―いたずらな蝶々―
私達は死んでしまった。
よもやよもや、大黒柱どころかありとあらゆる柱が折れるなんて思わないだろう。きっとシロアリの妖怪がいたに違いない。…そんな事はもうどうでもいいんだけどさ。皆々様の予想通り、私達は家に潰されて死んだ。声を上げる暇もない。或いは清蘭は逃げ…られてないな。清蘭だし。
死んでしまったら案外、現世への執着なんてなくなってしまうものらしい。私達は――やっぱ死んでるじゃないか――何処とも知れぬ場所を通り、やがて曼殊沙華が咲き乱れる何処かへと辿り着いた。…これは、あれか。三途の川。ギイコ、ギイコと船がやってくる。
「お前さん達は…玉兎? 珍しい事もあるもんだ」如何にも実用性のなさそうな鎌を持った女が、私達を値踏みするように見つめた。そうだ、玉兎の魂は月に昇るのではなかったか。「取り違えでもあったのかね」あの世も案外いい加減だな。私はやれやれ、と呆れてみせた。通じなかったが。
「今日はお客が少なくてね。お前さん達だけだ」女はこちらに手を伸ばした。「前払いだよ、ほら」…確か、渡し賃がいるんだったか。ポケットを探る。…ない。まったくない。何でさ。現世で何か悪い事でもしたってのか。…あんまり良い事もしてないけどさ。
「貸したげるよ、鈴瑚」清蘭の手には溢れるほどの銭が積み上がっていた。おい地獄。お前らの基準おかしいだろ。「いらないの?」…そもそも融通していいものなのか? 私は女の方を見て…そいつは居眠りしていた。これならわかんないか…
舟を漕いでいたサボリ野郎は、私達が乗り込むと流石に目が覚めたらしい。渡し賃を押し付けると、目を白黒させていた。清蘭お前一体何したんだよ。…それはともかく、船は三途の川をずいずいと進み始めた。あーあ、私もこれで死人の仲間入りか。マシな所に堕としてくれりゃしいけど。
清蘭は特に悩んだ様子もなく、川を見ている。落っこちたらえらい事だぞ。そう思ったが、言葉にはしなかった。どうせこの先に行けばお別れだ。…そんな事を考えていると、不意に船が減速し――止まった。「あれ? あれれ?」女にも理由はわからないらしい。一人と二匹、川の上。
その時だった。私は頭上にくすぐったいような感覚を覚えた。清蘭もそうらしい。「ちょっと、おい! 途中下車は困るよ!」女の姿が遠くなっていく。…ちょっと待て、つまり私達は、何処かへ引っ張られているんじゃないか? 私の疑問を他所に、私達は上へ、上へと――
―――
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『目を覚ませ、玉兎よ』
『んん…』『ふわあ…』ここは…何処だ? 今日はあっちこっちに引きずりまわされるな。そんな事を考えながら、立ち上がると――そこには、光に包まれた人の型が立っていた。『ひゅい!?』『何よ鈴瑚、変な声出して』お前、この事態に慣れてきただろ。『ところで、誰?』
やりとりは玉兎回線で行なわれた。テレパシーだろうか。『私は光の神』やにわに光の神は私達を指差した。『清蘭だよ、よろしくー』『…鈴瑚です』こいつと組んでたら何回殺されても文句は言えない気がする。…うん? そういえば私達は、死んだんじゃなかったか?
