【完結】街からウマ娘が消えた日   作:粋成

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本作品は実際に起きた出来事をモデルにしていますが、全てが史実通りではありません。ご了承ください。


10月2日

「……はい、はい。……ええ、分かりました。ありがとうございました」

 

 お礼の言葉と同時にお辞儀を一つ。直後に電話相手にはそれが見えるはずもない事に気付いて苦笑いをする。

 終話ボタンを押し、折り畳んだ携帯電話をそっと机に置いてからぼくは大きな溜息をついた。

 最低限の設備だけが整った宿舎の個室が少しだけ陰鬱な空気に支配される。いつもならウェルが「もう、そんな溜息ついたら幸せが逃げちゃうよ!」なんてうるさく言ってくる場面だけれど、今ここに彼女はいなかった。

 

 電話の相手は先日に市役所まで嘆願書を提出しに行ったあのトレーナーさんだった。別に担当でも何でもないけれど、最近話す機会が増えている。

 というのも、荒尾レース場存続のための色んな手を彼が積極的に手伝ってくれるからだ。どちらかと言えば養ってもらっている側のウマ娘ではない、レース場の運営に携わる大人としての立場にいるトレーナーさんの協力は素直にありがたい。

 ぼく1人だけでは手の届かない策でも、彼の力があれば実現の可能性は大きく上がる。

 

 先の電話もその(たぐい)の手続きについてだった。傘下に置くという形で荒尾レース場を存続させることができないか、URAに打診をしてもらっていた。

 帰ってきた返事はNOだったらしい。URAの傘下に入るならば中央のレースを開催する事になるが、荒尾レース場は中央のレースを開催するにはあまりにもささやか(オンボロ)で、足りない設備も多い。だから現状では受け入れる事はできない。

 

 まあ、予想はできていた。

 今の荒尾レース場がURAに所属したところで、それは()()以外の何物でもない。それどころか10億の借金すらおまけで付いてくる。

 そんな何のメリットもない申し出を向こうが受ける訳がなかった。返事が戻ってきただけありがたい程だ。しかし、ダメ元だったとしても試さないよりは良い。URAは多分力を貸してくれないと分かっただけでも収穫と言えよう。

 

「はぁ……(まま)ならないなぁ」

 

 再び大きな嘆息が漏れる。

 そのまま液体のように脱力してベッドにうつ伏せに倒れ込むと、顔だけを横にしてじっと何もない壁を眺めた。無味乾燥な視覚情報ですら今のぼくには癒しに思えてくる。

 ひんやりした布団の柔らかさにひたすら甘えたい気分だった。

 

 八方手を尽くしているが、状況はちっとも上向かない。

 

 URAへの助力要請はつい今しがた断られたし、NARからは「救いたい気持ちは山々だが、全国の多くのローカル・シリーズが赤字で苦しんでいる現状で特別扱いする訳にもいかないし、何より我々の組織規模が荒尾レース場を救うには小さすぎる」とこちらも丁重なお断りを頂いた。

 ならばと全国のローカル・シリーズの門を叩いて回ってもやはり苦い顔をされるばかり。サガのレース場の人はかなり迷っている様子だったが、正直に借金の総額を伝えると掌を返して逃げていったらしい。それも仕方のない事だとは思う。

 

 逆転の策の一つだったPR動画の伸びも微妙だ。

 コンドルなんかは5桁近い再生数を見て大喜びしていたけれど、1万再生程度じゃ何の効果も期待できないだろうと思う。動画を見た1万人全員が協力してくれるなら状況が変わる可能性もあるが、実際は良くて1割だろう。焼石の水に過ぎない。

 世界を動かす力を持っているインターネットの神はそっぽを向いているようだった。

 

 ぼーっと何もない壁を観察しながら現状の整理をするうちに睡魔が忍び寄ってきた。

 閉じようとする瞼に抵抗したり負けたりをしばらくの間繰り返していたけれど、ふとした瞬間に目が覚めてしまった。眠りに沈む心地よい瞬間をもう少し堪能しようと試みても、どこかに行ってしまった睡魔が戻ってくる気配は無い。諦めて温かさの残るベッドから起き上がる。

 

 気がつけば時刻はお昼をとっくに過ぎて、もう夕方との境目と言っても良い頃合いになっていた。窓から差し込む陽光も若干の黄色みを帯びている。

 

「おっと、まだお昼ご飯を食べてないや」

 

