【完結】街からウマ娘が消えた日   作:粋成

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本作品は実際に起きた出来事をモデルにしていますが、全てが史実通りではありません。ご了承ください。


10月20日

 マリがいなくなった。

 

 ……と言うと大事に聞こえるけれど、実際にはそれほど深刻でもなくて。

 確かに以前に比べると見かける機会は減ったし、会話はもっと少なくなったが、完全に姿を眩ませた訳ではないようだ。

 最低限の顔見せをしているのは後輩たちへの聞き込みからも確認済み。良いように解釈すれば、彼女はただ単にフラフラと外を出歩いている時間が長いだけとも言えた。

 

 だったら、マリを()()()()のはそれほど難しくない。

 私は勝利の確信を胸に、朝早くからレース場の控え室前に陣取っていた。

 今日はマリが走る予定の日。流石にレースに出場しない事は無いだろうという予想の元での作戦だ。

 まだ点呼にはずいぶん時間の余裕があるけれど、絶対にマリを取り逃さないためにわざわざ早起きまでしてきた。早めに入室する準備のいい後輩たちに挨拶しながら、私は眠い目を擦って待ち人を探す。

 

「……来ない」

 

 点呼まで残り5分を切った。

 寝坊したのか、ゴキゲンに逆立った髪を懸命に撫でつけながら後輩が廊下を走ってくる。私がそれに「頑張ってね〜」と声を掛けると、後輩は無言でぶんぶん激しく頷いて控え室へ駆け込んで行った。

 もう出走者はほぼ全員集まっているが、やっぱりマリの姿はそこにない。

 

 まさかとは思うが、レースまでサボるつもりなのだろうか?

 

 どうしても疑念が浮かぶ。

 最低限の顔見せはしていても、彼女は通常のトレーニングですら最近休みがちだ。ひょっとするとひょっとするかもしれない。

 いや、でも正式な手続きの上で休むなら出走取り消しの公示が出るはずだし、それも無しにサボると後でこっぴどく叱られる。やっぱり出ないとは考え辛いけど、でもマリは実際に姿を見せてなくて……

 

「コンドル、おはよ」

 

 うじうじ考え込んでいると唐突にぽんと一つ肩を叩かれた。

 目線を上げれば、すぐ前にあったのは見知った顔。マリだ。ギリギリの時間になってようやく来たらしい。

 

「マリ!良かった、ちゃんと走るのね」

「何を妙な事言ってるのさ。レースなんだから、そりゃ走るよ」

「でも……ずっと待ってるのに、全然来なかったから」

「もしかしてぼくがサボると思ってたの?」

 

 けらけらと笑い飛ばすマリは、私の心配をよそに平然としているように見えた。

 なんだか朝早くから待っていた自分が間抜けにさえ感じる。しかし、彼女が最近挙動不審なのは紛れもない事実だ。私は気を取り直して、その真相を聞き出そうと身構えたところ、

 

「じゃあ、もう点呼の時間だから。また後でね」

「あっ、ちょっと!」

 

 話もそこそこに切り上げてマリはさっさと行ってしまった。

 慌てて引き止めようとしたけれど、流石にレース前の点呼を邪魔するわけにもいかない。ちゃんと姿を現してくれた安堵と、大した話ができなかった不満と、マリが残した「また後でね」の言葉への期待が混ぜこぜになりながら、私はただ閉じてゆく扉を眺めることしか出来なかった。

 

 

◇◇◇

 

 

 点呼の列に並ぶイマリオーエンスは、(せわ)しなく自らの耳を触っていた。

 

 それは不安な時によく見せる手癖だったが、流石に彼女は自身の習性を理解していた。つい先ほどまで会話していた親友のエイシンコンドルの前では、決して耳を触る場面を見せまいと気を遣うほどには。

 しかし、その付き合いの長い友人の目がない今、イマリオーエンスは自らの癖を隠す必要もない。存分に耳を撫で回しながら考えに耽る事ができた。

 

「やっぱり勘づかれちゃうよなぁ。……もっと警戒しなきゃ」

 

 目を細め、イマリオーエンスは独りごちる。

 決して誰にも聞こえない声量で。

 

 

◇◇◇

 

 

 度々のトレーニング不参加も中5日での連闘もなんのその、マリはちゃっかりと3着でゴールして掲示板に載っていた。

 

 こういう所が彼女の凄味だと思う。ハンデや不利を覆してきっちり結果を残す『強さ』は、私には到底真似できる気がしない。

 そのマリの才能が、苦境の荒尾レース場を救うために必要だと思ったのだけれど……

 

「……なんて言い出そうかしら」

 

 私は、そのマリを今から裏切らなくてはならない。

 