『何事にも手違いはある。許せとは言わないが』きょ、恐縮です。『手違い?』『お前達はあそこで死ぬはずではなかった』光の神は私達を指差したまま、かっこいいポーズを決めた。『バタフライエフェクト。つまり、お前達の家が倒壊するのは運命の必然だった』光の神はポーズを解いた。
『だが、その運命こそが捻じ曲げられたもの』光の神は更に難解なポーズを取ろうとして――慌てて背中を叩いた。攣ったらしい。『私にも慈悲の心がある。そこでだ、お前達は生き返らなければならない』『生き返る?』『生き返らせてくれるの?』咳払いをしながら、光の神は頷いた。
『本当に申し訳ないと思っている。許してくれるだろうか。許してくれるね。グッドラビット』
そう言うと光の神は、凄まじい威圧感と共に、私達の頭へと叫びかけた。
『おお、玉兎よ! 死んでしまうとはなさけない!』
精神を震わせるような声が響く。光の神は大仰にポーズを決め、私達を指差した。
『――そなたらにもう一度、機会を与えよう!』
『もう一度、機会を…』『えっ、どういう事なの?』私達は言葉の意図を計りかねたが、世界が…何かが変わった。何か…歯車。そう、まるで歯車が違う歯と噛み合ったような…
―――
―――
「――はっ!?」「えっ?」今日はよく目を覚ます日だな。私は頭痛を紛らわせる為にカーテンを開き、インスタントコーヒーを淹れ――うん? 「ねえ鈴瑚、家が元通りになってるよ」そうだ! 私達は家に潰されて――どういう事だ? 二人が同時に同じ夢を見るなんてのもおかしい話だ。
「おーい、いるかい?」ドンドン、と遠慮のないノックが耳を衝いた。聞いた事のない声…いや、ごく最近に聞いた事のある声だ。誰だろう。押し売りだったらお引き取り願わなきゃな。私は扉を開けた。…特に何も考えず。
そこにはさっきの――さっきか?――女が立っていた。「どうも、死神です」はあ、死神――おい、死神だって? 「御命頂戴」鎌がギラリと光る。「ずらかるぞ、清蘭!」私の指示もそこそこに、清蘭は素早く裏口から逃げ去った。私は咄嗟に戸棚の上から拳銃をひったくり、構える。
「このままだと映姫様に怒られ…いや、死神の沽券にかかわるんだよ! 頼むからもう一回死んでおくれ!」閉所で大鎌はどう考えても不利だ。私は慎重に距離を取り――その瞬間、私は鎌の射程範囲にいた。「!?」横薙ぎの死を咄嗟に飛び上がってかわす。
前方に拳銃を撃つが――やはり瞬間、私は戸口の外に移動させられていた。弾が切り払われる。「無駄だよッ!」鎌から放たれた閃光が私を真っ二つにしようとする。咄嗟に横に転がって、なんとかかわせた。攻撃の正体が掴めない。…だが、私の反応速度を舐めるなよ。
死神と睨み合う。拳銃の弾はまだある。さっきから起こっている不自然な移動は、どうやら死神から見て直線上に起こっているように思える。ならば。清蘭なら、必ずやってくれるはずだ。私は地を踏みしめ――死神を中心に円を描くように走った。なるべく遠ざかるように。
私は散発的に拳銃を撃った。遠距離は私の距離だと見せかけるんだ。それなら。「はっ、何処へ行くのさ!」死神が私の身体を引き寄せた。鎌の射程距離。鎌が振り下ろされ――
清蘭の狙撃が、死神の鎌を弾き飛ばした。即座にそれを引き寄せようとするが…ここより先は、私の距離だ。「くらえ!」無防備た身体に必殺のソバットをかました。起き上がろうとする死神の身体を踏みつけ、拳銃を突き付ける。「…もう、やめないか?」これ以上は私だって持たない。
転がっていた死神の鎌が消えた。「ああ…」私が足をどかすと、死神は埃をはたきながら立ち上がった。「今回はあたいの負けって事にしとくさ。だが生憎と、死神は粘着質でね」死神は私を、茂みに隠れていた清蘭を見た。「しかしまいった、これじゃお説教不可避じゃないか…」死神はぼやいた。
死神が飛び去るのを見て、私達はほっと胸をなでおろしていた。…あんなのがさいさい来るんじゃ気も休まらないが。「生き返っても厄介事は続くもんだな…」「どうも、厄介事がやってまいりましたよ」不意に声がした。またぞろろくな事が…と思って振り向くと、そこには微笑みがあった。
直接面識はなかった気はするが、確か…「あ、ドレミーちゃんだ」「どーも、ドレミー・スイートです」アンニュイな微笑みを浮かべながら、彼女は浮遊するピンク色の何かに身体を預けていた。たまに千切っては口に入れてムシャムシャしている。…食べられるのかそれ。