 今更になってぼくは自身の空腹に気付くと独りごちた。最近は気を抜くと考えに浸って食事すらも忘れてしまう。良くない習慣だ。

 

 

◇◇◇

 

 

 中途半端な時刻で食堂は開いていなかったので、夕食の準備をする職員さんを横目に売店で適当に菓子パンを買う事にした。

 テレビに近い手頃な席を選ぶとぼくはしなだれ掛かるように座った。ほぼ人気のない静かな食堂に乾いたビニールの音だけが響く。本当はバランスの良い栄養を摂るべきなんだろうけれど、今は注意を払う気にもならない。

 

 モソモソと糖質の塊を口に含みながら無感動にニュース番組を眺めていると、ふと画面が切り替わって中山レース場が大きく映し出された。荒尾の白っぽい砂質のダートとは全く違った、輝くような緑のターフが一面に広がっている。

 画面の端に表示されているのは「スプリンターズS(ステークス)まもなく出走」の文字。それが目に入って、ようやく今日開催されるG1レースの存在を思い出した。

 

「ほら早く!テレビ中継始まってるよ!……あっ、イマリ先輩。先輩も観戦ですか?」

「ん?あぁ……そうだね、遅めのお昼ご飯ついでに()ようと思って」

 

 レース番組が始まって数分もしないうちに、ぱたぱたと元気な足音を鳴らして1人のウマ娘が食堂へ小走りで入ってきた。その後輩が急かすように廊下へ声を掛ければ一拍遅れて何人かが更に現れる。

 別にスプリンターズSが目当てではなかったけれど、ぼくは後輩の挨拶に適当に合わせておいた。わざわざ本当のことを言う必要は無かったし、それに折角なら観戦しようと思ったからだ。

 ぺちゃくちゃお喋りしながら画面に齧り付く後輩たちの輪に入る元気は残されていなかった。ぼくは静かに残りのパンを貪ると、水分が根こそぎ奪われた口を牛乳で潤す。

 

「ねえ、今回は誰が勝つと思う?」

「私は──かなぁ。最近すっごく調子良くて連勝してるし、とうとうG1でも勝っちゃうんじゃない?」

「ウチは海外招待選手のあのウマ娘を推すね。やっぱり物を言うのは勝ち数よ」

 

 きらきらと目を輝かせて話す後輩たちの澄んだ瞳は、今の荒尾を取り巻く薄暗さをすっかりどこかに置いてきてしまったように見える。

 その悩みの無さと言うべきか、能天気さと言うべきか、無垢な明るさがぼくには羨ましく思えたけれど、同時に彼女たちの笑顔を守らなければならぬという使命感の火がますます内心で燃え盛るのを自覚した。

 しかし、今ここで熱意を表に出してもきょとんとした顔をされるのが精々だろう。ぼくは精一杯ポーカーフェイスを保ちながらウマ娘たちを静かに見守ることに決めた。

 

 テレビに映し出される未来を約束されたG1ウマ娘たちではなく、今まさに未来を奪われようとしている後輩たちを、目に焼き付けるように。

 

 

『残り200メートルを通過、外から──が追い込んできた!招待選手のロケットマンは苦しいか、いまだバ群の中にいる!さあ先頭は抜けた10番の──!2番手争いは接戦だが前に届きそうにありません!1着は10番の──だっ、今ゴールイン!』

 

 白黒の勝負服に身を包んだ芦毛のウマ娘が悠々とゴール板を駆け抜けると同時に、レースを観戦していた後輩たちがきゃあと黄色い歓声を上げた。

 

「ほら!言ったでしょ、──が勝つって!私知ってたんだから!」

「最後の突き放しが凄かったなぁ〜。ウチもあんな走りをしてみたいもんだ」

「とっても速いし、何よりカワイイ……」

「でしょ?あの娘、インターネットで超有名なんだ!折角だから2人もフォローしてみなよ」

 

 やいのやいのと口々に感想を言い合う後輩たちの興奮もむべなるかな、スプリンターズSは流石中央の頂点と言うべき熱戦だった。

 序盤から前につけていた海外招待選手のプレッシャーは十分にあったように見えたけれど、勝ったカワイイ芦毛のウマ娘はその迫力に負けなかった。最終コーナーで中段の前寄りからぐんぐん位置を上げると最終直線で激しい先頭争いに混ざると、最後の50メートルで一気に突き放す。

