃないか」『それがわたくし、魂のないものにしか憑りつけませんので」頭を掻いた。『……こうなったら、犯罪を犯してでも』
「やめろ」私は肩を掴み――掴めないが――制止した。法まで足蹴にするようなら、不良天狗どころか犯罪者だ。「どうせ幽霊がお前である証明なんてできないんだ。他の方法を探す」『仕方ありませんな』文の顔が疲弊してきた。幽霊も疲れるのか。実際、私だって疲れてきたぞ。
―――
―――
『要するに、わたくしが射命丸であるという証明ができれば――実質、生き返ったようなものでありましょう?』「霊媒師でも無理だろうがな」『わたくしを形作るものは何も肉体ばかりではない。しかして精神だけでもない。記憶。すなわち記録です』文が無意味なカメラを取り出す。
『つまりは、絶対にわたくしにしかわからない秘密を明かせばいいのです』「効くだに不穏だぞ」『ジャーナリズムとは時に危険に身を晒す者ですよ、椛』相手方を危険に晒してるがな。『やや、知りませんとも。あなたが今、二股かけているなんて事は』「……」『声も出ないでしょう』
「正確には三股だ」『――ホワイ?』「記録なんてのは常に更新しなければ役に立たないぞ」私は首を振った。いや、色恋事情をばらされるのは許しがたいが。『鮮度が悪かったですね』「お前のアンテナもその程度という事だ」『うぬぬ……。怒りたい所ですが、怒れない……』
「それで、具体的にどうするつもりだ?」『飯綱丸を脅します』文がニヤリと笑った。「さっき泣かせたばかりなのに、恥というものがないのか、お前」『取材の恥はかき捨てでありますよ』「――まあ、いい。それで、又御所に行くのか?」文は虚空からペンを取り出し、回し始めた。
『いいえ。飯綱丸の行動原理は、わたくしよくよく把握しておりますので』「何処かに抜け出すと?」『ええ、そうです。あなたも物事がわかるようになってきたじゃないですか』そんな事だろうと思ったよ。『行き先はわかりまして?』「いや」『はたての所ですよ』指がペンを弾いた。
『口ではあんな事を言いながら、大天狗サマは娘っ子にお熱な訳ですな』私は何とも言えない顔をしていたと思う。昼間に見た顔は、決して嘘をついてはいなかったように思うが。『あなたは適当な場所に隠れていなさい。偵察してきます故』文が耳打ちし、姫海棠の御殿へ入っていった。
―――
―――
やれやれ、椛はもの知らずでありますな。だからツバつけときなさいと言ったのです。ラブとは障害を超えてこそ燃え上がるもの。私はスッと壁を通り抜け、はたての部屋に潜り込みました。どうやらまだ、飯綱丸は入ってきていないようです。はたては相変わらず、喪服ですね。
私は顎をついて――実際につける訳ではありませんが――到着を待ちました。やがて御付きが下がると、大天狗サマがご入室してきます。「元気――では、なさそうだな」「恐れ多い限りでございます」おや、お嬢様モードですね。「いつもので良い。堅苦しいのはなしだ」「――うん」
わたくし、期待で手をワキワキしております。こうも近くで観察できるなら、幽霊というのも悪くない。……とまあ、中々あくどい事を考えていますと――二人は向かい合わせで座りました。おやおや、二人この場で、躊躇なさる?「お茶を――」「いや、いい」飯綱丸は制止しました。
姫海棠家のお嬢様に婚前交渉を――となれば、そこそこのスキャンダルでしょう。ただ、もう一押し欲しい所ですね。例えば――そのまま、押し倒したとか。ニヨニヨしながら観察する私の傍で、しかして二人は向かい合ったまま、何の動きもありません。参りましたね。何かお喋りなさい?
「文の件は――残念だった」飯綱丸はうなだれています。はたてもです。如何にも暗い。もう少し、明るい話をなさいな。カメラを――これは役に立ちませんが――構え、お二人のその瞬間を捉えんとします。静かな空間。二人は動きません――おっと、はたてが動きましたね?
