【完結】街からウマ娘が消えた日   作:粋成

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本作品は実際に起きた出来事をモデルにしていますが、全てが史実通りではありません。ご了承ください。


12月1日

 荒尾に『天才(レジェンド)』が来る──

 

 その知らせは、荒尾のみならず九州一帯のウマ娘界隈を震撼させた。

 来るのだ。あの『天才(レジェンド)』が。ここ20年近くにわたってトゥインクル・シリーズの盛り上がりの中心に立ち、今もなお活躍を続ける伝説の人物が。

 それも、中央が管轄する小倉レース場などではなく、寂れきった()()荒尾レース場に。

 

 実績を挙げてゆけば数知れず。

 トレーナーとして赴任した2年目には担当ウマ娘が菊花賞を制し、その冷静かつ的確な指導から早くも『天才(てんさい)』の二つ名を手に入れると、不調に陥っていた『芦毛の怪物』の指導に携わり、彼女の復活の凱旋──伝説の有記念を実現する。

 さらにその後も躍動は止まることを知らず。『ターフの名優』、『異次元の逃亡者』、『日本総大将』、そしてあの『英雄』に至るまで、多くの名だたるウマ娘の活躍に関わってきた。冠する二つ名はいつしか『天才(レジェンド)』へと変わり、ウマ娘ファン達はトゥインクル・シリーズに輝くもう一つの恒星として、そしてウマ娘達は現人神(あらひとがみ)の如く、その人物を畏敬するようになった。

 

 その、『天才(レジェンド)』が。

 当人は積極的にメディアに露出するとは言えど、直接その姿を見る機会は滅多にない存在が。

 ともすればパドックに立つウマ娘と握手できそうな程の、古き良きおおらかな距離感と雰囲気を現代に至るまで維持し続ける、あの荒尾レース場に来るというのだ。

 ひょっとすれば握手できるかもしれない。サインを貰えるかもしれない。直接会話できるかもしれない。こんなまたとないチャンスを見逃しておけるだろうか?

 否。断じて否だ。この機を逸して、何がファンか。

 

 かくして、噂を聞きつけたウマ娘ファンが九州全円から──それに留まらず、全国のあらゆる地域から──荒尾に押し寄せる事になった。

 

 12月1日。

 冬の荒尾レース場は、熱気に満ちていた。

 

 

◇◇◇

 

 

 朝。

 いつもの通路を外れ、バックヤードから少し表に出てみると、まだ開場する前の時間帯なのに賑やかな喧騒が耳に飛び込んできた。どうやら今日はかなりの数のお客さんが来ているみたいだ。

 

 廃止が決まってからというものの、何度か似たようなことはあった。その時も同じように朝からザワザワと声が聞こえたんだけれど、今日はそれに比べても一段と活気があるように聞こえる。

 まず何よりも声に含まれた感情が違った。いつかの日みたいに不安や怒りが入り混じったものではなく、期待に満ち溢れたポジティブなざわめき。

 聞いている私までワクワクして元気付けられるような、そんな声だった。

 

 少なくとも荒尾に来てから今に至るまで、これほどの熱気を感じたのは初めての事だ。そして同時に、ずっと昔に中央に所属していた頃を思い出す。

 新鮮なようで、それでいてひどく懐かしい気分にさせられた。

 

「すごいね、中央の力って……」

「はい……」

 

 一緒についてきた後輩に話しかけると、ぽーっと放心した様子の生返事が返ってきた。

 開場前にも関わらず伝わってくる過去にないレベルの熱気に現実味のなさを感じてしまうのも無理はない。一度だけとは言え中央の熱気を肌で感じたことのある私ですら、月並みな感想しか出ないほどに圧倒されているのだから。

 そして何より信じられないのは、この劇的な変化がたった1人の人間によって引き起こされているという事実。トゥインクル・シリーズの人気と動員力の凄まじさを感じさせられる。

 荒尾とは文字通り桁が違った。

 

「コンドル先輩、早く行きましょっ! もうすぐ集合時間ですよ」

「そ、そうね。ボーッとしても仕方ないものね」

 

 中央の規模の大きさ──いや、荒尾レース場のちっぽけさをしみじみと感じていると、居ても立っても居られないといった様子で後輩が急かし始めた。

 ぐいぐいと背中を押す両手に、敢えて私は体重をかけて身を任せる。

 別に自分で歩いても良いんだけれど……何となく、後輩の掌から伝わる若々しい力強さに甘えたい気分だった。

 

「それにしても、1時間とは言えあの『天才(レジェンド)』に指導してもらえるなんて……何だか恐れ多いですねっ」

「本当びっくりよねぇ、出走登録が今日でお互い本当にラッキーだったね」

 

