はじめのテイオー   作:まるしゃわ

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予感

「おいお前ら、早くしろ!」

 

見事に晴れた空の下、靴紐を締め直し、今まさにロードワークに向かおうという時、ふと頭上の看板が目に入る。鴨川ボクシングジム…ただ自分の名字にジムと付けただけの、なんの捻りもねぇいかにもジジイらしい趣味だ。こんな辛気臭いジム、俺様なら絶対に入ろうとは思わねぇが、何故か最近は入門希望者は多い。…それは何故か。

 

「…フッ、どう考えても俺様のお陰だな」

 

そう、それは勿論、この鷹村守が居るからだ。日本チャンピオンが居るってだけでも箔が付くってのに、その中でも俺様のような最強無敵の男が入ってるのだから、まぁ当然といえば当然だ。

 

「お待たせしました、鷹村さん」

 

気の抜けるような声に振り返ると、そこには見慣れた連中の姿。青木、木村、そして一歩。騒がしい事だけが取り柄の連中だが、一応プロボクサーだ。俺様から見れば全員小物感は否めないが…まぁ、こいつらもジムの人気に多少は貢献してるはずだろう。

 

「…そういやゲロ道はどうした?結局アイツ、入門したんじゃなかったか」

「山田君はまだ高校生ですから。昼間は学校があるんですよ」

「ケッ、お前に似て真面目なやつだ。プロ目指すなら学校なんて辞めちまえばいいのによ」

「鷹村さんと一緒にしないでくださいよ。…ねぇ青木さん、木村さん」

「…別に行かなくてもいいんじゃねぇか?」

「あぁ。いくら勉強できたってボクシングじゃ役に立たないからな」

 

(だ、駄目だ…この人達に同意を求めたのが間違いだった…)

 

「真面目な話、ボクシングってのは選手生命の短いスポーツだ。本気でやるなら早い方がいいと思うぜ」

「それはそうですけど、でも引退した後のこととか考えたら、やっぱり高校くらいは出た方がいいんじゃ…」

「あぁん?そりゃ高校クビになった俺達へのイヤミか?」

「流石優等生は言う事が違いますなぁ〜!?」

「そ、そんなつもりじゃないですよ!」

 

生意気ではあるが、確かに一歩の言うことにも一理ある。家の事情、金銭的な理由、そして病気や怪我……まぁ色々あるが、アスリートってのは遅かれ早かれいずれは引退しなきゃならねぇ。特に不良あがりなヤツも多いボクサーは、引退後に路頭に迷う事も多い。それに─────

 

「あれぇ!?青木君、木村君、君たちそんな事言ってられる戦績なのかなぁ?」

「「ギクッ…」」

「俺様のように勝ちまくってればいいが、高校中退の上に情けない戦績だと引退後は侘しい生活になるのぉ〜。……あっ、でもお前らなら大道芸人にでもなりゃ老後の心配はいらねぇか!ダァッハッハッハッ!」

「冗談じゃないっすよ!泥試合の王様の青木はともかく、俺まで一緒にしないでください!」

「誰が泥試合の王様だこの野郎!」

 

「貴様ら何をやっとる!騒いでないでさっさと行ってこんかっ!」

 

いつも通りバカをやって、ジジイを怒らせる。俺達にとってはなんてことの無い、いつも通りの日常だ。

…だが、アイツにとっては特別な日だろうな。

 

 

『にしし、期待しててよね!』

 

 

やけに耳に残る黄色い声が頭をよぎる。…全く、あの調子じゃまた自慢話に付き合わされるだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────これはっ……矢島立てるかッ!?………あぁっと、レフェリーカウントしません!そのまま試合終了のゴングだッ!』

 

 

ワアァァァァァァァッ!

 

 

『鷹村、チャンピオンだろうがお構い無し!僅か1ラウンドでベルトを奪取しましたッ!』

 

 

(凄い…)

 

 

『接戦の予想を覆し、名実共に日本最強の名を勝ち取った!果たしてこの鷹を撃ち落とせる選手は現れるのでしょうかッ!?』

 

 

 

(ボクもあんな風に…なれるかな)

 

 

 

 

─────イオーさん?

 

 

 

 

(…いや、なるんだ。絶対に。だってボクは…)

 

 

 

 

「おい、大丈夫か?」

「えっ?」

 

みんなの声にハッと我に返ると、六つの見なれた顔がそこにはあった。心配そうな表情を見るに、どうやら少し前から声を掛けられてたみたいだ。

 

「どうしたテイオー、お前がレース前にボーッとするなんて……もしかして、どこか調子悪いのか?」

「ううん、調子はすこぶるいいよ。ちょっとウィニングライブのこと考えててさ」

 

我ながら随分調子のいい事を言ってると思うけど、みんなの誤解は解けたみたいだ。…まぁ、ウィニングライブってのは半分嘘なんだけどね。

 

