マリの様子がおかしいのに気付いたのは10日ほど前のことだった。
なんだか普段から表情が硬いような気がするし、1人で行動する事が以前よりも増えたような気もする。
とは言っても、よくよく注意して見なければ分からないような変化だ。随分付き合いが長い私でも未だにそれが異常だという確信ができない程の、本当にわずかな違い。
だから、
それこそ私が気付いた10日前かもしれないし、それよりずっと前からかもしれない。ひょっとすると全てがただの思い込みという可能性だってある。
けれども、ふとした瞬間に何か思い詰めたような表情を見せるマリを、ただ黙って見過ごす気にはなれなかった。
今日の
『エー、まもなくスペースワールドに着きます。降り口はァ右側です、開くドアと足元に──』
「コンドル先輩!あ、あれってロケットですよね!?アタシ初めて見ました!」
たたったたっ、たたったたっ、と車内を律する規則的な線路のリズムの隙間に、平坦な抑揚の車内放送が滑り込む。
隣の座席に座る後輩が目をまん丸にして肩を揺すってきたので、私は物思いに耽るのをやめて車窓から外に目を向けた。
耳をピンと立て驚く後輩が指を差しているのは、宇宙を題材にしたテーマパークに鎮座する巨大なロケットの模型だった。オレンジと白の機体が空に向けてそびえ立つ威容は、すでに何度か見たことがあっても飽きが来ない。
「見るの初めてだったんだ。知ってる?あのロケットは毎年大晦日に宇宙まで飛んでるらしいよ」
「えっ!じゃあ今年も飛ぶんですよね!頑張れば荒尾から見えないかなぁ」
冗談よ、あれはただの模型。目をキラキラ輝かせる後輩にネタバラシをすると、彼女は顔を朱に染めてハリセンボンのような膨れっ面をした。
しかしその不満な表情も、少し粗雑に頭を撫でてやればたちまち目を閉じた心地よさそうな顔に変わってしまう。今日も相変わらず後輩たちが愛おしかった。
「──大晦日、かぁ」
「?」
ふと呟いた一言に隣の若きウマ娘が不思議そうに首を傾げる。
私は慌ててなんでもないと誤魔化した。意図せず口にしてしまった言葉の真意を、絶対に説明するつもりは無かった。
私たちは、今年の大晦日を荒尾で迎えられるのだろうか。
ひょうたんからウマ娘ではないが、ほんの冗談から思わぬ地雷を踏み抜いてしまっていたようだ。
後輩が何も気付かないのがせめてもの救いだった。もしも彼女の表情までも曇らせてしまっていれば、私はずっと後悔していただろうから。
しかし、気付いてしまった私の心はどうやっても下向きになる。今年の大晦日を、来年の正月をどんなふうに迎えるか想像しても、そこには空白の情景しか浮かばなかった。
いけない、気分がどんどん暗くなっていく。何か明るい話をして切り替えよう。
目的の駅まで残り2つだ。せめてその間ぐらいは何もかも忘れて楽しくやりたかった。
「ちょっと遠いけど、今度時間がある時に行ってみる?」
「本当ですか!?もちろんコンドル先輩のおごりですよねっ!」
「あの、奢りだなんて一度も言っていないんだけれど」
「でもイマリ先輩はおごりでグリーンランドに連れて行ってくれるらしいですよ。噂で聞きました」
「……仕方ないわね」
やった!とガッツポーズをする後輩の姿に、私はマリを少しだけ恨んだ。
銀色の大きな駅ビルと、それを一直線に貫くモノレールの空中線路が、雲に覆われた灰色の空を切り取っている。
駅前の高架歩道には下層のロータリーを埋め尽くすバスのエンジン音がやかましく響き、そのわずかな隙間を遠くに聞こえる電車のモーター音が埋めていた。
