蒼き死よ、来たれ
―蒼き死よ、来たれ―
清蘭が死んだ。
私が殺した訳じゃない。お茶を運んできた清蘭が、タンスの角に小指をぶつけて、つんのめった勢いのまま椅子の角で頭をガッチンしたんだ。それで清蘭は死んだ。「…清蘭? おーい、清蘭?」私の呼びかけに、清蘭は答えなかった。脈を取る。…ああこれ完全に死んでるわ。
「どうしたもんか…」冷静に考えていられる状況ではないのだが、私だって混乱している。玉兎もこんなつまらない事で死んでしまうんだな。「仕方ない、とりあえず外へ運――あれ?」そこには清蘭はいなかった。もとい、清蘭の死体は転がっていなかった。零れたはずのお茶の跡も消えている。
「いや…これは、どういう事だ…?」確かに死ぬのを見たはずなんだが。…いや、もしかしたら白昼夢かもしれない。最近疲れているのかも…「鈴瑚」呼びかけられて振り向く。そこには…清蘭がいた。「どうしたの、そんな顔して」いやいやいや…これは、本当に疲れているのか…?
「今日は何食べたい? 何でも作っ――」清蘭は高い所に手を伸ばしていた。その時…調理器具がドカドカと落っこちてきて…清蘭の姿は一瞬で見えなくなった。「…おーい、清蘭?」私の呼びかけに、清蘭は答えなかった。邪魔な山を崩すと、胸に包丁が突きたった清蘭が、死んでいた。
「いや、ちょっと待てよ、これは…」私は視線を外した。少しばかり考えて、そちらを向き直す。…調理器具どころか、清蘭の姿も消えていた。「鈴瑚」私の背後から、声がした。「つまり、こいつも…」「…どうしたの? …それよりこれ、天ぷらにしよう!」――ああ、読めるぞこれは。
「ギャーッ!!」天ぷら火災に巻き込まれて、清蘭は死んだ。「スイカ食べようよ!」頭を果肉塗れにして死んだ。「見て、変な海魚!」毒に当たって死んだ。「今日は洗濯日和!」シーツが首に絡まって死んだ。「アバーッ!?」家の外でクマに襲われて死んだ。「ファイアーダンス!」死んだ。
「――清蘭が死に続ける?」訳がわからなかった。清蘭は死に続けては、跡形もなく消えていた。視線を外す度、今も清蘭は死に続けている。じっと見つめていても無駄だった。視線を外さなくても、清蘭は死ぬ。視認しなければ、そこらに死体が増えていく一方だ。
「…いいから、清蘭は座ってて!」私はとりあえず清蘭を動かさない事にした。それなら流石に死なないだろう…「ITEッ!」天井が剥がれてきて、清蘭は死んだ。…駄目だ。どう足掻いても清蘭は死ぬ。もう、ここから逃げ出そう。私は勝手口から外へ飛び出し――玄関に飛び込んだ。
「…!?」戻っても同じだ。窓も試したが、何処かしらの内側に繋がってしまう。その間にも、窓拭きをしようとした清蘭が死んだ。靴を揃えようとした清蘭がひっくり返って死んだ。風呂には窯茹でになった清蘭が浮いていた。いっそ壁を割ってしまおうと思ったが、びくともしない。清蘭が死んだ。
「…一体どうしろって言うんだよ…」私は無力感と共にへたり込んだ。風呂でドライヤーかましてた清蘭が死んだ。階段で将棋倒しになって清蘭が五人死んだ。やれやれ、日常に潜む危険って奴か…ん、待てよ? 危険――そうか! 私は一つのひらめきを得た。これで駄目なら、万策尽きる。
もし、そうなら…「確か、あそこにあったはず…!」私は自分の部屋に飛び込むと、書籍に潰されている清蘭を無視して、棚の中を漁る。そこに入っていたのは啓蒙ポスター。いくつか掴んで、飛び出した。扉にぶつかって清蘭が死んだが、今はそれどころじゃない。
押しピンを踏んで清蘭が死んだ。リビングの壁に、それを押しピンで貼り付けた。「日常に潜む危険」「火の始末」「ヤンバーイ」「ご安全に」「確認ヨシ!」「クマ出没注意」と描かれたポスターを次々と貼っていく。その間にも清蘭は死に続け…なかった。死の連鎖が止まったように思える。
「ははは、なんとかなった…」あの清蘭達は、或いは日常に潜む危険の発現だったのかもしれない。清蘭でなくても、簡単な事で人は死ぬ。ある意味で死は日常なのだ。それを清蘭達は教えてくれていたのか。まあ、とにかく、これで清蘭が死に続ける事はなくなった訳だ。
「…それで、私はどうすればいいんだ?」何処を覗いても清蘭はいない。やはりこの空間からは逃れられなかった。ただただ、シーンとした空気だけがある。私の心に一つの恐れが浮かぶ。…ひょっとして、二度と出られないなんて事はないよな…?
(鈴瑚)…後ろを向いた。誰もいない。確かに聞こえた。あれは清蘭の声だ。(鈴瑚、起きてよ鈴瑚)起きる? 私は試しに頬をつねる。痛くない。つまり、これは…
―――
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「鈴瑚、起きてったら!」私をゆするだけでは飽きたらず、彼女は耳を激しく引っ張っている。「痛い、痛いよ清蘭…」「起きない方が悪い」清蘭はぷんすこと怒りながら、台所へ向かった。…夢か。それにしても、変な夢だった。たしか最初は、タンスに小指をぶつけて――
「はい、お茶」
小指が、タンスへと近づいていた。