 軽い足取りで前を歩き始めた後輩が、金色に近い栗毛の長髪を揺らしながら弾む口調でおどけてみせた。

 口では『恐れ多い』なんて言っているものの、彼女の隠しきれない内心の期待は耳と尻尾の動きに出ている。ぴこぴこと左右に忙しなく動くしっぽは早く行こうよと急かすようにも見えた。私が歩くペースを上げてみると、彼女はついにスキップまでする有様だ。

 

 今日の第1レース前に行われる全体練習では、あの『天才(レジェンド)』がトレーニングを見てくれる予定になっていた。今日出走するウマ娘だけに与えられた特権に与ることができて、私は本当に運が良い。

 それを耳にしたマリは「べ、別にっ……ぼくはそんなの無くたって勝てるさ」なんて悔しそうに言っていた。後でいっぱい土産話をしてあげよう。頼まれなくても。嫌な顔をされても。

 

 集合時間より10分ほど早めにコースまで出たにも関わらず、既にほとんどのメンバーが揃って整列していた。いつもは集合時間になっても半分ぐらい集まらない事が()()な上に、集まった娘たちで鬼ごっこをしていたりするのが普通なのに。

 ここは本当に荒尾レース場だろうか? 実は中身だけ中央のウマ娘と入れ替わったりしていないだろうか? 荒唐無稽な想像すら浮かんでしまう。

 

「はい、ちょっと早いですが全員揃いましたね。びっくりしました。ここ本当に荒尾ですよね? ……普段からこれぐらいやってくれると助かるんですがねぇ」

 

 点呼を取ったトレーナーも同じことを考えているかもしれない。

 

 彼の嘆きの言葉に、何人かのウマ娘達が顔を見合わせてくすくすと笑う。

 悪戯が成功した時みたいな屈託のない笑い声に、やっぱりここは荒尾レース場だと実感した。

 

 はあ、と呆れた嘆息を吐くと、点呼を取り終えたトレーナーは建物の方に向かって会釈をする。

 その視線の先に目を向ければ、私たちの方へと歩いてくる人影が複数。

 

「それでは、もう話は聞いていると思いますけど……本日は中央トレセンからお客様がいらしています。みんな失礼のないように!」

 

 言葉と共に、数人のウマ娘と1人の人間が列の前に立った。

 トレーナーさんの紹介によれば、ウマ娘たちはそれぞれ中央から交流レースのために来てくれた選手らしい。そして──

 

「ご紹介に与りました、──です。この1時間を有意義なものにしましょう。よろしくお願いします」

 

 『天才(レジェンド)』が、物腰柔らかくお辞儀をした。

 同時に整列したウマ娘の列から聞こえてくる幾つかの感嘆のため息。

 

 のんきで気まぐれな荒尾のウマ娘の空気感が、ただの挨拶一つで完全に掌握されていた。

 

 

◇◇◇

 

 

 トレーニングはつつがなく、通常より15分も早く始まった。

 荒尾のウマ娘たちが普段とは見違えるようにきびきびと準備体操を進める姿に、点呼を取っていた荒尾所属のトレーナーが複雑そうな表情で苦笑いしていた。しかしながら、彼の目は中央から来たウマ娘のトレーニング風景に油断なく注がれていて、そこから少しでも学びを得ようとする姿勢が窺える。私はそれに少しだけ好感を覚えた。同時に思い知らされるのは、場にいるあらゆる人の雰囲気を変えた『天才(レジェンド)』の影響力。

 

 肝心の人物は、穏やかな笑顔で練習風景を見守っていた。

 ダートを流して走るウマ娘たちを静かに見送る姿からは、巷で言われるような凄みは感じられない。どちらかと言えば子を見る親のような印象さえある。

 しかし、『天才(レジェンド)』はウマ娘たちを見守るだけで、積極的に声を掛けにいくような事はしなかった。後輩たちも気後れするのか誰1人として話しかけには行かず、少し落ち着きなさげに普段のメニューを遂行するだけ。ただ見学者が1人増えただけとも言ってもよい奇妙な膠着状態が続いていた。

 

 10分ほど経過しても状況は変わらず。

 さっきまで期待で胸がいっぱいの様子で話していた後輩が、明るい栗色の尾を揺らして走りながらもチラチラと『天才(レジェンド)』の方に視線をやり、それでも尚踏ん切りがつかないのか話しかけられない様子を見て、ようやく私は決意した。

 引退間近のベテランは控えていようと思ったけれど、この状況でそうも言っていられない。

 

「失礼します! ご指導お願いします!」

 