続々と建物から吐き出されてくる人々はどこか急かされているように早足だ。漂う雰囲気は一見冷たいようにも見えたけれど、同時に力強さも併せ持っていた。
ここは
私たちはその小倉の駅ビルとデパートを繋ぐ高架歩道に並び、大きく印刷した写真を掲げたり
遠く離れたこの地までやって来たのも、荒尾レース場の現在をたくさんの人に知ってもらうためだ。
小倉のある北九州市は、九州で二番目に大きな都市らしい。
100万人とも言われる人口規模は駅前の人混みを見ればすぐに実感できる。高架歩道に直結した大きなデパートや商店街は、ずっと昔の中央トレセンに通っていた頃に見た府中の駅前と比べると流石に見劣りはしたけれど、見慣れた荒尾の光景に比べればずっと賑やかで華やかだった。
けれども、あくまでここは2番目の都市だ。九州最大の街博多には及ばない。人口もそうだし、駅前の活気もそう。
「どうして北九州にするの?博多の方が人も沢山いるし、何より荒尾から近いじゃない」
不思議に思って、わざわざ小倉を選んだマリに尋ねたことがある。
彼女は少し得意そうに答えてくれた。
「北九州にはURA直轄の小倉レース場がある。荒尾と同じように、小倉もウマ娘の街なんだ。だから北九州の人々はウマ娘への理解が深いだろうし、ぼくたちの訴えが響く確率も高いはずだよ」
返ってきた答えは納得のいくものだった。
こうやって駅前のデッキに立っていても予想したほど奇異の視線は受けず、どこか親しみのこもった表情を向ける人が想定より多い。時々遊びに行った時に感じる博多の人々の瞳とは温度感が違うように感じられた。なんとなく荒尾を思い出すような、そんな暖かさだった。
その点では、博多でなく小倉を選んだ判断は確かに正しかったのだろう。
けれども、どうも様子のおかしい最近のマリからは違った意図を感じてしまう。
妙に私やウェルを避けているような印象のある彼女は、私たちを遠ざけるために
確かウェルも今日は佐賀に行っているはずで、マリが1人だけ荒尾に居残っている。あまり信頼性のない邪推であることは認めるけれど、なんだか裏を感じずには居られない配置だった。
とはいえ、こんな事を考えていても小倉の人は振り向いてくれない。今は余計な事に気を取られている場合ではなかった。
私は拡声器を手に持つと通行人に向けて語りかける準備をする。この時点で既に注目を浴びていたが、今からは更に衆目を集める事になるだろう。
仮に小倉の人々がウマ娘に好意的だとしても、これだけ雑多な人から注目される機会なんて中々ない。レース場とは全く違った色合いの雰囲気に私は少なからず緊張していた。
「こ、小倉の皆様、こんにちは!私たちは荒尾レース場のウマ娘です!」
しっかり声を出せているだろうか。自分で自信がない。
自信はないけれど、私はやらねばならなかった。緊張で飛びそうになる台詞を懸命に繋ぎ止めて小倉の街に私たちの存在をアピールする。
荒尾レース場が窮地に立たされている。今年いっぱいで廃止ならばあと2ヶ月しかない。荒尾レース場の景色はこんなにも良くて、ダートの砂質が白くて綺麗だ。何よりも人が温かい。
思いつく限りの長所を並べ上げて、歩行者の気を引こうと試みる。
反応は様々だった。
立ち止まって興味深げに話を聞いてくれるおじさんがいた。
面白そうに遠巻きで写真を撮る女の人もいた。
私たちの前を通るときだけ更に歩調を早めたスーツ姿の男の人もいた。