 忘れもしない、あの8月26日の事。「お願い!マリの力を貸して!」と頼んだのは、私だ。

 荒尾レース場の未来を守るため、私からマリに頼み込んだ。

 その言葉を、そして『最後まで絶対に諦めない』という前提を反故にするのは、とてつもない裏切り行為だ。

 

 気が重かった。出来る事なら知らん顔をしていたかった。何もかも忘れて、前までのようにマリの部屋に勝手に上がり込んでだらだら過ごしたかった。

 でも、全ては後戻りできない所まで進んでいる。私は決定的に道を変えてしまったし、マリはこのまま放っておけば戻ってこれない危ない橋を渡る。まだ証拠はないが、彼女が何か大変な事を企んでいるという確かな予感があった。

 今すぐ全てを放り出しても、きっと元通りには戻らない。勝手に上がり込んだマリの部屋は空っぽで、たぶん私は孤独に過ごす事になるのだろう。だったら私は進む必要がある。

 後ろではなく、前へ。

 

 マリの走る勇姿を見届けた後、私は再び控え室の前に立って彼女を()()()していた。

 続々と吐き出されてくる後輩たちへ労いの言葉を投げ掛けながらも、私の目は油断なく小柄な旧友を探している。今ここでマリを逃せば今度はいつ捕まえられるか分からなかった。

 

「お疲れ様、マリ。良いレースだったね」

 

 彼女が部屋から出てきたのは最後だった。

 扉から出た直後に私と目が合ったマリはほんの一瞬だけ面倒そうな表情を作るが、すぐにそれを普段通りの飄々とした雰囲気で覆い隠す。

 取り繕うような表情の変化は、すぐに隠せばバレないだろうと(あなど)っているようにも見えた。

 

「ん、ありがとう。ちょっと前とは差が開きすぎて届かなかったよ」

「それでも凄い追い上げっぷりだったと思うわ。……ところで」

「あっ、そうだ」

 

 単刀直入に本題を切り込もうとしたのだが、何か重大な事を思い出した風にマリが言葉を遮る。

 

「少し前にインターネットに投稿した動画の事だけどさ、今度テレビで放映されるみたいだよ。しかも全国ネット!テレビ局から連絡があったんだ」

「えっ!?」

「まあ、深夜番組らしいけどね。来月中旬ごろの予定みたいだよ」

 

 マリは「サプライズ大成功!」と言わんばかりの得意げな笑みを浮かべていた。

 前触れもなく突然投げ込まれた重大ニュースに、私はただ驚く事しかできない。きっと今のぽかんとした表情はマリの予想通りなのだろう。

 

「ほっ、本当に?テレビってあのテレビよね?」

「他に何があるのさ」

「……レース場の館内放送とか?」

「それなら開催日に毎回流してるじゃないか」

「確かにそうね」

 

 爆弾のような報せに混乱して妙な事を口走っているような気がする。

 情報量で頭は回らないが、心はふわふわと落ち着きなく浮いていた。

 

 テレビ放送、かぁ。

 

 現実味が湧かず、どこか他人事のように感じてしまう。全国のお茶の間に荒尾レース場の風景が放映される場面を想像しようとしたが、いまいち上手くできなかった。

 

 代わりに浮かぶのは荒尾レース場の食堂の光景だった。

 みんなでテレビの前に集まって、きゃっきゃと騒ぎながら画面を指差して笑い合う。誰々が映ってるよ!とか、何よこの変な表情!とかくだらない事ではしゃぐ後輩たちの姿を想像して、ようやく少しだけ実感が伴ってくる。

 

「全国放送、なのよね?」

「うん。深夜3時らしいけどね」

「深夜でもいいわ、日本中に流れるんだから!」

 

 すごい。すごい。すごい。

 

 半ば夢心地になりながら、念の為マリにもう一度確認する。帰ってきた返事はやっぱり肯定だった。

 せっかくの大ニュースを持ってきてくれた親友に、私は変てこな表情しか返せない。それでも彼女は私の内心を察してくれたのか「へへ、驚いたでしょ」と悪戯っぽく笑みを浮かべてみせた。

 ……あっ、そうだ。

 

「この事、ウェルには話したの?」

「いや、まだだよ。ぼくも()()()()()()()()()だから」

「そうなんだ。ウェルも喜ぶでしょうね、あの子の撮った写真すごく良かったもの」

「だろうね。……ごめん、今から洗濯とか色々あるからウェルに伝えておいてもらえる?」

「分かった、超特急で教えてくる!」

 

 居ても立ってもいられなくなった私は大急ぎでウェルを探す事にした。

 

 なんせ荒尾レース場が、私たちが全国デビューするのだ。こんな大ニュースを今すぐ伝えずにいつ伝えるというのだろうか?