「じゃあそろそろ時間だから、行ってくるね!」

「頑張ってください!」

「勝ってこいよ!」

 

わざわざバックヤードにまで見送りに来てくれたスピカのみんなの声を背に受けながら、ボクはついに眩しく光るターフの上に立った。

特大の声援、たなびく芝、耳に当たる風……感じる度、その全てがボクの心臓に熱い血を巡らせる。

 

 

(あぁ、この感じ…あの時とおんなじだ)

 

 

───圧倒的だった。チャンピオン渾身のカウンターをあっさり攻略、火の出るような強烈な六連撃で、鷹村は文字通りマットに叩き伏せてみせた。

ボクはそれをテレビで、それも後から見ただけだったのに。気がついたらボクの両手はぎゅっと握られてた。だってこんなにカッコイイの、会長以外に見たことない。

 

(ボクだって負けてられない。ただ勝つんじゃない、見てる全員がボクには勝てないって思わせるぐらい、圧倒的に勝つんだ…!)

 

ファンファーレが高らかに鳴り響き、他の娘達が一人、また一人と枠入りしてゆく。逸る気持ちを抑えつつ、ボクも18人最後の一人としてゲートに入った。

 

 

『無敗での二冠が期待されるトウカイテイオー、果たしてジンクスを破り”皇帝”に近付けるのか。東京優駿日本ダービーが今……スタートしました!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ジジイ、邪魔するぜ」

「なんじゃ、ぞろぞろと来おって」

 

鴨川ジムの資料室、様々なボクサーのビデオや本が置かれている部屋であり、ジムで唯一テレビが置いてある場所でもある。

練習を一区切りしてまで鷹村達がやってきたのは、もうすぐ始まるであろう日本ダービーを観るためである。

頭の固い鴨川のこと、休憩中とはいえレースが見たいなどと言えば難色を示すだろうと思っていた一行だったが、その予想はいい意味で裏切られることとなった。

 

「あれ、これ日本ダービーっすよね?」

「ジジイがボクシング以外を見てるなんて珍しいな。まさか今からウマ娘のトレーナーでもやるつもりか?」

「馬鹿な事を抜かすでないわ。今日は知り合いの秘蔵っ子が出るのでな。…それより貴様らこそ何の用じゃ」

「あぁ、こっちも似たようなもんだ。実は俺の知り合いも日本ダービーに出んだよ。本当はどうでもいいんだが…まぁ休憩がてら見てやろうと思ってな」

 

画面に視線を戻すと、今まさにウマ娘達がゲートに入ろうとしているところ。ある者は目を閉じ心を落ち着かせ、またある者は筋を伸ばすなど、それぞれのルーティーンに勤しんでいた。

 

「で、鷹村さんの知り合いってのは誰なんです?」

「あぁ、えーっと……おっ、いたいた、あの奥の白い服のちっこい奴だ」

「ん、白い服って事は……えぇっ!?」

「なんだよ大声出しやがって、青木も知ってんのか?」

 

青木が驚くのも無理はない。まるで運動会に出た知り合いの子供でも指さすかのような軽い所作が指し示したのは、ウマ娘の中でも超がつくほどの有名人だったのだから。

 

「知ってるも何も、トウカイテイオーじゃないっすか!無敗のまま皐月賞を制覇した、今最も勢いのあるウマ娘っすよ!」

「その皐月賞も大外からのスタートにも関わらず一着……流石、あの皇帝を継ぐものとすら言われてるだけの事はあるぜ」

「凄いですね、鷹村さんいつ知り合ったんですか?」

 

(なんでぇ、アイツそんなに有名なヤツだったのか…?全然知らなかったぞ)

 

改めて画面越しのテイオーに目をやる。河原で会う時と何も変わらない、ちっこくて小生意気そうなウマ娘だ。

 

───そしてあの目も、あの時と同じだった。

 

 

 

「……まぁ、不思議はねぇのかもな」

「…?鷹村さん、今なんて────

「なんでもねぇよ。それよりよく見とけ、もう始まるぞ」

 

無機質な鉄の扉が閉じ、彼女らは姿勢を整えスタートに備える。あれだけ喧騒に満ちていた会場も、この時ばかりは静寂に包まれていた。

 

───今スタートしました!』

 

扉が開け放たれると同時に、全員が一斉に飛び出す。まずは逃げ、先行、差し、追い込み、それぞれの作戦に合わせて、ポジションの探り合いが始まった。

 

「トウカイテイオーは8番手か…いつも通りっちゃいつも通りだが…」

「何か問題あるんですか?」

「あの位置だと外を走らされちまうからな。下手すりゃコーナーで抜かれちまうかもしれねぇ」

 

ウマ娘のレースは陸上競技とは違い、レーンというものが存在しない。各自が好きな所を走れると言えば聞こえはいいが、位置取りに失敗すれば実力を出し切ることすら叶わない、とてもシビアなものだ。そしてコーナーで外側に押し出されるという事は、必然的に長い距離を走らされるという事。