ひそひそ話をしながら私たちを見てきて、手を振るときゃあと黄色い笑い声をあげた女子学生らしき集団もいた。
でも、そうやって目に見える反応をしてくれたのはほんの一部で。
大半の人々は、私たちのことが全く見えていないかの如く通り過ぎていくばかり。
予想はできていた。
ここは荒尾ではない。ましてやレース場ですらない。駅前のデッキを歩くのは電車に乗るためやデパートに行くためで、ウマ娘に会うためではない。だから、ほとんどの人が素通りしていくのは仕方のない事だ。
そう、手に持った署名用紙の記入欄がちっとも埋まらないのも仕方のない事だ。それは
「皆さん、どうか荒尾レース場に力を貸してください!よろしくお願いします……っ!」
「コンドルさん、代わりますよ。続きはウチに任せてください」
「……ごめん、頼むわね」
反応が薄いであろうことは覚悟していたが、それでも語勢は衰えていた。
声の元気がなくなれば更に人々の反応も薄くなるし、そうなればますます覇気も失せるだろう。負のスパイラルに突入しそうな私を見かねたのか、隣に立っていたひとりの後輩がスピーチの交代を請け負ってくれた。
お言葉に甘えて私は休憩することにした。一旦列を外れて少し離れたところに移動して、飲み物を一口。
カラカラに乾燥した口と喉をペットボトルのお茶が潤してくれる。
一息つくと急に視野が広くなったような気がした。
さっきまでは道ゆく人の顔しか見えていなかったけれど、今になって改めて小倉の街並みがまともに視界に入ってきた。
どうやらモノレールの空中線路の先に小倉レース場があるらしい。しかし、目を凝らしても残念ながらそれらしい建物は見えなかった。おそらくビル群の向こうに隠れてしまっているのだろう。
視野が広がるのと同時に、通行人の話し声も沢山耳に飛び込んできた。100万都市を支える活気が私の聴覚をわっと埋め尽くす。
数えきれない喋り声の中の一つが、不思議と明瞭に聞こえてきた。
「ねえ、さっきのアレ、荒尾にレース場なんてあったっけ?」
「多分ローカルシリーズだろ。佐賀にもあるらしいよ、URAじゃなくて自治体が経営してるんだってさ」
「ふーん。……それで赤字って、つまりただの税金ドロボーじゃん」
「バカ!お前、聞こえたらどうすんだよ」
「……ッ!」
軽い
思わず話し声の元を睨みつけてしまい、目が合った若いカップルが気まずそうに立ち去ってゆくのが見えた。
多分私は凄い形相をしていたのだろう。どこか他人事のように、そう思った。
動悸がする。息も荒い。
顔から血の気が引く気配。
気付けにお茶をもう一口飲もうとして、やめた。
ボトルを落としてしまいそうな気がしたし、口に含んでも飲み込める自信がなかった。
脳裏にチラつくのは
心にドロドロした真っ黒の根を張る過去が、ふとした切っ掛けで目を覚まして私を責め立てようとしていた。
いつの間にか私は懐かしい上山レース場のトラックに立っていた。
鼻をくすぐる砂埃の香りは、間違いなく現実のものだ。
スタンドには座席を埋め尽くすような大観衆がいた。上山では中々珍しい光景だ。
しかし、その姿はレースを応援する時と違い、不気味なまでに統制が取れている。
「税金ドロボー」
「税金ドロボー」
「「「「税金ドロボー」」」」
スタンドの人々は、トラックに立つ私に視線を集中させると口を揃えて連呼した。
眼前に立ち塞がる異様な光景に、私の体は恐怖で震えている。しかし、私の力ではお客さんを止めることが出来ない。耐えるしかなかった。