「今日はちょいとばかり、ご挨拶に参りまして」「挨拶?」私が疑問を浮かべると、ドレミーさんは帽子の中から――何処に入れてるんだ――そばの入った箱を取り出した。「おそばです。どうぞ」「あっ、いやこれはどうも」…そば? そばって言うと、確か…
「この辺り――いえまあ、この場にはないのですが、ええ。ご縁がありますもので、引っ越しそばをですねぇ、お持ちいたした訳です。ふふふ」ドレミーさんのいう事はよくわからなかった。この辺りは私達の家しかなかったはずだが、間違えたのだろうか。…流石に、それはないか。
「しかし災難でございますねぇ。御宅が全壊した時は如何にも驚きましたが、誰かさんのお力であっという間に元通り。いわんや、あなたがたも」周囲に浮かんだ羊の毛をむしりながら、ドレミーさんは語った。…私達の家を元通りにした? 一体誰が…? 「ドレミーちゃん」
「ひょっとしてこれ、光の神のせいなの?」「ええまあ、無関係と言えませんねぇ」ドレミーさんは尻尾を振った。「バタフライエフェクトってご存じ?」…確か、蝶の羽ばたきが裏側で嵐を起こすとか、そういう話だったか? 「そう、いたずらな蝶々です」私達を覗き込む。
「私もそれなりの倫理観というものを、ええ、持っているものでしてぇ。少々お話しておいた方が良いかと思いまして」眠そうな目が少しだけ開いたように思えた。「夢の世界にはご縁があるでしょう? ええ、槐安通路のそれです。それを少し、私的利用されるお方がおりましてねぇ」
「彼女は夢の中にお家を構えようとした訳ですよ。何者にも邪魔されない別荘ですね。はい。ただ、しがらみもあってそれは難しかったようで――彼女は最悪の手段を使ってしまった訳ですねぇ」…ああ、なんとなく事態が掴めてきたぞ。清蘭はつまらなさそうだ。まあ、お前はそれでいいんだよ。
「さて、あなたがたは蘇りましたが、そのせいで死神に追われる身になってしまった。運命は常に未知数な訳ですねぇ、ええ。これからは死ぬまで死神とお付き合い。健闘をお祈りしますよ、ええ」恐ろしい事を言いながら、ドレミーさんは変わらずの微笑みを返した。なんか怖いよこの人。
「運命の歯車というものは誰にも制御できない。あなたも。私にも。いわんや彼女にも。どれだけ覚悟をしていても、ええ、そうなるものは仕方がない。それが世界の選択です」指をぐるぐると回した。「つまり、あなたがたは歯車の犠牲になった訳です。何の謂れもなく」指を跳ね上げた。
「一緒に住もうって言ってくれた時は、ええ、たいそう喜びましたよ。私。ただちょっと、おいたが過ぎましたねぇ。私にも責任の一端はある」ドレミーさんは頭を下げた。何故か私達も。これでチャラという雰囲気はあった。そもそもドレミーさんに非がある話でもないように思えるが。
『――待ちなさい、ドレミー!』
その時、ドレミーさんの背後から飛び出してきたのは…サグメ様だ。『それは秘密にしておこうって言ったじゃない!』『おや、秘密にしていますよ、ええ。まだ誰が犯人とはおくびにも出しておりません』『…!』…ああ、だいたい予想はしてましたが、やっぱりそうですか。光の神。
『…えー、オホン。私は無関係だ。本当に』いや、それじゃ清蘭も騙せないと思いますよサグメ様。『無関係なの?』騙せるかもしれない。『犯人が出てきては仕方ありませんねぇ。ええ。必死に懺悔してください。悪あがきは格好悪いですよ、サグメ』ドレミーさんはむしろ楽しそうだ。
『…まあ、今回の件は確かに私のせいだ。だが、こうなるとはまったく思ってもみなかった。許せ』『清蘭、どうする?』『やだ。許さない』まあそうだよな。『…要するに、ドレミーさんとの"愛の巣"を作る為に能力を使ったら、巡り巡って私達が死んだって訳ですか?』『…うっ』
『それを隠蔽する為に、私達を生き返らせたと』私の顔はきっと険しくなっていただろう。サグメ様は一歩後ずさった。ドレミーさんは無関係とばかりにアンニュイな微笑みのまま、事態を見物している。清蘭はなにやら楽しそうだった。今から始まる捕り物に期待しているように。
「ゆ、許せ――あっ」
「どう転ぼうと、許しませんからねッ!!」
キレてしまった私と遊び半分の清蘭とで、家の中をドタバタと追いかけまわした。ドレミーさんの姿は見えない。…サグメ様はやたらと脚が早い。だがしかし、清蘭が足を捕まえた。よし、ここでサブミッションを…うわっ、飛び跳ねるんじゃない! 暴れたらぶつかる! そこは柱、柱だって!!
――柱が全部折れて、私達は死んだ。