 意を決して、恐れ多くも伝説の人物に話しかける。グラウンド中から一斉に視線が集まったのを背中で感じた。

 『天才(レジェンド)』は、声を掛けられて初めて私に気づいたと言わんばかりの様子で鷹揚に振り向く。しかしながら、その表情は少しだけ嬉しそうに緩んでいた。

 案外この人も誰かから突撃されるのを楽しみに待っていたのかもしれない。

 

「やあ、こんにちは。……おお、凄いね。何年目かな?」

「10……じゃなくて、11年目です!」

「そうか、11年目……クロと同い年か……

 

 一瞥しただけで私が大ベテランであることを見抜いた『天才(レジェンド)』は、ふと遠い目をした。小声で何か呟いたような気がしたけれど、ウマ娘の聴覚をしても聞き取れない。きっと聞かせるつもりで発した言葉ではなかったのだろう。

 束の間の追憶に浸っていた『天才(レジェンド)』は、ふとその目に現実を取り戻すと、懐かしさを隠しきれないまま言葉を続ける。

 

「ってことは、ダンツフレームと同い年かな? ()()()も荒尾に?」

「はい。一つ前のレースに出場して、そのまま観てました」

「凄いねぇ、まだ同世代で現役の娘がいるなんて思わなかったよ。あの娘も少しだけ面倒を見た事があるんだけど……」

「そう、でしたか」

 

 7年ほど前の事になるだろうか。

 荒尾レース場に、中央から1人のウマ娘が来た。

 

 彼女の名はダンツフレーム。宝塚記念を制してグランプリウマ娘の栄冠を手にした押しも押されぬ優駿だ。実力ある同期たちに囲まれても、彼女は自らの輝きを見失わなかった。

 しかし、誰にでも引退の時はやってくる。彼女もまた例に漏れずターフを去ったのだが……引退してから1年後、ダンツフレームは再び走る道を選んだ。目指すは中央復帰、もしくはその次にレベルの高い南関東。

 夢を捨てきれなかった彼女は、復活の足がかりとしてまず荒尾レース場で出走する事を選んだ。

 

 だいぶ昔の事だけれど、次々と当時の思い出が蘇る。ダンツフレームのブランクがあってもなお迫力に満ちていた走り。それに猛然と襲い掛かる他の出走者。私はスタンドに紛れ込んで我を忘れて応援したっけな。

 あの日もすごい数のお客さんが来てたなあ、懐かしい。

 

 確かその後、彼女は南関東に移籍して……いや、それ以上はやめておこう。

 『天才(レジェンド)』も、ほぼ同じタイミングで少しだけ眉を顰めた。

 

「……すまない、辛気臭くなったね。トレーニングに移ろうか」

「はい! お願いします!」

 

 気分を切り替え本題へ。

 指示通り軽くトラックを一周して戻ってくると、すぐさま指導が始まった。

 

「うん、ありがとう。脚はずっと悪いの?」

「10月末にちょっと挫いてしまったんです。1ヶ月ぐらい休んでたんですけど、今日が復帰レースで」

「なるほど。……全体的に見て基礎はほぼ文句なしだね。怪我のあしらい方もよく分かってる。流石11年走ってるだけはあるね」

 

 テンポ良く喋る目の前の人物は、相変わらず優しそうな表情を保っていて物腰も柔らかい。

 しかし治したつもりの怪我すらも即座に看破してみせたその瞳を見ていると、私という存在の何もかもを(つまび)らかに覗き込まれているような気がして、ほんの少しだけ恐ろしく感じた。

 

 ──なるほど、これが。

 

 数分に満たない会話からでも窺える底知れなさ。

 向き合って初めて体感できた凄味に、私はこの人物が『天才(レジェンド)』と呼ばれる所以を理解させられた。

 

「走る姿勢を見ていて少し気になったのは腸腰筋周りかな。……えーっと、深腹筋って言えば分かる? ……じゃあ、インナーマッスル」

「あ、それなら分かります」

「うん、良かった。意識してやらないと中々鍛えるのが難しい場所なんだけど、かなり走るのに重要な筋肉だよ。今は……大丈夫そうだね、実演してみよう」

 

 言うや否や『天才(レジェンド)』はダートの上に仰向けで寝転がってしまった。

 トレーニング着が砂で汚れてしまうのも構わず、手を頭の後ろに組んだまま肘と膝を交互にくっつける珍妙な動きを繰り返す『天才(レジェンド)』。唖然としてそれを見下ろす私。

 

「バイシクルクランチって運動だよ。……ほら、真似してみて」

「……あ、あのっ! 見せてあげたいので後輩を呼んでもいいですか!」

「勿論、いいよ」

 