 お手本のような綺麗で強い勝ち方だった。

 

 レースの熱気に当てられたのだろうか。レースを観戦していた後輩たちは元気に食堂から去っていった。

 多分あれは走りに行くんだろうな、とその後ろ姿を見送りながら想像する。実際、あのカワイイ芦毛のウマ娘の走りには今からでも外に出てトレーニングをしたくなる魅力があった。

 

 しかし、ぼくは別のことに気を取られてしまっていた。

 今日何度目になるかわからないため息をつきながら、椅子の背もたれに体重を預ける。

 

「インターネットで超有名、か……」

 

 さっき後輩の1人が言っていたが、それは本当の事だ。

 あのカワイイ芦毛のウマ娘はトゥインクル・シリーズの舞台に立つ前から有名だった。それはターフを駆ける優駿としてでの知名度ではなく、電子の海に君臨するネットアイドルとしてだ。

 300万人ともそれ以上とも言われている彼女のファンの中には、当然ながら荒尾のウマ娘も含まれている。フォローしていないぼくでさえも今日のように後輩が話しているのを時々聞く程度には知名度のあるウマ娘だ。

 

 正直なところ、今のぼくには彼女のことを限りなく羨ましく感じた。ともすれば妬ましさすら否定できない程に。

 

 少し前までは気にも留めなかっただろう。彼女にフォロワーが何百万人いようと、その上で中央のG1に勝とうと、それを理由にぼくや荒尾レース場の価値が下がる訳ではないからだ。

 中央には中央の良さがあって、荒尾には荒尾の良さがある。ずっとそう考えてきたし、それを疑うことは無かった。

 

 けれど、窮地にある荒尾レース場を救おうとあれこれ動き始めてから、ぼくの中で価値観が変わり始めていた。

 力とは(すなわ)ち知名度だ。訴求力だ。フォロワーが300万人いれば10万人ぐらいは簡単に動かせるだろうし、G1レースに勝てばさらに発言の重みは増すに違いない。

 今の荒尾レース場に足りない物を、あの芦毛のウマ娘は全て持っている。テレビの向こうでカワイイ笑顔をいっぱいに咲かせる彼女の影響力が喉から手が出るほど欲しかった。そして同時に、彼女は文字通り住んでいる世界が違うことを痛感させられて、それが無性に悔しくて堪らなかった。

 頑張って作った動画が1万回近く再生されたところで、それはカワイイ彼女のくしゃみ一つで吹き飛ばされるようなちっぽけな力しか持っていないのだ。

 

「あっ、マリちゃんここにいたんだ。……またこんな時間にご飯食べてたの?」

「ウェルか。ちょっとお昼を食べ損ねちゃってね」

「この前も同じこと言ってなかったっけ?疲れてるかもしれないけど、食事はちゃんとしないとダメだよ!」

 

 (かげ)る思考に身を任せていると、ヘイアンウエールズから声を掛けられた。ちょうど通りがかりにぼくの姿を見つけたのだろうか。

 頬を膨らませて怒ってくれる彼女の気遣いが手に取るように分かった。ウェルも色々と手伝ってくれるから疲れはあるだろうに、それでも叱ってくれるのが心に沁みる。

 でも、今は彼女の優しさに甘えるつもりはなかった。

 

「ねえ、ウェル」

「どうしたの?今度はどんなお手伝いかな」

「いや、今回は頼み事じゃないんだ」

 

 最近は何を言わずとも意図を汲み取ってくれる彼女だったが、今回は当てが外れた。

 いや、ぼくが外させたと言うべきかもしれない。何故なら、今から投げかける問いは何の脈絡もない、そして答えすらどこにもない代物だったからだ。

 

「……ぼく達は、どうやったら強くなれるのかな」

 

 目線を上げきれないまま、ぼくは言葉だけを漏らす。

 あまりにもふわふわした問いに困ったのだろう。ウェルは眉を若干八の字にすると、そっと指を顎に添えて考え始めた。

 そのまま数十秒ほど無言の思索が続いた。しかし、流石に申し訳なく思って話を切り上げようとしたところで、

 

「強く……(つよ)く在るためには、刺し違える覚悟を持つことが大事かな」

 

 なんだかレース中の姿を思い出す剣呑な雰囲気を醸し出しながら、彼女は静かにそう答えた。

 そして言葉のチョイスが怖い。

 