「――飯綱丸様」はたては飯綱丸に抱き着きました。おお、これはこれは。「はたて」飯綱丸がそれを受け止めて、頭を撫でています。はたてはこれが好きなのでしょう。誰からも愛されるが故の、無防備とで申しますか。「私は、文が好きだった。……ううん、大好きだったよ」
「そうだな。私もあいつが、大好きだったさ」「飯綱丸様」「多分、お前が考えているのと同じ意味だよ」はたては飯綱丸の胸に顔をうずめました。「あいつが生きてたら――取り合いになったかな」「たぶん――その時は、私が勝ってた」「いやいや、私が勝っていたかもしれんぞ」
「――生きてたら」「ああ」「本当に文は、死んじゃったんだね」「――そうだな」はたては座り直しました。……いいえ。今度は飯綱丸が、はたてに縋りついてます。「あいつが死んで、私も死んでしまったのかもしれない」はたてはその頭を、そっと抱きかかえています。
「あいつのこと以外、何も考えられないんだ。それでも執務は、淡々とこなしている。こうやって日々に追われ――あいつの事を、いずれは忘れてしまうのか」飯綱丸は泣いているようでした。はたても泣いていないのですよ。いい大人がその体たらくでどうするのですか。軟弱者。
「私も、文の事で頭が一杯だよ。でも――すぐに慣れると思う」はたては頭を振りました。「どんなに悲しくても、忘れちゃうんだ。私にも、悲しい事はたくさんあったはずなのに。……でも、違う。悲しさはなくなった訳じゃない。いつだって思い出せる。私の背中を押してくれる」
「忘れないよ」「忘れたくないさ」飯綱丸は起き上がりました。「あいつは私達の中に生きる」「うん」二人は胸を押さえ、頷きました。「お前に笑われないように」「あなたに呆れられないように」二人は立ち上がると、軽く抱き合って、二人は廊下へと出て――襖が、閉じました。
……その背を追いかける気には、なれませんでした。
―――
―――
「シケた顔してるな」『――やめておきましょう。他の手を考えます』私は文をまじまじと見つめた。それに気付いたのか、文はそっぽを向いた。何を見たのかはわからないが――≪最低限≫の良識はあるのかもしれないな。「他にと言っても――まだ、何か思いつくか?」『むーん……』
『あなた以外に、私が見える人を探す――というのは、悠長ですな。徒労に終わるかもしれない』再び取り出したペンを、ぐるぐると回す。『逆に、あなたを通じて何かを話す――というのも、無理があります。あなたがもっと偉かったら別ですが』「悪かったな、ヒラ白狼で」
『まあ、時間はいくらでもあります。あなたにはその間中、付き合ってもらう事になりますが』「無茶を言うな」知らん。自分でなんとかしろ。――と、言いたくはなったが――そうなれば、文は八方塞がりになるのは目に見えていた。何とか出来るのは現状、私しかいないのだ。
『――んん?』文が奇妙な声を出した。「どうした――んんッ?」私にもそれは見えた。元々半透明だった文の身体が、輪郭が、随分と薄れてきたように見える。『いけません、これはいけません』文が慌てるのも無理はない。私だってそうだ。これは――霊体が消え始めているのでは?
『いやはや、魂だけが動き回っているなぞ、確かに不自然な状態ではありますが……』「時間がないんだな?」『おそらくは』文は彼方を指差した。そこは御所の石垣だ。文の肉体が激突死した、そこ。『あの下で、私の鞄を探しなさい。壊れてさえいなければ、何とかなるかもしれない』
私は指示された場所に飛んだ。木々が生い茂っているが、それならば案外、何処かに引っかかっているかもしれない。私は目と鼻が利くのだ。右。左。上。下。跳ね跳んでいきそうな所を、アタリをつけて探した。こういう時は焦ってはいけない。文の匂いを辿る。目に入る。――あった。
『ありましたね!』「ああ」鞄の中には雑多な道具に、カメラを手入れするのだろう布、そして――無傷のカメラ。『これを持って、玄武の沢に行きなさい!――今すぐに!!』そんなに焦らなくてもいい。私は、お前を見捨てて行きはしない。文の手を取った。フリでも、意味はある。
二人、飛んだ。とはいえ、文ほど疾くは飛べない。今の文は――どうやら、ついてくるのがやっとらしい。口から先に生まれた奴が、何も喋ろうとしないのだ。今に二度目の死を迎えるかもしれない、なんてのは、私には想像できない恐怖だろう。日が暮れてきた。玄武の沢はすぐそこだ。
――私達はメガネを所望した。にとりは断った。押し問答だ。文はどうしてもメガネが欲しいらしく、にとりはどうあっても貸す気がないのだ。人助けだから――と迫っても、真っ当な対価を提示できないのはこちらだ。……どうも、これは意地の張り合いになってきていないか?