 その奇妙な動きはふざけているのではなく本当に真面目なトレーニングなのだと気づくのと同時に、この調子だと多分私への指導だけで1時間を使いそうだと悟った私は、慌てて周りで見物している後輩たちを呼び寄せる。

 

「テンちゃん! ほらみんなも! 凄いからちょっと見に来てよ!」

 

 真っ先にやってきたテンちゃん──朝も一緒だった、明るい栗毛の後輩──を始め、待ちかねたと言わんばかりにぞろぞろと後輩たちが押し寄せる。おそらくずっとこちらの様子を窺っていたのだろう。

 たちまち出来たウマだかりの中、私は見よう見まねで変てこな動きを再現してみた。上手くいっている自信はない。

 

「これって、何を鍛えているんですか?」

「1セット何回ですか!?」

「あの、次は私の走りも見てください」

「あ、ずるい! その次はウチの走りをお願いします!」

「アタシも!」

 

 一つ質問が飛ぶと、それを境にたちまち(かしま)しくはしゃぎ始める後輩たち。

 矢継ぎ早に飛んでくる質問やリクエストに少し逡巡した様子の『天才(レジェンド)』に、私は「この娘たちを見てあげてください」と目配せをした。

 

「本当にいいの?」

「はい。元からこうするつもりでしたから」

「……そうか」 

 

 小声のやり取りにほんの一瞬だけ複雑な表情を浮かべた『天才(レジェンド)』は、次の瞬間跳ねるように立ち上がると後輩たちの質問へ対応を始めた。

 ますます輪は活気付く。またとない貴重な特別指導は、本来あるべき雰囲気をようやく手に入れていた。

 

 そんな中、私は『天才(レジェンド)』に向けて小さく一礼すると、ひっそりと後輩たちの輪から抜け出して自分のトレーニングに戻る。

 ハロン棒を目印にした200m間隔のインターバル走。いつものメニュー。走っていれば海も見えるし、不満はない。これでいい。

 これでいいんだ。

 

 自分で決めた事なのに、何故だか1人で走るのは無性に寂しかった。

 

 

◇◇◇

 

 

 今日の第7レース。

 中央から来たウマ娘と荒尾のウマ娘とが走る交流レースだ。しかしそれ以上に注目されているのは、()()()と一緒にあの『天才(レジェンド)』がパドックに登場すること。本来トレーナーはパドックに出てこないのが普通だけれど、今回は特別対応とのことらしい。

 

 パドックの周りには人がひしめき合っていた。押し合いへし合いしながらも何とか『天才(レジェンド)』を目にしようと、背伸びをしたりカメラを高々と掲げる人があちこちにいる。

 私もごった返す観客の一員としてパドックを見物に来ていた。

 

「テンちゃん! 中央の娘たちに負けないで頑張れーっ!」

 

 3番のゼッケンをつけた後輩に声援を送る。彼女は一瞬人混みをきょろきょろと見渡すと、私を見つけて手を振ってくれた。同時に歓声を上げる周りのお客さんたち。

 その後も1人ずつ紹介があるたびに声や拍手が沸き起こるが、8番のゼッケンの娘が登場すると同時に今までとは比にならない大きさの声援が響いた。堂々とパドックを歩く8番の彼女の横にいるのは、あの『天才(レジェンド)』。

 

 「すごーい! 本物!?」「サインくださーい!」「こっち向いてーっ!」

 多種多様な声が飛び交い、あらゆる方向からシャッターの音が聞こえる。出走者の名前をパドックの黒板に書いてくれるおばちゃんも、今日ばかりは有名人を一目見ようとスタッフルームの窓から身を乗り出していた。見ていて危なっかしい。

 そんな中でも、『天才(レジェンド)』は柔和な表情を崩さなかった。「あくまで主役はウマ娘」と言わんばかりの控えめな立ち振る舞いの中に、ちゃっかり四方にカメラ目線を提供している抜け目のなさが光る。積極的にメディア露出をしているだけあってこんな状況には慣れているんだろうか。

 

「中央のトレーナーはしっかりとスーツを着とると(てるんだなぁ)……」

 

 お祭り騒ぎの中、私の隣で黙ってパドックの様子を見ていたおじさんが、ボソリと小さく呟いた。

 見覚えのある顔なのでおそらく常連さんだろう。彼の語調の大半は感心で占めてられいたけれど、ごく僅かに混じっている寂しさとやるせなさを私は敏感に察してしまった。

 