なんとか逃げ道を探そうと左右を見回すと、懐かしい顔のウマ娘が沢山いた。上山時代の仲間だ。
助けを求めようと彼女たちに近づくと、みんなは一斉にこちらを向いてニコリと笑った。
温度のない笑顔に立ち竦む私。その中の1人がそっと口を開き、囁くように、
「ぜいきんどろぼう」
逃げ場がないと悟った私は遂に──
「駄目っ!しっかりしてよ、私!」
僅かに残っていた理性で体を強引に動かし、私はペットボトルのお茶を自分の顔にぶち撒けた。
途端に意識がはっきりする。通行人が唖然とした顔で私を見ていたが、今は気にしていられなかった。
脱力してぐったりとデッキの薄汚れた壁にもたれ掛かる。黒い埃がべったり服に付くだろうが、そんな気遣いもしていられない。
ぜえぜえと荒い息は、しかし間違いなく身体が平静を取り戻すための呼吸だった。
ボトルの底に少しだけ残った液体を舐めるように飲み込み、乱れた息を落ち着かせようと試みる。
上山時代のトラウマは今もなお消えていなかった。
荒尾レース場廃止の報がきっかけで蘇った記憶は今もなお私を苦しめている。
心に深く根を張ったどす黒い過去は、ネガティブな気持ちが底を打つ度に鎌首をもたげて私に襲いかかってくるのだった。
「『荒尾のウマ娘として戦う』だなんて、聞いて呆れちゃう」
言葉と共に、自嘲的な笑みが浮かぶ。
私には自分が何のために戦っているのか分からなかった。マリに対しては「過去とは決別する。私は荒尾のウマ娘として戦いたい」なんて言ったけれど、実際には過去と決別なんて全く出来ていなかった。
果たして私は荒尾のウマ娘として戦えているのだろうか?それともやっぱり上山の記憶に囚われたままなのだろうか?
答えは出ない。答えが出ないから今でもトラウマに苦しめられているのだろう。
「そのくせマリの事は一々聞き出そうとするの?自分勝手ね、私って」
独り言が思考を先回りしているのは、まだ心が不安定だからだろうか。
私が今も過去を引きずっている事を隠しているように、マリだって誰にも言えない隠し事の1つや2つあるだろう。
自分は秘密を保ったまま、彼女の秘密だけを暴こうとするのはアンフェアだ。それならば私も全てを打ち明けねばならない。
けれども、打ち明ける勇気が出なかった。「上山の記憶に囚われたままなら……ぼくは、凄くがっかりすると思う」と言った時のマリの表情が忘れられなかった。
だったら仕方ない。私が心の奥底に蓋をする事を選んだ以上、彼女の抱えるものに口出しする権利はない。マリの事はそっとして置いてあげよう。
私はひっそりと決断した。
数分ほど体を休めていると、粗方調子も戻ってきた。
これ以上後輩たちに任せきりでは申し訳ない。急いで元いた列まで戻ろうとして、服がお茶と埃で汚れてしまった事に気づく。なんとかして綺麗にしなきゃ。
しかし、汚れが中々に頑固だ。体を捻って全身の様子を確かめながら悪戦苦闘して、それでも落ちない黒ずみにどうしたものかと困り果てていると、
「あの、大丈夫ですか?」
「はいっ!帰ったら洗濯するのでお構いなくっ!」
「いえ、服のことではなく。……先程から見ていると体調が悪そうなので、心配に思いまして」
そこまで言葉を交わして、ようやく私は汚れとの格闘から我に帰った。
背中を覗き込むのをやめて声の出どころに目を向けると、そこには垢抜けた雰囲気の女性がいた。一見若く見えるけれど、よく見るとほうれい線に年齢が出ているような気もする。
ところで私は反射的に何か変な返事をしなかっただろうか?