「――だから、貸さないって」『そこをなんとか』「そこをなんとかって言っているぞ」「やだね」にとりは断じて貸すつもりはないようだ。『生き返ったら、いくらでも出します!』「だそうだ」「生憎と、先払いしか信用しない」『椛、さっきの鞄のカメラを渡しなさい!』
私はそれを取り出し、にとりに見せた。「これは――外の世界のアンティークカメラ?」何やらじろじろと見ているようだ。「まあ、これならいいか」『渡す前に一回だけ写真を撮らせてください』「だと」「お別れかい?」別にいいけど、とにとりは承諾した。鞄からメガネを取り出す。
『メガネ越しに私を撮りなさい!』「撮ると言っても、やった事がない」『ああもう、このおバカ!』文の手が私の手を――取ってはいないが。『こう絞って、こう引いて、これを押しなさい!』簡単な説明だが、わかった気はする。文は前に飛び出し、如何にも傲慢なポーズを取った。
『これなら普段の私に見えましょう?』「ああ、十分見える」私は文にピントを合わせ、メガネ越しにそれを――撮影した。ポーズを変えて十数枚撮った。これだけあれば、十分なはずだ。『さあ、家に戻りましょう。プリントはやりましたね?――今度は現像です。少し難しいですよ』
「おい、一人芝居はいいけど、メガネ返しなよ」「そうだった」私はにとりにそれを返そうと、したのだが――「あっ」私の手の中で、それはボロボロに崩れ去ってしまった。魔力を使い切ったのか。「うわああぁ!?」『あれ、まあ』「すまん、にとり」「すまんで済むかァ――ッ!!」
「弁償金に百万円頂くからな」にとりはご立腹だったが――実際、そんなに怒ってはいない気はする。文は一応、友達の友達だ。友人関係まで質に入れるほど、河童は守銭奴ではない。……と、思いたい。『百万でも一千万でも払ってやりますよ!』「だとさ」「じゃあ一千万な」
文は見事に自爆したが、それ所ではなさそうだ。気付いていないとも言うが。私はカメラをにとりに渡し、文の家へと戻った。現像は――確かに、手間がかかったが、文が指示する通りにやれば、なんとかなる――はずだった。『そこ―でd「g?2なさい。@w5してそyp0-!#』
「おい!――何を言ってるか聞こえないぞ!」『わた3しめ@おyの方kt%らも聞こえ2fmq^ておりまsん7)#!』「くそっ」傍に合った手引きを引っ張り出して、該当の個所に目を走らせた。急がなければフィルムが駄目になるのはわかった。手引きを頼りに、作業を進める。
道具が全部出しっぱなしになっていたのは僥倖だった。私だけでこれだけのものを用意している暇はないからだ。引き上げ、洗浄し――なんとか上手くいったようだ。それを干している間に、文に話しかけたが――『prと0#”かし+zz助けd;)=!』まったく意味が理解できない。
恐らく向こうにも聞こえていない。私はプリントに入った。先にやった事は覚えている。文が手に、手を乗せた。それは酷く薄まっているように見える。やがて手元に現れた写真には――傲慢なその姿勢。黙っていれば絶世の美女。……はっきりと、文の姿が映っていた。本物の心霊写真。
私は状態の良さそうなもの数枚選び、腰のケースに入れた。文は――もはや、まっすぐ飛ぶ事もできないようだった。私はゴミ――空き缶を取り出し、軽く叩いた。文はそれに近付くと、するりと中に入り込んだ。缶がぶるりと、少しだけ震えた。これで、運ぶ手段には困らないだろう。
夜の闇を、私は飛んだ。飯綱丸様に謁見願えるだろうか。それはわからない。私は飛んだ。飛び続け――大天狗の御所に舞い降りた私を、やはり御付きは問いかけた――が、顔を覚えていたのだろうか。奥へと案内される。こんな時間でも――いや、こんな時間だからかもしれない。
私が謁見の間に入った時、飯綱丸様は――露台から、空を見ていた。「夜分遅くに、どうか、失礼をお許しください」「いい。今は私の時間だからな」私は御付きに写真を渡すと、それは改められ――若干、狼狽していたようだった。飯綱丸様に手渡された時も、だ。「これは――何だ?」
「文は生きています。ただし、魂だけで」飯綱丸様は御付きに人払いを命じた。私は事の経緯を説明した。中々難しい話になってしまったが。「先は、騙すような事になってしまい――」「いや、いい。お前の苦心はわかる。あいつがしたかった――現世で片付けておきたかった事もな」
「しかし、私に文の存在を認めさせる――といった、悠長な状態にはないようだな」空き缶がかたかた、と力なく震えた。「最後に見た時にはもう、すぐにでも消えてしまいそうでした」「ううむ」飯綱丸様は長考した。したが、やはり上手い具合の解決策は思いつかなかったようだった。