 

 きっとウェルも大喜びするだろう。ああ、早くこの喜びを分かち合いたい。

 急ごう。急いで荒尾のみんなにこの嬉しい知らせを届けなきゃ。

 

 駆け出しそうになる足を頑張って制しながら、私はできる限りの早歩きでウェルの姿を探し始めたのだった。

 

 

◇◇◇

 

 

「……ふぅ」

 

 早足で遠ざかる背中を見届けながら、ぼくは大きく安堵のため息をついた。

 

 ()()()されていた時は面倒な事になると覚悟したけれど、念の為伏せて温存しておいた重大ニュースのおかげでコンドルを煙に巻くことができた。

 ……なんだか逆に不安になるぐらいあっさりとどこかへ行ってしまったが、コンドルはそれで良いのだろうか。

 まあ、彼女なら大丈夫だろう。多分。

 

 テレビ放送の話は事実だ。

 真相を知って悲しくなるような嘘をつく意味がない。ぼく達が作った荒尾レース場のビデオが全国ネットで放映されるのは、間違いなく本当のことだ。

 

 唯一ついた嘘は、テレビ局から連絡があった日についてのみ。

 コンドルには今朝だったと伝えたけれど、本当はもう何日も前に打診が来ていた。今の今まで敢えて伝えず黙っていた訳だ。

 そうやってカードを温存していたお陰で時間を稼ぐ事が出来たんだけれど、やっぱり後ろめたく感じる。

 

「今のうちに、早く行かないと」

 

 ぼくは気分を切り替え、コンドルと鉢合わせしないよう細心の注意を払いながら自分の部屋へ向かった。

 

 必要最低限の物を鞄に詰め終わると、物の減った部屋が少しだけ寂しく感じる。

 時々置きっぱなしにされるコンドルやウェルの私物もここ数日はめっきり見なくなっていて、室内に残されたのはぼく個人の僅かな持ち物だけ。

 

 部屋を出てドアを閉じる前に室内を見渡し、この殺風景に片付いた光景を見たコンドルは何を思うかな、と少しだけ考える。

 きっと今ぼくが抱いているような淋しさを、彼女も同じようにして感じるのだろう。

 

 ……いけない、急がないと。

 (しば)し止まっていた手を動かして扉を閉めたぼくは、急いで部屋の前から離れようとして、しかし今度は鍵穴のついたドアノブと対面して再び動きを止めてしまう。

 

 今度はたっぷり迷って……ようやく、ぼくは数年ぶりに自室のドアに鍵をかけた。

 

 次のレースは2週間後。

 それまでの間は、この部屋に戻るつもりはなかった。

 

 

◇◇◇

 

 

 はっきり言って、対人間用の警備なんてザルだ。

 

 目測2mを超える塀をひらりと飛び越えて、ぼくは目的の建物──熊本市内の高級料亭──に忍び込んだ。

 ウマ娘向けの防犯装置が設置されてない建物なんて、この身体能力をもってすれば簡単に侵入できる。荒尾市内では頻繁に見かける厳重な仕掛けの一つもないこの施設は、いつでも入ってくれと言わんばかりのがら空きに見えた。

 

 対ウマ娘用の厳重な警備がスタンダードな荒尾でさえも、悪戯好きな後輩達がその物々しい防犯装置と『勝負』する武勇伝はときたま耳に入る。

 特別仕様のそれですら好奇心旺盛なウマ娘にとっては玩具でしかないのだ。しょっぱい人間用の装置なんて言わずもがな。それに、何を隠そうこのぼくだって、デビュー間もない頃は色々と……

 いや、この話は止めておこう。当時のぼくは怖いもの知らずで向こう見ずだった。

 

 時刻は既に丑三つ時、黒ずくめの服装が夜闇に溶け込む。

 深夜の和風建築に忍び込む姿は、雰囲気も相まって忍者さながらだったが、有り体に言えば今のぼくは不法侵入の犯罪者だ。まあ、捕まるつもりはサラサラ無いけど。

 

 それでも気分は少しだけ浮き足立つ。数百年前の世を駆けていたであろう()()(いち)ウマ娘になりきった気持ちで、ぼくは難なく瓦屋根に登ると(たわむ)れに両手で印を組んでみる。

 満月が出ていれば今の格好は漫画の1シーンみたいで映えるだろうけど、今日は生憎まっぷたつの半月だ。

 

「いくら2階とはいえ、窓の鍵を開けてるのはダメでしょ」

 