「差し違える?」

「うん。一方的にやられる立場だったら、どうしても心が弱くなっちゃうでしょ?だから『こっちだってその気になればお前達を殺せるんだぞ』って気持ちにならないと」

「そ、そうだね……」

 

 彼女に尋ねたのは失敗だったかもしれない。

 一瞬だけそう思ったけれど、不思議とその意見はストンと腑に落ちた。

 

「差し違える覚悟、か……」

 

 その言葉を噛み締めるように繰り返すと、ウェルはニコリと微笑んで頷き返した。

 確かにその通りかもしれない。結局のところ、ぼく達は荒尾市から一方的に運命を決められる立場でしかなくて、向こうを()()する手段を持ち合わせていない。

 だから交渉のステージに立つ事すらできず、何をやっても上手くいかない感覚に囚われているのではないだろうか。

 

 だとすれば、今必要なものは知名度ではない。訴求力でもない。荒尾市の首筋に添える刃だ。

 何でもいいから荒尾市という存在を根幹から揺るがすような切り札を手に入れて、それをチケットに交渉へと臨む。考えれば考えるほど有効な手段に思えてきた。

 

「……うん、何だかスッキリできたよ。ありがとう」

「どういたしまして?結局どういう質問なのかよくわからなかったけどね」

「まあ、ぼくにも少しぐらいは悩みがあるって事だよ」

 

 適当にはぐらかすと、ウェルは不思議そうな表情でこちらをじっと見てくる。

 

 そのまま喋っているとなんだか彼女に内心を見透かされそうな予感がしたので、ぼくは用事を思い出した風に話を切り上げると足早に自室へ向かった。

 ウェルから逃げるようにして。

 

 

◇◇◇

 

 

 自室に戻ったぼくはすぐさま後ろ手で入口の鍵を閉めると、念のため室内に誰の目も無いことを確認する。

 安全を確保したことを間違いなく確かめてから、ようやく携帯電話の発信ボタンを押した。

 

「もしもし。……はい、イマリオーエンスです。今大丈夫ですか?」

 

 発信先は協力者のトレーナーだ。いっそ奇妙なほどに精力的な働きをしてくれる彼の力が、これからやろうとしている策には不可欠だった。

 

「ええ、また少し頼みたい事があって。荒尾レース場にコンタクトを取ったマスコミ関係者の一覧って手に入りませんか?……そうですか、では後でメールで送ってください。ありがとうございます」

 

 若干怪訝な口調になりつつも、二つ返事で了承してくれたトレーナーに内心で感謝しながら電話を切る。

 ぼくは小さく一息つくと、今度は机の上に置かれたクリアファイルから沢山の紙片を取り出した。その全てが荒尾レース場の廃止の報について触れたニュース記事だった。情報収集のため、様々な新聞や雑誌から切り抜いておいたものだ。

 

 どの記事も穴が開くほど読んでいるため、内容や論旨は全て把握している。

 賛否両論のうち賛が比較的優勢な状況がぼくには大変気に入らなかったけれど、今はその内容に目を向けるつもりはなかった。

 注目するのは記事を書いたライターの名前だ。多くある記事の内でも特に()()()()()()()()()()()()()()()()性根が滲み出ている物をピックアップし、その記者の名前をメモしてゆく。

 

 荒尾レース場を守るために、荒尾市そのものを燃やしてしまおう。

 

 それが新たに考えついた作戦だった。

 諸刃の剣であることは承知の上だが、そうでもしないと最早逆転の目は無いだろう。

 正攻法では何をやっても埋もれてしまうことは今日の中央のレースを見て改めて実感させられた。ならば、邪道を使うしかあるまい。

 必要であれば名義でも何でも貸してやる覚悟だった。それで荒尾市と差し違えられるならば安いもんだ。

 

 しかし、絶対に他の人を巻き込むつもりは無かった。普段協力してくれるトレーナーにだって教えるつもりはなかったし、コンドルやウェルに関しては言わずもがな。

 何かあった時は、『頭のおかしな1人のウマ娘の暴走』で片付けられるようにする必要があった。

 

「ごめんよ」

 

 宛先の不明な謝罪が口をついて出る。

 勿論それは誰もいない室内の空気中に溶け込んでしまったのだが、それを切っ掛けにぼくの心で()ゆる情炎の色が変化してゆくのを自覚できた。

 窓から差し込む夕日のような明るいオレンジから、より暗い暗い色へと。

 

 

──ウマ娘が消えるまで 残り82日
 

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