「悪いが――やってやれる事は何もない。お前が死んでいない――という事なら、いくらでも喧伝してやれるが、な」飯綱丸様は頭を振った。「だが、姫海棠の所なら何か手があるかもしれん」飯綱丸様は棚から紙を取り、筆を走らせた。「これを御付きに渡せ。老人の元に届く」
私はそれを受け取り、足早に立ち去る。「死ぬなよ」死なせはしない。空き缶がからから、と鳴った。会釈ももどかしく、私は居所から文字通り飛び出した。はたてさんの御家は遠くない。失礼を覚悟で庭に降り立つと、近くの御付きに手紙を押し付けた。それはすぐに運ばれていく。
「椛」はたてさんに見つかった。変わらず、喪服だ。廊下を飛び、庭に下り立つ。「さっき、おじいさまの部屋で言ってたのを聞いたの。……文が生きてるって、本当なの?」私は一瞬、躊躇した。「はい」だが、隠しても仕方のない事だ。私は件の心霊写真を渡した。「これって」
はたてさんの目から大粒の涙がこぼれた。「生きてた……。生きてたんだ……」空き缶がかんらかんら、と鳴った。何度も。何度もだ。「――待て、文!」文の姿が、空き缶から飛び出した。もはやその姿は空気のように薄く、頼りない。「文っ!?」「待てよ!――お前、死ぬ気か!?」
私が向いた方を、はたてさんは抱き込もうとした。腕は、すり抜けた。「何処に、何処にいるの……?」私が指差した方を向いても、その瞳に文の姿は映らなかっただろう。それでもはたてさんは、そちらを見た。じっと、見続けていた。「私はここだよ!――お願い、返事して――!」
『#&あgh愛w=>?てhまし、は#て』文の微笑みは、ただ空しい。輪郭がはたてさんの頭を撫でた。文は頭を振り、はたてさんを抱き込んだ。腕は、すり抜けた。「やだ、やだっ、死なないで!……お願い。愛してる。だから」文は手を振った。これが、今生の分かれかのように。
倒れ込もうとする霊体を空き缶で受けた。その姿は吸い込まれた。「はたてさんは――文を、本当に愛していたんですね」はたてさんは何度も頷いた。「皆、文の事を愛してた。悪い事だってするけど、誰も嫌ってなんかいなかった」はたてさんはくずおれてしまった。私はその肩を抱いた。
「大老が手を回してくれました。何とでもなるはずです。きっと」「――うん」立ち上がらせる間も、その身体に力はなかった。空を見上げる。御付きの烏が遥か向こうへ飛び立った。もう私には、祈る事しかできない。空き缶をはたてさんが抱いた。私達は空き缶を、二人で抱きしめた。
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夜明けと共に、それはやってきた。まるで瞬時に現れたかのように。「どーも、死神です」私は咄嗟に剣を構えた。はたてさんも扇を持った。死の権化。魂を連れ行くもの。瀕死の文に、とどめを刺そうと言うのか。「あー、待て待て。そういうつもりはないよ。……全く、好戦的だね」
「お宅らの要請を受けてわざわざ参上してやったのさ。知らない?――そりゃ、仕方ない」死神は虚空に鎌を消すと、足元の空き缶を持ち上げ、首を傾けた。「確かにこいつだ。あたいらを困らせてたのは」「――困らせた?」「そうさね。裁判が止まるくらいには」死神は指を振る。
「あの時――身体から、魂がすっぽ抜けたっていうかな。魂速の向こう側って奴だ。しかし、そんな死因でこっちに来るなんてのは今まで一度もなかったからさ。判例がなければ、如何ともしがたい。それに、こっちに来たのはからっぽの身体だけだ。閻魔様も被告人不在で困ってたのさ。
「それで結局、現世に戻す事になった」「現世に――それって、つまり」死神はニヤリと笑った。「ああ、アフターサービス付きさ。こっちとしても、死なれっぱなしには出来ない」死神が指を鳴らした。空き缶から文の身体が引きずり出された。私は剣を向けたが――杞憂だったようだ。
文の身体が少し光ったように見えた。私達は顔を見合わせた――が、すぐに変化に気が付いた。足だ。文の足が徐々に実体を持ち始めた。輪郭が浮かび上がる。半透明な身体に色が戻りつつある。「見えた!」はたてさんが飛び上がった。「見えたよ、文!――そこにいる!!」
「神は言っている、ここで死ぬ定めではないと――てのはまあ、冗談だけど。次回は真っ当に死んできな」死神は首を振った。「今度はスピード違反なんてしない事だね、自称、幻想郷最速」そう言うと死神は、再び一瞬の内に立ち去った。文を見る。次第に輪郭がはっきりしてきた。
『これは――やりましたね、椛?』意識が戻った。はたてさんが抱き着こうとしたが――すり抜けた。感動のハグはお預けらしい。『うふふ。ナデナデしてあげますよ。もう少しお待ちなさい』はたてさんは頷いている。……こいつ。生き返ってすぐくらい、愁傷な態度でいられないのか?