 気持ちは分かる。荒尾のトレーナーはみんなジャージ。いつでもジャージだ。スーツ姿なんてまず見ない。

 でも、中央のトレーナーはこんな時にビシッとスーツを着て表に出てくる。細かいところで突きつけられる荒尾と中央との格の違いは、ボディブローのように心を鈍く打った。

 『微差は大差』とはよく言ったものだ。服装という僅かな違いは、その奥にある圧倒的な力の差を見せつける。それは同時に「荒尾だってもう少し上手くやっていれば今頃は……」という負け惜しみに近い未練すらも粉々に砕いていった。

 パドックからコースへと向かうウマ娘たちの背中を、黙してじっと見送る常連のおじさんの気持ちが、私には手に取るように分かった。

 

「頑張れテンちゃん! 差せるよ! 差せ……あぁ〜っ」

「いやぁ届かんかったか! 3つには入れると思ったっちゃ(んだ)けど、中央は強かね」

「それでも掲示板には入りましたから! 3着とはクビ差しかなかったですし、テンちゃんはよく頑張りましたよ」

「そうやな。……コンちゃん、あとで褒めときぃよ(てあげてね)

「そりゃ勿論!」

 

 肝心のレースは、荒尾勢では1番の実力者と目されたテンちゃんが辛うじて5着。それより上の順位は全て中央から来たウマ娘が独占する形になった。

 順位だけ見れば圧倒的な実力差があるように思えるけど、テンちゃんはあと半歩前にいれば3着でゴールできた本当の僅差だった。いい走りだったし、彼女には後で頭を沢山わしゃわしゃしてあげよう。

 

 いつの間にか意気投合して一緒にレースを観戦していた常連のおっちゃんと、しばらく感想を語り合ったのちに別れを告げ、私はスタンドの最上段へと向かった。

 きょう最大の目玉だった交流レースの間はどうせ有耶無耶になるから良いとして、それが終わってもお客さんの人混みに混ざっているわけにはいかない。立場上そこは線引きをしなければ。

 

 同じ考えで最上段に(たむろ)していた後輩たちと合流すると、予定されていた『天才(レジェンド)』のトークショーがちょうど始まるところだった。

 スタンドの最下段に立ち、相変わらず温和な表情を浮かべているその姿からは、朝のトレーニング中に感じた底知れない凄味は見て取れない。

 

「──どうですか、荒尾レース場は?」

「ええ、確かここに来るのは……3回目かな。毎回思うんですけれど景色が本当に綺麗で素晴らしいですね。」

 

 にこやかな雰囲気の中で質問に応じる『天才(レジェンド)』。

 その背後、ずっと奥に広がる雄大な海面が、びゅうびゅうと強く吹いた風で大きく波立つ。傾き始めた陽光を反射した黄金色の有明海が、自身の存在を誇っていた。

 

「荒尾のウマ娘たちも一生懸命走ってますし、お客さんとの距離はすごく近いですし、とても良い雰囲気の場所だなと感じました。だからこそ廃止になるのは本当に悲しいですが……まだ九州でも佐賀にレース場があって、全国にも沢山のローカル・シリーズが残っています。各地のファンのためにも、是非今後もローカル・シリーズを応援してください」

 

 そつなくトークを締めた『天才(レジェンド)』に、スタンドに集まった人々から盛大な拍手が沸き起こる。勿論私も拍手を送る。

 すると、しみじみとした表情でスタンドを見渡していた『天才(レジェンド)』の視線が私たちのいるあたりを撫でた。その瞬間、一瞬だけ止まる瞳。気のせいでなければ、その向く先は私だ。

 その人は、私を見て小さく頷いた。ような気がした。

 

『よく頑張ったね』

 

 穏やかな瞳は、そう言っているようにも見えて。

 同時に、私の心は形容しがたい感情で溢れかえった。嬉しいような、ホッとしたような、報われたような、それでいて哀しくて泣きたくなるような気持ち。

 その正体は掴めないけれど、廃止が決まって以降心にぽっかりと欠けていた心の一部が満たされたのを感じた。

 

 ほんの僅かな時間の交錯の後、視線は離れる。私以外の人には今の出来事は認識すらされなかったようだ。

 やっぱり私の勘違い……あるいは自意識過剰なのだろうか。

 

 いまだに湧き起こり続ける拍手を一身に受け、ゆっくりとステージを降りて退場する『天才(レジェンド)』。

 その遠い後ろ姿を、私は両手を叩くことすら忘れて呆然と身送ることしかできなかった。

 

 今ならば、間近に迫ったレース場の廃止という現実に対して、自分を誤魔化すことなく正面から向き合えるかもしれない。

 根拠はないけれど、そんな予感がした。

 

 

 

──ウマ娘が消えるまで 残り22日

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