 下調べ通り不用心にも鍵が開きっぱなしだった窓から屋内に侵入すると、適当な押し入れ経由で屋根裏に這入(はい)り込む。

 縦横に走る(はり)をくぐり抜けて目的の部屋の真上まで達したら、ぼくは準備した録音機をそっと設置した。ひとまず第一目標はこれでクリアだ。

 

 荒尾市役所で盗み聞きした情報が正しければ、数日後にこの部屋で市長と熊本県知事が会合をする予定らしい。

 何人かリストアップしたマスコミ関係者に『下世話な』スキャンダル記事を書いてもらう材料として、その会話内容を記録するのがぼくの目下の任務だった。

 

 これも必要なことだ。

 荒尾市の為政者を一方的な悪に仕立てる為には、相応の根拠あるカバーストーリーが欠かせない。

 レース場の廃止を余儀なくされる程に荒尾市の財政が厳しい事実と、どうやら県と市との間で何か調整しているらしい事が分かれば、この密会で核心に近い話題が少なからず出るだろうと予想はできた。あとはその会話を押さえる事ができれば、策は大きく前進するに違いない。

 

 ……まあ、大方の流れの予想はついているけど。

 

 恐らく、荒尾レース場を潰す理由は「赤字が(かさ)むから」などという消極的な代物ではないだろう。もっと直接的に市や県の利益になる案件が存在して、その下準備の一環としてレース場は廃止されるに違いない。

 

 そうでなければ、()()をかけた時に見た市長の憔悴した様子の説明がつかない。

 あれ程にレースへの想いが強い人ですら廃止を決断せざるを得ない『何か』が存在するのだろう。それも、おそらく市の財政に大きく影響するものが。

 

 だとすれば、対抗策は簡単だった。

 「市長はカネのためにウマ娘を売った極悪非道」という筋書きを作れば、世間の注目はいやが上でも集まる。そこに追い打ちをかけるようにテレビで荒尾レース場の動画が全国放送されれば効果は倍増するはずだ。

 非難が集中して、荒尾市は今一度レース場の廃止を考え直す必要に駆られるだろう。民衆の訴える「かわいそう」の力は強いのだ。

 

 実際のところ、市長はむしろウマ娘寄りの立場だと思う。

 けれどもぼくの目にはあの男が役に立ちそうには見えなかった。板挟みの状況で苦労する様子に同情はするけれど、それ以上の感情が沸かない。ならば、市長という肩書きと責任の重さだけを盛大に利用させてもらおう。

 

 仕掛けた録音機を回収した時に何が記録されているかを楽しみに予想しつつ、ぼくは迅速に建物の敷地から脱出した。

 

 軽々と塀を飛び越えられる自分の身体性能がありがたい。

 市役所で情報収集をしていた時も、人間より数段鋭い聴力が猛威を振るっていた。ウマ娘の肉体に生まれていなければきっと今までの下準備は何一つ成功していなかったに違いない。

 そう考えると、ウマ娘に生まれてきて良かったとつくづく思う。

 

 ……いや、どうだろうか?

 

 無事に脱出できた安堵で(ゆる)んだ心に、冬の気配を感じる風の如く冷えた思考が吹き込んできた。

 

 そもそもウマ娘に生まれていなければ、ぼくは今頃何をしていたのだろう。

 少なくとも荒尾レース場で走ってはいないはずだ。年齢を考えれば、大学を出て何年か過ぎ、社会人として頑張り始めている頃かもしれない。

 きっとヒト並みのささやかな悩みと幸せとで心はいっぱいで、今のぼくみたいに果てしない重圧に押し潰されないよう抗っていたりはしないはずだ。

 

 それでもなお、ウマ娘に生まれてきて良かったと断言できるのだろうか。

 

「……でも、ぼくはウマ娘だ」

 

 そうだ。

 いくら想像に逃げても、ぼくはウマ娘だ。事実は揺らがない。

 それに、ウマ娘として生きていなければコンドルやウェルとは巡り会えなかった。荒尾レース場という小さくて温かい世界を知らないままだった。もしも人間になって全てをやり直せる薬を手渡されたとしても、今のぼくは迷い無くその小瓶を投げ捨てるはずだ。

 だったら、それが答えじゃないか。

 

 深夜の肌寒い風が耳を撫でる。

 その心地よい感触をいつもより大切に感じ取りながら、市内に確保したビジネスホテルへと向かう。

 

 録音機の回収予定は一週間後だ。

 それまでの間しばらく暇ができるが、荒尾に戻るつもりは無かった。

 ふと浮かんだコンドルの顔を振り払うように頭を震わせ、ぼくは宿へ向かう足を少しだけ早めた。

 

 

──ウマ娘が消えるまで 残り64日

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