「体調は……大丈夫です、今は」
「本当ですか?今も顔色が良くないですよ。見たところ、怪我や病気というよりも精神的な何かでしょう?」
「なっ、何なんですか、あなたは」
ズバリと核心を突いてきた女の人に、思わず私は警戒して棘のある態度を向けてしまう。
内心で少しだけ後悔。
「ウマ娘を育てていたトレーナーですよ。元、が付きはしますけどね」
しかし、女の人は意にも介さない様子で返事をしてくれた。
びっくりしました?と微笑む
元とはいえトレーナーならば納得だし、この人が嘘を吐いているようにも思えなかったから。
「ところで、あなたは……ええっと」
「エイシンコンドルです。荒尾レース場に所属しています」
「コンドルさんね、ありがとう」
名前を告げると、元トレーナーさんは無遠慮に、しかし嫌な心地にならない視線で私の全身を見回した。
彼女は何か確信したように小さく頷くと、少しだけ興味深そうな瞳で私に尋ねてくる。
「コンドルさんは今も現役で走っているのよね?今年で何年目になるのかしら」
「今年で……うん、11年目になります」
「11年!長いこと頑張ってるのね、とっても凄い事よ」
柔らかな笑みでそう言った元トレーナーさんは、次の瞬間に少しだけ懐かしい表情をたたえた。
「実は、私もトレーナーをやめて11年目になるんです。なんだか運命を感じません?」
「そ、そうなんですか。……中央で教えていらっしゃったんですか?」
「ううん、そんなに優秀じゃなかったわ。私が教えていたのは──」
元トレーナーさんの表情に、更に寂しげな色が増す。
「中津レース場だったの。コンドルさんがデビューした年に廃止になった、小さなレース場よ」
「あっ、コンドル先輩!もう、遅いですよ!サボりですか〜?」
「ごめんね、ちょっと立ち話が長引いちゃって」
「しょうがないですね〜」
ようやく元いた場所に戻ると、後輩の1人が怒ったふりをしながら私を出迎えてくれた。その笑顔はやけに明るい。
不思議に思って周囲を見回すと、明らかにウマ娘を取り巻くギャラリーが増えている事に気がついた。私が休憩する前とは全く違う雰囲気に変わっている。
「なんか、噂になってるみたいです。小倉駅にウマ娘が沢山来てるって」
気の利いた後輩が先回りして教えてくれた。どうやら小倉のウマ娘ファンが噂を聞きつけて集まってきたらしい。
なるほど署名の列に並ぶ人は初めから私たちを目当てにしていたみたいで、誰もが妙に満足そうな表情を浮かべて帰っていくのが印象的だった。
後輩たちだけを残して休憩に行ってしまったのが心配だったが、これなら大丈夫だったのだろう。
教えてくれるついでにさりげなく後輩が拡声器を押し付けてきたので、とっ捕まえて返そうとしたがあえなく逃げられてしまった。
仕方がない。長時間離脱していた分の埋め合わせに頑張るとしよう。
「小倉の皆様、こんにちはっ!荒尾レース場から来ました、エイシンコンドルと言います!」
来たばかりの時とは違って、今はスラスラと言葉が出てきた。
ギャラリーが結構な数いるせいか通行人の反応も良く、おかげで今日一番の元気な声が出せているような気がする。
朝の重い雰囲気はどこへ行ってしまったのかと驚くほどだ。
迷わずスムーズに口が回ってくれるので、喋りながらも別のことを考える余裕すらもあった。
そのせいだろうか。私の頭では、さっき出会った元トレーナーさんの言葉が、
『中津が廃止になった時?それはもう大変でしたよ。
『それでも強硬策には勝てませんでした。最後の日、確か桜が咲いている頃だったと思います。大貞公園の桜を眺めながら、これが現実なのか幻なのか分からない、と言ってぽろぽろ涙を流していた教え子の姿を、今でも時々夢に見るんです』
『その教え子とは今でも時々会いますし、もうすっかり中津のことも過去の懐かしき思い出になってしまいましたね。……そうだ、確か当時の同僚が荒尾で働いているはずですけれど、コンドルさんは彼をご存じなのかしら?』
初めて聞く話だった。私は多分知らないと答えた。
ひょっとすれば、名前を聞けば分かるかもしれないとも。
『そうですか……あの人が中津にいたことを秘密にするとも思えないし、もう辞めてしまったのかもしれませんね。一応伝えますけれど、彼の名前は──』
その言葉を聞いた時、私は驚いて思わず尻尾を天に立ててしまった。
彼女が口にした名前は、私のよく知っている──先月に市役所まで嘆願書を提出しに行ったトレーナーさんの──名前だったからだ。