『おおお、懐かしき肉体の感覚……」幽霊になってからそんなに経ってないだろ。「一辺は死なないとわからないですよ」文は大仰に手を開いてみせた。ああ、こいつは確かにこういう奴だ。……しかし、少しばかり浮かれているようだな。文の身体を見た。上から下まで、じろじろと。
私の視線に気付いたのだろう。文は下を見て――「あの、服は戻らないので?」「戻らないらしいな」私はニヤニヤと眺め続けた。「わたくしめ、露出魔の趣味はありませんよ!」「いいじゃないか。そのまま飛べば。生き返ったのが瞬時に伝わる」愉悦に、耳がぴくついた。
御付きが、はたてさんが、全裸から目を背ける中、私はそれを眺める。眼福という奴だ。「尊厳と引き換えの宣伝なんてお断りでありますよ!」「被害者になった時に限って都合よく断れるなんてのは――ないんじゃないか?」笑いが止まらないな。はは。文の顔はまさに、必死だ。
「いやあの、そのですね……わたくし、わたくしめは……」こいつに羞恥心なんてものがあったのは意外だが、必死に身体を隠したまま、力なくしゃがみ込んでしまった文に――まあ、これ以上いじめるのも哀れだな。私は上下を脱ぎ、さらしと褌だけの姿になった。「ほら、着ろ」
文は即座に反応し、奪い取るように衣服を身につけた。幻想郷最速は伊達じゃないな。「これは貸しだ」「借りにしておきますよ」文は高く飛び上がると、風を蹴って加速した。もはやその姿は点のようにしか見えない。あいつが生きているという報は、すぐに山を駆け巡るだろう。
「えっと――服、貸してあげようか?」はたてさんが遠慮がちにこちらを見ている。御付きもだ。何だ君ら、随分シャイじゃないか。「構いませんよ。普段もこのくらいで動き回ってますから」「そ、そうなんだ……」何か、少しばかりヒかれた気がするな。……まあ、いいか。
「――飯綱丸様にはこちらから連絡する、って」御付きの耳打ちを、はたてさんは声にした。「今回は、色々な人に助けられました」皆、良い人だよね――と、はたてさんは笑った。世の中そうは優しく出来てはいないが――お人よしの御家が、一つくらいはあってもいいはずだ。
……さて、私も帰ろう。はたてさんに挨拶し、ねぐらに向け、ゆっくり飛んだ。あいつに付き合っていたせいで、上司にこってり絞られそうだ。でもまあ、それでもいいか。あいつを散々困らせてやったのだ。案外私も、あいつに似て、胡乱なそれが好きなのかもしれないな。
貸しを徴収する時も、精々いじってやろう。慌て顔を思い出し、私はニヤニヤと笑っていた。
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「あの時、散々わたくしめをイヤらしい目で見ましたね」「見物料がどうとか?」「そッ、そうではなくてですね……」「私は好色なんだ」「へっ?」「綺麗な身体をしてるじゃないか。悪いのは性格だけか?」「ぬぬ……、怒ればいいのか喜べばいいのか、わかりませぬな……」