しかし───

 

「…いや、コーナーでも後退しねぇ。それどころか…」

「前のウマ娘に追いついてますよ!」

 

そんなもの関係ないとばかりに堂々と大外を廻ると、順位を保持しながら最終直線に入る。こうなってしまえば彼女を遮る物は何も無い。うだつの上がらない集団をあっという間に躱してみせると、その豪脚をもって先に抜け出した者達を射程に捕らえた。

 

「すげぇ…圧倒的じゃねぇか」

 

一位だったウマ娘を抜き去っても、その速度は衰えを知らない。2馬身、3馬身と後続をぐんぐん引き離す余裕の走りで、そのままゴール板を駆け抜けた。

瞬間、実況の二冠達成の宣言がされると、観客の声が大波となってレース場に溢れた。

 

「いやぁ、すげぇもん見せられちまったなぁ」

「えぇ、ほかの選手達だって遅いわけじゃないのに、こんなに違うなんて…!」

 

『シンボリルドルフ以来の無敗での二冠達成、これは十月の菊花賞が今から楽しみです!』

 

歴史的快挙の瞬間をテレビ越しとはいえ目撃した一同。競技の違いはあれど、この瞬間の為に血のにじむ様な努力をしてきた事を思うと、一ボクサーとして自然と熱いものが込み上げてくる。

…無論、それは腕を組み冷静を装う鷹村も同じだった。

 

「…そういやジジイ、アンタの知り合いはどうだったんだよ」

「………」

「…?おいジジイ、どうしたよ」

 

はぐらかすように話しかける鷹村だったが、鴨川の顔つきは自分達とはまるで違う物だった。

怒り、緊張、不安…今の感情がどれに当たるのかまでは分からなかったが、少なくともレースを終えたウマ娘達を讃えようとするものではなかった。

 

「…お主、トウカイテイオーとは面識があるそうじゃな」

「だったら何だってんだよ」

「練習が終わったらワシの所へ来い。大事な話がある」

 

結局、鴨川はこの場でそれより後を口にする事は無かった。…まさかこれが長い長い苦難の始まりになるなどと、鷹村も、まして画面の向こうのトウカイテイオーに、知る術など無かった。

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

「…で、なんだよ話って」

 

すっかり日も落ちた頃、練習を終えた鷹村は約束通り鴨川の元へ足を運んだ。いつもならとっくに帰路についている時間、普段の彼なら悪態をつく所だが、とてもそんな事を口にする雰囲気ではなかった。

 

「…そろそろ時間か」

 

鴨川がテレビのスイッチを入れると、昼間の局の番組がそのまま映し出される。当然今日行われるレースは終了しているが、彼女達にまつわるもう一つの催しが始まろうとしていた。

 

「ウイニングライブってやつか。にしてもアイツらもご苦労な事だな、レースの後に歌と踊りまでやるなんてよ」

 

どういう成り行きでこのようなイベントが開催されるに至ったのかは分からないが、応援してくれたファンへの感謝の気持ちとして行われるこのウイニングライブ、付け焼き刃の歌やダンスが面白いのかと思うかも知れないが、ウマ娘の高い運動神経を存分に活かしてステージを盛り上げる様は、中々見応えのある内容ではある。

 

だが、ボクシングとは縁もゆかりも無いものであり、エンタメに無関心な鴨川ならば尚のこと。そんな彼がわざわざ自分を呼び出してまでこの中継を見せるのか理解できなかった。

 

「おいジジイ、いい加減勿体ぶらずに────

 

そう言いかけた所で、曲が始まりウマ娘達がステージに姿を見せる。観客席の声に笑顔で答えながらロック調のリズムに乗せて体を揺らすその姿は、本業の者たちと比較しても遜色のないレベルである。

 

「あやつ……トウカイテイオーの脚をよく見ておけ」

「脚?それが一体何だっ────

 

 

 

───っ!?

 

 

 

ほんの一瞬、瞬きをすれば見逃してしまうようなその刹那、トウカイテイオーの左脚が″かくん″と曲がった。

 

初めはただの振り付けのミスのようにも見えた。それも失敗の内に入らないような他愛のないものだ。

だが左側体重がかかるような姿勢になる度、まるでその部分だけが麻酔を打たれたかのように、膝から下が力なく崩れ落ちるのだ。

 

「…おいジジイ」

「これはあくまで可能性にすぎん、ウマ娘の門外漢のワシが、画面越しに勝手に立てた仮説じゃ。この老いぼれの見当違いならばそれに越したことはない。…じゃがこれは明らかに───

 

テイオーは握りしめたマイクを振り上げ、華々しくパフォーマンスを終える。

現地の熱狂ぶりが嘘のように静まり返った部屋の中、強すぎる照明に照らされた無邪気な笑みだけが、鷹村の頭に酷くこびりついて離れなかった。

 

 

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